兵頭 二十八(軍学者)







 日本国は自由な国である。わが国民も、自由な国民である。

 自由な国民には、公共放送や私営放送を視聴する自由がある。

 と同時に、自由な国民であるならば、公共放送番組等を一切視聴しない自由だってある。その選択行為、自由意思の発揮は、日本社会に属する他の成員の正当な権利(たとえば表現の自由や、行政情報への公平なアクセス権等)を侵害するものだとは言えない。いわんや、国家の独立と安全を危殆に瀕せしめる利敵行為(間接侵略幇助)ではあり得ない。

 すなわち、公共の福利と両立する個人の自由の範囲である。

 さすれば近代憲法精神は、その個人の自由(特定の公共放送局をボイコットする自由)を保証する。

 しかるにわが国の現行の「放送法」は、公共放送局である日本放送協会(以下、本稿ではNHKと略記する)の運営経費を、国庫(国税)や寄付金によっては賄わせないで、NHKのテレビ放送を受信することのできる受信設備を設置した者に、同意の有無を問わないで受信料の支払い義務を負わせ、それを不当にも「契約」と僭称し、人々から強いて差し出させた金円によって賄わせようとする。日本が自由な国であることを、この杜撰な「放送法」と裁判官たちは、否定してきたのだ。こんな曖昧な法律とそれについての筋の通らぬ解釈を、テレビ地上波多チャンネル時代の数十年にもわたって放置してきた歴代立法府の国会議員たちと内閣法制局の懈怠の科は重い。

 ヤクザのみかじめ料に類した似非合法の国民搾取によって、NHKは商業資本からも政府・政党からも中立の地盤を得るだとか、偏りのない放送ができるのだとか、NHK経営陣とNHKの被雇用者は吹聴するだろうが、ぜんぜんそうなっておらぬことは皆が知るところだ。芸能番組は芸能資本、反社会勢力、果ては反日的な特定外国勢力の強い影響下に制作されて外部資本や当該外国人ならびに局内利害関係者の利益に直接間接に奉仕している。政治番組もまた労働組合や政党の強い影響下に制作されて、議会制民主主義政体を根本から歪め、近代憲法精神を破壊することに、飽くことなき情熱を注いでいる。

 こうなってしまった原因はひとつ。日本国には真の「放送基本法」が無いためだ。

 電波法にも放送法にも、放送は何のためにするのかということは謳われていない。

 国家の分裂や、国民の分裂を、政治的ポジションをはっきりさせずにそそのかす大衆洗脳に、特権財である電波・基幹放送網や、圧倒的宣伝手段であるテレビ番組を使うことは、殊に有害であって、国家も社会もそれにいささかも寛容であってはならないという理念や指針の明示は、どの法令によってもなされていない。

 いっけん中立不党の番組を装いながらしのびこませた党派的プロパガンダは、放送チャンネルの選択幅が潤沢ならざる地域の人々の自由にとっていかに危険かという自戒の高唱も、関係条文にはない。この民主主義の危険を希釈するためには、国家は率先して全国レベルで各種放送の「多チャンネル化」や「首都圏を標準とする、地方における電波メディアへのアクセス便宜の常続的改善」を推進すべきなのだという、放送行政の方向付けもなされてこなかった。それゆえにこそ、地方の民放テレビ局やFMラジオ局の新規開局の免許が、旧郵政族、殊に自民党旧田中(角栄)派の利権に堂々と組み入れられていた時代も長く、日本の放送文化と情報環境が戦後もアメリカに大きく遅れをとる一因をなした。またそれが日本のマスコミ人の志操も低劣化させるという悪循環を招き、今日の政治的な禍がつくりだされた。
 電波は公共財だ。しかも、混信防止の要請から、ごく限られた資源にもなっている。それを基幹放送事業者に贅沢に占用させてやっているのはまさに国家の恩恵である(もし将来、周波数利用料のオークション制度が導入されたなら、恩恵とは言えなくなるが、現状のテレビ放送免許はまさに特権下賜である)。

 かりにもし、一放送局関係者が街頭で反日パフォーマンスをしても、それは個人の「表現の自由」であって、近代憲法精神は鷹揚に許認する。しかし、基幹放送事業者がテレビ電波で反日宣伝の片棒を担ぐことを、近代国家たる日本国の政府が認めていいわけがない。なぜなら稀少資源である地上波テレビ放送電波帯を寡占している基幹放送局は、高度成長期に国内の隅々にまで飽和的に普及したテレビ受信機を通じて、他のメディアではとうてい不可能な、視聴覚に圧倒的に働きかけるサイマル的有権者煽動もしくは老若男女をカバーする洗脳工作を、排他的に易々と遂行できるからだ。なのに現行の「電波法」や「放送法」は、そもそもGHQ(連合国軍総司令部)が日本占領中に制定させたという由来から、それを明文では禁止ができなかった。そして昭和28年11月に紀尾井町放送所がテレビ電波を出し始め、数年を経ずして民放テレビ局も簇生するようになって以降も、誰も、放送法の上位規範を整備するなどという面倒にかかわろうとはしてこなかった。

 戦前は内務省が、電波や通信や放送や教育の上にまで睨みを効かせて、反日宣伝工作などのつけいる隙を封じていたから、もし昭和21年以前に早々と、民放数チャンネルが並び立つテレビ放送環境が現出したとしても、「放送基本法」のようなものは必要ではなかったであろう。しかしGHQは内務省をまっさきに解体し、近代国家のタガを外したのだった。

 その法的「セキュリティ・ホール」が、爾来ずっと放置されている。国民の全身に注射針が差し込まれていて、反日外国籍人とその手先どもが、カテーテルから毒物を流し込み放題になっているのだ。幼児向け教育番組までが敵の工作の対象になっている。早急に、日本人の手による「放送基本法」を策定し、かかる「内務省の不存在」状況にパッチ当てを施さないとしたら、わが国社会の道義的汚染はとめどもないであろう。

 いうまでもなく英国のBBC(British Broadcasting Corporation)は――幹部職員のお手盛り高額サラリーが醜聞になったりしているけれども――反英活動の拠点と化したりしないように、内務省によってしっかりと見張られている。労働党政権時代でも、この最低の一線だけは堅固に守られる。だから英国には「放送基本法」などは敢えて必要がないのだ。そしてこのBBCについて詳しく日本国民に知らせることを最も畏れているのがNHKである。国会図書館には、BBCの歳入や運営の仕組みをテーマとする日本語の書籍が何冊あるか? オンラインで調べてみると……驚くべし、過去ぜんぶひっくるめても二冊くらいしかない(本稿執筆時点で。残念だが家計難によりいずれも未読)。NHKからはロンドンのBBCへ毎年、出向者が行っているはずだ(わたしが中学~高校生のとき、シンガポールから中継されて日本まで届くBBCの日本語短波放送を時々聴いたが、アナウンサーには必ずNHKからの出向者が混じっていた)。累計すればとうてい百人以下ではありえないであろう彼らは、しかし帰国してから、「BBCについての紹介本など、退職後であっても、決して書いてはならんぞ。もし書いたら……分かるな?」と、NHK大幹部から一様に釘でも刺されるのであろうか。