平田 茉莉華(関西学院大学 人間福祉学部社会起業学科2年)







 20歳になると勝手に今までの自分とは何かが変わるような、そんな気がしていた。

 「ハタチ」は節目。大人に仲間入りするということ。選挙権を手にし、お酒が飲めるということ。大人になるとは、果たしてそんな認可的なことだけなのだろうか。

 多くの人が成人することをあまりに特別に扱い喜んで祝ってくれるので、私は自分が成人した実感のなさと周りの反応に少々気おくれを感じていた。それは小学生のころ、高校生がとても大人びて見えた時の感覚に似ていて、実際に成人してみると今までと何かが特別に変わったと感じることはない。

 成人式の市長の言葉でも、母校の教師がくれた言葉にも「自由と責任」というメッセージがあった。

 法律的に一人前と認められるので10代のときに一人ではできなかったたくさんのことができるようになる反面、もう、誰も自分の代わりに責任を取ってはくれない。

 自由を謳歌しすぎて責任がとれないようではいけないし、責任という重みにおびえて自由を享受できないのもつまらない。成人に足を踏み入れたからには、この「自由と責任」を上手に使いこなしていかなくてはいけないのだと思う。

 成人してしばらくすると多くの人が社会に出て仕事をすることになる。

 つまり、成人した多くの私たちの世代はこれから、働く、ということを意識し始めるのである。例えばの話、人生が80年までだとして20数年で働き始めるとしたら、私たちが生涯でもっとも多くの時間を費やすのはやはり、仕事である。

人生の大部分を占めるであろう「はたらく」ということに対して、将来何がしたいのか、どこでどんな風に働きたいのかということよりもまずは、これから自分がどんな人間になりたくて、どう生きていきたいのかを決める必要があり、成人したばかりのこの時期はその考えを固めていくふみだしの時間なのだと感じている。

 偉そうなことを言っていても成人したからといって一人で生きていけるわけではない。大学に通うのも、暮らすことさえ、私はまだ親の保護の下で助けてもらっている。

 しかし大学生になって一人暮らしを始めて気が付いたことがある。

 それは自分と関わる全てのことが社会だけじゃなくあらゆることに影響を及ぼすということだ。

 抽象的な話になったが例えば食生活でいうと、一人暮らしで外食をすることが多い。そうすると肌が荒れたりしょっちゅう病気になったりする。自分が食べたもので自分の体に影響がでる。これは目に見える異変であり、自分が不利益を被るので改善しようと努力する。そこで私は思ったのである、このサイクルはどこにでも通じているのではないかということに。

 洗剤だって毎日多くの人が合成界面活性剤を使用すればその分環境は汚染される。

 しかし環境はすぐに変化が起きないので今を生きる人々にとってはあまり意識しなくとも生活に困ることはない、が後々になって取り返しのつかないことになる次の世代になって、悪影響がでるかもしれないからだ。
 母校の教師がくれた祝辞にこんな言葉があった。

 「君たちが今、こんなに便利で自由に何不自由なく暮らせているのは昔の人たちががんばってくれたおかげです。逆に君たちがこの世界に生きて消費しているものは全て借り物であるということを忘れないで下さい。昔の人が君たちに多くのものを残してくれたように君たちも次世代を生きる人たちにツケを残さないような生き方をしてください。」

 私はもう一度自分の今の生き方を見直す必要があることや、自分以外の存在のことを思う大切さを感じずにはいられない。

 今のわたしは次世代にツケを残さないような生き方ができているのだろうか。

 この世界に生きている多くの人は自分の食べているものがどこで作られていて、原材料に何が入っていて、その食べている牛や豚がどんな環境で飼育されているか、野菜がどんな風に作られているのか、毎日する洗濯に使う洗剤がどれだけ海を汚すのか、今着ている服がどの国で誰が作っているのか、自分の消費のあり方一つでどこでどんな影響がでるのかを知らない。知ろうともしていない。

 そんなことを気にしていられないくらい世の中が忙しくなっているからだ。

 社会人1年目でがむしゃらに働かされ帰ってくるのは深夜でろくなものも食べることができない、身も心も消耗しきって3年も会社を続けられない若い人がたくさんいる話や輸入の方が安いからと国外の作物を買う人が多くて自給率が低い現状、服も食べ物もすべて大量生産大量消費の時代になってきている。

 世の中が便利になればなるほど、コストの削減や時間短縮、さらなる手軽さを求めて消費者の要求はエスカレートしていく。それに応えなければ生き抜くことができない企業は必死になって次の戦略を打ち出し働く人を人と扱わなくなっていく。全て、持続可能じゃないシステム。この悪循環にそろそろ誰かが気付かなければ、誰かが歯止めを利かさなければきっといつかは崩壊してしまう。そのときになって初めて途方に暮れるのは、私たちではなく、次の世代を担う人たちかもしれない。

 日本は豊かだと言われている。果たしてその豊かさは本当の意味での豊かなのか。

 そのことに気が付いて疑問を持ち、自分の行動を改めることは出来る。

 私にとって大人になるということは数ある選択肢の中から、自分だけじゃなくて、環境や次世代のことを考える余裕を持ち、自分が食べているもの、着ているもの、使っているもの、自分が生きるために使うあらゆるものの背景がきちんとしたものを選ぶこと。知ろうとすることだと感じる。

 自分がどんな消費者なのか、未来のために今自分ができることは何なのか、先を見通しアクションを起こせる人こそ、責任ある大人といえるのだろう。


 そしてもう一つ、大人になるということ対して強く思うのは、自分の言葉で話す大人になりたいということである。

 知識や情報は今の時代インターネットさえ繋がればいつでもどこでも手に入れることができるし、本を読めば大抵のことは知った気になれる。でもそれは、誰かが言っている借り物の言葉であって、その人の言葉ではない。

 私がおもしろいな、素敵だな、と思う大人はみなたくさんの引き出しを持っていて一つ話せばいろんな視点からそれについて話したり、また違う方向に話が飛躍したりするので話題がつきることがない。

 その引き出しは、その人が自分で経験したり、体験したものだからこそ、人に話した時本当の言葉として新鮮味を帯びて私たちに届くのだ。

 だから私もそんな大人になれるように、今のうちに自分から進んでいろんなことに挑戦したい。控えめにならずにたくさんのことを経験したい。そうやって借り物でない、自分だけの、自分が持っている言葉をたくさん見つけて生きていきたいと思う。

 大人になるのがどういうことなのか明確なことはいまいちわからないし、何が大人で何が大人じゃないのかなんてそもそも説明がつかないけれど、こうやって手さぐりで行動してみたり、一つのことを深く考えてみたり、常識を疑うことを覚えたりしながら、少しずつみんな「おとな」になってゆくのだと、なんとなく、そう解釈している。
どんな大人になりたいかを頭の中で想像してみて、もう20年も生きてきたけれど自分には可能性がまだまだ広がっているんだなとこれからの未来に不安よりも期待が大きいことに気付いて少し嬉しくなったりしている。