日本テレビが、アナウンサーとして内定を出していた女子学生について、銀座でホステスのアルバイトをしていたことを理由に内定を取り消しました。最終的には就職できることになり、日本テレビも判断を修正したことになるので、安心しましたが、これは何が問題だったのか、考えてみましょう。

 ホステスというのは、今の女子学生のアルバイト先としては特に珍しいものではありません。東京大学の学生を含めてです。『「AV女優」の社会学』(鈴木涼美、青土社)、『キャバ嬢の社会学』(北条かや、星海社)。これらは東京大学と京都大学の女性の大学院生が、自らその現場に立ち会った経験を元に書かれた修士論文がベースになった著作です。またホステスに関しても、参与観察に基づいた論文があります。

 結論からいうと、日本テレビの内定取り消しは、大変な時代錯誤と性差別に基づくものだと私は考えます。大学院を含めて私のゼミには今まで、広義のセックスワーク(性労働)と呼ばれるものにアルバイトで関わる学生さんが複数いました。「広義の」と表現したのは、セックスワークを買売春に限定せず、AV女優、キャバクラ、バニーガール、ホステスなどを広く含めて考えるからです。

ホステスは「セックスワーク」なのか


 このセックスワーク、実は定義をしようとするとかなりやっかいです。何らかの意味で「性的サービス」が金銭を対価として提供されることを指すわけですが、身体接触がないものについてどのように判断するかは、学問上の概念としても、合意された基準があるわけではなく、そのときの議論によって違いが生じます。

 今回問題となったホステス。いわゆる水商売と言われるものですが、銀座にある普通のクラブのようですので、顧客との身体接触は原則としてはなく、あくまで客との対話が重視されるはずです。このケースで女性の「性」が取引されたと見るのかについては、議論の余地があるでしょう。むしろこの仕事で重要なのは、相手の話を受け止め、楽しませる対話力のようなもので、「性的魅力とは無関係」との立場もあり得ます。アナウンサーのトレーニングに向いているかもしれません。

 ただ、だとすると日本テレビの判断は、セックスワークですらないものについてまで「前科」を問うことになり、その立場はより広い範囲の職業について問題視しているということになります。ここでは、女性の外見を含めた「性」がホステスという「商品」の重要な一部であったと考えることにして、これを広義の意味でのセックスワークに含めて、議論してみましょう。あえて、日本テレビ側から見て「より『重罪』である」という仮定に立って議論をするのです。

 セックスワークという概念は、そもそもジェンダー論の中でこれを認めるかどうかについて、議論が分かれます。女性の性が男性によって買われているという点を深刻視する立場に立つ人たちは、これを「ワーク(労働)」とは認めず、搾取であると考えます。「セックスワークを認める」という議論自体が実は、最低限の「自己決定」が、働く当事者の側にある、ということを前提とするのです。私はその立場に立ちます。

 今回のケースでは女性は、人に頼まれてこのアルバイトをしたと仄聞していますが、いずれにせよ、(強制ではないという意味では)自分の意思で就労しています。この「自己決定」を前提とする議論が登場したことで、買売春やその他のセックスワークに関する議論は、難しい判断を迫られるようになりました。自ら「望んで」売春をしたり、アダルトビデオに出たりしたのだとしたら、そこには「労働」があるだけで、性差別はないのか? 男が女を買う、という問題を消去してこの問題を論じてよいのか、といった批判を、セックスワーク論に立つ私は、受けることになるわけです。

 しかし日本テレビが今回取った立場は、そういったフェミニズムやジェンダー論の一部からある反対意見とは180度方向の違う反対論です。日本テレビは、アナウンサーには「高度な清廉性」が求められ、ホステスという職歴はそれにそぐわないと主張したのですが、この「清廉性」とは一体何なのでしょうか?

 1956年の売春防止法制定にいたるまでの議論の中には、「売春は性差別である」という婦人解放論からの主張とは別に、キリスト教矯風会などを中心とする女性たちから「売春は道徳的に許されない」との強い売春反対論がありました。彼女たちは(キリスト教的な)道徳から考えて、性を売ることは許されず、売春婦というのは、(意に反した場合もあるとはいえ)堕落した、もしくは救済すべき存在だと考えたのです。売春をする女性を「醜業婦」と呼んだのは、そうした考えを反映するものです。

キャバクラ通いの男子学生もアナウンサーNGに?


 そして今回の日本テレビの「清廉性」という発想は、このキリスト教矯風会の「醜業婦」という視線を思い起こさせる時代錯誤的なもので、非常に差別的な考え方であると考えます。そもそも何をもって「清廉性」と呼ぶのでしょうか?

 「職業に貴賎はない」などというのは当然のことです。ホステスが仮にセックスワークだったとして、それが「清廉性」に欠けるというのであれば、セックスワークに従事する人たちすべてを差別するものです。よりによって報道に携わるアナウンサーについて、そうした視点から内定を取り消すというのは、メディアとしての自殺行為であると考えます。

 また、性別を逆にして考えれば、仮にキャバクラでアルバイトをしたことのある女子学生が、アナウンサーとして不適格なのなら、キャバクラに通っていた男子学生も、アナウンサーとして不適格なのではないでしょうか? 売る側と買う側で評価を変える理由がどこにあるのでしょうか? テレビ局は志望する男子学生にどのような風俗産業に通ったかを申告させるのでしょうか? 風俗で仕事として働く側とときおり行くだけの客とは違う、との反論も受けましたが、週1回働く人と、週1回通う客はどう違うのでしょうか? それが2回になったからといって何か違うでしょうか? もし「清廉性は女性のみに求められる」と言うのであれば、それこそ性差別であるはずです。

 あくまでも、問題なのは女子学生のアルバイト歴ではなく、特定の職業を貶めた日本テレビの姿勢にあるのです。「醜業婦」のごとく見なす視線と、買う側の男性を不問とする性差別。なぜ女性のアナウンサーにのみ、内実の不明な「清廉性」なるものを求めるのか、こうした発想が時代錯誤であり、性差別であることが、今回確認されたと考えます。