池井優(慶應義塾大学名誉教授)

 国際的スポーツの祭典オリンピック、世界中のトップアスリートが集まり、大会の模様はマスメディアを通じて世界中に報道されるビッグイベントである。当然、為政者はそれを政治、外交の手段として利用しようと考える。
1936年、ベルリン五輪開会式で開会宣言をするヒトラー(共同)
1936年、ベルリン五輪開会式で開会宣言をするヒトラー(共同)
 戦前の典型的な例は、1936年のベルリン大会であった。ナチスが政権を取る以前に開催が決定していたオリンピックに、指導者ヒトラーは当初消極的であったが、「ナチスドイツを世界に宣伝する機会にしよう」と態度を一変させ、国家を挙げて大会の準備と開催に取り組むことになった。そして狙いは的中した。特に外国のメディアに対し、通信設備を完備し便宜を図ったため、「前畑ガンバレ」で有名になったラジオの同時中継も可能となり、記録映画『民族の祭典』の各国における上映とあいまって、世界がヒトラー率いるナチスドイツの組織力を高く評価する有力な手段となった。

 戦後のオリンピックを政治的利用した具体例としては、1980年のモスクワ大会が挙げられる。大会を成功させたいソ連(現ロシア)は、万全の準備を整えて開催に備えた。しかし前年12月、アフガニスタンで親ソ派によるクーデターが発生、ソ連は軍隊を駐留させて弱体政権を守ることにした。これに反発したアメリカのカーター大統領は、ソ連軍隊がアフガニスタンから撤退しなければ、アメリカは選手をモスクワに送らないと示唆した。同時に、日本、西ドイツなどに同調するよう呼びかけた。「1番安上がりの対米協力」の手段として不参加を決めた日本をはじめ、結局66カ国が不参加、次のロサンゼルス大会にソ連、東欧諸国は参加せず、まさにオリンピックは政治外交の手段として利用されたのである。

 戦後いくつかの分断国家が生まれた。東西両ドイツ、韓国と北朝鮮、南北ベトナム、中国と台湾である。国家が2つに割れた場合、オリンピックへの参加はどうするのか。4つの選択肢がある。①両方とも参加しない②どちらか一方が参加する③両方とも参加する④統一チームで参加する。今回の平昌大会のケースは④だが、過去にも例がある。

 ドイツの場合、1956年の第7回冬季大会に東西両ドイツの選手が統一チームを結成して参加、以後同年のメルボルンでの夏季大会、そして1968年のメキシコ大会まで、国旗、国歌は旧ドイツ旗にオリンピックマークを付けた統一旗を掲げ、国歌に代わりベートーベンの第九交響曲「歓喜の歌」を使用することで問題は解決した。