徳川恒孝(徳川宗家 第18代当主)

威風堂々の日本


 長い歴史の中で、日本人が作り上げてきた大変に繊細な文化の持つ「人と人との絶妙な距離感と助け合う心」「正直であること」「自然・四季と密着した生活の感覚」「祭りの爽快な活力」「義の思想」「個々の人々の高い技術の力や創造力」などが今日でもしっかりと生きていて、日々の生活の中に継承されていることは本当に素晴らしいことです。

 世界のどの都市に行っても、落としたり忘れたりした財布が、入っていた現金もそのままで警察に届けられて持ち主に戻る、という国はまずほとんどありません。もし届けられたら今度は警官がポケットに入れてしまう国や、地震があって停電すれば、街中が強盗とカッパライに襲われる国は沢山あります。

 しかし一方では、同じように本来の日本の社会がしっかりと持っていた「伸びやかさ」「人に対する優しさ」、そして、これはとても大切な美徳だと思うのですが、「適度ないい加減さ」と「許すという美徳」といった「おおらかな心」。この、いわば社会の潤滑油のような部分がだんだんに失われてきて、なにかギリギリとひどく狭いところで、時には人を「憎む」というような心が、少しづつ増えて来ているようにも思えます。

 子供たちの世界や、会社の中でもますます問題になっている「いじめ」の問題などがその典型ですが、どうしてそんなことが起こるのか、逃げ場のない人たちを(子供たちを)楽しみながら追いつめていくような、本来の日本人の心にはなかったような厭な心がその中にあることを感じるのはとても悲しいことです。

 私の乏しい諸外国での生活や旅の記憶には、各地で会った素晴らしい人々の記憶や、感嘆するような場所や事が沢山あることは書きました。私は訪問した外国では、必ず1枚はスケッチをするようにしていますが、10年も20年も前の絵を引っ張り出しますと、他のことは忘れていても、その時の寒かったことや、覗き込んで話しかけてきた子供のこと。道に迷った私に道を教えてくれるために集まってきた人々の大論争。「コッチだ」「いや、アッチだ」などとお爺さんたちの中で巻き起こった大議論や、アラブの国の喫茶店で、並みいるお爺さんたちの真似をして「水煙草」のパイプを持ってきてもらって、どうしても上手く火種を数分以上消さないで吸い続けることができず悪戦奮闘している私を見て、苦笑しながら、それでも身振り手真似で色々と吸い方を教えてくれた白い髭のお爺さんの優しい目などは、私の記憶の中の宝物です。

 たかだか70年ちょっとの経験しかないのですが、振り返ってみて、どのくらい素晴らしい人たちと会い(家人も含みます)、笑い、飲み、語り、助けられ、また時にはほんの少しですがなんとか人を助けてきたか、という積み重ねが、私の本当の宝物なのだろうと思います。これは人の温もりのないコンピュータの世界では、全く経験できないのではないか? と心配しています。

 日本人の温かさと人々の笑顔、湿度の高い自然の微妙で繊細な美しさや、その自然に育まれて育った文化の洗練は、このまま世界文化遺産のトップに認定されて当然であるように感じていますが、しかしその美徳が、ほんの少しかも知れませんが失われてきつつあるようにも感じています。

 それは主として「人」の部分であって、今日の日本人が、あんまり近視眼的になっているのではないか。近視でないならば視野狭窄症という病にかかっているのではないか。その他にも色々な出来事や要素から、少し元気がなくなりすぎて居るのではないか、ということで、これはとても心配です。

 私にはこの日本という素晴らしい国と人々が、何が悲しくてそんなに内向きになっているのかよく解りません。今日私たちが当たり前のこととしている日々の生活が、世界の中でどんなに珍しく、素晴らしいものなのかを、ぜひ多くの方々に知っていただきたいと思いますし、たとえその中の「お金があるからできている部分」が多少減ってきても、おそらくそんなことは全く問題にならないほど、日本の「良さ」は強く大きいもので、かならず問題を乗り越えていく力のあることを確信しています。威風堂々の日本です。