澤田克己 (毎日新聞 ソウル支局長)
 大韓航空の趙顕娥(チョ・ヒョナ)前副社長(40)がナッツの出し方に激怒して離陸直前の自社機を引き返させた「ナッツ・リターン」事件で、韓国の財閥に対する関心が改めて高まっている。

  日本でも数年前までは「オーナー主導だから意思決定が速い」などと良い面が評価されていたが、今回の事件では財閥オーナーの専横ぶりへの批判が多い。そうした変化の背景に日本での嫌韓感情の高まりがあるのは否定できないが、一方で、これを機に韓国の財閥というのは何かを考えてみるのも悪いことではないだろう。
2014年12月17日、ソウル西部地検に出頭し、記者団に囲まれる大韓航空の趙顕娥前副社長(共同)

財閥依存の韓国経済


 韓国経済は、財閥に依存しているといわれる。韓国経済における財閥の存在感というのは、実際にはどの程度なのだろうか。

 気をつけねばならないのは、「10大財閥の売上高合計が国内総生産(GDP)の7割以上」などという比較は不適切ということだ。GDPは、企業の売上高を積み上げたものではなく、国内で生み出された付加価値の合計だ。違うものさしを並べても、比較にはならない。

 ただ、財閥の存在感が非常に大きいのは事実である。財閥情報専門のネットメディア「財閥(チェボル)ドットコム」<http://www.chaebul.com>の調査結果を見ると、それは一目瞭然だ。財閥ドットコムは、サムスンや現代自動車を含む10大財閥の売上高と当期純利益が、国税庁に法人税申告をした企業約52万社の中で占める比率を集計した。ちなみに、大韓航空を擁する韓進グループは、調査時点の資産規模で財閥序列9位に入っている。

 財閥ドットコムによると、10大財閥の2013年の売上高合計が全体に占める比率は24.8%、当期純利益だと41.9%に達した。中でも、サムスンの主力企業であるサムスン電子の存在感は圧倒的だ。サムスン電子の2013年の当期純利益は、1社だけで全体の15.5%を占めた。韓国経済の中では財閥が圧倒的な存在感を持ち、その中でもサムスンが他を圧倒しているという構図だ。

3世への世襲が進行


 サムスンでは昨年5月、李健煕(イ・ゴニ)サムスン電子会長(73)が心筋梗塞で倒れて以降、李会長の長男である李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長(46)が事実上の経営トップとなる体制への移行が進んでいる。李健煕会長の父が1938年に韓国南東部・大邱でサムスン(三星)商会を設立しているから、李在鎔氏は3世経営者ということになる。

 他の財閥でも2010年ごろから、創業者の孫世代がグループ会社の社長や副会長といった要職に就き始めた。韓国の財閥は、日本の敗戦によって植民地支配から解放された1945年前後の創業が多い。創業から70年ほど経って、3代目経営者の時代になってきているということだ。ナッツ・リターン事件の主人公である大韓航空の前副社長も、創業者の孫である。

 解放前後の混乱や朝鮮戦争(1950~53年)という動乱期、戦後復興の中で、必需品である砂糖や小麦粉、セメントなどを扱う企業が成長した。その典型がサムスン商会であり、そうした企業が後に財閥の母体となっていった。

朴正煕が「作った」財閥


 朴槿恵(パク・クネ)大統領は2012年12月の大統領選で勝利した1週間後、日本の経団連に相当する「全国経済人連合会(全経連)」を訪問した。朴氏はこの時、韓国の大企業が成長できた裏には「多くの国民の支援と犠牲があり、国からの支援も多かった。だから、韓国の大企業は国民企業の性格が強い」と強調した。

 朴氏の言葉の背景には、韓国特有の事情がある。韓国の財閥は、朴氏の父である故朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が作り、育てたようなものだからだ。

 1961年に軍事クーデターで政権を握った朴正煕氏は、1979年に殺害されるまで、民主化運動を弾圧する独裁政治を行う一方で、世界最貧国レベルだった韓国に高度経済成長をもたらした。韓国国防大の許南ソン(ホ・ナムソン、ソンは「さんずいに省」)名誉教授は、「朴正煕大統領は権力掌握後、安保と経済を最優先課題とした。一言で言えば『富国強兵』だ」と話す。

 しかし、当時の韓国は貧しかったから、内需主導の成長など望むべくもない。必然的に輸出志向の成長戦略を取るしかないのだが、輸出産業を興すための資金も、技術もなかった。

 その状況を覆すべく朴正煕大統領が決断したのが、日本との国交正常化だ。植民地支配に対する謝罪や賠償を勝ち取れないまま対日国交正常化に踏み切るという決断は、「屈辱外交」という強い反発を韓国内で生んだが、朴正煕大統領は戒厳令を敷いてまで押しきった。そして、日本から5億ドルの経済協力資金と技術の供与を受けることで経済成長の基盤を作った。

 ただ、資金面の手当てがついたといっても、余裕があるわけではない。だから、限られた資源を効率的に活用するため、特別な低利融資などといった形で「選ばれた企業」を後押しした。こうした形態が政経癒着に結びつくのは当然だが、それでも「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な高度成長につながっていった。

ベトナム戦争とオイルショックで急成長


 韓国財閥の歴史で忘れてならないのが、ベトナム戦争特需だ。

 韓国は1964年、米国からの要請を受けてベトナムへの派兵を始めた。米国は見返りとして、派兵経費すべてを負担し、多額の軍事援助を行うだけでなく、後方地域での輸送や建設業務に韓国企業が進出することを支援した。派兵された韓国軍は計32万人だが、後方業務に従事した民間人は計50万人といわれる。

 許名誉教授は「ベトナム戦争で韓国が得た経済的利益は、総計50億ドル程度になり、日本からの経済協力資金よりずっと多かった。韓進や現代は、ベトナムでの事業で資本と技術を蓄積して急成長した」と話す。

 韓国軍は1973年、パリで和平協定が締結されたことを受けてベトナムから撤収する。

 そして、同年10月に第4次中東戦争が勃発し、第1次オイルショックが起きる。オイルショックは、重化学工業への転換を急いでいた韓国経済にとっては打撃だったが、同時に、ベトナム戦争終結で東南アジア市場を失った韓国の建設企業にとっては中東進出の好機となった。韓国企業による中東での建設受注は、73年に2410万ドルで、ピークとなった81年には126億7060万ドルに達した。多くの財閥がこの時、先を争うように建設業に参入して大きな利益を上げた。

通貨危機で政権の庇護失う


 財閥ドットコムの鄭先燮(チョン・ソンソプ)代表は、「権力との関係を維持できている限り、財閥が破産することはなかった」と指摘する。韓国の財閥は、政権との密接な関係を背景に成長してきたからだ。逆に、権力ににらまれた財閥は、姿を消していった。

 それが変わったのが、1997年の通貨危機だ。韓国は大胆な構造改革を余儀なくされ、新自由主義的な経済政策への大転換が行われた。結果として、超競争社会が現出し、その中で勝ち残ったサムスン電子やLG電子、現代自動車は世界的企業へと成長した。

 だが、それでも創業者一族が「オーナー」として君臨する企業構造は、そのまま残っている。創業者一族の所有株式は今や、それほど多くないので「オーナー」という言葉は正確ではないのだが、それでも大株主であることは変わらない。系列企業間の株式持ち合い構造もあって、「オーナー」は今でも絶対的な影響力を維持しているのである。
証人としてソウル西部地裁に入る韓進グループの趙亮鎬会長
=1月30日(共同)

3世への冷たい視線


 ただ、「オーナー」の絶対的立場が、今後も盤石かどうかは疑問視する声がある。鄭代表は、ナッツ・リターン事件で前副社長が逮捕・起訴されたことも「かつてなら考えられなかったことだ」と話す。昔なら罰金程度で終わっていたはずだが、財閥3世に対する世論の視線が冷たくなっていることが厳しい処分につながったというのだ。

 鄭代表は、「通貨危機以前と以後で、世襲を取り巻く社会環境が大きく変わった」ことを理由に挙げる。通貨危機後の構造改革では、金融実名制が強化された。世襲のために必要な親子間での資産移動は、仮名口座や借名口座を使う不透明な資産贈与が当然のように行われていた時代には見えづらかったけれど、透明性が高まった現在は隠せない。

 鄭代表は「ただ『世襲だ』と言うより、『世襲のために何兆ウォンも資産移動をした』と具体的に言われた方が人々の反発は強くなる」と指摘する。

 また、2世への世襲が行われた80年代後半から90年代初めと現在の社会状況の違いもありそうだ。

 80年代後半から90年代初めというのは、まだ高度成長の余韻が残っていて、「豊かになる」ことを国民が実感できた時代だった。それに比べると、通貨危機以降の韓国では、それまでになかった勢いで格差拡大が進み、持てる者と持たざる者の葛藤が深まっている。そうした状況下で、財閥3世の世襲に向ける視線が厳しくなるのは当然だろう。

世間知らずの3世が直面する試練


 韓国紙・ハンギョレ新聞によると、財閥3世が入社してから役員に登用されるまでにかかる期間は平均3.1年。系列会社間の取引で巨額の利益を3世所有の会社に上げさせる脱法的な手法で、資産移動が行われているケースもあるという。

 さらに、苦労した創業者の背中を見ながら育った2世に比べ、生まれた時から温室で育てられてきた3世には「世間を知らない」という批判も強い。ナッツ・リターン事件はまさに「財閥3世の世間知らず」を世に知らしめたといえる。

 鄭代表は「李健煕会長は、半導体やスマートフォンでサムスン電子を世界的な企業に育てた。他の2世に対しても、功績を認める人が多い。でも、何も実績のない3世は違う。経営に失敗したり、社会的な問題を起こせば、ナッツ・リターン事件のように厳しい批判にさらされるだろう。3世は難しい立場にあるのだが、子供の頃から王子様、お姫さまのように育てられてきた人間に、危機を乗り切るための創造性を発揮しろと言っても簡単ではない。私は、財閥の行く末は暗いと思っている」と話した。

さわだ・かつみ 毎日新聞ソウル支局長。1967年埼玉県生まれ。慶応義塾大法学部卒、91年毎日新聞入社。99~04年ソウル、05~09年ジュネーブに勤務し、11年から再びソウルで勤務している。著書に『「脱日」する韓国』(06年、ユビキタスタジオ)、『LIVE講義 北朝鮮入門』(10年、東洋経済新報社、共著)、訳書に『天国の国境を越える』(13年、東洋経済新報社)。毎日新聞サイト内に主な記事などを集めた個人ページ「アンニョン!@ソウル」がある。

<著者新刊本のご紹介>
文春新書から20日に『韓国「反日」の真相』という新著を出します。書名に「反日」と入っていますが、実際にはもう少し広い「韓国の社会意識」について読み解こうとしたものです。
近年、韓国の対日外交などに対して違和感や不快感を抱く日本人が増えています。ヘイトスピーチのような差別主義的な言動は論外だと考える人でも、こうした不快感を感じる人は多いのではないでしょうか。正直に言えば、学生時代から四半世紀に渡って韓国社会と接してきた私ですら、そうした感覚から自由ではありません。
私は昨年3月の毎日新聞のコラム「記者の目」に、「韓国で取材していて、『うんざりだ』と思うことが多くなった」と書きました。旧友から「悲鳴のようなコラムだった」と評されましたが、その時の偽らざる心境をつづったものです。
日本人が抱く不快感の背景にあるのは、韓国社会の意識構造を「理解できない」と感じることがあるのではないかと思います。でも、だからといって単純に「反日司法」とか「反日団体」というレッテル張りで済ませることは、楽ではあるが、非生産的です。少なくとも、冷静な観察者であるべきメディアがそうしたレッテル張りに走ることは、怠慢でしかないでしょう。
そう考えた私は昨年2月、毎日新聞で「『正しさ』とは何かーー韓国社会の法意識」という記事を連載しました。韓国社会のキーワードである「正しさ」や「道徳性」という言葉を手がかりに、日本とは違う韓国社会の意識を探ろうとしたのです。文春新書から刊行する新刊は、この連載を加筆したものが大きな柱の一つになっています。
出版社が作った「アマゾン」の内容紹介では「全く新しい韓国論の登場」とされていますが、私にとっては、2006年に出版した『「脱日」する韓国(ユビキタ・スタジオ)という本や、ふだん書いている記事の延長線上にあるものです。韓国に対して厳しい内容も多くなっていますが、いわゆる嫌韓本ではありません。かといって、親韓本とは絶対に言えないでしょう。
日韓関係に限らず、取材をしていると常に「現実というのは単純じゃないんだな」という思いにとらわれます。日本人にとって理解できない「韓国の社会意識」にしても同じことで、単純なわけがありません。しかも、ある部分については「理解できない」と考えている日本人の方が、国際的には少数派だということもありえます。韓国を巡る「単純ではない現実」に関心を持っていただける方には、ご一読いただければ幸いです。