(産経新聞 平成7年9月12日掲載)
 史上空前の大災害となった阪神大震災の発生直後から、11時間余にわたってニュースを伝え続けたNHKアナウンサーの体験記録「危機報道-その時、わたしは…」が関西書院(大阪市)から15日に刊行される。著者は現在、土・日曜夜の「ニュース7」を担当している宮田修さん(47)。当時、大阪放送局勤務の宮田さんが、その時々でカメラとマイクの前で何を考え、迷い、言葉にしたのかが克明につづられている。
崩壊した阪急三宮駅ビル=平成7年1月17日、神戸市中央区

 宮田さんは今年がアナウンサー生活25年目。北海道・旭川を振り出しに、「生ばかりやってきた」。だから自分が映っているVTRも「潔くない」と、これまで一本も手元に残してこなかった。しかし「今回だけは違う」と、録画テープを取り寄せた。

 「“記念”という以上にどういう放送をしたのか、ほとんど覚えていない。自身で点検しなければ」と考えたからだ。放送内容の記憶がないのは「ほんの一言、不適切なことを口にすれば大変なことになる。一瞬の判断を重ね、完結させていったからではないか」と自己分析している。

転覆した阪神電車。線路わきの民家は火の手が上がった=平成7年1月17日、神戸市東灘区(産経新聞社ヘリから)
 大阪のローカル枠のキャスターとして局内で待機していた1月17日午前5時46分、突き上げるような揺れがあった。スタジオに飛び込んで「早くおれを撮れ」と叫ぶ一方、最初に何を言おうか考えたという。5時49分に発した第一声は「地震です」でも「気をつけてください」でもなく、いつものように「おはようございます」だった。

 宮田さんは著書で、「私が冷静さを失ったらテレビの前の人たちはパニックに陥る危険性がある。笑顔はいけないが、まったく普段どおり始めようと思った。その後の私の放送のトーンを決める重要な一言であった」と書いている。

 以後、スタジオに午後1時まで座り続け、わずかの仮眠の後、さらに午後7時から10時50分まで放送を続けたが、改めてテープを見ると「不満も残る」という。

 世界中に配信された神戸局内の大揺れ映像は午前6時50分に突然入り、宮田さんはとっさに「棚の上のものがすべて落ちまして、激しい揺れを示しております。震度6を神戸では観測しております」とコメントを付けた。

 「この場合『震度6』と言ったのは適切だった。しかし、ほかの情報は映像を見ればわかる。かつて3年間、神戸で勤務をしたことがあり、神戸局は市内のどこで、この部屋は何階にあるかなど、画面から知り得ない情報を伝えることができたのに」と反省する。
橋脚が落下したが、間一髪のところで落下をまぬがれたバス=平成7年1月17日、兵庫県西宮市の阪神高速
 ヘリコプターからは午前8時14分に初めて、阪神高速道路の高架橋落下をとらえた映像が入ったが、「不意を突かれ、しゃべり手の気迫が強烈な映像に凌駕(りょうが)された。ヘリのカメラマンに呼びかけることができたはずなのに、一瞬、映像に立ち向かっていく言葉を失ってしまった」と悔やむ。

 「もっと伝えられたという思いもあるが、取材でつかみ得た事実以外は言わなかった。『おそらく』『と考えられる』といった言葉は絶対に避けた。災害報道が伝える情報はすべて生死にかかわるものだから」と宮田さん。

 著書は、自分の考えや状況を言葉で表現せずに「この映像を見てください」と逃げてしまう“映像先行”の若い後輩アナたちに対し、「言葉で勝負する潔さ」を伝えたかったのだという。