だが、女子アイスホッケーをはじめ、統一コリアに対して「スポーツの政治利用」「文政権の行き過ぎた北朝鮮融和策」などと批判的な意見が韓国国内でも多く聞かれる。確かに、五輪では過去にも「スポーツの政治利用」に対する批判の声が挙がったことはある。その代表的な大会が1936年のベルリン五輪だ。ナチス指導者、アドルフ・ヒトラーが国威発揚の機会として利用し、「ナチズムにオリンピックが利用された」と言われる。しかし、ヒトラーが国を挙げて作り上げたベルリン五輪の遺産が今も受け継がれていることも事実である。聖火リレー、開会式の入場行進、放鳩、これらはすべて「平和のシンボル」として継承されている。

 それだけに、今回の統一コリア実現を「スポーツの政治利用」という一方的な視座で捉えるべきではない。五輪の原点とは「スポーツによる世界平和構築」である。1894年6月23日にIOCが創設されたのは、帝国主義が蔓延する欧州で世界戦争の危機を感じたからだ。古代オリンピックを復活させ、世界の若人が同じルールの下に競技することで、互いの尊敬と友情を育むことを知る機会を創出したかったのである。

 また、五輪はたとえ国家間の紛争状態があっても、この祭典の期間は中断して参加しなければならないという「休戦」の思想がある。これは古代オリンピックから受け継ぐ尊い精神だ。実際、1992年のボスニア紛争で、当時のサマランチ会長は世界で初めて「五輪休戦」を訴えた。それ以降、開催のたびに国連総会でこの思想への支援決議が採択されている。

 金正恩政権は長距離弾道ミサイル「火星15」発射実験を強行するなど、今も「先軍政治」を優先し、核ミサイル開発に注力する姿勢を崩していない。一方、米国も北朝鮮に対する圧力を強め、朝鮮半島の緊張は続いている。その風穴をスポーツが開けたとみることはできないだろうか。現状では、少なくとも五輪期間の「休戦状態」は確保できそうである。軍事でも外交でも解決が難しい状況の中で、五輪は政治を利用して、平和を生み出そうと努力している。
韓国と北朝鮮のアイスホッケー合同チームが着るコートに付けられたワッペン(左)。朝鮮半島の右側に竹島(右端)が刺しゅうされている=2018年2月5日(聯合=共同)
韓国と北朝鮮のアイスホッケー合同チームが着るコートに付けられたワッペン(左)。朝鮮半島の右側に竹島(右端)が刺しゅうされている=2018年2月5日(聯合=共同)
 統一コリアは、多くの識者が指摘するような、韓国と北朝鮮両政府が五輪を利用するために実現したのではないと信じたい。むしろ、IOCがスポーツを利用して、朝鮮半島の融和の実現に動いて結実したとみるべきである。互いに息切れしつつある文大統領と金正恩政権に「スポーツ王国の元首」が救いの手を差し伸べたというのは、言い過ぎだろうか。

 平昌五輪は本当の意味で成功するのか。閉会式の最後、IOC会長は必ず「この大会は史上最高の大会であった」と高らかに宣言する。恐らく平昌五輪もそう祝うのだろう。しかし、混迷を深める現代世界では、五輪が逆に政治を利用して、平和や対話、そして和解を図る道具にしていかなければならない。統一コリアがその証になったとき、平昌五輪は歴史的成功を収めたと胸を張れるだろう。