念のためと思い、震度3でもスーツに着替え家を出ることが度々でした。緊急時は混乱を避けるため、電話で上司や局に電話することなく黙って局舎に上がってくるルールになっていました。また、火災や凶悪事件の発生も同様です。上司やデスクから一報が入ると自分のカバンに腕章とハンディカムのビデオカメラを入れて、誰よりも早く現場に駆けつけようと家を飛び出すのが当たり前でした。

 さらに、海外で起きた事案にも対応します。2008年9月に発生し世界経済に混乱をもたらしたリーマン・ショック。その兆候はニュースウオッチ9の編集責任者からかかってきた夜中3時の電話でした。「堀ちゃん、なんかニューヨークの市場が大変なんだよ。朝からロケできるところあたってくれる?」。寝ぼけ眼で情報収集をはじめ、当時リーマンブラザーズの日本支店のオフィスがあった東京港区の六本木ヒルズに朝一番で向かって、出社する社員へのインタビューなどを試みたのをよく覚えています。海外で発生した問題でも、日本への影響がどう広がるのか、関連する事柄がないのか現場を探し、取材をするのが業務でした。

(画像:istock)
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 連日の生放送。チーム総力戦でその日その日の困難を乗り越え、報道の使命を果たす。疲労はあっても、妙な高揚感に包まれた現場です。当時からNHKでは不祥事が相次ぎ、受信料の不払いをはじめとした信用の低下もあり、職員一人一人が信頼回復という使命を背負って、純粋に「視聴者の皆さんの期待に応えたい」という思いも共有されていました。放送を乗り切ると、上司や同僚と深夜・早朝まで開いている飲み屋にいって、ああでもない、こうでもないなどと集まることも少なくありません。終わって家に戻るのかというと、仕事が残っている場合は、そのまま局に戻って仮眠をとりつつ次の取材の準備や編集作業を再開します。

 「堀、悪いな。働きすぎだよな。サービス残業分はボーナスの査定で還元するから」という上司の言葉は、当時の自分にとっては励みになる言葉でした。2013年4月に退職するまでの12年間がほぼ毎日がこうした日々でした。

 ただ、決して管理職たちが長時間労働を野放しにしようという訳ではなかったのも事実です。業務の効率化をはかり、長時間労働を抑制し、職員の健康を守るために、上司たちは常に勤務管理表とにらめっこしながらやりくりをする努力を続けていました。組合も長時間勤務が続いてる職員をピックアップし、経営側に報告をして是正を求めるといったことも、私の職場では行われていました。「休みたくない」「取材がある」と駄々をこねる私に対して半ば強制的に休暇の日程を決めて各番組に通知してくれた上司もいたほどです。