石井英夫(コラムニスト、元産経新聞論説委員)

 漱石の『坊っちゃん』のなかに、新聞への悪態がある。

 物語の終わり近く、日露戦争の祝勝会の休みに起きた中学校と師範学校の生徒の乱闘事件に、「おれ」と山嵐は巻き込まれる。仲裁に入ろうとして騒動のまきぞえを食ったのだが、これも赤シャツが仕組んだ策謀だった。ところが翌日の四国新聞にでかでかと書き立てられる。

 「中学教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気な某とが、順良なる生徒を使嗾してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、漫りに師範生に向って暴行を擅にしたり…」

 あくる朝、「おれ」は婆さんから見せられた新聞を丸めて庭へ投げ捨て、それでも飽きたらず、わざわざ後架(=便所)へ持っていって捨てた。そしてこう述懐する。

 「新聞なんてみな嘘を吐くもんだ。世の中に何が一番法螺を吐くといって、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。…近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某という名前の人があるか」

 漱石は明治39(1906)年の『坊っちゃん』で新聞をくそみそにけなしたくせに、その翌年、朝日新聞の主筆池辺三山に乞われて朝日に入社する。入社したのは朝日が大学教授なみの収入を保証したからだという。そして『虞美人草』以後、その作品のすべては朝日新聞を舞台に発表したのだから、何をかいわんや。

 それから百余年、いま漱石がこの世で、朝日新聞の一連のていたらくの現状を見れば、どんな悪態を吐くのか、聞いてみたい。

 それにしても、である。つくづくと思わないわけにはいかない。朝日という新聞は、なぜ性懲りもなく日本と日本人を貶める記事ばかり書くのか。最近の産経によると、今夏、朝日は沖縄戦について「日本軍は住民を守らなかったと語り継がれている」などとする中学・高校生向けの教材を作成した。それを九州各県に配布していたという。

 『正論』10月号にも書いたのだが、朝日人といわれる記者たちは日本が嫌で嫌でたまらぬ人種であるらしい。日本を悪しざまにののしり、祖国をひどく貶めることが国際的な教養で、良心的な行為だと錯覚している。それが知識人的なことだと思い上がっているのである。

 一体、この病理現象はどこからきているのか。西尾幹二氏にいわせると「自国や自民族の文化を蔑み、少しでもネガティブに表現することが道徳で、自らの美意識に適い、文化的な行為であるという錯覚、それに快感が伴うという病的な心理」(『WiLL』12月号)であるそうだ。

 また徳岡孝夫氏はこういっている。

「私が思うに、慰安婦問題の根源は、朝日記者が自らは日本人というより朝日人だと自覚していることにある」(『清流』12月号)

 この朝日人とは何なのか。何を志し、何をめざしているジャーナリストなのか。その精神構造をとくカギは、どうやら朝日新聞綱領にかかっているらしい。三露久男という元朝日論説副主幹氏がコミュニケーション誌に書いているところによると、朝日新聞社員の“憲法”というべきもので4項目から成る。その3項目に「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」とあるという。

 わかった、問題の根はその「進歩的精神」という奴である。「進歩的」という三文字がキーワードなのだ。すなわち進歩=善、保守=悪という往年のばかばかしい二元論パターンである。伝統や歴史という古いものを一掃し、革新や先取という新しい皮をかぶる。手取り早くいえば左翼かぶれである。事実の確認より先に、進歩的という左巻きイデオロギーの発露がある。ここに朝日人の悲劇性の宿命があった。

 おかしなことだが、世にはそんな左巻きの新聞をありがたがる人が多い。盲目的な信者が少なからずいた。いや、いまなお根強くいる。

 ところが、その朝日的錯誤の妄想を、当の朝日以上にばらまいている新聞があるのに驚いた。目を疑った。

東京新聞、2014年10月5日付の紙面
 老蛙生はすでに6月いっぱいで朝日の購読をやめている。一連の誤報問題より前の集団的自衛権報道の狂態にあきれたからだ。それでは不便だろうといわれるが、そんなことはない。いまは3紙をとっているが、『正論』営業OBのMさんが、毎週、朝日をはじめ“これは”と思った各誌紙の記事をコピーで送ってきてくれるからである。

 で、何に驚いたかといえば、Mさんが届けてくれたコピー群のなかに東京新聞10月5日付の1ページがあった。それがなんと、本多勝一氏(82)の紹介インタビューで全ページ埋め尽くされているのである。

 本多氏といえば、中国の反日宣伝を丸のみした悪名高い『中国の旅』の朝日記者である。その日本の悪口を国際的に広めたジャーナリストへ、歯の浮くようなオマージュ(称賛)をささげているのだ。呆れてものもいえなかった。

 辛口のコラムニスト故・山本夏彦翁は「東京は朝日のまねっこ新聞です」と批評していたが、それをそのまま、本多氏は「(最近の報道は)朝日新聞と東京新聞がひっくり返ったみたいだ。今の東京新聞は、昔の朝日のように、いい記者が自由に書いている気がする」などと、おべっかをお返ししている。

 老蛙生は漱石にならってその新聞コピーを丸めて、ゴミ箱に捨てた。ただし後架へ捨てるのはやめた。水洗がつまっては困るからである。