著者 司馬章  

 大阪市が米サンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消する一件で、野田佳彦政権(当時民主党)の2012年4月に、石原慎太郎元東京都知事が明らかにした東京都による尖閣諸島購入計画を思い出した。

 確かに今回の一件は「慰安婦問題」だが、自治体外交に関する議論がもっとあってもよいのではないだろうか。これは国家の根幹、地方自治のあり方に関わる、重大な議論のきっかけになり得るのではないだろうか。ましてや地方分権の先鋒(せんぽう)、大阪がその舞台である。

 サンフランシスコ市に寄贈され、市有化された慰安婦像の碑文には、

hundreds of thousands of women and girls, euphemistically called “Comfort Women,” who were sexually enslaved by the Japanese Imperial Armed Forces(婉曲(えんきょく)的に慰安婦と呼ばれた、日本帝国軍によって性的奴隷とされた数十万の女性と少女)
Most of these women died during their wartime captivity.(この女性たちの大半は戦時下において捕らわれの身のまま亡くなった)

といった記述が見られる。史実として確証のない一方的な記述を容認することはできない、というのは当然の見解だろう。
2017年9月、米カリフォルニア州サンフランシスコで公開された旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像(AP=共同)
2017年9月、米カリフォルニア州サンフランシスコで公開された旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像(AP=共同)
 しかし、これを主張していくことは、途方もない挑戦となる。「中身は詳しく知らないし、自分とは無関係だから別にそこまで興味はないけれど、人権に関する問題で、かつ第2次世界大戦の枢軸国の軍が絡んでいるのだから、取りあえず非難しておけば間違いないだろう」という世界の大多数の見方が国際世論を形成し、いくら証拠を用いて説明しようとも、およそ容易に覆せるものではない。

 議論が表になればなるほど、わが国の国際的な立場は不利になる。「和して同ぜず」を基本姿勢としつつも、堪え忍ぶしかないこともあるだろう。「事なかれ主義」だという批判や「相手を利するだけだ」という見方も理解できるが、真正面から対峙(たいじ)する代償は大きい。慰安婦について述べた「日本帝国軍に拉致されて、強制的に性的奴隷にされた20万人」という、サンフランシスコ市議会の決議文の記述は到底容認できるものではないが、その言葉を否定し、訂正しようと試みれば、「右翼」「歴史修正主義」とみられてしまう。