湯浅博(産経新聞特別記者)

(平成23年8月発行『誰も書かなかった「反日」地方紙の正体』より)
 菅直人首相が平成23年(2011)1月に行った二つの外交演説「歴史の分水嶺」と「開国と絆」は、国づくりの理念として開国がキーワードだった。日本はこの150年間に「明治の開国」と「戦後の開国」を成し遂げ、次いで日本は価値観の多様性の中で第三の開国に踏み切るのだといっている。

 確かに江戸末期は、3隻の黒船がやってくるとあっという間に開国して近代化を推し進めた。だが、敗戦後のそれは鎖国を克服したわけではなく、逆に米国などからの封じ込めから解かれる過程であった。まして、現在の日本は世界に冠たる貿易立国であり、いまさら開国といえば、現状が閉ざされた社会であるとの誤解を招くことになる。いま問われるのは菅首相のいう開国などと大げさなものでなく、農業保護などの制限の撤廃交渉の話しである。

 むしろ菅首相があえて「開国」をいうなら、戦後平和主義に潜んでいるあらゆるタブーを取り除くことである。首相率いる民主党に欠落しているのは、「平和のために軍事力を使う」こともあるという確かな意思である。

 ペルシャ湾からインド洋にかけてテロリストや海賊が横行しているというのに、米国主導の多国籍軍から給油艦すら撤収させてしまった。開国を唱えるなら再び給油艦をインド洋に戻すべきだろう。この海域は日本の九割を超える石油動脈のシーレーンであるのに、すべてを他国に任せて、自らを守る気概がないことを世界に表明しているようなものだった。

 まして、日本は中国、ロシアの核保有国と、保有を豪語している北朝鮮に囲まれている。そんな不安定な海に漂っているというのに、核論議の「か」の字もゆるされていない。

現代の魔女狩り


 日本で核論議が起こると、どういうわけか反核論者は中国、韓国、そして北朝鮮が困ることになると考える。国際協調の顔をした友好派が先まわりをして、国内核論者に対するバッシングを買ってでるのである。たとえ、それが北朝鮮の核実験に対する制裁論議であっても、「反核」の声を動員して「前のめりに過ぎないか」(朝日新聞社説)と茶の間に呼び掛ける。

 そうした議論封じの閉鎖性は、朝日新聞や共同通信の影響を受けやすい地方の論壇にまで波及している現象がある。世界の地殻変動も気づかずに自由な言論すら許さない現状は、過剰な理想主義の落とし穴であろう。

 自民党政調会長だった中川昭一氏が、平成18年10月15日のテレビ番組で、「核論議があってもいい」と付け加えると、非難はとたんに拡大再生産されていく。一部を除いて、現代の魔女狩りのように全国の地方紙で非難の合唱が起きた。しかも、これら地方紙の社説は、不思議に反核用語をちりばめてパターン化したものだった。

 典型的なのは同年10月24日付北海道新聞で、「唯一の被爆国として非核三原則を国是とする日本に核保有論議は必要ない」と中川氏を攻撃した。このフレーズだけで、たちまち思考は硬直化し、道民から自由な議論を取り上げてしまう。同様の議論は、中国新聞愛媛新聞などにも顕著にみられ、「唯一の被爆国」や「非核三原則」は絶対不可侵だから、それだけで読者はもう金縛り状態に陥る。

 さらに、北海道新聞社説は「核廃絶は議論の余地ない世界共通の願いだ。日本はその先頭に立ち、国際社会の尊敬と信頼を得てきた」との結論に至る。22日付高知新聞も、似たような語彙をちりばめていた。こちらは、もっと扇情的で「日本の政治家が目指すべきは被爆体験を国際社会に訴え、核廃絶の先頭に立つことだ。日本が核廃絶の旗を掲げずして、誰が掲げるのか」と議員たちの感性に訴えた。

非核四原則「議論せず」


 これらの地方紙が「国是」と断言する非核三原則について、夕刊フジの漫画がまっとうな疑問を呈していた。ただ一言、日本は「いつから非核四原則になったのか」との皮肉であった。日本は核兵器を「つくらず、持たず、持ち込ませず」だったが、これに「議論せず」を加えて、自らを縛ったようなありさまであった。

 しかも、この「持ち込ませず」は佐藤栄作首相が発言した昭和42年当時にあって、米国の核兵器を日本国内に配備しないという意味だった。それがいつの間にか、核搭載の米艦船の寄港も通過もさせないと騒ぐ始末である。そこで、寄港する米艦船はどこかに核兵器を一時預かりしてから入るタテマエとした。ばかげた話だが、少しも不思議とは考えないよう、お互いが思考を停止したのだ。

 米海軍の艦船が第7艦隊の拠点である横須賀基地に入るたびに、新聞記者たちは「入港する艦船は核を搭載していますか?」と、さらにばかげた質問を発するようになった。まるで8月15日に靖国神社に参拝する現職大臣に「公人ですか、私人としての参拝ですか?」と繰り返す無意味な質問と同じである。

 対する米海軍側の答えもまた、決まっていて「核搭載の有無はイエスともノーとも言わない」と応じる。米海軍の広報官も書面で答えているから、かねて用意の文書なのである。おそらく半世紀もの間、少しも変わらぬ米側の答えだろう。この「核がありそうな、なさそうな」というぼんやりが大事で、これを曖昧戦略という。

 近年では、クリントン政権の時代に対台湾政策でも「曖昧戦略」という言葉を聞いた。中国が台湾侵攻した際の対応について、当時のジョセフ・ナイ国防次官補は「米軍が介入するともしないとも言わない」と述べていた。答えを曖昧にすることで中国側を刺激しないように配慮し、かつ抑止力を維持する狙いがあった。含意は、仕掛けてくれば米軍が応戦することになるから武力攻撃は止めておいた方がいいですよ、ということである。

 有名な曖昧戦略はイスラエルの政策で、核兵器について「持っているとも、いないともいわない」というだけで、国際原子力機関(IAEA)の査察を回避することができる。同時に、アラブの敵対勢力は「ヘタに手出しできない」と思いとどまる。イスラエルは「持っている」ことを明らかにしていないのだから、核開発が阻止される核拡散防止条約(NPT)に入らずにすみ、世界に対しては「核があるから怖い」と思わせることができた。最小の投資で最大の効果を生んでいるから、大した知恵である。

 例の北海道新聞は少し前の10月17日付でも、「被爆国としての経験を国際世論に訴え、核廃絶への先頭に立つことだ。『目には目を』とばかりに核抑止論を持ち出すことはできない」と断定している。そんなことをすれば、「平和憲法と非核三原則で、平和国家を自負してきた日本の根幹を大きく揺るがす」と指摘している。

 この社説子は論旨が逆転していることに気づいていない。守るべきは国民の生命と財産、繁栄と安全なのであって、平和憲法や非核三原則などではない。国民の繁栄と安全を守るために憲法を変える必要があれば改憲すべきだし、国民の安全を守るために必要なら、非核三原則を放棄することもやむを得ない。

 中国新聞の10月17日付社説がいうように、「核兵器による報復の連鎖が人類の滅亡につながる」からこそ、核の抑止力によって使えないように封じ込める必要があるのではないのか。その際に必要なのは、平和憲法や非核三原則の幻想をふりまくのではなく、自衛隊と米軍との共同作戦の策定と指揮権の調整という具体的な提言である。さらに米国の核抑止力の効果を高めるために、日本が非核三原則を修正し、米国の核ミサイル搭載艦であっても日本寄港を容認することを検討すべきなのだ。

 北朝鮮の行動を抑止するのは、国連決議という権威の圧力だけでは不十分である。日本はすぐ隣に核を振りまわす異常な国があることを肝に銘じるべきであろう。核実験を二度にわたって強行し、ミサイルが日本上空を越えて発射され、南北境界線付近にある近海諸島で軍事活動を展開し、ついには韓国の駆逐艦を沈め、韓国側の島に砲撃まで強行している。

「核廃絶」宣言のウラ


 中国新聞や愛媛新聞がいう「核の廃絶」は、それが実現可能であるなら望まぬ者などはいない。ところが現実は、彼らが考えているよりも厳しい。良心的な核の開発者が手を引いたとして、良心的でない核開発者が代わってその開発に携われば少しも事態は変わらない。それが核のジレンマなのである。

 だから、米国のオバマ大統領がプラハで「核の廃絶」を歌い上げたときに、世界の指導者でいったい何人が素直にそのまま受け取っただろうか。一般的に「不戦の誓い」や「核廃絶」など政治家の吐く理想主義ほど疑わしいものはない。そうあってほしいとは願うが、国益を担う政治指導者が廃絶に言及する以上、腹にどんな一物を抱いているかは分からない。

 大統領が「核廃絶」にふれて以来、世界中から称賛の嵐が起きた。やがて、時間がたつうちに国際社会はその真意を探り、隠れた意図がなんであるかの論争が起きた。おそらく、日本の優れた文明批評家だった福田恆存が生きていたら、「悪魔は二度と地下には潜らぬよ」と冷笑していたに違いない。

 福田のいう悪魔とは核兵器のことであり、これほど醒めた目で核技術の本性を見極めた論者も少ない。福田が挑発的な論文「現代の悪魔」を発表したのは、半世紀近くも前の昭和36年のことである(『福田恆存評論集』麗沢大学出版会)。

 オバマ大統領のプラハ演説に関する数ある論評の中で、ウォールストリートジャーナル紙に掲載された元国防長官、シュレジンジャー氏の見解が、この福田説に比較的近かった。シュレジンジャー氏は核廃絶について「米国の理想主義と米国が田舎者であることが結合してできたもの」と、その幻想論を非難した。そのうえで、1928年の「ケロッグ・ブリアン条約と同じではないか」と突き放した。

 当時のケロッグ長官はフランスのブリアン外相とともに、「紛争の解決は戦争によらず、平和的手段による」というパリ不戦条約を主導した。だが英独仏はたとえ不戦条約を結んでも、「自衛権までは否認しない」と条件を付けている。彼らの腹の中には、ソ連の対外行動を封じる一物があったのだ。案の定、条約はすぐに破られた。

 シュレジンジャー氏は核についても、「核廃絶を願うのは構わない。でも、それが実現しないことを祈るべきだ」と痛烈だ。なぜなら、「核のない世界」が実現したら、常に誰かが密かに核兵器をつくっていることを心配しなければならないからである。福田恆存が「良心的でない核開発者がひそかにつくる」と指摘したのと同じ議論である。いまやそれが、北朝鮮、イラン、もしかしたらテロリストであることを私たちは知っている。

 だから、10月28日付の河北新報社説で「わが国は世界で唯一の被爆国であり、その立場を再認識し、核を保有しないことを逆に強みにしたい」との所論を福田が読んだら、無邪気な楽天主義に卒倒しかねないだろう。社説はさらに、「事あるごとに非核三原則の堅持に言及し、世界の核廃絶に向けて、リードしていくことではないか。理想論ととらえる向きもあろうが、それが世界から信頼を勝ち得る国の姿であり『主張する外交』だろう」と結んでいる。理想論というより、浮世離れした空想の世界をさまよっている。

 社説子が考えるように、米国のオバマ大統領はプラハの演説で夢のような「核廃絶」を訴えて熱狂的な歓迎を受けた。その挙句に、ノーベル平和賞まで受賞してしまった。しかし、オスロの選考委員会は河北新報ほど楽観的ではなかった。そこにはむしろ、言葉だけのオバマ大統領に賞を渡して、廃絶への努力から後退できないように仕向けるリアリズムがあった。

 振り返れば、19世紀の昔に、ロシア皇帝アレクサンドル一世がウィーン会議の後に、軍縮を呼び掛けたことがある。二世がこれを引き継いで「完全軍縮」という夢の提案を行った。時移り、ソ連時代になると、フルシチョフ書記長は全面完全軍縮を、ゴルバチョフ書記長もまた20世紀末までに核兵器の全廃を提案したことがある。

 実は歴史は実に過酷な現実を突きつけてくるもので、こうした夢の提案国には、ある共通の立場というものがあった。

 つまり、アレクサンドル一世は当時、世界最大の軍隊を擁していたし、フルシチョフやゴルバチョフも戦略核をせっせと積み上げ、気がつくと米国を圧倒していた。その分、軍事費が財政を圧迫してくるから、限界点に達すると、持ち前の厚顔さで格下の敵に手打ちを求めるのである。

 オバマ大統領の米国も、まともな核弾頭やこれを載せる長距離ミサイルも、いまはロシアを圧倒している。1991年に合意した第1次戦略兵器削減条約(START1)が期限切れとなり、ロシアは老朽化したミサイルの更新が滞って、米国に後れをとるばかりであった。

 米露が世界の核兵器の90%を保有していることを考えれば、ここで「核廃絶」に踏み切ることはいうまでもなく歓迎されてしかるべきだろう。米主導の核不拡散など核を持たない国に規制をかけるばかりで、保有国の削減には無頓着だったからだ。ただし、大国の指導者が「夢の軍縮」を語るときは、本当の狙いを隠していると考える方がよい。かつて米国を圧倒していたゴルバチョフ書記長のソ連は、レーガン米政権が進める戦略防衛構想(SDI)の中止を条件としていた。

 オバマ政権にとっても、核は持っているだけでカネがかかるし、まさにミサイル防衛予算の20%削減を国防総省に命じている時期であった。核廃棄によって通常兵器だけになれば、なおのこと米国に有利に働く。

 しかし、理想を高く掲げ過ぎると、失望感を感じたときの反動が大きい。ミサイル共同開発の疑いのある北朝鮮やイランの“枢軸”に対して、オバマ流の「道義的権威」などで説得可能なのか。北朝鮮はミサイル発射で米国を引きつけて、国連が議長声明で北を非難すると「六カ国協議からの脱退」を宣言した。自らの罪を人になすりつける予想通りの恫喝である。

 中国は軍事費が聖域化されているから、いまなお戦域核の増強に余念がない。何よりも、肝心のロシアのプーチン首相は、「核兵器を保有しない国は、真の主権国家とはいえない」といった張本人である。日本の周辺は、相変わらず腹黒い国家ばかりである。

 オバマ政権に望むのは、核削減は結構ながら力の均衡を崩さないよう減らすこと。北とイランの核保有阻止では、同盟国の意向を考慮することである。米国の「核の傘」に信頼がおけなくなれば、日本は核オプションを論議せざるをえなくなるからである。

核大国からどう日本を守るのか


 北海道新聞はじめ中国新聞、河北新報、愛媛新聞など地方有力紙は、核廃絶に反する発言を封じることに熱心なあまり、核保有国から日本の繁栄と安全をどう守るかの主張がない。中国新聞平成18年11月1日付社説は、結論としてこう結んでいる。

 「戦後六十一年間、日本は平和憲法と非核三原則で平和国家を築いてきた。そのことにもっと自信を持ってよい。この際、非核三原則の法制化を目指すのも方法だ。政府が胸を張って、核廃絶に向け世界をリードできるのは間違いない」

 こうした幻想に対しても福田恆存は容赦がない。ある軍縮案を相手国が受け入れるのは、それが相対的に自国の軍拡につながる場合だけであると。だから彼は、軍縮とは「天使」のものではなく、「悪魔の化身」であると注意を喚起するのである。実際にオバマ提案にそって核全廃が成功したとして、米国は通常兵器でもなお優位に立つ。老朽化する核ミサイルをもつロシアは、廃棄分も削減数に数えられるから米国だけが実質的に減らすことになるとほくそ笑むのだ。

 米国は日本を含めて世界の30カ国に核の傘を提供している。冷戦中に西にあった核の脅威はいま、中国や北朝鮮により東に移った。アジアに悪魔の跳梁がある以上、日本は「悪魔の化身」に惑わされてはならない道理である。

 これらの社説が、米国の核政策を批判し、日本の核論議さえ「ダメなものはダメ」といえるのは、無意識のうちに米国の「核の傘」を信頼しているからではあるまいか。もっとも、その米国の「核の傘」は本当に安定して、かつ信頼性があるのだろうか。

 戦後、安全保障を米国にゆだねてきた日本人は、北朝鮮が日本攻撃に踏み切れば、間違いなく米国が北を叩き潰してくれると信じてきた。それが米国民の生命と財産を守り、国益にもなると考えてきたからだ。その思い込みは、反核運動をしている反米リベラル派にこそ強いと筆者は疑っている。

 京都新聞の平成18年11月8日付社説「核保有論議 いらぬ疑念招くだけだ」には、そうした米国の傘を前提に議論していることがうかがわれる。

 「米国の核の傘の下という条件付きながら、日本は、核使用は人道上決して許されないと訴え、世界に向け核廃絶を呼び掛けてきた。それは唯一の被爆国としての責務でもある。今、行うべきは核拡散防止条約(NPT)体制の有効性が薄れつつある中で核廃絶の戦略を練り直すことではないか。非核三原則をないがしろにせず、近隣諸国にも広げていく外交的努力を強めることではないか」

 米国のそれは「悪い核」で、中国のそれは「良い核」であるとの幻想が長くリベラル左派の心を支配してきた。そうした幻想が崩れたいまは、なおさら米国の「核の傘」に依存して反核運動にいそしむことになることは避けられない。

 おそらく、核を善悪で見なくなれば、もっと現実を直視するようになるはずである。具体的に検証してみれば、日本が攻撃を受けた場合でも、すべてを米国にゆだねればよいとの結論にならないはずだ。実は日米安保条約ですら、無条件に米国の武力行使を約束しているわけではないからである。

 その日米安保条約第5条は「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するよう行動することを宣言する」と述べている。この文脈でいえば、日本の防衛は米国の国益と判断されたときのみに限られる。現実には、我々が期待するほど一方的で甘い防衛手段ではないことが、次の事例で明らかになるだろう。

 平成21年4月5日、北朝鮮が「人工衛星」という名目でテポドン二号ミサイルを打ち上げたことがあった。ミサイルは大気圏外で軌道に乗ることなく、太平洋に落下した。平和・安全保障研究所の西原正理事長によると、この時のミサイル発射は、日米安保条約第五条が定める「共同対処」の最初のケースであった。北のミサイルは日本の「平和及び安全を危うくするものである」ことから、日米はイージス艦やパトリオット迎撃ミサイルを海と陸の要所に配備
した。

 ところが、このとき日米は国内事情により異なる対処方針を示していたのである。日本はミサイルかその一部が日本領土に落下するようであれば破壊することを表明していた。しかし、米国に向かって飛んでいく場合には、これを迎撃しないことにした。日本は集団的自衛権を持っているが、行使できないとの解釈をとっているためである。つまり、米国が期待する日本による「共同対処」は排除されていた。

 これに対して米国は、3月29日の段階でゲーツ国防長官が「米国に落下するのでなければ迎撃しない」と表明した。日本が集団的自衛権を行使しないなら、米国もまた、相互主義から集団的自衛権を行使しないとの見解をとったのだ。そうなると、日本海に遊弋する米海軍のイージス艦は、日本本土に着弾するミサイルも迎撃しないことになる。

 確かに、ミサイル発射後に米国の早期警戒衛星が認知して日本側への連絡があったから、情報伝達に関して同盟は機能した。しかし、肝心の防衛体制については、決して「共同対処」とはいえない事態に陥った。米国の行動が日本への不満の表明なのか、自衛隊の防衛対処で十分と考えていたのかは分からない。

 この事案は北ないしは中国から日本への核威嚇に際しての防衛上の不安を残す結果となった。ところが、日本の政治は、条約の機能不全が集団的自衛権の解釈にあることが明らかになっても、ただちに憲法解釈を改めようとはしない。

 同盟の本質は「相互防衛」にあるのに、これを無視した対応では信頼性を著しく損ない、一朝有事の際に機能しなくなるだろう。だからこそ、新聞が批判すべきは自国民を守る意識が欠如した無責任きわまる政治の不毛なのである。為政者が国民の核アレルギーを慮って、反対があるととたんに先送りしてしまうのでは情けない。

核密約に興奮


 実のところ、北朝鮮のような犯罪国家が核兵器をもつと、これまで指摘したような米軍の「核搭載の有無はイエスともノーともいわない」という曖昧戦略でさえ心もとない。それでも日本には、「唯一の被爆国」という微妙な感情があるから、米国といえども核搭載の明言を避ける曖昧戦略を続けている。

 戦後、日米間の「核持ち込み密約」に対する従来の政府答弁では、一貫して「存在しない」と完全否定してきた。この場合は曖昧戦略ではなく、国内向けに「核なし」とごまかしてきたことになる。

 この政府答弁を素直に受け取れば、せっかくの核抑止力をぶち壊すことにならないだろうか。逆に、当時の河村建夫官房長官のいうような「事前協議がない以上は核持ち込みがない」という答弁は抑止力を低減させ、かつ国家、国民に対して不誠実である。

「核密約問題」で記者会見した岡田克也外相(左)=2010年3月9日、外務省(中鉢久美子撮影)
 元外務次官の村田良平氏は、平成20年に出版した著作『村田良平回想録』や翌21年のメディアでの発言は、そういう不誠実な政府見解はやめにして、もっと、まともな核論議をすべきではないかとの提起であった。一部メディアは次官経験者の村田氏による「核兵器の持ち込みについて日米間に密約があった」との発言をだけを取り上げ、「政府のウソ」として矮小化してしまった。

 村田氏の守秘義務の危険を冒しての捨て身の発言は、もう姑息な政府答弁をやめて知的な誠実さ、高潔さを貫こうではないかとの提言である。この村田発言がきっかけとなって、民主党政権は核密約の存在を明らかにすべく有識者に依頼して外務省から資料を提出させた。しかし、その後の動きは、民主党による自民党政権時代の悪事を摘発するかのような方向にシフトしていく。

 その結果に、新聞、テレビはいわば興奮状態でこれを報じ、もっぱら「国家のウソ」を論評していた。地方紙の中でも核問題に熱心な愛媛新聞の社説「核密約認定 現在進行形の問題と自覚せよ」は、その興奮が伝わってくる典型的な事例であった。

 「あすは戦後現代史が塗り替えられる一日となるはずだ。冷戦時代に日米で交わされた四つの密約を検証していた外務省の有識者委員会が報告書を公表する。密約を否定し続けた政府は公式見解を見直す。長年の『国家のウソ』に一応の終止符が打たれる。認定される密約は、1960年の日米安全保障条約改定時の『核持ち込み』、朝鮮半島有事における米軍の『基地自由使用』、72年の沖縄返還時の『有事の核再持ち込み』の三つだ。国是である非核三原則を揺るがす報告内容は、日米安保の歴史の闇を浮き彫りにするにちがいない。沖縄返還後の軍用地の『原状回復費肩代わり』は『事実があった』としながらも、日本側の資料が破棄された可能性が高く、密約と断定しない見通しという」

 こうして核密約の存在を、国是とする非核三原則に引き寄せていく。そして「核なき世界」に言及することで、いよいよ理想主義の陶酔の中へ踏み込んでいく。

 「歴代の自民党政権は『密約はない』の一点張りで、国会答弁でも一貫して否定してきた。が、いずれも米国の情報公開や関係者の証言で明らかになっている真実である。『核なき世界』に向かおうとする現在。改定安保50年の節目。日米密約が『確かな史実』となる意味は決して小さくない。政権交代の大義のひとつが実ったとも言える」

 非核三原則との矛盾に言及し、国是の形骸化を悲しむのは、このほかに西日本新聞神戸新聞新潟日報山陽新聞熊本日日新聞などが、ほぼ同じ論旨、同じ用語で政府を糾弾していた。

 しかし、地方紙では珍しく北國新聞平成22年3月10日付社説が、政府のウソを批判しつつも、そうした密約が核の抑止効果があった事実を冷静に指摘していた。社説はまず、「相手のある外交では、表に出せない機密事項がつきまとうのも常であり、密約の存在をもって当時の外交、安保政策を全否定することもできまい」と述べる。

 外交が水面下での激しい攻防の末に、合意文書に調印するのは常であり、これをすべて公表すれば互いのナショナリズムに火がついて収拾がつかなくなる恐れさえある。多かれ少なかれ秘密があるから守秘義務も存在する。そして、北國社説は「米国の『核の傘』に守られながら、核廃絶を唱える日本外交の矛盾を繕う一つの方便だったといえなくもない」と知的誠実さをみせている。

 「外交の最大の目的が、国家・国民の安全と繁栄という国益の追求にあれば、同盟国との核密約を外交の過ちと批判して済むものではない。外交の光と影を正しく検証し、今後に生かすことが大事である。鳩山政権は非核三原則の堅持を強調しているが、冷戦構造が依然残り、核の脅威が高まる北東アジアにあって、日本の安全を守る核抑止力をいかに確保するかを考えることがなにより切実な課題である」

 まったく同感である。

 この密約は1960年代の終わりの沖縄返還交渉で、佐藤栄作首相の密使だった京都産業大学の若泉敬教授(平成8年に死去)が、著書『他策ナカリシヲ信ゼント欲ス』の中ですでに明らかにしていた。これに続く村田氏の意図を考えれば、「国家のウソ」が明らかにされたいま、日本の防衛にいったい何が必要なのかをタブーなしに論議すべきではないか。それこそが、「平成の開国」であろう。

核オプションは放棄できない


 実は、これら核密約をめぐる政府のウソは、もはや歴史的な意味しか持たないものであるという事実がある。というのは、平成4年(1992)に当時のブッシュ大統領が、日本に寄港する米空母、駆逐艦、原子力潜水艦にはもはや核兵器は搭載しないと発表していたからだ。核に代わって精密誘導ミサイルなどが進化して通常兵器の精度が飛躍的に向上してきたからだ。

 つまり、92年からはもはや米艦船に核兵器は搭載されないと断言したのである。もちろん、日本に対してはいわゆる拡大抑止が効力を発揮しているが、それは日本に配備されている非核兵器システムであり、日本に寄港する必要のない弾道ミサイル搭載型原潜に装備された核兵器によってなのである。

 かつては、米国は核兵器の配備にについて「肯定も否定もしない」という曖昧戦略をとり、他方で、日本は反核世論と非核三原則に縛られ、寄港問題を事前協議をせずに「暗黙の合意」として引き継がれてきた。

 それは昭和39(1964)年の東京五輪のさなかに、中国が核実験を強行したときの日本のジレンマに陥ったことが大きく影響している。当時の佐藤栄作首相はライシャワー駐日米国大使と会談して、きわめて戦略的な発言で大使をあわてさせたことがある。

 会談内容は、米シンクタンクの加瀬みき客員研究員が米国立公文書館で発掘した「日本国首相訪米関係資料」によって裏付けられている。ライシャワー大使から国務長官に充てた極秘文書では、この年の12月に、佐藤首相はライシャワー大使との会談で憲法改正の必要を何度も繰り返し、「もし相手が“核” を持っているのなら、自分も持つのは常識である」と述べたという。

 ライシャワー報告はこれらを「二人だけの会談で持ち出すつもりと思われる」と指摘し、大統領がその準備をするよう示唆している。

 ところが翌年1月の首脳会談では、佐藤首相はこの核保有論にはほとんど言及していない。米側文書には、ジョンソン大統領が「もし日本が防衛のためにアメリカの核抑止力を必要としたときは、アメリカは約束に基づき防衛力を提供すると述べた」とある。佐藤首相が「それが問いたかったことである」と語ったところをみると、首相の戦略意図が米国による「核の傘」を確実なものにすることにあったことが分かってくる。

 佐藤と彼の密使として活躍した若泉敬氏らの書いた外交シナリオによる対米戦略交渉であったとしたら、極めて狡猾な外交である。彼らの外交力が米国の「核の傘」を確実なものに引きだしたといえまいか。

 いずれにしても、当時のソ連は、こうした日米の外交努力のために米国の第七艦隊には、常に核兵器が搭載されていると信じていた。ソ連は米国の核兵器を恐れていたために、日本の安全保障のためには有効な抑止が働いていたということである。だからこそ、日本政府が米艦船の核搭載を否定するよりも、曖昧戦略を貫いていた方がよほど日本の安全保障のためになったということである。

 多くの国では、「核の恐怖」を逃れるために独自の自衛策を講じている。大国は核保有によって抑止力を働かせ、もたない日本は米国の「核の傘」をさしかけてもらう。それでも間に合わなければ独自に核シェルターを持つしかない。

 依然として核論議もゆるさない「不思議の国」にあっては、当面、北朝鮮の核の脅威を前に米国からの抑止を確実なものにする必要がある。日米首脳会談で「核の傘」を公式議題に取り上げ、当面、「北が計画を続ける限り日本は、核オプションを放棄しない」との表明が有用であろう。そのためにも、地方論壇が核にかかわる思考停止を放棄するよう期待したい。