しかし、直接民主制にすればそれで解決するというものでもない。大川村が、しかるべき時が来れば村民総会を「実施する」といわずに「研究する」といい、そして9月に「研究を断念する」といったのは、それが極めて実現困難なものであると認識していたからであろう。高齢者の居住地が山間に散在している実情の中で―そしてこの地形状況が、大川村が他と合併せずにいる理由でもあると推察するが―全員を集める総会を頻繁に開くことは現実的には無理だということなのだろう。
議会への関心などを尋ねたアンケート結果を発表する高知県大川村の職員=2017年7月21日午前、高知市(共同)
議会への関心などを尋ねたアンケート結果を発表する高知県大川村の職員=2017年7月21日午前、高知市(共同)
 だが村民総会が適切な解ではない理由は、それだけにとどまらないと私は思う。村民総会は、実現困難だというだけでなく、実現することによって村民がさらなるリスクをかかえることになる。

 私は、直接民主制は危ういと考える。特に自治体の人口規模が過剰なまでに減少し、村の将来の見通しが立ちにくくなっている現状では。というのも、多くの人が後ろ向きの感覚を持っているときには、議論の場の設定の仕方に慎重でなくてはならないからだ。

 むろんここに暮らす人の多くは、この村がこの先もしっかりと持続していくことを望んでいるだろう。しかし現在、村の人口の絶対多数は高齢者である。そしてその子供たちの多くが都会へと離れてしまっている現実を前にして、村民の声は必ずしも村の将来に前向きなものだけではないはずだ。私自身が過疎地を回るときにもよく聞こえてくる声がある。「自分の代でもうこの村は終わりだ」「若い人たちは無理をしなくてよい」と。

 総会はオープンな場であり、少数でもこうした意見が表明されれば、それを否定し、前向きなものへと転換するのは大変難しくなる。これでは村は続かない。若い世代に対しても無責任だ。しかし、オープンな場で生の住民の声は排除しにくい。村の将来を決める会合は、できるだけ慎重に、感情論を廃して、しっかりと前向きに進めなくてはならない。代表民主制である議会ならできるとはいいがたいが、村民全員が参加する総会にも、その保証があるとはいえない。むしろ社会が崩壊するリスクは高まるというべきだろう。

 私がこう述べるのは、この数年地方で、明らかに今までとは違う人口の流れが生じているからである。人口減少はそろそろ止まる。山間部や島嶼(とうしょ)部で、あるいは農村や漁村で、若い人々の環流が始まっている。Uターン、Iターン、孫ターン、仕事を求めて、農地を求めて、あるいは都市から逃れて…。人の動きや動く理由には地域差も大きいようだが、全体の流れがどちらに向かっているかは明確だ。そこでは新たに子供たちも生まれている。高齢者たちが抜ける穴を埋めるように、若い人々の田園回帰・地方帰還・人口再生産は着実に進んでいる。