沖縄「反基地ヒーロー」に担がれたウーマン村本が気の毒である

『仲新城誠』

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仲新城誠(八重山日報編集長)

 沖縄で今、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんがブレイク中だ。米軍基地問題で政府を批判した漫才に共感が広がっているとして、県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」が村本さんを絶賛。「大事なことを伝えてくれた」(沖縄タイムス)などの見出しで村本さんの沖縄公演を大きく報じた。地元の民放テレビ局も村本さんのインタビュー企画を放送。米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を貫く翁長雄志知事らに続く、新たな「反基地ヒーロー」誕生の観さえある。

ウーマンラッシュアワーの村本大輔さん
 一方、村本さんがテレビ番組で「尖閣諸島は取られてもいい」「沖縄は日本が中国から取った」という趣旨の発言をしたことは、沖縄メディアは報じていない。せっかく売り出した反基地ヒーローにケチをつけたくないのだろう。しかし村本さんの発言のうち、基地反対に都合のいい部分だけ切り取って報道するのは、情報操作そのものに思える。

 ただ「ネットで村本さんの発言を知った」という県民は一様に憤っている。私が編集長を務める八重山日報にも「無責任だ」などと村本さんを非難する県民の投稿が相次いだ。沖縄県民は誰もが基地反対というイメージが強いが、それは沖縄メディアが内外に発信している虚構だ。ほとんどの県民は、今回のような問題発言に対しては、日本人として普通に反発する。

 村本さんはくだんの問題発言の理由について「おきなわのあるおばあちゃんが『400年前に戻りたい、中国はよくしてくれた、いまはアメリカと日本が怖い』と言ってたのを聞いていて、中国から取ったと言っちゃった」とツイートした。

 私は、これは真実だと思う。2015年、私が辺野古を取材した時、移設工事を阻止しようと抗議活動する反対派の男性が、唐突に言い放った。

 「沖縄は中国だ。福建省の一部なんだよ」

 沖縄から基地を撤去させる戦略なのか、この人物が文字通り中国の工作員なのかは分からない。沖縄では実際、そんなことを言う基地反対派が跳梁(ちょうりょう)しているのだ。ただし、それが基地反対派の総意であるかは別の話である。

 「沖縄は日本ではない」と言わんばかりの宣伝戦を華々しく展開しているのは、中国ではなくむしろ沖縄メディアのほうだ。
「沖縄人か、日本人か」という問い

 琉球独立論を大々的に扱うことで、本来は妄説であるべきものに市民権を与えている。「沖縄県民は先住民族である」とする反基地団体の主張も好意的に取り上げている。沖縄への基地集中は「本土による構造的差別」と繰り返し、結果として沖縄と本土の対立を促進している。

名護市辺野古地区の米軍キャンプ・シュワブ前でデモをする 米軍普天間飛行場移設反対派=2015年6月、沖縄県名護市


 沖縄メディアの狙いは「基地のない平和な沖縄」を実現することだ。「基地が撤去されないなら沖縄は独立するぞ」という脅しで日米両政府をけん制しているのだが、反基地イデオロギーに民族主義を注入するやり方は、火遊びに似ている。

 ただ県民の心情には、そうした宣伝に影響されてしまう微妙なひだがある。生粋の沖縄人であれば誰でも「私は沖縄人か、日本人か」という問いに、一度は直面するのではないだろうか。

 その理由は、まず歴史だ。沖縄はかつて琉球王国という独立国家であり、日本とは別の道を歩んできた。1609年の薩摩・島津氏による侵攻後、日本の支配下に置かれるようになったという歴史認識が、今でも県民の間では一般的である。

 沖縄人と日本人は民族的に同一であるとか、沖縄の方言は日本本土の古語を含んでいるなどと言われるが、少なくとも沖縄人は、沖縄が日本国の一部ではなかった時代に活躍した聖徳太子や織田信長を「われわれの偉大な先人」とは感じにくい。

 地理的な距離も大きい。沖縄は本土とは海で隔てられており、一体感を持つのはなかなか難しい。「沖縄」と対置される単語として「本土」「内地」という言葉がいまだに使われていること自体、その証左である。本土出身の移住者は「ナイチャー(内地の人)」と呼ばれ、一般的に地元出身者とは区別(差別ではない)される。

 とはいえ、現に沖縄県民は日本人であり、そのことにあえて疑問を抱くいかなる理由もない。「お前は沖縄人か、日本人か」と問われれば、私は「沖縄人であると同時に日本人」と答えるだろう。独自の文化を育んできた沖縄に誇りを抱きつつ、日本人であることに喜びを感じる。「東京都民であると同時に日本人」と言うのとほぼ同じ感覚だ。
村本さんの善意を見た

 ただし歴史的、地理的な理由から、私の思考回路は、その答えにたどり着くまで、本土の人たちより、ほんの少し複雑な経路をたどるだろう。基地反対派のプロパガンダは、その隙間を狙うのである。

中城城(沖縄県中頭郡北中城村)
 前述の問いに対し、素直に「私は日本人だ」と即答できない人は、沖縄が日本から切り離され、米軍の占領下にあった復帰前を知る世代に多い。沖縄戦の惨禍を体験するか、あるいは親から聞き、本土に対し本能的に反発を覚えてしまう世代でもある。

 ただ、復帰後の世代は劇的に意識が変わった。生まれながらの日本人であり、充実したインフラと経済的な豊かさを享受し、何より沖縄が「南国のリゾート地」として、全国から憧れの目で見られる時代を生きている。東京と沖縄は飛行機でわずか3時間になり、地理的な距離も縮まった。現在の10代や20代は、前述の問いに対し、40代の私が抱く一瞬の躊躇(ちゅうちょ)さえ、もはや感じることはないかも知れない。だから近い将来、沖縄で独立論が現実的な影響力を持つことは決してないと断言できる。

 それより今は、純粋な気持ちで沖縄に同情する本土の人たちのほうが、基地反対派の宣伝を真に受けてしまう危険性が高い。まさに村本さんのような人たちだ。「かわいそうな沖縄を日本の圧政から救ってあげよう」という善意の一心から、大勢が海を渡り、辺野古などの工事現場で抗議活動に身を投じているのである。

 私は、沖縄と真摯に向き合おうとする村本さんの善意をいささかも疑っていない。なぜなら村本さんと直接会ったことがあるからだ。

 あるインターネット番組に出演した際、私は沖縄メディアを批判し、八重山日報が沖縄本島に進出する意義を主張した。その場にいた人たちの中で、最も熱心に耳を傾けてくれたのが村本さんであり、番組の収録が終わったあとも、わざわざ私と話をしに来た。彼の沖縄への関心は決してお座なりとは思えず、くだんの問題発言も、そんな彼だからこそ飛び出したのだろう。

 ただ村本さんに限らず、基地反対派に肩入れする本土の人たちを見るたび「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざを思い出さずにはいられない。沖縄の分離主義を内包するような反基地イデオロギーが沖縄の未来を開くとは、到底思えないからだ。

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