19歳、20歳、21歳の女性というのは、一部の男性にとっては存在するだけで価値があるのであって、女の側からしても、その時一番花開いている自分の価値というものを、資本主義的目的遂行のために駆使してみたい、と思うのは自然な感情だと思う。

 芸能界やスポーツ界をはじめ、例えば起業家であるとか投資家であるとか特殊な立場にいる場合を除いて、若い女性が高額のオカネを手にできる仕事といえば、水商売や風俗なのだから、そしてそれらは例外をのぞいてどうしても「若い」こと「今」であることが有利にはたらく世界であるのだから、女子大生がクラブやデリヘルで働くのは、別に驚くに値しないありふれた現象だ。しかし、その行為を「キャバクラやってました!」「デリヘルで稼いでました!」とドヤ顔で堂々と開き直られても、拍子抜けするというかやや苦笑いする心理もまた、自然なものであるのは間違いない。

和解成立は「つまんないオチ」


女子アナとしての今後が注目される笹崎里菜さん
 日テレ内定取り消し問題で、和解が成立したというニュースを聞いて私は、「やっぱりなぁ」と思う反面、「つまんないオチだな」と思った。いわゆる女性の「夜職」が絡んだ事件に関する世間の反応というのは、非常に高い熱をもったものであり、また、あらゆる言論空間であらゆる人が、自分がいかにリベラルで進歩的な人間か、ということを競ってアピールする、恰好の機会にもなる。その上、「日テレ」なんていう大企業の名前を冠すれば、正義感に溢れるリベラリストやらフェミニストやらが、こぞって「職業に貴賎なし」運動を繰り広げてくれるので、そういうものに「押された」と見える結果になること自体は予測しがたいものではない。

 何も私は、「職業差別する腰抜け」みたいに言われて日テレかわいそう、と思っているわけではない。むしろ、和解を勝ち取った女学生ブラボーと思っている。どういった人間をどういったポジションで採用するかは企業の自由だと私は思うが、どうしてもホステス臭のある女性を局の顔として採用したくないのであれば、ホステス臭を鋭く見抜く能力のある採用担当者でも用意しておけばいいのであって、うっかり見落として内定出しちゃったのであれば、「なぜ見抜けなかったんだ俺は!」と勝手に後悔すればいい。

 採用者のホステス臭を見抜く能力よりも、学生のホステス臭を隠して清廉ぶる能力が上なのであれば、それは学生の勝ちなのであって、後から分かって内定取り消すなんていう、採用担当者の見る目のなさを露呈させる態度は、いまいちダサい。

 女性に職業選択の自由があるのは当然であり、また、職業を変える自由もある。特に学生時代のアルバイトなんていうのは、将来違った職業につくことを前提とした、金銭的なその場しのぎ、あるいは軽めの人生経験といった位置づけで勤めている者が大半であろう。どんなアルバイトをしていても、それと平行して生きる学業や職業訓練の世界で成果をあげたのであれば、新しく見えてきた目標を制限されるべきではない。

 しかし、自由であることは必ずしも楽なことではない。自分がその職業を選択したことで起こるリスクや付随するイメージについて自覚的でなければ、後に苦悩がふりかかる場合もある。成人女性がキャバクラや風俗で働くことは、全く私たちに与えられた自由であるが、それを阻むものがないということと、デメリットがないかということは、また別問題である。当然、世間的な風俗に対する奇異の視線というのが存在する以上、差別されたり珍しがられたりすることはあるだろうし、そういった事情も含んだ上での高額な報酬を受け取った際に、その視線に無自覚であったとしたらそれは無知な自分を呪うしかない。

 別にホステスがアナウンサーになろうが、風俗嬢が弁護士になろうが、個人の自由だと思うが、そのイメージのギャップに驚くのもまた個人の自由である。その驚きに耐えうる能力と根性をつくることこそ重要なのである。「職業選択の自由」をもった女性に重要なのは、どういった職業に大してどのようなイメージが持たれているかという知識や想像力と、それを知った上で選択するのであれば、そのイメージと付き合っていく腹づもりである。

 例えば、前出の元ホステス学生は、裁判を起こす行動力と、周囲や世間や言論人を味方につけるしたたかさと、元ホステスのイメージを背負って女子アナデビューする根性でもって、希望の職の内定を取り戻した。それ自体は逞しく心強いが、彼女が巧みに利用した言論人たちのリベラル争いは、なんだかとても滑稽であった。


職業に貴と賎のイメージはある

 職業選択の自由と、イメージやリスクの問題はまた別だと言ったが、やれ性差別だ時代錯誤だとまくしたてる人たちには、いまいちその感覚が見てとれない。私は「元日経新聞記者はAV女優だった」と週刊誌に書かれた時、元AV女優が新聞記者で何が悪い、と我先に擁護してくれるインテリ系の人々のほうに驚いた。「何が悪い」というか、別に私は日経新聞に不当に解雇されてないし、閑職に追いやられるような不当な扱いも受けてはいないし、それどころか週刊文春すら別に私を悪いとは言っていなかった(世にも奇妙だとは言ったが…)。
(本文と写真とは関係ありません)

 何故か、女性の「夜職」系、あるいは「性の商品化」系の話題では、一部の人達は何か壮大な仮想敵をつくって大きく反応したがるようだ。仮想敵というのは或いは不適切な言い方かもしれない。彼らが戦っている相手は「おそらく現状根強くはびこっている男権イデオロギー」的なものであって、その戦いが未だ終結していないことは確かだ。しかし、そもそも「時代錯誤」かどうかは時代の空気が決めることであって、何も学者が決めることではない。

 女子アナに清廉さを求めたり、AV記者を面白がったりする時代の空気を競って叩いたところで、相手は空気なので仕方がない。そういった問題について、鮮やかな切り口で空気を読み解く論考は一部であって、ネットに氾濫する多くの反応は、「私は時代錯誤的でも差別的でもない」という身も蓋もない自己アピールである。そして私たち元ホステスや元AV嬢や元風俗嬢は、そういうリベラルな人間であっても、ごく親しい者が夜職であった時に「時代錯誤的な」拒絶反応をするのをよく知っているので、やや冷笑してしまうのだ。職業に貴賎はなくとも、貴と賎のイメージはある。

 どんな職業にもついていい、というのは私たちにとって変えがたい幸福である。仕事を選ぶ権利と自由を与えられた私たちが、理知的な職業選択ができる教養を身につけることは勿論、一度選択した職業を後悔したり軌道修正したりするタイミングが訪れた時に、いかに逞しく効果的に動けるかどうかが重要な問題である。大学や高校は、安易な職業訓練や就活準備の機会であるべきではなく、自分の人生の予測不能な状況に対応する力を身につける場所であるべきだ。