2018年は明治元年から150年。NHK大河ドラマは、西郷隆盛を主役にした『西郷どん』(鈴木亮平主演)だ。維新回天の英傑・西郷がどのような環境で育ち、人生の最期をどう迎えたのか──。歴史通で知られる元NHKアナウンサー・松平定知氏が、西郷の故郷・鹿児島を訪ね、激動の時代を駆け抜けた彼の人生をたどった。

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 私は西郷隆盛の故郷薩摩の地を歩くたびに、その人気がいかに飛び抜けているかを実感する。

 銅像ひとつとっても、鹿児島市立美術館そばの、県のシンボルと言われる軍服姿の立像、空港近くの西郷公園にある、実在の人物としては高さ10.5メートルという日本一の大きさを誇る立像など、いくつもの「西郷どん」が立っている。その他、誕生の地、終焉の地などに設けられた石碑から、若き日に座禅を組んだ石、晩年に自ら作った手水鉢に至るまで、実に多くの史跡がある。その数は薩摩の他の志士とは比べ物にならないほど多く、こと地元に限れば高知における坂本龍馬をも凌ぐ。そして、西郷を愛する人は日本中にいるのだ。

◆自殺未遂に二度の遠島……維新までの歩みは波瀾万丈

 なぜ西郷はかくも人々に愛され続けるのか? その理由を、薩摩を訪ね、生涯を辿ることで探ってみたい。

NHKキャスター(当時)、松平定知氏=2002年7月30日、大阪市(朝田康嗣撮影)
NHKキャスター(当時)、松平定知氏
=2002年7月30日、大阪市(朝田康嗣撮影)
 文政10(1827)年、西郷は鹿児島城下の下加治屋町(現・加治屋町)で下級藩士の長男として生まれた。ちなみに、下加治屋町は西郷を始め、大久保利通、山本権兵衛、大山巌、東郷平八郎など明治政府の要人を数多く輩出し、司馬遼太郎氏は「明治維新から日露戦争までを一町内でやったようなもの」と評した。

 17歳で島津藩に出仕し、やがて江戸に出府する藩主斉彬から「庭方役」に抜擢される。身分の低い藩士が庭先などで藩主らと接触できる役職で、西郷は斉彬から諜報を命じられた。これが西郷の「全国区デビュー」となり、その後の人生を決めた。黒船来航以降の動乱の中、他藩の実力者と交わるうちに最終的に倒幕の中心人物となり、明治政府樹立直後の戊辰戦争では、政府軍を指揮し、江戸城の無血開城を実現させるなど比類なき政治力も発揮した。西郷はこうして明治維新の大功労者となった。

 だが、そこに至る道は波瀾そのものであり、私に言わせれば、実は失敗の連続である。

 斉彬の命を受けて一橋慶喜を第14代将軍に擁立すべく工作に奔走したが、実現しなかった。大恩ある斉彬が急死し、諫められて思いとどまったが、一時は殉死を考えた。その後、大老井伊直弼が反幕派を弾圧する「安政の大獄」が始まり、西郷が敬愛する尊皇攘夷の僧月照にも身の危険が迫った。西郷は月照を薩摩に匿うが、追い詰められて絶望し、桜島を望む錦江湾に2人で飛び込み、入水自殺を図る。助けられ、西郷だけが命を取り留めた。だが、藩命によって奄美大島に潜居させられ、さらに斉彬の異母弟、久光の命に従わなかったため、徳之島、次いで沖永良部島への流刑に処せられたのだ。