THE PAGEより転載)

 闘将が逝った。それも余りに突然に。楽天広報部の説明によると、2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明、昨年12月末より病状が悪化したという。

 「広報!この男をつまみ出せ!」
 いつも、それが星野さん流の挨拶だった。

 「監督!もう僕も50歳になるんですよ」
 「アホは年いかん。俺もそうや!」
  ユーモアも超一流だった。

 星野さんを取材し始めたのは中日での第一次監督時代だった。血気盛んな頃だ。容赦なく殴った。コンプライアンスやパワハラがSNS上で大問題にされる現在ならどうなっていたのだろう。ベンチ裏、ロッカーで“生臭い異音”を聞いた人は数知れず。

 “レジェンド”山本昌も殴られた。捕手の中村武志(現韓国起亜タイガースコーチ)は負けた試合では、ほとんど毎日のように鉄拳を食らわされていた。今は、追手門大学の監督をしている小島弘務が血だらけになった口元をタオルで押さえて移動バスに乗り込んだ姿は鮮烈に覚えている。

 「逃げるな」。殴られる理由は決まっていた。勝負を逃げての四球や被弾を嫌う。躊躇や引きさがっての失敗、無難、怠慢、単純なサインミスなど、次につながらないミスは、どんな小さなものでも許さなかった。

 「選手ができないのはコーチの教育が悪いせいだ」。円陣を組ませ全員の前でコーチまで殴った。星野さんの中日監督時代は、時折、球場に報道陣立ち入り禁止の“仙のカーテン”を敷き、広報は「サインプレーの確認のため」と弁明したが、中では血生臭いチームの引き締めが行われていた。

 「他のチームの選手と気安くグラウンドで口を聞くな」。戦闘集団となるべき規律を徹底した。

 「グラウンドは戦場だ」。バッテリー間に“ぶつけろ”のサインも本当にあったようである。

 「能力のない人間が生き残るには内角球」が身上だった。それは通算146勝した「投手・星野」が、その晩年、生き残るために使った投球技術だった。

 星野中日の“喧嘩野球”の噂が他チームへと広がると対戦相手は過剰に反応して、しばしば乱闘に発展した。取っ組み合いが始まると自らも走った。巨人戦の乱闘では“世界の王監督”に対して拳を突き上げたこともある。
中日対巨人戦で主審に抗議する星野仙一監督(1990年5月24日)
中日対巨人戦で主審に抗議する星野仙一監督(1990年5月24日)
 「尊敬する王さんに対して、やっちゃいけないことだけどな。選手は俺の背中を見ている。演技としてもやらなければならない」
 怒ることを「演技だよ」と後日、語ることが多くなった。楽天の監督就任以降は、鉄拳制裁の話も聞かなくなった。だが、若かりし日の半分は演技でなく本気で怒っていたのだと思う。
 
 乱闘でベンチから飛び出るのが遅かった選手がいるとマネージャーに調べさせて目が飛び出るほどの罰金をとった。遅刻や夜の門限破りなどのルール違反、気の抜けたボーンヘッドを許さなかった。注意散漫で逆を突かれ二塁で牽制アウトになった選手からは罰金50万円を取った。