童門冬二(作家)

 好敵手(ライバル)という言葉がある。ライバルとは敵であると同時に、かけがえのない味方でもある。西郷隆盛にとっての最大のライバルは、もちろん大久保利通である。西郷は、大久保を最高責任者とする明治新政府軍に敗れたわけだから、敗者の西郷にとってみれば、大久保は、まさに「敵」そのものである。

 西郷と大久保の朋友関係は、明治維新を実現するためには、なくてはならぬ存在であった。互いに信頼のできる最大の同志であった。わかりやすくいえば、この両者は、いわばピッチャー(西郷)とキャッチャー(大久保)の関係に似ていた。そして、この関係は、明治維新を迎えるまでは、実に絶妙なコンビネーションを誇っていた。

 しかし、この両雄のコンビネーションも、新しい時代の潮の中では、いつしか別々の路線をたどる運命にあった。そして、気がついたときには、大久保のリーダーシップの前に、西郷は「明治の賊徒」の汚名を着せられていた。

 いま、西郷隆盛と大久保利通が現代企業社会に生きたとすれば、リーダーとしてどう違うのか。西郷隆盛が、自分でこんなことを語っている。

東京・上野の西郷隆盛像=2007年2月5日(栫井千春撮影)
東京・上野の西郷隆盛像=2007年2月5日
(栫井千春撮影)
「俺と大久保の差は、たとえば俺は、古い大きな家を壊し、新しい家をつくるのが得意だ。しかし、つくるのは本体だけで、内部の細々したことは苦手だ。そこへいくと、大久保は内部のどんな細々したことでも、着実に、丹念につくり出す。その才能には、到底俺はかなわない。しかし、またこの家を壊すことになると、俺の独壇場だ」

 西郷は、徳川幕府という古い大きな家を壊した。そして、明治国家という新しい日本の家をつくり出した。が、その後を引き受けて、家の内部を整備し、明治国家として、日本を「ヨーロッパに追いつけ、追い越せ」という発展をさせたのは大久保利通である。その意味では、西郷が語ったといわれるこの言葉は2人の特性の差をよく言い表している。