呉 善花(評論家、拓殖大学教授)

 
夢のような国

 江戸時代末期から明治初期にかけて、その当時来日した西洋人による日本の情勢、風景、人間模様などの見聞を記した書物がたくさん書かれている。それらに共通して見られ、私にとって最も興味深いところは、日本人には当たり前のことにずいぶんと驚き、また感心して思いを深めている描写である。日本人には当たり前のことだから、それらの大部分は、日本人自身の手になる書物にはまず書かれていないこと、書かれていても、いかにもそっけなく簡単にしか触れられていないことである。

 ラフカディオ・ハーンは、警察官が殺人犯の了解をとって被害者の妻が背負う幼子に引き合わせ、「お前も人の子だろう……」というや犯人が大粒の涙を流しながら幼子にわびる場面を描写している。

 エドワード・モースは、旅館で財布と時計を預けた際に、仲居さんがお盆の上に乗せて部屋の畳に置いただけなので、あきれながらも不安で仕方がなかったが、それから1週間ほど他へ出かけて戻ってみると、時計と財布がそのままあったことに心から驚いたと書いている。

 イザベラ・バードは、蒸し暑い夏の宿場の休息所(駅舎)で、おかみさんが団扇で何時間もずっと扇ぎ続けてくれるので、チップを渡そうとしたところ「そんなものを貰うのはとても恥ずかしいことだ」と拒否されたと記している。いずれも明治時代初期の頃のことである。

 当時の日本人は、彼らがなぜそんなことに驚いたり感心したりするのか、わけがわからなかったに違いない。でも西洋人たちは、そこに「日本の心」を見出していた。現代日本にやってきた私は東洋人だし、彼らとは百数十年も時代を隔てているのに、よく似た体験を通して、はっと「日本の心」を見出したかのような感覚になるときがたびたびある。

 かつての西洋人や私のような外国人が発見したと思えている「日本の心」と、日本人自身が感じている「日本の心」とには、ある種のズレがある。それは当然のことで、外国人は外側から眺め、日本人は内側から眺めているからである。

 それら、外側からの日本見聞記を素材にしながら、幕末・明治初期の「日本の心」を鮮やかに描き出した素敵な本がある。渡辺京二氏の『逝きし世の面影 日本近代素描 I 』(葦書房/平凡社)である。この本によって私は、「素朴で絵のように美しい国」(ウェストン)、「ほっそりと優美な乙女と妖精の住む、こわれやすい小さな驚異の国」(チェンバレン)などの西洋人たちの感銘のことばが、単なる異国趣味による賛辞などではなく、心から日本を「夢のような国」と感じてのものだったことが、はっきりと信じられた。

 この本に紹介されているさまざまな外側からの目に触れて、私があらためて感じたことは、彼らが一様に自然や田園の風景と人々の生活風俗のうちに、「日本の心」の美しさを見ていることである。そして、その親和感に満ちた調和的な社会に、強烈な羨望のまなざしを向けていることである。私とまったく同じではないかと思った。

 しかし渡辺氏は、「夢のような国」はすでに滅び、けっして呼び戻すことのできない「逝きし(死んでしまった)世の面影」なのだと述べている。とすると、私が現在見ている「日本の心」は、百数十年前の「日本の心」の断片的な残存にすぎないのだろうか。

 「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない」(モース)と今断言できるかといえば、たしかにできない。「日本人は生得正直である」(モース)といえないのも、たしかだ。先の見えない不透明な時間のなかで、倫理が得体知れずの大変化をとげつつあることはまちがいない。

 渡辺氏が論じたように、かつて世界に類例のない「夢のような国」が、一個の文明を堂々と形づくってこの日本列島に実在していたことは疑いようもない。そして近代以降の巨大な文明史の発展のなかで、人間の内面的な精神史が日本を含めて衰退と廃退の一途をたどってきたことも私は疑わない。渡辺氏が示したのも、そのことである。

 そうではあるけれど、世界的な観点から眺めれば、日本が今なお「夢のような国」の様相を失っていないのは、私にはたしかなことに感じられる。私に限らず、実は多くの外国人が本音では同じように感じているはずなのだ。

 いったい現代日本のどこに「夢のような国」の姿が見られるというのか、といわれるかもしれない。かつてと同じように、日本人には当たり前のことだから、ことさら夢のようとは感じられていないだろう。また世間の関心はもっぱら政治や社会の暗黒面に向けられるから、なおさらのことだ。幕末から明治にかけての日本にも暗黒面がなかったわけではない。だが当時の西洋人たちは、そこにはほとんど関心を払うことなく、「夢のような国」にばかり注目したのである。それはなぜだったのか。

 当時の西洋人にとって、暗黒面なら自分たちにいくらでももち合わせはあるが、かの「夢のような国」ばかりは、驚嘆のうちに引き寄せられていくほかないものだったからである。私も同じようにして現代の日本に惹かれてきた。

 私は本書『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』で、百数十年前の西洋人が外から見た日本と、現在の私が外から見ている日本とを行ったり来たりしながら、現代日本は何を保存してきたのか、何を捨ててきたのかを、できる限り見極めてみたいと思う。

 モースは時計と財布を頂けて旅館に戻ったときのことを、次のように記している。

 「帰ってみると、時計はいうに及ばず、小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に乗っていた」

 モースによれば、欧米のホテルでは盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで留められているのが常だったそうである。

 この通りのことは、今の日本にも今の西洋にもない。しかし、それを「日本の心」として見れば、同じことが現代日本のいたるところに見られる。また同じような盗難防止の習慣が現代西洋にも見られる。その点では、当時も今もいっこうに変わりはないのである。そういうことを示していってみたい。

 またモースの、日本の子どもたちの孝行や尊敬の念への称賛は、次の文章のなかで発せられている。

 「この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少く、気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。赤坊時代にはしょっ中、お母さんなり他の人々なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、五月蝿く愚図愚図いわれることもない。日本の子供が受ける恩恵と特典とから考えると、彼等は如何にも甘やかされて増長して了いそうであるが、而も世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。爾の父と母とを尊敬せよ(中略)これは日本人に深く浸み込んだ特性である」

 日本人の孝行や尊敬が、なぜどのようにして「深くしみ込んだ」特性となっていたのかが、ここでは明瞭に物語られている。そういうことも考えていってみたい。
(『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』より)

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