一つは、昭和52(1977)年に見た『大統領の陰謀』だ。主人公のひとり、ボブ・ウッドワード(映画では、ロバート・レッドフォード)が、大事件の真っ最中に、長期休暇を取って旅行に行くことだった。2日、3日休みを取ることすらはばかられる「空気」があった日本のマス・メディアでは、考えられないことのように思えた。

 二つ目は、社会部警視庁担当になってからの「365日夜回り美徳」の「空気」だ。「あいつ、盆も正月も(刑事の家)回ってるんですよ」が褒め言葉になり、キャップやサブ・キャップの覚えがめでたくなる。ところが、大きな事件が起きた。

 これが三つ目になるのだが、金沢局から転勤してきたばかりの司法キャップが、過労で倒れ、そのまま亡くなってしまったのだ。ロッキード事件の一審判決を控え、取材やテレビ中継の準備、打ち合わせが連日行われ、その都度反省会と称する酒席が続いていたと聞いた。実は亡くなった当日の未明に、つまり元気な姿で彼を野川に近いNHK寮に送り届けたのが私だった。午前2時過ぎに警視庁からハイヤーに乗り込んだ直後にはもう爆睡していて、到着してもなかなか起きてくれなかった。異動疲れなんだろうなとその時思った。
(iStock)
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 当時のNHKの異動は、年1回の大イベントで、連日名目を変えて、あるいはグループ別に送別会が行われ、しかも局外からもお呼びがかかる。上京してきたら、今度は待ってましたとばかり連夜の歓迎会で、身体的に過労のピークに達している。これが毎年繰り返されてきた。この事件を切っ掛けに、NHKでは異動時期の歓送迎会の自粛が言い渡され、実際に「今回は止めておこう」という「空気」が各局、各部署に流れ実行された。

 私は、埼玉県新座市の寮に住んでいたが、夜回り報告で警視庁や渋谷の社会部に上がると毎晩午前1時を回っていた。その頃の社会部は、新聞社の締め切りの午前1時半が過ぎると泊まりのデスクや記者たち、夜回りから上がってきた記者たちが車座になって宴会が始まる。各自で出し合った金で一番下っ端が、局近くの酒屋に買い出しに出て、酒とつまみを買ってくる。酒を飲みながら先輩たちの活躍した取材話に耳を傾けるのはワクワクして愉しいものだった。これは自分を鼓舞する上でも、大いに役立った。だがこんなことを続けていては、あの司法キャップの二の舞になるとひそかに危惧した私は、究極の「事故管理」に乗り出すことにした。