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    二大政党制じゃなくてなぜ悪い!?

    古谷経衡(著述家) 日本では二大政党制というのは中々定着しない。「55年体制」に於ける自民党と社会党だって、二大政党制とは程遠かった。「二大政党」というには余りにも社会党の議席が小さすぎたし、そのせいで政権交代の可能性がなかった。アメリカやイギリスなどは、4~8年位のスパンで、明確に温度差のある二つの政党が交代を繰り返しているが、このようなダイナミック性が日本政治にはあまり観ることが出来ない。 私は日本において二大政党制が定着しないことは、全く悪いコトだと思わない。寧ろ、白黒をはっきりさせず、微温的な支持で政権が選択されること自体は、物事を常に中間で観るという志向が定着しているからで、健全な感覚に近いと思う。 アメリカの共和党や民主党は、個別の政策という以上に、明らかに人生観や倫理観の違いが本質的な対立点になっている。同性婚の是非、人工妊娠中絶の是非云々、というアメリカの保革の両極で熾烈な争点になりがちなイシューは、個別の政策というよりもそれらを支持する人々の宗教観を背景にしたものである。日本にはこのような、宗教観を背景とした人生や倫理を問う話題が、真っ二つに分裂し、そこに党派性が宿るという事例は、ほとんど観られない。 日本で見られる保革の両極による熾烈な激突は、例えば憲法「9条」問題に観ることができるが、実際には9条の改正については、自民党、維新の党、次世代党などが「改憲」、公明党が「加憲」、民主が「創憲」と、現状の国会における議席の、9割近い議席を占める各党が、現行憲法に対して何らかの形での変化を望んでいることからも、実際にはその方法論はともかく、「国論を二分する状態」になっているとは言いがたい。 日本における護憲政党はわずかに共産・社民・生活などの少数野党で、この全部を合計してもかつての社会党の議席にも遠く及ばない。日本の有権者は常に、極端で過激な主張を嫌い、中間的で微温的な意見に耳を傾けているからだ。 それでも、「もし二大政党制が日本で実現するとしたら」を想像するのは楽しい。日本で、両者が激突する熾烈なテーマというのは何だろうか。 例えば「モテ党」と「非モテ党」というのはどうだろうか。前者は異性に不自由しない人々の団体で「一夫多妻制法案」や「重婚解禁法案」を提出する。他方、異性にモテない後者の団体は、「童貞軽減税制」や「クリスマス禁止法」の制定を求める。国会内で大激論が交わされるのは必至だし、時として流血の事態にすら成るかもしれない。 更に進めば「猫党」と「犬党」というのも大きな対立点だ。基本的に猫や犬を飼っている人間というのは、自分の飼っている動物が「世界で一番カワイイ」と信じ込んでいる。そこへきて、「猫飼育優遇税制」、「犬飼育優遇税制」などが提起される。限られた予算を、犬と猫で奪い合うという骨肉の争い。こちらも大紛糾に成るだろう。 少し真面目な話に戻せば、「持ち家党」と「借家党」。これは大きな対立点になりうる。「持ち家党」は固定資産税の減免と住宅ローン減税を求める。持ち家のバリアフリー化や耐震診断や補強工事を100%国が助成せよと迫る。とにかく土地所有者に有利な法整備をどんどん提言する。自身が大家になる場合もあるから、所謂「敷金訴訟」などは、徹底的に大家側の味方だ。 一方、「借家党」は国による公営住宅の増設やURの入居審査の緩和、借地借家法の更なる弾力化と、特定優良賃貸住宅の入居基準の緩和と物件数の拡大などを要求する。「敷金訴訟」では、預けた敷金の倍額を慰謝料で払え、等という無茶苦茶な大家への濫訴も支持する。礼金や保証金を法律で禁止し、「更新料」を廃止し、家賃値上げ訴訟の場合、弁護士費用は無料にしろと主張する。違反した大家や仲介業者には熾烈なパナルティーを課す。とにかく借り主に有利な法整備をどんどん提言する。 恐らく、これこそが最も大紛糾に陥るのではないか。土地持ちの老人と、もたざる若者の間で本格的な世代間闘争が勃発し、全国各地で粗暴事件や訴訟が激増するだろう。 やっぱり、「二大政党制」は無い方がいい。

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    ジャーナリストが権力を批判して何が悪いのか

    古谷経衡(著述家) 朴槿恵大統領に対して名誉を既存するコラムを掲載したとして、名誉毀損(情報通信網法)違反で韓国検察に起訴された産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長に対する初公判が、27日、ソウル中央地裁で行われた。 公判中の加藤氏にたいしては、現在、韓国検察が「出国禁止措置」を発して事実上の軟禁状態にある。 この事件は、日本のみならず「自由と民主主義」を標榜する世界の自由主義国家に強い衝撃を与えた。韓国はGDPが世界でも15位前後、G20にも出席し、アメリカや日本など西側の自由主義国家と軍事的にも政治的にも、強い関係を有する「西側の自由主義国家の一員」と観られてきた。その「西側の自由主義陣営」の一角である韓国が、自由と民主主義に逆行するような姿勢を鮮明にしたのが、今回の産経加藤氏に関する事件である。 今回の加藤氏への起訴は、「現政権(大統領)の名誉を傷つけた」という韓国検察の言い分が核心である。つまりここからは、「現在の権力者に対する批判的言説は一切許されない」という強い建国検察の意志を感じる。 加藤氏の弁護側は、今回の公判で「コラムに公益性があり、朴大統領を誹謗する目的はなかった」と主張し、一貫して韓国検察による主張に対向する姿勢を鮮明にしている。 しかしよく考えてみると、ジャーナリストが「時の権力者を批判する」のは当たり前のことであり、時としてそれが「誹謗」と呼ばれるようなニュアンスであっても、通常の自由主義国にあっては、そういった時の権力者(現政権)を揶揄し、批判的に論じることは「自由と民主主義」が確立された社会にあっては当たり前のことだ。 だから韓国検察の「朴大統領を誹謗した」という起訴理由そのものがジャーナリズムに対する挑戦であり、「誹謗したわけではない」という弁護側の主張も、たとえそれが法廷戦術の枠内で取られた仕方のない言説であっても、本来、筋論としては間違っている。 正確には、「ジャーナリストが権力者(朴槿恵)を批判・誹謗して何が悪いのか」というのが、加藤氏を弁護する上で、最も的確な理屈なのである。 いかなる権力者に対しても、かならず批判的精神でそれを見つめるのがジャーナリズムの役割である。韓国の法廷で弁護側が上記のような主張を行うことは、加藤氏を弁護する側にとってやむを得ないことだと思うが、本来であれば「朴槿恵という権力者を揶揄したり皮肉ったり批判したり、時として罵倒するのがジャーナリズムの本懐ではないか」と堂々と抗弁するのが、「西側の自由主義国家」で活動するジャーナリストの一致した見解のはずである。 だからこそ、今回の事件が世界の自由主義国家に衝撃を与えたのは、そのコラムに朴槿恵を誹謗する内容があったとか無いとか、そういうことではなく、「権力者に対する批判は一切許さない」という、その韓国のジャーナリズムに対する姿勢そのものなのである。 独裁国家や権威主義国家では、時の権力者を揶揄することも、批判することも無論タブーである。スターリンやフセインや毛沢東や金正日に対する批判的言説は、それが例え事実であろうとなかろうと、その度合の濃淡がどうであれ、一切黙殺され、その禁を破ったものは投獄され、処刑されている。 ニキータ・ミハルコフの映画に『太陽に灼かれて』という作品があった。1930年代のソビエトを舞台にした大粛清をテーマにしたものだ。主人公のコトフ大佐は、ロシア革命で功績のあったエリート将官だったが、ソビエト秘密警察「NKVD」にほとんど言いがかりのような理由で、「反スターリン気質」を疑われ、やがて連行される。 美しいロシアの大自然を舞台に描かれたこの作品は、「権力者を揶揄する、僅かな素振りを見せただけで」粛清の対象となり、実際に消えていった数多の人々の事実を照らしだし、スターリニズムと独裁体制の恐怖と不気味さに迫ったものである。 翻って、今回の加藤氏の起訴事案は、はからずもこの『太陽に灼かれて』を思い出した。時の権力者たる朴槿恵へのいささかの批判も許されず、軟禁され裁判を受けさせられるような国は、大粛清をやっていたスターリン時代と余り大差ない。 繰り返すように、事の本質は「加藤氏のコラムの中に朴槿恵を誹謗する内容が入っているか、そうではないのか」ということではない。 そのコラムの中に、韓国検察が主張する「朴槿恵を誹謗する内容」が存在していたとて、何の問題があるのだろうか。 加藤氏への起訴と初公判は、韓国が「西側の自由主義国家」として存続できるかどうか、その試金石になっている。結審したあと、無罪判決が下らなければ、それは「西側の自由主義国家」が普遍的に共有するジャーナリズム精神に対する重大な挑戦である。 「国境なき記者団」が発表する世界各国の「報道の自由ランキング」の最新版では、韓国は世界50位台(中位圏)に位置しているが、日本もこれと大差のない順位と評価されている。しかし、加藤氏の裁判の行方次第では、韓国のランキングは、明らかに世界の下位圏に転落するだろう。 我々は、「西側の自由主義国家」の一員として、ジャーナリズムの根幹に対する挑戦を断じて許してはならない。

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    愚かな韓国よ、目を覚ませ

    韓国の朴槿恵大統領に関するコラムをめぐり、名誉毀損で在宅起訴された産経新聞前ソウル支局長、加藤達也記者の初公判が27日、ソウル中央地裁で開かれ、加藤前支局長は起訴内容を全面的に否認した。真に守るべきは大統領の名誉か、言論の自由か。記者訴追の暴挙で非難を浴びる韓国にいま一度問う。

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    問われる「保守」のカタチ

    古谷経衡(著述家) 16日に投開票された沖縄県知事選は、普天間飛行場の辺野古への移設に反対する翁長雄志氏(前那覇市長)と容認派の仲井真弘多氏(現職)の接戦とみられたが、蓋を開けてみれば翁長氏が約36万票、仲井真氏が約26万票と10万票という大差で翁長氏が勝利した。 この事実は、普天間移設の是非で拮抗しているとみられた沖縄世論が、移設反対に大きく傾いていることを意味するものだ。 選挙前、「ネット上で右派的、国粋主義的な言動を行う人々」=通称「ネット右翼(ネット保守とも)」界隈では、基地移設容認を掲げる仲井真氏への支持が圧倒的に強いという状況であった。 彼らは、沖縄における反基地運動や集会を「反日左翼の仕業である」として、強い呪詛の対象として捉えている。加えて沖縄の米軍を「日本を護る存在」として捉え、在沖の米兵を悪者のように言うのは、「反日だ」と罵っていた。 加えて、米兵による犯罪に対する捉え方も様々である。1995年に起こった米兵3名による「沖縄少女暴行事件」では、加害者の米兵ではなく、被害者の少女の側の素行に問題があった、とする意見も、ネット上では盛んに喧伝されている。 在沖の米軍は日本を護る存在であり、米軍基地は日本に無くてはならない存在。それに対し反対するのは「反日」―。「ネット右翼」の在沖米軍と反基地勢力に対する評価は概ねこのようなものに終始している。 「ネット右翼」がこのように、時として過激な「反基地」「反米軍」への敵意を剥き出しにするのはなぜなのだろうか。「保守」と「ネット右翼」の違い 私は、「保守」と「ネット右翼」を区別して定義している。 まず「保守」とは、戦後日本の中で、全国紙「産経新聞」と、論壇誌「正論」を中心として(所謂「正論路線」)伝統的に自民党清和会(福田派)のタカ派的国家観を支持する人々の事を指す。言わずもがな、この「正論路線」のイデオロギー的骨子は「反共」と「親米」である。 これに対して「ネット右翼」は、こうした「保守」の自民党的出自とは違う、全く別の場所=インターネット空間から発生したクラスタである。特にゼロ年代の初頭、2002年の日韓ワールドカップ前後(反大メディア、嫌韓国)からその傾向が顕著となったものだ。 このように「保守」と「ネット右翼」はその出自からして全く異なっているにも関わらず、両者の主張は似通っている。なぜかといえば、現在「ネット右翼」の主張や見解は、「保守」の理屈にその多くが寄生しているからである。 これは例えば、「保守」の論客が「中国脅威論」を唱えれば、ネット右翼が「支那人けしからん」、「日米同盟強化」を唱えれば「米軍基地に反対する人間は全員反日」という理屈になってネット空間に排出されている。 前出した「ネット右翼」の在沖米軍に対する捉え方の多くは、保守のいう「米軍抑止力理論」に依拠している。ところが保守側は、「支那人がけしからん」「全部反日だ」などという過激で無思慮な物言いまではしていない。「米軍抑止力理論」には軍事的な裏付けがあるが、その部分はすっ飛ばして「沖縄が中国に占領される」などという突拍子のないタイトルのシュミュレーションのみが、なにか重大な根拠のようにネット空間を飛び回り、「反翁長」の潮流に結びついていた。 なぜ「コピー」ではなく「寄生」なのか。それは、実のところ「ネット右翼」の言説というのは、「保守」と目される人々が出版したり寄稿したりする本や雑誌の詳細を読むこと無く、そのヘッドライン(見出し)のみを観て自説に採用しているからである。「コピー」は原文を引用する場合があるが、「ネット右翼」はそもそも原文を読まず、「保守」の言う理屈のヘッドラインと目次だけを見ている。 だから本当は「中国脅威論」にも軍事的な分析や薀蓄が含まれているし、実際のチャイナ・ウォッチャー達の見識が縷縷含まれているのだが、そうした部分を一切無視してタイトルだけを拝借して「支那人けしからん」というふうになる。 まこと「保守」から発信される情報の、そのヘッドラインにだけに寄生する「ネット右翼」のこうした行為を、私は「ヘッドライン寄生(見出し寄生)」と名づけている。 「ネット右翼」は体系化された「保守」の理屈にそのまま寄生し、ヘッドラインだけをみて表現を過激に加工することで自身の理屈に採用しているきらいがある。 つまりネット上で盛んに米軍を擁護し、それに反目する人々を「反日」と呪詛する動きが見られるのは、「ネット右翼」が寄生している宿主である「保守」が、「親米」だからに他ならない。そしてその「親米保守」の言う、ヘッドラインのみに寄生して、粗悪な「反日」の言説がひとり歩きしているという情勢だ。問われる「保守」のカタチ ネット上には、「翁長氏が沖縄知事になれば、沖縄が中国の属国に成る」などといった俗説が百花繚乱である。翁長氏が知事になることが確定した今、「沖縄が中国の属国になる」が本当かどうかは厳密には分からないが、ネット上にある「中国の工作員が沖縄に忍び込んで、沖縄が人民解放軍に占領される」などという意見は突拍子もないシュミュレーションの一種であることは明らかだ。 たしかに、中国の軍事費は毎年二桁の増加をみせており、不透明な部分も多く指摘されている。中国人民解放軍は特に空軍力と海軍力の近代化を急いでおり、現代戦に不可欠な無人機の開発も怠っていない。国産の航空母艦4隻建造の観測もある。 南沙諸島、西沙諸島での中国軍とベトナム、フィリピンなどとの緊張と衝突は現実問題として起こっている。いまや世界第二位の経済大国になった中国に対し「中国脅威論」が展開されるのは無理からぬところだ。 その抑止力として、沖縄に米軍を存置させるのが、日本の安保政策にとって必要不可欠だ、という理屈は非常にわかる。しかし一方で、反基地運動を展開し、米軍に嫌悪感を示す人々を「反日、中国の手先」と決めつけるのは如何なものだろうか。 翁長雄志氏は、選挙戦の演説の中で「私は保守の政治家である」といった。本土の保守派が聞けば、「辺野古移設反対で日米同盟に亀裂がはいるというのに、何が保守だ!」と怒る人が大勢いる。しかし、その理屈はあくまで「親米保守」の理屈であり、多分翁長氏が言う「保守」の姿とは違っているのだろう。 一般的に「保守」とは、「伝統や文化を守り、育てていく姿勢」と理解されている。沖縄から基地をなくし、沖縄が先祖から受け継いだ伝統的な土地を回復する、という主張は、おそらく沖縄にとっては「最も保守的」で「ナショナリスト」的な立ち位置なのかもしれない。 沖縄戦末期の折、大田実中将は東京に向けた「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」とする決別電文を打電したことは余りにも有名である。 沖縄戦では、軍10万、民間人10万余の、軍民20万人が死んだ。 沖縄を本土決戦の時間稼ぎとする、という大本営の作戦計画の是非はともかく、沖縄と日本を護るために戦った20万の人々は、戦後の沖縄に「旧敵国」であった米軍の軍事基地を常設化することなのだろうか。 死者の気持ちを忖度するわけではないが、私は違うと思う。沖縄に対する「後世特別ノ御高配」とは、米兵に「銃剣とブルドーザー」で接収された沖縄の先祖からの土地を回復し、沖縄の古来からの伝統と文化を守る強い「保守的立場」ではないのか。 或いは、米軍基地の代わりに、強力な日本の軍隊を常駐させることも、重要な「後世特別ノ御高配」の一つであることは間違いないだろう。 そういった意味では、翁長氏への支持に、革新勢力だけではなく自民党の一部が分裂して、沖縄の保守勢力までもが翁長氏を支援した事実を、本土の保守は深刻に受け止めなければならない。 本土の「親米保守」にとっての「保守」とは日米同盟の維持と強化かもしれない。しかし、沖縄の「保守」とは、米軍基地の撤去と先祖から受け継いだ土地の回復だろう。この、沖縄と本土の「保守観」の違いが、いつも話をこじらせている。 本土の「親米保守」の理屈に寄生しているに過ぎない「ネット右翼」の無思慮な物言いが、時として沖縄の人々を傷つけていると感じる。或いは「ネット右翼」の上流に位置する保守が、例え体系的な理屈であっても、沖縄の「反基地・反米軍というナショナリズム」に対し、時として軽んじる発言を行うこともまた、沖縄県民の感情を傷つける場合があると感じる。 今回の沖縄県知事選挙は、辺野古移設を問うたもの以上に、「保守とはなにか」、という根源的な問いかけを行っている。沖縄にとっての「保守」とはなにか。沖縄にとっての「愛国心」とは。「保守のカタチ」がいま、沖縄から問われようとしている。*この原稿は”ポリタス「沖縄県知事選2014」から考える”へ寄稿した拙稿を元に、大幅に改変して加筆したものです。 

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    なぜ、台湾の若年層は韓国を嫌うのか~現地座談会から

    古谷経衡(評論家・著述家) あまりに激しく、そして根が深い台湾の嫌韓。いったいなぜなのか? 台北市内のレストランを借り切り、座談会を開催。若者層の声を聞いた。「台韓国交断絶」の衝撃 今秋、私は自身にとって初の本格的な歴史概説書となる『知られざる台湾の「反韓」』(PHP研究所)を上梓した。私たちは普段、「日韓関係」「日台関係」のことはよく見聞きする。韓国の反日感情とか、台湾の親日感情などの情報には、日本にいながらにして毎日のように接する。しかし「日本と相手国」という関係性を離れ、台湾と韓国という他国同士の関係性である「台韓関係」となると、途端に馴染みがなくなる。台湾と韓国は共に日本の隣国でありながら、いつもこの二国に対する切り口は日本を基軸とした関係性の視座がほとんどだった。台湾は韓国とどのような関係にあるのか、あるいは台湾は韓国をどのように捉えているかといった視点は、これまであまり存在していない。 2013年3月に開催された第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)で、共に出場国であった台湾と韓国はB組で対戦した(台中インターコンチネンタル野球場)。台湾は韓国戦には敗北したものの、予選リーグを突破した。しかしこのとき、韓国選手のラフプレーが大きな問題になり、台湾国内で「反韓」の感情が沸き起こったことは、日本でも話題となった。「棒打高麗(韓国人を棒で叩き出せ)」のプラカードや、You Tubeにアップロードされた太極旗を破り捨てる女学生の動画が紹介され、このとき初めて私は「台湾には根深い嫌韓感情がある」という事実を知った。 WBCにおける一連の騒動についてある韓国紙は「台湾と韓国のあいだには恩讐がある」と表現した。前述のとおり、日本では嫌韓が激増しているものの、それを「恩讐」という言葉で表現する人は少ない。「恩讐」という表現には、表層的な感情とは違う、もっとシリアスなニュアンスが含まれている。この言葉の裏に存在する台湾と韓国の関係とは何か。台湾はなぜ、激しい「嫌韓」の国になっているのだろうか。私はそれを探るべく訪台した。 「台湾における嫌韓」を調査すると、まずこの二国の奇妙な国際的立ち位置が浮き彫りになった。冷戦下、台湾と韓国は軍事独裁(蒋介石=朴正熙)、反共主義、国連非加盟国、分断国家(両岸=南北)、日本統治時代を経験、という5つの項目で見事に共通している。この時代における韓国はアジアで唯一、台湾を国家として承認していた。「お互いに孤立した共通項をもつ国家」という親近感が背景にあった。 台湾政治大学で国際関係学の専門家である蔡教授に話を伺うことができた。教授はこのような冷戦期の「台韓関係」をきわめて友好的なもの、としたうえで、「恩讐」の原因となった大転換が訪れたと指摘する。1992年に行なわれた「台韓国交断絶」である。当時、韓国の盧泰愚政権は「北方政策」と呼ばれる容共姿勢に転換していた。冷戦時代に敵対していた中国、ロシアなど共産圏の国々との国交を確立し、それまで「反共の砦」とまで謳われた国策を大転換したのだ。つまりこの年、韓国は台湾を切り捨てて中国を承認するのだが、ここには台湾人にとって忘れられぬ屈辱的エピソードが存在している。 「台韓国交断絶」の直前まで、韓国政府要人は台湾を訪問し「韓国が台湾を見捨てることは断じてない。われわれの友好関係は続く」と公式に表明し、台湾人は「ならば安心だ」と胸をなで下ろした。にもかかわらず、実際の断交は同年8月24日に電撃的に行なわれた。とくにソウルにある駐韓台湾大使館は、韓国政府から「即日の強制退去」を言い渡され、大使館職員が泣く泣く青天白日旗を降ろし、着の身着のまま国外退去処分になった。国際慣習や礼儀を無視した韓国政府の強権によって、いっさいの台湾外交員が韓国から突然追放されたのである。トンデモ説への怒り 92年以降、台湾人の反韓感情は最悪の状態が続いたが、若い世代では徐々に当時の記憶は薄れている。蔡教授によれば「台湾の嫌韓」には、衝撃的な「台韓国交断絶」を記憶している中年以上の世代と、それを経験していない若年世代のあいだで同じ「嫌韓」とはいえ認識に違いがあるという。 これを受けて私は、台湾在住の日本人教師の方の協力を仰ぎ、台湾の青年層における嫌韓感情の実態を調査すべく大規模な座談会を開催した。6月某日、台北市内のレストランを貸しきって行なわれた座談会には、総勢18名の台湾人青年が集結した。台湾師範大学、台湾大学、台湾科学技術大学など、台湾で最もレベルの高い国立大学の卒業生や大学院在学生たちであり、22歳から32歳までの男女である。まさに「台湾の若手頭脳」ともいえる彼らの目に、韓国はどう映っているのか。 台湾師範大学大学院在学中の范嘉恩さん(24歳・男性)は、台湾においては韓国の整形文化が不気味に映る、と前置きしたうえで、台湾における韓国のイメージは、やはりWBCでの韓国側のラフプレーに対する不快感が大きいと語る。范さんが挙げたのは、中でも台湾野球界のスターでニューヨーク・ヤンキースでも活躍した“台湾のイチロー”こと王建民に対する韓国ネチズンの頓狂な主張だ。王建民は片親の祖先を韓国人にもつが、それを根拠に「王建民は韓国人である」とのトンデモ説に対し、国民的スターを侮辱されたような感じを受け、怒りを禁じえなかったという。このほかにも、「孔子は韓国人」などという無根拠な韓国ネチズンの「韓国起源説」が、台湾人の嫌韓感情を後押ししている、と分析した。対中輸出で争う台韓企業 同じく台湾師範大学大学院在学中の柏さん(30歳・女性)は、「台湾に留学している韓国人には良い人が多いが……」としたものの、台湾と韓国の産業競争問題に触れた。柏さんがとくに問題視するのは2010年に起こった「韓国三星(サムスン)電子による台湾企業密告事件」である。 日本ではあまり報道されなかったが、事件の概要はこうだ。サムスンがEUから、液晶ディスプレイパネルの価格談合(カルテル)を指摘されたのだが、リニエンシー制度(談合やカルテルに加わった企業において、最初に不正を自己申告した場合、その者だけがペナルティーを免れる内部告発制度)を利用し、同じくカルテルに参加した奇美電子など台湾電子企業4社を告発、自らはカルテルを主導したにもかかわらず、EUからの課徴金を逃れた、という事件である。要するにサムスンがEUと司法取引をして「共謀した」台湾企業を保身のために売った、という経済事件で当時、台湾メディアはサムスンを「モラルのない密告者」と非難したのである(奇美電子は台湾を代表する大企業だが、この事件でEUから330億円の制裁金支払いを命じられた)。 台湾と韓国の経済的ライバル関係については、台湾大学中華経済研究院主任研究員の馬道教授からも同様の話を聞くことができた。馬教授によれば、台湾はEMS(受注代行生産)で世界的な地位を確立しているが、近年はとくに最大の貿易相手国になっている対中輸出で、猛追する韓国企業と熾烈な争いを演じているという。サムスンによる台湾企業密告事件は、このような台湾と韓国の国際競争を背景としたものだが、それにしても「仲間を売る」という不義理を犯してまで自己の保身に走ったサムスンの事例は、台湾人のなかに根深い「反韓」意識を植え付けるに十分であった。実際、台湾では韓国企業がネット上での商品レビューで、善意の第三者に成り済ましたレビュアーが自社製品を過剰に持ち上げ、ライバルである台湾企業の製品を貶める投稿をし、虚偽の宣伝工作(ステルスマーケティング)を行なったとして大問題になった。 2013年には、前述のサムスンとその取引会社である「鵬泰」が台湾公正取引委員会からステマの罪科で、罰金の支払いを命じられるなど社会問題化した。商慣習やモラルを踏みにじる行為を繰り返す韓国企業に対する不信は、台湾社会のなかで臨界点を迎えつつある。「韓国のナショナリズムは怖い」 台湾師範大学大学院在学中の鄭さん(24歳・女性)は、とくに韓国にある男尊女卑的傾向に強い憤りを覚えるという。台湾はきわめて強い学歴重視社会で、若年層にとってはスキルアップと学位取得のための海外留学は珍しいことではない。留学先はヨーロッパが多く、その影響で台湾の若年知識階級はリベラル的発想が主流を占めている。女性の人権問題や男女の不平等といったイシューにとくに敏感になりがちな鄭さんにとっても、韓国における女性の地位の低さは、同じ女性としては看過できないという。 また台湾師範大学在学中の黄さん(23歳・女性)は、2014年4月に起こったセウォル号転覆事故のあと、韓国国営放送(KBS)のスタッフらが「韓国政府(青瓦台)から事故報道で政府批判を抑えるよう圧力を受けた」として一斉にストライキに入った事件を挙げ、「韓国には民主的報道倫理観が確立されていないのではないか」と両断する。大事故の際に政府が事故報道に都合の良いように介入するのはジャーナリズムそのものを歪める行為であり、先進国ではありえない現象である。台湾のメディアにも政府に配慮した報道はあるが、さすがに韓国のような情報統制はない。韓国人は彼の国の政府によって情報統制され、それが過度な反日の一因にもなっているのではないか、と分析する。これはきわめて正鵠を射た指摘といえよう。 台湾科学技術大学卒業後、現在メーカー勤務の呉さん(25歳・男性)は、韓国の異様なナショナリズムを問題視した。呉さんは「韓国をみていると、昔のナチスと同じだと思う」と述べた。国際的なスポーツ大会で沸き起こる韓国の異様なサポーターの興奮や、国を挙げた国威発揚は、明らかに行きすぎたナショナリズムであると断言する呉さんの意見には、多くの座談会同席者が賛同した。いわく「韓国のナショナリズムは怖い」「全体主義的で危険な感じがする」等々である。 一方で、韓国のそのような「民族の団結」が逆に羨ましいという意見もあった。韓国に比して台湾ではナショナリズムや愛国心は薄く、ヨーロッパ帰りの若年知識層にはリベラリズムの観点からそのような風潮を半ば警戒し、他方「ないものねだり」で肯定する声も少なくはなかった。 台湾師範大学大学院で美術講師を務める簡さん(31歳・男性)は、冒頭に記した「太極旗を破り捨てる台湾人女学生」の動画を引き合いに出し、「このような行為はたいへん幼稚な行動」と指摘する。嫌韓をことさらに報じるメディアの背景や歴史などをまず自己解析し、客観的な視点で韓国に対する評価を決定するべきであり、ネットの風潮や意見を軽々に信ずるべきでない、という簡さんの見解は、台湾の若年知識層の教養水準の高さを物語っている。 ともあれ、彼らが韓国に対してもつイメージは、「不公正な競争」「モラルの欠如」「非民主的な社会や制度」などに対する怒りと違和感である。この延長線上で彼らが中国にもつイメージは、「韓国のナショナリズムや不道徳をさらに増幅させた存在」として激烈な嫌悪の対象になっているのだ。 1992年の「台韓国交断絶」は、台湾社会に計り知れないほどのショックを与え、台湾が世界で最も先進的で最大の「反韓国家」に変わる直接の分岐点となった。その後、ゼロ年代に入り現在に至るまで、当時を直接知らない若年層に、国際的なスポーツ大会や企業競争などでの「韓国のモラル違反」によって新しい「嫌韓第2世代」が生まれ、その勢いは拡大を続けている。 日本の隣国である台湾は親日国であることに疑いはないが、この国のもう一つの側面である「反韓という恩讐」の背景を知るにつけ、私は東アジアの大きな歴史のうねりと、友邦から仇敵に変わった台湾と韓国の関係に深い感慨を覚えるのである。関連記事■米軍慰安婦像が米大使館前に建つ日/テキサス親父トニー・マラーノ■中国のこれからと日本が果たすべき役割/丹羽宇一郎■オバマの嘘・「尖閣を守る」を信じてはいけない/日高義樹

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    移民政策の本当の怖さ

    古谷経衡(著述家) 先日、「毎年20万人の移民受け入れ本格検討」として、安倍内閣が移民受け入れを容認し、移民政策の国策を転換する可能性について、ニュースになっていました。具体的には、 政府が、少子高齢化に伴って激減する労働力人口の穴埋め策として、移民の大量受け入れの本格的な検討に入った。内閣府は毎年20万人を受け入れることで、合計特殊出生率が人口を維持できる2.07に回復すれば、今後100年間は人口の大幅減を避けられると試算している。(中略)だが、移民政策には雇用への影響や文化摩擦、治安悪化への懸念が強い。しかも、現在は外国人労働者は高度な専門性や技術を持つ人材などに限定しているが、毎年20万人を受け入れることになれば高度人材だけでは難しい。単純労働に門戸を開く必要が出てくる。(2014.3.13 産経新聞) というものです。よく、移民を受け入れる際に大きな問題として懸念されるのは、上記の記事にあるように「移民によって日本人の雇用が圧迫される(雇用懸念)」「移民がつくるコミュニティや宗教的な違いが、日本人社会との軋轢を生む(文化摩擦、治安懸念)」という大きく二つに分けられると思います。 雇用懸念については、実際にヨーロッパ圏が旧植民地(英連邦のアフリカ、インド、フランスの旧植民地、ドイツや北欧のトルコ系、中東系)からの移民によって、現地の国民の雇用を圧迫している、というのは現実の問題として発生しています。 また、文化・治安懸念なども同様に欧州の多くの地域で問題になっています。この移民政策による反応は、例えばドイツのネオナチ、フランスの国民戦線など、極右政党の誕生と社会不安につながったり、スウェーデンではイスラム系住民への反目(モスク放火)など、実際に死者が出る事態に発展することも珍しくはありません。 こういった移民によって引き起こされる数々の社会問題や不安ですが、これらは移民政策の本当の暗部ではありません。例えば中南米に移民した日系移民は、現在、現地の社会に広く受け入れられ、社会的に成功している場合が多くあります(ペルーのフジモリ大統領や、ブラジル空軍のトップが日系人である例)。更に、現在移民を受け入れる側だった英仏独北欧の国々は、かつて自らが最大の移民排出国であったことを押えなければなりません。 欧州の各国、特にドイツ、アイルランド、イングランド、イタリア、オランダ、スウェーデンといった国・地域の移民が大量に流れこんで成立したのが、現在のアメリカだからにほかなりません。移民がすべて、移民先の国々で社会問題になる、というわけではないことに留意しなければなりません。19世紀の新興国・アメリカの労働力を形成した多くは、こういった「欧州」の中でも比較的所得の低かった、ドイツ系移民、アイルランド系移民によって支えられたのです。 では、移民が引き起こす最大の問題とは何でしょうか。それは移民の出生率が、異常に高いことです。例えば1990-1998年のフランスにおける合計特殊出生率(平均)は、フランス人女性が1.65、移民の女性が2.50と、実に1.5倍以上の開きがある、というデータがあります。つまり生粋のフランス人は一生に1人か2人の子供を生むのが普通ですが、移民はそれを大きく上回って3人近くの子供を産む、ということがこのデータからわかります。更にその3人がそれぞれ3人の子供を生むと考えれば、この違いが如何に大きなものかが分かるでしょう。 移民は一般的に所得水準が低く、また就業環境も劣悪な場合が多いです。そんな中で、唯一の娯楽としてのセックス、或いは将来、親を養うための食い扶持という意味で、出生率が突出して高くなるのは、フランスに限らず世界中の移民に当てはまることです。 これはどういう事を意味するのでしょうか。簡単にいえば、移民第一世代は移民先の国では、マイノリティだったけれども、二世代、三世代と代を重ねると、加速度的に移民の人口が増加していく、と言う事を意味しております。つまり、先の記事に当てはめると、毎年20万人の移民の第二世代、第三世代は、どんどんとその人口を拡大させていく、という事を意味しています。 現在、主にメキシコ(ヒスパニック系)の移民(不法を含む)人口が急増しているアメリカですが、ある試算によると、ヒスパニック系の増加によって2050年にはアメリカは非白人の国になる、と予想されています。もっと言えば100年後にアメリカはヒスパニックの国になるかも知れません。取りも直さず、その理由は生粋のアメリカ白人よりもヒスパニック系の出生率が圧倒的に高いためです。 移民による問題では、常に雇用不安と文化/治安懸念が言われますが、これは移民の第一世代についての話であって、本当の問題とは、移民の流入によって、その国の人口(人種)構成が将来、大きく変わる事にほかなりません。 いま、例えば20万人の移民を毎年受け入れたとしても、単純計算で10年で200万人ですが、その200万人が産んだ子供が、20年、30年後には日本人の出生率を大きく上回って増加する、ということが問題なのです。「単一民族」的、と言われる日本ですが、移民を大きく受け入れれば、第二世代以降の移民の代になって、日本の人種構成は大きく変わるでしょう。日本は日本民族だけの国ではなく成る日が来るかも知れません。 人種の違いが、日本の国の形を悪い意味で変える、とばかりは思いません。例えば中国系移民が畳の家に住み、インド系移民が剣道や茶道や古典芸能で活躍するとき、日本が伝統的に持っていた文化や価値観は、大きく違うエッセンスが加わり、発展するかも知れません。 文化の発展は、異民族との混合の歴史であるとは、古代ローマやヘレニズムの時代から普遍的な歴史の道のりかもしれないのです。移民の受け入れによって、二千年の日本の歴史は、大きく違ったものに変革されるでしょう。 しかし、私が一番気になるのは、果たして現在の日本人に、その覚悟はあるのかということです。日本人とは違う民族が移民してきて、その第二世代以降の子供達が、加速度的に増えていく。もしかしたら22世紀には、日本の3割とか4割の人間が、中国系とかインド系とかブラジル系の「日本人」が占めているかも知れない。 そういった「日本」の姿を、現在から想像して、「それでも良い」と判断するのなら、移民受け入れもひとつの手かもしれません。街中の神社仏閣が、モスクやヒンズー寺院に置き換わる。京都の寺の住職が韓国系移民になる。 多くの日本の精神的価値観、例えば「わびさび」とかいう価値観は、移民の価値観とエッセンスして別のものに変革されていくでしょう。日本人の精神文化は、移民が加わることで、もっと合理的で、もっと明確な輪郭を伴うものに、変化していくでしょう。それも「日本の未来の姿だ」と考えるのならば、反対はしません。 ただ、現在の安倍内閣の目指す移民についての方針には、そのような「想像力」が足りないような気がします。移民問題に大切なのは、当座受け入れた移民第一世代が引き起こす、雇用や治安や文化摩擦ではありません。彼らの子供の時代こそが、大切なのです。そのような「想像力」で、貴方は移民の子供の代に存在する、日本の姿を肯定することができますか。

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    朝日新聞の「構造的問題点」とは?

    古谷経衡(著述家)一連の朝日新聞による誤報問題の本質とは? 今年8月5、6日の朝日新聞による「慰安婦検証記事」から始まった朝日誤報に関する”事件”が、いよいよ「吉田調書」記事の取消しを含む、朝日新聞・木村伊量(ただかず)社長、杉浦信之編集局長ら首脳陣による緊急記者会見という前代未聞の事態に発展した。1989年の珊瑚礁損壊捏造事件以来、実に四半世紀ぶりに明るみになった「世紀の誤報」の連発に、朝日内外で激震が続いている。 木村社長による記者会見の生放送は、9月11日19時半から開始され、21時20分に終った。 この中で、「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」とした「吉田調書」に関する記事について、杉浦編集局長は「当時、朝日新聞が独自に入手した吉田調書は、当時機密性の高いものであって、よって眼に触れる記者を原発事故報道に従前から従事している専門性の高い記者ら少人数に限定し、そのことが記者の思い込みと、チェック不足を招いた」と釈明した。 特に注目したいのは、つめかけた報道陣からの以下の質問である。朝日首脳陣に対する辛辣な質問の中でも”「吉田清治証言(慰安婦問題)誤報」を含めて、今回の吉田調書の誤報問題は、「朝日新聞が抱える構造的問題に依るものではないのか?」”との声が出たことだ。 木村社長は「(今回の誤報問題)が、一部の記者の資質によるものか、社が抱える構造的問題なのか、今後精査していきたい」という趣旨の回答を行った。これこそが今回の一連の誤報をめぐる問題の本質を指摘したものであると私は考える。 杉浦局長が会見で明言した、吉田調書の記事に携わった記者が、”原発事故報道に従前から従事している専門性の高い少数”だった、という部分が示すとおり、この問題は「一部の質の悪い、粗悪な記者による落ち度」ではなく、寧ろ逆の、「専門性を有する少数精鋭の記者ら」によってもたらされた誤報である、という事実である。これは何よりも、朝日新聞の構造的問題がこの一連の誤報問題の根幹にある、と考えて間違いはない。朝日新聞の構造的問題点とは”願望”である ではその「構造的問題」は何か。それは「原発事故では現場ですら収拾がつかなかったに違いない」(吉田調書)、「日本軍は悪いことをしたに違いない」(吉田清治慰安婦証言)、という、記者が有する特有の”願望”の存在にほかならない。 会見の質疑応答部分では、産経新聞の記者が「記事の方向性は既に決まっていて、それに沿った、都合の良い記事を書いたのでは?」という、問題の本質に関する質問が飛びだした。これについては「そのようなことはない」と朝日首脳陣による否定があったが、厳しい言い訳のように映る。 ここでいう”記事の方向性”とは、既に述べたように「現場の職責を放棄して、作業員が撤退した」(吉田調書)と、「日本軍が悪辣非道な犯罪行為を、組織的に植民地(朝鮮など)で行った」という既定路線であり、正しく「そうであって欲しい」という記者らの”願望”である。 これらを朝日首脳らは「記者の思い込み」と表現したが、「思い込み」という言葉には多分に「過失」というニュアンスが混ざっている。 例えば「単なる流れ星だが、さもUFOのように見えた」は「思い込み」だが、「単なる流れ星かもしれないが、あれはUFOに違いない」というのは願望である。どちらも誤認・誤報には違いないが、後者のほうがより強く観測者の「意図」が働いている。 この意図の部分は、「思い込み」ではなく「願望」と表現されるのが正確だ。吉田所長と吉田清治の証言の両者の誤報記事に共通するのは、この「願望」の存在に他ならない。”願望”が招いた誤報と歴史的悲劇 どんな報道機関でも、願望に基づく「誤報」は存在する。現在、この件で朝日を激しく叩いている産経新聞は、例えば2012年7月16、17両日に開催された陸上自衛隊第一師団の統合防災演習に際して、「東京都内の11区が(同演習への)協力を拒否した」とする記事を掲載した。 が、当該区役所などから事実誤認と抗議を受け、2012年7月25日付けで記事の撤回と”おわび”を掲載した。この件についての詳細検証記事はこちらを参照されたい。 これは当該記事を担当した記者が、「当該区役所の職員らには、反自衛隊思想の持ち主が居るに違いない」という”願望”を元にした観測記事であったことは疑いようもない。 願望に基づいた事実の観測は、産経だけではない。人間は誰しも、事実を願望で捉え、己の都合のよいように脚色する。「あの娘は自分のことが好きに違いない」という願望の中では、何の意味もない女性の一挙手一投足が、まるで自分への好意へのアピールと感じるのと同じように。 作家の半藤一利は、著書『ソ連が満州に侵攻した夏』(文藝春秋)で、日ソ中立条約を一方的に破って1945年8月9日にソ連が対日参戦した状況を、「政府・大本営の”願望”が招いた悲劇」と厳しく論評している。ソ満(満州)国境付近に向けてナチスを打ち破ったソ連軍部隊が対日参戦のために次々と抽出され、配備されているという前線からの偵察報告を一切無視し、政府・大本営は「ソ連が日本に宣戦布告することは無い」と判断した。 当時、マリアナ・沖縄が次々と米軍の手に落ち、最後の同盟国であったナチスも降伏。それに加えソ連参戦は、「日本の死」を意味していた。「(ソ連参戦は)あって欲しくない」「(ソ連参戦に)なっては困る」という日本の戦争指導者の願望が、ソ連軍への防御を怠ることになり、満州へのソ連侵攻、続いて起きた残留孤児の問題を惹起する悲劇の結末を迎えた。 或いは、1944年10月には、台湾沖に接近した米機動部隊に対して大打撃を与えた、という所謂「台湾沖航空戦」をめぐる大戦果報道があった。既に劣勢に立たされていた政府・大本営による「(米軍に)打撃を与えたい」「(米軍に)一矢報いているに違いない」という、貧すれば鈍するの”願望”に基づいた大本営発表を、新聞各社がそのまま一斉に報じた「世紀の大誤報」であった。実際には日本軍機は一方的に米軍に撃ち落され、米機動部隊の損害は軽微であった。 願望の前では、事実は往々にして無視され、脚色される、という歴史の教訓である。単なる”思い込み””取材不足のミス”で終わるな 今回、朝日新聞は「記事制作にあたった記者が少数であり、かつチェック体制が甘かった(杉浦編集局長)」として、「吉田調書」の誤報原因は、「(一部記者の)思い込み」によるものとして、あくまで「過失的なもの」というニュアンスを強調した。しかし、これは間違いであり、「思い込み」などではなく、取材した事実を知りながら、それを都合のよいように脚色した「願望」の結果であると断定せざるを得ない。 朝日新聞の一部記者の取材力が足りなかったとか、能力が低かった、というのが原因ではない。「吉田調書」(原発事故)、「吉田証言」(慰安婦誤報)は”願望”を元にした事実の観測が引き起こした”誤報”である。 杉浦編集局長は、「吉田所長の周辺や、原発作業員関係者への聴きこみ取材は行ったものの、吉田所長の証言を裏付ける証言は無かった」と今回の記者会見で回答している。これはその事実が存在しないにも関わらず、”願望”による筋書きを優先して、事実を都合の良いように脚色した何よりの証拠である。 「吉田調書」に関しても、「吉田清治」に関しても、当然「天下のクオリティペーパー」朝日新聞の記者が、全く裏付け取材なしで、記事に書き起したとは考えられない。「原発事故に精通した記者」による取材の結果、それらが根拠に乏しいものであることを予め分かっていたに違いないはずだ。しかしその事実は、”願望”の前に消し飛んだのである。 朝日新聞は、今回、読者の信頼だけではなく(かくいう私も購読者だが)、誤報に基づき世界から日本の評価が貶められたという事実を重く受け止め、この二つの大きな誤報問題を「一部の記者のミス」などではなく、「願望で事実を観測した結果の構造的問題」であると認め、信頼回復・再生への一里塚とするべきである。