人為的な相場であるとは、かねがね指摘されているのが暗号通貨界隈の泣き所です。胴元がいるからこの暗号通貨取引は相場操縦されており、価格はただのフェイクなのだと指弾されることが多いのです。

 また、NEMに限らず多くの暗号通貨がこれらの人民元と見られる取引に伴う世界的な資金の流れに関係していること、さらにはもともとのブロックチェーンの開発者とされているサトシ・ナカモト氏が発表した「Satoshi Paper」とは無関係なところでビットフィネックからCC社まで暗号通貨の取引所が位置付けられているのも、すべては当初の「フィンテックは貨幣を国家や社会から自由にする民主的な存在」なのだという理想世界とは、ずいぶん実態は違うことの根拠となり得ます。

 言われているほど暗号通貨の取引はフェアではなく、民主的でもないというのは、裏を返せば「では何のために仮想通貨をこれだけもてはやし、市場全体で20兆円以上も暗号通貨市場を構築してきたのか」という素直な疑問に立ち返ることになります。
「コインチェック」の本社が入る建物の前に集まった報道陣=2018年1月、東京都渋谷区(飯田英男撮影)
「コインチェック」の本社が入る建物の前に集まった報道陣=2018年1月、東京都渋谷区(飯田英男撮影)
 そして、ほとんどの暗号通貨は実質的に中国本土から流出する中国元の大きな流れを漂う小さな子船のようなものです。今回流出したNEMも、それ以外の暗号通貨もおよそ中国から世界へと流れ出る貨幣の奔流とともに浮き上がった存在でしかありません。

 もちろん、技術的な裏付けで見るならば、非常に優秀な技術者がNEM.io財団を作り、流出したNEMを追跡できる仕組みを用意し、少なくともどのような取引でどう盗まれたNEMが広がっていったのか追いかけることはできます。しかしながら、今回は盗難であり流出であったから資産の流出を追いかけることは誰も反対しませんが、それ以外の取引も含めて、誰もが見られる状況にある仮想通貨上の価値が、最後まで追いかけられるというのは果たして妥当なことなのでしょうか。

 NEM.io財団がいかに優れた技術者による善意の集まりであったとしても、選挙で代議士を送り込めるわけでもなく、名目上はどこの統治機能にも属していません。言うなれば、人々の代表でもない人たちが、技術的に可能だからといって誰かの資産を追跡できる仕組みが用意されている、というのが仮想通貨の難しいところです。