小林信也(作家、スポーツライター)

 星野仙一さんの訃報が伝えられた。突然のことで、驚いたファンが多かったに違いない。ここではあえて、星野監督と呼ばせていただく。

 「ONキラー」「巨人キラー」と呼ばれた現役時代の闘志あふれる投球は私が語るまでもない。監督としての実績も同じだ。中日で勝ち、阪神で勝ち、そして楽天を日本一に導いた。日本シリーズ第7戦、9回のマウンドに田中将大投手を送った。田中はその前日にも160球を投げており、いまでも批判する人がいるが、その論拠がわからない。あれは、東日本大震災で被災し、懸命に復興の日々を過ごす東北の人たちに命の火を注ぐ、当然の采配だった。
プロ野球日本シリーズの優勝を決め星野仙一監督と握手をかわす田中将大投手 =2013年11月、Kスタ宮城(大西正純撮影)
プロ野球日本シリーズの優勝を決め星野仙一監督と握手をかわす田中将大投手 =2013年11月、Kスタ宮城(大西正純撮影)
 東北の人ばかりではない。放射能汚染の不安が覆い、暗く気持ちが沈み、どこか自信と希望を失いかけていた日本中の人々に、理屈抜きの興奮と生きる意志をかきたてた。田中将大投手とともに星野監督は、戦後日本プロ野球が、日本の歴史の中で燦然(さんぜん)と輝く、野球が日本社会に大きな活力を与えた出来事を成し遂げた。

 私はあの年の楽天の日本一は田中将大投手の24連勝とともに、天覧試合で長島茂雄がサヨナラホームランを打った、それくらいの影響力を持つ快挙だったと感じている。「巨人が嫌いでも長島のことはみんな好き」と言われる。それは天衣無縫なキャラクターのためだけでなく、昭和34年、天皇陛下が初めてプロ野球(発足当初は職業野球と蔑まれてもいたもの)をご覧になった試合で、つまり大衆がその当時最も熱を上げていた娯楽の素晴らしさを、サヨナラホームランという劇的な形でお見せした。それをやってくれた長島に、感謝と興奮を深く感じているからだという。

 田中将大投手もまた、昨今のメディアスターの中では珍しく、「嫌いだ」という声をほとんど聞かない。田中がたとえこの先活躍しなかったとしても、日本では永遠にリスペクトされ、愛され続けるに違いない。それは、あの試合でマウンドに上がり、日本一を決める最後のアウトを田中将大投手とともに奪うことができた。巨人ファンでさえ、心の中で楽天の勝利を願っていたと言われるほどの感激と興奮が球場全体に、そしてテレビを通じて全国に伝播(でんぱ)していた。単なる優勝の感激でなく、特別な感慨を持って日本が同じ光景にくぎ付けになった、数少ないスポーツの名シーンのひとつだ。それを迷わず遂行するセンスと実行力を星野監督は兼ね備えていた。