山本みずき(iRONNA特別編集長・慶應義塾大学法学部2年)

 (私は今月十一日に二十歳を迎え成人となった。この節目に、過去の私を振り返り、現在の興味を掘り下げ、将来志すものを綴ろうと思う)

「死」を意識できない


 チャーチルは少年の頃、友人との議論で人間はすべて虫けらだという結論に達したことがある。だが、そこはさすがチャーチルで、彼はこう返した。
チャーチル元英首相
(ゲッティ=共同)
 
 「僕たちは、みんな虫だ。しかし、僕だけは…蛍だと思うんだ。」

 チャーチルは死ぬまで自分が特別な人間であると信じて疑わなかった。こう評するのは第37代アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンだが、私は誰しもその類の自負を持って生きていると思っていた。私にとって「自分が特別」なのはチャーチルと同じく自明であって、説明を要しないことだったからである。

 多くの人は、青年期に死の意識が芽生え、「死」の不安に迫られる体験を経験する。ところが、私は未だに「死」の不安に迫られたこともなければ、死を意識したこともない。遠い記憶を漁ると、私の人生の中で最も古い記憶は、六歳のある日、真夜中に乗船していた船から海へ転落したことだ。その記憶は曖昧模糊としているが、私を救おうと大騒ぎする大人たちの声、船の軋み、海水の跳ねる音、それらを遠くに感じながら(きっと鯨が私を飲み込んで、そこで私はピノキオに出逢うのね)、そう考えながら、漠然と夜空を見上げていたのを覚えている。かつて私の親しくした友人には事件に巻き込まれて殺害された人がいる、精神的に追い詰められ自殺した人もいる。しかし彼らの亡骸を目にする瞬間でさえ、私はシュリンクが描くような(新たな人生)を想うだけだった。何故なら、かの人たちがどのように殺され、どのように自らの命を絶ったか、私は知らないのだから。早朝、まどろみの中の夢で彼らの最期を体験し、それが昼間にありありと思い浮かべることができるほど鮮明な記憶として思い起こされても、そこに恐怖はなかった。

 何故か私には、死への恐怖はなく、青年期に特有の焦り、何か切羽詰まった「何者かにならなければ」という強迫観念とも無縁だ。その上で、現在の私を形成したと思われる出来事をいくつか回想しようと思う。


テロ事件と国際社会との邂逅

 小学5年の頃、家族で訪れたバリ島から帰国しテレビをつけると、過ぎ去ったある日、現地で昼食をとったすぐ側の飲食店がテロリストによって爆破されていた。東南アジアのイスラム主義組織ジェマ・イスラミアによる、2005年のバリ島爆弾テロ事件である。昨夏、8年ぶりに慰霊のため爆心地を訪れると、あれは白人を狙った攻撃だったと現地人から聞いた。ヒンズー教徒への恨みだとも。諸説紛々のこの事件では多くの民間人が犠牲となり、同時に私のなかで衝撃的な体験として刻み込まれ、テロを含む国際問題に興味を抱く遠因となった。以来、国際社会での見聞を広めるため、海外渡航を繰り返し、現地の政府関係者と懇談する機会にも多く恵まれた。

 とりわけ志を明確にさせる契機となったのは、高校2年の夏、国連欧州本部で開催された軍縮会議を傍聴したことだ。会議では核保有国であるパキスタン政府が核兵器禁止条約に言及し、核軍縮の議論を進めたい被爆国日本がすかさず反論するという緊張感あるやり取りが展開され、また「北朝鮮、イランにおける核開発をいかにして喰い止めるか」とのテーマでありながら、議長を務めたのは北朝鮮大使であったため、多くの国が会議をボイコットした。これらの一幕だけでも、各国の利害が複雑に絡み合う国際社会の実情を目の当たりにした貴重な経験として、私の記憶の中では印象深いものになっている。それはまるで冷たく、静かな薄氷のすぐ下で、国家の代表同士の一歩も引かぬ熾烈なやりとりが繰り広げられているような不思議な感覚だった。私から見ると、代表者の誰もが、その身に背負った責任と、義務と、いまここでそれを果たさねばならぬという強固な意思とを、おくびにも表に出さず、しかし各代表者のそれが議場の空気中で互いにぶつかり合い、はぜているような、尋常ならざる緊張を感じた。

201111
「バリ島爆弾テロ」 テロがあったレストランで遺留品を捜索する捜査員ら
=2005年11月、インドネシア・バリ島のジンバラン
 会議後の夜は、パキスタン大使を相手取り敢然たる態度で主張を続けた須田明夫国連軍縮大使より大使館公邸にお招きを賜った。外交官の錚々たる顔ぶれが集う席に一席しつらえて頂いた興奮はしばらく冷めることがなかった。この世界に憧憬の念を抱いたのも当然で、将来はこの複雑な国際政治を安定へと導くことに貢献したいと考えるようになった。

東アジアのなかの国、日本

 数ある外交問題のなかでも、私は「中国の台頭」による問題に危機感を抱いている。中国の台頭によって、勢力均衡のバランスのみならず国際社会全体の秩序が混乱する懸念が高まっている。歴史を振り返ると、既存の大国と台頭途上にある新興国との利害が衝突し、紛争に至る危険性は高い。例えば、20世紀前半におけるドイツと日本の台頭が秩序を混乱させ、結局は戦争に至った先例がある。

 防衛省の『東アジア戦略概観2014』は、第二期オバマ政権は「アジア太平洋へのリバランス」を推進する一方で財政問題という難題に直面していると指摘している。東アジアへの関与強化を前提とする施策を打ち立てるも、現実として国防省予算の「強制削減」もみられた。また政権2期目におけるオバマ大統領の最初の訪問地は中東であったし、2013年2月に就任したジョン・ケリー国務長官は、半年間で九回も欧州と中東を訪れたほか、ヘーゲル国防長官の最初の外遊先も中東であったことから、同政権の力点はアジア太平洋よりむしろ中東にあるとの声もあがっている。国際情勢が移りつつあるなかで、アジア太平洋における「協調の体系」「均衡の体系」をいかに形成していくか、これは大きな課題である。

 加えて、日本は依然として安保条約により「米国が守ってくれる」という想定の上に立っているが、私は、先述の財政問題の観点から「米国なき後の東アジア」という状況を想定して東アジア圏の外交体制の再構築を提案したい。確かに、米国の抑止力が突然に消失するとは考えにくい。しかし、震災や原発事故で問題になった「想定外」という言葉が、外交・安全保障でも繰り返される可能性はある。最悪のシナリオを想定しながら、日本は中国の台頭に向き合っていくことが重要だと考える。現在・過去の情報を元に、あらゆる危険を最大限に想定し、その対処法について多角的に言及する能力こそが外交に必要な能力ではないだろうか。

言葉の世界に生きる

 アカデミズムの世界に生きる政治学者は、往々にして知性を重視し過ぎる。しかし私は、21世紀に必要な人材とは、その時代に即した指導力を持つ人間であり、それは歴史上の偉人達の生き様から学ぶことが出来ると考えている。だからこそ、多岐に渡る人物伝を読むことで学びは多い。

 誤解を恐れずに引用するが、かのアドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』において、「人を説得しうるのは、書かれたことばによるものよりも、話されたことばによるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家ではなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている」と説いている。

 私は自分の初演説を、国連でおこなった。国連軍縮局長サレバ氏を前に世界的な軍縮を訴え、その後も、高校時代は生徒会長として3000人近い生徒を前に話す機会があった。私は、大勢を前にして自分の世界に浸り、言葉を操るのが好きだ。ときにはマザー・テレサの言葉を、またある時にはマルコムXの言葉を引用した。ある日、私の話を聞いた方は感動したと言って、講演会を開いてくれた。それがきっかけで、今では年間20本の講演をこなすようになった。しかし口舌の徒ではあったが文筆の世界から離れたくなかった私は、懸賞論文、エッセイ等々に取り組み、やがて『十八歳の宣戦布告』という文章を世に出した。敗戦国日本の若者が国家観を問うという内容が良くも悪くも話題を呼び、その年は討論番組からの声掛けもあった。結局、「よく隠れしものは、よく生きしもの」というデカルトの言葉を信じるため、その年は表舞台に立つことをなるべく避けて過ごしたが、今年からは、出版5社と提携したオピニオンサイト「iRONNA」の特別編集長として言論界の末席に加えていただいた。ものを書いて世に問うことは、私の人生の軸に据え続けたい。


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