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    保守論壇よ、目を覚ませ! 「右派プロ市民」に操られた日本会議の正体

    菅野完(著述家) 先の参院選では、与党が勝利を収めた。その結果、自民党・公明党・おおさか維新などを含むいわゆる「改憲勢力」は衆参両院合わせて三分の二を占めたことになる。いよいよ「憲法改正」の現実味が増して来た。 護憲派の一部は、「安倍政権は改憲の意図を隠して参院選に臨んだ」と、与党側の選挙戦略を批判する。しかし実際には、自公連立与党及び官邸サイドは、あからさまと言っていいほど明確に「改憲の意思」を選挙期間中に表明しつづけてきた。 確かに安倍首相を含む与党幹部が、選挙応援演説で「憲法改正」に言及することはほとんどなかった。だが安倍首相は、選挙期間中に開かれた全ての党首討論会で「改憲は自民党の党是」「隠しているどころか、自民党は憲法草案まで示している」と、再三にわたり野党党首たちに言明している。こうした言動を踏まえると、護憲派からの「改憲隠し」批判は的外れと言わざるを得ない。紛れもなく「改憲」は参院選の争点だった。 政権周辺は参院選の前から、改憲への意欲を明確に表明してきた。春の国会で安倍首相は、民主党(当時)・大塚耕平議員の質問に「(憲法改正は)私の在任中に成し遂げたいと考えている」と明確に述べてもいる。その後発生した熊本地震に際し、記者会見に臨んだ菅官房長官は、災害発生時などの非常事態に際し首相に権限を集中させる「緊急事態条項」を憲法に新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と述べてもいる。「参院選の党首討論」という非公式な場だけでなく、国会や記者会見など公式な場でも、政権周辺は明確に「憲法改正」に言及しているのだ。 こうした「改憲運動」は、政府・与党だけでなく、今、民間でも高まりつつある。その担い手が、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」だ。今年の正月。各地の神社で「改憲署名」が集められている光景が話題となった。あの署名運動を展開している団体こそ、この「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に他ならない。同会の共同代表は櫻井よしこ(ジャーナリスト)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、三好達(元最高裁判所長官)の三氏。日本会議の集会で講演する百地章氏 この三氏のうち、櫻井よしこ氏を除く二氏には、「日本最大の右派市民運動」と称される「日本会議」の会長職を務めたという共通点がある。田久保氏と三好氏だけではなく、その他の役員メンバーを見ると、事務局長の椛島有三氏(日本会議事務総長・日本青年協議会会長)、幹事長の百地章氏(日本大学教授・日本会議政策委員)など、日本会議関係者によって要職が占められているのがわかるだろう。これを見れば明らかなように同会は実質的に「改憲運動における日本会議のフロント組織」だ。 日本会議の設立は1997年。その後20年間、日本会議は多岐にわたる運動を展開してきた。その中には「国旗国歌法の制定」「教育基本法への『愛国条項』の挿入」など、国政レベルで法制化を実現したものも多い。また国政のみならず地方自治体レベルでも、「男女共同参画条例反対運動」や「性教育反対運動」など活発な運動を展開している。こうした運動を、日本会議が「日本会議」の名前で展開することはない。必ず、それぞれの運動に応じた「フロント団体」が設立され、個別の運動はその団体の名義で展開される。 例えば、日本会議が長年にわたって取り組んでいる「夫婦別姓反対運動」と「男女共同参画事業反対運動」は、「日本女性の会」という団体を通じて展開されてきた。また、前掲の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が改憲運動のフロント団体であることなども、その典型的な事例だろう。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」における櫻井よしこ氏がそうであるように、それぞれの団体には、その運動分野で著名な文化人や有識者が「団体の顔」として担ぎ出される。したがって、運動用フロント団体の代表者の顔ぶれは団体によって違う。だが、事務局は別だ。どの運動のどの事務局も、全て、日本会議事務総長を務める椛島有三氏によって差配されている。「生長の家」を発祥とする日本青年協議会 「代表者はお飾り。実権は椛島有三が握る」という図式は、本体である日本会議そのものにも及ぶ。日本会議の本部事務局は、目黒区青葉台にあるオフィスビルの6Fに入居しているが、同じビルの同じフロアには、椛島有三氏自身が代表を務める「日本青年協議会」なる団体の本部事務所も同居している。とある内部協力者は、「日本会議と日本青年協議会の事務所は住居表示としては部屋番号が違いますが、実態は同じ部屋。間仕切りも何もない。日本会議の専従などおらず、日本青年協議会の専従が日本会議の仕事をしているのです」と語ってくれた。つまり、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が日本会議の改憲運動用フロント団体である前に、日本会議そのものが、日本青年協議会のフロント団体としての性格を持つのだ。 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」や日本会議に集まる人々を見れば、櫻井よしこ氏やケントギルバート氏のようなタレントや文化人のみならず、田久保忠衛氏、中西輝政氏、西尾幹二氏など学者・研究者の名前が並び、「ただの保守系著名人の親睦団体」のように見えなくもない。だが、日本青年協議会は違う。あの団体だけは別だ。第18回公開憲法フォーラムで挨拶する櫻井よしこ氏=2016年5月3日 日本青年協議会(以下、「日青協」)は、新興宗教・生長の家の学生運動に発祥を持つ民族派団体。70年安保の時代に「反全学連・反全共闘」の「民族派学生運動」として誕生した。その後、母体である「宗教法人・生長の家」そのものは路線変更を経て、政治運動から撤退したが、椛島有三氏以下日青協のメンバーたちは、未だに「生長の家」の創始者・谷口雅春の思想を信奉し、谷口雅春の説いた「愛国路線」を愚直に突き進んでいる。 また、高橋史朗氏(明星大学教授)や百地章氏など日青協の幹部メンバーは、現在の「宗教法人・生長の家」に反旗を翻す宗教的原理主義団体「谷口雅春先生を学ぶ会」での活動も確認されている。日青協のメンバーは、70年代以降、弛むことなく、宗教的情熱を元に、政治運動を続けてきたのだ。 谷口雅春存命中の「生長の家政治運動」について言及される際、必ずと言って引き合いに出されるのが、「生長の家は、『帝国憲法復元改正』を唱えていた」という点だろう。確かにそれは間違いがない。谷口雅春は熱心に「昭和憲法に正統性はない。明治憲法を復元すべきだ」という主張を展開していた。だが、当時の「生長の家政治運動」が最も熱心に取り組んだのは憲法問題ではなく、「妊娠中絶反対」を主眼とした「優生保護法改正運動」だ。 「中絶は一種の殺人行為である。 法律はこれを許しても神の世界では許されない」と唱える谷口雅春の下、当時の「宗教法人・生長の家」は、苛烈に「優生保護法改正運動」に取り組んだ。当然の事ながら、その運動は、宗教法人本体の運動だけにとどまらず、学生運動にも波及する。当時の『生学連新聞』(生長の家学生運動の機関紙)では、「憲法改正」ではなく「優生保護法改正」こそが最重要課題として掲げられるのが常であったほどだ。 運動は一定の成果を見せ、当時生長の家組織候補として自民党内で有力な地位を占めつつあった玉置和郎氏や村上正邦氏の尽力もあり、国会での議論の対象にもなり、改正法案が上程されるまでにこぎつけた。しかし、こうした動きは、障害者団体や、当時勃興しつつあったフェミニズム運動の猛烈な反発を生み、ことごとく頓挫してしまう。ついに1983年(第一次中曽根内閣時代)、自民党政務調査会優生保護法等小委員会は、「優生保護法改正は時期尚早」との結論を出し、国会での法改正の道は完全に絶たれるに至った。その直後の1983年10月、生長の家は突如「政治運動撤退宣言」を出し、優生保護法改正運動のみならず、あらゆる政治運動から撤退してしまう。当時のマインドのまま現在も運動を続ける日青協 かくて「宗教法人・生長の家」は83年を境にきっぱりと政治運動から足を洗ったが、先に振り返ったように、日青協は今もって当時のマインドのまま運動を続けている。「憲法改正と同等、いやそれ以上の情熱を、中絶問題にかける」「自分たちの運動の敵はフェミニストたちだ」という認識は、未だに日青協に色濃く残る。その証拠に、日青協のフロント団体である日本会議の公式サイトに掲載された「国民運動の歩み」なるページを読んでみるといい。 確かに、「元号法制化」「天皇陛下御在位20年奉祝行事」など、「愛国運動」らしい文言もあるが、何より多出するのは、「夫婦別姓反対」「男女共同参画事業反対」「ジェンダーフリー教育反対」「性教育反対」などの「女性問題」に関する文言だ。しかもことごとくが、「みずからなにか新しい価値観を提供する」という前向きな議論ではなく、「フェミニストどもが推し進めるものを押し返してやる」とでも言いたげな、後ろ向きのものばかりであるのも特徴だろう。 こうしてみると、日青協の特異さが浮かび上がる。何も「宗教だからだめだ」というわけではない。日青協のやることは常に「反対運動」なのだ。学生時代は「左翼学生運動反対」、大人になってからは「左翼とフェミニストのやること反対」。悲しいまでにかれらには独自性がない。独自性といえば、ファナティックともいうべき谷口雅春への帰依ぐらいであり、彼ら独自の思想や新機軸など何もない。ただただ「小賢しいことを言うサヨクと女どもを怒鳴りつけてやりたい」しかないのだ。これでは居酒屋で管をまくそこいらの親父と大差ない。 そんな程度の低い人物たちが、自民党の改憲工程に影響を与えるはずがない、と思いたいだろうが、現実は一般人の想像を超えて悲惨なのだ。この程度の人物たちが、「憲法改正議論」という国家百年の計に容喙してしまうのが、今の日本の悲劇というべきだろう。信じられないというのならば、官邸を見てみればいい。日本青年協議会の設立メンバーであり現在も幹部を務める衛藤晟一氏は、首相補佐官を務めているではないか。衛藤晟一首相補佐官 国会の議論を見てみればいい。日本青年協議会の幹部である百地章氏が憲法学者として与党側の参考人招致に応じているではないか。厚労省を見てみればいい、日本青年協議会の幹部であり、学生時代は「生長の家学生連合」の代表を務めた高橋史朗氏が、男女共同参画会議の議員を務めているではないか。そして、安倍首相がビデオメッセージまで寄せる改憲運動の現場を見てみればいい、日本青年協議会のリーダーである椛島有三氏が運動を取り仕切っているではないか。 自民党の内部でさえ憲法改正に積極的ではない政治家は多数いる。メディアの世界で改憲議論をリードする保守論壇人たちも「何をどう改正するのか?」という具体論では足並みが揃わない。憲法改正が現実味を帯びた今だからこそ、今後の改憲議論は甲論乙駁の様相を呈してくるだろう。保守論壇を操る日青協に惑わされてはいけない そういう時こそ、「右側のプロ市民」である日本青年協議会の存在感が増す。彼らは今後迷走する「改憲議論」を、「これまでの運動の実績」と「高橋史朗や百地章や新田均などの組織内言論人の活用」で、綺麗にまとめ上げてくるだろう。そして議論の落とし所として「憲法9条改正や緊急事態条項は国論が二分し通りにくいため、まずは「家族の価値」という合意を得やすい論点から改憲を狙いましょう」などと言い出すはずだ。 その萌芽はすでにある。『正論』4月号が「憲法のどこを改正すべきか」というアンケートを実施した際、ほとんどの識者が「9条2項」や「前文」と答える中、ひとり高橋史朗氏だけが「憲法24条を改正し、家族の価値を盛り込むべきだ」と答えている。おそらく日本青年協議会はこの路線で、「保守論壇の意思統一」を図ろうとしてくるはずだ。彼らのいう「家族の大切さ」など、「自分たちが信奉する谷口雅春先生がそうおっしゃたから」という彼らの宗教的来歴に由来するものでしかないのは明らかだ。 更に言えば、その考え方は「社会の構成単位は個人である」という、思想的陣営の左右関係なく皆が前提とする「近代」の土俵を完全に否定するものでしかない。こうした程度の低い前近代的な文言が改憲ののち憲法に含まれる方が、憲法9条2項の存在よりよほど国辱的である。 これ以上、保守論壇人は日本青年協議会に惑わされてはいけない。彼らの運動は信仰運動の一環に過ぎない。自らの正体を隠し人を操る様はまさにカルトとしか言いようがないではないか。改憲議論が本格化する今こそ、保守論壇はきっぱりと日本青年協議会一派と決別し、自浄能力のあるところを見せる必要があるだろう。

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    知られざる巨大組織「日本会議」研究

    いま「日本会議」という保守系団体の存在に注目が集まっている。著名な保守言論人や政治家らが名を連ね、安倍政権が目指す憲法改正を下支えする組織として知られるが、関連本も多数出版され、ブームになっているという。そもそも日本会議とはどんな組織なのか。その実像を徹底研究する。

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    日本会議と「生長の家」、世間が知らない本当の関係

    島田裕巳(宗教学者) 「日本会議」のことが急に注目されるようになってきた。日本会議について論じた本がいくつも出版され、かなりの売り上げを見せている。それだけ世間は、この団体に注目していることになる。 日本会議について扱った本では、この組織と新宗教の教団、「生長の家」との密接な関係が指摘されている。 ただし、生長の家は日本会議の加盟団体ではないし、現在の教団はむしろ日本会議の路線に対しては批判的である。「日本会議」の公式ホームページ 生長の家の創始者は谷口雅春という人物で、雑誌『生長の家』を刊行し、その合本である『生命の実相』を刊行することで、「誌友」と呼ばれる会員を集めた。 新宗教のなかには、出版活動に重きをおいているところが少なくないが、生長の家はその先駆けである。 ただ、生長の家の特徴は、『生命の実相』を読めば、万病が治り、貧乏も逃げていくと宣伝したことにある。評論家の大宅壮一は、新聞に大々的に掲載された『生命の実相』の広告を見て、これほど素晴らしい誇大広告があっただろうかと皮肉っていた。 もう一つ、生長の家の特徴は、戦前においては天皇への帰一を説いて天皇信仰を強調し、さらには、太平洋戦争が勃発すると、それを「聖戦」と呼び、英米との和解を断固退けるべきだと主張したことにある。 中国を撃滅するために「念波」を送るよう呼びかけたところでは、まるでオカルトの世界である。 戦後になると、谷口は、「日本は決して負けたのではない」と主張し、生長の家の教えには「本来戦い無し」ということばがあるとして、本来は平和主義であると主張した。 まるで御都合主義で、節操がないとも言えるが、谷口の思い切った言い方は、多くの読者に共感をもって迎えられた。 彼は、早稲田大学の文学部で学んだインテリで、文才に恵まれていた。文章が書ける宗教家は珍しい。つまり、それまでの主張と合わない状況が生まれても、谷口は、それを文章の力で合理化できたのだ。 戦後谷口にとって好都合だったのは、冷戦という事態が生まれ、東西の対立が生まれた点である。 日本国内では、保守と革新、右翼と左翼が激しく対立するようになり、生長の家の天皇崇拝や国家主義、さらには家制度の復活などの主張は、保守陣営に支持され、社会的に大きな影響力をもった。 具体的には、明治憲法復元、紀元節復活、日の丸擁護、優生保護法改正などを主張したが、これが戦前の軍国主義の時代に教育を受け、戦後急に生まれた民主主義の社会に違和感をもった人々の考えを代弁するものとなったのである。「日本会議」もうひとつのルーツ さらに生長の家は、「生長の家政治連合」を結成して、参議院に議員を送り込んだ。自民党の故・玉置和郎元総務庁長官(中央)。「生長の家政治連合」に所属し、支援を受けていた=昭和49年1月 また、生長の家学生会全国総連合という学生運動の組織を結成したが、これは、1960年代広範に盛り上がる新旧左翼の学生運動に対抗するためのものであった。ここに集った人間たちが、現在の日本会議の事務局を担っている。 新宗教はどこでもそうだが、その教団を作り上げた初代がもっともカリスマ的で、迫力があり、人を引きつける力をもっている。 生長の家の場合がまさにそうで、谷口のカリスマ性が多くの会員、支持者を集めることに結びついた。 しかし、そうしたカリスマ性を後継者も同じようにもつことは不可能である。 それに、谷口が活躍した時代は次第に過去のものとなり、冷戦構造は崩れ、左右の対立という構図も重要性を失った。生長の家の教団自体が衰退したのも、時代の変化ということが大きかった。 生長の家と日本会議の関係について、もう一つ注目する必要があるのが、谷口がかつて所属した大本のことである。 大本は、出口なおという女性の教祖が開いた新宗教の一つだが、教団を大きく発展させたのは、神道家で、なおの娘すみと結婚した出口王仁三郎である。 王仁三郎がいかにユニークな人物であるかは、拙著『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書)でふれているので、それを参照していただきたいが、日本会議との関連で注目されるのは、この王仁三郎が1934年に組織した、「昭和神聖会」の存在である。 昭和神聖会は、昭和維新を掲げる団体で、その賛同者には、大臣や貴族院議員、衆議院議員、陸海軍の将校なども名を連ねていた。 この昭和維新会の綱領では、「皇道の本義に基づき祭政一致の確立を帰す」や「天祖の神勅並に聖詔を奉戴し、神国日本の大使命遂行を期す」といったことばが並んでおり、これは、谷口の主張、さらには日本会議の思想にも通じるものをもっていた。 王仁三郎は、全国を奔走し、組織の拡大につとめるが、国家権力の側は、昭和神聖会の急成長に警戒感を強め、それが1935年の大本に対する弾圧に結びつく。 警察は、大本が国体の変革をめざしているとして、王仁三郎などの教団幹部を逮捕し、教団施設を徹底的に破壊した(昭和神聖会については、武田崇元「昭和神聖会と出口王仁三郎」『福神』第2号を参照)。組織としての実態を必ずしも持っていない「日本会議」 日本会議の代表役員のなかに、手かざしで知られる新宗教、崇教真光の教え主岡田光央が含まれていて、崇教真光は日本会議の大会に大量動員を行うなど、熱心に活動している。 その崇教真光の創立者、岡田光玉は、世界救世教の元信者であったが、世界救世教の創立者、岡田茂吉は大本の幹部であった。 現在の大本は、教団のあり方も変わり、日本会議に加盟しているわけではないが、日本会議のルーツの一つなのである。大本の聖地、梅松苑にある「みろく殿」。「長生殿」が出来るまでの40年間、中心神殿だった=京都府綾部市 そうした側面から、日本会議を見ていくことも、今必要なことではないだろうか。 それにしても、日本会議についての本が立て続けに出版され、多くの読者を獲得している状況は不思議である。 実は私は、少し前に『日本会議と創価学会』といった本を書こうとして準備も少し進めていた。 ところが、「日本会議ブーム」が起こったことで、組織としての実態を必ずしも持っていないこの団体が、あたかも最近の日本を動かしてきたかのようなイメージが作られてしまった。 そうした予想外な事態が起こったので、『日本会議と創価学会』はとりあえずお蔵入りにしたのだが、本当に日本会議には、関連の書籍が指摘しているような力があるのだろうか。 私はたまたま、今年の3月、地震前の熊本で、日本会議の熊本支部が街頭で活動しているのを目撃した。ただ、全国で同じような活動が展開されているのかと言えば、そうではなく、むしろ熊本だけが熱心であるようだ(街頭で日本会議が活動している写真は必ず熊本である)。 日本会議が右派運動の中心という見方は、分かりやすいかもしれないが、事実とはずれている。私たちは、冷静に日本会議の存在意義を評価しなければならないだろう。

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    日本会議「陰謀論」に徹底反論! 安倍政権を牛耳るカルト批判のウソ

    村主真人(日本会議広報担当) 最近、日本会議に関する新聞・週刊誌の報道や、書籍等の出版がにわかに活気づいている。しかし、残念ながらこれらの報道や出版物には、日本会議の運動の歴史的な経緯や一次資料を踏まえることなく安易な陰謀論に陥ったり、一面的な批評に止まっていたりするものが少なくない。 私達の運動は、戦後見失われようとしてきた伝統文化を守り、日本を取り巻く厳しい国際環境の変化の中で、自立した対等な独立国家としての矜持を持った国づくりを目指した国民運動を推進してきた。特に、近年の北朝鮮による拉致事件や工作船の活動、核・ミサイル開発、中国による南シナ海や尖閣諸島周辺での勢力拡張や威嚇、米国の内向きの姿勢は、国民の間の危機意識を高めていると考えられる。日本会議への共感や支持の拡大は、このような国民意識の変化に後押しされている点と無関係ではないだろう。 ここでは、私たちの活動を子細にご紹介する機会はないが、昨今の報道・出版の虚偽、誤解、偏見などにつき簡単に反論を加えておきたい。第3次再改造内閣が発足し、初閣議後の記念撮影に臨む安倍首相と閣僚たち =8月3日、首相官邸 今回の参院選は、当初から憲法改正の国会発議を可能とする3分の2の勢力が確保できるか否かが大きな注目を集めていた。7月の参院選に向けて報道が過熱した背景には、改憲勢力3分の2の確保を何としても阻止したいという勢力の意図が見て取れる。 特に安倍政権は、第二次政権の発足以降、高い支持率を維持している。これらの出版物に通奏低音のように流れているのは、安倍政権を支えているのは日本会議であり、日本会議は「戦前回帰」「歴史修正主義」の「宗教右派(カルト)」とのレッテルである。このようなレッテルを貼ることにより、有権者への不安感を煽り、野党勢力の挽回拡大を狙ったものと考えられる。安倍首相と日本会議の関係 日本会議には、友好団体として日本会議国会議員懇談会(超党派の国会議員連盟)があり、活動している。 この超党派議連は、平沼赳夫衆議院議員を会長とし、自民党、民進党、日本維新の会、日本のこころを大切にする党などの所属議員約290名が加盟されている。国会議員懇談会は独自の活動を行うとともに、日本会議から民間の請願を受け取り、国政について広く意見交換を行う存在となっている。 第二次安倍政権発足以降、安倍総理始め閣僚の多くが懇談会に所属し影響力を及ぼしているといった報道があるが、果してそうであろうか。民間団体の日本会議は、政府や政党に対して政策提言や要望書、国会請願署名を提出することがある。これは、憲法に保障された請願権の行使である。 私達は、確かに広報活動や各種行事開催などの国民運動を全国で繰り広げ、世論を盛り上げ、そして政府や国会を後押しし、法律や政策実現をめざしている。しかし一部報道に散見される、日本会議の方針に基づいて党や政府の政策が立案されているという指摘は、日本会議の影響力をあまりにも高く評価し過ぎており、現実にはそのようなことはありえない。日本会議は、「帝国憲法復元」を目指していない 昨今の報道・出版物の多くに共通しているのが、日本会議が「帝国憲法復活」を目指しているという言説である。これは日本会議が戦前回帰を目指しているとする悪質なプロパガンダに他ならない。 日本会議は、その前身の「日本を守る会」「日本を守る国民会議」結成以来、40年間一貫して「憲法改正、新憲法制定」を訴えてきた。「日本を守る国民会議」は平成3年(1991年)に「新憲法制定宣言」を公表し、新憲法制定運動を提唱、平成5年(1993年)に大枠をまとめた『日本国新憲法制定宣言』(徳間書店)を公刊した。以後、日本会議内部に「新憲法研究会」を設置して「新憲法の大綱」の研究活動を重ね、平成13年(2001年)には『新憲法のすすめ』(明成社)として公刊している。 これらの略史はホームページにすでに公開済みであるが、過去・現在において、帝国憲法復元を運動方針に掲げたことは一切ない。日本会議設立大会で挨拶する、塚本幸一会長=1997年5月30日、ホテル・ニューオータニ(東京・千代田区)日本会議と宗教団体の関係 こうした「帝国憲法復活」といった分析が出てくる背景の一つが、「日本会議」の前身、「日本を守る会」の構成団体の一つ「宗教法人生長の家」との関係だ。 その前に、日本会議と宗教団体の関係について明らかにしなければならないだろう。日本会議には、神道系、仏教系、キリスト教系などの沢山の宗教団体や社会教育団体、各種団体等が運動に参画している。 「日本を守る会」が昭和49年に設立に際して、次のような逸話が残されている。「日本を守る会」結成の発起人の一人である臨済宗円覚寺派の朝比奈宗源管長が伊勢神宮を訪れた折、「お前たちは世界だ人類だと、上ばかり見て騒いでいるが、足許を見よ、いま日本は、ざらざらと音を立てて崩れているではないか」との思いが脳裏をかすめ、「目が覚める思いだった。わしゃぁお伊勢さまから叱られたよ」と、同管長は述懐されている。 この思いが、神社界、仏教界、キリスト教界など、同憂の複数の宗教団体、有識者、文化人に広がり、当時、影響力を増していた唯物思想や共産主義思想から日本の伝統文化を守ろうと、信仰や思想信条の垣根を越えた大同団結が実現した。 このように、それぞれの団体の教えや国家観、歴史観と、「日本を守る会」の理念が一致し、それぞれの団体が活動に協力され今日に至っているのである。以上の経緯からしても、日本会議やそこに参画している教団がカルト集団だという指摘は、全く的外れな批判であることはいうまでもない。生長の家は30年以上前に脱会 「生長の家」との関係についても一言しておきたい。 「日本を守る会」の結成以後、生長の家の創始者谷口雅春氏は、会の代表委員を務め、昭和天皇御在位50年祝賀行事や元号法制化などの国民運動に尽力し、その後、昭和56年の「日本を守る国民会議」結成以後、国民運動に協力されてきた。 しかし、同教団は昭和58(1983)年に政治活動や国民運動を停止し、日本会議の前身である「日本を守る会」「日本を守る国民会議」から脱会した。以後30年以上、本会とは交流が全くない。同教団からの指導、影響が及ぶことはありえない。 一部報道では、元信者が日本会議の運営を壟断しているという指摘がある。しかし、日本会議の活動において、特定宗教の教義に影響され運動が展開されるということは全くあり得ない。日本会議は極めて民主的に運営されており、さまざまな運動方針や人事は、規約に則り政策委員会、常任理事会、全国理事会など役員会の審議を経て、決定・推進されているのである。日本会議は何を目指した団体なのか それでは日本会議は、何を目指して活動しているのか。私たちは、「誇りある国づくり」を合言葉に、以下6点の基本運動方針を掲げている。1、国民統合の象徴である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する。2、我が国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する。3、独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる責任ある政治の実現を期す。4、教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する。5、国を守る気概を養い、国家の安全を保障するに足る防衛力を整備するとともに、世界の平和に貢献する。6、広く国際理解を深め、共生共栄の実現をめざし、我が国の国際的地位の向上と友好親善に寄与する。 この方針に基づき、私たちは過去さまざまな国民運動に取り組んできた。芦屋市で開催された日本会議兵庫の第15回総会 =2014年7月26日  天皇陛下御即位20年など皇室のご慶事奉祝行事、元号法・国旗国歌法の制定運動、教育基本法の改正運動、戦歿者英霊への追悼感謝活動、自衛隊海外派遣支援活動、尖閣諸島等の領土領海警備強化の活動、そして、憲法改正運動である。 現在の日本社会には、サイレントマジョリティーという顕在しない良識派の多数意志が伏在している。実は日本の文化・伝統は、こうした良識派意志によって支えられ守られてきたのではないだろうか。しかし、これは顕在化しないかぎり力にならない。私たちの国民運動は、こうした世に現れていないサイレントマジョリティーを形に表し、民主的な手続に基づいて法律や行政などの政策を実現することを目標としている。 いよいよ、憲法改正の国民運動が本格化してきた。まさにサイレントマジョリティーの真価が問われる秋といえる。憲法審査会の論議の活性化を 今回の参議院選挙において、日本国憲法施行後初めて憲法改正に前向きな政党により3分の2が確保され、衆・参両院で憲法改正発議が可能となった。各党はこの民意を厳粛に受け止め、速やかに国会の憲法審査会の審議を再開し、改正を前提とした具体的な論議を加速させるべきである。 与野党各党におかれては、国会の憲法審査会において、日本の将来を見据えた活発かつ真摯な憲法論議を繰り広げられることを期待する。制定以来70年、現行憲法は国民の意志で選択する機会を失われてきた。国民投票の機会を得て、今こそ憲法を国民の手に取り戻す好機を迎えているといえよう。むらぬし・まさと 日本会議広報担当。昭和39(1964)年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒。

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    「日本会議・安倍悪者論」をまき散らす欧米メディアの間違い

    古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員) 日本の民間政治団体「日本会議」と安倍晋三首相をひとからげにして「戦前への危険な復帰」と断じる、一部米欧メディアの攻撃が目立ってきた。13日に日本外国特派員協会で行われた日本会議の田久保忠衛会長の記者会見の模様などはその典型だった。 会見では特派員協会を拠点に、安倍氏や自公政権の政治を抑圧の独裁のように長年たたいてきたアイルランド人のフリー記者デービッド・マクニール氏らが先頭になって、日本会議を軍国主義、帝国主義の復活を求める危険な組織のように追及していた。 こうした「日本会議・安倍晋三悪者論」の最近の究極は、米政治雑誌「ナショナル・レビュー」最新号に載った「日本のファシズムへの回帰」と題する記事だった。筆者は日本関連分野ではほぼ無名のジョシュ・ゲルトナーという人物だが、内容は安倍首相の率いる自民党が参院選で大勝し、日本会議の支持を得て憲法改正へと進むのは、日本がファシズムの国になることだと断じていた。 この記事は、日本会議は明治憲法と、戦前と同じ天皇制を復活させ、個人の自由や言論の自由も抑圧するとした上で、安倍氏が主唱する自民党の新憲法草案も全く同じ趣旨だと書いていた。だから日本は国際孤立の危険な道を暴走していくとも警告するのだった。 この種の「日本会議・安倍危険論」は程度の差こそあれ、米紙ニューヨーク・タイムズや英誌エコノミストなどの大手メディアにも登場する。 しかし、この種の悪者論を正面から否定する主張がすぐに米国の学者から発表され、米国やアジア全域の識者たちに届いたことも、日本をめぐる国際的な議論の健全な側面として注目すべきである。19日に公表された「日本の保守派の『日本会議』ロビー=心配する必要があるのか」と題する論文がそれだ。 筆者は米外交官出身で日米安全保障問題などの研究でも知られるグラント・ニューシャム氏、発表の場はアジア問題専門の英字ネット誌「アジア・タイムズ」だ。同誌は香港を拠点とし、ワシントンのアジア関連の学者や記者、官僚らの間でも広く読まれている。 ニューシャム論文は以下のような書き出しだ。 「最近の欧米メディアの『日本会議』についての記事によると、日本はいま警察国家となりつつあり、まもなく外国への軍事侵略を始める、と思わされる」 同氏は当然、日本会議について欧米メディアが描くこんなイメージは全く間違いだと指摘する。論文の主な内容は以下の通りだ。 「日本会議は民間の一ロビー団体で、日本全体がすぐにその意のままに動きはしない。民主主義国では種々の政治団体が政策論を競うのは自然だ」 「日本会議も安倍氏も日本を戦前の軍国主義や帝国主義に戻すという政策などうたっていない。安倍政権や自民党の内部でも意見は多様で、日本会議の主張に同意しない勢力も多い」 「米欧メディアの批判的な論調には『日本の最善の道のあり方は、あなた方日本人よりもわれわれのほうがよくわかっている』という傲慢さがちらつく」 外国メディアが日本をどう描くかを知ることは日本にとって欠かせないが、その描き方が多様であることも改めて銘記すべきだろう。

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    恐ろしい神社の本質 憲法改悪に向けて日本会議と二人三脚

    猪野亨(弁護士) 北海道神宮でも参拝客に対して、日本会議が主催する憲法「改正」に向けた署名活動に協力していたということがありました。しかし、このような神社による改憲策動は全国展開されているようです。 業界紙(この業界唯一だそうです。)である神社新報が全国の神社に向けて憲法「改悪」に向けた大号令を発していました。11月17日付で「憲法改正に向け活動 各地で組織づくり始まる」です。 もともとこの神社新報は、神社本庁の機関紙として出発しています。「神社新報社は昭和21年2月、それまでは国の管理の下におかれてゐた全国の神社が、神社本庁のもとにまとまって民間の信仰団体としての歩みを始めるにあたって、その機関紙として発刊されました」(同社ホームページより)。 全国の神社の多くが神社本庁のもとに結集していますが、この神社本庁の方向性は靖国神社とほとんど変わりません。昨年11月に掲載されたイベントでは何と「終戦70年講演会「戦後70年 英霊のメッセージ」参加者募集」でした。講師は産経新聞編集委員宮本雅史氏です。 戦死した人たちを「英霊」扱いするのは極右勢力であることがほとんどであり、先の大戦の無反省の裏返しでもあります。このような神社であればこそ、日本会議との交流も深く、発想は同じということになります。目指すべきは、天皇を中心とした統治体制への「王政復古」であり、戦争ができる国へと変えていくことにほかなりません。 第六十二回式年遷宮の昂揚のなかでさへ続いた神宮大麻頒布数の減体、斯界の悲願たる自主憲法の制定、来春には五年を迎へることとなる東日本大震災の被災地復興、少子高齢化と過疎化など神社を巡る環境の変化等々、山積する課題を前にして、七十年の歴史を重ねてきた神社本庁の存在意義が問はれてゐるともいへる。まづは、神道指令の発令など占領政策の影響のもとで本庁設立を余儀なくされたといふ事実について、当時の先人たちの思ひを振り返りつつ、その歩みを真摯に見つめ直すやうな地道な取組みもまた必要だらう。『神社新報』201512月21日論説より年 旧仮名遣いという時代錯誤も甚だしさもさることながら、「自主憲法の制定」の文字が光ります。 それにしても神社がここまで極右だったとは驚きです。靖国神社が単なる戦争遂行のための精神的支柱であり、宗教とは名ばかりのどうしようもないエセ宗教だということは誰もが認識しているところですからいいとしても、初詣や七五三など庶民の暮らしの中に直結しているような神社において、かかる極右思想に凝り固まっていただけでなく、それを実現しようと動き出したというのですから、これは大いに広められなければならないことです。 お賽銭、おみくじに支払ったものがどこに使われていくのかということです。参拝する人たちは、それこそ自分だけの御利益ではなく、平和を祈願したりもするでしょうし、誰もが望んでいることです。 しかし、実態はそこで回収されたカネは憲法「改正」のための資金源にもなるわけであり、平和を望む庶民を大いに欺す欺瞞的存在といえます。神社が宗教の名において戦争ができる国を渇望する、このようなことがわかっていたら、誰がこのような神社などでお参りなどするものですか。 それにしても神社の雰囲気は私は好きでした。生まれは鎌倉でしたが、近所には神明神社がありましたが、子どもたちの格好の遊び場でした。コミュニケーションの場でもあり、自然の中に調和する存在でした。 ここまで露骨な政治的主張を始めてしまい、極めて残念です。(『弁護士 猪野亨のブログ』より2016年1月4日分を転載)

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    「日本会議」の動員力は政治力を測るメルクマールになった

    渡瀬裕哉(早稲田大学招聘研究員) 私は日本会議とはほとんど面識もないのですが、彼らがグラスルーツ・ネットワーク(草の根)としては日本で成功した一つの形であると理解しています。元々草の根団体というと左翼系団体の香りがしますが、日本会議が土着の保守勢力を一つのネットワークとして形成した実績は全ての政治に関わる人々は参考にすべきです。憲法改正という大事業を首相に明言させる動員力 日本会議は日本有数の保守系のグラスルーツであり、神道系・仏教系の伝統宗教・新宗教が中心となった政治勢力です。所属する国会議員数も280名程度存在しており、政界において精神面・動員面の観点から影響力を強めています。 具体的には、同団体は新憲法制定の他にも国旗国歌法の法制化や拉致被害者救出、教育基本法の改正、安全保障法制の整備などに取り組んできています。 11月10日、日本会議が主導した憲法改正に向けた大会が日本武道館で開催されて各党代表者が出席する中、安倍首相の改憲に向けたメッセージ動画が自民党総裁名で発表されました。 主催者によると、日本武道館に集まった人員数は1万1千人、憲法改正を求める署名数は447万人を集めたされており、日本会議の圧倒的な動員力が示された形となっています。国技館を一杯にする動員力あれば何でもできるのか 日本会議の主義主張は分析の対象にはしませんが、同イベントを通じて、動員人数1万人、署名人数450万人という指標は民主主義において一つの指標になりました。全政策の中で最も困難な憲法改正を口約束とはいえ、現役の内閣総理大臣に約束させるために必要な動員数のメルクマールが誕生したのです。 もちろん、日本会議の構成団体には保守系議員に強い影響力を持つ神道系の人々が多数含まれているため、一概に動員数だけの問題ではありませんが、日本武道館を一杯にすることが動員数の指標になったことは間違いありません。 日本会議主導の憲法改正のイベントは、シングルイシュー(憲法改正など)を掲げて、1万人の動員をデモなどではなく集会の形で実現することが出来た場合、首相から言質を獲得することができるという事例として極めて重要な意味を持つものとなりました。小さな政府を実現する政治勢力の大集会を実現すべき 私は「小さな政府」を実現して、力強い経済成長や世代間格差の是正を成し遂げていくべきだ、と考えています。 ただし、従来までは「小さな政府」を信望する人々は団結することがなく、逆に少人数でも集まって声を上げるタックスイーターの政治的な意向ばかりが政策に反映されてきました。 小さな政府に直結する減税改革は、その改革の恩恵が薄く広く国民に拡がることに特徴があり、限られた少人数で特定の税財源を貪るタックスイーターのように専任者を置くような継戦能力を作ることも困難でした。 しかし、仮に日本武道館を1万人の参加者で埋め尽くすことで政治的に一定の影響力を持てるとした場合、小さな政府を信望する人々が一日だけ所得税・法人税・消費税などの引き下げに同意して集会に参集することは可能だと思います。 重要なことは、全ての税金の引き上げを凍結し、全ての税金の引き下げに合意する、という一点のみで集まることです。そのため、現在働いている人・過去に働いた人から取り上げた税金で暮らそうというタックスイーターは入れないでしょう。 しかし、真面目に暮らしている多くの日本国民は参加することができるはずです。今後、日本は真面目に働いている人を大事にする政治にシフトしていく必要があります。そのための大きな流れを創り出すことが必要です。(ブログ「切捨御免!ワタセユウヤの一刀両断!」より2015年11月20日分を転載)

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    日本会議が極右? 安倍政権が嫌で嫌でたまらないマスコミの自己矛盾

    井上政典(歴史ナビゲーター) 今朝のサンデーモーニング、報道ステーションサンデーを見ていると安倍政権が憎くて嫌でたまらないというように思うのは私だけでしょうか? サンデーモーニングでは、田中秀征氏が「次の総選挙の時に安倍内閣の支持率が30%にまで落ち込むと安倍さんじゃ戦えないからと次の人が出てくる」というような発言をしていました。でも、なぜ30%まで落ち込むのか、どうして国民の信頼が無くなるのかは、自分が気に入らないからと言っているように思えてなりませんでした。2014年10月、衆院予算委で答弁する安倍晋三首相(酒巻俊介撮影) 安倍内閣が成立してからこの番組は私たちの仲間内ではお通夜番組と呼んでいるほど暗い内容になっています。よっぽど気に入らないのでしょうね。 そしてウクライナ問題でEUが結束して二日間で前線に動員できる即応部隊の配置を決定し、ロシアにいじめ続けられたポーランドにその本部を置くことを淡々と報道していました。でも、いつも日本がそうすると「相手を刺激する」「緊張をさらに高める」「戦争の足音が聞こえる」などのコメントを言う人たちが沈黙しています。 私はこのダブルスタンダードが大嫌いです。外国はしてもいいけど、日本がするのは許せない? 日本が警戒を強めるのは誰のため? と考えると本当に腹が立ちます。 集団的自衛権の憲法解釈容認を決定してから、左巻きのマスコミは安倍政権を戦争をしようとしていると視聴者を洗脳し、安倍内閣の支持率低下にある程度成功しました。しかし、今回の内閣改造でまた60%台に乗せるなど、大幅な支持率回復をしていますが、それがまた気に入らないのがテレ朝の報道ステーションサンデーでした。 「52」という数字をあげて、安倍政権がはらんでいる爆弾を称しました。この52という数字は、衆院当選5回、参院当選3回以上の大臣待機組対象者の人数です。いかにも当選回数が大臣を決めるような印象操作をしていると思えるのは私の穿った見方でしょうか? 民主党政権の時に、ずぶの素人が防衛大臣になって更迭されたり、田中真紀子から押し込められてその旦那を大臣にしたところ、ブリーフィングを全く受け付ける能力がなくて、後ろからいろんなペーパーを渡されている場面を目にしました。前のずぶの素人はその後ろからの助け舟をもじって「二人羽織」と呼んでいましたが、田中真紀子の旦那さんに至ってはいろんなところからの助けの手が多数差し伸べられるために「千手観音」と呼ばれていたことは記憶に新しいと思います。 つまり、当選回数で大臣にすること自体がおかしいのです。そしてそのような時代は終わったといってもいいでしょう。原発の専門家にただひとつ足りないこと 以前戦後の経済を早急に立て直す事態に迫られた吉田茂総理は、大蔵省の役人だった池田勇人氏を急きょ国会議員に当選させ、一年生議員ながら大蔵大臣に任命しました。その際、いろいろ言われましたが、吉田総理は日本国の経済の立て直しのためにGHQ経済顧問のドッジと互角に渡り合えるのは池田氏しかいないと押し切り、そして成功し、今の日本経済に繋がるのです。 このように非常時には能力や調整力を持った人間が大臣になってそれぞれの懸案事項を積極的に解決していかなければならないところであり、むしろ、それは安倍内閣の実効性が強いとの証明になるのです。 女性閣僚が5人入ったと言われていますが、女性だから大臣になれたとみんなが思っていますので、大臣になられた方々はそれを実績で払拭してほしいと思っています。私が一番期待しているのは、小渕大臣です。経済の面からも原子力発電所の再稼動を早急にして欲しいと思っています。 3.11の事故の後に、各原子力発電所ではこれでもかという安全対策がとられ、世界最高水準の安全な原子力発電所になっています。今原子力国民会議九州集会の第二回目の集会を企画しているために、原子力や原子力発電の専門家と一緒にその準備をしています。その際に、いろんな今まで知り得なかったことを教えてもらっています。 たとえば、原子力発電所の40年を超えると廃炉にするということは、ただ古いからではなく、出力が小さいからこれをメンテしつづけても経済効率が悪いからという理由で廃炉を検討しているだけだということです。原子炉および周辺機器は常にメンテナンスを行い、たとえ40年前のものでもそれに付随する機器は最新のものとなっており、なにも安全性には遜色ないことも教えていただきました。 ただあの人たちに足りないのは、その世界一の技術を持っていることを世の人たちにアピールすることが足りないだけなのです。だからにわか専門家と称する反原発の運動家たちが間違った知識を流布しているのです。 一つだけわかってほしいのは、原子力発電所にはたくさんの人員が働いています。今でも福島第一原子力発電所には3000人の作業員が日夜働いています。もし、安全性が確保できていないのなら、原子炉の近くで働くその人たちはみんながんになっていなければなりませんが、がんの発生率は通常と何ら変わりません。故吉田所長のように、極度のストレスに長時間さらされてがんが悪化するほうの危険性が高いのです。 誤解をしている人も多いのですが、がんは細菌やウィルスによってなるものではなく、自分の細胞が変化して正常な臓器の機能をしなくなり、人間を死に追いやる病気です。放射線が危ないなら、レントゲンやCT、さらに輸血の血液も使用できませんよね。民主党内閣では取り上げず、安倍内閣を煽るマスコミ 話がまた大幅にそれてしまいました。 ここのコメント欄でもありました松島みどり法務大臣ですが、ある事情通に確認しました。彼女は政治家になるために朝日新聞社に入ったような人であり、政治信条は保守そのものだということです。ただ、選挙に通るためにいろんな議連に加入し少しでも票のためになるようにしているだけだということです。この情報も長年政治家と付き合ってきた人から聞いたもので、とても信憑性のあるものです。 候補者を自民党が公募した第一期生であり、左巻きであればその選考に残っておらず、松島大臣が法務大臣として安倍総理が使いやすいからここに置いたと思っていいでしょう。巷には保守系の人たちがこの人事がおかしいと言っている人たちがいますが、その人たちはただ単なる朝日新聞出身者という思い込みによる情報不足か、この松島大臣が法務大臣として仕事ができないようにしている工作員としか思えません。 集団的自衛権の憲法解釈変更を政府が認めたとしても、これからそれを具体的に法制化していかねばなりません。その時に法務大臣は首相の考えを尊重して動くという重要な役割を担います。 無能な人間でもできないし、野田聖子のように鮮明に反対を唱える人は困るし、さらに能力があり調整力もあり首相と考えが近くてもタカ派のイメージのある男性議員ではマスコミからの格好の非難の対象になります。だから、ここはある程度能力があり、首相の意図をきちんと汲んでそして女性としての発言で女性の支持を減らさないために女性の大臣が起用されたと思った方がいいでしょう。 ただ法務大臣になると死刑執行の命令書に署名せねばなりません。それを鳩山邦夫大臣や谷垣大臣のように粛々とできるかがこの人の法務大臣としての資質を問われることになるでしょう。でも、前のことでとやかく言うのは、この隙の少ない改造内閣人事に文句を言う場所がここしかないという保守層の分断を図る思惑があることも知ってほしいと思います。2011年9月、記念撮影を終えた第1次野田内閣の新閣僚(植村光貴撮影) 民主党の内閣の大臣の顔ぶれの時は、その人の出自を見たらひどかったでしょう。でも、マスコミは一切それに触れませんでした。でも、何か今回は煽っているように思えてならないのです。保守系と言われる議員たちがこれを取り上げているブログ等も散見されますが、そこまで考えて見ているのかと思う次第です。その人たちの情報収集能力の限界でしょうか。もっと中枢に太い情報を得るためのパイプを持つべきだと思います。 テレビで安倍内閣の瑕疵を見つけようと躍起になり、さらには朝鮮日報が「日本会議」を極右の団体だと言っていることを取り上げること自体がおかしいでしょう。極右かどうか、ぜひ全国各地にある日本会議の集会等に参加されてはいかがでしょう?  日の丸に敬礼して国歌を歌うから極右? 日本人として当然のことをしているだけで、それを非難する方がおかしいと思いません? またそれを極右と思いこまされているのが戦後の左巻き教育のせいかと言っていいでしょう。 国民として国旗と国歌に誇りを持つことがあたりまえであると私は思います。それに違和感を持つ日本人は自虐史観に染まっている人と考えていいのではないでしょうか? 今回の安倍内閣の顔ぶれはみんな元気に国歌を歌う人だと思います。それを私は頼もしいと思いますが、皆さんはいかがですか? サンデーモーニングのコメンテーターの先生たちはきっとそれを見て眉をしかめる人たちばかりでしょうね。(『井上政典のブログ』より2014年9月7日分を転載)

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    日本会議の生みの親 「何を怖がっているのという感じ」

     故きを温ねて新しきを知る。内閣改造や新都知事、そして天皇の生前退位といった最新ニュースの深層は、戦後政治史の経験と蓄積がなければ読み解けない。そこで、本誌恒例の老人党座談会を緊急招集した。村上正邦氏(84)、平野貞夫氏(80)、筆坂秀世氏(68)の3氏が存分に語り合った。元自民党参院議員会長の村上正邦氏村上:安倍さんは皇室典範についてはまったく発言しないじゃない。安倍(晋三)さんが積極的じゃないのは日本会議が皇室典範改正に反対してきたからだと言われるけど、日本会議が何を言おうと、この問題については、理屈が通らないと思うね。 もし安倍さんが日本会議の言い分を尊重しようとしているなら、衛藤晟一(首相補佐官)を大臣にしているはずですよ。だけど、入閣させてないということは、そういうことですよ。日本会議の象徴は、稲田(朋美・防衛相)じゃない。稲田だとみんな言うが、衛藤ですよ。平野:なるほど。それが「日本会議の生みの親」と呼ばれる村上さんの見方ですか。村上:私は昔、中曽根康弘さんに触発され、皇室について学ぶ皇室懇(皇室問題議員有志懇話会)という勉強会をつくったんだけど、衛藤は当時、一年生議員のくせに、皇室懇にしゃしゃり出てきてたんだから。本当にあつかましい。筆坂:日本会議って、にわかに注目されているけど、世間の人はみんな知らないし、何でそんなに恐れられているの?村上:それはやっぱり、総理の側近に日本会議のメンバーが多いからなんだけど、私がみんな推薦したんだよね。「こいつも入れろ、ああ、こいつもいいじゃないか」って。筆坂:村上さんが推薦したんじゃないか!(笑い)村上:だから、私からすると、「何を怖がってるの? こいつらを」という感じなんだけどね。筆坂:影響力が過大にとらえられているということだね。村上:安倍政権の側近連中が、ことあるごとに発言するから、大きな力になっていくんですよ。地方議会においては、椛島(有三・日本会議事務総長)あたりのシニア部隊が議員をオルグしていくから、議会がそれに従うような構図が生まれてくる。筆坂:それを影響力というのでは……(笑い)。村上:あるかもしれないけど、大したことはないよ。平野:もう一つの問題として、自民党の憲法草案では、天皇を元首にして国家の中心に据えるとしているでしょう。それで生前退位を可能にすると、天皇が政治利用される危険が高まりますよ。村上:そういう問題もある。私は、皇室問題を解決するには、まず天皇家に京都にお戻りいただくことだと思っている。明治天皇は政府に連れられて、江戸城に入れられ、軍部に利用されてきたんですよ。そこから間違っていたんだから、京都御所にお帰りいただき、政権と切り離し、本来の祈り、天の神と地の神、人間と祀り合わせることにご専念いただく。 そのうえで、皇居は世界遺産に登録しよう。それがいい!●村上正邦/1932年生まれ。自民党。参議院4期。労働大臣、参議院自民党幹事長、自民党参議院議員会長などを歴任。●筆坂秀世/1948年生まれ。日本共産党。参議院2期。政策委員長、書記局長代行、中央委員会常任幹部会委員を歴任。●平野貞夫/1935年生まれ。参議院2期。自民党、新生党、新進党、自由党、民主党などに所属。元自由党副幹事長。関連記事■ 日本会議が「生前退位」の最大障壁となる可能性■ 話題の「日本会議」に関係者「実像は地味な文化活動ですよ」■ 天皇のお言葉で皇室典範改正なら安倍首相と支持母体に溝■ 総選挙で新人議員184名誕生 氏名標作成業者は徹夜で名入れ■ 話題書『日本会議の研究』に関係者激怒「トンデモ本ですよ」

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    話題の「日本会議」はどんな団体なのか? 会長を直撃

     決して知名度が高いとはいえない著者が、あまり広く知られていない団体を取り扱った本が大ベストセラーになっている。『日本会議の研究』(菅野完・著/扶桑社新書)──。“研究対象”となった日本会議は安倍政権と密接な関係が指摘される一方、その規模や資金力、目的などの全貌は謎に包まれている団体だ。 様々な関係者に話を聞いても具体的な全体像はなかなか見えてこず、この組織の断片的な部分しかわからないように思える。核心については、やはり中枢幹部に聞くしかない。日本会議会長で杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏が取材に応じた。一問一答で掲載する。2015年8月15日、靖国神社での戦没者追悼集会に参加した日本会議会長の田久保忠衛氏(中央)──日本会議とはどのような活動をする団体ですか。「我々の一つの大きな目的は憲法改正にあります。日本(の報道・言論)は米大統領候補のトランプ氏について悪口に終始していて、なぜ(在日米軍撤退を主張する)彼が米国民に支持されているかの背景が伝えられていない。日本や韓国をなぜ米兵が守らなければならないのかと、米国民も感じ始めているのです。(米国に守ってもらうのでなく)日本が自国を防衛するという視点に立つとき、障害となるのが憲法9条です。だからよりよい憲法を自分たちで作ろうというのが大きな目的です。我々は安倍政権の提灯持ちではなく、我々の目的を達成するために、(改憲に前向きな)安倍政権の今を好機と捉えて、講演、啓発活動などを大々的に展開しているのです」──『日本会議の研究』は読まれましたか。「読みました。日本会議の研究と銘打っていますが、日本会議のルーツのひとつである生長の家(※注)批判を展開している書物のように感じました。日本会議の創生期には確かに生長の家の創始者である谷口雅春氏らの主張と日本会議の主張が響きあう部分も多く、椛島君や学生運動をやっていた世代の人々が参加しました。 しかし、日本会議が生長の家に牛耳られているとか、生長の家の陰謀だとか、まったくの的外れです。日本会議には神道政治連盟や国民文化研究会など多岐にわたる宗教団体が参加していて、どこかに“黒幕”がいるというようなものではありません」【※注/故・谷口雅春氏が1940年に創設した宗教団体。1964年から憲法改正など保守的な主張を掲げて政治活動を展開していた。1980年代前半を境にそうした政治活動を停止した】──改憲を目指す一方で、政治団体として届け出をしていない。理由があるのか。「え、そういう登録をしていないのですか。そこは事務局に確認してほしい」(日本会議広報部によれば「任意団体であり、国民運動団体である。それ以上のことはお答えできない」)活動費は誰が支出しているのか──活動費は誰が支出しているのか。「会員費によるものだと思います」〈日本会議のホームページによれば、支払う会費によって会員として受けられる特典が異なる。年会費3800円の「支援会員」は機関誌を毎月受け取れるのみ。その他5つの種別があり、最高額の10万円を払えば、会員証(ゴールドメンバーズカード)、会員バッジ、関連書籍、DVD、カレンダーにメールマガジンが付く。また、日本会議の広報部によれば他に団体・法人協賛金、機関誌広告料、会員からの協賛金があるという〉──政権に影響力があると指摘されている。「自民党、あるいは安倍政権と日本会議との関係は世間の人が見るほど密接なものではありません。つくる国民の会の『憲法改正1000万人署名活動』を自民党が支えてくれているわけでもない。自民党の中にも衛藤晟一氏のように熱心な議員もいるが、必ずしも自民党のオールジェネレーションが支持しているわけではない。日本会議は政権に対して政策提言してはいるが、影響力はそれほどのものではありません」(日本会議広報部は「第二次安倍政権発足以降、政府に政策提言はしていない」) こうした証言について、『日本会議の研究』の著者である菅野完氏はいう。「日本会議の活動は善意の活動で、その中で田久保忠衛先生や長谷川三千子先生は改憲や日本文化を守るといった“目標”レベルで賛同して、参加されていると思う。しかし、冷静に見て、日本会議の主張に政権がなびいているのは否定しがたい。 それなのにそう見せないのは、全体をコントロールするトップや事務方の有能さにある。椛島事務総長ら生長の家出身の事務方幹部が取材に答えないのは、そこに本丸があるからということでしょう」 この不思議な組織は、これからどこへ向かうのか。関連記事■ 700万人の憲法改正署名集めた日本会議 正体掴めぬ組織■ 出版停止申し入れの『日本会議の研究』 異常ペースで売れた■ 日本会議議員懇談会 安倍氏に同調できないと居心地悪い■ 約4000人いる国会職員 国家公務員法の適用を受けない特別職■ 総選挙で新人議員184名誕生 氏名標作成業者は徹夜で名入れ

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    トランプを支持しているのは誰か?アメリカ「極右化」の真実

    中岡望(東洋英和女学院大学大学院客員教授) 1980年代から本格的に始まったグローバリゼーションの反動として先進国にナショナリズム、保護主義、移民排斥主義が息を吹き返しつつある。経済のみならず政治や社会の国際化は、各国に深刻な影響を及ぼしている。グローバリゼーションは人々に大きな恩恵をもたらすと同時に、一部の人々に耐え難い苦痛も与えてきた。途上国との競争に直面した先進国の労働者は雇用喪失を経験し、増え続ける移民・難民は受入国に経済的、社会的、政治的な摩擦を引き起こしつつある。アメリカの共和党の大統領候補にドナルド・トランプ氏が指名されたのも、こうした流れとは無縁ではない。 アメリカの平均的な労働者の実質賃金は1990年代以降、ほとんど上昇していない。またブルーカラーの就業率の低下傾向も続いている。こうした反動は共和党のトランプ候補に限らず、民主党の予備選挙でベニー・サンダース候補が自由貿易協定の破棄を主張したことにもうかがえる。歴史的に見れば、ファシズムの台頭は中産階級の崩壊と経済危機が重なり、敵を特定の民族や移民に求めたときに共通して見られるものである。トランプ現象に代表されるアメリカ社会の動きは、まさにこうしたアメリカ社会の動向を反映したものといえよう。米ノースカロライナ州での集会に出席した共和党大統領候補トランプ氏(ロイター=共同) トランプ候補の最大の支持層は高卒以下の労働者である。アメリカの世論調査機関ピュー・リサーチの調査では、高卒以下の白人の57%がトランプ候補を支持しているのに対して、クリントン候補を支持する比率は36%にすぎない。逆に大卒以上の高学歴者では、クリントン候補支持52%に対して、トランプ支持は40%と逆転している。こうした高卒ブルーカラーは特に厳しい経済状況に置かれている。トランプ候補はそうした層に対して「ブルーカラーの経済的苦境の原因はメキシコから不法移民が大量に流入する一方、中国などの途上国によって雇用が奪われている」と訴えかけ、大きな共感を得ている。 トランプ候補の主張する自由貿易協定破棄や1100万人といわれる不法移民の強制送還という主張は、喝采をもって受け入れられている。ただ多くの専門家はブルーカラー層の経済的な困窮は移民とは直接関係ないと分析しているにもかかわらず、トランプ候補の主張は過剰に扇動的であるにもかかわらず、多くの国民の支持を得ている。 特に南部のブルーカラー層はもともと保守的で、共和党支持層であった。だが共和党は大企業の代弁者として積極的にグローバリゼーションを進めてきた。その結果、保守的なブルーカラー層は共和党支持層でありながら、共和党指導部から見捨てられてきた。彼らは必ずしも政治意識が高いとは言えず、投票所に足を運ぶことも少なかった。また労働組合が大きな支持層である民主党支持に転じることもなかった。トランプ候補はこうした共和党と民主党の狭間に落ちていた「南部の声なきブルーカラー層」の代弁者として喝采を持って受け入れられたのである。トランプ候補は演説で「我々は労働者の党になる。過去18年間、実質賃金が上昇せず、怒りに満ちている人々の党である」と訴え、続けて「多くの有権者は共和党指導部に不満を抱いている」と党執行部を批判している。 大企業の代弁者である共和党執行部は自由競争を柱とする新自由主義の政策を実現してきた。その結果、国民の所得格差は耐え難い水準にまで拡大し、政府への不満は極限にまで達しつつある。FRB(連邦準備制度理事会)の調査では、55歳から64歳の退職間際の人々のうち19%は将来に対する備えは全くない状況に置かれている。労働者の30%が十分な貯蓄も持っていない。将来に対する不安は限界まで高まりつつある。そうした中で、共和党執行部から疎外され、リベラルな民主党を受け入れることができない保守的なブルーカラー層がトランプ支持者となっている。トランプ現象とキリスト教白人国家の終焉トランプ現象とキリスト教白人国家の終焉 さらにアメリカ社会に特有な現象がある。それは「白人プロテスタントの国家」であるアメリカ社会の変質である。数十年後にはメキシコなど中南米から移民してきたヒスパニック系アメリカ人が人口構成上最大のグループになり、しかもヒスパニック系アメリカ人の大半はカトリック教徒である。アメリカが「白人プロテスタントの国家」でなくなるのは、もはや時間の問題となっている。原理主義者と呼ばれる保守的なプロテスタントであるエヴァンジェリカル(福音派)は焦燥感を強めていた。 そうした状況のなかでトランプ候補は“白人至上主義”を唱え、外交政策でも「アメリカ・ファースト」をスローガンに掲げ、軍事的にも政治的にも強力な伝統的アメリカ社会の再構築を訴え、支持を拡大してきた。「アメリカを再び偉大な国家に」というトランプ候補のスローガンは魅力的に響いた。 共和党は1964年以降、公民権法に反対し、黒人層を切り捨て、最大の有権者を抱える「白人の党」へと変わっていった。そのプロセスで黒人層だけでなく、穏健派も排除し、ひたすら保守主義の政策を推し進めてきた。だが、遠からず白人が少数派に転じることが明白な状況に直面した共和党執行部、共和党が大統領選挙で勝利するためには、白人の党を脱皮し、より広範な支持層、具体的にはヒスパニック系アメリカ人に代表されるマイノリティーや女性を取り込む必要性を感じていた。 特に2012年の大統領選挙でのミット・ロムニー候補の大敗を契機に、共和党全国委員会は路線変更を模索し始めていた。だが、トランプ候補はそうした党執行部の意向とは別に、縮小しつつある白人層の支持層を深化さようとしているのである。それがトランプ候補と共和党主流派の間に決定的な亀裂を引き起こしている。 さらにトランプ現象の特徴は、キリスト教原理主義者といわれるエバンジェリカルの支持を得ていることだ。エバンジェリカルは大統領選挙の帰趨を決定するほど大きな力を持っている。特に2008年の大統領選挙でブッシュ大統領が地滑り的勝利を収めたのは、エバンジェリカルの支持を得たからである。 トランプ候補は3度離婚し、まともに聖書を引用できず、どうひいき目にみても敬虔なクリスチャンとはいえない。当初、エバンジェリカルはトランプ候補に反対するのではないかとみられていた。だが、奇妙なことに、現在、エバンジェリカル層はトランプ候補の最有力な支持層になりつつある。 その理由のひとつは、トランプ候補が積極的にエバンジェリカル層に支持を訴え、それが功を奏しているからだ。同候補はキリスト教に帰依すると語っている。エバンジェリカルは別名“ボーン・アゲイン・クリスチャン(生まれ変わったキリスト教徒)”と呼ばれる。エバンジェリカルの思想には、宗教から離れていたが、苦悩を経て再び神に導かれてキリスト教に帰依する者こそが本物のクリスチャンであるという考え方がある。 たとえば、エバンジェリカルは、ブッシュ大統領(息子)はアルコール中毒になるなど苦しい経験を通してキリスト教を再発見した“ボーン・アゲイン・クリスチャン”であるとして支持した。ブッシュ大統領は当選後、ホワイトハウス内で聖書研究会を主催するなど、エバンジェリカルに傾斜していた。同様に、エバンジェリカルは非宗教的なトランプ候補を“生まれ変わったクリスチャン”として受け入れているのである。 エバンジェリカルは保守的なブルーカラー層と同様に現状に不満を抱いている。具体的には2015年に最高裁判所が同性婚は合憲であるという判決を下したことで不満を募らせている。中絶問題など倫理的な問題に関してエバンジェリカルの主張は社会的に退けられつつある。 それに対してトランプ候補は積極的にエバンジェリカルの主張を受け入れ、それを共和党政策綱領に盛り込んでいる。具体的には、キリスト教を国家宗教にする、性的マイノリティであるLGBTを差別する法案を合法化する、LGBTに反対の最高裁判事を任命する、伝統的な結婚形態を支持する(同性婚反対)、公立学校で聖書の勉強を義務付ける、死刑制度を復活させる、性教育を止める、肝細胞の研究助成を中止する、中絶を禁止するために胎児に人権を認める憲法修正を行うなど、日本人としては理解しがたい項目が共和党政策綱領に織り込まれている。それらはエバンジェリカルの主張そのものである。孤立主義はアメリカのジェネ(遺伝子)である孤立主義はアメリカのジェネ(遺伝子)である 外交政策でもトランプ候補は「アメリカ・ファースト」を主張し、孤立主義を訴えている。インテリ層は、その政策をヒトラーの政策と同じだと批判している。共和党主流派の現実主義の外交専門家は、トランプ候補の外交政策を非現実的と退ける。だが、アメリカ社会は伝統的に孤立主義の傾向が強い。ニューヨークの公園ユニオンスクエアに一時設置されたトランプ氏の裸像(AP=共同) たとえば初代大統領のジョージ・ワシントン大統領は大統領職を去るにあたって行った演説のなかで「我が国の偉大な行動ルールは、諸外国と経済的関係を拡大する際、できるだけ政治的な関わりを持つべきではない」と語っている。モンロー主義を待つまでもなく、ワシントン大統領の遺伝子はアメリカ政治に組み込まれている。第1次世界大戦にも、第2次世界大戦の際にも、アメリカ国民は参戦に反対し続けた。トランプ候補は、そうしたアメリカ社会の孤立主義を巧みに喚起しているのである。 さらに共和党政策綱領の中には、英語を公用語にする、不法移民への恩赦を禁止する、不法移民を排除するためにメキシコ国境に壁を建設する、銀行の規制緩和を進める、消費者保護を中止する、労働組合を縮小させるといった超保守的な主張も盛り込まれている。トランプ候補が想定するアメリカ社会は“過去のアメリカ”である。クリントン候補が“アメリカの将来”を訴えているのとは対照的である。 トランプ現象は明らかにアメリカ社会の右傾化を反映したものである。ただ、アメリカ社会がすべてトランプ化しているとみるのは間違いである。一時、世論調査でトランプ候補がクリントン候補をリードしたが、最近の世論調査では再びクリントン候補がトランプ候補を大きくリードするなど、巻き返している。トランプ候補の無教養と思える発言が同候補に対する支持率の低下を引き起こしている。共和党の議会議員、インテリ層は現在でもトランプ候補の引き下ろしを画策している。多くの議員は、トランプ候補を擁して選挙戦を戦えないと主張し始めている。トランプ現象は一時的なものである。ただ、その背景にあるのは、先に述べたように「白人のプロテスタント国家」アメリカが確実に終焉に向かっており、それに対する根強い不満が存在している。アメリカが直面している問題は、将来、アメリカは国家としてどのようなアイデンティティーを確立すべきかということである。

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    極右化する世界「トランプ現象」を考える

    いま、世界の政治が右傾化を強めているという。EU離脱や反移民を主張する排外主義、中でも今秋の米大統領選の主要候補、ドナルド・トランプ氏の過激な発言はそれを象徴する。ポピュリズムが席巻する世界の政治情勢を「トランプ現象」から読み解く。

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    「トランプ発言」は米国民の本音 熱狂を呼ぶ国益優先の世界観

    以降の米国外交を批判的に振り返るのですが、そこではこの期間の米国外交について、行き当たりばったりで、イデオロギー化しており、世界に混乱を招いただけであると酷評します。そして、自分が大統領になれば、米国外交に目的と戦略を再導入して平和を達成できるとするのです。演説の中で繰り返される言葉が、America First、あるいはAmerican Interestという言葉です。まさに、アメリカ第一主義の考え方です。集会で手をふる米共和党大統領候補のトランプ氏=7月26日、米ノースカロライナ州 外交とは、そもそも国益の追求のために行うものですから、米国の大統領が米国の国益を第一に置くのは当たり前のことなのですが、この点を何十回も繰り返さなければならないところ現在の米国外交の混乱があるように思います。つまり、何を米国の国益としてとらえるか、あるいは、どのような時間軸で米国の国益を定義するかという点が争われているわけです。トランプ外交は、少なくとも米国の国益をより直接的に、より短期的に捉えるという特徴を持っています。この点が現実主義と親和性が高い点でもあり、私がこれまで米国の「普通の大国」化と言ってきた発想です。 演説では、現在の米国外交の5つの問題点が指摘されます。これらの問題点の裏返しがそのまま政策提言の柱になっていきます。順にみていきましょう。 第一は、米国の総合的な国力の基盤である経済力の停滞に対する懸念です。外交演説の最初に、米国外交の停滞の根源には米国経済の相対的な縮小があるという認識を持ってくるあたりはビジネスマンの感覚とも符合するのでしょうし、的確な発想です。大統領候補として、内政上の課題とも重複が多く、攻めやすい課題ということもあるでしょう。特に、トランプ氏のこれまでの発言では米国経済について短期的な悲観主義、長期的な楽観主義が特徴的でした。この点が修正されたのであるとすれば候補者として大きく成長したと評価してもいいでしょう。米国経済の相対的な退潮こそ、米国の国益と現在の世界秩序への大きな脅威だからです。 第二は、同盟国の「タダ乗り」についてです。米国が米軍の前方展開その他の政策を通じて同盟国の防衛を引き受けているにもかかわらず、同盟国は資金的にも、政治的にも、人員としても十分に貢献していないという。そこでは米欧の主要な軍事同盟であるNATOを例にとり、防衛費をGDPの2%水準とするという基準が提示されています。日本に当てはめれば防衛費を現状の5兆円から10兆円水準へと倍増するということになります。 同時に目を惹いたのが、同盟国とともに地域の安全保障上の脅威認識を再確認しようと呼び掛けてもいるということです。どのくらい本気で言っているのか判断が難しいわけですが、東アジアにおいて中国や北朝鮮の脅威を「再確認」した場合に、どのようなことが俎上に上るのか。その際、日米の役割はどのように分担されるのか、興味深いところです。アメリカの力に基づく平和の持続 第三は、同盟目の不信を招いているという指摘です。この点は、主にイスラエルを意識した発言であると思われます。イスラエルの安全保障を軽視したイランとの核合意は、オバマ外交の最大の過ちであるというのは、大統領選挙期間中に各候補から聞かれた共和党全体のコンセンサスに近いものですから。ただ、中東以外にも、オバマ政権がロシアを意識するあまり東欧でのミサイル防衛の約束を反故にしたことにも言及していますから、米国のコミットメントへの不信が世界中に広がっているという認識はあるものと思われます。 第四は、米国がその挑戦者達から尊敬を勝ち得ていないという指摘です。これは、ロシアと中国を念頭においた発言です。特徴的なのは、米国が優位な立場から交渉する限りにおいて両国との妥協可能性はあるとする発想であり、米ロや米中が必然的に対立する運命にはないとする世界観です。その、妥協可能性が何を意味するのかは明確に語られなかったものの、米国の経済力をより的確に活用するということが示唆されます。例えば、北朝鮮問題について中国の正しい行動を促すために、経済制裁その他の経済的手段が有効であるということです。 最後の第五は、米国外交が明確な目的意識を失ったという指摘です。復興と国際的な仕組みづくりを主導した第二次大戦後の米国や、共産主義に打ち勝つことを目的とした冷戦期の米国外交には明確な目的意識があったのに対して、現在の米国外交は行き当たりばったりであり、特に、中東外交の混乱はひどいという指摘が繰り返されます。それに対する処方箋が、冒頭の米国第一主義であり、信頼される米国であり、地域の安定を最重視する姿勢の強調です。大事なのは安定であって、民主主義を広めることでも、リベラルな価値観を広めることでもないという考え方を明確にしています。パクス・アメリカーナの持続 トランプ氏は政権奪還を目指す野党共和党の候補者ですから、現政権が進める外交政策に批判的であるのは当然のことでしょう。しかし、トランプ外交演説にはそれを超えた米国外交の根本的な発想の転換が主張されているのです。それは、冷戦に勝利し、グローバリゼーションとイノベーションを牽引して世界経済を拡大し、自由と民主主義を広めるために努力した結果がこれか、という米国民の不満に根差しています。 米外交の問題点に続いて提示された戦略は、ブッシュ(子)政権期のテロとの戦いを名目とした介入主義でもなく、クリントン・オバマ政権期の自由主義的な発想に基づく多国間協調路線でもなく、ストレートにアメリカの力に基づく平和(=パクス・アメリカーナ)の継続を目指すものでした。そこには、誰しも孤立主義の匂いをかぎ取ったことでしょうが、演説を収束される際に繰り返されたのは「平和」という言葉でした。米国が力を取り戻すことで、21世紀はかつて人類が経験したことがない水準で、平和と繁栄を達成できるという。米国からみた中国への脅威は経済力 米国の安全と繁栄に対する本質的な脅威については、イスラム過激主義と米国経済の相対的な退潮があげられます。イスラム過激主義については、世界の人口構成の中長期的な展望と、米国に対する本質的な敵意と妥協不可能性の観点が強調されます。オバマ大統領やヒラリー前国務長官が、イスラム過激主義と正面から向き合わず、ISに対しても「封じ込め」政策に終始していることを激しく非難しています。ただ、これまでのトランプ氏と異なるのは、イスラム過激主義との闘いにおいては、イスラム教国の同盟国やロシアとの協調が必要であるとの観点が提示されることです。オバマ米大統領 米国の経済力の相対的な退潮について多くが語られたのが対中関係においてです。米国から見たときに、中国の脅威とは第一義的には軍事的なものではなく、経済的なものであると。中国の軍事力は、米本国にとってはいまだ直接的な脅威と言える水準ではない一方で、対中貿易を通じた米国製造業の衰退や、米国の財政赤字が中国の資金力によって支えられている現実への脅威認識です。米国から見る世界においては、中国との対立も協力可能性も、その主戦場は経済分野であるということです。 そして、米国の力を再確立するために米軍の能力を再確立することが急務であり、米軍の優位性は誰からも疑問視されてはならないと。そのために挙げられた第一の課題が核兵器体系の更新であり、核抑止の再確立です。この点は、歴代政権が正面から取り組んでこなかった安保専門家の根本的な課題認識であり、オバマ政権の「核なき世界」路線からの明確な決別です。その他にも、海軍や空軍の量的な拡大や装備の更新、人工知能やサイバー攻撃などの新しい技術においても世界をリードする強固な意志が表明されました。 トランプ氏の外交政策を支える根本的な世界観は、冷戦後の世界において形成された「リベラルな国際秩序」(Liberal International Order)への懐疑です。懐疑というよりも、そんなものはそもそも存在したのかという苛立ちに近い感情でしょう。現に、ロシアはクリミアで、中国は南シナ海でリベラルな国際秩序とは正反対の行動を繰り返しているにもかかわらず、世界にはそれを止めさせる力はないではないかと。そして、リベラルな世界観を声高に主導していた欧州でさえ、100万人規模の難民が押し寄せれば見るも無残に腰砕けではないかと。冷戦後に語られた理想主義は、結局は1920年代のそれに似ていて、本当に世界の平和を守る力はない、平和を守れるのは米国の力だけである。いやむしろ、大国間の平和が保たれれば、辺境に紛争が存在してもかまわないという発想です。世界の文脈と東アジアの文脈と トランプ外交演説には、ある意味、典型的な共和党的発想と言える部分が多く含まれます。米軍の優位を絶対的なものとすることは、レーガン政権期を通じて形成された発想と通じるものがあります。米軍の中身について、冷戦型の大量展開型の軍隊から、テロ、宇宙、サイバーなどの新しい脅威へも機動的に対応できる軍への転換を目指すというのは、ブッシュ(子)政権期のラムズフェルド国防長官が目指した路線です。また、実際の米軍の展開は質量ともに圧倒的な優位な状況においてのみ行われ、いざ展開する場合には「勝つために戦う」という発想も、レーガン政権期のワインバーガー国防長官や、ブッシュ(父)政権期のパウエル統合参謀本部議長の発想と同じです。グローバリゼーションへの懐疑的な視点 しかし、トランプ氏には従来的の共和党的な路線からの逸脱も見られます。特徴的なのはグローバリゼーションに対しても懐疑的な目を向けている点です。この点が従来型の共和党的候補と大きく異なる点でしょう。その必然的な帰結は、外交全般における孤立主義的傾向です。経済分野では保護主義的傾向が強まるでしょうし、安全保障分野では米国の核心的な利益とはみなされない地域やテーマに対しては、介入に消極的となることが予想されます。 その点から、トランプ外交の世界的な文脈と東アジア的文脈とのズレが生じてくることになるでしょう。米国民のほとんどは、西太平洋の局地戦に米国の核心的利益を見出すことはありません。日本人が理解すべきは、その事実はトランプが勝とうがヒラリーが勝とうが変わらないということです。最初から開き直ってネゴシエーションの対象としてくるか、米国のコミットメントは不変であると最後まで言い続け、最後に梯子を外すかの違いに過ぎません。 「トランプ大統領」が想定しうる事態となってきたことを受け、世界中で外交・安全保障専門家が右往左往しています。トランプ外交演説の原則をそのまま日本の文脈に当てはめれば、在日米軍の駐留費は全額負担し、防衛費全体を10兆円規模に増やし、中国や北朝鮮の脅威への対処についてゼロベースで米国と交渉することになります。20世紀後半の日本外交の転機となったニクソン・ショックと同規模の、トランプ・ショックということになるでしょう。 なにせ、相手は合理性と損得で考えるディール・メイカーです。しかも、これまでの経緯論にこだわらずに、ゼロ=ベースで思考する日本が最も苦手なタイプです。多少救いがあるとすれば、この黒船がいつやって来そうなのかほぼほぼわかっているということでしょうか。

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    「持てる者と持たざる者」格差と右傾化の切れない関係

    小林恭子(在英ジャーナリスト) 6月23日、欧州連合(EU)の加盟是非に関する国民投票で、英国は「離脱」を選択した。開票日当日でさえ「残留勝利」の予想が出る中、驚きの展開となった。離脱派の選挙運動では「国としての主権を取り戻したい」という国粋主義的(ナショナリズム)キャッチフレーズが繰り返され、EUからの移民の流入をどうするかという「移民問題」が大きな焦点となった。 結果が判明すると、離脱で英国は「孤立する」という報道がなされた。EUに加盟していれば、域内では人、モノ、サービスの自由な行き来が原則で、英国はここから身を引くことになるからだ。「右傾化した英国」という評もあった。EUと縁を切る決断をした英国は、内向きの国という解釈だ。果たして、英国は右傾化したと言えるのだろうか?二極化した英国 国民投票の結果を見ると、EU加盟の是非について国民が真っ二つに割れたことが分かる。 離脱支持は全体の51.9%、残留派は48.1%。地域別にみると、北のスコットランド地方、西の北アイルランド、南のロンドンで残留派が圧倒的だったのに対し、総人口の5分の4を占めるイングランド地方の大部分、特に北部で離脱派が優勢となった。同地方北部は南部と比較して所得が低く、失業率は高い。 また、収入や教育程度がより低い層が高い層よりも離脱を支持していた。年齢層では若者層の大部分が残留を支持していたのに対し、高齢者層は離脱を支持する傾向があった。国内の分裂が表に出て、残留支持派の各紙や政治家などは「国内を統一する必要がある」と主張するようになった。分裂した英国の将来を懸念する報道は海外でもあった。 しかし、英国で14年ほど暮らす筆者にとっては十分には腑に落ちない気持ちがあった。というのも、階級制の名残がある英国は所得や教育の程度、そのほかの社会的背景によって、もともと分裂している。階級によって英語の発音が違うし、食生活の習慣、娯楽や休暇の過ごし方、交友関係も違う。大学や会社、そのほかの公的な場所で交わることはあっても、プライベートな時間を共に過ごすことはほとんどない。階級のみならず、人種や移民だったら出身国、あるいは宗教などによってそれぞれのつながりを作っている。従って、EU加盟の是非だけで英国が分裂したわけではなく、もともと分裂していた現状が国民投票によって可視化された、と言えよう。 多くのエスタブリッシュメント(政界、司法界、企業の管理職および知識人)が結果に驚愕したのは、自分たちが支持するEU加盟にノーを突きつけた人たち(非エスタブリッシュメント)の姿がありありと見えたことだろう。エスタブリッシュメントとしては、非エスタブリッシュメントが英国の将来を変えるほどの影響力を持つとは思っていなかった。「今こそ、国として1つにまとめるべき」という主張は既存体制を維持するために必死になっている、エスタブリッシュメント側の自分たちに向かっての叫びにも聞こえる。持てる者VS持たざる者持てる者VS持たざる者  分裂をもう少し深く見てみると、これまでのような階級制度の枠組みを超えて、バイナリー(白か黒か)の対立つまり、「持てる者対持たざる者」あるいは「エスタブリッシュメント対反エスタブリッシュメント」という構図が現われてくる。右派であろうが左派であろうが、「持てる者か持たざる者か」あるいは「エスタブリッシュメントか反エスタブリッシュメントか」に分かれてしまう。 反エスタブリッシュメントを掲げる抗議運動はこれまでにもあった。近年では、例えば2011年に「ウォール街を占拠せよ」で始まった、「占拠せよ」運動がある。米経済界、政界に対する「持たざる者」の抗議運動は世界各地に広がった。これより前の1990年代以降には「反グローバル運動」が発生している。経済のグローバル化で恩恵を受ける人は良いが、職を失った人はどうするのか、社会的格差が広がるばかりではないか?環境への負荷はどうなるのか?そんな疑問を呈した運動だった。 英国では人、モノ、サービスの自由な行き来が原則のEUがもたらす日常生活の変化に「ついていけない」と感じていた人は増えていたが、この不満をまともに受け止めてくれる既存の政党は皆無だった。ただし、1990年代半ばに発足した「英国独立党」(UKIP、ユーキップ)は別だった。極右政党「UKIP」の躍進「離脱」優勢の報に喜びを表すイギリス独立党のナイジェル・ファラージ 党首(当時)=6月24日、ロンドン UKIPは英国のEUからの脱退を主張する政党だ。長年、「頭がおかしい人」が入る政党と言われてきた。EU移民の流入制限策を主張したことで、移民が多く住む英国社会では「人種差別主義的」とも見られたからだ。主要政党やマスコミ大手はUKIPを泡沫候補として扱ってきた。しかし、2004年以降のEUの東方拡大で旧東欧諸国を中心とした10か国が加盟し、こうした国からの移民が入ってくると、生活面での圧迫感からUKIPの主張にシンパシーを感じる人が次第に増えた。 UKIPは2014年の欧州議会選挙で英国に割り当てられた議席の中で第1党となり、主要政党に泡を吹かせた。この時は右派政党、つまり与党・保守党から支持者を奪っていると思われたが、実は労働者・低所得層を一番支援するはずだった第1野党・労働党からも支持者を奪っていた。 昨年5月の総選挙で労働党は大きく議席を減少させ、現在に至るまで党内分裂を繰り返している。当時のミリバンド労働党・党首はスーツを颯爽と着こなすエリート層。保守党と連立政権を担っていた第2野党・自由民主党のクレッグ党首もエリート層。キャメロン保守党首・首相(当時)も、もちろんそうだ。3人ともが40代でEUの利点については話しても、負の影響については話そうとしない。EU移民の流入で生活に支障が出ているという国民の苛立ちにはまともに対処しなかった。労働党が失った票はスコットランドを英国から独立させると主張する「スコットランド国民党」、保守党、そしてUKIPに流れた。極右政党UKIPの党大会で見たもの 筆者はUKIPの党大会に出かけてみたことがあるが、出席者はほとんどが白人で労働者階級あるいは低所得者層の中高年。保守党にも労働党にもいそうな人々であった。海の向こうの米国で、共和党の大統領選候補者に指名されたドナルド・トランプ氏の支持層とかなり重なりそうだ。 国民投票に向かう選挙戦、離脱派運動のスローガンは「英国の主権を取り戻そう」だった。EUの運営組織欧州委員会が本部を置くブリュッセルは官僚主義の象徴だ。「ブリュッセルがなんでも決める状態から抜け出そう」と。 英国はEU加盟国でも単一通貨ユーロを導入しておらず、パスポートの検査なしに国境を超えることができる「シェンゲン協定」にも参加してない。かなりの自由度が認められているのだが、それでも十分ではないと離脱支持者たちは考えた。投票日の間際には「英国を独立国家にしよう」、投票日を「独立の日と呼ぼう」と訴えた。 こうした文言を見ると、いかにもナショナリスティックで、排他的な機運が高まっていると受け止められるだろう。離脱支持派が問題視していたのがEUからの移民流入であったことも考慮すると、よそ者を排除し、自分たちだけでまとまる「小さなイングランド人たち」と思われても仕方ない。 しかし、EUに加盟しているがために生活環境、雇用環境が止めどなく変化していったとき、そして国民が変化に追いつかず悲鳴を上げているとき、「EU加盟は自明のこと。変えられない」、あるいは「生活面の圧迫がある?でもいいこともあるでしょう。我慢しなさい」と答えながら、不満の声を封じてきたのが政治家であり、主要メディアを含むエスタブリッシュメントだった。積りに積もった不満のマグマがEU離脱への大きなうねりを作ったと言えよう。 2大政党制が続く英国では戦後、保守党が政権を担ってきた時が多く、この点からは英国は保守主義の国と言えよう。さらに右傾化したのかどうかについては今後、政治学者による分析や議論が待たれるところだ。筆者はもともとあった右傾化傾向が外に出たと同時に、強い反エスタブリッシュメント感が噴出したのではないかと思う。 EU移民の流入を止めようとしたことを持って「右傾化した」とも言えるが、EU域内での「無制限の流入」への異議申し立てであることに注目していただきたい。移民の流入に制限がかからない状況について、果たしてどれだけの人が「それでも良い」と言えるだろうか。かつては移民制限を声に出そうものなら、「人種差別主義」と見なされた。今でも英国ではその傾向がある。しかし、政治環境は離脱決定以降、大きく変わっている。少なくとも「無制限の移民流入はいやだ」という感情をまっとうな意見として認めざるを得なくなった。 国民投票で離脱が選択された後、残留運動を率いたキャメロン首相・保守党党首(当時)はすぐに辞任を表明した。党首選が行われ、元内相のテリーザ・メイ氏(残留派)が新首相となったのは、投票日から3週間後の7月13日だ。メイ首相は「ブレグジット(=英国のEUからの離脱)はブレグジット」と繰り返し、離脱派の大物政治家を財務相、外相、貿易相、ブレグジット担当相に充てた。残留派が大部分だったスコットランドで事情を聞くとともに、「すぐにでも離脱をするべきだ」と言う強硬派の声が渦巻くドイツ、フランス、イタリアを次々と訪問した。いかにEU離脱の荒波を乗り越えるか  メイ氏の姿勢は国内で十分に議論を重ねて離脱方針をまとめ、リスボン条約の離脱に関する50条の発動を「年明け」に行う、というものだ。強硬派の大物となる欧州委員会のユンカー委員長はフランスのテレビ局に出演し、「すぐにでも発動させよ」という過去の言説から、「発動へのデッドラインはない。英政府は準備に数か月必要だ」と述べるに至った。メイ首相の電撃欧州訪問が功を奏してきた。 ブレジットが最大の政治課題となる新政権の誕生で、英国は今、いかにブレジットの荒波を乗り越えるかに神経を集中させている。最大野党・労働党は社会派ジェレミー・コービン党首に対し、党の下院議員の間で反乱が発生している。内紛に次ぐ内紛で、コービン氏が党首として再選されるのか、あるいはほかの候補者が選択されるのかの結果は秋以降となる。強力な野党不在の政治が続く。ヘイトクライムの増加  懸念されるのは国民投票の前後から増えている、ヘイトクライムの発生だ。英警察によると、イングランド、ウェールズ、北アイルランド地方で6月中旬から7月中旬までに発生したと見られるヘイトクライムは6000件を超えた。6月中旬から30日までの間に警察に報告されたヘイトクライムは3192件。前年同比で20%の増加だ。1日にすると約200件。7月上旬は若干減少した。最高件数は投票結果が判明した翌日の6月25日で、289件に上った。 「国に帰ろ」などの言葉を浴びせるなどの嫌がらせ、唾を吐きかける、モノを投げつけるなど。移民と見られる人ばかりか、移民が集まるコミュニティーセンター、学校、ムスリム系の人が食べる肉を売っている店などへの嫌がらせや暴力行為もあった。ロンドン市警幹部は国民投票が「人々の心の中にある何かを刺激したのだろう」と述べている(BBCニュース、7月22日)。 選挙中には離脱すれば「戦争が起きる可能性がある」(残留支持派)などの脅し的な表現や「ヒトラーもEUのように欧州を統合しようとしていた」(離脱派)など強いイメージを残す言葉が飛び交った。 過熱化する選挙運動の最中の6月16日、残留派だった労働党下院議員ジョー・コックス氏が右派信奉者の男性に殺害される事件も起きている。政治的な目的で殺害に至ったのか、精神的な問題があって犯行に及んだのかはまだはっきりしていないが、考え方の違う相手を殺傷するほど憎む感情が生まれても不思議ではないほど、残留派と離脱派の選挙運動が熾烈を極めていたのは確かだ。 ヘイトクライムの増加には過熱選挙の落とし子という部分もあったのではないかと思う。移民として英国に住む筆者は「バスなどの交通機関では気を引き締めていたほうがいいよ」と何人かの友人にアドバイスされた。個人的にはまだ被害にあっていないが、投票の直後に、バスの中で有色人種の女性が白人男性に「国に帰ろ」と言われた場面を知人が目撃している。 選挙の記憶が薄れるにつれてヘイトクライムは今後、ある程度減少していくのではないかと筆者はみているが、気がかりなのは旧東欧職出身で今は英国に住むEU市民、特に数が多いポーランド市民の処遇だ。 BBCなどの取材に対し、在英ポーランド人たちは離脱によって「居づらくなった」、「この国では必要とされていないと感じる」と答えている。 EU市民の一人として、正々堂々と英国にやってきたポーランド人たち。すでに家族をもうけ、仕事をし、税金を払って暮らしている人も大勢いる。今さら「帰る」わけにはいかない。政府は今のところ、英国に住むEU出身者の居住ステイタスが離脱後どうなるかについて、明確な方針を発表していない。メイ内閣がブレジッドに向けて着々と歩を進める中、英国内のEU市民や逆にほかのEU諸国に住む英国民は不安感を持って毎日を過ごしている。

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    民主主義とほら吹きとの戦い

     [世界潮流を読む 岡崎研究所論評集]岡崎研究所 7月20日付の英フィナンシャル・タイムズ紙で、同紙のウルフ副編集長が、もし西側政府のエリートが国民の怒りに耳を傾けなければ、民主主義国家と開けた協力的な世界を共存させようとする努力は挫折するだろうと述べています。論説の要旨は、以下の通りです。iStock明確で、簡単で、間違った答え 米国のジャーナリストで痛烈な風刺で知られるH.L.Menckenは、すべての複雑な問題について、明確で、簡単で、間違った答えがある、と言った。確かに西側世界は多くの市民の不満という複雑な問題に直面している。同時に米国のトランプや、フランスのル・ペンのような政権を狙う者が、国家主義、移民排斥、保護主義と言った、明確、簡単で、間違った解決を提案している。 では、市民の反発をどう説明するか。 答えの重要な部分は経済である。生活水準が上がること自体いいことである。と同時にそれは民主主義を下支えする。民主主義の下では、すべての人の生活水準が同時に良くなることが可能である。生活水準が向上すれば、人々は経済的、社会的混乱に対処できる。他方、生活水準が向上しないと怒りを生む。 実質所得が長期にわたって停滞したのは、金融危機とその後の回復が弱々しかったためである。その結果、ビジネス、行政、政治のエリートの能力と誠実さに対する国民の信頼が失われた。そのほかにも、高齢化(特にイタリア)、国民所得に占める賃金の比率の低下も実質所得の長期停滞をもたらした。 国民の不満の原因は、それ以外にも文化環境の変化や移民がある。移民については、豊かな国のほとんどの国民にとって、市民権は最も価値のある資産であり、外部の者と共有することに憤りを感じる。Brexitは一つの警告であった。 それでは、何がなされるべきか。 第1に、繁栄は相互依存によってもたらされることを理解する必要がある。主権の主張と世界的な協力の必要性を調和させることが重要である。国自体ではできないこと、すなわち基本的な世界の公共財の供給に焦点を当てるべきである。この点から今優先すべきは気候変動である。 第2は資本主義の改革である。金融の役割が大きすぎる。株主の利益が重視され過ぎている。 第3に各国ではできない分野での国際協力で、脱税対策が最も重要だろう。 第4に投資、技術革新の推進、最低賃金の引き上げなどにより経済成長を加速させることである。 第5にほら吹きと戦うことである。労働者の流入を防いでも賃金を変革できない。輸入制限は高くつき、製造業の雇用比率を上げることに繋がらない。 なによりも問題の重要性を認識すべきである。長期停滞、文化的混乱、政策の失敗が重なると、民主主義の正統性と世界秩序のバランスが揺すぶられる。トランプ候補は一つの結果である。このバランスを取り戻すため、想像力に富み、野心的な考えが提示されなければならない。容易ではないが失敗は許されない。我々の文明そのものの運命がかかっている。 出 典:Martin Wolf ‘Global elites must heed the warning of populist rage’(Financial Times, July 20, 2016)トランプの台頭の要因 すべての複雑な問題について、明確で、簡単で、間違った答えがある、というMenckenの言葉は名言です。最近の典型的な例は、論説が言及しているように、トランプ米大統領候補です。 論説は、西側世界に見られる国民の不満、怒りの主たる原因は実質所得の長期停滞である、と言っています。トランプの支持者の中心が、所得の伸びていない白人の中、低所得者層であるとの指摘は夙に行われています。 米国経済は失業率の大幅低下等マクロ的には欧州、日本と比べて好調ですが、実質所得が上がらないことで、国民が景気回復を実感できず、景気回復に取り残されていると感じていることが不満や怒りに繋がっているのでしょう。 国民の不満、怒りの主たる原因は経済的なものですが、国民の不満や怒りは政治現象です。トランプの共和党大統領候補選出、ル・ペンの大統領選の有力候補への台頭は、その典型例です。 論説は、長期停滞に政策の失敗などが重なると、民主主義の正統性と世界秩序のバランスが崩れると言っています。これは国民の怒りに対する答えが、自国優先策になりやすいことを反映した懸念です。トランプの貿易、安保政策は典型例です。 論説は国際協力の重要性を強調していますが、国際協力の推進の前に、国内政治をただす必要があります。トランプの台頭は、共和党がオバマ政権反対を最優先させ、国民の不満に耳を傾けなかったことが大きな要因でした。 その点から言うと、論説の5つの対策は、議論を広げ過ぎている感があります。気候変動は確かに重要ではありますが、国民の不満に耳を傾けるという点から言えば、やはりとりあえず実質所得の向上を最優先させるべきでしょう。 国民の不満、怒りに正しく対処しないと、民主主義の下支えにひびが入り、経済的、社会的混乱に対処しにくくなります。同時に、移民排斥、保護主義が広まれば、戦後の国際秩序が挑戦を受けます。論説は我々の文明そのものの運命がかかっていると言っていますが、あながち誇張とは言い切れません。

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    トランプの意味する「法と秩序の回復」

     [海野素央のアイ・ラブ・USA]海野素央 (明治大学教授、心理学博士) 今回のテーマは、「法を守り秩序を回復する候補」です。異例づくしとなった共和党全国党大会でしたが、不動産王のドナルド・トランプ候補は、約75分間の指名受諾演説で、明確なメッセージを発信しました。指名受諾演説を行うトランプ氏(GettyImages) その1つが、「法を守り秩序を回復する候補」です。トランプ候補は、混沌とした米国社会に法と秩序を取り戻すと主張したのです。「私はあなたの声になる」というメッセージも放ち、有権者の声を代弁すると述べました。さらに、同候補は「米国第1主義」を全面に出し、米国の利益を最優先する意欲を示しました。本稿では、これらのメッセージを分析した後で、民主党候補の指名が確実となっているヒラリー・クリントン候補のトランプ候補の指名受諾演説に対する反応について述べます。その上で、民主党全国大会でクリントン陣営が、トランプ候補とクリントン候補をどのように描いているのかについて比較します。 まず、指名受諾演説でトランプ候補が発した「法を守り秩序を回復する候補」からみていきましょう。米国社会では、南部ルイジアナ州、中西部ミネソタ州及び南部テキサス州で発生した警察官とアフリカ系による相次ぐ銃乱射事件に不安と動揺が広がっています。学校、職場、映画館及び空港などで銃乱射やテロがいつでも起こり得るという懸念が、国民に多かれ少なかれあるのです。トランプ候補の「法を守り秩序を回復する候補」には、白人の警察官とアフリカ系の衝突を解決し、秩序を取り戻すという意味が含まれています。現在、米国社会が直面している状況や雰囲気を察知した同候補は、指名受諾演説の中で不安定要因を挙げて混沌とした社会を描き、自分だけが問題解決ができると豪語したのです。 ちなみに、トランプ候補が使っている「法と秩序の回復」及び「物言わぬ多数派」は、リチャード・ニクソン元大統領が公民権運動やベトナム反戦運動で混沌とした米国社会の中で発信したメッセージです。同候補は、1960年代後半と現在の社会における混乱及び不安に類似点を見出しているのです。トランプ・バージョントランプ・バージョン トランプ候補は、ニクソン元大統領が用いた「法と秩序の回復」というメッセージを「トランプ・バージョン」に変えて発信しています。たとえば、上で説明した白人の警察官とアフリカ系の衝突に加えて、不法移民を標的にしたメッセージとして活用しています。 昨年6月16日に出馬して以来、トランプ候補は不法移民は麻薬売買人、犯罪者及び強姦者であると繰り返し主張してきました。同候補は、不法移民は法を犯し秩序を乱す犯罪者というレッテルを貼ったのです。米国とメキシコの国境に建設をする壁は、「法を守り秩序を回復するための壁」であると言いたいのです。 もう1点、指摘します。「法を守り秩序を回復する候補」には重要な隠されたメッセージが存在しているのです。有権者がこのメッセージを耳にすると、「法を守らなかった候補」を連想する仕掛けになっています。その候補は自分のルールで物事を進めてしまう候補です。私的なメールアドレスを使って公務を行ったクリントン候補のことです。「法を守り秩序を回復する候補」は応用範囲が広いので、本選でトランプ候補の核となるメッセージとして用いられるでしょう。「あなたの声になる」と米国第1主義 指名受諾演説でトランプ候補は、「私はあなたの声になる」と強調し、有権者の声を代弁して戦い、米国を最優先させることを誓いました。では、「あなた」とは一体誰を指しているのでしょうか。 全ての有権者であるかもしれませんが、党の結束を図りたいトランプ候補は、宗教保守派に焦点を当てています。さらに、本選で鍵を握る無党派層を狙って発信したメッセージとも解釈できます。ただトランプ候補の内心は、指名受諾演説の舞台に上げてくれた熱烈な支持者である白人労働者と退役軍人でしょう。「私はあなたの声になる」というメッセージは、特に彼らの心に突き刺さったことは確かです。 次に、トランプ候補の米国第1主義です。08年米大統領選挙では共和党の指名を獲得したジョン・マケイン上院議員(アリゾナ州)は、「国が1番(カントリー・ファースト)」をスローガンにして戦いました。勿論、国とは米国を指しています。マケイン上院議員は米国民を最優先するという意味で、「国が1番」というメッセージを発したのです。トランプ候補のように、大国である米国がグローバルな利益よりも、自国のみのそれを最優先して徹底的に追求していくというメッセージではありませんでした。同候補の米国第1主義には、偏狭な自文化中心主義的な色合いが濃く出ており、仮に大統領に就任した場合、米国が大国の役割を果たすのか強い疑問を持たざるを得ません。 指名受諾演説におけるトランプ候補の非言語メッセージも看過できません。演説を行っている間、同候補はほとんど怒った表情をして、社会の不公平さに対する怒りや不満を抱いている有権者と感情共有を行っていたのです。ダイナミックな動作をとりながら、間を十分とり、沈黙といったパラ言語(副次言語)を効果的に活用し、会場の代議員の反応を「傾聴」していた点にも特徴がありました。結局、同候補の非言語メッセージが、言語メッセージのパワーを高めていたと言えるのです。「壁」対「橋」「壁」対「橋」 クリントン候補と副大統領候補に起用されたティム・ケイン上院議員(バージニア州)は、即座にトランプ候補の指名受諾演説に反応しました。 第1に、クリントン候補は、トランプ候補が放った「私は自分1人で問題解決できる」というメッセージを取り挙げました。「一緒になればもっと強くなれる」というスローガンを掲げているクリントン候補は、米国社会が直面している諸問題を個人で解決するのではなく、協力し合ってチームで解決する立場をとっています。クリントン候補が集団主義的なアプローチに重点を置いているのに対して、トランプ候補はカーボーイのジョン・ウェインのように個人で問題解決を図ろうとしている点が対照的です。 第2に、クリントン候補はトランプ候補が力を込めて語った「私はあなたの声になる」について批判したのです。クリントン候補は、ある集会でトランプ候補が「あなたのことを語っていると思いますか」と支持者に質問を投げかけました。クリントン候補は、女性蔑視や反移民の発言を繰り返すトランプ候補が「あなたのことを気遣っていると思いますか」という意味を込めて支持者に尋ねたのです。 第3に、ティム・ケイン上院議員(バージニア州)は、同じ集会でユーモアを込めながら、若者に向かって以下の3つの効果的な質問を投げかけました。 ・「『お前はクビだ』と言う大統領がいいですか、それとも『あなたを雇います』と言う大統領がいいですか」 ・「障害者や女性、メキシコ系、同盟国をこけおろす大統領を欲しますか、それとも人と人の間に橋を架ける大統領を欲しますか」 ・「自分第1主義の大統領がいいですか、それとも子供・家族第1主義の大統領がいいですか」 言うまでもなく、前者がトランプ候補で、後者がクリントン候補です。要するに、クリントン候補とケイン上院議員は、「トランプ候補は、あなたの声に耳を傾け、意見を代弁し、気遣う大統領には決してなりません。自分第1主義の大統領になるのです。私たちは協力し合って米国社会が抱えている問題を一緒に解決していきましょう」というメッセージを発信したのです。 7月25日から東部ペンシルべニア州フィラデルフィアで、民主党全国大会が開催されました。民主党は、トランプ候補を人と人の間に「壁」を作る大統領として、一方、クリントン候補を移民、同性愛者、障害者、女性及び家族や子供を気遣い、人と人の間に「橋」を架ける大統領として描いています。

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    感情論が導いた英EU離脱 排除すべきは無責任なナショナリズム

    宮家邦彦(CIGS研究主幹) 6月23日の国民投票の結果には一瞬絶句した。英国の大衆迎合型民族主義を過小評価したことを思い知らされた。同日付本紙コラムで筆者はこう予想した。 ・英国の欧州連合(EU)離脱の悪影響は経済面に限られない。 ・離脱賛成が過半数を占めるということは、英国有権者が抱く反EUの民族主義的感性が、加盟維持という国際主義的理性を凌駕したということ。 ・あの英国でも大衆迎合主義的ナショナリズムが本格的に始まったことを意味する。国民投票の結果を喜ぶEU離脱派の人々 それでも筆者はイギリス人がEU離脱を選択する可能性は低いとどこか楽観していた。最後は英国の理性が感情を抑えると信じたかったのだ。英国EU離脱の経済的悪影響については既に多くの記事が書かれている。本稿では国民投票結果が今後の国際政治に及ぼす影響につき考えてみたい。力で現状変更厭わぬ帝国 昨年末あたりから筆者は繰り返しこう書いてきた。 ・現在世界中で醜く、不健全で、無責任な、大衆迎合的ナショナリズムが闊歩している。 ・21世紀に入り世界各地で貧富の差が一層拡大した。前世紀後半までそれなりの生活ができた中産階級が没落し始めたからだ。 ・彼らの怒りは外国、新参移民と自国エスタブリッシュメントに向かう。強い不平等感を抱く彼らは何に対しても不寛容で、時に暴力的にすらなる。 筆者はこれを「ダークサイドの覚醒」と呼んできた。欧州大陸での反イスラム・反移民の極右運動や米国のトランプ旋風だけではない。中東「アラブの春」運動や中国で習近平総書記が進める反腐敗運動などの政治社会的背景も基本的には同じだ。それがあの英国ですら起きたのだから、もう世界的に定着したと考えてよいだろう。 この傾向はポスト冷戦期の終焉とともに顕在化し始めた。ポピュリズムとナショナリズムは欧米の自由民主主義的な現状維持勢力を劣化させる一方、力による現状変更も厭わない「帝国」を生みだしつつある。最初は愛国主義者プーチン大統領のロシア。ジョージア、ウクライナ、クリミアなどへの軍事介入がその典型例だ。続いて中国。習近平総書記が進める「中国の夢」も力による現状変更を正当化するものだ。政治家に求められるのは制御能力 中露だけではない。大衆迎合的民族主義が帝国主義と合体する可能性はイランやトルコにも見られる。今後はこれまで世界秩序を維持してきた自由・民主・市場経済を重視する勢力が求心力を失って分裂傾向を強める一方、権威主義的・非民主的勢力が、前者の凋落によって新たに生まれる「力の真空」を埋めていくだろう。政治家に求められる制御能力 日本は何をすべきか。第1にパニックは禁物だ。確かに市場では政治的不確実性がパニックとボラティリティ(数値の乱高下)を生んでいる。しかし、この現象が一過性でないことは述べた通りだ。今後もダークサイドの覚醒は長期化し世界各地に波及していくだろう。であれば今後はこの状態を「新常態」と覚悟する、冷静で理性的な判断が必要となるだろう。 第2はデマに惑わされないことだ。既に一部では、これからユーロは暴落しEUは崩壊し、英国は分裂するなどとまことしやかに報じられている。しかし、離脱の連鎖反応を恐れるEU主流は逆に結束を強めるから、ユーロへの悪影響は少ないだろう。しかも、英国の離脱には通知から2年間の交渉期間が必要だ。ダークサイドからの逆襲を受けた欧州エリートの粘り腰も過小評価すべきではない。EU離脱派が勝利したことを受け、辞意を表明するキャメロン首相 そもそも、今回の衝撃はリーマン・ショックとは若干異なる。後者がサブプライムなど米国バブル崩壊に端を発した経済問題であるのに対し、今回の原因はより政治的側面が強く複雑だからだ。最後に重要なことは、ダークサイドを制御する能力だ。この制御に失敗した政治家は、キャメロン英首相であれ米共和党主流派であれ政治生命を失った。そうした危険が将来、日本に生じないという保証はない。普遍的価値を尊重し連携を 産経新聞(25日付)に「英国人は外部から指示されればされるほど、拒否する気性がある。論理的に正しくても、感情的に反発する」とあった。なるほど、では、同じ島国・日本にも同様の気質はないのか。これらは日本国内の左右のダークサイドに共通してみられる傾向ではないのか。 中国の新華社通信は「西側が誇りとしている民主主義の制度が、ポピュリズムや民族主義、極右主義の影響にはまったくもろいことが示された」と報じたそうだ。しかし、民主的国民投票など実施できない独裁国家・中国にそれを言う資格はない。 今回の英国EU離脱騒動は日本にとって対岸の火事ではない。日本人が得るべき教訓は、常に理性的に行動し、決して感情的にならないこと。そして、無責任な左右のナショナリズムを排しながら、普遍的価値を尊重する勢力との連携を貫くことの重要性である。

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    「内向き志向」は世界の潮流になる? 英のEU離脱と米のトランプ現象

    六辻彰二(国際政治学者)(THE PAGEより転載) 英国民によるEU離脱の選択は、さまざまな課題を投げかけてきます。私たちは歴史の転換点にいるのかもしれません。戦後に築かれてきた秩序や価値観はどうなろうとしているのか。国際政治学者の六辻彰二氏に寄稿してもらいました。「利益」と「独立」を強調した離脱派 6月23日、英国でEUからの離脱をめぐる国民投票が行われました。国内を二分する激論の結果、離脱派が勝利。世界に衝撃が走りました。今回の国民投票は、世界全体でのナショナリズムの高まりの結果であると同時に、それを加熱させ、さらに交錯させる転機とみられます。 今回の国民投票を振り返ると、離脱派の主張は、大きく以下の二点にありました。・EUの一員であることの負担が大きい(債務危機に陥ったギリシャの救済や、移民・難民の受け入れなど)一方、英国への恩恵は少ない。・環境規制から労働基準まで、生活のすみずみにEUの規制が行きわたっており、英国の自主性が損なわれている。 これらは総じて「英国の利益」と「英国の独立」を強調する立場と重なります。これに対して残留派は、EU統合の理念に加えて、「5億人の市場を抱えるEUの一国」であることによる経済的利益などをあげて反論。しかし、少なくとも選挙結果は、EUの一員であることのメリットよりデメリットを感じる人が多いことを示すものになりました。EU離脱派の集会で演説するジョンソン前ロンドン市長=6月4日、ロンドン 今回の選挙結果を考えるとき、キーになるのは「自国の利益をいかに守るか」という点です。 これに関して、第二次世界大戦後の世界では、「海外との付き合いを通じて自国の利益を確保する」という考え方が基本になったといえます。1944年に連合国が集まったブレトン・ウッズ会議での決定に基づき、米英主導で自由貿易体制が打ち立てられたことは、その先駆けでした。 米英が自由貿易を推進した背景には、「自由貿易がお互いの利益になる」という考え方とともに、1929年の世界恐慌の後、「持てる国」(広い国土をもつ米国や、数多くの植民地をもっていた英仏)が自国の生き残りのために保護貿易(※)に向かい、それが結果的に「持たざる国」(日独など)を経済的に追い詰め、これらの軍事活動を招いたことの教訓がありました。つまり、「自由貿易は平和に資する」と考えられたのです。 実際、その後の自由貿易の発達で、どの国も外国抜きで自国が成り立たない状況(国際政治学でいう相互依存関係)が生まれ、これは西側先進国同士での戦争を抑制する一因となりました。数百年間にわたって戦争を繰り返した仏独が、大戦後に重要なパートナーになったことは、その象徴です。仏独を中心とするヨーロッパ諸国は、戦後復興のなかで段階的に経済協力を深め、これがEU統合の土台となったのです。(※)英仏は、自国や植民地以外の国に対して高い関税をかけ、利益の囲い込みを図った「ブロック経済」を敷いた「戦争の回避」≠「友好」ではなかった「戦争の回避」≠「友好」ではなかった 冷戦終結後の1990年代には、グローバル化のもとでヒト、モノ、カネの自由移動が加速。必要なところに人材や資本が集まることで、各国の経済成長も促されました。 ただし、国境を越えた、多くのレベルでの付き合いの増加は、各国間の友好を深めるとは限りませんでした。相互依存関係は戦争の回避に役立ったものの、日中、米中関係や、天然ガス輸入を軸とする西欧各国とロシアに象徴されるように、付き合いが増えるほど、顔を合わせずにいれば発生しなかったトラブルも増えざるを得ませんでした。 ところが、相手の利益と自国の利益が連動している以上、「自分たちの利益」を掲げるだけではトラブルを解決しにくくなります。そのため、各国の政府はお互いに慎重に対応せざるを得ず、いわば「一刀両断」の解決は困難になります。 これらの背景のもと、どの国も海外との関係で妥協を余儀なくされました。それにつれて各国では、「自国の独立」を疑問視する意見が大きくなり、それを支える既存の体制や政治家へのフラストレーションが溜まりやすくなったといえます。 このフラストレーションは、経済が総じて安定的に成長していた2000年代半ばまでは、なんとかコントロールされていました。 しかし、2000年代からの対テロ戦争と連動して、欧米諸国では徐々に「ヒトの自由移動」の結果である移民、特にムスリムに対する偏見と差別が噴出。折から、自由貿易をテコに中国をはじめとする新興国が台頭したことも、西側各国の警戒感につながりました。 これらの背景のもと、2008年のリーマンショックを皮切りに発生した世界金融危機は、各国を「海外との付き合いを制限して自分たちの利益を確保する」ことに向かわせる転機となりました。ヨーロッパでは、それまでにも増して移民への襲撃や嫌がらせが増え、他方でさまざまな規制を敷くEUへの反感も噴出。2014年のEU議会選挙では、「反EU」を掲げる政党が躍進し、フランスでは移民排斥を叫ぶ国民戦線が第一党に躍進。2015年からのシリア難民の急増も、この動きに拍車をかけました。 その一方で、1990年代以降の世界ではあらゆる規制が緩和された一方、人権意識の高揚とともに、暮らす国や性別を含めて、個人が自分のことを選択することが当たり前になりました。つまり、それ以前と比べて、外部の何者かに自分の問題を決められることを拒絶する考え方が普及したのです。この観念は当初「個人の自由」として普及しましたが、2000年代半ば以降はその重心を国家・国民にシフトさせ、「自国のことを自国で決定する」ことを強調する意見が目立つようになりました。 こうして、国境を越えたヒト、モノ、カネの移動による利益や恩恵が頭打ちになり、その弊害が目立つようになったのと入れ違いに、既存のシステムを維持するよりむしろ、そこから独立して、自分たちの利益を確保しようとする動きが鮮明になったといえます。米ではトランプ現象 戦後秩序の方向転換戦後秩序の方向転換 不安定な状況のなかで「海外との付き合いを制限することで自国の利益を確保する」動きは、少なくとも先進国では、「海外との付き合い」を前提とする既存のシステムの下での利益が期待しにくい個人ほど、広がりやすいとみられます。 今回の国民投票の結果を振り返ると、ロンドンを除くイングランドのほぼ全域で、離脱派が勝利したことは示唆的です。とりわけ移民の多いマンチェスターやバーミンガムでは、中間層の間でも離脱派が多数を占めたとみられます。 また、この傾向は、米国におけるトランプ現象にもほぼ共通するといえます。米国でもやはり、経済が回復しつつあるとはいえ、対テロ戦争などでの財政負担やインフレなど生活条件の悪化に対する不満が増幅。そのなかで、複雑な国際関係を度外視して、「米国第一」を掲げるトランプ支持が広がっています。今回の国民投票で、トランプ氏は分離派を支持してきました。 戦後秩序の中核にある米英での状況は、「海外との付き合いを制限することで自国の利益を確保する」動きが世界レベルで広がっていることを象徴します。交錯するナショナリズム その一方で、「『自分たちの利益』の範囲や主体がどこか」をめぐって、それぞれの立場ごとに、考え方の違いが浮き彫りになりました。今回の国民投票において、スコットランドや北アイルランドで「残留」が支持を集めたことは、全体としての英国や米国などの「大きな主体」とは異なるレベルで、「自分たちの利益」と「自分たちの独立」を求める動きの現れといえます。これらの地域はイングランドの事実上の支配によって、もともと「自分たちの利益」が脅かされてきたと捉える傾向が強く、英国より一段高い位置にあるEUにとどまりながら、英国からの独立を求めようとしたのです。 これら「小さな主体」は、生き残りのためにむしろ、海外から影響を受けたとしても交流の活発化を望む点で、英国全体や米国と対照的ですが、それでも(彼らの場合はイングランド支配という)既存のシステムのもとで自分たちが不利益を受けており、「自分たちの利益」を回復するために「独立」を求めるという思考パターンにおいて一致します。スコットランド独立をめぐる住民投票の否決を受け、 スコットランド旗をまとって座り込む女性=2014年10月、 英北部スコットランド・エディンバラ スコットランドでは、すでに単独でEUに残留する交渉を進める方針が打ち出されており、この動きはスペインのカタルーニャなど、各地の分離独立運動を活発化させています。英国のEU離脱は、これら「小さな単位」の独立を加速させる導火線になり得ます。しかし、その一方で、今回の国民投票の結果は、ヨーロッパ全域で極右政党などによる反EU運動も活発化させるとみられます。ところが、一般的に極右政党は、既存の国境線に沿った国家を維持・発展させることを強調します。したがって、各国内のローカルな独立運動とは、基本的に利害や目標が一致しません。 今回の英国における国民投票は、これらの相反する政治的エネルギーを加熱させました。その意味で、この選挙結果は、既に各地で高まっていたナショナリズムの一つの到達点であると同時に、さらなるナショナリズムの高まりと交錯のための通過点でもあるといえるでしょう。 戦後、特に1990年代以降の自由貿易を軸とする国際秩序は、各国の直接衝突を避けるうえで有効だったといえます。しかし、そのなかで鬱積した不満は、世界金融危機などを契機に、ナショナリズムの高まりという形で噴出しています。これらの「グローバル化への反動」が各地で生まれる状況からは、世界が新たな秩序の「産みの苦しみ」の時代に入ったことを見出せるのです。むつじ・しょうじ 国際政治学者。博士(国際関係)。アフリカをメインフィールドに、幅広く国際政治を分析。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、東京女子大学などで教鞭をとる。著書に『世界の独裁者』(幻冬社)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『対立からわかる! 最新世界情勢』(成美堂出版)。その他、論文多数。Yahoo! ニュース個人オーサー。個人ウェブサイト

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    吉永小百合さんへの手紙

    月刊正論3月号に掲載された文藝評論家、小川榮太郎氏の公開書簡「吉永小百合さんへの手紙」が、一部ネットメディアで取り上げられ、物議を醸した。「脱原発」「積極的平和主義」を掲げる彼女は、なぜ公の場で政治的発言を続けるのか。小川氏の論考とともに、国民的大女優の政治発言の是非を考えたい。

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    吉永小百合さんへの手紙

    除し、結婚といふ制度を無効とするやうな志向性を強く持つ事で、この映画が描いてゐる美しい日本を破壊するイデオロギーを内包してしまつてゐる。 夢幻劇に過ぎないのだから、難しい事を言はずに楽しめばいい、一応さうは言へる。 が、夢幻劇の外界をなかつた事にしてしまふのと、夢幻劇を荒々しいリアリズムの世界から守り美しく育てることは違ひます。ここで詳しく論じることはできませんが、多くの偉大な文學、戯曲における夢幻劇は、それを脅かす現実との葛藤を内に含んで自らの純潔を守つてゐるのです。『源氏物語』や能にせよ、シェイクスピアの『嵐』、ヴァグナーの『トリスタン』……全て夢幻性を脅かす外界との緊張関係こそが、これらを美しく掛け替へないものにしてゐる。 ところが、戦後の日本は、夢幻劇を成立させる為に不可欠な、荒々しいリアリズムの世界を直視する事を忘れて、夢を編んできた。 そして、いはばさういふ力との葛藤なしに成立する夢幻劇に狎れ過ぎてきた、それが余りにも続いた結果、我々は、現実と理想との混同に疚しさや痛みを感じなくなつてしまつてゐる。 この映画はその谷間に咲いた百合なのです。 が、さうした問題に於いて、吉永さんを更に危ふひ所に追ひ込んでしまつたのが、貴女の場合、原爆詩の朗読だつたのだらうと思はれます。節を改めて論じてみませう。原爆詩朗読という「祈り」の純粋さ故に原爆詩朗読という「祈り」の純粋さ故に 吉永さんは昭和四十一年に、『愛と死の記録』といふ被爆者を主人公にした映画に出演して以来、原爆或いは被爆者、戦争に対する関心を深めてゆかれた。そしてその思ひが今日に至るまでの原爆詩の朗読といふ活動に繋がります。これは、吉永さんの中で非常に大切な、重い意味を持つた活動に違ひありません。2005年3月、東京大空襲から60年の「平和への集い2005」で、原爆詩の朗読をする吉永小百合 実際、原爆といふ主題に、貴女のやうな真面目でイノセントな女性が心の強い痛みを抱いたといふことを、私は素直に理解できます。そして、女優として、一人の人間として、それを形にし、伝へたいといふ思ひも理解できる。 私も又、核兵器の発明と使用が、人類史上最大の罪悪であつて、原爆で焼かれた民族である我々日本人こそが、その災厄の真実を世界中に知らしめ続けねばならないと考へます。 人類は戦争を繰り返しながら、文明を高めてきました。あらゆる神話や宗教が描いてゐるやうに、破壊と創造は一つのパッケージになつてをり、文明の発展のみで戦争のない世界はあり得ません。人間の中の破壊衝動、憎悪や殺意と、建設への熱意、愛や創造性とを簡単に切り分け、前者のみをこの世から消し去つてしまふ事は不可能です。 が、核兵器の発明と使用は、さうした破壊と創造といふ構造に根本から見直しを迫るものだつたと言ふ他はありません。少なくとも大東亜戦争末期、既に戦争終結に向けた国際工作を何カ月も続けてゐた戦意なき日本相手に原爆を落とすといふアメリカの禁じ手、そして報復を恐れたアメリカによる日本の軍事力の封印と洗脳が成功した為に、核兵器使用による報復が生じなかつたものの、今後は、万一地上のどこかで核兵器使用があれば、報復の応酬、また、非国家集団による核兵器の濫用への道が開かれ、破壊の後に破壊しか続かぬ可能性が充分にある。 だからこそ、二つの事が必要です。 もう発明されてしまつたものはどうしようもないと肚を据ゑるのが第一です。発明された悪魔を乗り越えるのはより優れた技術しかない。原爆反対、原発反対と唱へた所で、世界の技術競争は止まらない。より良心的な陣営が開発競争の先頭に立ち、やがてこれを無害化する所まで技術を追求する以外に、この悪魔を鎮める道はない。安易な反対運動は、かへつて技術による無害化の可能性を閉ざします。 もう一つは、核兵器を使はせない国際環境を強化する事です。その意味で、核兵器使用がどれ程悲惨かの実態を世界人類に共有させるのは、日本の重要な平和活動に違ひありません。 そしてその為に、端的に被爆の悲惨さの「記憶」と「記録」を伝へる事と同時に、貴女がなさつてゐるやうに、「表現」された原爆を伝へるといふ手段もあり得る事になる。 勿論、原爆の実態を伝へる事と、原爆を詩にすること、またそれを朗読することは意味が全く違ふ。 「記録」を直視する事は世界人類の責務です。 が、原爆や被爆を詩といふ表現にすることは可能なのでせうか。被爆した人の詩だから詩としての価値を持つのか 被爆といふ経験は、悲惨極まる、想像を絶する経験であり、私はその人達に同情する資格さへありません。自分や自分の家族が被爆する、即死してしまへば後の事は分らないが、ひどい被爆をしてケロイドや全身にガラスの突き刺さつた状態で苦しみ、しかも後遺症に苦しみながら生きてゆく─それは想像を絶する経験です。 しかし、それが「表現」として人を感動させるかどうかは別問題でせう。 原爆を扱つた詩だから価値があり、だからそれを語り、だからそれを後世や世界に伝へなければならないといふのは本末転倒です。何を扱つてゐようが、本当に胸に突き刺さる「言葉」になつてゐるかどうか、もしそれが「記録」ではなく「詩」であるならば、それが問はれるべき全てだ。被爆した人の詩だから、詩として価値を持つ、そんな事はない。被爆した人が作曲したからといふだけの理由で、被爆音楽といふジャンルが成立する筈がないやうに、「記録」でなく「表現」である以上、「表現」としての基準以外に価値を計りやうがない。 そして、そこにこそ、貴女が、あへて原爆詩に賭けた思ひがあると私には思はれるのです。 貴女の本当の祈りでこれらの詩の真実性を歌ひ出さねば、それは表現には達しない、だから貴女は詩の朗読といふ地味な仕事を続けてきたのではなかつたか。 その意味で貴女の朗読は、原爆詩に込められた思ひを甦らせやうとする「祈り」であり、「祈り」を通じて「表現」を希求する行為だつたのではないでせうか。 ところが、逆に、貴女のさうした動機の純粋さこそが、政治にとつては、実に都合のよい好餌なのです。 原爆の「記録」ではなく、貴女が原爆の「表現」の伝道者になつた時、政治の魔手がそこに付け入ります。貴女は、無力な者の声、一方的に傷つけられた者の声の伝達者である事を通じて、寧ろ、さうした無力さを政治的に利用する者によつて、政治的な「強者」の立場を演じさせられ始めます。 何よりも問題になるのは、原爆詩が、弱き者の声といふ形を借りた特権的な場になつてしまつてゐる事です。 吉永さん自身は一昨年広島原爆忌に掲載された朝日新聞のインタビューで「私の力は小さくて、大きくはならいのですが……」と仰つてゐる。本当に無力だつたらどれ程よかつたでせう。無力な声が無力なまま己の信ずる道を行く事程、真実の意味で強い事はない、それこそが祈りの道だからです。 しかし原爆詩の朗読は、世界の核環境に対しては無力でも、日本の政治状況に於いては全く無力ではありません。例へば、昨年十月に、貴女は、菊池寛賞を受賞しましたが、受賞理由に原爆詩の朗読を殊更に挙げてある。妙な仮定ですが、もし貴女が原爆詩でなく、中原中也の詩や齋藤茂吉の和歌の朗読をライフワークにしてゐたら、少なくともこのタイミングでの菊池寛賞の受賞はなかつたでせう。そして、この受賞をきつかけに、原爆詩を朗読する貴女は、間違ひなく、ある種の政治勢力にとつて、今まで以上に、政治的な利用価値を増す事になるでせう。 その時、貴女はあの類稀な女優としてでもなく、又、祈りの道を一人で歩む朗読者としてでもなく、核戦争の脅威への防波堤でもなく、単に国内政局の喧噪の中での、シンボルとなつてしまふ。 最近であれば、安保法制反対の大合唱の中に、いや、その先頭に貴女の名前が絶えず持ちだされたのは記憶に新しい。『キューポラ』で父親にぶつけた科白の皮肉『キューポラ』で父親にぶつけた科白の皮肉2001年12月、映画「千年の恋 ひかる源氏物語」で共演した吉永小百合(右)と渡辺謙 例へば渡辺謙さんが安保法制騒ぎの最中の八月一日にかうツイートしてゐる。「ひとりも兵士が戦死しないで七十年を過ごしてきたこの国(憲法)は、世界に誇れると思う。戦争はしないんだ」と。 或いは笑福亭鶴瓶さんも、八月八日の東海テレビで「あの法律も含め、今の政府がああいう方向に行つてしまふつていふのは止めないと絶対だめ」と発言し、対談相手の樹木希林さんが「七十年も戦争しないで済んだのは憲法九条があるから」と応じてゐます。 竹下景子さんも、安保法案反対アピールに名前を連ね、「日本が戦争する国になれば、被害者であると同時に加害者にもならざるを得ません」 七十年間日本人の戦死者がなかつたのは、世界に戦争がなかつたからでも、日本への過酷な脅威がなかつたからでもありません。拉致被害者は厳然と存在しますし、そもそも、憲法九条といふ紙切れ一つで地球の中で日本だけが特殊な楽園であり続けられるかどうか、この人達は一度でも考へた事があるのでせうか。 この七十年の内の前半、東西冷戦時代には、朝鮮戦争、ベトナム戦争、核の軍拡競争、共産主義国家による恐怖政治がありました。隣にはソ連、共産中国がゐて、内政による弾圧や失政の為の犠牲者は数千万人と言はれてゐる。その軍事的脅威を憲法といふ紙切れ一枚で防げたとこの人達は本当に思つてゐるのでせうか。冷戦が終つた後、欧米知識人達の一部は自由主義陣営が勝利した結果、世界は平和になるといふ幻想を持ちました。が、アメリカが世界の警察官を務める中で、中東の動揺は全く去らず、オバマ時代に入り、今度はアメリカが警察官の仕事から手を引き始めた途端、中国、ロシアなどの軍事国家が世界秩序の変更に向けてチャレンジを始めた。 冷戦時代の我が国を守つてゐたのはアメリカです。アメリカにとつて日本こそが共産主義勢力からの防波堤だつたからなのは言ふまでもありません。 が、かつてのソ連と違ひ、アメリカにとつて、今の中国共産党政権は駆引きの相手であり、日本はアメリカの死活的な防衛ラインではなくなりつつあります。中国と手を組んだ方がよければアメリカはさうするでせう。その時、憲法といふ紙切れ一枚で日本の「平和」を守り切れる根拠はどこにあるのでせう。 「平和」が大切だといふ声を挙げる事と、特定の法案に反対する事は全く意味が違ひます。 法案に反対するのであれば、その法案が本当に平和を脅かす根拠と、新たな立法措置を取らずとも我が国の平和が守られ続けるといふ根拠を持たねばならない。これは、俳優とか知名人とかいふ事以前に、人としてのイロハではないでせうか。今や日本共産党の広告塔の筆頭格に 実際、根拠なき安倍政治への反対がどれ程滑稽で国論を過つものかは既に証明されてゐます。 たつた二年前、平成二十五年十一月の特定秘密保護法制定の時、安保法制時と同様、芸能人や映画人、ジャーナリストたちが、日本の民主主義の死といふやうな過激な反対キャンペーンを張りました。 政治ジャーナリストの田勢康弘氏は「この政権の体質を見てゐても、間違ひなく拡大解釈してくると思ふ」と発言してゐる。映画監督の崔洋一氏は「この法案ができると日本映画界はお上の都合に合はせるやうなさういふ物ばつかりになる」と言ひ、同じく映画監督の大林宣彦氏に至つては「この法律ができると、国家犯罪に繋がつてしまふかもしれないといふ事を常に考へてゐなくちやならない」とテレビで発言してゐます。 それにしては、安保法制反対時の、殆ど同じ顔触れの皆さんの威勢の良かつた事! 「国家犯罪」に怯えるどころか、「戦争法案」だ「赤紙」だ「徴兵制」だと、法案の中身などそつちのけの途方もないプロパガンダで大騒ぎしてくれたが、安倍政権は弾圧の「だ」の字もしなかつたやうです。「拡大解釈」も「お上の都合」も、「国家犯罪」も全て幻想だつたのですが、法案の中身も知らずに反対の大合唱に加はつたこの人達の誰か一人でも、発言の責任を取つた人はゐるのでせうか。 あへて吉永さんに問ひたい、法案の意味や中身を知らずに、後から責任を取れないやうな出鱈目な批判をする事、またさういふ人達の先頭に立つて広告塔になる事は、貴女の女優としてのあり方や人としての信条に照らして、恥づかしい事ではないのですか。 『キューポラ』の中で高校生だつた貴女は、理不尽な父親に向かつて、かつてかう言つてゐる。「お父ちやんみたいに何もわかつてゐない癖に、頭から思ひこんで変へようとしないの、『無知蒙昧』つていふのよ。さういふの一番いけないよ」 「平和」を大切にする事と、知りもしない法案に大声で反対する事を混同しながら政治利用されてゆく、貴女を始めとする映画人や芸能人達は、正に「無知蒙昧」そのものではないでせうか。 貴女自身は、広告塔のつもりはないと仰るかもしれません。 が、残念ながら、貴女がどう思はうと、貴女の名前は、今や広告塔の筆頭格の一人になつてしまつてゐます。 誰の広告塔か? 驚くべき事に、日本共産党の広告塔です。求められている政治との峻拒 別表のやうに、昨年一年間だけで、吉永さんは「しんぶん赤旗」(日曜版のぞく)に見出し、記事として、十回も登場してゐる(アット・ニフティのデータベースによる)。これは、もうすつかり日本共産党お馴染みの「顔」になつてゐると言ふべき数字でせう。 歴史上、藝術家や文化人の政治利用に一番熱心だつたのは、共産党に代表される全体主義国家であり、中でも最も藝術家を政治利用したのは、ナチスとソ連共産党でした。そして日本共産党は言うまでもなく、現在でもマルクス・レーニン主義を奉じ、共産主義社会を目指す政党です。 共産主義が世界史上最大の政治犯罪だつた事は疑ひの余地がありません。共産主義国家は全て、プロレタリア独裁のまま軍事政権化し、自国民を恣に弾圧、虐殺し続けました。自由な共産主義国家は、一つも存在できなかつた。その共産主義を奉じてゐる日本共産党の広告塔に吉永さん、貴女がなるといふのは一体どういふ事でせうか。 ナイーブな声の上げ方は、あくまでか細く、そしてあくまでも一人の人の声の限界を慎ましく守るべきなのではないでせうか。 私は貴女の「声」の持つ「実意」、「誠意」について語ることからこの手紙を書き起こしました。その「実意」「誠意」を、国内政局に悪用させてはなりません。 貴女には、女優として、最近とみに表現領域を開拓してゐる「祈り」の世界がある。映画の中での、近年の貴女の姿は、それだけで人を浄めるオーラを静かに温かく発してゐるやうに私には思はれます。 「祈り」─吉永さんの世界は、今や女優としても朗読者としても、その世界にはつきり足を踏み入れてゐる。だからこそ、政治に関与せず、政治から利用されない、その峻拒こそが、今、貴女には求められてゐるのではないでせうか。 その世界に徹し、政治利用からはつきりと距離を取る時、貴女の中の女優と、貴女の中の人間としての正義とが、必ず一致点を見出す筈です、私はそれを信じたい。いや、それを信じてゐるからこそ、あへてこの一文を草した次第です。おがわ・えいたろう 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業。埼玉大学大学院修士課程修了。創誠天志塾塾長。著書に『最後の勝機(チャンス)』(PHP研究所)、『一気に読める「戦争」の昭和史』(ベストセラーズ)、『「永遠の0」と日本人』『小林秀雄の後の二十一章』(幻冬舎)など。

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    「完璧なビジネスウーマン」吉永小百合が脱いだリベラルの仮面

    八幡和郎(徳島文理大教授、評論家) 吉永小百合さんが安保法制や原発といった政治的なテーマで、反核・平和・反原発運動に積極的に参加して話題になっている。 昨年の安保法制騒動から、「左翼が流行らないからリベラルの仮面をかぶっていた極左や左翼が仮面を脱ぎ捨てている」が、吉永さんもその一人だ。 日本の政治思想地図で面白いのはプティ・ブル左翼の多さだ。海外の共産党や社会(社民・労働)党左派は社会的に恵まれない人が主流で、彼らに同情する一部のインテリがくっついているという構造だ。 メディアでいえばかつての朝日新聞の読者だ。朝日の論調はリベラルや穏健左派どころか、ソ連と中国と北朝鮮を礼賛し、外交政策でも彼らの利益を代弁していた。共産党はそれなりに首尾一貫した思想だが、それに対して、朝日のいい加減さはユートピア的極左の世界だ。それでも一方で、朝日新聞の読者層は高所得者が多く、高額商品の広告は朝日新聞でないと効果がないと言われてきた。 ところが彼らは、社会党が崩壊して、小政党となった社民党参加者以外が民主党に移ったあたりからリベラルの装いをしてきた。にもかかわらず、安保法制騒動が始まると、ヘルメットとゲバ棒スタイルで闘った若いころの気持ちに戻ったのかようだった。「母と暮せば」を撮影中の山田洋次監督(左)と吉永小百合(右)=長崎市の黒崎教会  『キューポラのある街』は、吉永さんの最初の大ヒット作だが、在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動を肯定的に描いているなど極左色が強い内容だ。 吉永小百合さんの魅力は、「そこそこいいとこのお嬢さんが庶民の役をやっている」というところにあった。吉永さんはしばしば原節子と比較された。原さんは深窓の令嬢風の上、完璧な美女だった。 それに対して、吉永さんはそこそこいいところのお嬢さんのイメージで、スタイルがあまり良くないし、完璧に可愛いが完璧な美女ではない。そこが映画スターがもう少し近づきやすい存在になった時流に合った。 早稲田大学第二文学部という学歴も程良かった。第一文学部ならお高くとまっているイメージになっただろう。 吉永さんは、何を演じても吉永小百合だと批判された。『夢千代日記』で芸者をやっても、『天国の駅』で女死刑囚役を演じてオナニーをしても、「あの吉永小百合さんがこんなことまでして頑張っている」というイメージなのだ。 頑としてイメージを崩すようなことはしないのだ。だから、女優として名優かどうかは、意見が分かれる。馬鹿げた偽善でも吉永小百合だから許された 吉永さんが原爆の詩を朗読しても、切実さはないのだ。「あの吉永さんが平和のために一生懸命やっている」というだけで、原爆の悲惨さより、彼女の人柄の立派さが感じられるだけといえるのだ。 自分で確定申告をして、国税庁の用意した取材に応じるが、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになることに使って欲しい」というなど、良き市民を演じて左翼インテリにも媚びるバランス感覚を示す。馬鹿げた偽善だが、吉永小百合だから許された。 夕張を応援したが、これも偽善の極みだ。だいたい、夕張は市民が後先考えずに巨大投資を展開する市長を選んで砂地獄に落ちただけで、自業自得だ。ところが、地名がなんとも可愛いせいか、夕張は同情された。もし“闇張市”だったら誰も同情などするはずない。これを特別に応援する人を私は全く信用しない。2003年7月、プロ野球の西武戦をネット裏で観戦する吉永小百合(撮影・戸加里真司) 左翼が流行らなくなり、人気も下降気味になると、企業を選別しつつ広告塔をやった。西武の堤義明とはスキーを指導されて仲良くなり、西武ライオンズの熱狂的ファンとなって、アンチ巨人を強調して“反体制気分健在”を軽やかに演ずる。軽井沢の別荘地を安く分けてもらったともいわれるが、マスコミにもあまり突っ込ませない威厳が彼女にはある。 どうして図抜けた企業と思うのか私には理解不能だが、シャープについても、いい企業だからコマーシャルに出るとひたすら強弁した。 そして、西武もシャープも没落したころ、反安保法案でリベラルを装っていたかつての極左勢力が息を吹き返すと、さっそくそれに擦り寄った。 吉永さんが生まれたのが、終戦の年である昭和20年3月、私は昭和26年9月のサンフランシスコ講和条約締結の月だから、お姉さん世代といったところだ。 小学校に入るころ、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』のさゆり姫に声優として登場していたのを聞いていたのを覚えているが、それを意識したのは、日活の青春映画のスターとして有名になってから、「あのときのさゆり姫」とわかってからだが、彼女の軌跡をこうして振り返ると、いちおう同世代の人間として感慨深いところがある。 私は別に吉永小百合が嫌いなわけでも、けしからんと思うわけでもない。隣に座って食事したらとても楽しいだろうし、女優という商品の演出者として、彼女は完璧なビジネスウーマンだ。ただ、このうえなき人格者だとか信念の人かといえば、少し違和感を覚えてしまう。

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    吉永小百合さんは最後の「国民的女優」だ

    稲増龍夫(法政大学社会学部教授) 吉永小百合は1945年3月に生まれ、日本はその5カ月後に終戦を迎えた。まさに日本の戦後とともに歩んできた映画女優だといえる。60歳を越えながら、いまだに若々しいイメージを保ち、2年に1本のペースで主演を演じ続けるバリバリの現役女優である。 今までに100作を越える映画に出演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を4回受賞している(歴代1位)。現在でも、幅広い世代から支持され、2010年には「文化功労者」に選ばれるなど、名実ともに、わが国における戦後最大の女性映画スターである。スターとアイドル ちなみに、彼女は「スター」と呼ばれてきたが、わが国では、今は「アイドル」が全盛である。この2つの呼称は、主たる活躍の場(メディア)で分けられ、簡単に言えば、スターは映画、アイドルはテレビである。スターは、全盛期のハリウッドの「スターシステム」に象徴されるように、映画という非日常的空間で勇猛果敢なヒーローや見目麗しき美女を演ずる存在であり、そのカリスマ性を維持するために、できる限り日常生活を隠して「神秘性」を高める必要があった。だから、ハリウッドの映画スターはパパラッチに狙われるのである。映画「動乱」の完成試写会で挨拶する高倉健さん(左)と吉永小百合=1979年12月 一方、アイドルは特にわが国で発達した文化表象現象で、圧倒的美男美女よりも、隣のクラスのカッコいい子や可愛い子といった手の届く「親しみやすさ」が必要で、テレビでは、単にドラマで演じたり音楽番組で歌ったりするだけではなく、トーク番組やバラエティー番組に出演し素顔をさらすことがかえって好感度を高めることになる。 吉永小百合の場合は、活動の中心が映画である上に、テレビドラマでさえ文芸ドラマや大作ドラマが多く、それ以外のテレビ出演は少なかった。もちろん、彼女が映画デビューした頃は、まだテレビが普及していなかったので当然かもしれないが、それにしても、映画産業が衰退し、多くの映画スターがテレビに活躍の場を求めたことを考えあわせると、映画にこだわったスタンスが、結果として「神話性」を保たせたのかもしれない。 さて、吉永小百合は、1945年に東京で生まれ、まさに戦後の日本社会の復興と映画の発展とを体現する形で成長していった。 実際、わが国において映画は戦後に爆発的に普及し、大衆娯楽の中心に躍り出たのは1950年代後半から60年代初頭であった。この頃、観客動員数はほぼ毎年10億人と、当時の人口から考えて国民1人当たり年に10回以上は映画館に通っていたことになる。 ちなみに、1960年代半ばから、テレビに大衆娯楽の主役を奪われるようになって映画産業の凋落(ちょうらく)が始まり、近年の観客動員数は1億数千万人程度(2011年は約1億4400万人)という状況である。吉永小百合は、その絶頂期の1959年に、わずか14歳でスクリーンデビューを果たしている。彼女は子役時代にラジオドラマに出ていたこともあり、芸能界でのキャリアはあったが、それにしても早いデビューで、しかも、1960年から61年にかけて20本以上の作品に出演しており、映画全盛期とはいえ、過酷なまでの「勤労高校生」であった。 初主演は1960年秋の『ガラスの中の少女』で、ここで、後に「純愛路線」を築く浜田光夫とのコンビが実現する。ともかく、初期の吉永小百合は、どちらかというと「まじめ」な学級委員長タイプを演じることが多く、特に石坂洋次郎原作の青春映画『青い山脈』(1963)などは、彼女のイメージ形成に大きく寄与していた。 これらの映画に見られる、たとえ貧しくとも、明日を信じてまじめに努力していく前向きな姿勢は、まさに戦後復興から経済成長を支えた日本人のメンタリティーを反映したものであり、吉永小百合の「ひたむきさ」は、当時の若者たちの夢と希望の支えであった。それゆえ彼女の「スター性」は、欧米の女性映画スターと違って「性」的要素が薄く、だからこその「清純」であり、年齢を超越した輝きを放っているのかもしれない。社会派としてのスタンス「社会派」としてのスタンス 吉永小百合の代表作と言えば、石坂洋次郎作品や大ヒットした『愛と死をみつめて』(1964)とともに、『キューポラのある街』(1962)をあげる人が多い。『キューポラのある街』は、早船ちよの原作をもとに、後にカンヌ国際映画祭で最高賞を二度受賞した今村昌平と、この映画で監督デビューを果たした浦山桐郎が脚色した映画で、「鋳物の街」であった埼玉県川口市を舞台に、町工場に勤める職人家族をめぐるさまざまなエピソードをつづった社会派映画である。「天国の駅」(C)東映 題材としては、労働問題、貧困、民族問題などシリアスなテーマが多く、「清純派」吉永小百合のイメージからすると暗い映画であり、実際、社会派の浦山監督は吉永小百合のキャスティングには、当初違和感を覚えていたということだが、興行的要請から、人気絶頂の彼女を起用せざるを得なかったと言う。 しかし吉永は、監督からの「貧乏について考えてごらん」という課題をまじめに受け止め、結果として彼女の演技は、わが国では歴史ある映画賞のブルーリボン主演女優賞を獲得するなど高く評価され、同じく作品自体もブルーリボン作品賞を受賞した。 今で言うなら、AKB48などの人気絶頂のアイドルが、こうした重いテーマの映画やドラマに出演するのは、作り手サイドからもファンサイドからも抵抗が多いだろうが、当時は、若者を中心に、社会的な問題意識や批判意識を持つことがむしろ当たり前であり、実生活においても「まじめ」な吉永小百合が、真摯(しんし)に重いテーマと向き合った姿勢は、ファンからも受け入れられたのである。その意味で、彼女は「永遠の清純派」と言われながらも、浮世離れした世界に生きているわけではなく、今でも「脱原発」などの政治的な発言をしているが、それも自然と許容されている。そこには、戦後に新しい国や社会のあり方を模索してきた世代ゆえの、時に愚直なまでの「まじめな」民主主義精神を読み取ることができる。(2012年11月26日記)稲増 龍夫  1952年東京生まれ。法政大学社会学部教授。東京大学文学部社会学科卒、東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。東京大学文学部助手を経て1984年より現職。本来の専門はポストモダン社会論だが、特にアイドル、J-POP、おたくなど現代のメディア文化やサブカルチャーの研究と解説で精力的に活動。

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    「核」「原子力」をマジックワードにしてしまった罪

    島の話」を「原発の話」とイコールで結びながら語り続けた。最近も、吉永小百合が、彼女自身の反核・脱原発イデオロギーに絡める形で福島の問題を言あげることに対して福島県内からも具体的な反発の声が上がっています。要は、「原発事故によってとんでもなくダメになってしまった福島はかわいそう=>だから、絶対に脱原発を達成すべき」という、ありがちな論理で活動を続けるんですが、ろくに事情も知らないのに「原発事故によってとんでもなくダメになってしまった福島はかわいそう」などと勝手な認識を押し付けられることに対して「『だから、絶対に脱原発を達成すべき』っていうあんたのイデオロギーのために福島ネタを利用すんじゃねーよ。『かわいそう』とか何様だ。うぜーよ」と反感を買うのは当然のことです。 ただ、この話自体、構造としては、これまで4年間、知識人が繰り返してきたパターンを踏襲しているだけではあります。吉永小百合だけが悪いわけではないのでサユリストもご安心いただきたい。 他にも、「文明の反省をして再エネルギーを」と、ろくに再エネの一長一短ある性質を勉強することもなく前のめりに語り続けるパターンとかもありました。実際に、再エネ導入はテクノロジーとしても、あるいは制度・政策としても一筋縄ではいかない実態が明るみに出るにつれて、その人たちは無責任にも今黙っている。これらのパターンが結局、生産性のない同語反復の中で陳腐化し、反発を受けたことはあっても、何ら被災当事者のためにならなかったのは「4年後」の結論にせざるを得ないと思います。 そういう大きな話に対して、冒頭に私がお話ししたような細かい話があります。つまり、山本さんにご指摘頂いた「地方の問題」です。福島の問題は日本が抱えるこまごまとした問題の集積だということ。帯にも書きましたが、放射線や原発の問題ではなく、もう少し地方の問題として見ていかないと、この問題は解決しないことは自明です。もちろん、どちらの視点で見ていくことも重要です。ですが、問題解決志向でいくなら地方の問題として見ていくべきだというのがこの本の視点です。 とはいえ、本にない話をすることで、この本がより立体的になるとも思いますので、あえて「原発・放射線の問題」として福島の問題を見ていくこともしてみましょうか。『はじめての福島学』では、扱う範疇外でしたので粗い分析のままにお話しますし、山本さんの今後のお仕事かと思いますが、例えば、2011年から2013年くらいにかけて、新聞ならば朝日新聞、東京新聞を中心に、ご研究されている「日本人と核」の系譜に並べられる新しい「夢」が繰り返し表現されましたね。つまり、「脱原発+再エネでみんなハッピー」的な「夢」です。この「夢」は、震災直後からでてきて、散々強調され、しかし、2014年頭くらいから、急速に退潮していった。理由は色々あるかと思います。FIT(固定価格買取制度)の不整合が指摘されてきたこと、飯田哲也さんら再エネ系のオピニオンリーダーが政治活動に強くコミットする中でメディアへの出演の機会が減っていったこと、そして、2014年初頭の都知事選で「脱原発+再エネ」を表看板に掲げた細川護煕・小泉純一郎連合の惨敗。そんなことが、2011年から数年間のモラル・パニックに陥っていた日本社会を「夢」から醒めさせていった。2014年9月、反原発ライブに登壇し、あいさつする小泉純一郎元首相(右)と細川護熙元首相(宮崎裕士撮影) 元より、原子力にもとから詳しいリアリティズムの論者は、再エネは使えない、それが使えるならもとから広まっていると話していた。FITにも変に政治が介入すると失敗するということが海外の事例からわかっていると言っていた。そうやって「夢」に「現実」をぶつけて醒めさせようとする言論はスルーされていた。ただ、やっぱりあれ夢だったよねと感じ始めている人も出てきているという現状はあります。 ただ、社会はいつでも夢をみたがるものです。なぜあんな大きな夢を語ったのか。そして、そこから数年とたたずに、すぐに醒めざるを得なかったのかというと、先ほどの結論から、当事者として現実に向き合わざるを得なかったというのは大きいでしょう。チェルノブイリの話ならもう少し夢を語り続けることもできたのだろうが、そうではない。(「後編/みんな福島を語っていい」につづく)かいぬま・ひろし 社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。やまもと・あきひろ 神戸市外国語大学専任講師。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。 著書に『核エネルギー言説の戦後史1945-1960』(人文書院 2012年)、『核と日本人』(中公新書 2015年)などがある。関連記事■ 夏だ! 海だ! 沖縄だ! 青春だ! ……でも男2人。 ■ 「関白」の座ゲット! 九州の超強い大名「島津」攻略! 絶好調にしか見えない秀吉でも、官兵衛コワイ……!?■ ぼーっとしたいときは高速バスに乗る(前編)<移動時間が好きだ>

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    吉永小百合まで「広告塔」に担ぎ出す共産主義の影響力工作

    江崎道朗(評論家)進む「民共合作」 政局の季節が始まった。陰の仕掛け人は、日本共産党だ。 昨年秋、日本共産党は民主党などに対して、「戦争法案」廃止を共通政策とする「国民連合政府」を目指そうと呼び掛けた。 これに対して民主党(3月14日に維新の党と合流後の党名を「民進党」と決めたが、本稿では「民主党」とする)の支持母体である連合の神津里季生会長は昨年12月14日の時事通信とのインタビューで、共産党との選挙協力について「(共産党と連合は)歴史的に全く相いれない関係だし、向こうは敵対的関係をずっと持ってきた。やってはいけないことだ」と強く反対した。 1月5日に開催された「連合2016新年交歓会」においても神津会長は「共産党はめざす国家体制が異なることやこれまでの歴史的経過からしても同じ受け皿ということには成り得ない」と、共産党との共闘を批判した。 旧民社系労組出身の神津会長と連動して民主党内の旧民社系「民社協会」の川端達夫衆議院副議長もこう批判している。 《安倍さんや自民党がやっている政治は一つの考え方であるのは当然ですが、どの人に聞いても、それに対してもう少し人間や弱者などにウェートを置いた側の政治勢力が必要では、と言うと思います。ですが、向こう側とは違うというだけで集まるのはダメで、大きな共通の認識や旗の下に集まらなければならない。(中略)小さいままではダメで、力を合わせて選挙に勝とうというのはいいけど、何のために、何をするために、どういう国をつくるために、ということを大きな共通認識として持たない限り、それは烏合の衆で、いつかボロが出る》(『プレジデント・オンライン』1月13日) 政策合意なき野党連合はダメだと批判したのだ。 連合や民社協会の反対で民共合作は潰えるかと見えたが、民主、維新、共産、生活、社民の野党5党の党首は3月19日、岡田代表の提案で共産党との選挙協力を進めることで合意した。そろって街頭演説する(左2人目から)社民党の吉田党首、民進党の岡田代表、共産党の志位委員長=6月19日 《岡田代表は、会談のなかで自身から(1)安全保障関連法の廃止と集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の撤回を5党の共通目標にする(2)安倍政権の打倒を目指す(3)国政選挙で現与党とその補完勢力を少数に追い込む(4)国会での対応や国政選挙などあらゆる場面で5党のできる限りの協力を行う――の4点を提起し、5党で合意したと報告》(民主党の公式サイト) 支持母体の連合や旧民社系の反対を振り切って民主党の岡田執行部は、日本共産党とも組むことを決断したのだ。「共産党と組むとなれば、連合サイドが拒否反応を示し、民主党にとっては却ってマイナスになる」という意見もある。が、残念ながら、連合の組合員の大半はかつてほど共産党に対するアレルギーはないため、意外と選挙協力は進む可能性がある。 しかも共産党との選挙協力を進めるとなれば、民主党の会合にも共産党の活動家たちは堂々と顔を出させるようになり、民主党の地方組織は共産党系によって取り込まれていくことになるだろう。何しろ理論武装という点から言えば、寄せ集め集団に過ぎない民主党や維新の党では、とても共産党には太刀打ちできない。 選挙協力を通じて連合傘下の労働組合もまた共産党の浸透工作を受けていくことになるが、それに対応できる人材が果たして連合内部にどれほどいるのだろうか。連合の左傾化が心配だ。コミンテルンの「協力者」たちコミンテルンの「協力者」たち 共産党の浸透工作と戦うためには、その手法をよくよく研究しておく必要がある。共産党・コミンテルン(以下「共産党」と略)は、宣伝と浸透工作を重視しており、その手法は巧妙だ。この共産党の手法を研究した専門書『革命のインテリジェンス――ソ連の対外政治工作としての影響力』(勁草書房)がこのほど発刊された。『ヴェノナ』(PHP研究所)の翻訳にも関わった佐々木太郎氏が近年、次々と情報公開されている機密文書、具体的にはヴェノナ文書やヴァシリエフ文書、イギリスのM・5史料、アメリカのFBI史料などを使って、これまでのソ連・コミンテルンによる浸透工作の実態を明らかにしている。 各国共産党が他の政党と異なるのは、秘密工作を重視している点だろう。それまで対外工作、スパイ活動と言えば、相手国の技術や情報を盗むことが主要な任務であった。ところが共産陣営は、相手国のメンバーにソ連の利益となるような行動をとらせることを目的とした「影響工作」を重視してきた。 佐々木氏によれば、アメリカのエドガー・フーヴァーFBI長官は、共産主義運動に関与する人物を次の五つに分類している。 ・公然の党員 ・非公然の党員 ・同伴者(Fellow Travelers) ・機会主義者(Opportunists) ・デュープス(Dupes) 「同伴者」とは、共産党が示した特定の問題についての対応や解決策への強い共感から、共産党のための活動をする非共産員だ。「しんぶん赤旗」に名前が載る女優の吉永小百合さんや映画監督の山田洋次さんがこれに当たるかもしれない。「機会主義者」とは、選挙での票や賄賂といった個人的な利益のため、一時的に共産主義者たちと協力する人たちだ。共産党の票が欲しいために共産党との選挙協力に踏み切ろうとしている民主党の岡田執行部や維新の党の松野執行部は「機会主義者」と呼べるだろう。 最後の「デュープス」は、日本語で言えば、間抜け、騙されやすい人々という意味だ。明確な意思を持って共産党のために活動をする人々ではなく、ソ連やコミンテルンによって運営される政党やフロント組織が訴える普遍的な・正義・に対して情緒的な共感を抱き、知らず知らずのうちに共産党に利用されている人々のことを指す。「戦争法案反対」デモに参加した芸能人・知識人たちやサヨク・マスコミの大半が「デュープス」ということになるだろうか。 このように共産主義陣営の真の恐ろしさは、彼らの方針に従う非党員グループを作り、広範な影響力を発揮するところだ。日本共産党の活動などは、表面的なものに過ぎず、真の政治工作は、秘密裏に、かつ広範に行われている。アインシュタイン(UPI=共同) ほとんど知られていないが、知識人・芸能人やマスコミを「デュープス」にする手法を編み出したのが、コミンテルン幹部でドイツ生まれのヴィリー・ミュンツェンベルクだ。 ミュンツェンベルクは一九三〇年代、物理学者のアインシュタイン、作家のアンドレ・ジッド、孫文夫人の宋慶齢、劇作家のバーナード・ショーなどの世界的な著名人を「反戦平和運動」に巻き込んで反戦世論を盛り上げ、アメリカやイギリス、そして蒋介石政権をソ連主導の「反日反独の人民統一戦線」に取り込むことに成功、結果的に日本を敗戦に追い込んだ。 ところが、ミュンツェンベルクについてはこれまで京都大学名誉教授の中西輝政氏が月刊誌などで言及しているだけで本格的な研究書は日本に存在しなかった。佐々木太郎氏の『革命のインテリジェンス』が本邦初となる。 なぜ日本は戦前、米ソに追い込まれたのかを理解するためだけでなく、現在進行中の、日本共産党による「国民連合政府」構想の危険性を理解するためにも広く読まれることを期待したい。共産主義の特異な「平和」観共産主義の特異な「平和」観 野党5党が「戦争法案反対」「安倍政権打倒」で結束していくことを決定したことがいかに危険なことなのか、もう少し考えてみたい。 民主党が共産主義を容認するわけがないし、「戦争法案反対」で共闘するだけだから、それほど警戒しなくてもいいのではないか。そんな声も耳にするが、それは無邪気すぎると言わざるを得ない。というのも、そもそも共産主義者が使ってきた「平和」の意味が、われわれ国民の常識とは全く異なっているからだ。 一九三五年、第七回コミンテルン大会においてソ連は、ドイツと日本こそが「軍国主義国家」であると規定し、各国の共産党に次のような指示を出した。《共産党は(中略)戦争準備の目的でブルジョワ民主主義的自由を制限する非常立法に反対し、軍需工場の労働者の権利の制限に反対し、軍需産業への補助金の交付に反対し、兵器貿易と兵器の輸送に反対して、たたかわなければならない。(中略)ソ連が社会主義の防衛のために労農赤軍を出動させることを余儀なくされたばあいには、共産主義者は、あらゆる手段をもちい、どんな犠牲をはらってでも、赤軍が帝国主義者の軍隊に勝利するのをたすけるように、すべての勤労者によびかけるであろう》 要するにソ連に軍事的に対抗しようとする日本とドイツの軍備増強に徹底的に反対し、いざとなればソ連を守るため日本とドイツを敗戦に追い込むよう努力することが「平和」を守ることだと、主張したのだ。ロシア革命記念日にモスクワの赤の広場を行進するソ連の最新鋭戦車T72=1977年(UPI=共同) ではなぜ、ソ連を守ることが平和を守ることなのか。共産主義者は「戦争とは資本主義国同士が限られた資源を争奪する過程で不可避的に勃発するものであり、恒久平和を実現するためには国際社会から資本主義国をなくし、世界を共産化するしかない」と考える。しかし、直ちに世界共産化は難しいので、まずは世界共産化の司令塔であるソ連を守ろう、という論理なのである。 このように、日本の防衛を否定し、いざとなれば日本が戦争で敗北するように動くことが、共産党の主張する「平和運動」なのである。 この80年前の方針はいまなお墨守され、共産党やサヨク・マスコミは、世界共産化の拠点となってきた中国共産党や北朝鮮がどれだけ安全保障上の脅威を増しても、その脅威を無視するだけで、いざとなれば日本が敗北するようにするため、「戦争法案反対」「憲法九条を守れ」と叫んでいる、あるいは知らぬうちに叫ばされているのだ。 共産党が主導する「反戦平和」路線に乗ることは、中国共産党の軍拡を支援し、資本主義を掲げる日本を解体する運動に加わることを意味する。連合や民主党内部の保守系議員は、その恐ろしさをどこまで理解しているのだろうか。「保育園落ちた日本死ね」は資本主義体制への呪詛「保育園落ちた日本死ね」は資本主義体制への呪詛 共産陣営の恐ろしさは平和運動だけではない。「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが、マスコミで取り上げられ、国会でも問題となった。 なぜ保育園に入れなかったことが「日本死ね」という発想につながるのか、怪訝に思った人も多かったに違いない。それは、サヨクたちの思考を理解していないからなのだ。 彼らサヨクたちは程度の差こそあるものの、「資本主義国では、子供は必然的に搾取され、抑圧される。また、発展途上国の子供たちも搾取され、まともに教育さえ受けることができないばかりか、ブルジョワジーたちが起こす戦争の犠牲者となる。子供たちを戦争と貧困の危機から救い、真に児童の権利を守るためには、資本主義・帝国主義を打倒し、社会主義社会を実現するよりほかにない」と考えているのだ。 だからサヨクは、「保育園に入れないのは、子供を搾取する資本主義体制だからであり、資本主義を掲げる日本を打倒しない限り、この問題は解決されない」と思い込んでいるのだ。「日本死ね」という言葉の奥には、資本主義体制への呪詛がある。安倍政権がいくら待機児童問題に取り組んでいようが、そんなことは関係ないのだ。 その一方で、貧困問題を直ちに政権批判に結びつける共産党やサヨク・マスコミの手法に反発して保守側も、貧困問題に対して懐疑的な見方をする傾向が強い。その結果、子供の貧困や非正規雇用といった課題は放置されてしまいがちだ。 確かに何でも政権批判に結びつけるサヨクの手法はうんざりだが、だからといって子供の貧困問題や若者の雇用環境の悪化を放置していていいはずがない。貧困問題の背景には、二十年近くデフレを続けてきた政府・日銀の政策の失敗があるわけで、「自己責任」で片づけるのは不公平だ。 2月19日の、野党5党合意に基づく選挙協力を推進するための理論的な準備も既に始まっている。 例えば、『世界』4月号は、「分断社会・日本」という誌上シンポジウムを掲載している。その意図をこう記している。《日本社会がこわれようとしている。労働市場、財政、所得階層などの経済指標はもちろん、自由、人権、信頼といった社会指標を追いかけてみるとよい。いまの日本社会では価値を共有することが極めて難しく、また、社会のあちこちに分断線が刻み込まれている。そうした社会の分断状況は、正規・非正規問題。排外主義、居住区間の分断、コミュニティの破壊、ジェンダー問題など、多様な角度から私たちの社会に「いきづらさ」という暗い影を落としている》経済的弱者支援は本来保守の役割 こう問題提起をした上で、自由主義的な市場経済、道徳、極端な競争社会、民主主義に伴う政治的対立の激化などをやり玉に挙げる一方で、戦時中の国家総動員体制下で革新官僚たちによって検討された「働く国民の生活を国家が保障する」制度――これは恐らく社会主義体制のことを示唆しているのだろうが――を評価する。 そして、《地方誘導型の利益分配も機能不全に陥るなか》、《近代自体が終焉と向かう時代がわたしたちの目の前に広がっている》のであるから、《わたしたちは、新しい秩序や価値を創造し、痛みや喜びを共有することを促すような仕組みを作り出す》ことが重要だと、締めくくっている。 要は資本主義や議会制民主主義が現在の非正規労働者の増加、排外主義、コミュニティの破壊といった問題を起こしているのだから、新しい仕組み(社会主義のことか)を目指すべきだと主張しているのだ。 恐らく今後、「分断社会」をキーワードに多くの社会問題が資本主義、議会制民主主義の構造的欠陥の帰結であるとして論じられ、社会主義を容認する方向へ世論誘導がなされていくだろう。年頭のあいさつをする共産党の志位和夫委員長=2015年1月、東京・千駄ヶ谷の党本部 この思想攻勢に対抗するためには、消費税増税で減速したアベノミクスを増税延期(又は減税)と財政出動などによって立て直し、まずは景気回復を実現することだ。経済的困難が続くと、国民はおかしな方向に誘導されやすくなるからだ。 あわせて子供の貧困や奨学金問題などサヨクが取り組んでいるテーマに保守の側こそ積極的に取り組むことだ。経済的弱者に手を差し伸べることは本来、保守の役割であったはずである。 えざき・みちお 昭和37(1962)年、東京都生まれ。九州大学文学部卒業。日本会議専任研究員、国会議員政策スタッフなどを経て現在、評論家。著書に『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾――迫り来る反日包囲網の正体を暴く』(展転社)、共著に『世界がさばく東京裁判』(明成社)など。

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    吉永小百合が脱原発の助っ人に スポンサー獲得の皮算用も

     どっこい、この2人のご隠居はまだまだ涸れてはいなかった。東京都知事選で一敗地にまみれた「小泉純一郎-細川護熙」元首相コンビが再結成される。  5月7日に、両氏が発起人となり、原発ゼロ社会を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」を立ち上げる動きが明らかになった。今年秋に行なわれる福島県知事や、来年の統一地方選挙で脱原発の候補者を支持する国民運動を展開するというのである。  しかも、都知事選の教訓から、今回は両氏以上の“大物助っ人”を担ぎ出した。団塊世代の永遠のマドンナ、吉永小百合である。脱原発を訴えるロックフェスティバルに参加した小泉、細川両元首相=2014年9月、東京都江東区  吉永といえば、福島第一原発の被災者が書いた詩を全国各地で朗読するなど、脱原発活動に積極的に取り組んできた。都知事選でも、同じ脱原発を掲げる細川氏に応援メッセージを送っている。 「2人は、細川さんが熊本県知事だった頃からの知り合い。別荘が隣同士で、細川夫人とともに家族ぐるみのお付き合いをしている関係です」(細川氏に近い人物)  吉永は小泉―細川コンビが設立する同会議の賛同人に名を連ねるという見方が有力だ。  かつて学生運動の闘士だった団塊世代のサユリストたちが昔を思い出して、脱原発運動に加われば、予想を超えた“団塊パワー”を生み出すかもしれない。しかし、国民運動には軍資金も必要になる。  「同会議は、自然エネルギー普及に賛同する企業や団体からの寄付を集めることになるだろう。吉永さんがCM出演しているシャープは、太陽光パネルの大手メーカーでもある。同会議の趣旨には理解があるのではないか。これが日立や東芝など原発メーカーのCMに出ていたら、吉永さんが賛同者になるというわけにはいかなかったかもしれない」(同前)  どうやら、大物助っ人の招聘にはスポンサー獲得を目論む皮算用もあるようで……。関連記事■ 都知事選脱原発争点化を批判の読売 東京都の尖閣購入は高評価■ 小泉純一郎氏 11月の福島県知事選に進次郎担ぎ出すプランも■ 創価学会婦人部 女性遍歴が激しい舛添氏に反感と学会関係者■ 小泉元首相が小沢氏と新党結成も 東京五輪時に進次郎首相へ■ 都知事選で原発を争点化の是非 江川紹子氏・鎌田慧氏の意見

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    「あいつらアホか」安保法制をめぐる妄想合戦の馬鹿馬鹿しさ

    西村眞悟(元衆院議員)   敗戦から七十年が経過し、「日本を永久に武装解除されたままにしておくために起案した」(チャールズ・ケーディス大佐)憲法九条の施行から六十八年が経過している。そして、現在、国会でいわゆる安保法制議論(妄論)が行われている、というわけだ。では、その議論とは、一体、何だ? 私の知り合いで、TVで「その議論」を見て聞いた人の総ては、馬鹿馬鹿しいと言った! 弁護士の大先輩が、電話をかけてくれて、「テレビを視てたら、アホらしいて、あいつらアホか、メシ食いに行こう」と誘ってくれた。国会前で連日展開された安保法案反対のデモ。反対派は「戦争法案」と決め付け 憲法違反とするが、事はそれほど単純ではない=昨年9月 つまり、その議論とは、現場の現実から遊離した「妄想合戦」なのだ。何故、そうなのか。「日本を永久に武装解除されたままにしておくために起案した憲法九条」の枠内の議論であるからだ。馬鹿馬鹿しいではないか。 この「」の中の言葉は、憲法九条を起草したチャールズ・ケーディスが、一九八一年四月に、産経新聞の古森義久記者に語ったことばである(産経新聞朝刊、平成十九年七月一日)。彼は、一九四六年二月、三十九歳の時、我が国を軍事占領していたGHQ(連合軍総司令部)の民政局次長・陸軍大佐であり、米統合参謀本部やマッカーサー総司令官から命じられて、十数人のスタッフを率いて十日足らずで一気に「日本国憲法」を書き上げた。  その米統合参謀本部やマッカーサー総司令官が、ケーディスに「日本国憲法」の起草を命じた目的が、「日本を永久に武装解除されたままにしておくため」であった。日本語も日本も知らない三十九歳のケーディスとスタッフが、「日本国憲法」の起草を命じられて十日足らずで書き上げた。その三十五年後に七十五歳になっていたケーディスに古森記者が取材した前掲記事によると、彼は、「びっくりするほどの率直さで答えた」という。 そして、古森記者は「こちらの印象を総合すれば、日本の憲法は、これほどおおざっぱに、これほど一方的に、これほどあっさりと書かれたのか、というショックだった」と書いている。さらに、「神聖なはずの日本国憲法が実は若き米人幕僚たちによってあわただしく作られ、しかも日本人が作ったとして発表されていた、というのだ」と小森氏のショックは続く。 極めつけは、次のくだりである。「同氏(ケーディス)はまず第九条の核心ともいえる『交戦権』の禁止について『日本側が削除を提案するように私はずっと望んでいたのです。何故なら、交戦権というのが一体、なにを意味するのか私にはわからなかったからです』と述べて笑うのだった。」戦争するための法案かと質問すれば「その通りだ」と明言する 何ということであろうか! 書いた本人が正直に「一体なにを意味するのか私にはわからなかった」と笑いながら告白しているのに、それから、六十八年後になっても、街頭には、「九条を守れ」というプラカードを掲げて人が立てば、TVカメラはそれを全国に放映し、国会内では、九条の枠内で延々と馬鹿馬鹿しい議論が続いている。 憲法九条を書いたこのケーディスという野郎、今は年齢百五歳のはずだ。生きていても亡くなっていても、古森記者に、「びっくりするほどの率直さで答えた」ことを評価し、「無邪気なヤンキーのあんたが意味が分からんと書いた九条を、まだ日本の国会の○○が盲信しとるぞ」と報告し、「あいつらに化けて出て、お前は○○か」と言ってくれと要請したい(○○とは「あ」と「ほ」)。 自民と公明の与党は、一年以上にわたって「自衛権」のうち、「あれはできる」が「これはできない」の議論を大真面目に続けてきて、こんどは国会で、社会党的先祖返りをした野党が加わって、くそ暑い中、やっている。  与党のもともと馬鹿馬鹿しい妄想の上に、野党の、さらに馬鹿馬鹿しい妄想が積み重なっているのであるから、たまったものではない。私に電話をかけてくれた先輩の、「馬鹿馬鹿しいからメシ食いに行こう」が極めて適切で正しい。 さて、馬鹿馬鹿しいことにこだわっていても生産的ではない。従って、ことの本質を述べたい。日が落ちても続く、国会前の安保法案反対デモ。 警官隊との小競り合いが続いた=2015年9月16日、国会前 まず第一に、国家の自衛権は、国家が国家であれば、制限なく行使するのだ。緊急事態の中で、「あれは行使できるが、これは行使できない」というような自衛権はない。 従って、内閣総理大臣(大統領)が、(自衛権を)「行使する」と言ったら、それだけで議論の余地はない、議論終了。これが「最高指揮官」というものだ。 あとは「最高指揮官」から、緊急事態に対処することを命じられた指揮官の「本能と知性」(ドゴール将軍)に委ねられる。これがシビリアン・コントロールというものだ。 安倍総理は、与党内の馬鹿馬鹿しい議論の前に、集団的自衛権を「行使する」と明言した。よって、これで十分である。アメリカは、この安倍総理の明言を受けとめ評価して、四月二十九日の上下両院での安倍演説に拍手したのである。 我が国にいま必要なことは、「平和のための戦略」である。「平和のための戦略」とは、即ち、「平和を願うならば、戦いに備えよ」ということである。 現在の国会に欠落しているのは、これだ。現在、マスコミが全国に放映したがるプラカードには「戦争するな」と書かれている。これに対して、責任在る者は、次の通り答えねばならない。  「戦争ができなければ平和を守れない」  「軍備よりも福祉を」というスローガンに対しては、「国防は最大の福祉である」と断固として答えなければならない。国会内の○○が、「この法案は、戦争をするための法案でしょう」と質問すれば、「その通りだ」と明言しなければならない。 我が国を取り巻く情勢は、これほど厳しい!(「西村眞悟の時事通信」2015年7月13日分を転載)

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    2016年、サヨクの大暴走が始まる

    昨年は朝日新聞やTBSといった左翼メディアの存在感がどうも薄かった気がします。ただ、同じ左派勢力の中でも学生団体SEALDsだけが目立った1年でもありました。では今年はというと、やっぱり彼らしか思い浮かばないのです。安保法制のときもそうでしたが、また彼らの「大暴走」が見られるのでしょうか?

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    慰安婦見舞金は朝日新聞が払え! 

    森口朗(教育評論家、東京都職員) あっと驚く日韓外相会談とその後の両外相の発表により、多くの良識人のはらわたは煮えくり返っていると想像しています。また、今回の件でいわゆる保守層が「今までと変わらず安倍政権支持派」と「騙された!売国政権打倒派」に分断された事も憂慮すべきです。 どちらの思いも痛いほど判りますが、ここは冷静になって我々ができること、すべきことは何かを考えてみましょう。 その前に発表された原文を眺めながら今回の日韓外相合意の意味を確認したいと思います。まず我が国の外相発言から(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する ここにカリカリくるのは止めましょう。ただの河野談話・村山談話のコピーです。安倍総理が、これを踏襲するとした時点から、この手の文書が出る際にこの文言が入るのは織り込んでおくべきです。(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。 この日韓外相発言の肝はここです。後ほど解説します。(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。 これは、日本がポイントを取ったところです。ただし韓国外相発言に比較すると下手に出てる感があるし、曖昧さもあるし、どうせ韓国は蒸し返すし、という事で反安倍派となった方は「甘すぎる」と怒りますが、今の時代に文書化されなくても蒸し返した時点でただでさえ低い韓国の国際的信用はさらに低くくなるのですから、「変わらず安倍支持派」の言うように、ある種の「トラップ」と捉えることも可能です。日韓外相会談と共同記者発表を終え、記者団の質問に答える岸田外相=2015年12月28日、ソウルの日本大使館(共同)次に韓国の外相発言(1)韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。「日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で」と精一杯の見栄を張っていますが中身はありません。ただし岸田外相の1(2)こそが肝であることがここでも判ります。(2)韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。 ここは、撤去を約束させてほしかった。どうせできませんが、できない事を約束させて朴政権を詰ませる点に意義があったと思います。でも、撤去に向けて協議するだけで韓国内は大混乱になるでしょう。(3)韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。「日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で」とさらに念を押して相変わらず偉そうですが、要は岸田外相発言の1(2)は絶対に実現してね、という事です。 次に肝である1(2)の内容をさらに分解すると、I.韓国政府が財団を設立するII.日本政府の予算で資金を一括拠出するIII.日韓両政府が事業を実施する、の3点になります。 私が激怒したのは、もちろんIIIです。 日本国の意思として強制連行など行っていない慰安婦、つまりはただの戦時売春婦に何故、日本国民の税金を払わなくてはならないのか。ふざけるな!村山氏が首相を勤めた自さ社政権でさえ、政府も出資金を出したものの「女性のためのアジア平和基金」を通じて、しかも韓国の慰安婦に限定せずに見舞金を支給したのに、安倍政権は村山政権以上の売国政権か! と、怒り心頭になり1(2)の文言を眺めておりました。 そこで、はたと気がついたのです。岸田外相は、一言も「日本国民の税金で」とは言っていない。「日本政府の予算で」としか言っていないのです。しかも、金額10億円などというのはマスコミネタで、額だって明示されていません。 「予算って、要は税金だろ!?」 いえいえ、そんな事はありません。野田政権に潰されましたが、石原元都知事が尖閣列島を購入しようとした際に使おうとした手法を思い出してください。 石原知事はご自身の信念から、尖閣列島の土地が中国人に売ることが可能な私有地であることを危惧していらっしゃった。しかし、都政に関係のないことに都民の税金を使う訳にはいかない。そこで、全国民に訴え基金を募り10数億円で都有地にしようとしたのです。それでも日本は民主国家ですから、税金以外で集めた金であっても一旦「予算」化しなければ購入できません。都の「予算」で購入しなければ都有地にはならないのです。 今回の慰安婦問題は、この手を使うのに相応しい案件です。日本国家による慰安婦の強制連行などなかった。だから日本国民の税金を使うべきではない。しかし、一方で口頭といえ外相が明言したことを行わなければ、日本国の信用と名誉に関わります。 だから、日本国内で浄財を呼びかけ基金をつくる。そして、その金を「予算」化して韓国が作った財団に寄付する。そうすれば、我々の先人、あるいは明治政府の名誉も辛うじて守ることができるのではないでしょうか。 従軍慰安婦が日韓の政治問題化したのは、朝日新聞の捏造記事が発端であり、本来、この金は朝日新聞が出すべきものです。私案のように一度基金として金を集めてから予算化するのであれば、最大責任者の朝日新聞に負担させることも可能です。また、この問題を大きくした河野氏や村山氏なども私財を供出すべでしょうし、左派は「かわいそうな従軍慰安婦様のため」、保守派は「先人の名誉を守るため、税金を出させぬため」に浄財を寄付してくれるのではないでしょうか。ここまで磐石だった安倍政権が、今回の慰安婦交渉で最も熱烈に安倍総理を支えた人達の支持を失いかけています。本私案は、政権の危機を救う妙手になると自負しているのですが、いかがでしょう。 ちなみに、私が別のサイトで行っている「慰安婦見舞金は朝日新聞が払え」キャンペーンは大勢の賛同を頂いています。これが国民の声、少なくとも安倍政権を支持してきた人たちの声なのです。(森口朗公式ブログ 2015年12月29日分を転載)

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    日本共産党 「大衆党」に党名変更なら自民圧勝の構図崩壊か

    るのだが」(民主党ベテラン議員)というのが本音だ。 実は共産党支持者からも「大衆党」や「国民党」などイデオロギー色を排した党名に変えてほしいという声があがっている。実際、欧州の共産党には現実路線に転換して党名を変え、「国民政党」へと脱皮したケースが少なくない。ドイツでは東西統一後、共産党メンバーが左派政党に合流、「左翼党」という名で野党第一党となり、イタリア共産党は1990年代に「左翼民主党」と党名を変えて左翼連合「オリーブの木」の一角として政権に加わった。 日本共産党にとって、他の野党が総崩れ状態のいまが国民政党へと脱皮する好機でもある。共産党の志位和夫委員長(左)と山下芳生書記局長=2015年12月24日、国会内(斎藤良雄撮影)「自己犠牲の精神で毎日献身的に『赤旗』を配っている古参党員や指導部は共産党という党名に誇りがある。党名が変わればぞろぞろ古参党員の離党者が出るでしょう」(元共産党中央委員会常任幹部会委員の筆坂秀世氏)といわれているが、若い党員からは「だからこそ党名変更だ」という声が出ている。「書記局の古参の人たちはもう長くない。志位さんも本当は分かっている。あとは決断のタイミングだけ」(党関係者)というのである。可能性としては、7月の参院選公示直前、最もインパクトの大きいタイミングで志位氏が動くことも予想される。民主、維新、共産、生活、社民の野党党首会談の席上、志位氏の「党名も安保政策も変える。私は野党連合の一兵卒でいい」という爆弾発言に他党党首は気圧され、頷くしかなくなるのではないか──。 そうした展開の仕掛け人は、野党統一名簿での選挙を提唱する小沢一郎・生活の党代表だ。「小沢氏は志位氏らと何度も会談して現実路線への転換を促した。現在は松野頼久・維新の党代表の指南役として民主党との合流を勧める一方、共産党には党名を変更すれば民主、維新、生活と一緒に日本版オリーブの木に参加できると決断を迫っている」(小沢側近) 参院選の決戦場となる32の1人区では、「野党が統一候補を立てれば、自公など改憲勢力による3分の2どころか、自民の単独過半数確保も難しくなる」(政治ジャーナリスト・野上忠興氏)と予想されている。 共産党が「大衆党」に看板を換えた時、自民圧勝、憲法改正のシナリオに狂いが生じる。 関連記事佐野眞一氏 山口組社内報の仕事誘われ心動かされた過去告白理想追求したプロレス内最左翼団体に連合赤軍を重ねる意見もボディビルにのめり込む人の心理に迫ったノンフィクション佐野眞一氏 「SEALDs」らのデモと「60年安保」の違いを分析デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」

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    「いざ鎌倉」今年は左翼が暴走、自爆する

    小坪慎也(行橋市議会議員) 平成28年、今年の左翼の予測になる。一言で言えば自爆の年となるだろう。もしくは墓穴の年である。衆参ダブル選も囁かれるが、この可能性は高いと考える。だからこその「自爆」という予測だ。ダブル選となれば野党に不利。焦りが行動上の暴発となり、自滅・自壊していくように思う。私にも経験があるからだ。私自身、民主党政権下において同様の焦燥感を抱いた。振り返りつつ、予測してみたい。自民党本部で行われた新年仕事始めに出席した左から、 安倍晋三総裁、谷垣禎一幹事長、高村正彦副総裁= 2016年1月4日、自民党本部(寺河内美奈撮影) はっきり言うが、自民党は弱体化している。支持率は好調だが、得票数は減少傾向。支持者たちの高齢化も進んでいる。民主党に政権を奪われた麻生解散、惨敗に終わったあの選挙こそが得票的には最高潮であったのだ。敗北した原因は、「反自民」が民主党という一つの枠に収まっていたため。なぜ安倍内閣において圧勝できたかと言えば、理由は同じくで野党が分散していたからだ。 野党結集ともなれば、民主党に政権を奪われた際どころではなく、凄まじいまでの惨敗を喫することになる。ゆえに「ダブル選」が囁かれている。ダブル選となれば、自民党は勝利できるだろう。 この流れで読むと「ダブル選とは良い物」と錯覚する方もいると思うが、私はこれを評価しない。有権者への誤魔化しであり、制度としては許されているものの、政治の常識から言えば誉められたものではない。恐らくダブル選となるのだろうが、経験してみればわかる。あれは、わけがわからないのだ。もっと言えば、わけがわからないようにするのがダブル選の目的である。 衆議院選挙で、(1)小選挙区の投票、(2)比例の投票(政党名)、参議院で、(3)選挙区、(4)全国比例(候補者への個別投票)。計4パターンの投票を行うことになる。しかも衆参の比例は投票方法が異なるのだ。4パターンの候補者が「うちは○○の選挙で戦うのですけど」と大挙して押しかける。 選挙を支える現場も大混乱だが、有権者も大混乱である。ネットユーザーも右往左往して「どうしたらいいの?」となるだろう。そして、わけがわからないうちに終わっているはずだ。盛り上がりもなく、ただ混乱のみを残し、数か月後には「なんかバタバタしていたなぁ」という感想が残るのみだ。 ダブル選は、陣営にも異常なまでも負荷をかける。膨大なマンパワーが必要で、これを支えることができるのは、自民党を形成する各種団体(医師会・歯科医師会・薬剤師会・農政連など)や、公明党(創価学会)、民主党(連合)、共産党のみである。他の野党は全滅と言っていい。ダブル選に立ち向かうためには、まずもって強固な支持母体が必須条件なのだ。 そして、どうあっても与党に有利になる。与党は勝利するだろう、そういう制度だからだ。私は自民党支持者であるが、自民の勝利を喜びはするものの、ダブル選挙という手段を評価することはどうしてもできない。有権者の混乱を意図的に生じさせた上での、まやかしの勝利に思えてならないからだ。ダブル選の複雑な投票に対応できるのか 左寄りの支持母体も列挙したが、歯が立たない。戦えるだけの強固な支持層があったとしても、歯が立たぬ理由があるのだ。政権交代の際のように野党が勝利を納めるためには「選挙区調整」などをもって、反自民の声を一本化する必要がある。ダブル選の場合、これが不可能だからだ。安保法案採決に抗議する市民集会で「廃案」を訴える共産党の志位和夫委員長(中央)。民主党の岡田克也代表、社民党の吉田忠智党首らも駆けつけた=2015年7月15日、国会正門前(共産党提供) 想像して欲しい。民主、維新、共産が野合したとしよう。協議の結果、仮に合意を得たとする。衆院の小選挙区は民主、衆院の比例は共産。参院の選挙区は維新、参院の比例は民主。調整などつくわけないと思うが、仮に調整がついたとして、このような複雑な投票が果たしてできるのだろうか。末端の実務者として言わせて頂くが、まず不可能である。4パターンもあるのだ。 混乱状況を伝えるため具体例を挙げる。例えば私の住む福岡11区。野党連合は、「衆院・小選挙区は社民」としたとしよう。ここは候補者名を覚えてもらわねばならない。「衆院・比例は共産」としたとする。ここは共産党という党名を浸透させる必要がある。「参院・選挙区は維新」としよう。これは福岡県全域、11区以外も維新の候補者名を覚えてもらう必要がある。さらに「参院・全国比例は民主」とする。こちらは候補者名だ。そしてこれが福岡10区となれば、小選挙区は別の候補となる。8区、9区でも異なるのだ。 そして各小選挙区は、国政復帰を狙う「元職国会議員」たちが多数いる。民主党時代の元議員たちだ。選挙区調整とは、彼らに断念してもらうという調整に他ならない。政治生命を断ち、人生を諦めろと言うに等しい。簡単につく調整ではない。調整がついたとしても大混乱となるだけだ。 その点、自民・公明の動きはシンプルだ。選挙区は自民、比例は公明と連呼すれば終わる。ある意味では今まで通りである。この点では「民主党」という大きな枠組みのみで戦い、「政権交代!」のみを連呼した小沢氏は、やはり天才だと思う。あれだけの得票を叩き出した、最高潮の自民党を撃破したのだから。今年は、左翼が自爆する年 本記事を読んで頂いているのは、多くはネット保守層であると思うが、初めて聞いたという方も多いように思う。だが、ネットユーザーにとって「初めての知識」であったとしても、左翼は違う。彼らはこの仕組みをよく理解している。ネットは、特定分野の知識が凄まじく詳しいのみで、リアルの選挙支持層が常識として持っている知識を有していない場合も多い。左翼は知っているのだ、自らが終わるということを。 ここに焦燥感、焦りが生じる。確実に生じる。振り返って頂きたいのだが、民主党政権の誕生前夜、いまは古参となった保守陣営がどのような焦りを感じていたか記憶にあるだろうか。効果も見えぬ中、ギャンブルパンフで初めてのポスティング。ネットがリアルに踏み出した、あの日。焦りと危機感から、誰しもが何か出来ぬかと駆け回った。中には事故とも言える悲劇もあったし、いま思えば暴走と言われても仕方ない動きもあった。民主党政権誕生前夜、暴発したのは保守であった。今回、ダブル選挙を前に、焦りから暴走するのは左翼である。 手に取るようにわかる。暴走には2パターンあるだろう。ネット上からリアルに踏み出した結果の暴発と、時代の変化に追従できなかった古参左翼によるものだ。一つ目は、皆様も想像がつくのではないか?シールズの一件のように、web上で動いてきたネット左派層、彼らの暴走である。ネット上には目に余る暴言も多数ある。保守陣営の論調も、中には言葉が激しすぎるものがある。私は、実はこれが嫌いだ。リアルでは通用せぬし、足を引っ張るのみだからである。受け入れられる言葉使いをして頂きたい。古参左翼の暴走 ネット上で、保守・リベラルは「延々と不毛な論争」を継続してきたわけだが、左派陣営の言葉使いも凄まじいものがある。リアルで面と向かって言えば、警察を呼ばれかねないようなものまである。ここまで書けば、想像がつくだろうか。そう、同じノリで話してしまい、選挙の致命傷となるような暴言を吐いてしまう、というものだ。政治経験も浅く選挙経験も皆無に等しい彼らに、発信力のみを持たせればこうなるのは自明であり、陣営の自己崩壊のきっかけとなるリスク要因となっていくのだろう。 次に、古参左翼の暴走だ。党の存続の危機となれば、いざ鎌倉と必死にもなるだろう。特に社民は消滅の危機に陥るように思う。本記事を読む読者には伝わらぬかも知れないが、彼らなりに党を愛し、数十年に渡って愛し支えてきたのだ。党が消えるともなれば、ギリギリのラインで無理もしてくる。かつて取った杵柄と、高齢となった身体に鞭を打って頑張ると思うが、悲しいかな時代が違う。彼らが持っているのは古い知識だ。いまはネットもあるし、公選法も随分と厳しくなった。ほんの十年前までは(いまと比較すれば)「なんでもあり」みたいな時代もあった。この時代の古い常識のままに「無理やり頑張った」先には、恐らく悲劇しかない。かつては左派に寛容な時代もあったが、この点も変わっている。古参の左派活動家たちが、罪の意識もなく「うっかり」で足を踏み外していく。 衆参ダブル選挙の生じさせる「混乱」について詳述したが、ネット保守層は恐らくピンと来ないように思う。だが、対峙する陣営は凄まじく焦るのだ。焦りまくるのだ。結果、とんでもない事態が起きまくるのだろう。そこをネットが刈り取っていく。かつてはなかった風景だ。小さな現場の話では済まず、拡散と周知をもって手に負えなくなる炎上が多発する。陣営は総崩れ。これが具体的な予測である。 暴発、暴発と書いたが、他山の石として聴いて頂きたい。ネット上で言論活動を繰り返してきた私だが、多くのネットユーザーたちから支えられていまのポジションに在る。しかし、同じように対峙する陣営からは批判に晒されてもきた。中には凄まじいまでの暴言もあった。かつては「ヤスクニヒトモドキ」「ヒノマルゴキブリ」と言われたこともある。(一応モザイクはかかっているが)読み取れる状態で車のナンバーも晒されている。風景から察するに、市役所で撮影されたものだ。 反論すれば同じ立場になってしまう。口実を与えてしまうだけだと我慢してきた。燃料となるのみだとわかってはいるが、心は穏やかではなかった。我慢してスルーしてきたのだが、今になって考えれば「左派からの攻撃」は総合的期にはプラスの効果しか残さなかった。 Read Only Menber、通称ROM。数年がかりのバッシングを、市民は見ていたのだ。集まったのは、私への同情のみであった。特に地元においては、私の活動から応援してくれている方よりも「凄まじいバッシングに耐える姿」ゆえ頂いている支援のほうが多い。これは私自身も悔しいのだが、私の活動以上に「見苦しい非難」は私の名を良い方向で売ってくれたのだ。 言いたいことはわかるだろうか。ダブル選挙に焦りまくった左派陣営が何をしでかすか、という話である。ネットスラング交じりで、ほぼ殺人予告のような暴言を垂れ流す。「ネット上のみ」であれば双方ともに慣れているのだろうが(慣れてはいけないのだけど)、それがリアルに飛び火したことを考えて欲しい。何の予備知識もなく、それらの耐性も持たぬままに「突然、あのような激しさ」に触れた場合、左派陣営の支持者すらドン引きとなる。 人口7万人の小さな市でさえ、この有り様なのだ。これが全国展開された場合、影響規模はどのレベルになるか想像もできない。ネットが集積し、再拡散していく中、左翼は自壊していくのだろう。 ここで冒頭の言葉を繰り返させて頂きます。平成28年、今年の左翼の予測になる。一言で言えば自爆の年となるだろう。もしくは墓穴の年である。衆参ダブル選も囁かれるが、この可能性は高いと考える。だからこその「自爆」という予測だ。ダブル選となれば野党に不利。焦りが行動上の暴発となり、自滅・自壊していくように思う。私にも経験があるからだ。私自身、民主党政権下において同様の焦燥感を抱いたものだ。 手に取るようにわかる。彼らは自ら滅びの道を歩むのだろう。時代の変化に追従できず、ネットという新しいジャンルへの対応に苦慮する中、喧騒の中、滅びて行くのだろう。

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    古舘伊知郎はこれから何をするのか?

    常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師) 古舘伊知郎氏のテレビ朝日系「報道ステーション」降板が発表された。ネット上では、ジャーナリズムの危機だとか、これで批評型ニュースがなくなるとか、圧力じゃないかなど、様々な意見が飛び交っている。物事の変化について、その背景や文脈を読むことも、権力の監視も大事なのだが、もう12年も務めたこと、古舘伊知郎氏の年齢ももう60代となっていることなどを考えると妥当だとも思う。 ヤフトピに載ったスポニチアネックスの記事によると「現在の契約が終了する来年3月いっぱいで出演を終了したい」と申し入れがあり、テレビ朝日側は契約更新を打診して慰留したが、最終的には「新しいジャンルに挑戦したい」という本人の意思を尊重したという。とある。 勘ぐるのも自由だし、健全な批判精神は大事なのだが、「日本のジャーナリズムはこのままでいいのか問題」と、古舘伊知郎氏というタレントのキャリアの話は分けて考えるべきではないか。そして、「日本のジャーナリズムはこのままでいいのか問題」をジャーナリズムに関わる人間が論じるなら、それは評論家でも傍観者でも一般市民でもなく、当事者なのだから権力に屈しないジャーナリズムを自ら実践しつつ、建設的な意見を言えばいい。「報道ステーション」の降板が決まり笑顔で記者会見する古舘伊知郎氏=2015年12月24日、東京・六本木(斎藤浩一撮影) 私はむしろ、古舘伊知郎氏が「報道ステーション」から解き放たれることの可能性に期待したい。彼の言う「新しいジャンルに挑戦したい」という一言がとても気になっている。最近、諸事情で(趣味のためではなく)プロレスに関する資料を買い漁って読んでいるのだが、その際、彼のプロレスの実況のことを思い出した。 猪木がハルク・ホーガンのアックスボンバーを食らってベロ出し失神した際の「ここで猪木コール、猪木コール!ここで猪木コールだ!渇き切った時代に送る、まるで雨乞いの儀式のように、猪木に対する悲しげな、ファンの声援が飛んでいる!」などは、あまりにも有名だが(数々のプロレス本で、この結末というのは、誰も知らなかったそうで、古舘伊知郎氏はこのフレーズをとっさに考えたのだろうな、と思う。あるいはもともと考えていたフレーズが出てきたのか)、その他にも数々の名フレーズを生み出した。「人間山脈」「一人民族大移動」「過激なセンチメンタリズム」などの表現に、私は毎週興奮した。F-1の実況も当初、賛否を呼んでいたが、話題になったのは間違いない。 その後の「報ステ」だが時に波紋を呼びつつも、彼はこのポジションでいいのかといつも考えていたりしたものだ。いや、プロレス実況とは違い、すっかり大人の古舘伊知郎氏になっていたと思うのだけど。そして、これで批評型ニュースがなくなるという意見もあるのだが、彼は古舘伊知郎らしい仕事を「報ステ」でどれだけしたのだろうというのが、私には謎なのだ。いや、たまにしか見ないからあれなんだけど。 ベテランである彼が、これからどんな仕事をするのか、残りの人生で何をやるのかというのが気になっている。もっと言うならば、これは世の中全体の流れとも重なっている。高齢者の起業などが話題になる今日このごろ。私は「若者の可能性にかけろ」というもっともらしい言葉もいいのだけれども、このようなベテランが、余生で何を残すか(それこそ若い世代を応援することも含めて)ということに期待するのである。 というわけで、残り約3ヶ月で「報ステ」において彼が何をするのかと、その後の彼に期待している。それこそポスト田原総一朗論争なんてものもあったわけだが、彼が急浮上する可能性だってある。いや、田原さんと同じことなどできないのだけど、存在として、大化けすることだってあるわけで。参議院選に立候補するという展開も面白い。 ベテランに何かあるたびに、世の中終わった、昭和が終わった的なノスタルジーっぽい発言をする中高年を自分も含めて見かけるわけだけど、危機感、問題意識は大事だが、相手の気持ちと、自分のできることも考えようぜと思う今日このごろ。お疲れ様でした!(「陽平ドットコム~試みの水平線~」2015年12月24日分を転載 )

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    佐野眞一氏「SEALDsは面白いノンフィクションにはならない」

     学生時代、左翼運動にどっぷり浸かっていた経験を持つノンフィクション作家・佐野眞一氏は現在60年安保闘争当時、全学連委員長だった唐牛健太郎の評伝を取材中だが、SEALDs(シールズ=自由と民主主義のための学生緊急行動)に代表される昨今の大衆運動には、取材者としてまったく触手が動かない、と語る。一体なぜか。* * * 私の入った大学(早稲田大学)は学生運動が盛んで、私も入学と同時にある党派に誘われて入った。だが、すぐに内ゲバの季節に入った。左翼運動とはこんなものだったのか。その現実に幻滅して、自分の方から学生運動とは一線を引いた。 その頃、昔の活動家仲間と喫茶店に入り、別れて外に出ると、救急車がその店の方に急行していくのが見えた。翌日の新聞に、活動家がバールで頭蓋骨陥没という記事が載ったのを見て震えがきた。それ以来、学生運動とは完全に決別した。 これは大学卒業後のことだが、歴史学者の網野善彦の『異形の王権』を読んでいて、中世に流行した覆面と石礫は権力の及ばないアジール(聖域)に向かっての庶民のはかない抵抗ではなかったか、という記述にぶつかって心から驚かされた。 覆面とはすなわちヘルメットや催涙ガス除けのマスクのことであり、石礫とは文字通り投石のことである。統治権力が及ばない世界に対しては、覆面で顔を覆って素顔を隠し、見えない場所から石礫でも投げる以外に憂さの晴らしようがない。なるほど、われわれ世代の学生運動は各地の成人式で暴れる若者とあまり変わらなかったのかも知れない。 要するにわれわれの学生運動は、中世の抵抗運動と地つづきであり、大人になるためのイニシエーション(正式の社会人に承認されるための通過儀礼)の一種だった。そう思うと、学生運動も若気のいたりでやったとばかりは言えなくなった。 それは60年安保闘争を闘った唐牛健太郎も、安倍総理の安保法制化に反対するSEALDsの若者も、あまり変わりがないのかもしれない。ただ、唐牛健太郎の評伝をこれから発表しようとする者の立場から一言だけ言わせてもらえば、唐牛らが反対運動をしていた時代に生きた日本人には、歴史の等高線がしっかり刻まれていた。 唐牛らが打倒を叫んだ岸信介は、単なる保守反動ではなく、戦前は満州国をつくり、戦後は巣鴨プリズン入りしても自説を曲げず、アメリカと対等な条約を目指した。そういう意味では腹の据わった政治家だった。 唐牛を支援するフィクサーにはフィクサーとしての信念があり、左翼運動をぶっ潰そうとする右翼には日本の将来を憂える“国士”としての誇りがあった。それらの魅力的なバイプレイヤーたちがいるからこそ、唐牛の人生はノンフィクションとして書くに値する。そう私は信じて、いまも唐牛の足跡を追い続けている。 それではSEALDsは、書くに値するノンフィクションになるだろうか。国会内で記者会見する「SEALDs」のメンバーら=2015年11月6日 即断は避けなければいけないが、直感で言えば、あまり面白い作品にはならないような気がする。それは彼らに魅力がないというより、彼らを取り囲む人々の世界に、歴史の等高線がなく平板だからではないか。これでは「物語」が生まれようがない。 それはサヨクに限らない。日本人はいつからアドレナリンを放出させる「物語」をなくしてしまったのだろうか。関連記事佐野眞一氏 山口組社内報の仕事誘われ心動かされた過去告白理想追求したプロレス内最左翼団体に連合赤軍を重ねる意見もボディビルにのめり込む人の心理に迫ったノンフィクション佐野眞一氏 「SEALDs」らのデモと「60年安保」の違いを分析デモは出会いの場 全共闘世代の武勇伝に女子大生「すごい」

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    「SEALDs」の限界は今の日本のリベラルの限界

    小谷哲男(日本国際問題研究所 主任研究員) 戦後70年の節目の年が終わろうとしている。2015年は、安倍政権の歴史認識と平和安全保障法制に国内外の注目が集まった。歴史認識問題は、8月の安倍総理談話が中韓など一部を除いて国外で歓迎され、国内でも大きな反発はみられず、一応の決着がついた。総理談話の線に沿って、韓国との間で長年の懸案だった慰安婦問題についても、進展があった。一方、平和安保法制は国際社会からは概ね歓迎されているが、国民の多くの理解を得られたとはいえないのが実情だ。 平和安保法制への国民の理解が深まらなかったのは、野党の非建設的な批判が影響した。法案の審議が始まった当初、野党は攻め手を欠き、法案の中身よりも、重箱の隅をつつくような質問が相次いだ。ところが、衆院の憲法調査会で3人の憲法学者が同法案について「違憲」と意見表明すると、野党はこれに便乗し、「違憲な」法案の破棄を求めるようになった。加えて、戦後70年という節目に多くの国民が戦争の悲惨さや不戦の誓いを新たにする中、野党やリベラル系メディアがこれを「戦争法案」と呼び、国民の不安を煽った。2015年夏、安保法制に反対する市民の反対運動が各地で起きた(Getty Images)かつてはあった建設的な議論が失われた日本 特に民主党の対応は無責任だった。民主党政権時代でも、集団的自衛権の行使と集団安全保障への参加の拡大は検討されていた。にもかかわらず、岡田・枝野執行部は対案をとりまとめることを放棄し、代わりに「反対のための反対」という道を選んだ。民主党の中でも、長島昭久議員などから建設的な対案を求める声も上がったが、執行部にかき消された。結果として、民主党は支持を伸ばすこともなく、国民の信頼を失い、解党の一歩手前に自らを追い込んだ。 維新の党は集団的自衛権の行使にも前向きだったため、安保法制に当たって自民党と協力できる余地もあった。だが、内部抗争を抱えた維新の党がまとめた対案は、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大で行うというものであり、また海上交通への脅威に対しては自衛権の発動は行わないという非現実的なものだった。集団的自衛権の行使を個別的自衛権の拡大とするのは、そもそも国連憲章違反になる。また、日本は貿易立国であり、第二次世界大戦の敗戦も通商破壊と海上封鎖によってもたらされたことを考えれば、海上交通の保護は最重要課題の1つだ。維新の党が現実的な対案を出せなかったため、結果として安保法制に関して公明党の影響力が増すことになった。 有識者や市民団体、著名人も、法案の中身を理解しないまま、反対運動を繰り広げた。特に、SNSを利用し、全国でデモを繰り広げた学生団体「SEALDs」に注目が集まった。野党やリベラルな知識人は安保闘争の再現を狙ってか「SEALDs」を持ち上げたが、デモでは「安倍を叩き切る」など過激な主張も出てきたため、国民の共感を得ることに失敗した。「SEALDs」の限界はまた、今の日本の言論界におけるリベラルの限界を表している。 かつて、日本では『中央公論』と『世界』を中心に、現実主義者と理想主義者が論陣を張る論壇が存在した。現実主義者は勢力均衡の観点から日米安保を肯定し、理想主義者は「一国平和主義」の立場から非武装中立を唱え、議論を戦わせてきた。前者の代表だった故高坂正堯教授は、非武装中立論が勢力均衡を無視している点を批判しながらも、理想主義者たちが日本国憲法の平和主義の理念を国際政治に取り入れようとする努力を評価した。国家が追求すべき価値を考慮しないなら、現実主義は現実追従主義になってしまう。どのような国家を目指すのかという視点を、かつての理想主義者たちは提供しようとしていたのだ。 しかし、今日の日本には論壇は事実上存在せず、双方が交わることのない議論を繰り広げている。日本から論壇が消えた主な理由は、リベラルな知識人が現代の国際社会において日本が追求すべき国家像を提供できていないからだ。中国による現状変更や、イスラム国によるテロ、シリアの難民問題など、国際社会が直面する問題を解決するには、武力を否定し、対話を呼びかけるだけではだめなことは火を見るより明らかだ。リズムに乗って「戦争反対、憲法守れ」とただ叫ぶ「SEALDs」の姿は空虚に映り、彼らの思考停止を物語っていた。多くの国民は彼らの運動に理念がないことを見抜いていたのではないか。 他方、現実主義者たちは日本の目指すべき価値を提示し、それを実践するようになった。実際、安倍首相とそのブレーンたちは、第一次政権では、民主主義や人権保護、法の支配という普遍的な価値を重視する「価値外交」を提唱し、第二次政権はそれをさらに発展させた「積極的平和主義」を国家安全保障戦略の哲学としている。 積極的平和主義とは、一言で言えば一国平和主義の否定だ。戦後の日本では、長らく日本だけが平和であれば、国際社会の問題に関わるべきではないという考えが広がっていた。その背景には、戦争への深い反省という一面があったことも否定できない。しかし、日本の平和と繁栄は国際政治とは切り離すことはできない。積極的平和主義は、この事実を踏まえ、積極的に国際社会の問題に取り組み、それによって日本の安全と繁栄を確保することを目指している。安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段 積極的平和主義は、日本の戦後70年にわたる平和主義への絶対的な自信に裏づけられたものだ。この点は、戦後70年の総理談話に表現されている。総理談話に関しては、村山談話で使われた「お詫び」と「侵略」、「植民地支配」というキーワードが入るかどうかという点に注目が集まってしまったが、重要なのはより大局的な観点からのメッセージだった。70年談話は、日本がかつて国際秩序への挑戦者となり、国内外に多大な損害と苦痛を与えたことを深く反省し、国際社会に復帰した後は、国際システムの受益者となって安全と繁栄を享受する一方、不戦の誓いを実践してきたことを評価している。その上で、中露や北朝鮮などが国際システムに挑戦する動きを見せる中、これを守っていく決意が込められている。 安保法制は、積極的平和主義を実現するための手段だ。従来の憲法解釈では、国際システムに対する挑戦に有効に対処できないため、安保法制が必要だったのだ。ただ、恣意的なパネルの使用など、政府による法案の説明に不適切なものがあり、安倍首相を含め政権側の言動におごりが見えたことも国民の支持が十分広がらなかった一因だろう。政権がおごるのは、野党やメディアの批判が的外れだったからでもある。橋下徹前大阪市長らとの会談後、ホテルから出てくる安倍晋三首相=2015年6月19日、東京都千代田区 国民の間に安保法制に関する理解が広がっていないからといって、国民がこれに反対しているわけではない。安保法制成立直後に各社が行った世論調査では、内閣支持率が不支持率を一時下回り、安保法制についても評価しないが過半数を超え、評価するは3割程度に留まった。ただし、評価しない理由は、議論が尽くされていないというものが7割ほどで、法案の中身よりも審議の進め方に対する不満が見て取れる。 安保法制は3月に施行され、4月には南スーダンのPKOで駆けつけ警護が可能となる。日本の防衛に関しても、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に沿って、作戦計画や運用に変更があるだろう。緊張が高まる南シナ海で、日米が共同作戦を行うこともあるかもしれない。自衛隊の任務が実際に変わる中、安保法制に関する国民の理解を再度丁寧に行う必要がある。 安保法制は、決して戦後日本の安全保障の大転換などではない。日本人は、戦後を通じて憲法の平和主義の理念を維持しながらも、国際政治の現実の中で現実的な政策を積み重ねてきた。今回の法制は、特に冷戦後に日本が直面してきた課題に取り組むために必要最低限の措置を講じるものだ。 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が2014年5月に出した最終報告書では、集団的自衛権の全面行使と国際安全保障活動への全面参加が提言されていた。しかし、政府はこれを受け入れず、集団的自衛権の限定行使と、集団安全保障への部分参加とし、それを安保法制に反映させた。つまり、実際の安保法制の中身は、慎重な世論を背景に、かなり抑制的な中身となっている。言い換えれば、日本の平和主義の理念は十分に反映されているのだ。 政府はこの点を丁寧に国民に説明する必要がある。一方、日本国民はもっと自らの平和主義に自信を持ち、国際社会における日本の役割を議論するべきだろう。

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    2016年はサヨクが滅び、真の左翼が根付く記念すべき年になる

    中宮崇(サヨクウオッチャー) 我が国には反戦平和だの人権だの反差別だのを騙り、平気で暴力的に他者の人権を踏みにじり差別する「サヨク」ばかりがはびこり、真の左翼は希少種である。私は長年そう主張してきたが、先日あるすばらしい本に触れることができたことにより、更に確信を深めた。 松尾匡「新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるか」(講談社現代新書)がそれである。 私はかねてから、真の左翼が存在しないことこそが日本の悲劇であるとの思いを抱いてきた。悲劇を終わらせるためには、独立した個々人の幸福を追求する真の左翼が存在する必要がある。そうした未来への道標となってくれるのが、本書「新しい左翼入門」だ。本書を読んだ私は、いわゆる「ろくでなし子事件」を思い起こさずにはいられない。 複雑な事件であるが、ざっくり簡潔に説明してしまおう。反社会的サヨク組織「しばき隊」の構成員、新潟日報上越支社坂本秀樹報道部長がインターネット上で匿名で左翼人権活動家高島章弁護士を誹謗中傷した上、愚かにもその実名が暴露され謝罪に追い込まれた。それを芸術家ろくでなし子が揶揄した。彼女は自分の女性器をモチーフとした作風で知られており、昨年にはわいせつ物頒布等の罪等の疑いで逮捕され現在も法廷闘争中であるが、実はしばき隊は彼女の逮捕に反対してきた。ところがろくでなし子が構成員新潟日報上越支社坂本報道部長による卑劣な誹謗中傷を揶揄した途端、しばき隊は手のひらを返し彼女を「レイシスト」「ネトウヨ」と無根拠に決めつけ組織的に攻撃し始めたのである。 詳しくは本誌にろくでなし子本人が寄稿した以下の記事をご覧頂きたい。ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相http://ironna.jp/article/2402 サヨクがアーティストなどを反権力のために持ち上げ悪用し、都合が悪くなると平気で悪魔化し粛清する。地道に人権活動を行う弁護士までも根拠無く「ネトウヨ」「レイシスト」と決めつけ攻撃する。サヨクのこうした醜い卑劣な生態については、私は以前本誌においても、サヨクどもが「サイコパス」だと言える数々の症例http://ironna.jp/article/2184という記事を書いたことがある。 松尾匡「新しい左翼入門」は、サヨクのそうした卑劣さは戦前から一貫した変わらぬ病理であるということを描き出している。 例えば我々日本人の多くは、戦前は「右翼」が軍国主義を支え戦争を支持したと思い込まされている。しかし「新しい左翼入門」は、そうした思い込みを以下のように次々と否定する。 陸軍が初めて公然と思想や政治に口出しした『陸軍パンフレット事件』では、保守政党がこぞって大反発して、議会で陸軍大臣が吊るし上げられる中、ひとり社会大衆党は陸軍を熱烈支持します日中戦争にもすぐ賛成し、文部省が「国体の本義」を出すと、早速それを支持する綱領を掲げます自由主義者の斎藤隆夫衆議院議員が国会で日中戦争を批判した有名な「反軍演説」に対しては、斎藤議員をクビにするための懲罰動議に賛成し、麻生は、これに同調しなかった党首の安部磯雄はじめ八人を党から除名しました サヨクというものは所詮「反戦」だの「人権」だのを都合よく騙り悪用する二枚舌の卑劣漢に過ぎない。自分たちの利益になるのであれば平気で戦争にさえ賛成する。支那の核保有や大虐殺、北朝鮮による拉致や恐怖政治にまで賛成し支援してきたサヨクどもの醜悪さは、戦後急に発露したわけではないのである。 つまりサヨクというサイコパスは、既に四半世紀近くもの長きに渡り我が国にしつこく巣食い、非道の限りを尽くし、しかもその悪行の前科を隠蔽するばかりか「正義の担い手」であったかのごとく歴史を捏造してきたのである。リスク評価もまともにできないサヨク しかし、インターネットの発達等により、特にここ数年はそうしたサヨクどものやりたい放題が通用しなくなってきた。反日マスコミがいくら捏造・偏向報道に勤しもうと、サヨクどもの過去の卑劣さは白日の下に晒され、現在の卑劣さは即座に世界中に拡散される。いくらSEALDsが国会前デモで「安倍は人間じゃねえ! たたっ斬る!」と喚こうが騒ごうが、自民党の天下は揺るぎもしない、いやそれどころか、反差別を唱えながら平気で敵を差別し殺害宣告までして憚らぬサヨクの病理をネット等で知った人々は、サヨクに対する反感を強め、それを報じぬ反日マスコミへの不信感を抱く。相対的に政権は更に支持を集め、サヨクどもはますます凋落する。 しばき隊新潟日報上越支社坂本報道部長による誹謗中傷事件を見てもわかるように、サヨクというものは卑劣で凶暴であるだけではなく、リスク評価もまともにできず犯罪さえ簡単にバレてしまうようなバカ揃いである。自分たちが一般市民から反感を買っているという事実さえ理解できない。何しろサヨクとは、思い上がった選民主義のサイコパスそのものであるからだ。 「診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち」(早川書房)で、著者のロバート・D.ヘアはこう指摘する。サイコパスはナルシスティックで、自分の価値や重要性に関してひどく慢心したものの見方をする。まったく驚くべき自己中心性と権利感覚の持ち主だ。彼らは、自分が宇宙の中心にいると思っていて、己のルールに従って生きることが許されている優秀な人間だと思っている 本当に「優秀」であるならば救いもあるが、優秀なサヨクなど存在しない。ネット上の誹謗中傷でさえ簡単にバレてしまう愚か者ばかりだ。そんなナルシスティックなバカサヨクどもが、前回の総選挙において安倍自民党が勝利を収めた際に「正義のオレサマが敗北したのは、オレサマに耳を傾けぬ愚民どものせいだ!」と一斉に喚き散らしたのも当然のことだ。彼らサヨクの辞書に反省とか自省という文字は存在しない。警察官との小競り合いを繰り返す安保法案反対のデモ隊=2015年9月16日、国会議事堂前 (早坂洋祐撮影) そんな愚かなサヨクどもは、ここ数年大いに焦っている。まともな者からは誰にも耳を傾けてもらえないのだから当然だ。その焦りの結果が、ろくでなし子事件等における過激化、先鋭化だ。本来味方になり得るはずの左翼人権派弁護士やアーティストまで粛清し、最近では朝日新聞のことまでも「右翼新聞」などと攻撃するサヨクまで湧く始末だ。 サイコパスどもが疎外感を強め過激化するとどうなるか、過去にいくらでも好例が存在する。内ゲバによる血なまぐさい粛清で知られる連合赤軍リンチ事件は、浅間山荘事件を始めとする過激なテロへのプレリュードであった。地下鉄サリン事件を等を引き起こしたオウム真理教も、多くの信者を殺害するなど、教団内部での粛清の存在が明らかとなっている。 最早、既存のサヨクどもに未来はない。連中は近いうちに必ず、浅間山荘事件やオウム地下鉄サリン事件のようなテロを引き起こし日本中を震え上がらせることであろう。そのための対策を今から綿密に行っておくべきだ。 では、我が国のサヨクが自滅した後の左翼は一体どうなるのか?松尾匡「新しい左翼入門」は、あるべき左翼の姿をこう描いてみせる。 「自分を公正な商人に、自分の抱く理論や価値観を、その商人の自慢の商品になぞらえてみればいいのです。ひとかどの商人は、自分の商品こそが、広く人々のニーズにあって受け入れられるのだと信じて売るのです」 サヨクが滅び、真の左翼が我が国に根付く記念すべき年。憲法改正を争点とする総選挙も噂される2016年はそんな年になるのかも知れない。

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    民主党は極左を排除して「リベラル純化」せよ

    八幡和郎(徳島文理大教授、評論家)世界のリベラルの常識からはずれて極左化する民主党 菅直人元首相や政治学者の山口二郎氏などが「民主党はリベラルに純化すべき」だといったようなことをいっている。 私も自民党の保守路線に対して民主党がリベラルを旗印に対抗軸を確立し、政権の受け皿として代替選択肢であって欲しい。民主党が党名を野党再編のなかで改称するなら「リベラル党」がいいのでないかとも思う。 しかし、世界の政治用語の常識に従えば、「リベラル純化」とはこの両氏のような極左分子を排除することを意味すべきだ。 山口氏がリベラルだったことなどなかったし、菅氏は首相在任時まではリベラル左派といえなくもなかったが、離任後は極左的だ。  東西冷戦終結後における世界の政治では、伝統的な価値観と市場経済への信頼を基調とする保守政党が一方にあり、市場化の流れは容認しつつも、その行き過ぎへの歯止めとか、人権、環境などにおける新しい思想を擁護するリベラルないし穏健左派の政党があって、それが交代で政権を担うのが普通だ。 イギリスでは保守党と労働党、フランスでは共和党と社会党、ドイツではキリスト教民主党と社会民主党。アメリカでは共和党と民主党だ。 アメリカでは二大政党しかないようなものだが、ヨーロッパでは環境派、地域政党、宗教政党、それに過激な左翼や右翼が中小政党として二大政党で吸い上げきれない声を国会で反映させるために存在し、政権参加することもある。 二大政党それぞれのカラーについては、アメリカでは反社会主義が国是みたいなもので、民主党の左派といってもヨーロッパの中道派以上に右寄りであるなど、それぞれの国で違いがあるが、国際的信用を失ったり政策の激変の繰り返しで経済が疲弊しない程度の差で中道右派と中道左派で二大政党になっている。民主・維新の統一会派運営協議会設置総会に臨む岡田克也代表(右)と松野頼久代表=2015年12月15日、国会内(斎藤良雄撮影)  その意味で、岡田克也民主党代表が、翁長雄志沖縄県知事の陳情に対して「辺野古移転以外に選択肢はない」ことを明言したことなどは良かったと思う。辺野古移転は鳩山政権の末期に政策修正してから揺るぎない民主党の方針のはずで、その方針維持がニュースになって意外と受け取られるのは困ったことだが、遅ればせながら態度を明確にしたことは結構なことだ。 リベラルを標榜する限りは、少なくともアメリカや西ヨーロッパの信頼を日本国家が失うような政策提案はやめてほしいし、それは、民主党が政権復帰に値する選択肢であり続けるための最低条件なのである。安倍談話で歴史認識論争は終わったはず安倍談話で歴史認識論争は終わったはず 民主党政権は経験不足と小沢代表時代の浅ましい権力欲から人気取りで非現実的なマニフェストを掲げて政権をとったが、思い通りにいかず一期で下野した。それならば、民主党政権時代より現実的な政策を打ち出すことに踏み切ってこそ、政権復帰の可能性もあるし、また、何かの拍子で復帰したときに前回より長持ちすることになるはずなのだ。 ところが、実際には思いっきり左翼バネを働かして野党らしい野党になってしまった。安保法制についていえば、アメリカとの軍事協力は戦後一貫して、すこしずつだが前進してきた。安保条約締結、安保改定、PKO創設、そして、今回の後方支援である。 これから、世界情勢が軍事協力の必要性を減らすような方向に行ったらいいのだが、そうでないなら、少しずつ協力を前進させざるを得ない。そのときに、憲法違反で解釈はこれからも変えられないのでこれ以上はびた一文無理と言ってしまっては、憲法を改正しない限り対米関係がもつわけない。 辺野古の問題は、自民党政権の時代に、いちおう沖縄も了解したものを、あたかも妙案があるかのように「最低でも県外」といい、それがめどが立たないといって辺野古にもどったのは民主党政権なのだから、尻ぬぐいを安倍政権にしてもらっている立場らしい謙虚さが当然だ。 なにもアメリカの顔色ばかりうかがうのがいいのでないが、日本はアメリカの共和党と民主党と両方がいちおう納得するような外交をすれば、だいたい安泰なのである。アジア各国もヨーロッパもそれなら納得せざるを得ない。 ところが、これまで、戦前から日本は共和党政権とはうまくやれたが、民主党政権とはぎくしゃくし続けて、ルーズベルト大統領との悪い関係が太平洋戦争につながった。そういう意味では、安倍首相も当初は民主党のオバマ首相との関係がもうひとつしっくりしなかったが、周到な努力を重ねて、アメリカ議会での演説と「70年談話」でリベラル派の信頼も勝ち得た。 「70年談話」の示した歴史認識は、ひとことでいえば、あの戦争で「日本は道を誤った」。しかし、「日本が何もかも悪かったのではない」「近代日本の世界への功績も認めるべきだ」ということだったと思う。とくに、アメリカのリベラル勢力にも十分に説得的なものであったことが重要でまさに安倍外交の完全勝利だった。 そして、歴史認識問題はこれで決着がついたのだと思う。保守派の安倍首相が「日本は何も悪くない」という立場を否定したのだから、そういう考え方は個人的な意見としてはともかく、現実的な外交の場で日本政府はもはや取れない。 一方、「日本がすべて悪かった」といわなくても、アメリカのリベラルも納得したのだから、日本の左派が全面謝罪しないと世界で通用しないと言い張ってももはや説得力はないからだ。 それに対して民主党(日本)のいまの傍観者的な立場では、アメリカの民主党政権すら説得できないし、まして、共和党政権になったらどうして付き合っていくつもりだろうか。 中国や韓国とも、安倍政権の足を引っ張ることでお褒めを頂いているだけで、過去と違って世界的覇権を狙って膨張する中国にどう対処するかなんのビジョンも持っていない。 それに、中韓との関係が悪化したのは、民主党政権時代の稚拙な外交で意味なく摩擦を激化させたからで、安倍政権になってむしろ改善しつつある。国際標準と意識がずれている「日本のリベラル」国際標準と意識がずれている「日本のリベラル」  イスラム過激派問題でも民主党は歯切れが悪い。欧米のリベラル派や左派はイスラム過激派に融和的ではない。明確なリベラル派であるアンジェリーナ・ジョリーが「日本が戦後70年で成し遂げたことは明白だ。同盟国、友人、優れた民主国家、経済大国の日本は、現在、国際的な平和と安全のために主導的役割を果たそうとしている。日本は中東に安定をもたらし、過激主義と戦うため、20億ドル以上の支援を表明している。誇るべき貢献だ」といっているのを見ても、国際標準のリベラルの論理と日本でリベラルと自称する人の意識がいかにずれているか如実になっている。 そもそも、奴隷として女性を売買し、女子教育施設にテロをしかけるイスラム過激派ほど女性の人権を踏みにじっている勢力はないはない。それにリベラルや左翼だと称する女性が融和的なことほど不思議なものはない。 経済政策では、アベノミクスを効果が出てないと批判するが、代替案の提案はどこからもないに等しい。それどころか、原発の再稼働や輸出、武器輸出、TPPなどをはじめ、経済成長に役立つ改革にはだいたい政府より後ろ向きだ。 そんななかで、原発については、少なくとも再稼働については、経済的に明らかに有利だという世界の常識を前提に議論して欲しい。原発に限らず、経済的には損だが、他の配慮でやらないということがあっても良いと思うが、経済的にもお得だと強弁してしまっては、真摯な議論ができなくなってしまう。 経済対策については、本当は民主党が自民党より大胆な政策を打ち出せるはずという面もあるはずなのだ。医師会と農協は自民党支持層の核心だ。ならば、民主党は彼らに遠慮せずに改革へ切り込みをできたはずだが、政権獲得時もやらなかったし、いまもやろうといない。それでは、だめだ。社民党の吉田忠智党首 ただし、私は自民党より保守的な小政党があって良いと思っているのと同様に、社民党的な左派政党の価値も認めたい。アメリカ以外にはどこでも非共産党系の左派政党がある。あるいは、社会党や労働党に左派がいる。そういう価値観を持つ人は一定割合いるのだから、受け皿は必要だし、現在の世界で基調となっている市場経済重視の政策に対しては、彼らのような立場からの批判はあってしかるべきでもある。 日本の民主党で、国際的な尺度ではリベラルといえないような左派はむしろ社民党と合体して二大政党の枠外に出れば野党らしい野党としてそれなりの存在感を示せるはずだ。 そもそも社民党は、共産党と戦わないから衰退した。共産党は西欧的な民主主義の政党であるか疑わしいままだ。少なくとも社民党にしても民主党左派にしてもその点においては疑わしい存在でないのだから、社民党は共産党と戦うことで勢力を広げるべきだし、それがリベラルな民主党と連立を組むことで自公連立との対立軸になることは可能なはずだ。 その場合に、社民党は鳩山内閣のときのように、単一の問題で意見が通らないというだけで連立離脱などするべきでない。小政党の意見が議席数以上には通らないのは当然だ。 公明党でも自民党と意見が違うことも多いが、批判があっても安直に連立解消とまではいわない。そういうのが、世界的に常識的な連立政権の作法であるべきだと思う。共産党は西欧民主主義の政党に一新せよ共産党は西欧民主主義の政党に一新せよ 共産党については、もちろん、ヨーロッパの共産党のように西欧民主主義の政党として生まれ変わる可能性はあるし、そうすべきである。ただ、そのためには、党名も変えるべきだし、宮本・不破時代への反省を明らかにするのが大前提であろう。 また、自民党や民主党の政府の政策への批判は明快だが、もし、共産党が政権をとったらどんな国にしたいのかよく分からない。かつてのソ連のような国なのか、あるいは、キューバあたりがモデルなのだろうか。 しばしば、フランスではミッテラン政権に共産党が参加したことがあるのだから、同じではないかという人がいる。しかし、フランスではレジスタンスの過程で、共産党は主力として参加し大活躍した。そして、解放直後の第一次ドゴール政権にも参加した。 そういう経過もあってのことだ。それに、国防や外交については関与させないことになっていたとはいえ、そもそも、もともと反日的な日本の共産党と違って三色旗のもとでレジスタンスの主力として戦ったフランス共産党の愛国心に疑問はない。 ちなみに、フランスで保守政権が徴兵制を廃止したとき、共産党は社会党ともに反対している。ヨーロッパでは左派は徴兵制が民主的で公平だと支持するのが普通だ。徴兵制がいいとは思わないが、国防を真面目に考えない日本の左翼とは大違いである。 選挙協力については、選挙区調整までは、ぎりぎり容認範囲であるが、いまなお西欧的な民主主義の範疇に入らないままの現在の共産党では、それ以上に共闘に踏み込むのは筋が通らない。それをやってしまったら、万が一、政権をとっても、先進民主主護国として非常識な左寄り過ぎる政策をとって短命で終わるしかあるまい。  いずれにせよ、いまの日本の政治地図が保守と極左に二分化されて、リベラルとか穏健左派といえる政治家がほとんどいないというのは、まことに不思議でよろしくないと思う。※日本の自称リベラルの非常識さについては当欄の「悪辣なテレビショッピングと化した古舘伊知郎と『報道ステーション』」や夕刊フジの連載を元にした拙著「誤解だらけの平和国家・日本」(イースト新書)で詳しく論じています。

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    元共産議員 左派の「安保ハンターイ!」はロックフェス的だ

    モに対する不満の声は高まっている。子連れでデモを行なう人々に対し、高須クリニック院長の高須克弥氏が「イデオロギーの定まらない子供をデモに利用するな! 猛暑日に炎天下を子供に歩かせるな! 熱中症になる!」と批判。“ホリエモン”こと堀江貴文氏が「あほですね」と賛同したことが話題を呼んでいる。 彼らの飛躍した主張にも疑問の声が上がっている。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」(7月24日深夜放送)に出演したピースボート英国代表の川崎哲氏が、米国の核軍縮が進まない現状について「日本が足を引っ張っている」といい、日本の外務省が米国に核を維持するよう要請していると指摘した。これには、司会の田原総一朗氏はじめ出演者一同から「おかしい」と突っ込みの声が。放送後、インターネットで「ピースボート代表が袋叩きに」と話題になった。 安保関連法案に反対する人たちが続々と集まる国会前で、柵を押さえ込む警察官ら=9月18日 安倍政権には不満があっても、昔ながらの反戦リベラル的な主張には与したくない──こうした国民の空気感は、実際の数字にも表われている。政権の支持率低下が話題をさらっているが、政党支持率は依然として自民党が31%と群を抜き、民主7%、維新5%、共産4%と、野党の支持率は上向いていない。共産党政策委員長だった筆坂秀世・元参院議員は、こう分析する。「左派・リベラル勢力が国民の支持を得ないのは、彼らが欺瞞の上での議論しかできていないからです。たとえば共産党や社民党、民主党は安倍政権の安保法制について、盛んに『違憲だ』といいますが、本当に『憲法を守る』ことを徹底させて議論するなら、自衛隊は解散すべきだし、日米安保そのものを破棄すべきだ、といわなければならない。そんなこと、どの野党もいっていないでしょう。 安倍政権の安保法制に反対ならば、じゃあ日本の安全保障を具体的にどうしていくのか、そういう議論が何もできない。単に『ハンターイ、ハンターイ』と叫んだって、それは悪いけどロック・フェスティバルで騒いでいるような話と同じ。そういうことは国民にも肌感覚で伝わっています」 安倍政権にはNOだが、ステレオタイプの左派にもNO。国民は、いったいどこに期待すればいいのだろうか。

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    日本のリベラルが考えるべき8つのこと

    原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員) 前々回本欄に執筆した「なぜ日本のリベラルはリフレ政策が嫌いなのか」(2014年9月5日)が、読者の皆様のお蔭で話題になったことから、今度は、「日本のリベラルはどうしたら良いのか」というお題を編集部からいただいた。読者の皆様、大変ありがとうございます。「リベラルでないお前から、そんな話は聞きたくない」とおっしゃる方もいるだろうが、まあ、私の話を聞いて欲しい。 リベラルとは、一般に、雇用、労働条件、人権、少数派への寛容、女性の社会進出、社会保障政策、格差、弱者保護、情報公開などに敏感な政治的立場と平和主義を示すものであるだろう。「なぜ日本のリベラルはリフレ政策が嫌いなのか」では、リフレ政策が雇用を拡大し、労働条件を改善し、格差も縮小するものなのに、なぜリフレ政策に反対なのかと問うたものだ。リベラルが考えるべき8つのこと 日本のリベラルが第1にするべきことは雇用に関心を持つことである。リフレ政策が嫌いなら、それに代わる、効率的な雇用拡大政策と労働条件の改善策を見出さなければならない。 第2は、人権である。日本のリベラルは、日本の人権侵害には敏感だが(ただし、後述するように、本気でないと思われるところもある)、旧共産圏諸国と途上国の人権侵害には鈍感だった。このような態度では国民に信用されない。私は、人権外交は、リベラルの一つの旗になるのではないかと思う。ここでの人権は、言論・信条・結社・集会の自由、不当な拘束の禁止、男女差別の禁止、児童労働の禁止などだが、生存権もある。 現行の日本の生活保護制度が認めている生存権は、財政負担が重すぎて、すべての国民に保障することはできない。生活保護を受けている人は人口の1.6%だが(国立社会保障・人口問題研究所、「生活保護」に関する公的統計データ一覧)、それ以下の所得で暮らしている人は13%であるという(橘木俊詔『格差社会』18頁、岩波新書、2006年)。現在の生活保護予算は地方負担を含めて3.8兆円であるから、すべての人に生活保護水準の所得を保証するためには、31兆円(3.8×13÷1.6)の予算が必要になる。この生存権と、貧しい国の人々が日本に移住することの両方を認めては、財政的に収拾がつかなくなる。欧米のリベラルは移民に寛容だが、日本のリベラルは、移民の財政コストをどうするかを考えておかなければならない。 一方、生存権を除外した人権には、財政負担がない。これを世界に押し広げることは、リベラルの本気度を示すことになる。保守派の論調は、まあ、それぞれ国によって事情がある訳だからということになるから、これはリベラルとして違いを出せる。世界に押し広げる以上、日本でも本気にならないといけない。 私は、日本のリベラルが、20日間もの長期の拘束を伴う検察の取り調べに本気で批判的でなかったことは問題だと思う。こんなに長い間、毎日、「吐け」と尋問されるのでは、人質司法と言われても仕方がない。これは、正当な理由がなければ拘禁されないという憲法第34条に反するのではないだろうか。また、これを一つの理由としてアメリカはアメリカ兵士の犯罪容疑に対して引き渡しを拒むのだから、拘束期間を短くすれば、アメリカが引き渡しを拒む理由もなくなるはずである。違いを見せにくい部分も… 第3は、LGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)、性同一性障害など、少数派への寛容さの強調である。しかし、そもそもLGBTなどに文化的に不寛容だったアメリカが寛容になり、東京オリンピック・パラリンピック時には日本は寛容さを見せないといけないので、保守派も寛容にならざるを得ない。だから、リベラルの違いを見せにくい。そもそも、戦国武士の多くはバイセクシュアルだった訳で、伝統に回帰するだけのことかもしれない。 第4は、女性の社会進出への後押しである。ただし、これも違いを見せにくい。保守派は、専業主婦は日本の文化と考えているのかと思っていたら、むしろ女性の社会進出を後押ししている。リベラルとして違いを出すなら、自民党の女性の社会進出がどちらかと言えばエリート女性に傾いているような気がするので、そうでない女性を援助するという姿勢が必要になるのではないか。 第5は社会保障政策である。しかし、自民党はアメリカの共和党とは異なって、社会保障の拡大に反対な訳ではない。自民党に、共和党のティーパーティーのように、「国民皆保険制度は社会主義で、人民の自由を侵害するものだ」などと言う人はいない。これも違いを見せにくい。 少数政党であれば、財政を無視してより多くの福祉を唱えていても良いが、政権を取るつもりならそうはいかない。しかも、自民党もかなり財政を無視した社会保障政策をすでにしている訳だから、なおさら違いを見せにくい。 ただし、日本の社会保障政策には、それによって格差を縮小していないという問題がある。日本の社会保障政策は、貧困層に重い負担と低い給付、非貧困層に軽い負担と手厚い給付を行っているという。これは、必ずしも貧しい訳ではない高齢層に、多額の年金が給付されているからである(阿部彩「第1章 日本の貧困の実態と貧困政策」、阿部彩他編『生活保護の経済分析』東京大学出版会、2008年)。社会保障政策の本来の機能を取り戻すことはリベラルの課題となるのではないか。 第6は、情報公開である。朝日新聞が、朝鮮の女性を強制連行したという吉田清治証言の虚偽を認めたが社長の進退は語らず、原発の吉田昌郎調書の誤りを認めて進退を語ったのは、私には理解できない。吉田証言は虚偽であるが、吉田調書の記事は読み誤りである(おそらく、反原発のストーリーを作りたくて読み誤ったのだろう)。虚偽の方が読み誤りより罪が重い。吉田証言についてこそ、進退を語るべきだった。そもそも、情報公開があれば、読み誤りはなかった。情報公開の重要性を示す事例ではないだろうか。より積極的な情報公開を求めることもリベラルの旗となる。 第7は環境と原発である。国民の半分余りは脱原発だろうが、○○をしないだけでは政権を取れないだろう。環境と言っても、空気と水はかなりきれいになり、これ以上きれいにするのはかなり費用がかかるだろう。CO2削減も費用がかかる。半分以上の人が賛同する旗を立てることができるだろうか。 第8は平和主義だが、日米安全保障条約の下で、アメリカの軍事力が圧倒的で、日本がアジアの中で圧倒的な経済力(軍事力に転化しうる)を持っていた時代では、日本が悪いことをしなければアジアは平和という平和主義ですんでいた。しかし、そういう状況ではなくなったのだから、これまでの平和主義ではやっていけない。私には、ここで自民党と違いを出せるとは思えない。ただし、こちらから刺激するようなことは避けるべきだという違いは出せるかもしれない。リベラルの打ち出すべき違い という訳で、日本のリベラルは、雇用に関心を持ち、人権の旗を世界に掲げ、普通の女性の社会進出を後押しし、社会保障政策で格差を縮小し、より情報公開を求めることで違いを出せるのではないだろうか。環境の旗をうまく立てることができるかどうかは分からない。考えてみると、自民党は公共事業を含む大きな政府が好きなのだから、本来大きな政府が好きなリベラルとしても、反公共事業と平和主義の他には違いが出しにくいのは当然かもしれない。

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    サヨクどもが「サイコパス」だと言える数々の症例

     「九条の会」などでの活動でサヨクの中心的人物である精神科医の香山リカは、自分の気に入らぬ保守勢力や「ネトウヨ」などを精神病患者であると勝手に「診断」することで定評がある。2012年7月に代々木公園で行われた反原発サヨク集会においても彼女は、「原発推進をしようとする人達は精神科医から見ると、心の病気に罹っている」などと発言し問題となったが、彼女に限らず、サヨク勢力が敵を精神病患者扱いすることは日常茶飯事である。そんな差別的な連中が普段は他人に対して偉そうに「反差別」だの「ヘイトスピーチ反対」だのと喚いているのだから、サヨクこそ病気と言うべきであろう。 2000年頃に話題となった本に、ロバート・D.ヘアの「診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち」(早川書房)というものがある。「サイコパスはいろいろの話を、したり顔でまくしたてることも多い。よくあるパターンは、自分が社会学、精神医学、薬学、心理学、哲学、詩、文学、絵画、法律などに精通しているように見せることだ」との記述は、香山のために書かれているとしか思えぬほどだ。 香山は今年4月24日の「虎ノ門ニュース 8時入り!」において、対立する青山繁晴のファンを「信者」と中傷し、無職ニートであるかのように決めつけ「仕事しろよ」と暴言を吐いた。それに対する批判が大きくなると、謝罪もそこそこにツイッターにおいて、更なる中傷投稿を行い開き直った。ところが、その呆れた態度に対する風当たりが強くなった途端、なんと自分はそんな投稿はしていない、ツイッターのアカウントが乗っ取られたのだという、子供だましの見え透いた言い訳で逃げ切ろうとしたのである。 ヘアは言う。「想像力が貧困なのか、それとも自分のことしか考えていないためか、サイコパスは自分の正体が見破られる可能性に驚くほど無頓着か、見破られないと確信をもっているかに見える。嘘を見破られたり、真実味を疑われたりしても、めったにまごついたり気おくれしたりしない。あっさり話題を変えたり、真実をつくりかえて嘘のうわ塗りをする」。 これは香山だけに見られる症状ではない。私は90年代半ばのインターネット黎明期から今で言うところの「チャット」に類する、様々なネットサービスを利用してきたが、そこに湧くサヨクどもに共通して見られる病的異常性である。例えば、サヨクがインターネット上の匿名性を悪用し、複数のアカウントを取得し、自分の投稿した手前勝手な主張に対して別アカウントで「凄いですね!感動しました!」などと自作自演で礼賛するというのは、極めてよく見られる症状だ。しかしそこは「想像力が貧困」なため、極めて簡単に自作自演がバレる。バレるとサヨクはどう言い逃れするかと言うと、これも「想像力が貧困」なために言い訳もどの患者も似たりよったりで、「アカウントを乗っ取られた!」だの「妹がオレのアカウントを使って書き込んだのだ!」と来るのが定番だ。 昨年3月に閉鎖された「ヤフーチャット」は特にそうした病的なサヨクが大量に巣食うインターネットサービスであった。全体の8割以上が、そうした病的サヨクであったと考えている。そのため、当時から逮捕者を含め、数多くの犯罪者を輩出し、現在でも当時私がよくヤフーチャットで見かけた常連が犯罪や問題行動を起こし、大きく報じられることがある。 2010年には、ヤフーチャットでも自称「民主党犬塚直史参議院議員秘書」として有名だった男がツイッター上で敵対者に「SOB(サノバビッチ)」と差別発言を行いニュースとなったし、2014年3月には、地主の親のスネかじりの上に生活保護にまでたかっていた当時24歳の自称「セレブニート」の男が強盗殺人の上「ヤフーチャット万歳!」と叫び逮捕され、国民を震撼させた。 なぜヤフーチャットにはそのように突出した割合で病的なサヨクが集中したのであろうか。原因は色々考えられるが、ろくにキーボードさえ打てぬ馬鹿、もといオツムの不自由なサヨクでも、簡単に使えたサービスであったというのが最も大きな理由であろう。何しろヤフーチャットは、特に特別なソフトやアプリをインストールしなくても、ホームページを見ることができる程度のことしか出来ぬサヨクでも簡単に利用できたのだ。また当時としては珍しく、キーボードで文字を打ち込まなくても、パソコンとマイクさえあれば音声で同時に多数の参加者と会話することができたのであるから、そりゃオツムの不自由なサヨクも集まるというものだ。 香山リカを含め、サヨクは普段から「反差別」だのと偉そうに喚いているくせによく「ネトウヨは低学歴の無職ヒキコモリだ!」などと無根拠に呆れたヘイトスピーチを行う。ところが、ヤフーチャットに巣食うサヨクどもこそ、そうした「低学歴のヒキコモリ」がほとんどであった。 私は当時から中宮崇という実名でネットでも活動していたため、ヤフーチャットでも自分の執筆活動を含め、全てのプロフィールがワンクリックで誰にでも確認できるようになっていた。ところが、その誰にでもできることがサヨクどもには全くできないのだ。 例えば、彼らサヨクの多くは作家志望である。学歴も職歴も、根性も良心も何もないくせに、生まれながらの偉大なる才能があると信じ込んでいるのだ。そしてある日、一発逆転で作家様になれると思いこんでいるのである。そのため、当時既に執筆活動を行っていた私に対して、中宮崇という名前をグーグルで検索してみるどころか、ワンクリックでプロフィールを確認するだけのオツムもないくせに、「お前はそんなことでは絶対に活字デビューできない」と「罵倒」するのはよく見られる症状であった。そんなサヨクどもが「オレは芥川賞に”応募”するのだ!」などという「自慢」をする症状を目撃したことも、一度や二度ではない。芥川賞は応募するものではなく、選ばれるものなのだということさえ知らぬしグーグルで調べようともせぬ程度のオツムの不自由な連中なのだ。 私のプロフィールを確認するような類まれなサヨクでさえ、「高専出なんだ(笑)。高校も行けず、専門学校しか行けないような低学歴なんだ(笑)」などと恥ずかしげもなく平気で「学歴差別」してしまう、いや、したつもりになって悦に入る症状も珍しいことではなかった。高校受験を経験した者であれば当然高等専門学校が国立の教育機関であり、それが他の高校と比べどれほどのレベルのものであるか知っているものだと思うのだが、サヨクは高校受験の経験さえ無いと考えざるを得ない。 サヨク雑誌「週刊金曜日」が出版に関わり、Amazon Kindleにおいて0円でばらまかれている電子書籍に、「殺すな、殺されないために!: 6月21日、戦争立法に反対する学生デモ(京都市)スピーチ集」というものがある。その中に、16歳の時に日本の高校を辞めて一人でオーストラリアに留学し、現在ニュージーランドの大学に在籍する女子大生が登場する。彼女は言う。「なんで、わざわざ遠いニュージーランドから、高い交通費かけて、片道28時間以上かけて、私はデモに参加していると思いますか」。いや、金持ちの親に甘やかされて親のスネをかじっているからでしょうとしか言いようがない。ヤフーチャットに巣食うサヨクも何かにたかって生きている連中が殆どで、毎日朝から晩までチャットに居座りマイクでしゃべりまくり、突然部屋に母親が入ってきて「いい加減働いてよ!」などと言う泣き声混じりの親子喧嘩が中継されることも珍しい事件ではなかった。 作家志望で親のスネかじりと来れば、「自費出版」の出番だ。ヤフーチャットに巣食うサヨクどもの「自費出版」症状率は異常に高い。なぜそれがわかるかというと、四六時中「オレサマは本を書いた作家様である!」と自慢をし、あわよくば売りつけようとするからだ。当然「自費」出版であることは言わない。アマゾンのホームページには、読者が本の感想を投稿できるレビュー機能があるのだが、そうしたサヨクどもの本をアマゾンで検索すると、なんと出版日以前の日付で「感動しました!素晴らしい本です!」とどう見ても自作自演の幼稚にバレる「想像力が貧困」な書き込みが、8割以上の確率でされているのもご愛嬌だ。 そうした自費出版症のサヨクの中で、私が聞いた最も酷い例を紹介しよう。普段ヤフーチャットでしか会話したことがないサヨクどもが、ある日居酒屋で飲み会をすることになった。協調性も何もない彼らのこと、当然揉め事になったらしく、後日チャットで連日のようにその飲み会の時のことで罵倒しあっていたのだが、中でも一人の参加者が、殆ど犯罪者としか言えない振る舞いをして特に顰蹙を買っていた。 彼は何と、財布も持たず無一文でやってきて、いざ飲み会が終わり集金の段階になると「会費の代わりにオレの(自費)出版した詩集をみんなにやる!」と言って、無理矢理押し付け一円も払わず立ち去ったと言うのだ。 ヘアは「診断名サイコパス」でこう主張する。「サイコパスは社会の捕食者であり、生涯を通じて他人を魅惑し、操り、情け容赦なくわが道だけをいき、心を引き裂かれた人や、期待を打ち砕かれた人や、からになった財布をあとにのこしていく」「サイコパスはナルシスティックで、自分の価値や重要性に関してひどく慢心したものの見方をする。まったく驚くべき自己中心性と権利感覚の持ち主だ。彼らは、自分が宇宙の中心にいると思っていて、己のルールに従って生きることが許されている優秀な人間だと思っている」。 平日の昼間から国会前に「デモ」と称してたむろし、「安倍は人間じゃねえ!たたっ斬る!」と喚き、「ハンガーストライキ」と称して座り込みつつこっそり飲み食いしてなぜか「募金」を集める連中を見るにつけ、私はヤフーチャットがまた復活したかのような感覚に襲われるのである。

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    左翼の資金源はアレだった!? 官公労に巣食う「専従活動家」の真実

    論壇の人間が受け入れたがらない現実だが、その謎を解く鍵がある。 左派は、専従活動家を多くもつ。これはイデオロギーに拠らず、事実として認識して頂ける点だろう。専従とは、政治活動のみで生計を立てている者のことで、左派には専従が大量にいるのだ。左派活動のみを行えば良いわけで、これは活動上も非常に有利である。 それに対し、保守派の多くは通常の仕事をし生計を立てた上で、プラスアルファの部分を保守活動に充てているのが実態だ。大事な家族との時間や、いわゆるプライベートを削り取って、それを捧げて活動を行っている。想像すればわかるように、いわゆる鶴の機織り状態なわけだ。 心を込めて打ちこむ分、美しい反物というアウトプットにはなっており、素晴らしい成果を立ててはいる。しかし、ボロボロになっていく羽も現実としてあり、在る者は職業などの社会的ステータスを断念し、在る者は家族に負担をかけている。私だって批判されて仕方ない面はあったし、まったく後悔がないとは言えない。 保守派は、少数精鋭の兼業活動家。対する左翼は、膨大な専従活動家。瞬発力と気合で乗り切れる部分に関しては押し返してみせるが、大型の案件やマンパワーを消費する場合には劣勢に立たされてきた。今後も同様の状態は継続するだろう。 特に憲法改正を視野に入れれば、ネット上での優勢とは裏腹に、保守陣営は間違いなく苦境に立たされる。いつまでも鶴の機織りを続けさせる状態では、事態は悪化する一方である。左翼は働いていない、その現実は、ここまでの影響を与えてくる、極めて根源的な問題だ。 左翼が働いていない理由は、シンプルに「陣営として資金力を持つ」ゆえだ。ここに動員の謎も、専従として活動家を養っていける構造も、全てがつまっている。一言で説明するならば、労働組合と言いたい。しかし、保守の中でもアンテナの高い方が読まれるだろうから、二言目、三言目を続けることをお許し頂きたい。 単に労働組合と述べることは、実は誤っている。実際は、「官公労の闇」と述べるべきだし、歴史を振り返るならば民社党の大敗にまで遡るべきだろう。となると、保守からは評価もされる山口二矢氏の行いについても、負の側面を論じる必要がある。労働党を持たぬ我が国の政治状況についても述べねばならない。 左翼の資金源の多くは、労働組合に依存していると言っていい。この場合の資金源とは、単に金銭を指すものではなく、専従職員を出す、人的負担をも含む。その場合、多くは労働組合によるものだと言っても過言ではない。雇用確保に向けた日本経団連前でのデモンストレーションで、シュプレヒコールを上げる労働組合。=東京・大手町  2009年 1月14日  組合費は、天引きの場合が多く、働いている以上、「ほぼ自動的に」安定して得ることができる。安定した収入は、非常に大きな意味をもつ。似た例で言えば、太陽光などの自然エネルギーは24時間安定しているわけではないため、その他の発電の代替にはなりえない。これと同じことが言える。 何がしかの政治案件があり、瞬発的な寄附が集まる場合もある。しかし、組合費を原資としたものは恒常的に入ってくるため、例えば事務所を開設したり、人員を雇い入れて専従活動家を養成することができる。固定費に相当する部分を増強したいのだが、そのためには安定した組織への収入と、それに伴う予算化が必要だ。これを満たしているのは、組合費以外にはありえない。 では、「労働組合=左翼」と言っていいかと言えば、それは実態と異なる。ネット保守陣営は、とかくこの点を誤解しがちであるが、それは現実とは乖離した常識だ。結果的に組合全体は左に触れているように見えるが、それは「上を抑えられている」ためである。 労働組合とは、様々な産業により多くの組合をもつ。正式には、各種産別の単組という用語で説明される。産別とは、産業別労働組合の略称であり、単組とは企業別労働組合である。具体的な名を挙げることは避けるが、ある産業分野においては保守に近い思想をもつ。また単組レベルで見ると、社として保守側にあり、結果的に組合も極めて保守色が強い場合もある。 各社の組合が単組であり、産業ごとに足並みを揃えたものが産別である。様々な産業があり、各種産別の集合体が連合である。そう、民主党の話題となった際、よく耳にした連合。正式には、日本労働組合総連合会である。 単組レベルで見ると左派とは言えない、そして各種産別で見ても左派とは言えない。しかし、これが連合となると一気に左派色が強まる。それはなぜか。 その答えは、「官公労」という言葉に集約される。官公労とは、国家公務員・地方公務員・公共企業体職員などの労働組合で、官公庁にある労組の総称として扱われている。いわゆる自治労(全日本自治団体労働組合)や日教組(日本教職員組合)などが官公労である。 一人の政治家として連合を外から俯瞰した際、「官公労が連合を左に捻じ曲げている」ように見える。異論は受け付けるが、恐らく多くは出ないだろう。連合とは、右も左もいるノンポリ集団であるのだが、この意思決定機関の部分を、左の官公労が奪取しているという構図だ。 言い換えれば、連合の内部において官公労が力を失えば、連合は左の集団ではなくなる。というよりも、本来は、連合自体も左翼ではなく脳みそを蝕まれている状態だ。なぜ官公労は、ここまで発言力を有するのか。それは一重に金である。官公労は、強烈なまでの資金力を有する。 官公労の問題点を指摘してきたが、では官公労の実態はどのようなものだろうか。市議として、各自治体の公務員と接してきたが、私個人の体験談として官公労の実態、公務員の実態を述べさせて頂きたい。最大の問題は、構造と制度であり、チェックオフの問題を解決する必要がある。官公労の実態 実は官公労を組織する一人一人にもイデオロギーなどありはしない。多くの公務員は自治労に入っている実態にあるようだが、それは「左翼活動を頑張ろう!」と思って入っているわけではない。想像して欲しい、地方自治体の、例えば市役所に行ったとして、窓口のお姉さんから、奥にいる課長のおじさん、若い係長、市民の前では笑顔で応対し、実はすっごい左!!! という例はどれほどあるだろう?もちろんゼロとは言わないが。 自治労を構成する公務員一人一人を見た場合、実は左巻きと言える人間は、ほとんどいない。市議という立場で、様々な自治体職員を見てきたが、連合を構成する産別の中でもイデオロギー的には相当に薄い集団だと認識している。 ここからは公務員批判にも聞こえるかも知れないし、逆に擁護に聞こえる方もいるかも知れない。公務員とは、自ら考えない仕事なのだ。それを有権者は批判する場合があるが、オリジナリティを出すことは、余り求められないし、さじ加減という冗長性を持たされてはいない。Aという方とBという方がいたとして、ほぼ同様の相談を自治体の窓口でした場合、Aさんには手厚く保護して、Bさんは放置とはいかない。これは厳格に制度として運用されており、そのルールを作るのは政治である。 公務員は(人でありながら)機械の側面を求められる場合もあり、決められたルールに基づき公平に運用することを求められる職業とも言えるのだ。だからこそ争いを嫌い、結果的に議論となる話を嫌う。お分かりかと思うが「左で左で、すっごい左!」なんて色を職場で、全開で出している方には(数名しか)お会いしたことはない。いるにはいるが、ごく少数なのだ。 しかしながら、安定した職業である公務員、ここからの組合費は(組織として考えれば)おいしい。凄まじく美味しい存在なのだ。安定した多額の収入がどれほど組織に寄与するかは前述の通りだが、公務員の組合とは、この観点で言えば最強である。雇用主側から給与を支払う際、先に組合費を天引きした上で(残りを)給与として支払う方法を「チェックオフ」という。言い換えれば、組合に入っていてもいなくても、自動的に引かれて行く。 チェックオフに異論を述べることは、政治に物申すことでもあり、地方公務員が自ら口にすることはあり得ない。また地方議員がチェックオフの廃止を求めた場合、想像できると思うが、職労(地方版の自治労)に支援された地方議員が全力でこれを潰す。 公務員が職務上、求められる内容は述べた通りだが、「大過なく、事を荒立てず」生きていたいのだ、そしてバカ正直に組合費を取られ続ける。問題の根幹は、組合の存在すら法的にはグレーの公務員に対し、チェックオフが認められている点にある。結果、膨大な資金力を官公労は手にする。 納めた組合員(公務員)は左が主ではないと述べた。むしろ、そこにイデオロギーはない。しかし、膨大な、チェックオフに基づき天引きで集められた資金が、左に渡る。そして官公労の上層部は、ここにおいては凄まじく左である。説明するまでもないだろう、事例を挙げるまでもない。 官公労において役が上がっていくと、なぜか左に傾倒していく。共に在る政党が社民であったり、民主であったり、連携する政治が左であるためだろう。この「少数の左」に多額の資金が渡り、「安定した多額の予算」という凄まじい武器をもって、官公労は連合全体を左に捻じ曲げている。私は、左の資金源をこのように推定している。 「労組が左」という状態を受け入れてはならない。 そういうものだと受けて入れている保守層も多い。実は異常事態なのだ。そして、ここに全ての問題が集約されているため、「労組=左」を常識と思っている方は、一旦、それをリセットして頂きたい。延々と述べてきたため理解して頂けると思うが、それぞれの労働者が左というわけではない。「労組=左」は異常事態「労組=左」は異常事態 考えてもみて欲しい。働いている以上、管理職を除けば、なんらかの労組に入っている方が多い。言い換えれば、そこのおじさんも、隣のお兄さんも、サラリーマンであれば、誰も彼もが労働組合に入っている。「組合=すっごい左」であれば、貴方の周囲の方々も、貴方に内緒で「すっごい左」なのだが、そんな映画みたいなことはない。 正直、誰も彼もがどうでもいいと思っており、政治をするために仕事をしているわけではない、というのが実態だろう。当たり前だ、そこにいるのは「普通の国民」に過ぎないのだから。世論調査の結果通りであり、その答えは「正直、興味などない」となる。 であれば、組合がたくさんくっついた連合の場合、組織としての思想が左に触れることは、実は非常におかしな状態なのだ。官公労の闇とタイトルを振ったが、官公労が資金力(しかも安定予算)を武器に、意思決定フローに色濃く介入しているためだと推定する。 ならば、保守の労組はあってはならないのか。そんなことはない、かつては在った。民社党(民主社会党)の存在こそが、その証明となる。元は社会党である、と言えば条件反射で「左でしょ?」と答える保守が多いと思うが、ちょっと待ってほしい。社会党の右派が独立(脱党)して結党した政党である。漫画に例えると、ドラゴンボールのピッコロ大魔王と神様の関係だ。 例えば、拉致問題を国会で取り上げたのは、民社党委員長の塚本三郎議員の代表質問です。大きく取り上げてくださった西村眞悟先生も民社党の出身であり、実父の西村栄一先生は第二代の委員長を務めておられました。反共を掲げ、いまの次世代の党などより遥かに右に振った政策を進めていました。「国家安全保障会議」の名称を唱えたのも民社党です。社会党と異なり、専守防衛に立つ自衛隊は合憲との立場をとりました。 そして反全体主義・反共の全労会議(全日本労働組合)を支持母体とし、保守系労組は確かにそこにあったのでした。では、なぜ保守系労組は衰退していったのでしょう。ここからは過去の経緯になり、現在の問題点の指摘からは離れますが、これからのことを考えるにあたり教訓とすべき点は多々あります。民社党の衰退 結党直後の昭和35年(1960年)、40議席から17議席まで落ち込み、深刻な打撃を受けました。昭和35年(1960年)10月12日、浅沼稲次郎暗殺事件が勃発。浅沼稲次郎(日本社会党委員長)は「米国は、【日中共同の敵】」と述べ、かつ【台湾は中国の一部】で、(当時、返還されていなかった)沖縄は日本の一部ですが、これはアメリカ帝国主義のためという演説を行いました。演説中の浅沼委員長を、当時17歳の山口二矢(おとや)少年が小刀で殺害した事件が、浅沼稲次郎暗殺事件です。逮捕後、「後悔はしていないが償いはする」と口にして裁判を待たず、東京少年鑑別所内で「天皇陛下万才、七生報国」と遺書を残して首吊り自殺しました。本会議で記者会見する浅沼稲次郎  浅沼委員長は、昭和天皇・皇室を敬愛していたことでも知られ、ここは今の左翼とは異なります。非常に人気が高く、刺殺後は44万人もの集会、デモに37万が参加したと言われます。党首を刺殺された日本社会党は、「弔い合戦だ!」として躍進。その煽りを受け、民社党は40議席から17議席と、改選前の半分以下という惨敗を喫しました。 のち、70年後半から80年前半にかけては党勢を回復。1983年には39議席を獲得しましたが、この間に労働組合の左傾化が異常に進行していったと考えています。労組という団体に対し、対になる政党が衰退していたため、左派による労組浸食が浸食していったのでしょう。私の生まれる以前の話ゆえ、様々な先輩方に当時のことを聞き取りしていった感想です。 現在の日本には、本当の意味で労働者のことを考える労働党が存在しておりません。労働者を代表したはずの政党は、労働者の問題を取り上げず、なぜか中国や韓国の国益を代弁しています。政党政治の本筋を鑑みるに、想定されていない状況にあると言ってもいいでしょう。それもこれも、民主主義である以上、国民の判断であり、国民の責任と言うべきなのかも知れません。 民社党のその後ですが、大半の議員は新進党に移籍し解党。所属議員により民社協会が立ち上げられました。事実上の後継とされた新進党ですが、党内対立を経て解党分裂、自由党・改革クラブ・新党平和・新党友愛・黎明クラブ・国民の声に。結果的には、現在の民主党に合流しています。時代の一コマ、ボタンの掛け違えとは不思議なものです。 最後にまとめますが、左翼活動家の一部は働いていません。それは左派陣営の強力な資金源に拠るもので、労働組合の存在を抜きには語れません。安定した継続収入は組織体の維持には、大きな効果を発揮し、官公労の発言力が非常に大きくなっています。地方公共団体(地方行政)のチェックオフの廃止が処方箋となるでしょう。 本来、イデオロギーと無関係なはずの労働者の集合体が、極めて左に触れている現状は異常な状態で、保守派はこれを常識として受け入れてはなりません。それが労組をイデオロギーの呪縛から解き放つ第一歩になるからです。歴史を振り返れば、確かに保守系労組が存在した時代があったのです。左の労組しかいない現代労組が異常なのです。 リアルへの影響として、鶴の機織り状態、自己犠牲で成り立っている保守陣営は、戦線の各所で破綻しつつあり、憲法改正の国民投票においては私たちの陣営は負けてしまうでしょう。早急に改善が必要な分野であり、左翼はなぜ働いていないのか?というシンプルな疑問は、これからの日本の政治を占う上で、極めて重要な問題です。 動員と、左派のデモについて官公労を絡めて一例を示しましょう。長い記事をお読み頂き感謝しておりますが、このような私の文字は本テーマに興味のある方に向けた文章であり、そこまで政治に興味のない方に伝わるものではないと認識しております。 そこで左派系デモと、その実態を示した漫画を用意しました。拙Blogで申し訳ありませんが、お読み頂けると幸いです。(個人でサーバーを管理しているため、大きなアクセスがあると表示されない場合がございます。その際は時間をおいてご確認頂けると幸いです。)【漫画でわかる】左翼デモ、動員の実態~自治労による日当疑惑(資料付き)https://samurai20.jp/2015/10/m-demo/この原稿の一部の論拠、及びリンク先の漫画の論拠として 「交通費込2,000円(家族1,000円)をお支払いします」と書かれた、ある自治体の職労が配布したビラも掲示しています。(「いまは)画像加工しております。) 本原稿を含め、デマデマうるさいと感じた場合には、当ブログ側で「画像加工」を廃し、自治体名を公開させて頂きます。

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    サヨクは働いていないのか

    若者が「反体制」にあこがれるのは、いつの時代にもありました。むしろよく見極めねばならないのは、その背後にいる人たちです。

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    恐るべき執念と地道すぎる努力 左翼をナメてはいけない

     今回のテーマは仕事をしない左翼ということだそうだ。しかし、さすがにこれは左翼に失礼ではないかと思う。 平和安全法制をめぐる一連の反対運動は「日本が戦争に巻き込まれる!」と一般の国民がある日自発的に集まったものではない。動員の手際、騒ぎの起こし方、マスコミ向けアピール、どれ一つとってもすべてプロの仕事だ。仕事をサボっているやる気のない活動家にできる芸当ではない。いくら相手が左翼だからと言って、こういうプロの仕事に対するリスペクトを失ってはいけない。いわれなき誹謗中傷はやめるべきだ。 一連のデモがある特定の政治的主張をもった集団によってどれほど支えられていたかはすでに客観的なデータで明らかになっている。産経新聞社とFNNが9月12、13両日に実施した合同世論調査によれば、このデモに参加する人々の41.1%が共産党を支持し、14.7%が社民党を支持し、11.7%が民主党を支持し、5.8%が生活の党を支持している。同時期に行われた各社の世論調査における政党支持率とはかなり大きな開きがあることに気づく人も多いだろう。明らかにデモ参加者の母集団は一般的な国民とは一致しない。 また、同アンケートによれば、国会周辺など各地で行われている安全保障関連法案に反対する集会に参加した経験がある人は3.4%にとどまったということだ。デモに参加している人は、政治的に偏った人の集団であったことが一目瞭然である。そもそも、このデモには国民の95%以上が参加していない。いつから国民の5%程度の政治的に偏っている人が「一般の国民」になったのだろうか? さらに、今回話題となったSEALDsという学生団体はSNSを通じて若者が自発的に集まった団体ではない。この団体は今年の6月に設立記者会見を開いている。その際に登場した9名の代表メンバーのうち3人が島根県にある1学年15人のキリスト教系全寮制高校の卒業生である。SEALDsの中心メンバーにはこの高校の出身者が9名いる。また、都内の2つのキリスト教系私立高校の卒業生も割合が高い。彼らは高校時代から友人であり、そのネットワークを使って集まったのだ。「大学生がSNSで自然に集まった」というのは嘘である。 しかも、島根県の全寮制高校に代表されるこれらのキリスト教系の学校は、どちらかというとキリスト教左派の教員が実権を持っているらしい。平和、反戦などの美名のもとに、日本人の加害者意識ばかり強調する偏った教育が行われているとのことだ。都内の2つの高校についてもその点は共通だ(卒業生の行動から類推するにこの点については間違いないと思われるが、各種メディアによる後追い取材で確証が得られることを期待したい)。国会前の安保関連法案反対の集会で、成立阻止を訴える参加者=9月14日夜 しかし、マスコミは安保反対デモに集まった集団をどうしてもプロとは認めたくないようだ。「強権的な政府に立ち向かう無垢の一般市民」という構図がどうも彼らの「予定稿」であり、願望なのだ。最初からそういうものの見方で報道しているからこそ、民主党や共産党が野党という無責任な立場を利用して、国会内で行った乱暴狼藉の数々は目に入らない。審議を拒否し、本来の論点とは関係ないレッテル貼りばかりしてまともに質問せず、最後は力ずくで審議を妨害した民主主義の敵は民主党と共産党だったが、そのことを批判するマスコミは圧倒的な少数派だ。 さらに、マスコミはことあるごとに平和安全法制について「説明不足」などといい加減な論評をしていた。支那の軍備拡張と侵略行為のエスカレートという国際情勢の変化の核心部分にまったく触れようとせず、憲法解釈に論点を矮小化して問題の核心を隠し続けた。野党の乱暴狼藉は一切批判しなかった。最後まで法案の中身を説明しようと躍起になっていた安倍総理に説明の機会を与えなかった。 今回の平和安全法制は、強権的な政府に強引に押し切られたのではない。議論よりも実力行使とプロパガンダを徹底的に推進した民主党と共産党、そしてそれに加担したマスコミと、デモを動員したプロたちによって実力で妨害されたのである。 しかも、マスコミは今回の平和安全法案において本来語るべき真のリスクを国民から隠した。真のリスクとは、南シナ海、東シナ海での侵略行為、チベット、ウイグルでの人権弾圧、人権派弁護士の理由なき拘束、これらを平然と行う支那という独裁国家である。支那の乱暴狼藉は華麗にスルーし、なぜか日本政府はすぐに戦争したがる悪い国だと厳しく批判を向ける。この奇妙なダブルスタンダードこそが、デモ隊とマスコミに共通する行動パターンだ。一体それがどの国の国益になるのか、考えればすぐにわかる。 しかし、プロがいかに「芸術的」な仕事をしようが動かせない事実がある。今回のデモは特定の団体によって呼びかけられたものである。これらの団体の一部は共産党の支持団体だったり、民主党の支持団体だったり、極左暴力集団のダミー団体だったり、素人を偽装する大学生であったり(しかも、反日教育で有名な特定の高校の卒業生中心)、といった事実である。 これらの事実を並べてみて、左翼の執念と地道すぎる努力に恐怖を感じる人も多いのではないか。1学年15人の全寮制高校を運営し、私学助成金をもらいながら徹底した反日教育を数十年にわたって地道に行う忍耐力。朝日新聞の一面に広告を掲載する財力、そして左翼組織同士が連携してワンイシューで政府にゆさぶりをかける行動力、マスコミとの連携や共通プラカードの配布など作戦運用能力。これらの力を左翼はいまだに持っている。これは本当に大変恐ろしいことだ。 安保法制の次は原発や沖縄問題など、手を変え品を変え、左翼はこの力を使ってくるだろう。彼らはとにかく弾を撃ちまくって、インパクトが大きいところにさらに大きな戦力を投入してくる。極めて合理的な戦法だ。 左翼がサボっているように見えたとしたら、それは左翼をナメすぎだ。我々が戦っている民主主義の敵はそれほど恐ろしい連中だということを忘れてはならない。

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    「兵は詭道なり」反戦平和を唱える人々の向かう先   

    著者 長尾勝男「兵は詭道なり」孫子の第1編始計偏の冒頭に書かれた言葉である。 兵とは、軍事のこと詭道とは、正道ではない道、ごまかしの道と言う意味である、従ってこと軍事(兵を用いること)に関することを誤りだと指摘することは簡単で、一言「これは正道ではない」と言えば済むからである。 東大法学部の石川健治教授はBSフジのプライムニュースで「安全を追求すると自由を支えるロジックが壊されて行く」と述べている。つまり憲法という論理的な枠組みを超える安全保障は却って国民の自由や人権が脅かされると言う主張である。 最近、マスコミやSNSに登場するSEALDsやママの会の民主主義と自由を守ろうと言うスローガンにも共通しているように見受けられる。 確かにスイスの例に見られるように国民皆兵が前提にあって国民にNOは無い、もし選択の自由があれば国是は瓦解する。と言うとスイス国民は政府を信用しているからで腹の内が定かでない日本とはどだい国情が違うと反論する向きもあろうかと思うが、外敵が攻めてくることに日本もスイスも違いはない。逸に自国の平和と安全を守ろうとする国民の気概の差にあるように私には思える。 その対極にあるのは無抵抗主義であろう、正確には非暴力・非服従運動である。インドのガンジーが有名であるが彼は当時の英国の圧政に丸腰で立ち向かう、アムリトッサルの虐殺事件では400人が射殺されている。それでも民衆は銃口に向かって進んだ。 果たして日本で非軍事と話し合いによって民主主義と自由を徹頭徹尾保持しようと主張する人々にその覚悟があるのだろうか?残念ながらそれはあり得ない。自分やその子供や家族の生命第一がこの人々の生活信条にある中からおよそそれを犠牲にしようなどと言う発想が生まれるはずはないからである。しからば外国例えば中国・韓国や北朝鮮軍が我が国に武力侵攻した場合国民は彼らの思うままに服従するのであろうか。服従したくなければ他国に逃れざるを得ない、結果難民となり流浪の民となる道が待っている。チベットのダライラマのように国外に亡命政府を樹立するケースもあるかもしれない。 ここにもれっきとした標本がある。嘗てのユダヤ人でありパレステイナ人であり現在のシリアの人々である。 ただ、同じ日本人でありながら同朋を国外に追い出す或いは支配者側にまわって傀儡として生き残る方法が残されている。むしろその形が蓋然性として最も高いと言えよう。 私は反戦平和を唱える人々の向かう先をかように予見する。 始めから外患誘致を狙って防衛力の弱体化をはかり同盟国との離間を企図して後ろ盾を無くし我が国と対立し属国化を望む国による支配の上に余禄に与ろうとする戦略である。 さて、日本を取り巻く国際環境を俯瞰すれば、東アジアにおける日本は微妙な立ち位置にあるのは確かである。力による現状変更を前提とする中露2大国とこれを快しとしない欧米の間にあり内外に渉って揺さぶられている現実がある。現在のところ米国に与する我が国は同盟政策が採られており地理的にも最前線に位置している。それだけ風当りが強くなるのは当然で国論も徐々に(左右の)対立が先鋭化して来ている。 「汝、平和を欲するなら、戦い(戦争)に備えよ」まさに、ローマ帝国の軍事学者 ウェゲティウスとされるこの言葉こそ現在の我が国の国防戦略に相応しい選択肢であろう。平和のカギは平時における準備にこそ存するのであって、紛争に巻き込まれることを恐れたり、敢然と立ち向かう姿勢を示すと相手に無用の刺激を与えるとしてこれを躊躇すれば却って相手を増長させ我が国が今手にしている平穏な暮らしは手元から霧散することは明らかである。 少なくとも今俎上にある平和安全保障法制の制定は完全とは言えないまでも、備える方向に進んでいることは間違いない。 だが、現実の世界は更に進んでおり、湾岸戦争などにおける多国籍軍や対IS掃討作戦における有志連合など集団防衛の体制による場合が一般的になりつつある。 平和に対する脅威または侵略行為に対して国連安全保障理事会の全会一致による制裁(軍事・経済)措置が機能不全をきたしている現状を補完する形で集団的自衛権(51条)及び個別的自衛権が認められている訳であるが、このうち集団的自衛権は密接な関係を有する国家が互いに協同して外部の脅威に対抗するものであり内部の脅威に対する集団安全保障の制裁から集団防衛による抑止へと変化してきている。 最近自衛隊OBの識者の中に中国を含めた集団安全保障体制を提唱する意見が見受けられるがこれは極めて危険である。 集団安全保障体制では違反国に対して他の加盟国が圧倒的に優位であることが前提となる何故なら違反の対象国が軍事大国(中国のような)の場合制裁を課そうとして却って返り討ちに遭うことが考えられるからである。 実際に昨年6月リムパック(環太平洋合同演習)に日米を含む22か国が参加、今回初めてこれに中国が加わった。この演習中こともあろうに中国が秘密裏にハワイ沖に情報収集艦を派遣していたことが露見した。7月21日米国防総省当局者はこのような行為は不躾であると不快感を示したのは当然である。 協調外交などと理屈をつけて近寄るとこちらの手の内を全部知られてしまう国だと認識するべきである。 かつて、欧州におけるNATO(北大西洋条約機構)の例に倣い米国主導で太平洋アジア条約機構(日本・韓国・豪州・英国・タイフィリピン)を設立しようとする動きがあった。だが、結果は日本を嫌う韓国の反対で実現しなかった経緯がある。 従って、米国のみならずフィリピン・ベトナム・タイなどによる中国・ロシア・北朝鮮を共通の脅威とする東南アジア諸国と我が国の間に集団防衛体制を構築することが我が国安全保障政策のうえで最適な方策ではないだろうか。 現在の世界情勢は軍隊とは言えない武装集団や組織による他国への侵攻など宣戦布告などの予告なしに平和を脅かされるケースが派生しており国防上複雑多岐な機能を備える必要性が覗える。

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    安倍政治は、立憲主義の否定であるどころか「法治主義」の否定

    保立道久(東京大学史料編纂所名誉教授) 安保法案を考える上で、今日、BLOGOSにのった「安保法を通そうとしている国会議員には立法する正統性がない。一人一票運動の升永英俊弁護士が指摘 」という記事はきわめて重要だと思う。 中枢の一節を引用すると、下記の通りである。去年の11月に出た最高裁判決で、5人の裁判官がとても重要なことを言った。最高裁の15人の裁判官のうち、「違憲状態だけど選挙は有効」と言った、我々からすると悪い裁判官が11人いたが、そのうちの5人が非常に重要なことを言った。その5人は判決の補足意見で、「違憲状態の選挙で選ばれた国会議員は国会の活動をする正統性がない」と言い切った。これは恐ろしいほど、重要なこと。選挙で選ばれたのに、国会活動をする正統性がないと言った。 私もそう思う。しかも現在の自民党は、先回の総選挙では、比例は自民党は33パーセントの支持であるから、国民のなかでの厳密な支持率、純得票率は17、16パーセントとである。 最高裁の裁判官の3分の一が、国会議員に正統性がないといい、支配政党は2割以下の支持率である。そういう中で憲法(解釈)を変えようというのは、いくら何でも無理が多い。しかも、その行為を、当面憲法をかえるのは無理だからというのは卑怯もいいところである。人倫の許すところではない。 どういう立場であろうと、この安保法案を潰すことは決定的に重要だ。国の形の基本がかかっている。これを許せば、いいかげんなことをやっても自由という風潮を認めることになる。国家というものは、どういう場合でもいい加減な扱いをしてはならないものだ。参院平和安全法制特別委で答弁する安倍首相=7月30日午前 このような国会の構成を明瞭に変化させなければならない。議員は国民への奉仕者、国民の召使いである。その僭上を許してはならない。 歴史家としては、この法案が通った場合は、現在の支配政党はアメリカの戦争協力を拒否せず、戦争に自衛隊を派遣することが目にみえている。そのような戦争を日本の戦争史のなかでどう位置づけることが可能なのかを考えてしまう。  私は、第二次大戦に突入した日本国家の体制は天皇制ファシズムであるという、歴史学の古典的な定義に賛成である。もちろん、歴史学のなかでもファシズムの定義についてはいろいろな議論があるが、私は日本ファシズムは戦争先行形ファシズムであると考えている。一般には、Creeping Fascism(徐々に迫ってくるファシズム)といわれるが、どういう風に忍び寄ってきたかといえば、「満州事変」という戦争によって、また日清・日露以来の戦争によって、兵隊が従軍し、その戦争体験を自己合理化するという過程が先行したということである。これはCreeping Fascismという考え方と背反する訳ではない。戦争先行形ファシズムを明瞭に考えることによって、Creeping Fascismの姿も明瞭になるということである。 現在の安倍政治がファッショ的手法をとっているというと、ファシズムという言葉は大げさである。「ファシズムなんで何のこと」という反応が返ってくる。しかし、ともかく戦争をすれば、その経験をさせれば、それに慣れさせることを先行させるというのが戦争先行形ファシズムなのである。 そして、現在の安倍政治は、立憲主義の否定であるどころか「法治主義」の否定であると私は思う。「法的安定性」よりは国家中枢の判断を信頼せよ、そうでないのは偏っているというのは、古典的な「赤攻撃」である。そして法治主義の否定がファシズムの法的な規定としてはもっとも重要なものであることはいうまでもない。 ただ、念のために確認しておきたいことは、そのことと、安倍政治がファシズムになりうるかどうかは別問題であるということである。ファシズムというのは思想ではないとしても「思想的」雰囲気がなければやっていけないものだ。そういう思想的雰囲気を現在の支配政党が作り上げることができるとは思えないのである。  安保法案に賛同を表明する人々の考え方は、思想と言うべき内容を欠いている。国家主義ではあるが、それはほとんど官僚主義と区別できない。安倍政治がもってきたのは、実際上、中枢官僚が唯々諾々といわれたことをやっているからである。 それは国家主義ではあるが、いわゆる「反知性主義」でさえないと思う。「反知性主義」は19世紀に一種の思想運動・宗教運動としてヨーロッパでうまれたもので、神秘主義、非合理主義となってヨーロッパファシズムをささえた。しかし、現在は、そのような思想としての「反知性主義」も存在する訳ではないと思う。 「反知性主義」は知性の支配、テクノクラートの支配に対する拒絶、世間通常の「知性」を鼻にかける人々への嫌悪という点では、十分に存在の理由があるというのが、私の考え方。そのような反知性主義が「右翼」の基盤となるのである。その意味では「右翼」にも「右翼」の存在理由があるというのが私の考え方。 しかし、現在は、日本には「右翼」は存在しづらい。つまり、現支配政党はアメリカべったりである。安保体制そのものがそうなのである。そういう中で、右翼というものが存在しがたい。そういう不思議な思想状況に、日本はある。 最近、鈴木邦男氏の『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)を読んだが、右翼は本当につらそうだ。私は歴史家なので、古典的な左翼である(つもりである)。しかし、こういう問題では右翼も左翼も、保守も進歩もないと思う。 問題をごまかし、曖昧にし、人倫に反する行動は許し難い。  以下は、再録。吉見義明さんの『草の根のファシズム』の書評である。戦争先行形ファシズムの概念をラストで論じてある。吉見義明『草の根のファシズム』(東京大学出版会、1987年) アジア太平洋戦争ののち、だいたい三〇年が経過した一九七〇年代。多数の従軍・戦闘体験の記録が刊行され始めた。本書は、それらを戦争の時代状況のなかで丁寧に読みとき、戦争体験のもつ意味を構造的に論じている。「昭和史」論争と本書の意味 この国の歴史学にとって重大なのは、本書が「昭和史論争」といわれた歴史認識論争に対する回答となっていることである。この論争のきっかけは、アジア太平洋戦争の時代を描いた通史、『昭和史』がベストセラーとなったことであった。戦争中も反戦の姿勢を維持していた遠山茂樹が中心となった叙述には相当の迫力があり、『昭和史』は人々が自己の戦争体験を内省する「よすが」として大きな役割を発揮したのである。 とはいえ、研究方法や史料の量と種類の限界もあって、『昭和史』は政治史を中心とした「骨組み」が目立ち、積極的に民衆個人の意識状況に踏み込むことはできなかった。これが「人間が描けていない」という、やや「ないものねだり」な批判を招いたのである。これらの批判には、歴史教育の目的は(国や共同体のための)「自己放棄」であるというような、どうかと思うものもあったが、『昭和史』の執筆者は誠実な姿勢をとって、叙述を全面的に練り直して『昭和史(新版)』を刊行した。今、この経過を見直してみると見事なものだと思う。 しかし、それでも『昭和史(新版)』にはさまざまな限界があった。それを明瞭に示したのは松沢弘陽の懇切な批判であって、松沢は「新版」がなお抱えている欠陥として(1)多様に分化している民衆の存在を「国民という単一の概念」でくくったこと、(2)国民の絶対多数が積極的に戦争協力の道を歩んだことの内因分析が弱いこと、(3)被害体験にくらべて加害の歴史が描かれていないことなどを指摘した。これがその後の現代史研究の最大のテーマとなった事情については、大門正克編『昭和史論争を問う』が、右の松沢論文などの関係文献を収録しつつ、詳細にあとづけている。 この松沢の指摘に対して、冒頭にふれた多数の従軍・戦闘回想記録の精細な読み込みによって、初めて真っ正面から答えたのが、吉見の本書であるということができるだろう。つまり、吉見は(1)戦争体験にかかわる民衆内部のエスニックな差別・分裂の様相を論じ、(2)「満州」や「南洋」に対して民衆が戦争利益を求め、実現し、そしてその欲望が潰える様相を描き、さらに(3)アジア・太平洋の民衆に対する利用・虐待・陵辱・殺害などの実態についても、そのいわば見取り図とでもいうべきものを描いたのである。これらが戦争体験記を書いた個人々々の「生」に対する周到な歴史理解を前提としていることは特筆されるだろう。ファシズムと民衆の戦争体験 まず第一章「デモクラシーからファシズムへ」は、一九三一年の満州事変によって戦争の雰囲気が社会をおおうなかでも、一九三六年の二・二六事件に対しては人々が強く反発したことを確認している。しかし、民衆は徐々に戦争の方向に流されていった。その根底にはアジアに対する優越的な「帝国」意識と、それと裏腹の関係にあった「天皇制自由主義」というべき政治意識の色調があったことが、人々の手紙や日記などの一次史料によって明らかにされる。衝撃的なのは決定的な影響をあたえたのが、従軍者の中国での戦闘行為そのものであったことである。出征者の戦死のみでなく、出征者の行った掠奪・陵辱・殺害行為への参加それ自体が、兵士の心を呪縛し、それが家族に及ぶ。こうして一九四〇年ころまでに、数十万の兵士が帰還するなかで、人々は本気になって戦争を支えはじめた。 第二章「草の根のファシズム」は、これを前提として、天皇制ファシズムが確立する様子を論ずる。もちろん、それはストレートに進んだのではなく、一九四〇年代初頭には、戦争経済によるインフレ・物不足に対する民衆の不満が深刻な社会不安を招いた。このときまことしやかに米騒動の再来が噂されたという。しかし、結局、「欲しがりません勝つまでは」という世論が形成され、それが新体制運動に流し込まれた。人々はむしろ「真面目に」状況を理解してしまい、地域社会の内部にファシズムに響き合う状況が作り出されていったのである。 このなかで植民地・占領地での生活、戦争状態の下での渡航と出征が一つの自然な風景となっていく。ここに「草の根のファシズム」と「戦場からのファシズム」とが相乗して強化しあうという天皇制ファシズムの「国際的」性格があった。しかも、この状況は、沖縄県人、アイヌ、ウィルタとチャモロ人、朝鮮人、台湾人に対する差別をも自然なものとうけとめるとい、北東アジア全域におよぶ民族的差別によって支えられていたという。この部分の記述は広範囲すぎて要約しがたいが、是非、一読されるべきものだと思う。 第三章「アジアの戦争」は「インドネシアの幻影」「ビルマの流星群」「フィリピンの山野で」「再び中国戦線にて」という構成で、各地の戦争の悲惨と悲哀にみちた風景が順次に描き出される。まず戦争の「南洋」への広がりが過不足なく概観されている。日本史の研究にとっては、どの時代においても日本を南からみる視点、島尾敏雄のいうヤポネシアの視点を確保しておくことはどうしても必要だろう。私が想起するのは、大学院時代の師の一人、ギリシャ史の大家・太田秀通先生がビルマで負傷されて片腕を切断されたことである。歴史学を学ぼうという方には、その負傷の経過を記した文章の入っている『歴史を学ぶ心』を是非御読みいただきたいと思う。「南方」における戦争は、人々に戦争の利益を夢みさせたが、日本兵の戦死の大多数は、この地域における戦争末期の餓死であったこともよく知られている。 吉見は、それにつけ加えて、この地域における日本軍の敗走が壊滅的なものであっただけに、敗戦後の現地社会との関係も多様となり、痛切な経験と反省が日本人意識の根底に及んだ場合も多いという。大岡昇平の『俘虜記』『レイテ戦記』などを読めばわかるように、そこでは「加害」経験の意味と悲惨な結果の捉え直しが行われる場合があったのである。しかし、これと対比して、勢力圏として日本軍が死守の体制をとっていた中国においては、群体が、完全な敗北と潰走・自壊以前に降伏した場合が多かった。吉見は、それによって、東南アジアとは違って、「自衛・聖戦」の意識の枠組が最後まで崩壊することなく、そのまま戦後にもちこされることが比較的多かったという事実を摘出している。 最終章「戦場からのデモクラシー」は戦争体験がどのように戦後の民衆意識を規定したかという見通しのもとに、天皇制ファシズムへの民衆的な支持が「ひびわれる」様相が論じられる。アジア・太平洋における戦況が有利であるかのような誇大宣伝によって民衆的な支持を調達する仕組みは、サイパン島陥落以後、本土空襲のなかでまったく機能しなくなったが、しかし、それにもかかわらず戦争の呪縛は強く、大多数の民衆の戦意は崩壊の一歩手前で持ちこたえたという。そのために人々は敗戦とともに呆然とする状況に追い込まれたのであるが、しかし、人々の終戦体験は、実際には、「内地」と「外地」の相異、さらに戦闘経験や共犯責任の深浅、負傷や飢餓などの痛苦のあり方によってきわめて多様であった。 問題は、その空隙をぬって、人々が、しばしば戦争経験を脇においてアジアに対する優越意識、帝国意識は維持し、日本再建に貢献するという明るい気持ちに切り替えるという変わり身の早さをみせる場合が珍しくなかったことである。こうして、戦争体験の特徴に規定された戦後民主主義が大きな限界をもっていたことが冷厳に指摘されるのである。 しかし、他方で、吉見は、敗戦がたしかに「草の根のファシズム」からの離脱をもたらしたことも確認している。そこで大きかったのは、ともかく戦争は嫌だという「戦場からのデモクラシー」であって、それによって「戦場からのファシズム」に支えられた「草の根のファシズム」は駆逐されたという訳である。このような経過は、日本国憲法の示す「平和と民主主義」が単に一国に関わるものではなく、東アジア全域における戦争の惨禍によってあがなわれたものであったことを正確に示している。天皇制ファシズムとは何か 最近発行された吉見の新著『焼跡からのデモクラシー』は、それに引き続く終戦経験を論じたものであるが、ここではそれを紹介するのではなく、むしろ著者の天皇制ファシズム論を確認しておきたい。そもそもファシズムとは、暴力を中核にもって議会と法治主義それ自体を否定するデマゴーグ支配である。問題は、その支配が人間のもっとも野蛮で倒錯的な欲望を大衆的に組織することを鍵とし、その中枢には政治思想というよりも虚構に虚構を重ねる「神秘」と非合理の妄想世界があったことである。そこには強い偏見と排除の論理があり、しばしば身体的な差別や肉体的暴行への嗜癖、さらには殺人などの倒錯が巣くっている。私見では、ファシズムは大衆をその明示的もしくは暗黙の共犯者として動員する体制なのである。しばしばナチスが「下からのファシズム」であるのに対して、天皇制ファシズムは「上からのファシズム」であるなどと図式的に区別されることが多いが、両者は、この本質において共通する。『草の根のファシズム』の示した天皇制ファシズムの特徴は、それが戦争先行形ファシズム、つまり戦争の加害経験を中核として形成されたファシズムであったということであろう。そもそも天皇制ファシズムを推し進めた主体の中枢は軍部と、その下に組織された在郷軍人会であったこともいうまでもない。その意味では日本ファシズムは上からも下からも直接に戦争の色の濃い軍事的ファシズムだったのである。これが太平洋戦争が、ナチスをも超える様相をもって、国民全員を動員し、合理的な引きどころもない「無謀」なものとなった最大の原因である。 よく知られているように、吉見は、日本の戦争史料が湮滅・秘匿されている最悪の状況の下で、さらに粘り強く研究を進め、「慰安所」の設置・拡大と女性の強制的な性奴隷化の実態を史料によって明らかした(『従軍慰安婦』)。右のファシズムの定義からも明らかなように、そもそも「従軍」性奴隷は、けっして部分的な問題ではなく日本の戦争体制、ファシズム体制において本質的な問題である。著者は、その強靱な学術的論理によって、その中核を究明することに成功したのである。参考文献遠山茂樹ほか『昭和史』(岩波新書、旧版一九五五年、新版一九五九年)吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書、一九九五年) 同『焼跡からのデモクラシー』(岩波書店、二〇一四年)大門正克編『昭和史論争を問う』(日本経済評論社、二〇〇六年)太田秀通『歴史を学ぶ心』(青木文庫、二〇〇〇年)※「保立道久の研究雑記 歴史家の発想と反省」より転載。

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    「反知性主義」とバカにする愚

    最近よく耳にする「反知性主義」と言う言葉。かくいう自分たちは知性的で、安倍政権を支持する国民は「バカ」で「無知」とでも言いたいのでしょうか。いやはや、この方たちは相も変わらず、上から目線でレッテルを貼るのがお好きなようで…。

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    どちらが「反知性主義」? 安保法制反対こそ反知性主義だ!

    メディア裏通信簿(月刊正論8月号から転載) 編集者 スポーツジムのライザップを、ご存じですか。 女史 知ってるよ。よくテレビでダイエットのCMやってる。「ヤセなかったら30日間全額返金保証」「結果にコミットする」とか宣伝しているジムでしょ。週刊新潮が批判記事を載せていたけど、それがどうかしたの? 編集者 毎日新聞6月1日付夕刊でコラム「牧太郎の大きな声では言えないが…」が、「急に痩せて大丈夫か」「リバウンドは?」と、CMを見て「心配」している友人の話を書いていたんです。なぜ、こんな中途半端な批判を載せているんだろうと思って読んでいると、急に話が飛躍して「『アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか?』と心配する」と安保法制批判を始めたんです。挙げ句の果てには、安倍晋三首相のことを「『反知性主義』と呼ぶ人もいる」と言い始めた。ライザップから安倍政権批判に結びつけるとは、メチャクチャだなと思いまして…。 教授 強引が過ぎますね。(笑) 編集者 この頃よく使われる、この「反知性主義」という言葉には何か意味があるんですかね。 女史 「反知性主義」は、安倍政権批判のための用語になっているよね。「知性」とか「主義」とか立派な言葉を使っているけど、深い意味なんか無いんじゃない。ただの悪口。「バカだ」「ウヨクだ」とか言っちゃうとただの罵詈雑言だけど、「反知性主義に陥る」というと、もっともらしく聞こえるじゃん。朝日新聞は去年12月7日付夕刊のコラム素粒子で「1年前は首相の靖国参拝と前沖縄県知事の辺野古容認で騒然。片や延命し片や座を失う。民意とはを考える暮れ。/今年よく聞くようになった言葉。歴史修正主義、反知性主義。曲がり角の道しるべを見のがさなかっただろうか」と書いてた。要するに、靖国参拝と米軍基地の辺野古移転をしたら、歴史修正主義で反知性主義だって言うんだよ。深い考察なんか何もないでしょ。文藝春秋こそ「反知性主義」 教授 他人を「反知性主義」と言うからには、自分たちは知性的だという認識なんでしょう。文藝春秋の文芸誌文學界7月号では、「戦後70年大型企画 『反知性主義』に陥らないための必読書50冊」という特集で、50人の学者や評論家たちに1冊ずつ挙げさせていました。ここに登場する人たちも、自分たちにかなり知性があると思っているのでしょうか。いずれにしろ、企画した編集部は安倍政権を支持する国民を「反知性主義だ」と言いたいんでしょうね。 女史 この企画で半藤一利さんは「日米同盟の強化、さらに進んで軍事力の強化の必要が叫ばれ、『反知性主義』という言葉が流行している」と、あからさまに政権批判してたね。 編集者 ただ、そうではない人もたくさんいましたし、本当に、政治的な意図があって特集を企画したのでしょうか。 先生 あったに決まっているさ。企画冒頭の編集部で書いたと思しき文には「内外を席巻する声高で性急な応酬。その不毛を乗り越えるために必要な真の教養とは何か」とある。「声高で性急な応酬」とは、安倍政権の方針と、それに対する批判だろ。「不毛」な「応酬」を乗り越えるためには、「反知性主義に陥らない」教養が必要だといっているわけだから、安倍政権を支持する保守系論者、雑誌正論のようなメディアを「反知性主義」といっているようなものだろ。 教授 正論は彼らから見ると反知性主義者の巣窟ですよ。(笑) 女史 けど、面白い文章を書いてた人もいたよ。例えば、文藝春秋社から出した『イスラーム国の衝撃』という本で有名になった東京大学准教授の池内恵さんは、いきなり、その文藝春秋を批判してるの。月刊文藝春秋で半藤さんが対談していたISIL特集を「茶飲み話で長大な紙幅を費やしている」「こんな雑誌作りをするのも、唯々諾々と手にとって読む読者も、反知性主義そのものだろう」って、バッサリ斬ってんの。 教授 彼はいいことを書いていますね。「世に出る『反知性主義関連本』の著者はというと、どう考えてもまさに反知性主義者そのもの」「反知性主義に陥りたくなければまず、声高に他人を『反知性主義』と罵っているような人々の名前で出た本は読まない、というところから始めるというのが鉄則」…まさに、その通り。相手に「反知性主義」とレッテルを貼って頭から否定すれば、主張の内容がどんなものでも耳に入ってこないから、議論にならない。まさに反知性主義的な態度ですね。 先生 そもそもこんな特集を文學界がやること自体が変だよ。「文學」と何も関係ないんだから。 教授 かつて米ソの対立が激しかった頃、集英社の文芸誌「すばる」が、文学者に米国の核を批判させる特集をしていましたが、あれに似ていますね。米国は、経済的に弱体化したソ連共産党独裁政権を崩壊に追い込むために意図的に軍拡競争を仕掛けていたのに、そういうことを全く考察せず、米国の核だけを批判するという愚かな特集でした。文學界も、その轍を踏んでいますね。 それか、単純に自分の雑誌が売れないことをひがんでいる可能性もありますね。売り上げは、お笑い芸人の又吉直樹さんの小説に頼りきってましたから。(笑) 女史 そもそも「『反知性主義』に陥らないための必読書50冊」なんて、あるのかな。上野千鶴子さんなんか、ただ、自分の本を挙げて、宣伝してたけど。(笑) 先生 『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』という、いい本を書いた森本あんりが、自分の本を挙げていないのとは対照的だな。しかし、森本が自著をあげないものだから、この本が50冊から漏れている。しかも、もともと「反知性主義」を論じたリチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』も50冊に入っていない。「反知性主義」がテーマの特集としては失格だな。 教授 確かに、この本に触れている人はいても、必読書として挙げた人はいませんでしたね。 女史 「反知性主義」を論じたいのなら、まず『アメリカの反知性主義』こそ必読なのにね。 先生 書家の石川九楊という人にいたっては「日本国憲法」を挙げている。それは本じゃないから。憲法の名前だから。(笑) 教授 わざと『日本国憲法』という名前をつけた解説書や学術書があるから、そのことを言っているんでしょうね。(笑)結果にコミットしない 先生 そもそも「反知性主義」は、anti-intellectualismの日本語訳だけど、インテリつまり知識人達の特権的な地位や傲慢さに対する至極まっとうな反感という一面もあるんだよな。それはホーフスタッターすら認めている。彼は反知性主義を「完全に除去できるとはいわない」と明言しているからね。文學界の編集部員はホーフスタッターを読んだのかね。 反知性主義を完全に除去できない大きな理由は、まず宗教だよ。彼の本には、反知性主義がキリスト教信仰と無関係ではないと書いてある。福音書や創世記における記述を読めば、反知性主義を生む土壌がキリスト教や聖書の中にあるのは明らかだよ。 教授 宗教や信仰には科学や論理、合理主義だけでは解明しきれない神聖な部分、つまり知性が及ばない領域がありますが、知性を重視するあまりこの領域を軽視する一部のインテリを批判したのが反知性主義でもあるのです。 それから、アメリカの反知性主義批判は、民主党が党派争いで共和党批判をするための理論にも使われるのです。アメリカでは、田舎に住む信仰心が厚い人には共和党支持者が多くて、都市に住むリベラルなインテリには民主党支持者が多いですから。 先生 ただ、民主党支持者だってキリスト教の信仰者が多いから、単純には分けられないけどな。共和党だろうが民主党だろうが、信仰心をアピールしないと、米国大統領には当選できない。いずれにしろ、日本で「反知性主義だ」と声高に叫んでいる人はこういうところに全く触れず、ただ誹謗中傷の道具に使っている。 女史 内田樹さんは『日本の反知性主義』という本まで出したよ。「現代日本の反知性主義はそれとはかなり異質なもののような気がしますが、それでも為政者からメディアまで、ビジネスから大学まで、社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が深く食い入っていることは間違いありません」って書いてる。 教授 大学にも「反知性主義・反教養主義が深く食い入っている」なんて言うなら、まず、ゆとり教育ですっかり本を読まなくなった学生をなんとかするため、左翼と決別して、教育改革に取り組んだらよかったんですよ。 先生 教育社会学者の竹内洋が、強力な知性主義のない日本には強い反知性主義もない、日本にあるのは「半」知性主義に過ぎないとみている。米国の知性主義はハーバード大学から生まれたそうだが、日本の東大、京大はそれほどの大学ではないから、日本に知性主義はない、だとすると、反知性主義も生まれようがないだろう(笑)。東大出身の内田センセイは、どう考えているのかね。 編集者 ただ、東大や京大入試は、やっぱり難関ですよ。 教授 いま「反知性主義だ」と煽っている知識人、それから自分が知識人の一種だと思っているマスメディアの人たちには、自分たちの意見が多くの国民から反感を買っているということに対する不満があるのではないでしょうか。 例えば、集団的自衛権や安保法制の反対を声高に訴えても、なかなか安倍政権が倒れない。そりゃ、そうですよ。国民は中国や北朝鮮、多発するテロを見ていますから、知識人達の無責任な平和論にはだまされない。しかし、知識人やマスコミは、自分たちの方が間違っているのに、それを認めたくないから、安倍政権を支持している国民を上から目線で「反知性」つまり「バカ」だと蔑んでいるのです。傲慢なもの言いですよ。 編集者 しかし、国民にとって本当に大事なのは、自国をどうやって守ってくれるのか、ですよね。無責任に平和論を振り回すだけではなく、ライザップじゃありませんが、「結果にコミットする」知識人じゃないと、信頼できないというのはよく分かります。 女史 (笑)ただ、「結果にコミットする」って言いたいだけじゃん。「反知性主義」批判は、去年ぐらいから言われている「マイルドヤンキー」論ともかぶってるんじゃない。低学歴低収入で、地元が好きで、地元のショッピングモールが好きで…そんな「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちが最近のナショナリズムを支えていて、安倍政権を支持している、という考え方だね。そういう人たちを下に見て、政権批判をしているの。 教授 それを、ちょっと、知識人っぽく言い換えると、「反知性主義」になるわけですね。 先生 そういう見方の元祖が、今やその権威も失墜しつつある左翼の大政治学者、丸山真男だな。工場主や自作農、学校教員といった日本の中間層を「亜インテリ」と軽蔑して、戦争を起こした日本ファシズムの原動力と位置づけた。自分は東大出の文化人で、真のインテリだから違うけどね--というわけだよ。彼を信奉する東大出のエリートが集まったのが、いまや地に墜ちた朝日新聞だな。 教授 マスコミが「反知性主義」を叫ぶのは、左翼インテリの権威が落ちたことの裏返しかもしれませんね。臆病な違憲論 編集者 憲法学者がこぞって安保法制に反対したといって、左派マスコミが大喜びしていましたね。東京新聞6月11日付の朝刊では反対の研究者の名前を200人ほどをズラリと並べていました。対する賛成の学者で名前が挙げられていたのは3人だけ。後から10人の名前を平沢勝栄衆院議員が挙げていましたが、それにしても残念ながら、憲法学界では賛成派が完全な少数派ですね。 教授 政治的に左翼の思想を持つ学者が多い学界ですからね。日本共産党にとっては名誉なことかもしれませんが、東京新聞に載っていた反対の研究者には、共産党支持者と見受けられる人物がかなりいましたね。 しかし、南シナ海や東シナ海で中国の脅威が高まり、年金機構に対するサイバー攻撃も、中国が関わった可能性が新聞で報じられているのに、こういう憲法学者たちは、日本の安全保障に危機感を抱かないのでしょうか。憲法学者たちも無責任。結果にコミットしない知識人なんですね。 女史 なんか、教授まで「結果にコミットする」って言いたくなってきちゃったみたい…。でも、米国の高官も同時期に、中国からサイバー攻撃を受けたと言及してたし、知識人も、中国の脅威ぐらいは考えるべきだよね--。 編集者 衆議院の憲法審査会では、自民党側の参考人として招かれた早大の長谷部恭男教授らが「憲法違反」だと発言してしまいました。人選に当たった自民党筆頭幹事、船田元衆院議員は批判されていますね。 教授 あの憲法審査会の場は、安保法制ではなく、立憲主義について意見を聴く場でした。それなのに、民主党議員が集団的自衛権について質問し、違憲の意見を引き出した。要するに、民主党が法案潰しに利用したのですね。 先生 それにしても、反対を公言している長谷部たちを呼んできた船田はあまりにセンスが悪いというか、脇が甘いというか…。 長谷部を含む違憲論者がおかしいのは、個別的自衛権は合憲なのに、なぜ集団的自衛権だけが違憲なのか説明しないこと。同じ自衛権なのに、なぜ合憲と違憲と分けるのか。安倍政権は、あくまで自国の自衛のためにしか集団的自衛権を認めていないから、最高裁の砂川事件の判例にも合致するのは明らかだから、「自衛権の行使自体が違憲だ」「自衛隊の存在が違憲だ」と最高裁判例を否定すればいいが、それもしない。憲法9条の下で、自衛権を認めるためにかなり苦しい論理を展開した最高裁判例を否定する勇気のない半端な左翼学者に、集団的自衛権だけを否定する資格はないね。 編集者 なぜ自衛隊自体が違憲といえないかというと、国民から総スカンを食らうからですよね。 先生 そういうこと。国の存立のため自衛隊がなければならないのは、みんな分かっているから、否定できないんだよ。そもそも、自民党推薦の学者が違憲と言ったと騒いでいるけど、どの政党の推薦学者だということは、その説が正しいかどうかということには、まったく関係ない。 教授 反対の学者が多いというのも本質的ではありません。学説の正しさは学者の多数決で決まるものではありません。どんなに少数でも、正しい方が正しいのです。あえて多数決なら、民主主義ですから国民の多数決です。学者ではありません。そもそも反対している憲法学者は国際政治の現実も、安全保障の現場も知らない。一つの観点に過ぎませんね。関口宏氏、若者に“説教” 先生 TBS系サンデーモーニングは、この月も偏向がひどかったね。5月17日の放送でも安保法制を取り上げたけど、元防衛相の森本敏以外は、司会の関口宏以下みんな反対。毎日新聞記者の岸井成格は「事実上の憲法改正、安保改定」と非難するし、中央大学教授の目加田説子は「武力行使に道を開く」。マスコミが言うような海外での武力行使は安倍総理がしないと明言したのに、無視だよ。 編集者 でも、サンモニにしたら、森本さんを出演させているのは珍しいですね。わずかに偏向報道を改善していますね。 先生 首相補佐官の礒崎陽輔に、ツイッターで批判されまくったから、アリバイ工作したんだろ。 教授 森本氏は、せっかく出演したのに、ほかの出演者から袋だたきに遭っていましたね。(笑) 先生 沖縄の米軍基地移転問題をとりあげたコーナーも、メチャクチャだったぞ。基地の前にいる反対派には本土の運動家がたくさんいるのに、フォトジャーナリストの安田菜津紀が「ゲート前で座り込みをしている人達の気持ち」を一生懸命語るし、時事通信解説委員長の軽部謙介にいたっては「沖縄の側に立つ政治家がいない」。日本国憲法には、国会議員は「全国民を代表する」と書いてあるだろ。たとえ沖縄でも、一部の県民だけの利益を代表してはいけないはずだ。最後は、関口が「ぜひ若い人達に色んなことを分かってもらいたい」だって。お前こそ、少しは分かれよ。 教授 この番組はスポーツコーナーの人気が高くて、いい企業がだまされてスポンサーにつくらしいです。スポンサー企業も、もっとよく考えてほしいですね。 先生 安保法制では、朝日新聞が反対一辺倒の大キャンペーンをしている。2~3日に1回は社説でも安保法制。6月9日付の社説は「『違憲』法制-政治権力は全能ですか」の見出しで、「自省と自制を欠き、ブレーキのはずれた人たちに、国の存立がかかった判断を委ねられるか」。完全に慰安婦問題誤報の反省は忘れている。 女史 自省も自制も忘れて、ブレーキが外れたのはどっちよ? 教授 マスコミは自分たちの知性を過信して暴走し、どんどん常識から離れていっています。これこそ、まさに反知性主義が批判するインテリの傲慢でしょう。 先生 ただ安倍総理も、自衛官のリスクが増すということは初めから国民に伝えるべきだったと思う。危険が増せば国民も自衛官をより尊敬するし、自衛官も誇りをもってそれに応える。当初、リスクが上がることを認めなかったのは、いただけなかったな。 教授 「リスクが上がる」と単純に言うと、「危険だからやめよう」という間違った方向に国会審議が進むのを恐れたという側面はあるんだと思いますよ。右の内輪モメと朝日の訂正 先生 朝日新聞の話が出たから思い出したんだけど、かつて蜜月だった田母神俊雄とCS放送の日本文化チャンネル桜代表、水島総が非難合戦をしていることを報じた朝日が、訂正を出していたな。朝日は右派論壇の内輪もめを面白いと思ったんだろうが、正確に報じないとな。これは産経新聞や正論など保守メディアも同じだぞ。左右の論争はいいが、ただの茶化しや悪口になってはいけない。 女史 田母神さんがツイッターで「水島氏が自分の言っている事に自信があるなら是非私と同席のテレビ番組で言い分を述べて欲しい。私が不在のチャンネル桜で一方的に私を糾弾することは卑怯である」とつぶやいてたね。 先生 水島はCSという公共の電波を使っているのに対し、田母神は主にツイッター。不公平だと感じるんだろ。それはそうかもしれない。ただ、チャンネル桜の視聴者より、田母神のツイッターを読んでいるフォロワーの方が数が多いだろうから、どっちがどうか、分からんけどな。 編集者 いずれにしろ、事実関係は私には分かりませんので…。 女史 口数少なっ。二人とも正論の常連筆者だから板挟みだね。彬子さまインタビューの裏側 先生 正論7月号に彬子女王殿下でインタビューが掲載されていたが、薨去されたお父上の寛仁親王殿下へのお気持ちが伝わってきて、とてもいいお話しだったな。 編集者 インタビューした者の一人としても光栄です。 先生 ただ、その10日後に発売された文藝春秋7月号に掲載された女王殿下の御手記には、お母上への批判があったのに、正論では、それに一言も触れられていなかったな。週刊新潮6月11日号が「『彬子女王』が月刊誌に書かなかった母『信子妃』」という記事を載せていたが、あれは正論も取材不足が皮肉られてんじゃないか。 編集者 天下の週刊新潮に広告も出していないのに、「正論」の名前を出してもらい、写真まで載せてもらいましたから、いい宣伝になったんじゃないですか。 女史 志、低すぎっ。 編集者 文藝春秋の御手記は批判部分はほんの少しなのに、編集部は、そこだけ大きく見出しにとりました。煽り過ぎですよ。週刊誌じゃないんですから。私たちも当然、彬子女王殿下がそういう感情をお持ちのことは存じ上げていましたが、畏れ多くておたずねするのは避けたのです。 女史 遠慮したのかー。でも文藝春秋には出ちゃった。 編集者 まあ、文藝春秋は総合雑誌の雄で、以前から皇族方のインタビューも載るし、天皇、皇后両陛下が外国をご訪問されたときは、侍従長の手記が載ります。 教授 正論が気後れするほど文藝春秋が権威ですか(笑)。ただ、皇族方は必ずしも有名な雑誌に登場されるわけではないし、そもそも、皇族ではなく誰であろうと、本当に語りたいことがあれば、少々、無名な雑誌でも出たがるはずですよ。たとえば週刊金曜日の6月12日号には、阪田雅裕氏ら内閣法制局長官の経験者が2人が登場して、安保法制や安倍政権を批判しています。この雑誌は一部の過激な左翼以外にはあまり読まれていない。本来なら法制局長官クラスの高級官僚OBが登場する雑誌ではないけど、それでも発言したいから出てくるわけです。 編集者 しかし、彼らは集団的自衛権の悪口が言えれば、なんでもいいのではないですか。左翼雑誌以外からは、不信の目で見られていると思いますよ。 教授 確かに、反知性主義を恐れる彼らは、国民から自分たちの非現実的な意見が見放されないか不安なのかもしれませんね。 先生 BSフジのプライムニュースは、相変わらずフジテレビにあるまじき報道をしている。6月3日の放送では、韓国で「佳子内親王殿下を慰安婦に」という大暴論を、東海大学准教授の金慶珠が「韓国人になりすました日本人の仕業」と言い放った。 女史 これはサイテーだね。 編集者 フジサンケイグループとしても、許せない発言です。生放送の終わり際に、勝手に発言したために、番組では、どうしようもなかったのだと思います。 先生 確かに翌4日の放送で、キャスターの反町理が訂正したが、この日は、中国の朱建栄が、南シナ海の南沙諸島で進められた埋め立て工事について「軍事基地ではない」と言い張った。誰が見ても軍事目的だし、中国だって認めているのに、ウソばかり! 5日も中国人の見方で凌星光が「中国の軍事費は対GNP比1・3%」と強弁してた。いい加減な中国当局の情報を垂れ流しているんだ。 教授 朱建栄氏は厳密に言うと、中国当局の見解と違いますね。いいんですかね。また、本国で拘束情報が流れたりして。(笑) 先生  フジテレビはいい番組もあるけどな。5月22日のドラマ「連続企業爆破テロ40年目の真実」も見ごたえがあった。40年前に産経新聞が連続企業爆破事件の逮捕の方針を報じたスクープの裏側をドラマ化していた。元社会部記者である編集者の先輩記者が果たした歴史的スクープだろ。後輩として感想を聞かせてくれよ。 編集者 え? そういえば、そんなドラマやってたような…。 女史 みてないの? 編集者 裏番組で面白いお笑い番組を放送していたので…。 教授 編集者の「反知性主義」は、ちょっと深刻ですね…。(文中敬称一部略)

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    「反知性主義」を鍛え直す

    反知性主義論の系譜  「反知性主義」という言葉が近年にわかに注目を浴びるようになり、今年の流行語大賞の候補になるかもしれないという。この言葉をテーマに本や雑誌の特集が組まれ、わたしも何度かその執筆に加わった。ただ、それらの特集は、「反知性主義に陥らないために」などと銘打たれており、この言葉が人々にどのような意味で受け止められているかをよく示しているものの、それがわたしの理解とは大きく異なっており、執筆に躊躇を覚えることもあった。その執筆依頼の趣意書に拙著が引用されたりしていれば、なおさら居心地が悪い。『反知性主義』森本あんり著(新潮社) すでに何度かインタヴューや対談で語ったことだが、わたしの『反知性主義』(新潮社刊)は、こうした近年の「反知性主義」論ブームとはひとまず無関係に書かれたものである。同書で説明したように、「反知性主義」という言葉には特定の名付け親がある。 1950年代のマッカーシー旋風をきっかけに、アメリカの反知性主義の歴史をたどったホフスタッターがその人である。以後このテーマは、アメリカ研究の分野ではしばしば論じられてきており、たとえば5年前のアメリカ学会でも、わたしを含む4人の研究者によるシンポジウムで取り上げられている。もちろん、反知性主義などという言葉が日本のメディアに登場するずっと以前のことである。 今回のわたしの著書は、自分がそれまでに考えたり書いたりしてきたことを一般向けに書き直したもので、たまたまその刊行時期が別の著者たちによる反知性主義論と重なったまでである。日本に反知性主義はあるのか 言葉というものは時代や文脈ごとに新しい意味を獲得し内容を変化させてゆくので、「反知性主義」という言葉が以前とはまったく別の意味をもって使われるようになったとしても不思議ではない。わたしはこの言葉を使う者がすべてアメリカ史における用語法を踏まえるべきだと主張したいわけでもないし、半世紀前の議論を今後もそのまま繰り返していればよいと考えているわけでもない。 ただ、以上のような経緯から、「現代日本の反知性主義をどう考えるか」などと質問されると、やや醒めた答え方をせざるを得ない。それぞれの論者がこの言葉に盛りつけている意味が曖昧なままで、結局は各自が自分なりの定義による同語反復の議論を繰り広げるばかりだからである。 もしこの言葉を本来的な意味で受け止めるなら、問われるべきなのはむしろ、現代日本に反知性主義と呼べるものが存在するのか、ということでなければならない。 教育社会学者でちょっとダジャレ気味の竹内洋によると、日本にあるのは「反」知性主義ならぬ「半」知性主義だけである。筋金入りの知性主義がないところでは、それに対抗すべき先鋭な反知性主義も生まれない。そして反知性主義の批判に晒されることのない知性主義は、自らを研ぎ澄ます機会をもつことなく鈍磨してゆく。現代日本がかつてのような知的生産力を失って閉塞状況にあるとすれば、それはこのような悪循環がもたらした当然の帰結だろう。反知性主義が蔓延しているからではない。反知性主義が足りないから、知性が前進しないのである。反知性主義に必要な腹の括り方 では、なぜ日本に反知性主義が根付かないのか。それは、反知性主義に必要な覚悟や信念がないからである。知性のヘゲモニーに対抗するには、それに負けないだけの精神の力が必要である。知性は権力と結びつきやすい。そして、権力と結びついた知性は固定化し、特権階級化し、自己永続化を図る。反知性主義とは、このような結びつきに楔を打ち込もうとする努力である。したがってそれは、知性そのものや知性の本来的な活動に対してではなく、それが結びついた権力に対する反対でなければならない。初期のハーヴァード大学の紋章 ピューリタニズムに始まるアメリカ史では、これは「ハーヴァード主義・イェール主義・プリンストン主義」に対する挑戦となる。これら東部のエリート大学の出身者がどのようにして徹底的な知性主義を築き上げたか、かつそれにも関わらず、その権威に対して何の学歴もなしに昂然と立ち向かうことのできる精神がどのようにして立ち現れたか、ということが焦点となる。このように峻厳で創造的な相克の歴史からすると、日本が「学歴社会」であるというのもまた微温な幻想と言わざるを得ない。 知性が結びつく相手は、学問や政治の権力ばかりではない。芸術や宗教の分野にもあり、芸能界やスポーツ界にもある。人々はそれを「伝統」「通説」「巨匠」「大家」などと呼ぶ。権力という鎧を身にまとった知性は、まさにその故に硬化し、自らも発展や改革の余地を失ってしまう。だから反知性主義は、知性の刷新と進化をもたらすのである。反知性主義が掲げる「知性への反対」は、あくまでも「既存の」知性への反対である。それは、知性そのものの蔑視や欠如であるよりは、「新たな知性」の模索と開拓である。 ここで思い出されるのが、日本人は「異端」好きだ、という丸山眞男の言葉である。ただしそれは、居酒屋の隅で「どうせオレは異端だから」と愚痴をこぼすだけの「隅っこ異端」である。正統に挑戦するだけの胆力もなく、表舞台では既存の正統とお行儀よく共存してしまう異端である。反知性主義を掲げるなら、こんなチープな異端であってはならない。無責任な万年野党の独り言であってはならない。それは、「学界の風雲児」などとマスコミにもてはやされることでもなく、そもそも異端を標榜することではなく、正々堂々と「正統」を名乗り出ることである。当該分野の内部で「自分こそが王道である」と正面切って立ち上がり、その言葉に自分の存在をかけることである。そういう覚悟もなしに、反知性主義を標榜するのは滑稽である。不屈の巡回伝道師アメリカ批判の根拠としての神学 そのような正面切っての挑戦に必要な精神の根拠を与えてくれるものは何か。アメリカ史では、それは宗教的確信であった。反知性主義のうねりは、アメリカ社会を繰り返し大きく変貌させてきた平等主義的な信仰復興(リバイバル)の波となって現れた。だから反知性主義の由来を尋ねることは、アメリカのキリスト教史を追うことになるのである。リバイバル集会では、大銀行の頭取とすすけた炭坑夫が同じ粗末なベンチに並んで座る。どちらも神の前には一人の罪人にすぎず、どちらも恵みによって救われるべき尊い人格だからである。反知性主義は、このラディカルな平等主義を養分として成長した。 なお、日本では「欧米」と一括りにされるが、「欧」と「米」ではキリスト教の形態はまったく異なる。アメリカは、何とかして旧世界たるヨーロッパから知的にも宗教的にも独立したいと願い続けた国である。アメリカをキリスト教の「本家」や「本場」のように考えている人があるが、もはやそういう時代ではない。そして神学は、アメリカ批判の根拠を手に入れるために必須の学問である。アメリカのキリスト教を批判することなくして、アメリカの中枢を批判することはできないからである。 考えてみると、「学者・パリサイ人」という当時の知的・宗教的権威にラディカルな否定を突きつけたのは、イエスであった。その点ではお釈迦様も同じだったし、性質は異なるがムハンマドもそうである。宗教的な確信は、地上の権力を怖れない。ものわかりのいい仏教とか、飼い慣らされたキリスト教とか、牙の抜けたイスラム教だけの世界には、反知性主義は育たないのかもしれない。

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    宗教的情熱こそが「反知性主義」の原点である

     最近、「反知性主義」という言葉を目にしたり、耳にしたりする機会が多くなった。 よく読んでみると、この「反知性主義」という表現は「バカ」や「無知」の言い換えに過ぎない場合が多い。 要するに、「あの人はバカだ」、「あの政治家は無知だ」というのでは、あまりに品がないから、「あの人は反知性主義的だ」などと表現することが多い。確かに、「バカ」と罵るよりも「反知性主義だ」と批判した方が、上品そうに感じる。 しかし、本来、「反知性主義」とは、独特の意味合いを持つ言葉であり、ただの「バカ」や「無知」とは異なる概念だ。 この独特な意味をもつ「反知性主義」を分かりやすく解説したのが、森本あんり氏の『反知性主義』(新潮選書)だ。 残念ながら、有識者とされる人々が某誌で「反知性主義に陥らないための必読書」などというタイトルで、様々な本を列挙していたが、言葉の本来の意味を意識しながら、必読書を推薦していた人は、極少数にとどまっていたように思われる。「反知性主義」をただの「バカ」や「無知」とのみ認識している人が余りに多い。 森本氏に従えば、「反知性主義」という言葉は、1952年の大統領選挙の際に誕生した言葉だという。共和党の候補者がアイゼンハワー、民主党の候補者がスティーブンソン。スティーブンソンは、プリンストン大学出身の俊英であった。これに対して、アイゼンハワーはノルマンディー作戦を指揮した将軍として名をはせた人物ではあったが、知的には凡庸とみなされていた。 結局、この大統領選挙は、知的に凡庸とされたアイゼンハワーの圧勝に終わる。アメリカ国民は、知的に優れたスティーブンソンより、アイゼンハワーを選んだのだ。 何だ、そういうことなら、日本でもあるではないか、と思われた方もおられるだろう。 例えば、戦後の日本で圧倒的に人気のある総理大臣は田中角栄だ。彼は小学校しか出ていないにもかかわらず総理大臣にまで登りつめ、「今太閤」とも呼ばれた。「金権政治の権化」のように批判されることも多いが、現在に至るまで、「田中角栄が好きだ」と公言する人は多い。逆に、インテリ、秀才と目された宮澤喜一のことを好きだという人はすくないだろう。語学に堪能なインテリ政治家、宮澤喜一は日本国の大衆の心を掴むことは出来なかった。田中角栄には人間としての温かみを感じるが、宮澤喜一からは、冷たい雰囲気しか伝わってこないと、多くの日本国民は感じていた。中曽根総理・田中角栄会談後、イヨッ!のポーズでホテルを出る田中角栄=1983年10月 従って、政治家が知性のみで選ばれない、という現象は、アメリカ独自の現象ではない。民主主義社会において、政治家を選ぶ基準は「知性」のみではない。これは当然の話で、知性のみで政治家が選ばれるのならば、選挙ではなく、試験を課せばいいということになるだろう。 アメリカの「反知性主義」の特徴は、それが宗教的な概念であるということだろう。 「キリスト教」と一口に言っても、その教えは様々だ。カトリックとプロテスタントという区分くらいは、多くの日本国民に知られているが、その中にも様々な教えが存在している。 「反知性主義」の根底に存在するのは、神の前では、全ての人々が平等であり、知性の有無によって人間の価値は変わらないという強い信念だ。 アメリカでは、当初、牧師になるのは教養溢れるインテリというふうに相場が決まっていた。大学でキリスト教神学を専門的に学んだインテリたちが牧師となった。ハーバード大学などの名門校出身のインテリが牧師となって、人々に説教をした。従って、教会では、大衆には理解するのが難解な説教が行われていた。 こうした「知的な宗教」に反旗を翻す「信仰復興運動」こそが、アメリカの「反知性主義」の原点なのだ。 自分たちの信仰は、本物といえるのだろうか。 そういう、素朴な疑問に多くの人が陥り、宗教的関心が一気に高まる現象が、アメリカでは起る。この際に登場するのが、極めて雄弁で、反権威的な宗教者だ。人々の心を鷲掴みにし、従来の権威を否定する。神は知性の有無によって人間を区別しない。ただ、純然たる信仰のみが人間を救う。これが彼らの信仰の核心だ。 彼らは多くの牧師たちが行ったような難解な説教はしない。誰にでもわかりやすい説教を行う。洋の東西を問わず、大衆は、わかりやすい表現を好む。多くの人々が熱狂的に、素朴な信仰を尊ぶようになる。 神の前では、知性の有無は無関係であり、ただ信仰が重要である。 こうした信念こそが「反知性主義」の原点なのであり、それは単純な「バカ」や「無知」とは異なる概念なのだ。 日本において「反知性主義」を「バカ」や「無知」の言い換えとして理解していても無害だろうが、今でもアメリカを動かし続ける「反知性主義」をそのようなものとして認識するのは誤りだ。 森本氏の著作を一読することを強くお勧めしたい。

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    安倍晋三政権の「反知性主義」

    「反知性主義」とはもともとアメリカのキリスト教原理主義者達が進化論等の科学的分析に対し反発した事等を指したものでした。かなりの社会的地位のある人達が平然と科学的分析を否定し、キリスト教の絶対性を説くといった現象は他の国にはあまり見られないものでした、アメリカ建国以来、何度かにわたって訪れたリバイバリズム(信仰復興運動)とも密接な関係があるとされています。 アメリカという国自体、旧イングランドを脱したピューリタン達が神との新しい契約のもとで「新しいイングランド」を創設するという壮大な実験でした。そしてそのリーダーシップをとったのは高学歴の牧師達でした。彼等は入植後わずか一六年で牧師養成機関としての大学、ハーバード大学を作ったのでした。知性を重んじるこうした動きは、次第に権威と結びつき、アメリカのエスタブリッシュメントになっていったのです。 こうした権威に対して民衆に信仰を取り戻すという運動として、新たな布教運動が拡がっていったのです。その主導者達は教会を持たず牧師の資格も持たず命がけで土地・土地を巡り布教活動をしていったのでした。大衆をターゲットにし、神の前の平等を説く彼等の辻説法は、人口が爆発的に増え、同時に生まれた字も読めず教養もない層に熱狂的に受け入れられたのでした。それが反知性主義の原点であり、極端に言えば、アメリカという国の原点だったのです。つまり、アメリカの反知性主義はアメリカ的宗教革命だったということもできるのでしょう。 そして、反知性主義は大衆民主主義(マス・デモクラシー)が拡大する中で権力が大衆に媚(こ)びる手段にもなってきたのでした。知識人、あるいはインテレクチュアル、は社会のエリートであっても少数派です。知性主義を否定し、法の前の平等、実用主義等を説き、権力が直接大衆にアッピールするためには反知性主義は有力な手段の一つにもなりうるという訳なのです。 そして、現在の日本。2015年6月8日、文部科学省はこれまでの学部を「社会の要請」にあわせて見直しを行うように全国の国立大学に対して通知を行ったのでした。中でも、文学部をはじめとした人文系の学部、大学院に対して廃止や配置転換を求める意向だと理解されています。社会に直接役に立つ理系の学部を拡張し、人文科学系を縮少し「社会の要請」に答えるというのですが、こうした即物的プラグマティズムで学問を評価してしまう事は、まさに反知性主義であり、学問そのものの深い意味を否定することではないでしょうか。日本武道館で行われた東京大の入学式=4月13日、東京都千代田区 古代ギリシャでは「哲学」は学問一般を意味し、認識論、倫理学、存在論等を含むとされていました。まさに学問一般の原点が哲学だったのです。哲学を意味するフィロソフィーは直訳すれば愛智学。ソクラテスやプラトンが確立した学問の原点でした。 しかし、今回の文科省の通知はその哲学を含む人文科学系の学問の縮少を意図しているもののようなのです。長い一六世紀(1450年~1640年)から続いてきた近代資本主義が終焉を迎え、新たな地平を求めなければならない現代は、従来にも増して本来の「哲学」が求められる時代ではないでしょうか。フランスの歴史家マルク・ブロックは現代が「かつてないほどに哲学的な問いに直面する時代」だと言っています。 世界的にも人文科学系学部の縮少の動きが起こっているようで、2010年には大陸哲学研究で知られるミドルセックス大学哲学科が廃止の危機に瀕しています。その時、多くの世界的哲学者達、スラヴォイ・ジジェク、エティエンヌ・バリバール、デヴィッド・ハーヴェイ等が強い抗議の意を表明しています。哲学をかつてない程必要としているこの時代、逆に哲学研究は世界的に軽視されてきているのです。 日本では長い間、特に第二次世界大戦後、大学の自治、学問の中立性が重んじられてきました。たしかに、哲学や文学は直接的、短期的には社会に「役に立つ」ことはないのかもしれません。しかし、長いスパンで見た時、その役割は極めて大きなものだといえましょう。こうした人文科学の中長期的な役割を守るためにも、大学の自治、学問の中立性は守られるべきです。文部科学省のその時々の政策によって大学の内容や学問のあり方が変わってしまうのは問題だと言わざるをえません。学問は「政治的」であってはならないからです。 もちろん、大学は独善的であってはなりませんし、大きな時代の流れには対応して行くべきでしょう。しかし、その事と短期的に社会の役に立つべきだということとは全く別のことです。役に立たないと言われる学問を根気よく続けることも、又、大切なことなのではないでしょうか。そして理系の学問に比べ人文科学系の学問は相対的にはそうした性格を持っているといっていいのでしょう。日本の大学では長く最初の2年を教養を身につける期間として専門分野に入る前に幅広い分野の学科、特に人文系の学科を課してきました。近年、専門性を重んじるあまりそうした教育を軽視する傾向が若干強まってきたことは残念なことです。専門的に深い知識を身につけることと、幅広い分野に通じていることとは両立しますし、両立しなくてはなりません。専門的知識さえ身につければいいという考え方は、ある意味では、「反知性主義」だということができるのでしょう。本物のインテレクチュアルは深い専門知識を持つとともに、幅広い知識を持つ人達でしょう。かつてのレオナルド・ダ・ヴィンチ、あるいは、アルベルト・アインシュタインはともに深く幅広い知識を持っていました。そして人文科学的教養はそうした幅広く深い知識のベースになるものなのでしょう。

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    保守かリベラルか

    翼」と色分けすることに何の意味があるのか。二項対立を煽る構図は建設的な議論の妨げになりはしないのか。イデオロギー論争を考える。

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    世界とは全く異質の「日本のサヨク」

    ている職業人には、他に生活の術がない。たとえば進歩的を自称する大新聞やその他のマスコミ関係者、特定のイデオロギーを固守する原理主義政治家、教育という職業の本分を放擲して自らの地位向上と保全だけに力を注ぐ日教組かぶれの教育者はその典型である。 戦後の日本人に自虐精神を植え付けた西欧文明一辺倒の一流知識人は、功なり名を遂げることが出来たが、後発の二代目知識人はこの先も自らの職業的命脈が尽きるまで、自虐精神を拠り所にして祖国を誹謗し続けることができるだろうか。 さて、この特殊な環境で育った日本の知識人の多くが、現在も知的職業といわれる仕事に就いたままである。列挙すると学者、評論家、高級官僚、教育者、マスコミ業、労組職員などである。もちろん彼等の中には、それぞれの職業の現場において、次第に現実に目覚める者がないわけではない。しかし、それ以外の多くは、現実とは無縁の思考と行動のままである。この実態こそ、日本のサヨクが特殊扱いされる所以である。関連記事■ 当たり前のことを言える時代 風向き変わり萎縮する左派言論人■ 「紀元節は嘘だらけ」日教組教師発言に見る左傾■ 「タカ」も「ハト」も不毛だ