古谷経衡(著述家)




 民主党の新代表に岡田克也氏が就任した。意外だった。

 何故なら、同じく代表選挙に立候補していた細野豪志氏が、なんだかんだ言って勝利する、と予想していたからだ。

 しかも第一回投票では僅差で細野氏が上回っていたのが、決選投票では岡田氏がこれまた僅差で逆転する、という波乱があった。
 
 岡田克也氏と言えば、多くの国民は2004-2005年に代表を務めた、当時小泉政権下の岡田民主党を思い浮かべるだろう。更に2009年からの民主党政権でも、何度も総理候補として名前があがったが、結局、菅・野田の両政権で幹事長を務めたので、岡田さんといえば「幹事長」という役職が真っ先に思い浮かばれる方も多いだろう。

 正直なところ、「岡田新代表」と聞いて、「へーまたやるの…」という冷めた見方をする国民が大多数だと思う。

 岡田氏は今回の代表戦で「オール民主」を繰り返したが、決選投票でほぼ、党内がまっぷたつに細野氏と割れたことから、「民主党はバラバラになるのではないか(1月19日付、産経新聞紙上で自民党国防関係議員のコメント)」との意見も、今後の展開としては大いに有り得ると思う。

もし細野豪志氏が代表になっていれば…


 「後の祭り」と言ってしまえばそれまでだが、民主党は今回、細野豪志氏を新代表に選ばなかったことで、「党再建最後のチャンス」を失ったとみるべきである。

 細野氏本人の政治家としての能力はともかく、岡田克也氏(61歳)とくらべて圧倒的に若い細野豪志氏(43歳)は、脂が乗り腹が出っ張った政治家業界の中では断トツに端正なルックス。

 かつて岡田代表の後継として新代表に選出された前原誠司氏が「民主党のジャニーズ系」と持て囃されたが、ハッキリ言って同性の私からみても、前原氏には失礼だが細野氏のほうが圧倒的に写真映りが良く男前だ。

 細野氏が民主党の新代表となったならば、「刷新」のイメージが先行して、すくなくとも民主党の支持率はピクリと何ポイントか、急上昇したに違いない。

細野豪志・民主党元幹事長
 こんなことを書くと「有権者は顔で投票先を選んでいる」みたいな、有権者蔑視ともとられかねないところだが、何を隠そう2005年の総選挙(小泉政権下・いわゆる郵政選挙)で惨敗した岡田民主党は、その敗因の一つを「笑顔がなく、いつも陰鬱な感じのする岡田さんが、陽性の小泉に負けた」と散々言われていたのだから、あながちルックスも侮る無かれ、である。

 そしてなんといっても、細野豪志氏は1997年に英国史上最年少で首相に就任したトニー・ブレアと同い年の43歳。ブレアと細野氏を政治家としてどう比較するのかはともかく、「日本のブレア」などと、選挙戦で「刷新」を存分にアピールすることができる。

 若者層の格差や貧困、などが社会問題になっているだけに、首相就任時のブレアと同い年という細野氏の「若さ」は何者にも代えがたい武器になっただろう。

 しかし、民主党は岡田克也氏を選んだ。後世この代表選は、後悔してもしきれぬ、「民主党最大にして最後の大失敗」と記憶されるだろう。

「バルジの戦い」と民主党


 1944年12月、ノルマンディー上陸後に連合国がフランスを解放して東進する中、劣勢のドイツ軍はベルギーのアルデンヌ付近で一大反転をかけるべく、西部戦線でほとんど持てる全ての機甲戦力を動員して「ドイツ軍最後の大反撃」と呼ばれる「ラインの守り作戦」を敢行した。

 当時、東へと進む連合軍部隊は、ドイツ軍にもはや大規模な反撃能力は残っていないと見做し、さらに天候不良も手伝って全く油断した状況にあった。そこに、不意を付く形でドイツ軍が反撃してきたのだから、連合軍は大混乱に陥った。

 連合軍は一時的にアルデンヌから駆逐され、後退を余儀なくされた。ドイツ軍の反撃は成功、連合軍を圧倒し、勝利を収める。この戦いは、ドイツ軍が地上戦で勝利した最後の作戦と成った。

 しかし結局、体制を立て直した連合軍が航空優勢の元、盛り返してドイツ軍は敗退するのだが、戦線の中にドイツ軍の反撃で盛り上がるように突出した部分が出来たことから、戦後、この戦いは「バルジの戦い」と呼ばれるようになった。

「バルジ」とは、「突出」という意味である。


 先の総選挙でも振るわず、海江田代表が落選するという衝撃的な結末を迎え、じりじりと後退する、大戦末期のドイツ軍の趨勢にそっくりの民主党も、今回、細野豪志氏を代表にしていれば、この「バルジの戦い」程度の「反撃」が出来ただろうことは、想像に難くない。

 後退が続く民主党の、最後の総力を振り絞って乾坤一擲の大反撃を行うためには、誰よりも若く「刷新」と看做される「細野新代表」しか居なかった。

 自民党だって、「細野新代表」となれば、ある程度の脅威となる、と考えていたに違いない。

 しかし民主党は、「最後の賭け」にも撃って出ること無く、まるでもはや書類上だけの存在になった主兵力を温存するかのように、決戦を避け後退戦術を選んだ。

 ここぞ、という時に「若者」に最後の希望を託せなかった民主党は、あれよあれよと坂道を転がり落ちていくに違いない。

 大抵の戦争では、主兵力として温存された「虎の子」の部隊は、そのまま使われること無く終戦を迎えるか、或いは「虎の子」の部隊そのものが末期状況の中で分裂し、四散するかのどちらかである。

 野党協力にも終始消極的で、結果、党も二分する結果になった岡田民主党は、果たしてこのまま冷えて終わるのか、それとも分裂四散するのか、見ものである。