県議選の1人区などは3割近くが無競争当選だった。これは首長選にも波及し、町村長選で4割、その後さみだれ的に行われている市長選をみても、3割近くが無競争である。ついにその年は知事選までそれが現れた。岩手県と高知県の知事選が無競争だった。

 これに加え選挙があっても、事実上、選挙前から当選者が分かるような無風選挙を加えると、50%近くの地方選挙が無競争に近い状態だ。投票率も史上最低の45%で、有権者の半数以上が選挙に足を運んでいない。日本の地方民主主義は草の根から枯れ始めている。

 果して、無投票の当選というのは本当に「当選」なのだろうか。ゼロ票議員、ゼロ票議会の出現は、議会制民主主義における政治的正当性を失わせる。彼(彼女)らは仮面をつけた「みなし代表」に過ぎないのではないか。選挙の洗礼を受けない無投票当選(正確には選挙をする前に当選が決まった)は、選ぶ側にも選ばれる側にも「政治的正当性はない」と言えよう。今後人口減少に伴い、よりこの傾向が強まるとすれば、事実上、自治体職員の支配する地方自治へと変容する。住民の住民による住民のための政治を、自ら喪失してしまう。
2017年8月、茨城県東海村長選で無投票再選が決まり、万歳三唱をする現職の山田修候補(中央)
2017年8月、茨城県東海村長選で無投票再選が決まり、万歳三唱をする現職の山田修候補(中央)
 公共分野が拡大し続け、税負担が年々重くなっているが、じつは日本全体の行政の3分の2は地方自治体が占めている。そこで議会制民主主義の空洞化が深く進行している。とするなら、この国はどこへ進むか分からない。

 すでに行政を中央政府(国)に任せればよかった時代は終わっている。地方分権改革で2000年から日本の行政の多くは地方自治体の自己決定、自己責任に委ねられている。ただ、地方に任せればうまく行く、その姿はまだ見えていない。地方政治が出番なのにパワーが見えない。納税者で近いところこそ一番問題が見えるはずだ。そこを大義に分権改革を進め自治体に政治行政を任せるのが民主主義の基本だというが、どうもそれは教科書の世界に止まる感が強い。

 2年前、政治参加の資格を18歳まで引き下げ、240万人の若者が政治に参加できるよう選挙権の拡大を図ったのに、事態は逆の方向に動いている。地方議員のなり手がなく、地方議会がうまく機能していない。それを地方民主主義の危機とするなら、これを放置したらこの国は亡びる。世界の中で、公共サービスの3分の2を都道府県、市区町村という地方自治体に委ねている国、これほど地方自治体の活動量(ウエイト)が大きな国は、カナダと日本ぐらいだ。
 
 それだけ、自治体の影響力は強いはずだが、肝心の地方議会が政治の中心になっていない。議会制民主主義が根のところから枯れている。