琉球独立論を大々的に扱うことで、本来は妄説であるべきものに市民権を与えている。「沖縄県民は先住民族である」とする反基地団体の主張も好意的に取り上げている。沖縄への基地集中は「本土による構造的差別」と繰り返し、結果として沖縄と本土の対立を促進している。

名護市辺野古地区の米軍キャンプ・シュワブ前でデモをする 米軍普天間飛行場移設反対派=2015年6月、沖縄県名護市
名護市辺野古地区の米軍キャンプ・シュワブ前でデモをする 米軍普天間飛行場移設反対派=2015年6月、沖縄県名護市


 沖縄メディアの狙いは「基地のない平和な沖縄」を実現することだ。「基地が撤去されないなら沖縄は独立するぞ」という脅しで日米両政府をけん制しているのだが、反基地イデオロギーに民族主義を注入するやり方は、火遊びに似ている。

 ただ県民の心情には、そうした宣伝に影響されてしまう微妙なひだがある。生粋の沖縄人であれば誰でも「私は沖縄人か、日本人か」という問いに、一度は直面するのではないだろうか。

 その理由は、まず歴史だ。沖縄はかつて琉球王国という独立国家であり、日本とは別の道を歩んできた。1609年の薩摩・島津氏による侵攻後、日本の支配下に置かれるようになったという歴史認識が、今でも県民の間では一般的である。

 沖縄人と日本人は民族的に同一であるとか、沖縄の方言は日本本土の古語を含んでいるなどと言われるが、少なくとも沖縄人は、沖縄が日本国の一部ではなかった時代に活躍した聖徳太子や織田信長を「われわれの偉大な先人」とは感じにくい。

 地理的な距離も大きい。沖縄は本土とは海で隔てられており、一体感を持つのはなかなか難しい。「沖縄」と対置される単語として「本土」「内地」という言葉がいまだに使われていること自体、その証左である。本土出身の移住者は「ナイチャー(内地の人)」と呼ばれ、一般的に地元出身者とは区別(差別ではない)される。

 とはいえ、現に沖縄県民は日本人であり、そのことにあえて疑問を抱くいかなる理由もない。「お前は沖縄人か、日本人か」と問われれば、私は「沖縄人であると同時に日本人」と答えるだろう。独自の文化を育んできた沖縄に誇りを抱きつつ、日本人であることに喜びを感じる。「東京都民であると同時に日本人」と言うのとほぼ同じ感覚だ。