山田順(ジャーナリスト)

 横綱日馬富士による暴行事件が発覚してから、iRONNAをはじめ、これまで何本か論評を書いてきた。大手メディアがおおっぴらに言えない「ガチンコ」vs「注射」の問題が背景にあるので、その歴史やメカニズムについて言及した。すると、どうしてもこれを肯定的に捉えることになり、「正義」という見地からしかものを見ないネット民から嵐のようなブーイングを浴びた。以下、その代表的なものを記す。

「あなたは注射(八百長)を容認している。それを伝統文化であるとし、国技だとしている。そんな国技ならないほうがマシだ。相撲協会は公益財団法人を返上すべきだ。なぜ擁護するのか」
「これでは相撲はプロレスと同じだ。それなら、協会はそれを認めるべきだ。なぜそのように書かないのか」
「ガチンコだと力士の身体が持たないと言うなら、年間の場所数や巡業を減らすなり工夫すればいい。そのような建設的な提案をすべきではないか」
「あなたは結果的に相撲協会を擁護している。注射という不正行為が行われているなら、それを告発するのがジャーナリストとしての正しい態度ではないか」
 
2017年5月、大相撲夏場所12日目の立合いで栃煌山(左)に
かち上げをする白鵬=両国国技館(山田俊介撮影)
 これらのどれにも私は反論できない。最後の「ジャーナリストとしての正しい態度ではないか」には、「そうですね。申し訳ない」と言うほかない。たしかに、正義を追求しなければジャーナリストではない。春日野部屋の暴行傷害事件隠蔽(いんぺい)が発覚したいまとなれば、私の姿勢は間違っていたと言うしかない。

 すでに2007年の時点で、時津風部屋は17歳の力士を暴行死させている。このとき日本相撲協会は、再発防止を固く約束した。そして、2011年には八百長が発覚して裁判にもなったが、司法からお目こぼしをしてもらい、事なきを得ている。こんな経緯があるのに、結局協会はなにも変わっていない。もはや、注射がどうのなどと言っていられない。

 ただし、言い訳を言わせてもらえば、私はジャーナリストとして論評したのではなく、相撲を絶えずウォッチングしてきた一ファンとして論評した。「清濁併せのむ」という言葉があるが、水をすべて清くてしまえば、魚は死んでしまう。表向きはスポーツだが、裏では談合が行われ、金銭のやり取りもある。ガチンコと注射が同時に行われる「格闘技ショー」が相撲である。

 だから、清いスポーツだけになった途端、これまでの相撲は相撲ではなくなり、歴史も伝統も国技もすべて吹っ飛んでしまう。「大横綱」大鵬の優勝32回も、「国民栄誉賞横綱」千代の富士の53連勝も、白鵬の最多優勝40回と63連勝も、全部吹っ飛んでしまう。すべて注射なしでは成りたたなかった記録だからだ。したがって、「それでいいのだろうか?」という気持ちがまだかすかにある。