もうひとつ、あまり語られない、星野監督の功績を伝えたい。

 阪神の監督を退いたあと、阪神のシニアディレクターとして忙しい毎日は過ごしていたが、監督時代のヒリヒリするような毎日とは違い、次第に生きるモチベーションを失いかけていた時期があるという。そのころ、同じ岡山出身の縁で親交のあったスポーツマーケターの岡本佳文さんから打診を受け、アメリカのマイナーリーグ球団に出資し、共同オーナーになった。その最大の理由は、「次の野茂やイチローを育てるため」ではなかった。

 これからは日本のプロ野球でもフロントを担うプロフェッショナルな人材が必要だ。選手だけでなく、ビジネス側のプロフェッショナルを育成するためにマイナーリーグの共同オーナーになり、球団ビジネスを志す若者に本場でインターンの経験を積ませる機会を提供する。その提案を受けて星野監督はすぐ答えたという。

 「それ、いいじゃないか。ぜひ、やろう!」

 マイナー球団を所有する最大の目的は、フロントの人材育成。本来は、野球ビジネスのプロフェッショナルが必要だからだ。そのことを星野仙一監督はすぐ理解し、行動を起こした。グラウンド内の戦術や選手育成だけでなく、プロ野球マネジメントの全体を見据え、発想できる視野と感性の持ち主だった。そして、人知れず実践し、人を育てることで着実に野球界の変化に貢献していた。

プロ野球日本シリーズ第4戦、サヨナラ本塁打を放ち、
星野仙一監督(左)に 迎えられる阪神・金本知憲外野手
=2003年10月、甲子園球場
プロ野球日本シリーズ第4戦、サヨナラ本塁打を放ち、
星野仙一監督(左)に 迎えられる阪神・金本知憲外野手
=2003年10月、甲子園球場
 それから約十年の間に、何名もの日本の若者がアメリカのマイナーリーグで本場の経営とサービスを肌で学んだ。そして、実際に日本の球団に就職したり、スポーツビジネスの現場で活躍する多くの人材を輩出している。その試みは「ホシノ・ドリームズ・プロジェクト」の名で、少年野球の海外交流、スポンサーの付きにくいスポーツの選手やパラリンピアンのサポートなどを行う活動に発展している。人前、そしてテレビカメラの前に立てば時に熱く泥臭く、時にスマートで弁も立つ、カッコよすぎて憎らしいほどのスタイリストだったが、決して目立ちたがり屋のパフォーマーではなかった。人知れず、こうしたグラスルーツ(草の根)にも情熱を注ぎ、日本の野球を原点から育て直そうとする意識と情熱の持ち主だった。

 あまりにも突然で早すぎる旅立ちは、日本の野球界にとって、大きな損失であるのは言うまでもない。日本野球は、人気の減退が進み、野球少年が減少、野球どころかキャッチボールをする場所が都会だけでなく地方にもなくなっている深刻な状況を変える役割を担っていただきたかった。旧態依然のプロ野球の改革も、誰かが本気で声を上げ、行動しなければ手遅れになる。その先頭に立てる人物は限られている。いまその貴重なひとりを日本野球は失った。

 心から星野仙一監督のご冥福をお祈りします。そして、その熱と強い意志をくんで、本格的な日本野球改革の動きが起こることを野球少年のひとりとして、願ってやまない。