理化学研究所がSTAP細胞の最初の記者会見を開いてから1年が経過した。当初、「夢の細胞」と期待されたものが、今や世界の科学史に残る不祥事と言われる始末だ。

 実は、この事件は現在進行形だ。真相は不明な点が多いし、理研が組織として責任をとったとは言えない。多くの国民は、現状に納得していないだろう。

 最近、STAP細胞騒動が新たな段階に入った。1月26日、理研の元研究員である石川智久氏(60)が、ES細胞を盗んだとして、小保方晴子氏を兵庫県警に刑事告発したのだ。

 石川氏は北海道大学理学部を卒業した薬物動態の専門家。ドイツやアメリカでの研究、ファイザー中央研究所での勤務、東京工大教授(生体分子機能工学)などを経て、2009年から14年まで理研に勤務した。筆者も存じ上げているが、一流の研究者である。このような人物が実名で告発に踏み切った意義は大きい。

 世間では、石川氏の行為について、賛否両論分かれている。ただ、私は、石川氏の行動によって、理研、科学界はぎりぎりのところで自律を示したと思う。それは、今回の告発がなければ、この事件の真相が闇に埋もれてしまうからだ。

 理研がどう釈明しようと、世間は「理研は、今回の事件を有耶無耶でお茶を濁した」と感じる。

 特に、昨年12月26日の記者会見は中途半端だった。理研は、STAP細胞とされていたものが、ES細胞であったことは認めたが、その原因について「誰が混入したか、特定できない」と説明し、過失の可能性すら否定しなかった。テレビを通じて、多くの国民が記者会見を見たが、納得した人は殆どいなかっただろう。

 ただ、記者会見での理研の対応には仕方がない側面もある。強制捜査権がなく、捜査のプロでもない調査委員会が出来ることには限界があるからだ。

 また、科学の世界の価値観は、一般社会とは若干異なる。科学者はエビデンスを重視する。きっちりとしたエビデンスがなければ、明言を避ける。この時点で、小保方氏はES細胞を盗んだとは認めていないし、このことを証明するエビデンスもない。

 では、理研はどうすべきだったのだろうか。私は、捜査のプロ、つまり警察に捜査を依頼するか否かを判断し、結論に至った議論の過程を社会に説明すべきだったと思う。

 状況証拠から考えれば、小保方氏が不正に関与した可能性は高い。その場合、彼女は応分の責任を負うべきだ。

 STAP細胞の研究、再現研究、不正調査には膨大な税金が使われている。また、この事件のため、世界における我が国の科学の信頼は大きく損なわれた。信頼を回復するためにも、真相を究明し、国民は勿論、世界に向かって説明しなければならない。

 ところが、真相を究明するのは、そんなに簡単ではない。例えば、ノバルティスファーマの臨床研究不正では、大学・学会・厚労省の調査結果と、東京地検の捜査には大きな乖離があった。関係者が、正直に語っていなかったためだろう。理研も、同様の可能性は否定出来ない。

 前出の記者は「理研は下手に刑事告発をして、返り血を浴びるのが嫌だったのでしょう」と言う。つまり、刑事告発しないのは、他にも不正があり、露見するのと恐れているという訳である。

 理研の不祥事は今に始まったことではない。04年には元理事が526万円の研究費を不正に流用していたことが発覚している。同じ年に、約190万円の海外研究費を二重取りしていた元主任研究員が詐欺容疑で告訴されている。さらに06年には、のべ1937人の職員が総額1068万円の放射線業務手当を不正に受け取っていたことが判明している。07年には事務方である研究業務課長が、189件、総額192万円のタクシー券を私的流用し処分されている。

 STAP細胞事件をきっかけに、このような過去の不祥事がメディアで報じられた。理研は社会の信頼を失っている。今回、中途半端に幕引きすべきではない。こういう背景を考えれば、理研OBである石川氏が刑事告発したことは、私は高く評価したい。

 では、これから理研はどのように対応すればいいだろうか。やるべきことは二つである。

 まず、STAP細胞の研究不正を、なぜ、防げなかったのか、組織としての問題を議論すべきである。組織の問題は、組織図だけではない。運用、人事にまで及ぶ。

 これまで、故笹井芳樹氏に強大な権限が集中し、山中伸弥・京大教授へのライバル心や予算獲得のために、不正を起こしやすい土壌を作り上げてしまったという主旨の報道が多かった。

 ただ、そんなに簡単なものだろうか。理研は一人の研究者が仕切れるような柔な組織ではない。旧科学技術庁の最大の研究機関であり、巨額の予算は利権を生み出す。私たちが想像できない関係者がいるはずだ。小保方氏と故笹井氏に全ての責任を押しつけ、一件落着で済ませてはならない。

 私は、組織の問題に関しては、理研関係者だけでなく、組織運営に長けた専門家、法律専門家、さらに官僚OBなども加えて、第三者による検証委員会を設置すべきだと思う。今のままでは、理研の組織としての問題は「隠蔽」されてしまう。

 ついで、関係者の責任問題だ。笹井氏は自殺し、理研発生・再生科学総合研究センターは再編、幹部は一新された。

 ただ、これでいいのだろうか。理事長や担当理事は、どのように責任をとるのだろうか。このままでは、誰が見ても「トカゲの尻尾切り」だ。野依良治理事長に、その意思はなくとも、周囲は、部下に責任をなすりつけ、幹部が自己保身に走ったように見える。そうなると、組織はモラルハザードを起こす。不正は繰り返され、やがて社会の信頼を失うだろう。これは、明治以来、先人達が築き上げてきた理研という国民の財産を、私たちの世代で失うことになる。先人は勿論、次の世代にも申し訳が立たない。このまま終わってはならない。

 石川氏の刑事告発を受けて、この問題は更に動き出した。ここから先は、現場の研究者の問題ではない。理研幹部の矜持が問われている。