東嶋和子(科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)

オトナの教養 週末の一冊

 熊本県を中心とする九州の地震で、多くの方が余震に怯えつつ、避難生活を送っている。そんななか、「死に方」の話は不謹慎ともとられそうだが、自然災害やテロ、事故など、いつどこにいても「死」は待ち受けている。

 突然やってくるかもしれないその日に備えておくことは、送られる当人にとっても、送る家族らにとっても、大切なことだろう。

 本書は、生命倫理、科学論、法政策学を専門とする著者が、死の迎え方と送られ方をめぐる自由の範囲と制約条件について、豊富な具体例を挙げつつ考察した新書である。

 流行りの「終活」という語を出すまでもなく、昨今、死に方、送られ方を選ぶ自由を求める声が広がっている。

 過度の延命措置は施さないでほしい、墓や葬式は必要ない、散骨してほしい、火葬以外の方法で葬ってほしい、などである。

(画像:istock)
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 著者によると、そもそも伝統的な葬送の慣習と受け取られている「通夜、告別式、埋火葬、墓石の建立、墓参りと法事」という一連の作法は、明治期以降に都市部や一部の階層から始まって、第2次大戦後から高度成長期にかけて普及した「新しい伝統」だという。この新しい伝統が普及するにつれ、本来の習俗は農山村部でも消えていった。

 とすれば、今また死をめぐる習俗、文化、考え方が転機を迎えていることも、不思議ではない。

 私事で恐縮だが、四年前に母が実家で亡くなったときは、家族や親族とごく親しい友人だけの控えめな通夜、告別式をおこなった。こうした「家族葬」が増えていると、葬儀屋に聞いた。母の遺骨は郊外の墓に入れたが、納骨堂に納める人もやはり増えてきている。

 さらに、葬式をせず、火葬場に遺体を運ぶ「直葬」や、火葬したあと遺骨を引き取らない「0(ゼロ)葬」、遺骨を墓に入れず、海や山に撒いて自然に還そうという「自然葬」などが世間の耳目を集めている。

 また、異なる宗教や文化的背景をもつ人たちが土葬や鳥葬を求めたり、著者のように、新しく出てきた技術による「フリーズドライ葬」を求めたりするケースも今後は出てくるだろう。

 イスラム教では、信者は死んだら土葬することになっており、日本在住のイスラム教徒は、土葬禁止地域に指定されていない場所に埋葬墓地を求めてきた。しかし、国内では2カ所のみで、墓地不足が問題になっているという。

 こうした変化の最前線を紹介しつつ、著者らしく丁寧に考察を積み重ねていく。著者が東京財団で催した「生命倫理サロン」での開かれた議論の内容も反映され、異なる立場からの意見に目を見開かされる。

 まず、「死の迎え方」を扱う第一章では、延命治療の中止や安楽死を選ぶ自由はどこまで認められるか、認められるとしたらどのような条件が必要かを考える。

 この分野の先進国である米国やオランダ、フランスの事例を挙げつつ、日本の現状と比較しており、論点が明確でわかりやすい。