貞包英之(立教大学准教授)

 今年6月に高知県大川村が「村総会」の研究・検討を表明し、話題となった。9月には検討を中止し、村議会は継続することになったものの、議員のなり手不足は全国的にみても深刻な問題だ。
高知県大川村議会で発言する和田知士村長=2017年6月(共同)
高知県大川村議会で発言する和田知士村長=2017年6月(共同)
 大川村に一度も足を踏みいれたことがない私は、この問題の是非について具体的に述べる立場にない。ただし遠くから眺めると、大川村は現在の「自治」の限界をよく表現している。

 まず重要なのは、この事件が「市町村は歴史的な存在である」と思い起こさせてくれる点である。市町村制施行(1889年)とともに生まれた大川村がそうであるように、「市町村」とは明治のなかばに生まれた、あくまで近代の制度なのだ。

 「自治体」としての実質的な確立はそこからさらに遅れた。戦前には選挙権が財産によって制限され、国から任命された県知事や郡庁の支配を受けていたことを重視すれば、一般から選ばれた首長や議員が「自治」を行う今の「市町村」というまとまりは、戦後に生まれたとさえ言える。

 明治に作られた「行政村」の背後に、より長い歴史をもつ「自然村」を想定するものもいるだろう。ただしこの「自然村」にどこまで持続性や連続性をみることできるかといえば怪しい。

 近年の研究をみると、稲作が一般化した中世末から近世はじめより前の時代は、土地に定着する人びとが少なかったといわれている。人の集団の連続性や産業的な成り立ちの継続性からみれば、多くの場合、村とはせいぜい近世につくられた急ごしらえの制度にすぎない。

 こうした「自然村」の歴史のなさを隠したのが、「行政村」だったとさえいえる。「行政村」は補助金や理念によって制度的に村を固定し、これまで、そしてこれからも永続的に続くものであるかのようにみせかけてきた。
 
 問題は、「市町村」が今後も超歴史的に続くというフィクションに、近年ついにほころびが目立ち始めていることである。端的にそれは、あたりまえに選挙をし、学校を運営し、福祉を実施することがむずかしい市町村が増加していることによって示されている。

 理由の一つは、少子高齢化である。市町村で一般的な行政水準を満たすためには、一定の人口と税収、さらには人材が必要になる。だが人口が減り、議員や役所の仕事に満足な給与が払えない自治体さえ現れているのである。

 また、産業構造の変化も一因だ。大川村では白滝鉱山が1972年に閉山したことが人口急減の引き金になったが、同様の自治体は多い。地域産業の興隆によって経済成長期に人が増えたが、その後、急速に過疎化に陥った村が多いのである。

 しかしそれらと同等、またはそれ以上に問題となるのは、近年、市町村の「自治」というまとまりを脅かす商品や金、情報、またそれに応じた人の流れが活発化していることである。

 県を越えるような長距離移動はたしかに減っている。しかしそれを補うかたちで、県内、市町村内の移動は維持、または増加傾向にあり、さらに旅行や買い物、帰省や通勤といった短時間の移動もますます盛んになっている。