「白鵬を切れ」貴乃花親方が許せなかった相撲協会の及び腰

『橋本強司』

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橋本強司(著述家、開発コンサルタント)

 元横綱日馬富士による貴ノ岩への暴行が発覚した当初から、私はこの問題に関して「一番悪いのは白鵬である」と断じてきた。不可解に思える貴乃花親方の言動に対しても、親方の日本相撲協会改革に対する真摯(しんし)な姿勢をくんで、ある程度理解しているつもりである。したがってこれまでの経緯と現状を踏まえ、主に次の2点で大いに不満を抱いている。それは、横綱白鵬に対する処分とその理由が懲罰としてほとんど意味がないことと、貴乃花親方に対する処分が相撲協会とその「御用機関」による強引な理由付けによるもので、著しく不当といえることだ。

大相撲初場所4日目、嘉風に敗れた後に
支度部屋で記者から質問を受けるも、
力ない返答をする白鵬=2018年1月、
東京・両国国技館(大橋純人撮影)
 そもそも貴乃花親方の理事降格処分によって問題が「一件落着」となり、立行司式守伊之助のスキャンダルがあったにもかかわらず、初場所は行われた。初場所は白鵬の相撲ぶりに注目が集まったが、私は、立ち合いの張り手やかち上げによる荒い相撲を控えている白鵬に対して、「さすが大横綱だ」といった評価が出てくるたびに、今回の問題の本質が隠されてしまうと懸念していた。しかし、白鵬は平幕相手に連日金星を献上したうえ、古傷の右足親指を痛め、早々と休場してしまった。

 今回の問題については、貴乃花親方が意図したかどうかはさておき、親方の言動がメディアの注目を集めて事態を大きくし、広く社会的議論が生じているのは事実である。そのことによって問題の本質が見えかけてきた面もあるのに、興行を優先することによって、本質をうやむやにしてしまっては、相撲協会の改革などおぼつかない。一部の相撲ファンが感じ始めていても、関係者や識者は誰もそれを言わない。だからこそ、私がそれを指摘したい。

 まず、昨年12月20日の横綱審議委員会(横審)後の北村正任委員長の説明で、貴乃花親方への非難が「委員会の総意」として示されたことは象徴的である。逆に親方の言動がやむを得ないものであったことを、改めて示したものであろう。横審の「通常の組織ではありえない言動」という見解こそ全く本質を外している。まず相撲協会は「通常の組織」ではないからだ。そしてその組織を抜本的に改革することが、貴乃花親方が意図してきたことである。改革を志す親方を非難することが改革を潰すことと同じであることに横審は気づいていないのだろうか。

 相撲協会の「御用機関」である横審が改革を論じる立場にないことが、ほかならぬ北村委員長の説明ではっきりした。しかも、北村氏は付け足しのように白鵬の相撲に対して大相撲ファンから「美しくない」「見たくない」と言った批判が寄せられていると報告した。そのうえで協会に対して改善のために「何らかの工夫・努力をしてほしい」と述べたのである。

 言うまでもなく、白鵬に物申す必要があった場合、その第一の役割は横審にある。それにより、相撲協会に対して改善の実行を迫る立場にあるはずである。その役割を放棄して協会に工夫・努力を委ねるようでは責任の放棄といわざるをえない。白鵬に対して八角理事長が及び腰であるのは、横審も知っているだろう。北村氏の苦言は、白鵬に対して厳しい処分ができない協会の意向を踏まえたうえで、軽すぎる処分に対する後ろめたさを埋め合わせようとしたのではないだろうか。

 ただ、初場所の白鵬の相撲を見ると、横審の苦言が効果を上げたように見える。しかしながら、苦言を出すのがあまりに遅かったため、苦言に御用機関として協会幹部の意向を忖度(そんたく)する不適切な姿勢も現れている。そもそも、横審の控えめな苦言を出すまでの無策ぶりが、白鵬をあまりにも増長させてしまったのである。そのことに対する反省がなければ、今後の改革に期待が持てない。

 また、白鵬の相撲が変わったのは、白鵬自身が自分の非を認識し立場が悪いことを感じているからである。それに対して、変化をほめたたえるだけではいけないだろう。白鵬がそのように認識しているのは、この間の騒動を通じて、世論が問題の本質と協会改革の必要性をうすうす感じるようになってきたからであろう。
白鵬に「情報操作」された報告書

 一方、日馬富士の暴行問題について12月20日に危機管理委員会の高野利雄委員長が公表した報告書は、いつ誰が何を言って何が起こったのかを、極めて具体的かつ明確に説明しているが、白鵬が「情報操作」したとみられる部分がいくつかある。このうち2カ所だけ指摘しよう。
臨時理事会終了後に記者会見する日本相撲協会の八角理事長(中央)。左は鏡山危機管理部長、右は危機管理委員会の高野俊夫委員長=2017年12月、東京・両国国技館(斎藤浩一撮影)
 一つは、10月25日の食事会(1次会)に、照ノ富士や貴ノ岩が出席することを白鵬は知らなかったというが、あり得ない話だ。食事会は巡業が行われていた島根県の高校で学んだ照ノ富士と貴ノ岩のために、地元関係者が一席設けたものである。主催者として横綱にも同席してもらいたいと考えるのは不自然ではない。特に照ノ富士の伊勢ケ浜部屋での兄弟子である日馬富士が同席するのは自然である。しかし、報告で日馬富士は「食事会の当日頃、白鵬において、…日馬富士を誘い…」とあるように、白鵬に誘われて同席することにしたのである。

 もう一つは、2次会で日馬富士が貴ノ岩に暴力をふるった際、白鵬が止めに入ったタイミングが曖昧にされている。日馬富士がボトルを振り上げたが、手が滑って取り落とし、その後リモコンで殴りだした。これを「一連の動作」と表現することで、肝心の白鵬が止めに入ったタイミングがわからなくなっている。白鵬は「物は持たないようにしましょう」と声をかけたそうだが、それはいつ言ったのだろうか。その後日馬富士はリモコンで殴りだしたが、白鵬がようやく止めに入ったのはいつなのかはっきりしない。

 これらの点について、危機管理委は白鵬から聞き取り「白鵬がそう言った」ということを報告しているだけなのである。高野委員長は後日、貴乃花親方から聞き取りをした際に元検事らしく厳しく「取り調べ」をしたようだが、白鵬にはこれらの発言を問い詰め、裏を取ることはしなかったのだろうか。

 しかも、貴乃花親方から聴取した危機管理委の報告は、相撲協会側の見方で固まってしまっている。これでは、相撲協会から相撲記者クラブを通じてリークされる情報に基づき、貴乃花親方の責任を問う印象操作に加担している大手メディアと同じだ。報道からではまだ私が知りえないことがあるが、その限りにおいても危機管理委の「偏向」は明らかである。その偏向姿勢についても二つ指摘したい。

 一つは、貴乃花親方の報告義務に関してだ。高野委員長の報告では「(親方は)10月26日に事件発生を知り、その後、県警に被害届を提出するに至る同月29日までの間、結局、何らの事情も把握できないまま事態を放置し、このことが本件をここまで長期化させ、深刻化させた大きな原因の一つとなった」という。これは裏を返せば、親方が事件を速やかに協会に報告していたならば、短期に解決できたと示唆していることになる。つまり、日馬富士の傷害事件は深刻化しなかったはずだと言っているに等しい。実際は、貴乃花親方の言動によってメディアによる騒ぎが大きくなり、協会は問題をうやむやのうちに収めることができなくなってしまった。
日馬富士は白鵬の意向を受けた「下手人」

 貴ノ岩の最初の「説明」を受けて、すぐに協会に一報すべきだったとする高野委員長の見解は、私には言いがかりのように聞こえる。鳥取県警に被害届を出した際、協会にも連絡をするよう親方が求めたことは妥当である。また貴乃花親方が、加害者側の伊勢ケ浜親方から協会に報告すべきと考えた、というのも事実だろう。この間の貴乃花親方の行動は、親方の協会不信を考えるならば当然というべきである。今回の問題を協会が興行上の配慮からうやむやにされる懸念を抱いたならば、貴乃花親方の言動は適切だったと理解できるからだ。

 もう一つは、協会が鳥取県警からの連絡を受けて開いた11月11日の臨時理事会での対応だ。貴乃花親方が依頼したとおり、協会には県警から連絡があり、八角理事長以下の協会執行部に報告された。先の高野委員長の報告では、執行部が臨時理事会で「緊急に対応すべき案件とは認識していなかったため、報告はされ」なかったという。その際、理事会終了後に、鏡山危機管理部長が貴乃花親方と伊勢ケ浜親方に対して当事者同士で話し合うように要請したとある。内々で収めて解決したことにして、翌日に控えた九州場所を滞りなく興行させることを明らかに優先したのである。この重要な点について、危機管理委の報告は曖昧であり詰めが甘いと言わざるを得ない。

 このように危機管理委の対応も不適切だが、そもそも日馬富士の暴行については、白鵬の言動に問題があった。当初、白鵬は貴ノ岩の言動を問題視し、「説教」を始めたところ、態度が悪い貴ノ岩を日馬富士が「制裁」を加えたのだ。白鵬ははじめ静観していたが、流血の事態になるに及んで、ようやく日馬富士を止めたようだ。まるで日馬富士は白鵬の意向を受けた「下手人」だ。どう見ても、一番悪いのは白鵬である。その白鵬が力士界を代表しておわびをし、「膿(うみ)を出し切る」と善人面で公言したのである。

 要は白鵬が自分の非を感じていることは明らかである。九州場所の嘉風戦で、行司の裁きに不満を示して批判を浴びたことも併せて、自分の立場の危うさを感じたことは想像に難くない。それが千秋楽の優勝インタビューで、観客に万歳三唱を提案するという挙に出たに違いない。批判をかわすため「大相撲ファンは自分の味方だ」ということを演出したかったのだろう。
2014年4月、靖国神社で奉納相撲が行われ、土俵入りした(左から)日馬富士、白鵬、鶴竜のモンゴル3横綱=東京都千代田区
 ただ、白鵬が貴ノ岩を「教育」しようとしたのには、当然前提がある。モンゴル力士たちが自分の「支配」のもとで協調しているのに対して、貴ノ岩が従わないからに違いない。この考え方がそもそも間違っている。大相撲は相撲部屋を中心として運営されている。その上に一門があり連合げいこをすることもあるが、それ以外の徒党を組むことは悪い意味での「なれ合い」やひいては八百長を助長しかねないので、望ましくないのである。
白鵬の二重三重の「しきたり破り」

 稽古土俵での「かわいがり」は当たり前のことであり、これは出稽古に来たほかの部屋の力士に対しても同じだ。しかし、土俵外で他部屋の力士への「指導」は禁じ手であり、暴力以前の話である。確かに、上位力士が個人的に目をかけているほかの部屋の力士の面倒をみることはある。実際日馬富士は自分と境遇が似ている貴ノ岩に目をかけていたようだ。とはいえ、たとえ横綱でも、他の部屋の親方を差し置いてその所属力士を「教育」することは越権行為である。白鵬の場合、相撲協会における自分の立場を強化するために、モンゴル力士で徒党を組み、ほかの部屋の力士を「教育」しようとしたのである。

 このように、白鵬は二重三重に相撲界の「しきたり破り」をしている。これは今回の事件に限ったことではなく、根が深い。相撲界の規律に厳しく、また現役時代から自らを律してきた貴乃花親方が白鵬の日ごろの言動を不快に思っていたことは、想像に難くない。しかし立場上、白鵬批判をするわけにはいかない。だからこそ、自らが仕切る部屋の力士に対する教育によって相撲界の規律を貫き、貴ノ岩はその指導を忠実に守ってきたのである。それに対して公然と反抗したのが、今回の白鵬であり、意に反して片棒を担がされたのが日馬富士である。

 今回の問題には伏線があり、以前、白鵬が日本国籍を取得せずに親方になれるかどうか議論された際、私は次のように論じた。

 白鵬は、勝ち負けに対する意識が非常に強いと私は感じる。記録という数字に対して、強いこだわりがあるのだと思う。それが数々の偉大な記録につながってきたのであろうが、勝負や数字に対するこだわりのために、立ち合いの駆け引きが目立ち、ときとしてダメ押しをしてしまう。常々素行の悪さを指摘されていた朝青龍が、事実上追放されたことは、白鵬の記録へのこだわりを生んだきっかけではないか。その傾向は、朝青龍の優勝回数に近づいたころから目立つようになった。記録で目にものを見せて、例外の存在を認める世論の盛り上がりを期待してきたのだと私は思う。

 そして白鵬の相撲ぶりや土俵態度については、すでに2011年ごろから問題を指摘されていた。また、2013年に朝青龍の優勝回数を超えたころから、徐々に張り手やかち上げが目立つようになった。
2017年11月、大相撲九州場所12日目、御嶽海に張り手を見舞う白鵬=福岡国際センター(仲道裕司撮影)
 この白鵬の取り組みに関する評議員会の対応も問題がある。年明けの1月4日の評議員会では、貴乃花親方の2階級降格が決まったが、その際、池坊保子議長は貴乃花親方について「著しく礼を欠いていた」と厳しく批判した。その後池坊氏は、張り手はルール違反ではないと白鵬を擁護した。さらに「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれない」と述べたと伝えられる。大相撲に対する見識のなさをさらけ出したと言ってよい。
ダメ押しと「礼」、池坊議長の矛盾

 ダメ押しがモンゴル文化に起因するというならば、日本の伝統文化の重要な一部である大相撲の精神として「それでよいのか」と問わねばならない。池坊氏のダメ押しについての見解は、貴乃花親方を批判した際、相撲は「礼に始まり礼に終わる」と言ったことと矛盾しているが、このことにご本人は気付いていないようだ。

 池坊氏の言葉からも、協会の意向に合わせる姿勢がうかがえる。そもそもこのように大相撲に対して見識のない人間が、理事の承認や解任に責任を持つ評議員会の議長に就くのはなぜなのだろうか。相撲協会の改革のために、外部委員を入れて設置された評議員会の人選は、誰がいかなる基準で行っているのだろうか。

2018年1月、日本相撲協会の臨時評議員会後、
記者会見に応じる評議員会の池坊保子議長(加藤圭祐撮影)
 このように一連の問題で明らかになった日本相撲協会の本質は、多くの人が指摘するように、問題が生じた際に内々でうやむやに収めようとする「閉鎖性」だ。また、外部批判をかわし内部告発を押さえ込もうとする「興行優先」の姿勢だ。この姿勢が、親方や力士の不適切な言動に対して、自浄機能が働かず悪を助長してしまうのであろう。

 こうした体質を象徴する例として、私は半世紀近く前の横綱玉の海の急逝を思い出す。死に至る経緯について私はさまざまな疑問を抱き、入院先の虎の門病院の大失態との意見もあったが、結局真相は報道されず「虫垂炎の手術は成功したが、肺血栓によって死亡した」との説明がいつの間にか定着してしまった。力士の虫垂炎の場合、術後の対応にことのほか気を付けなくてはならないことは、当時でも医者の間では知られていたはずだ。肺血栓は明らかに合併症であり、「虫垂炎の手術は成功した」とは言えないだろう。大病院と相撲協会との間に、何らかの裏取引があったのではないか、と私は勘繰っている。

 そして今回新たに発覚した春日野部屋の暴力問題は、相撲協会の閉鎖性や自浄能力のなさといった問題の根深さだけでなく、協会と大手メディアや官僚機構に代表される日本社会、さらには世間一般との奇妙な関係をも垣間見させている。貴乃花親方の不可解に思える言動にも、それなりの深い理由があることを感じさせる。
貴乃花親方が目指した「抜本的改革」とは

 ならば、貴乃花親方が目指す「抜本的改革」とは何だろうか。それは心技体を鍛え上げた力士が、堂々とぶつかり合って相撲の美を示すことができるよう、相撲部屋と一門の体制を強化し、いい意味での特権階級としての力士の意識をたたき込むことではないか。そして相撲部屋が機能しないときは、日本の伝統を守る特殊社会としての意識をもって協会が強い指導力を発揮することである。

 北の湖前理事長は常に「土俵の充実」を掲げていた。八角理事長も今回の問題を受けて、初場所で同じ言葉を掲げ、稽古の重要性を強調した。確かにその通りだが、掛け声だけでは実現しない。大相撲の伝統においては、あくまで相撲部屋が基本なのである。その重要性を私は著書『大相撲の心技体』で以下のように論じた。

 第1に、相撲部屋は、力士が鍛え抜かれた体と精神を持ち、すぐれた技芸を実現するための鍛錬の場である。第2に、相撲界特有の規範意識は、相撲部屋において親方の指導の下で身に付けるのが、最も効果的で意味がある。猛稽古を通じて勝ち取る特権階級の資格の意味及びそれに伴う社会的責任を力士に植え付けるのも、基本的に相撲部屋の役割であろう。第3に、相撲界と一般大衆との接点は、相撲部屋によって最も実質的に広げることができるはずである。

 心技体を鍛え上げた力士同士によるガチンコ勝負が、大相撲の基本であり魅力である。一方で大相撲には「儀礼文化」としての側面もあり、相撲ファンの期待、場所の状況や相手力士の調子、さらには相撲人生の流れによって、ときとして「なれあう」ことも大相撲に固有の一面である。古語の「なれやふ」とはひとつにする、互いに情が通じ合う、といった中立的な意味であり、共謀とも悪事とも無縁だったという。

 鍛えぬいた力士同士のガチンコ勝負が基本としてあったうえで、「なれあい」の技芸は伝統芸能としての大相撲の興行を支える一面といえる。ガチンコ勝負となれあいとのバランスは、各力士が自らの責任において取るべきことである。このようないわば「心の勘定」を、「金の勘定」によって置き換えてしまうのが、世間でいう八百長である。

 大相撲の世界は、世界のどのスポーツにも引けを取らない猛稽古によって支えられている特殊世界である。その中で強い精神と肉体を作り上げ、すぐれた技芸を身に付けた者が関取となる。関取は特権階級であり、さまざまな有形・無形の特典を享受するとともに、日本の伝統の重要な一部である大相撲を支え継承する社会的責任を持つ。

 力士であっても社会的常識がなくてはいけないのは当然のことである。その一環として「暴力はいけない」というのは、本来力士に対して言わずもがなのことなのである。心技体を鍛え上げた力士は、社会に対して範を示すべき存在であり、「暴力はいけない」といった世間並みの説教によって力士をおとしめてはいけない。
改革に反するモンゴル力士の「交流」

 私は大相撲改革はまず自覚の問題だと思う。相撲協会としての姿勢、理事長や理事による親方の指導、親方による力士の指導、そのための意識改革と、相撲部屋と一門を中心とした協会の構造改革が必要である。相撲界という特殊世界に対する一般大衆による適切な認識は、意識改革に伴ってついてくるものであろう。

 結局、このような改革に反するのが、一部モンゴル力士による部屋と一門を越えた「交流」だったのではないだろうか。その頂点にある白鵬に対して、協会はなすすべなく、美しくない相撲と不適切な言動を許してきた。今回の問題で明らかになったのは、白鵬の増長に象徴される国技の危機であり、その背景にある協会の長年にわたって解決されない問題であり、横審も危機管理委も協会の御用機関に留まっている。短期的な興行上の配慮によって、危機に対して気付かぬふりをしてはならないのである。

 だが、私は外国出身力士が大相撲を豊かにしていると感じている。特に、モンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱が大相撲の伝統をつないでくれたことをありがたいことと思っている。伝統芸能を支え神事を体現する横綱ならば、ぜひとも日本の国籍を取って、引退後も協会に残って大相撲の継承・発展に貢献してほしいと願ってきた。

 大相撲の伝統を守るにふさわしい力士といえる、日馬富士が引退に追い込まれ、貴ノ岩は被害者として大きなダメージを受けた。最近の美しくない相撲と不適切な言動によって、大相撲の伝統をおとしめ辱めてきた白鵬に対して、興行上の配慮から協会は及び腰である。ではどうしたらよいのだろうか。

 貴乃花親方は立場上「白鵬を切れ」とは言えない。白鵬が大相撲に対する大変な功労者であることは否定できないからだ。白鵬は相撲協会における自らの立場を強化するために、モンゴル力士を糾合するまでもない。長年第一人者として大相撲を支えてきた白鵬の貢献は大きく、相撲協会に対する影響力が大きいことは、誰でもわかっているだろう。だからこそ、白鵬には大相撲への高い見識を求めたい。そのためには白鵬に対して強い指導力を発揮する者が必要である。それが誰であるか、私の目には明らかである。
2012年1月、土俵祭りに出席した貴乃花親方(手前)と横綱白鵬=両国国技館(今井正人撮影)
 日馬富士は、幕内最軽量でありながら、厳しい鍛錬によって小よく大を制すという、大相撲の醍醐(だいご)味を味わわせてくれた立派な横綱だった。その「全身全霊をかけて」という大相撲への取り組みは、大きな称賛に値する。暴力をふるってしまったので引退は仕方ないとはいえ、大相撲への多大な貢献にかんがみ、いつか復権してほしいと心より願っている。

 戦後の大相撲は、あの大横綱双葉山の時津風理事長の時代、栃錦の春日野親方を若乃花の二子山親方が支え「第二の栃若時代」と言われた春日野理事長の時代、そして若貴フィーバーによって空前の大相撲ブームを巻き起こした出羽海理事長(のち境川理事長)の時代を経ながら、発展してきた。これらの時代を知るものとして、大相撲の現状と今後について強い懸念を持っている。

 北の湖前理事長以降、開かれた日本相撲協会としての体裁を整える中で、協会とともに「国技」が軽くなってきた印象はぬぐえない。これからの大相撲と協会について、また協会と大手メディアや世間一般との関係について、あるべき姿をもう一度考え直す必要がある。そのための契機になるならば、今回の問題によるさまざまな犠牲も意味があったのかもしれない。

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