この「慣習」ないし「伝統」を経済問題の文脈で理解するとどうなるか。『保守の真髄』でも例示しているが、賃金など雇用関係がわかりやすい。賃金は「慣習」で決まることで、経済の安定と不安定との平衡化に寄与するのである。

 企業の投資活動は将来の不確実性に必ず直面している。このような不確実性に対処するために企業は労使間のあつれきをできるだけ最小化することを選ぶ。なぜなら、労使でもめ事が発生すればそれだけ企業の直面する不確実性もまた増幅するからだ。これは経営者側に長期の雇用契約を結ぶ動機付けを与え、また労働者側も自らの生活の安定のために長期的雇用関係を結びたがる。このことが長期雇用関係を「慣習」や「伝統」として企業の中に、あるいは日本経済の中にビルト・インしていくことになる。

 このような経済論は、初期の著作『ソシオ・エコノミックス』から最後の著作である『保守の真髄』まで一貫している。後者から引用しておく。

 勤労者がその慣習賃金を受容するというのは、それで自分の家族の生活が賄えると思うからに違いない。ということは、勤労者の購入する主として消費財の価格について何らか安定した期待を持っているということでもある。総じていうと市場で取引される多くの商品の価格が公正価格の周辺で、需要と供給の差に反応しつつ少しばかり変動する、というのが市場なるものの標準的な姿である。

 ただし、このような「慣習」=公正価格や慣習賃金などは、平衡作用と同時に非平衡作用も生み出す力を持っている。例えば、長期的雇用関係は慣習賃金として、名目賃金の下方硬直性を生み出す。労使間の信頼ややる気などを損なわないために、不況であっても賃金を引き下げることを選ばない。すでに大企業に雇われている労働者は身分も賃金も保証される。だがその半面で、若者たちの新規採用を削減したり、または非正規雇用などを増加させるなど経済不安定化を生み出してしまう。
(iStock)
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 もちろん西部氏は、「伝統」や「慣習」は人間社会の合理性と非合理性の平衡を「綱渡り」的にとることができるとみなしているだけで、いま書いたように「伝統」や「慣習」が一部の人たちには安定的でも、経済自体に不安定化をもたらすことも想定していたと考えることはできる。

 この「伝統」や「慣習」に二面性を求める見解、時には社会・経済を綱渡り的に平衡させ、時には非平衡化させてしまう働きというものは、西部氏の貨幣論にも典型的に表れている。

 貨幣は社会的価値を交換可能にすることで社会の安定化に寄与するだろう。しかし他方で強烈な不確実性ショックに直面すると、この貨幣がかえって社会そのものの平衡を危うくする可能性を、西部氏は同時に示唆していた。