村中璃子 (医師・ライター) 

「STAP細胞はあります」と涙で訴えた小保方晴子氏の論文が『ネイチャー』誌から撤回され、上司で研究者の笹井芳樹氏が自殺を図った2014年。

 研究の現場で捏造がいとも簡単に行われることや、一流科学誌がそれと気づかずあっさりと論文を受理してしまうことが驚きでした。

カンメラーはインチキ科学者なのか?


 しかし、そんな科学スキャンダル、格別に新しいことでもなさそうです。

 1926年の晩秋、オーストリアの学者パウル・カンメラーは、森の中でピストル自殺を図りました。カンメラーは、水温を上げて飼うと陸上で交接するカエルが水中で交接するようになり、3世代経つと雄の前足の指に黒い婚姻瘤(水中でメスにしがみつくための突起)が出現するという「サンバガエルの研究」で有名な生物学者。

 形質遺伝(環境から得た性質が代々受け継がれること)を立証したということで注目を浴びて社交界にもデビュー。世界中を講演して回っていましたが、自死のきっかけとなったのは、カンメラーの不在時に実験に使ったカエルの標本を検証して別の研究者が『ネイチャー』誌に発表した、「カンメラーの実験には再現性がなく、婚姻瘤はただ墨を注入していただけ」とする論文でした。 

 疑義への抗弁を思わせるカンメラーの謎めいた遺書は、『ネイチャー』と並ぶ一流誌『サイエンス』に掲載されるという異例の待遇を受け、世間は2度沸きましたが、結局、カンメラーが本当に捏造したかどうかは迷宮入り。その理由は後でタネ明かしします。

 カンメラーは音楽家から生物学者に転向した異色の人。そして、彼の愛した女は、ウイーン世紀末を代表する作曲家グスタフ・マーラーの未亡人アルマ・マーラーだったというドラマまであります。

 それにしても、人間というのはこれほどまでに時を越えて変わらない、多様なベクトルの欲望に満たされた生き物なのでしょうか。科学的探究心は名声や愛憎、焦りや絶望と隣り合わせ。目的のためには、ねつ造も不意打ちも不倫も辞さない。そして、そこにまつわる人の死すらもが、ゴシップとして消費されていく。

 「墨を注入しただけ」というカンメラーへの批判は「ES細胞を混ぜただけ」とされるSTAP細胞とそっくりだし、カンメラーの愛人アルマはカンメラーの助手もつとめ、公私を共にする親密な関係にあったといいます。

 年末の少し浮かれた慌ただしさの中、パラダイムを一転させるような科学的発見の難しさと危うさ、そして、そこへ至る、あるいは至ることのできない研究者たちにとってのパートナーシップの役割や捏造への誘惑など、本論を少々脱線して思いを馳せてしまいました。

遺伝子研究の過去について語る、著者の冷めた眼差し


 さてさて、『双子の遺伝子』は、「遺伝は遺伝子だけでは決まらない」とするエピジェネティクスの概念を、豊富な双子研究の事例を通じて解説したもの。2章以降のタイトルは、才能遺伝子、肥満遺伝子、浮気遺伝子、同性愛遺伝子など、それぞれが週刊誌の見出しになりうる存在感ですが、読者はこの本にちりばめられた予想外で目をひく双子のエピソードばかりに心を奪われていてはいけません。この本の真の価値は、序章と1章で、カンメラーのエピソードを含む100年ちょっとの遺伝子研究の過去について語る、著者の冷めた眼差しの中にあります。

 インチキ科学者とされたカンメラーは、その後、エピジェネティクスの登場で再評価を受けます。エピジェネティクスの趣旨は、環境が同じで遺伝子が同じでも結果が同じであることは稀で、「遺伝子には確実性がない」ということ。同じ遺伝子を持った一卵性の双子が、片方は病気なのに片方は健康だったり、片方はゲイなのに片方はストレートだったりするように。

 ここでカンメラーの件のタネ明かしをすれば、サンバガエルの実験は再現されなくてもよいということになる。そして、後になって、捏造したのはカンメラーの方ではなく、実はナチス支持者が増え始めた当時のウイーンで、優生学的な思想の遺伝学者が、社会主義者としても有名だったカンメラーを陥れるため標本に墨を打ち込んで改ざんを加えたのだ、という説も出てきました。

 本書では、STAP問題に似たカンメラーの騒動のほか、旧ソビエト連邦における衝撃の過去も語られます。

 1928年、小麦を低温処理して生産性をあげる「春化処理」を考案したソ連のルイセンコ。農民出身で高等教育を受けていないこの男は、環境さえ整えば遺伝条件に関わらず生物は能力を上げることができるのだという主張で遺伝子絶対論を否定し、貧しい農民でも科学者になれるという出自も共産党の宣伝向きだとスターリンに重用されました。

 しかし、実際には春化処理で生産性が上がることがなく、その事実は隠ぺいされ、遺伝学は「ブルジョアの偽科学」であるとして、多くの遺伝学者が銃殺されたり強制収容所へ送られたりしました。遺伝子研究は、長年、科学ではなく思想の問題であり、源流をたどればダーウィンの進化論や優生学にたどりつくということがはっきり理解されます。

 今年、日本でも、唾液を郵送するだけで体質や病気のリスクなどがわかるという個人向けの遺伝子検査(DTC遺伝子検査)サービスが本格化し、話題になりました。遺伝性がはっきりした病気は取り扱わないなど、実際には分かることの非常に少ないこのサービスは、「占い程度」と揶揄されることもあります。(『遺伝子検査は「疫学」か「易学」か』参照)

 それでも利用者に共通しているのは、「自分を科学的に知りたい」という遺伝子への期待感。「遺伝子だけは知っている」という絶対的な信頼感。遺伝子研究の歴史が社会思想の歴史であったことを知れば、なりたい自分とのギャップに悩み、自分の知らない自分を知りたいという現代人の欲求にもマッチして、遺伝子検査が民間ビジネスとして成立する事情もうなずけます。

エピジェネティクスとは何を研究する学問か


 最後に、誤解を防ぐため申し添えたいのは、エピジェネティクスは「努力なのか、遺伝子なのか」という悩める現代人の二分法を研究する学問ではないことです。

 では、エピジェネティクスとは何を研究する学問なのでしょう。

 遺伝に影響を与える環境や努力以外の要素とは?

 著者は「私は瞳の色が異なる一卵性双生児にも何度かあったことがある」といいます。もちろん、努力や環境で瞳の色が変わることはありません。同じ遺伝子を持った双子が全然違う能力や嗜好をもつのは、環境や努力のせいだという人もいるけれど、そんなことはないとも筆者は言います。

 遺伝子が同じ双子が違う理由について、筆者がきちんと答えを提示できているかどうかは少々怪しいところがありますが、異なる瞳の色までもつことがあるという遺伝子のメカニズムについては、どうぞ本書を手に取って確認してください。


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