この問題に衆議院で取り組んだ人物がいた。当時衆院議員だった鈴木宗男氏だ。鈴木氏は平成18年11月11日、衆議院に「琉球王国の地位に関する再質問主意書」を提出している。「政府は、1868年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか。明確な答弁を求める」という鈴木氏の質問に対して、政府は「沖縄については、いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」と回答した。これが当時の日本政府の沖縄の歴史観だ。

 先ほどの外務省のHPには琉球は日本と支那に両属していたと書かれていたが、この答弁書には沖縄県が設置される前の沖縄は「清国に属していたのか、日本に属していたのか、日清両属だったのかもわからない」ということになる。この政府の公式見解によると、村本氏の発言は0点から100点となる。だから点数のつけようもないのだ。

2017年6月、参院決算委員会で質問する
自民党の山田宏参院議員(斎藤良雄撮影)
 このあいまいな日本政府の沖縄史観は、沖縄の日本からの分断強奪を狙って「琉球の帰属は未定で解決しておらず、日本が明治時代に沖縄県を設置して強奪した」と主張を始めた中国を利することになる。危機感を抱いた筆者は数年がかりでこの政府の認識を改めることに尽力した。陳情要請を受けた山田宏参院議員が2回の国会質問を行い、2度目の平成29年6月5日、安倍晋三首相から「沖縄については、寺島(正則)外務卿が沖縄が数百年前からわが国所属の一地方である旨述べていたことが確認されています。いずれにせよ、沖縄は長年にわたりわが国の領土であり、沖縄がわが国領土であることは、国際法上何ら疑いもないところであります」という答弁を引き出した。それまでの鈴木氏の質問主意書に対する政府見解を修正させることができたのである。

 山田氏に要請するとき、筆者は重要な資料を持参した。それは明治12(1879)年の外交文書だ。実は、政府のあいまいな歴史認識を覆す資料が政府内部に存在していたのである。外務省のHPからダウンロードして入手した、カタカナ漢字交じり、もしくは漢語で書かれている文書の概要は次のようになる。

 明治12年4月4日、沖縄県設置後、その事実に気が付いた清国は沖縄の廃藩置県を停止するよう求めた。続いて5月20日には「廃藩置県はいかなる理由によるものか」と抗議を寄せた。それに対し寺島外務卿は「内政の都合により処分した」と答え、8月2日に、琉球は嘉吉元(1441)年より島津氏に属し、日本は数百年琉球の統治権を行使してきたため今回の措置が当然であることを述べた。さらに、慶長16(1611)年に薩摩の定めた琉球統治の法章15条と尚寧王および三司官の誓文を含む「略説」を送致した。

 すると、清国は8月20日、琉球が清国に属することを主張して廃藩置県に対する公式な抗議を行った。10月8日、新外務卿井上馨は宍戸璣(たまき)駐清公使に、抗議に対する回答書を清国に提出するよう訓令した。その回答書の要点は次の通りだ。「清国が琉球の主権主張の根拠とする朝貢冊封(さくほう)は虚文空名に属するものだ」「日本が琉球を領有する根拠は将軍足利義教がこれを島津忠国に与えたときより確定している」。