ジャーナリストの宮下洋一氏はこの一年、世界中の「安楽死」の現場を訪ね、死を望む患者や死を施す医師の声に耳を傾けてきた。そして宮下氏は日本での取材を開始した。

 延命治療の中止を巡って、最高裁まで争った女性医師がいる。患者遺族から後ろ指を指され、マスコミに非難され、そして所属先の病院も責任回避するなか、なぜ彼女はたった一人で闘ったのか。宮下氏がレポートする。

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「安楽死と言われても、私にはそういう認識がないんです。それにご家族の判断だったり、本人がその日に言った言葉だったり、解釈の仕方は、人によっていろいろ違う。だから、杓子定規にここから安楽死、ここから尊厳死という訳にはいきません……」

 横浜市にある大倉山診療所の院長を務める須田セツ子(62)は、「安楽死」という言葉に、まるでアレルギー反応を示すかのような表情を浮かばせた。このテーマを日本人医師にふると、多くは曖昧な表現で、言葉を濁す。でも、彼女は物事を率直に言った。もはや恐れるものなどない、とでも言うべきか。

初公判を終え、横浜地裁を出る須田セツ子被告(当時)
= 2003年 3月27日  12時 28分
初公判を終え、横浜地裁を出る須田セツ子氏=2003年3月27日
 あの事件から19年。日本の医療界において、安楽死の殺人罪で起訴され、最高裁まで闘った医師は、彼女一人だった。

 ヨーロッパから一時帰国していた私は、都内のホテルで須田の著書を一気に読んだ。『この本を手にとってくださったあなたにお聞きしたいのです。私がしたことは殺人ですか?』(青志社)。調査を重ね、その質問の最終的な答えを、私なりに見つけたいと思った。

 日本では、患者本人の意思の有無にかかわらず終末期の患者を積極的に死に導いた場合、民事訴訟だけでなく、刑事訴訟に発展し、医業停止命令や免許取り消しといった行政処分を受ける(*注)。

【*注/苦痛に苛まれる患者に対して、投薬などによって意識レベルを下げ、死に導く「緩和医療」は、認められている。また、延命治療などを施さず、自然な死を迎えさせることは「尊厳死」と呼ばれ、これも一部認められている】

 背景には、日本独特の慣習や法律が根差している。当時、川崎協同病院・呼吸器内科部長を務めていた「殺人者・須田セツ子」本人の口から、それらが実際の医療現場の常識とどう、かい離しているかを探りたかった。

 1998年11月16日、事件は、神奈川県川崎市にある川崎協同病院の南病棟2階228号室で起きた。気管支ぜんそくを罹患していた58歳の男性患者、土井孝雄さん(仮名)が、鎮静剤の後、筋弛緩剤「ミオブロック」を投与され、息を引き取った。その時、主治医だった須田が、「4年後」の2002年12月、殺人罪で起訴された。

 型枠大工の工務店を営んでいた土井さんは、1984年から川崎公害病患者に認定されていた。その4年前から同病院に勤めていた須田は、外来主治医として、この患者をよく知っていた。普段は無口だった彼が、須田に会うと、時々、言う口癖があった。

「自分はずっとこの仕事をやってきた。この仕事が大事なんです」

 14年間、通院を続けた土井さんは、ある月曜午前の仕事中にぜんそくが悪化。午後には、重積発作(深刻なぜんそく発作)を起こし、心肺停止状態となって病院に運び込まれた。

 心肺蘇生が行われたが、低酸素血症で大脳と脳幹に障害が残り、昏睡状態に陥った。以後、痰を吸引するための気管内チューブを装着された土井さんは、所謂、植物状態だった。