杉江義浩(ジャーナリスト)

 相撲が日本の国技であり神事でもある、という考え方には異論をはさむ人も、もしかしたらいるかもしれません。別に法律でそう定められているわけではなく、日本相撲協会が定款でそう名乗っているだけだからです。

 一方で相撲をレスリングやボクシングのような、フルコンタクト系格闘技の一つとして、単にスポーツであると位置づけるのはもっと無理があります。古事記に由来する相撲の歴史をひもとくまでもなく、相撲が神道に基づくものであり、世界に類を見ない日本独自の重要な伝統文化であることは、誰の目にもあきらかでしょう。

 私は相撲を一つの美学だと考えています。美学であるからこそ横綱には品格が求められます。また良い一番だった、良くない取組だったという、勝敗とは別の要素で評価をされることもしばしばあります。ルールブックのみに基づくのではなく、礼儀・所作をより重視したマナーの観点がそこにはあります。
「大相撲beyond2020場所」で三段構えを披露する白鵬関(左)と稀勢の里関=2017年10月、両国国技館(代表撮影)
「大相撲beyond2020場所」で三段構えを披露する白鵬関(左)と稀勢の里関=2017年10月、両国国技館(代表撮影)
 最近では横綱白鵬が「張り差し」や、「肘(ひじ)打ち」とも見られる「カチアゲ」といった打撃系の技を多用し、横綱らしい取り口ではない、と非難されるケースが多く見られました。相撲の禁じ手には「肘打ち」は含まれませんから、白鵬がスポーツとしてルール違反をしたわけではありません。

 しかし顔面や頭部への「肘打ち」は深刻なダメージをもたらすため、ほとんどの格闘技においては禁止されています。私もこの技を見て危険だと思うだけではなく、相撲として美しくないと感じました。

 もちろん禁じ手でなければどんな攻め方をしてもルール上はよいわけです。ローキックさえも許されます。でもはたして観客は、掌底(しょうてい)による張り手やローキックの応酬による、キックボクシングみたいな取り口の相撲を見たいと思うでしょうか。

 考えてみれば相撲をスポーツとして捉えると、ルール自体は意外と曖昧で、それ以前にあうんの呼吸やしきたりで成り立っている、というべきかも知れません。もっとも重要な試合開始の瞬間さえも、互いの力士があうんの呼吸で決めているわけです。

 「ゴングが鳴らない唯一の格闘技」とイギリス人の生物学者、ライアル・ワトソンは述べていますが、立ち会いの瞬間は行事が決めるのではありません。両方の力士が互いに目を合わせ、腰を下げて気迫が十分に満ち満ちたと思った瞬間が試合開始です。

 その際には両者が左右の手を完全に下まで降ろしていることが、正しい立ち会いとされていますが、実際には努力目標といったところでしょう。両手が地面につかずとも、両者合意で立ち会い成功に至るケースは、しばしば見かけることがあります。