2013年10月、日本海に浮かぶ韓国・鬱陵島(ウルルンド)に新たな“反日”博物館がオープンしていた。「独島(竹島の韓国名)を朝鮮領と認めさせた」として、韓国人がヒーロー視する安龍福(アン・ヨンボク *注1)の記念館である。

 捏造と虚構がちりばめられた展示の実態を、国防問題に精通する某大手紙の名物記者、金正太郎(かねまさ・たろう)氏が現地レポートする。

* * *

中国で1882年に作られた韓国の歴史や地理などをまとめた書物「東藩(とうはん)紀要」。「江原道図」では、鬱陵島(右下)のすぐ東に小さく「于山」とある。韓国側は竹島と主張するが、実際はもっと遠い
 最新の反日プロパガンダ施設「安龍福記念館」は、2007年ごろに建設の構想が浮上し、昨年10月にオープン。総工費は150億ウォン(約14億9000万円)、地上2階、地下1階で延べ床面積は2090平方m、敷地は2万7000平方mと、かなり立派な箱物である。

 館内にある史料はというと、1696(元禄9)年の江戸幕府による「竹島渡海禁止令」のコピーが展示されていた。

 鬱陵島に朝鮮人が姿を見せたと報告を受けた幕府は、対馬藩に朝鮮側と交渉させた。話し合いは難航したことから竹島(現在の竹島ではなく鬱陵島を指す。現在の竹島は松島と呼ばれていた)への日本人の渡航を禁止することを示した書面だが、コピーの解説には「鬱陵島と独島への渡航を禁止した」と、勝手に「独島」が加えられていた。

 また、1837(天保8)年に越後高田藩(新潟県上越市)で掲示された木製の高札(御触書)のレプリカもある。

 江戸幕府は元禄期に鬱陵島への渡航を禁止したが、天保期に日本人が密航した事件が発生。このため「(鬱陵島は)朝鮮領に属しており、渡航を禁じる」とするお触れを出して全国に周知した。

 この中で竹島については一切言及されていないが、韓国側は「幕府は鬱陵島と独島への渡航を公式に禁じた証拠」と勝手な解釈をして紹介している。

 実は、高札は2009年3月に日本国内の美術品オークションに出品され、当時、産経新聞が国外流出の危機を報じて問題となったものだ。結局、韓国人の手に渡り、現在は釜山市の国立海洋博物館が所蔵し、曲解した観念で竹島領有の主張に活用されている。

 記念館にある史料のほとんどが、日本の博物館や資料室が所蔵する文化財だが、「複製」とは一切表記せず、しかも無断でコピーや加工をして本物らしく展示していた。念のため、係員に「これらは複製か?」と確認したが、口をつぐんだまま立ち去ってしまった。

 子供向けの展示も充実していた。「4D映像館」は可動型の座席に座って、特製のメガネをかけて立体映像で安龍福拉致事件や江戸幕府の関白を説き伏せるという“歴史物語”を楽しめる。

 タッチパネル式のゲーム「私たちの国土の守護者 独島はわが領土だ」もひどい内容で、内蔵マイクの前で手を叩くと、竹島の周辺海域にいる日の丸入りの陣笠をかぶった日本人を、蚊を潰すように駆逐できる。

 いかに多くの日本人を叩き潰すかでランクが決まり、“功績”が大きいと内蔵カメラで自分の顔をモニターに当てはめて「将軍」気分になれるという仕組みだ。

 展示の締めくくりには、朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領が1967年の在任時に筆を執った「国土守護 其功不滅」の揮毫が飾ってあった。「安龍福が独島と鬱陵島を守った史実は『国土守護』に当たる」とし、功績は永遠に不滅だと評価したと説明書きにはある。

 安が不法入国者だった(*注2)という「史実」はどこにもなく、「不滅の功績」は子の代に受け継がれる--。

 結局、はるばる訪れた安龍福記念館に日本側を驚かせるような目新しい史料はなく、韓国側が繰り返してきた歴史の創作と誇張を都合よく解釈する史料が置いてあるだけだった。そのほとんどが複製品というお粗末ぶりは、日本に「歴史認識を問う」以前の、韓国社会の問題点を象徴していた。

 【*注1】伊藤博文を暗殺した安重根に次ぐ“抗日英雄”。江戸幕府に竹島を韓国領と認めさせたと伝えられている。
 【※注2】江戸幕府は1661(寛文元)年より、米子(鳥取県米子市)にいた町人グループに竹島での漁業や中継地としての利用を許可していた。1693(元禄6)年、前年から鬱陵島に姿を見せていた朝鮮人が増加していたことから、鬱陵島を日本領だと考えていた町人らは彼らを“不法侵入”と見なし、日本語が話せる朝鮮人と漁夫の2人を鳥取藩に連行。この日本語ができる朝鮮人が、安龍福だった。

関連記事