[チャイナ・ウォッチャーの視点]

岡本隆司

 2014年の2月、ウクライナのヤヌコーヴィッチ政権が倒れて以降、西方の国際政治はロシアの動向を基軸として、大きな転換のさなかにある。

 東隣のロシアは、ウクライナ国内の親ロシア勢力を支援して、クリミアを編入したうえ、東部の諸州でも内乱状態を助長してきた。なお戦闘はやまず、予断はゆるさない。

 もちろんロシアとウクライナの二国間だけですむ問題ではない。欧米がこうしたロシアの姿勢に反撥、その行動を強く非難したからである。アメリカと同盟関係にある日本も、利害は必ずしも欧米諸国と一致しないながらも、それに同調せざるをえなかった。

 しかしロシアは決して孤立していない。その動きに明確な支持を打ち出した国があるからである。その代表が中国であること、もはやいうまでもあるまい。

中露は「呉越同舟」なのか


 去る5月21日閉幕した、中国上海でのアジア信頼醸成措置会議、いわゆるCICAの首脳会議を主宰した習近平国家主席の言動は、その意味でもすこぶる注目に値しよう。この会議で習主席は、「アジアの安全はアジアの人民が守らなければならない」と述べ、日米など西側先進国抜きのアジア安全保障の枠組を打ち出して、多くの耳目をそばだたせた。中国による東アジア制覇の宣言ととらえる向きもある。

CICA首脳会議を前に、握手するロシアのプーチン大統領(左)と中国の習近平国家主席
 それはもとより、孤独な虚勢ではない。ロシアやイランなど、欧米から制裁を受けて反撥を強める国々の同調を得たうえでの宣言である。中国が同じくアメリカと対立するロシアと提携した局面は、日本にとっても外交・安全保障の重大な転換をもたらしかねない。

 そんな局面にあたり、中露は共通の敵があることで当面、良好な関係を保っているものの、早晩いずれは対立、決裂に転じるだろうとの観測が少なくない。新聞報道でも「そう簡単には一枚岩になれない」、ロシアが「中国に従うほど甘くはない」という(5月22日付産経新聞)。

 文字どおりには、確かにそのとおりかもしれない。こうした「呉越同舟」論は、中国・ロシアの専門家にも根強く、わが中国史でいえば、ロシアをたとえば匈奴など、いにしえの北方遊牧国家になぞらえ、本質的にあいいれない南北対立を連想しがちである。

 しかしそれは容易に信じられない。隣国どうしである以上、対立する案件・条件に事欠かないのはあたりまえ、それでも決定的な決裂にいたらない要素を、両国は共有しているように思われる。

中ソ論争は「異例」の事態


 中露の対立といってすぐ思い浮かべるのは、かつて1960年代の中ソ論争であり、それ以前の蜜月を考え合わせると、現状・将来とオーバーラップしたくなるのもわからなくはない。中ソ論争をリアルタイムで実見した人もいるだけに、いっそう説得力がありそうである。

 しかしよく考えてみれば、中露が親密と相剋の度をエスカレートさせたのは、たかだかその前後あわせて30年ほど、いかに多く数えても半世紀を超えるかどうかにすぎない。中露の関係は、アメリカ合衆国よりも長い300年以上の歴史があるのであって、そのタイムスパンを考え合わせれば、そうした時期などごく短いともいえる。

 中ソ論争を撞き動かしていたのは、マルクス・レーニン・毛沢東イデオロギーである。その背後に、もちろん国境問題など実利がからんでいたことはいうまでもない。けれどもそうした係争は、イデオロギーのいかんにかかわらず、以前から潜在していたものであって、むしろイデオロギーという触媒で顕在化、極端化しただけ、その時期特有、異例の事象だった、と考えるほうが肯綮(こうけい)に当たっていよう。

 かつて激しい論争になりながら、戦争や冷戦のような事態にまで至らなかったし、今やそうした対立を劇化させる触媒は、ほぼ存在しない。中露が相剋、決裂する要素は、いよいよ希薄になっている。

 歴史をみる者にとっては、むしろそう解釈したほうが真相をついているように思うし、だとすれば、その由って来たるところも考えたくなってくる。

「同じDNA」をひきつぐ中露


 中露関係の歴史は17世紀、ロシアがシベリアを東進し、やはり東アジアに勢力を拡張していた清朝と接触したときにはじまる。その結果、両者が結んだ1689年のネルチンスク条約は、高校の世界史の授業でも習う重要事件で、名前くらいご存じだろう。

 この条約がおもしろい。条約とよばれる取り決めなのだから、互いに対等の立場でとりむすんだものである。しかし東西はるかに隔たった当時のロシアと清朝が、まさか全く同一のルール・規範・認識を共有していたわけはない。にもかかわらず、両者は対等で、以後も平和友好を保ちえた。

 たとえばわかりやすい点として、条約上でも使われた自称・他称がある。ロシアの君主はローマ帝国をついだ「皇帝(ツァー・インペラトル)」であるけれども、そんなことが清朝側にわかるはずはなく、清朝はロシア皇帝を「チャガン・ハン」と称した。ロシアも中華王朝の正称「皇帝」というのは理解できず、清朝皇帝を「ボグド・ハン」と称した。「ハン」というから、ともにモンゴル遊牧国家の君主であって、「チャガン」は白い、「ボグド」は聖なる、という意味である。つまり客観的に見ると、両者はモンゴル的要素を共有し、そこを共通の規範とし、関係を保っていたことになる。

 それは単なる偶然ではない。ロシア帝国も清朝も、もともとモンゴル帝国を基盤にできあがった国である。もちろん重心は、一方は東欧正教世界、他方は中華漢語世界にあったものの、ベースにはモンゴルが厳然と存在した。両者はそうした点で、共通した複合構造を有しており、この構造によって、東西多様な民族を包含する広大な帝国を維持したのである。

 だから両者がとり結んだ条約や関係は、いまの西欧、ウェストファリア・システムを起源とする国際関係・国際法秩序と必ずしも同じではない。露清はその後になって、もちろん国際法秩序をそれぞれに受け入れ、欧米列強と交渉、国交をもった。しかし依然、独自の規範と論理で行動しつづけ、あえて列強との衝突も辞していない。これも近現代の歴史が、つぶさに教えるところである。

 いまのロシア・中国は、このロシア帝国・清朝を相続し、その複合的な構造にもとづいてできた国家にほかならない。いわば同じDNAをひきついでいる。両国が共通して国際関係になじめないのは、どうやら歴史的に有してきた体質によるものらしい。中露が19世紀以来、対立しながらも衝突にいたらず、西欧ではついに受け入れられなかったマルクス・レーニン主義の国家体制を採用しえたのも、根本的には同じ理由によるのかもしれない。中ソ論争はその意味では、近親憎悪というべきだろうか。

クリミアも尖閣も、西欧への挑戦


 西欧世界には、モンゴル征服の手は及ばなかった。その主権国家体制・国際法秩序、もっといえば「法の支配」は、モンゴル帝国的な秩序とは無関係に成立したものである。だからロシアも中国も、歴史的に異質な世界なのであって、現行の国際法秩序を頭で理解はできても、行動がついてこない。制度はそなわっても、往々にして逸脱する。

 しかも中露の側からすれば、国際法秩序にしたがっても、碌なことがあったためしがなかった。中国は「帝国主義」に苦しみ、「中華民族」統合の「夢」はなお果たせていない。ソ連は解体して、ロシアは縮小の極にある。くりかえし裏切られてきた、というのが正直な感慨なのであろう。中露の昨今の行動は、そうした現行の世界秩序に対するささやかな自己主張なのかもしれない。現代の紛争もそんなところに原因があるのだろうか。

 そこで省みるべきは、わが日本の存在であり、立場である。日本はもとより欧米と同じ世界には属さない。しかしモンゴル征服が及ばなかった点で共通する。以後も国家の規模や作り方でいえば、日本は中露よりもむしろ欧米に近い。国際法・法の支配が明治以来の日本の国是(そうでない時期もあったものの)であり、安倍首相がそのフレーズを連呼するのも、目先の戦術にとどまらない歴史的背景がある。

 クリミアはかつてロシア帝国の南下に不可欠の橋頭堡(きょうとうほ)であり、西欧からすればそれを阻む要衝であった。尖閣は「琉球処分」にさかのぼる日中の懸案であり、中華世界と国際法秩序の切り結ぶ最前線である。互いに無関係なはずの東西眼前の紛争は、ともに共通の国家構造と規範をもつ中露の、西欧国際法秩序に対する歴史的な挑戦ということで、暗合するともいえよう。

 たしかにいまの中露は、欧米に対抗するための「同床異夢」の関係にあるといってよい。考えていることもちがうし、「一枚岩」になれないことはまちがいないだろう。それでも「呉越同舟」はやはりいいすぎであって、両者が呉と越のような不倶戴天の敵にはなりそうもないし、両者と欧米との対立は目先の、短期的なものでもない。あえて「呉越同舟」でたとえるなら、ロシアを含むG8や日中友好がむしろ適合している。

 とりわけいまの中露関係は、「舟」「床」でたとえる「同」じ枠組・利害のほうが勝っている。いかに対立しようとも、たとえば相互理解の乏しい日中対立・中米関係のようなことにはなるまい。

 目前の情況は容易ではないけれども、まずは長いタイムスパンでロシアと中国の正体をみきわめることが重要である。歴史的な国家構造に由来する規範意識や行動原理に着眼することも、国際情勢の現状分析に無用ではあるまい。