堀潤(ジャーナリスト、キャスター)

 2013年7月24日、うっ血性心不全を起こして亡くなったNHK記者の佐戸未和さん。当時31歳でした。過重労働が原因で死亡したとして2014年に労災認定を受けました。亡くなる直前1カ月の残業時間は約159時間にのぼったと言います。

 NHKがこの事実を公表したのは彼女の死後4年以上が経過した2017年10月4日。なぜ公表が遅れたのかについてNHK側は「遺族の意向だった」と説明していましたが、未和さんのご両親は「事実と異なる」として反論。厚生労働省内で記者会見を開き、再発防止を直接社会に対して訴えました。朝日新聞の報道などによると、会見の中で佐戸さんの父は「未和は記者として、自分の過労死の事実をNHKの中でしっかり伝え、再発防止に役立ててほしいと天国で望んでいると信じる」と語ったと言います。

長時間労働で過労死認定されたNHKの佐戸未和記者
=2013年4月、東京都内(NHK提供)
長時間労働で過労死認定されたNHKの佐戸未和記者 =2013年4月、東京都内(NHK提供)
 佐戸さんの死を知ったのは、今回の一連の報道がきっかけです。一緒に取材や番組で共演することはありませんでしたが、私がNHKに在職した時期に重なります。

 なぜ、彼女は命を落とさなくてはならなかったのか。その原因を考えると、私も長時間労働などを仕方がなく是としてきた局内の空気を醸成した1人なのかもしれない、と胸が詰まる思いです。

 私は2001年にNHKに入局し岡山放送局で夕方の報道番組のキャスターなどを担当した後、2006年2月に東京・渋谷の放送センターに異動。夜9時の報道番組「ニュースウオッチ9」の立ち上げから参加し、事件や災害など主に緊急報道の現場を担当しました。

 2010年4月からは夜11時台の経済ニュース番組「Bizスポ」を立ち上げ、取材とキャスター業務を担いました。東日本大震災や原発事故後は、夜の生放送が終わった後に深夜東北まで車で移動し、翌朝から夕方まで現地で取材を続け、夜の放送までに戻ってくるということも少なくありませんでした。

 東京に転勤してからは恒常的に月の残業時間が80時間を超えていたと記憶しています。選挙前、そして災害が発生したり、通常業務以外に別の番組で自分が提案したニュースリポートを制作する月などは残業時間が100時間を超えることも珍しくありませんでした。当時は「過労死ライン」という言葉を意識することはありませんでした。労使の取り決めで、残業は原則50時間以内におさめるとされていたので、それ以上はサービス残業です。

 問題はこの勤務状況での自分の心情です。辛い、苦しい、嫌だという思いよりも、充実していた満足感や達成感の方が先行していました。「選挙や災害報道は公共放送の要」「日々のニュースを追いかけるだけでは不十分。通常業務以外に長尺のリポートや番組をつくってこそ報道の現場」と使命感に燃えていました。休日や寝る時にも携帯電話を握りしめ、緊急報道に対応できるよう心がけていました。実際、東京で住んでいた社宅は「緊急報道用住宅」と言って、休日や深夜も取材や放送対応できる職員が集まって暮らしていた小規模な集合住宅です。深夜でも震度4以上の地震が発生すると黙って局に向かいます。