実際、立憲民主主義の擁護を標榜する護憲派の政治家・知識人たちが、国民の憲法改正権力の発動を封印することで民主主義を蹂躙しているだけでなく、憲法9条死文化に加担して立憲主義も蹂躙しているのである。護憲派はいまでは専守防衛・個別的自衛権の枠内では戦力の保有・行使を容認している。しかし、私が原理主義的護憲派と呼ぶ立場は、この枠内なら自衛隊・安保は違憲だけど政治的にOKだから違憲のまま凍結させろと主張する。違憲状態凍結が護憲だなどというのはカフカの不条理小説も顔負けの倒錯である。
第3回中央委員会総会後に記者会見する共産党の志位和夫委員長=2017年12月3日午後、東京都渋谷区の党本部(川口良介撮影)
第3回中央委員会総会後に記者会見する共産党の志位和夫委員長=2017年12月3日午後、東京都渋谷区の党本部(川口良介撮影)
 この立場に立つ共産党の志位和夫委員長は、自衛隊は違憲だが、日本国民の圧倒的多数が、自衛隊がなくても大丈夫と思う日がくるまでは、これを存続させると公言している。日本人に多少とも現実感覚があるなら、こういう日はこないだろう。来るとは信じ難い日が来るまで自衛隊を存続させるということは、いつまでも存続させるということである。しかも違憲の烙印を押し続けたままで。こんな欺瞞がありえようか。

 修正主義的護憲派と私が呼ぶ立場は、専守防衛・個別的自衛権の枠内なら自衛隊・安保は戦力の保有・行使を禁じる憲法9条2項に反しないから合憲だと主張する。世界4位か5位の武装組織である自衛隊が戦力でない、世界最強の戦力である米軍と日米安保の下で共同遂行する防衛行動が交戦権の行使ではないというのはあからさまな解釈改憲である。集団的自衛権行使を容認した安倍政権の解釈改憲を批判する資格は彼らにはない。

 最近では、さらに度を越した解釈改憲論も木村草太のような護憲派憲法学者から出ている。それによれば、自衛隊・安保は存在そのものが9条2項違反であるが、国民の生命・自由・幸福追求権の保障をうたった憲法13条が、戦力の保有・行使に対する9条2項の禁止を専守防衛・個別的自衛権の枠内で例外的に解除しているという。戦力という最も危険な国家暴力に対する憲法的禁止の例外的解除を、戦力に一切ふれていない憲法13条に勝手に読み込むのは法解釈の枠を超えた妄説で、国民の憲法改正権力を簒奪(さんだつ)する憲法学者によるクーデターと言ってもよい。

 しかも、これは護憲派の自滅を意味する。同じ理屈で安保法制支持者が集団的自衛権解禁を擁護することも可能だというだけではない。専守防衛・個別的自衛権の枠内なら戦力としての自衛隊も、自衛のための戦力行使も合憲であるとするこの13条代用論は、自衛隊に違憲の烙印(らくいん)を押し続けるという原理主義的護憲派の「封印」も、自衛隊は戦力(フルスペックの軍隊)ではないという従来の修正主義的護憲派の「封印」も破るものである。