櫻井よしこ(ジャーナリスト)

 ISIL(イスラム国)が日本人を相ついで殺害し、「(日本の)国民がどこにいようとも虐殺をもたらす」と脅迫した。

 この許し難い犯罪は、安倍晋三首相の中東演説や人道目的の支援がISILに正しく理解されなかったせいだなどという批判があるが、的外れであろう。ここに正すべきゆがみがあるとしたら、それはむしろ日本の安全保障体制と安保に関する考え方である。いま私たちに突き付けられているのはこのままの日本で、本当に日本国民を守り通せるのかという問いである。

1月11日、パリの通りを行進する大規模デモの参加者(ゲッティ=共同)
 国際法も人道も人権も認めないイスラム過激派勢力はパリのテロ事件で判明したように、カラシニコフ自動小銃や携帯型対戦車ロケット砲まで所有し、無防備の人を襲う。あるいは拘束して処刑する。海外で活躍する150万の邦人の安全や救出が喫緊の課題であるにもかかわらず、情報収集も邦人救出も日本国政府は事実上、他国に全面的に頼らざるを得ないのが現実だ。

 ペルーの日本大使公邸占拠事件ではフジモリ大統領に解決を一任した。イラクのクウェート侵略では解放された日本人の帰国に自衛隊機を飛ばすこともできなかった。アルジェリアのプラント建設現場襲撃事件ではなすすべもなく、2桁の日本人の命が奪われた。

 安倍政権下でも日本国がほぼ無力であり続けていることに変わりはなく、その原因が日本国の体制にあることを、責任ある国民なら認めなければならないはずだ。

 私たちが社会の基本とみなすあらゆる価値観を認めず、暴力で秩序を破壊する勢力との話し合いは屈服を意味する。屈服の道はないのであり、彼らには力をもって立ち向かうしかない。その基本認識を確認しなければ、どんな対策も弥縫(びほう)策に終わりかねない。

 情報機関と救出作戦を担う実力部隊設置の必要性はすでに多くの専門家が指摘済みだ。日本人受難はISILによる事件だけではない。北朝鮮有事の際の拉致被害者救出も懸案であり、警察および自衛隊の特殊チームを海外に送り出す法整備を急ぐことだ。

 危機が日本を襲い、国際社会が急激な変化を見せる中で戦後70年の談話は激変する国際情勢を踏まえた内容となるのが望ましい。アメリカが国際社会への関与の度合いを低下させるのとは対照的に中国が異形の大国として膨張を続け、ISILのように国際法の枠外で蛮行に走る勢力も台頭した。日本もおよそ全ての国々も、自国と国民を守る戦いにいや応なくひきずり込まれている中で重要なのは、戦後の日本を染め上げてきたパシフィズムと他人頼みの精神からの決別である。

 自らの力で自らを守り平和をつくり出す能動的な国家へと、国のありようを切り替えることの重要性に、いま、私たちは気づくべきだ。

 中国や韓国は日本の謝罪を引き出すことをもくろむが、日本人は大東亜戦争について反省の年月を重ね、首相以下政府首脳は中国や韓国、アジア諸国に50回以上、謝罪した。

 この70年間、近隣の大国は必ずしも自国民を幸せにはせず、周辺諸国とは軋轢を続けてきた。対照的に日本は一度も他国を侵略せず、国際社会にもでき得る限り貢献し、国際法、人権、民主主義を守ってきた。日本国民もおおむね穏やかで安定した日々を過ごしてきた。ISILの蛮行に苦しむ人々への人道支援もさらに強化する。この間の実績を日本国民は大いに誇りにしてよいのである。

聖徳太子及び二王子像(法隆寺蔵)
 そもそも日本は十幾世紀もの長い時間をかけて穏やかな文明を育んだ国だ。7世紀初頭の聖徳太子の十七条の憲法は国政の基本として「和」を掲げた。身分、貧富、部族の違いにとどまらず、宗教の違いさえも乗り越えて、和に基づく国造りを実践した。異教を受け入れた日本人の宗教的寛容の精神は、ISILへの激しい反発からEU各国で台頭中の過激で排外的なネオナチズムの対極にある。国際社会に開かれた日本型寛容の精神こそ、21世紀の世界に必要であることを確認したい。

 明治政府の五箇条の御誓文は、国民を大切にする公正な国づくりの誓いだ。かつて異教を受け入れた精神は、明治政府の下でも、また現在の政府の下でも、相互の相違を認めた上で普遍的価値観の実践を目指す姿勢として確立されている。普遍的価値観を踏みにじる大国や勢力の前で、日本はこの点についても大いに自信をもってよいのである。和の精神と雄々しさをもって、より能動的に国際社会に貢献していくのがこれからの日本の在り方であろう。

 一方、日本の戦後の努力を認めず、村山談話や河野談話の文言を引き継げという声がある。だが私はむしろ、両談話の曖昧さや誕生にまつわる疑問を安倍談話で乗り越えるのがよいと考える。

 村山談話は、1995年6月9日金曜日、19時53分という異例の遅い時間に衆議院本会議で欠席議員265人、出席議員わずか230人で採択された戦後50年目の日本の謝罪決議とセットだ。謝罪決議も村山談話も、その誕生のプロセスは著しく公正さに欠けている。河野談話も慰安婦「強制連行」が根拠を失ったいま、「広義の強制性」というわかりにくい論拠に立つ。

 両談話のこの種の欠陥を超えて日本を新しい地平へと導くとき、新談話はその使命を果たすのではないか。開かれた平和な世界の構築に貢献する資格と責任が日本にあることを自覚したい。首相には自らの想いを込めて前向きの日本の姿を描き出してほしい。