袴田茂樹(新潟県立大学教授)







 世界は動乱の世となった。中露の大国主義と主権侵害、イスラム過激派の世界秩序への挑戦やテロ活動、欧州連合(EU)内の混乱と国家対立、これら諸問題に対する国連や米国の無力などは大方の予想外だった。近年は「グローバル化が進展する脱近代(ポストモダン)の21世紀には、近代(モダン)の国民国家とか主権や領土は意味を失う」という論が主流となったが、現実は逆だった。今や、主権国家の役割やその意義を見直す時だ。

国際秩序の混乱生む曖昧状況


 1992年にF・フクヤマは『歴史の終わり』を著した。これは、根本的な対立の歴史は終わったという意味で、「今後は伝統的な主権国家の諸特徴の多くは消滅する」と予想した。そして、欧州共同体こそが歴史の終わりを象徴すると称賛し、ロシアはかつての拡張主義を捨て「小さなロシア」を選んだと言う。冷戦後欧州で国家主義(ナショナリズム)の抗争が高まる可能性もあるがそれは東欧やバルカンのことで、中国も経済主義的になって大国主義への回帰はないと予測した。しかし現実はこれら楽観的予測をほとんど裏切った。

 ウクライナ問題、南・東シナ海の紛争、「イスラム国」、英国やスペインの分離主義、ギリシャ問題や欧州の南北対立などが示しているのは、「国家」の強過ぎではなく、逆に主権国家の弱体性やEUの二重主権という曖昧状況が国際秩序の混乱を生んでいるということだ。確かに脱近代論(ポストモダニズム)が指摘するように、今日では国家を超えた諸現象や国家では対処しきれない諸課題が増加している。

 にもかかわらず、世界の秩序と安定の根幹を保障するのは依然として国連でも国際機関でも、もちろん非政府組織(NGO)でもなく、主権国家間の関係であり、国家に代わってその役割を担う制度を人類はまだ見いだしていない。

人類が生み出した叡智


 ここで問題となるのは「国家」の見方だ。近代的な主権国家は基本的人権と同様、歴史的に生まれた概念で「人工的フィクション」とも言い得る。ただ、国民国家を歴史的所産と述べる者は、人権に関しても同様に言うべきだろう(通例、前者に言及する者は、なぜか後者については沈黙する)。国家主権や人権は歴史の所産で相対的なものと言っても、不可侵の絶対的なものとして扱う必要があり(部分的例外を認めるにせよ)、それが社会の安定のために人類が生み出した叡智(えいち)でもある。

 歴史的に、国家はしばしば戦争装置とか人権を侵す存在と見られた。だがそれ以上に、国家は秩序・安定と人権の擁護者だった。国家の強制力がなければ法も無力だからである。これは軍事力が戦争の具だったと同時に、しばしば戦争や紛争を抑止する、あるいは交渉で問題を解決するための後ろ盾だったのと同様だ。今日では、後者の観点がより重要である。

 2007年にH・ヴェドリーヌが『歴史の継続』(邦訳『「国家」の復権』)を著している。書名自体がフクヤマ批判だが、以下その内容である。

 国家には国家固有の役割があり、国家が主権を放棄しても、市民社会、NGO、国際司法機関などは国家に代われない。「文明の衝突」は対話では阻止できない。ソ連崩壊後、西側諸国は民主主義、多国間協調、グローバル統治に幻想を抱き、リアリズムは唾棄された。外交課題も平和、安全、紛争予防、国際協力など「左寄り」となった。しかし現実の世界は国家の力の「過大」ではなく、むしろ「過小」に苦しんでいる。

 著者は仏社会党元外相(1997~2002年)で、社会党ミッテラン大統領の外交顧問でもあった。しかも彼が外相の頃は仏独が欧州統合の機関車となっていた。

リアリストとリベラリスト


 国家を「必須」と見るか「悪」と見るかは2要因に左右される。1つは世界を基本的に無秩序と見るか、逆に調和的と見て戦争や紛争を例外と見るかの違い。2つ目は人間の本性を悲観的に見るか、性善説的に見るかの違いである。

 近代的主権国家の概念を16、17世紀に構築したボーダンやホッブスは世界を無秩序と見、秩序と安定のためには絶対性を有する主権国家は不可欠とした。逆に、ロックやルソーなどの啓蒙(けいもう)主義者たちは本来の社会を調和的とみなし、理性によって安定社会を創れると見た。前者は人間の本性を悲観的に見ており、今日のリアリストたちに連なる。後者の考えは性善説で、今日の多くのリベラリストや脱近代主義者(ポストモダニスト)に連なる。

 世界でも稀(まれ)な秩序社会に住む日本人の多くは後者に近く、国家や軍を悪と見る平和主義の傾向が強い。今後主権国家の意味は小さくなると見る脱近代論は、冷戦思考から脱却したと自任するが、それも冷戦思考の産物だ。2大陣営の枠組みにより、国家や民族が抑制されていた歴史の例外状況を無意識に前提にしているからである。

 現代は、抑制されていた国家、民族、宗教などが、パンドラの箱から飛び出した動乱の時代だ。国家の役割の重さを再認識すべき時である。

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