呉智英(評論家)

 私は現在71歳である。「終活」について真剣に考えないといけない年齢である。1年前、母が91歳で死去した。12年前には、父が89歳で死去した。遠からず私の番である。

 父は晩年、入退院を繰り返していたが、死そのものは比較的楽であった。救急車で病院へ搬送され、点滴を受けて気分もよくなった。私が安心して帰宅したら、今亡くなりました、と連絡があった。苦しんだのはほんの数分。すぐに意識がなくなり、そのまま死んだ。幸せだったと思う。

 一方の母は、入退院を繰り返したことは父と一緒だったが、死ぬまでの1年間は激痛に苦しめられた。母は、何度も死なせてくれと訴えた。病院のすぐ近くに用水路がある。車椅子でそこまで連れて行って突き落としてくれ、と言うのである。もちろん、断った。そんなことをしたら、尊属殺人である。私は刑務所にぶち込まれ、当然、遺産相続権はなくなる。

 そうなったら、私は何のために長年親の介護をしてきたのだろう。すべては徒労ではないか。だが、息子の心を知らぬ気に、母は死なせてくれと、何度も訴えた。全く「子不孝」の母であった。

 両親の最期を思うにつけ、私は安楽死の法制化は必要だと思う。
 安楽死には、通常、二種類の区分がある。一つは、病気や老齢などで苦しい生を望まない人が安楽な死を選ぶもの。もう一つは、死が確実に迫っている場合、延命治療をせず、苦痛を取り除いて安楽な死に至らしめるもの。後者は「尊厳死」と呼ぶことが多い。しかし、私にとってはどちらも必要であるので、ともに安楽死として話を進めよう。

(画像:istock)
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 そもそも、安楽死は現行法上なぜ認められないのだろう。
 安楽死は、広義で言えば、自殺の一種である。20歳の壮健な青年が、失恋、挫折、厭世(えんせい)観などによって自殺するのも、これ以上苦しい生を続けたくないと思って死を選ぶのだから、安楽死の一種である。自殺と安楽死は重なるところが多く、同類なのである。安楽死が法律上問題になるのも、この点に関わっている。

 そこで、自殺について考えてみよう。
 日本では自殺は禁止されていない。外国では禁止されている国があるようだが、既遂の自殺の場合、どうやって罰するのだろうか。外国の法律に詳しくない私にはよく分からない。

 未遂の場合は当然罰せられることになろう。日本では既遂はもとより未遂の場合も罰せられることはない。ただし、心中の片割れが生き残ったような場合には、幇助(ほうじょ)罪に問われる。無理心中の場合は、殺人罪や承諾殺人罪になる。