THE PAGEより転載)
 球界全体に星野仙一氏急死のショックが広がっている。突然すぎる闘将の訃報に野球界だけでなく、芸能界や政財界からも、故人を偲ぶ声が止まらない。“男・星野“が、いかに多くの人に愛され信望を受けていたか。多くの人の人生にかかわってきた、その足跡の偉大さを象徴しているようだ。

 阪神の金本知憲監督も、星野氏に人生を切り開かれた一人だ。もし星野氏が、2002年オフに広島でFAとなった金本氏を阪神に誘わなければ阪神でキャリアを終えていないだろうし監督にもなっていなかっただろう。

 金本監督は“恩師”の訃報に際し、わざわざ球団事務所で会見を開き公式HPに追悼のコメントを掲載した。以下が、その要約だ。

「いまだに受け入れられないという気持ちです。最後にお会いした昨年12月には『しっかりブレずに自分の思うように頑張れ』『絶対にタイガースは強くなるから辛抱してやれよ』と激励の言葉をかけてくださりました。タイガースに来て2回も優勝させていただいて、本当にいい思いをさせていただいたのは星野さんのおかげです。私の中では関西の父親代わりみたいな存在でした。少しでも良いところは生かして、常に胸の中に思いながら戦っていきたいと思います」
 
 金本獲得に関する秘話を生前の星野氏に聞いたことがある。
2002年11月、FA宣言で広島から入団する金本知憲外野手(中央)と握手する阪神・星野仙一監督(右)と野崎球団社長=大阪市内のホテル大阪(榎本雅弘撮影)
2002年11月、FA宣言で広島から入団する金本知憲外野手(中央)と握手する阪神・星野仙一監督(右)と野崎球団社長=大阪市内のホテル大阪(榎本雅弘撮影)
「阪神を本当に変えるためには、チームの血を入れ替える必要があった。カネのように闘争心があり、負けることをとことん嫌い、努力を惜しまない兄貴分的なリーダーがチームに必要やったんや」

 2001年オフ。名将・野村克也氏の辞任を受け中日監督から阪神監督に間を置かず電撃就任した星野氏はその初年度はチームの様子を見ていた。開幕から7連勝。6月上旬までは首位を走り“星野フィーバー”を起こした。だが、結局、Bクラスの4位。大胆なチーム改革、“血の入れ替え”の必要性を感じた星野監督は、久万オーナーを情熱をもって説き伏せ、本社の“金庫”を開けさせた。

 用意された再建資金は50億円とも60億円とも言われた。星野伸之氏、弓長起浩氏、船木聖士氏、遠山奬志氏や、外国人選手ら20人を退団させた上で大型補強に乗り出す。その目玉が広島からFA宣言した金本氏だった。