佐伯順子(同志社大大学院教授、女性文化史研究家)

 小室哲哉氏の引退会見がメディアで波紋を広げている。妻の介護に向き合う中、大人のコミュニケーションが取れる女性として担当看護師と親しくなり、これを「不倫」とする報道を受けて、引退会見へと発展した。小室氏以外にも、芸能界や政界の「不倫」報道によって売り上げ部数を伸ばした雑誌に対し、今回は逆に、報道側への批判が目立ち、編集側も想定外の逆風にとまどっているようだ。

 なぜ、過去の「不倫」報道を受け入れた読者たちが、今回は一転して報道批判に回ったのか。その大きな理由の一つは、当事者が生活事情として「介護」を挙げた点にあろう。確かに、「介護」をどうするかは、現代日本において大きな社会的課題の一つである。ゆえに、会見に対する反響も、「不倫」よりもむしろ「介護」に関心が高まった傾向がみられ、私生活の背景を理解して、世間は情状酌量の余地を与えた。結婚外恋愛の報道の是非を問うよりも、介護や高次脳機能障害をめぐる議論が高まるという点で、これまでとは異なる展開をみせているのだ。

 だが、ここではき違えてはいけないのは、「介護」や「障害」の有無と「不倫」の是非は、そもそも別問題であるということである。当事者が重なったために議論が錯綜(さくそう)しているが、私生活の苦労には、「介護」以外にも様々あり、「介護」や生活の苦労があるから、その癒しとしてなら「不倫」は正当化できるという風潮が生まれてしまうとしたら、明らかに間違っている。すべての既婚介護者が、それを理由に不倫をしているわけではないし、不倫どころか余暇の余裕もなしに介護に努めている女性、男性も少なくないのだ。

 ただし、会見の締めくくり「なにか響けばいいな」に象徴されるように、彼の発言に社会的意義があるとすれば、彼が男性介護者であること、そしてその当事者の立場から、自身の介護体験を公的に赤裸々に語ったことである。その素直さは、少なからぬ男性が妻などの女性に介護を丸投げしがちな現状にあって、実にあっぱれである。
記者会見で引退を表明し、涙を拭う小室哲哉さん=2018年1月、東京都港区
記者会見で引退を表明し、涙を拭う小室哲哉さん=2018年1月、東京都港区
 介護やケア役割は、日本の現状において、嫁や娘という女性に任せられがちであり、男性介護の当事者の「声」を幅広く共有できる機会は少ないだけに、大きな社会的意義がある。介護が女性役割とみなされがちなことは、それ自体も問題だが、男性にとってもまた問題であり、現状少数派の男性介護者は、気のおけない男同士で相談することもできず、孤立しがちである。

 しかも、一部の医療従事者や薄情なタイプの家族であれば、「介護は苦労だし、本人も、心身が不自由で生きているくらいなら死んだほうがましですよね」という判断を下す危険性さえあるので、〈介護する/される〉〈ケアする/される〉行為の尊厳、そこから初めて見いだされる家族、あるいは人間同士の絆(まさに小室氏のいう「無償の愛」)の尊さをふみにじる例もある。