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    テレビをダメにした年寄りへ 倉本聰が『やすらぎの郷』に込めた思い

    影山貴彦(同志社女子大学情報メディア学科教授) 私が放送業界を強く志すきっかけとなった方が3人いる。 おひとりは筑紫哲也さん。新聞と放送を近づけた大きな功労者だろう。彼ほど華のあるジャーナリストにいまだ出会ったことがない。偉ぶったところがなく、文化・エンターテインメントに造詣が深くいらしたのも大好きなポイントだった。テレビ復帰会見を行った久米宏氏=2005年2月1日、東京(高橋朋彦撮影) もうおひとりが久米宏さん。久米さんに関しては『ニュースステーション』のキャスター(ご本人は「ニュースの司会者」と表現されていたが…)時代もさることながら、『ぴったしカン・カン』、『ザ・ベストテン』などエンターテインメント色も満載で、テンポ、ユーモア、知性ある司会に思いきり傾倒した。筑紫さん、久米さんと同じ大学、同じ学部、同じ学科に進みたい一心で、嫌でしかたなかった受験勉強に精を出したものだ。 そして3人目が、今回のテーマに直結する倉本聰さんである。現在活躍するあまたの脚本家の中で最大級に好きであるだけにとどまらず、すべての放送業界人の中でもっとも尊敬していると言っても過言ではない。倉本聰の名をはっきりと認識できていない子供の頃から、彼の書いたドラマのセリフが心に突き刺さり、何度も頭の中で反芻(はんすう)していた筋金入りのファンなのだ。心に深くとどまり、長らく離れないセリフを書く脚本家、それが倉本さんだ。 彼の手掛けたドラマや映画を真剣に見て、シナリオ本やエッセー本をむさぼるように熱中して読んできた。私にとって、存在すべてが放送業界のお手本のような方である。大学教員となった今、時折講義で『北の国から』など倉本作品を取り上げる。時代を越えて、学生たちも感じるところが大きいようだ。涙を浮かべながら画面に見入る教え子も少なくない。 テレビ朝日系の『やすらぎの郷』が今回のお題であるが、以上のようなわけで、今回の短文は倉本さんへの憧憬(しょうけい)に終始した個所もあるかもしれない。ご海容賜れば幸いだ。 2クール(半年間)の昼の帯ドラマとして4月にスタートした『やすらぎの郷』。1カ月を残すのみとなった。毎回毎回引き込まれている。もちろん1度も見逃したことはない。大学の教え子くらいの若者にとっては知らない場合もあろうが、かつて帯ドラマといえば、別にNHKの専売特許ではなかったのだ。 昨年の春、惜しまれながら幕を閉じたフジテレビ系(東海テレビ制作)の昼の帯ドラマは記憶に新しいが、TBS系(TBS、MBS、CBC各局が制作)でも長らく帯ドラマを作っていたし、日本テレビ系やテレビ朝日系、そしてテレビ東京系でも帯ドラマが放送されていた時期があった。テレビ黎明期は別として、ここ数十年のテレビ放送の歴史の中で、民放の帯ドラマが全く放送されていなかったブランクの時期は、東海テレビ制作のドラマが終わってから『やすらぎの郷』がスタートするまでの1年間だけだったともいえる。データに縛られるテレビ界こそ時代遅れ 少し自分のことを記す。私は20代の後半、アシスタントディレクター、アシスタントプロデューサーとしてドラマ制作に携わった。 帯ドラマも担当した。本当に今思い出しても恥ずかしいくらい、出来の悪い作り手だったが、目を開けている時間はすべてドラマの仕事をしていた時期でもあった。真夜中に翌日のロケの打ち合わせをしている際、さっきまで大声で元気よくしゃべっていたプロデューサーが突然2秒で寝てしまい、いつ再び起きるかもわからない彼が起きるのをじっと待ったこともあった。それくらいハードな毎日だった。 けれど作り手時代のことを思い出すと、なぜかその頃のエピソードが多く、実際学生たちに講義で話して特に食いつきがいいのは、そんな未熟な作り手時代のドタバタ話である。きっと現在の若きドラマの作り手たちも、当時の私と似たような日々を送っているに違いない。心からエールを送りたい。 ドラマ、特に帯ドラマは、莫大(ばくだい)な時間、人材、お金を必要とする。局の上層部らは「金食い虫」でありながら、時代の流れとともに目立った視聴率を上げることが少なくなってきた帯ドラマに見切りをつけ、手っ取り早く数字の取れる情報・バラエティー系の番組にシフトしたわけである。そうした判断が間違いだったかと問われれば、一概にそうとも言えないが、いずれにせよ『やすらぎの郷』は、そんな放送業界の「既成概念」にこのたび見事に風穴を開けてみせたのだ。まさにエポックメイキングな番組となった。 すなわち、この番組は民放に帯ドラマを復活させただけでなく、日頃テレビ局が決して重視しているとはいえない中高年層をメインターゲットとし、さらに華やかさとは程遠い印象の老人ホームが舞台という、普通に考えれば到底当たるとは思えない企画を実現させ、ヒットさせたという点で稀有(けう)な存在となったのだ。倉本聰さんをはじめ、ドラマ関係者の達成感、カタルシスはこの上ないものがあるはずだ。インタビューに応じる脚本家・倉本聰氏=3月16日、 東京(酒巻俊介撮影) テレビ局は今、かつてないほどデータに縛られている。データを何より重視し「失敗する確率の低い番組」の企画のみが視聴者の目に触れる。『やすらぎの郷』はデータに翻弄されることこそが時代遅れなのだと証明してみせたようにも思う。 倉本聰さんが『やすらぎの郷』で紡いだセリフのいくつかを、現在のテレビ界への恨み節だという人がいる。私は正反対に捉えている。このドラマは、実は現場の若きテレビマンたちへのエールなのだ。コンプライアンスにがんじがらめにされて、撮りたいシーンのひとつさえスポンサーの顔色をうかがい、視聴者からのクレームを恐れるあまり二の足を踏むようになってしまった今の作り手に、彼は愛あふれる「喝」を与えているのだ。倉本聰の強烈なメッセージ 今でも現場の若き作り手たちの中には、自分たちが本当に面白いと思えるものを制作したいという人々が数多くいる。けれど、その一歩を踏み出すことがなかなかできないでいる。また踏み出したところで、局の上層部の中には、部下をかばうことなく自らの保身に走り、うまく「逃げ切ること」に拘泥する人間が少なくない。現場の作り手はそのことに気づいてしまっているのだ。半ばあきらめにも似た空気が漂っている場合もあるという。 ドラマでは、放送業界に大いに貢献した人がお金を出さずして「やすらぎの郷」へ入居、生活できるという設定だ。かつて放送界で栄華を極めた元トップスターたちも暮らしている。数多くの名作を世に出した脚本家菊村栄(石坂浩二)もそのひとり。だが彼の日々はやすらぎとは縁遠く、さまざまな出来事が周りに起こる。それらは切なく、悲しいこともあるが、時にほほ笑ましく、実に面白い。ドラマを見ながら声に出して笑うことさえある。けれど大笑いしたあと、またしんみりとさせられるのだ。 「こんな施設が現実にあれば、ぜひ将来入りたい」、そう思いながら毎日見ているが、残念ながら私には入居資格がない。「元テレビ局の社員たちは入居資格なし」とドラマが始まって間もなく、倉本さんはセリフにした。なんと強烈なメッセージだろう。いいものを作ることを忘れ、金もうけや出世に走り「小金」を得た揚げ句、テレビをダメにした年寄りたちを倉本さんはもっとも忌み嫌っているのだと思う。「元テレビ局員」のひとりとしてそんな人間ばかりではないと信じたいところだが。 「現場の若き才能あふれる作り手のみなさん、そんな年寄りにだけはなるなよ。君たちが生きやすいように、仕事しやすくなるようにこれからのテレビのために道を少しだけつくっておいてやるよ」 そんな思いが『やすらぎの郷』には込められていると私は確信している。倉本さんの熱きメッセージを一過性のものにしてはなるまい。渡してもらったバトンをこれからの作り手たちがしっかり受け止め、心から面白いと思える番組を視聴者に1本でも多く提供し続けることが、未来のテレビにとって何より大切なことではないか。倉本さんにドラマを通して言わせるだけではテレビは変わらない。 私自身も熱くなりすぎた。『やすらぎの郷』での私のお気に入りのシーンをひとつ。 繰り返しドラマの中で登場する、石坂浩二さん、ミッキー・カーチスさん、山本圭さんの3人が海釣りを楽しみながら、とりとめもない会話を交わす場面がとても好きだ。 ああ、自分もこんな風に年を重ねてゆきたい、と新人類世代の私に思わせる深みがある。『やすらぎの郷』の一場面(テレビ朝日提供) 最後に。先だってドラマの撮影はクランクアップし、倉本さんの一声で、打ち上げは都内の撮影スタジオの会議室で行われたと報じられた。 ひとつひとつのセリフだけではない、打ち上げ会場のセレクトひとつにおいても倉本さんは、これからのテレビマンたちが大切にすべきは何かというメッセージを込めている。

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    石坂浩二と浅丘ルリ子の恩讐に『やすらぎの郷』ヒットの秘密がある

    肥留間正明(芸能評論家、ジャーナリスト) 『渡る世間は鬼ばかり』の会見に出席した石井ふく子(左)と橋田壽賀子=2016年9月1日、東京都港区 「ドラマの基本は何か?」 1990年から2011年まで放送された『渡る世間は鬼ばかり』の石井ふく子(90)プロデューサーにドラマが成功する秘訣(ひけつ)を聞いたことがある。 「ドラマはまず脚本! 本がしっかりしていなければドラマの成功は考えられません。その上で適材適所の役者がそろって、初めてドラマは成功します」 『渡鬼』の脚本家である橋田壽賀子(92)は、NHK朝のテレビ小説『おしん』の脚本を担当した大ヒットメーカーでもある。おしんの波瀾万丈な人生を描き、いまでも中国で人気のあるテレビドラマだ。亡くなった藤岡琢也、宇津井健(いずれも故人)をドラマの要となる父親役の岡倉大吉に起用し、泉ピン子を主役として20年間に及ぶ高視聴率ドラマを作り上げた。 同じように『やすらぎの郷』も『渡鬼』の基本をすべて踏襲している。脚本は『北の国から』の倉本聰(82)。『北の国から』の脚本は、単なるウケを狙わず、長期的展望に立った大河ドラマ的な描き方をしている。 倉本聰の脚本を田中邦衛(84)などの俳優が、延々と演じた。中でも黒板純役の吉岡秀隆(47)は、11歳から32歳になるまでを演じていた。 視聴者は純の成長を吉岡に重ね合わせた。そして『北の国から』が終わった後、俳優としての地位を確立し、『Dr.コトー診療所』などのテレビドラマだけではなく、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』でも独特の演技を見せている。  『やすらぎの郷』は、期待されてスタートした番組ではなかった。持ち込んだフジテレビに蹴られ、最後に拾ってくれたのがテレビ朝日だった。しかも放送されるのは昼の15分枠。視聴率が低迷する『徹子の部屋』直後の番組として穴埋め的にスタートした。その裏にはテレビ朝日、早河洋社長の英断があった。大英断の裏側にあるもの なにしろ出演者は栄光のシルバースターのオンパレード。主役のシナリオライター役の石坂浩二(76)、浅丘ルリ子(77)、有馬稲子(85)、加賀まりこ(73)、五月みどり(77)、ミッキー・カーチス(79)、八千草薫(86)、山本圭(77)、藤竜也(75)など大物俳優は70~80代。だが、演技は申し分ない。 さらに入居者の藤木孝(77)、山谷初男(83)、毒蝮三太夫(81)、伊吹五郎(71)、冨士眞奈美(79)などの個性派の演技に劣化は見られない。60年代から70年代にブレークした俳優、タレントたちがシルバー人生の苦悩と喜び、人生の終焉(しゅうえん)を演じる。やすらぎの人生を送った出演者のうちの1人である野際陽子(享年81)は、ドラマの進行と同時に他界している。『やすらぎの郷』の一場面(テレビ朝日提供) 共演している石坂浩二と浅丘ルリ子は、実際に夫婦だったが離婚している。2人は文京区の川口アパートメントの同じ間取りの上下の階に住み階段を作って行き来して、マスコミの目を欺いた。シルバー世代は、自分の人生と重ね合わせて、石坂と浅丘の結婚、離婚を思い浮かべる。 一方、石坂と加賀まりことの交際は、当時の女性週刊誌のトップを常に飾っていた。スキャンダルの集中砲火の中を生き延びた加賀まりこの自由奔放さとたくましい人生をドラマに重ねてみる。 芸能界では離婚、交際したカップルの競演を避ける不文律があるが、それも恩讐(おんしゅう)のかなたに…。視聴者とすれば、色眼鏡をかけてみるとより面白い。芸能界はまさに魑魅魍魎(ちみもうりょう)だ。出演者たちは過去にとらわれず静かに青春時代を振り返りながら、思い出を楽しんでいるように見える。 そういえば五月みどりさんの「♪おひまなら来てよね…」が大ヒットしたっけ。 現在の民放を見回すと、同じような顔に見えるテレビ芸人の独壇場だ。高齢者が見る番組がほとんどない。高齢者はNHKのニュース番組に大河ドラマや演歌番組、そしてワイドショーを見る程度で、見たい番組が見当たらない。その高齢者が『やすらぎの郷』の視聴率を支えている。若者はテレビよりネット、その一方で高齢者はテレビだ。テレビ局は視聴者を間違えている。テレビに活力を取り戻す 確かにシルバー世代に向けたドラマは皆無だ。だが、北大路欣也(74)、泉谷しげる(69)、志賀廣太郎(68)出演のテレビ東京の『三匹のおっさん』は高視聴率をたたき出した。テレビ東京系『三匹のおっさん3』の制作発表に出席した左から志賀廣太郎、北大路欣也、泉谷しげる=2017年1月15日、東京・千代田区 シルバー世代の井上陽水(68)のコンサート会場は常に満席、陽水ファンは『氷の世界』『傘がない』をカラオケで熱唱する。演歌など全く歌わないしシルバー世代も多い。「やっと時間ができた、人生はこれからだ!」と、登山、自転車のロードレースに打ち込む団塊の世代も珍しくない。 シルバー世代は消え行く人生の敗北者ではない。戦後の日本経済の復興を果たした60年代、そして70年代のバブル期を構築してきたパワー溢(あふ)れる勝者でもある。同じように『やすらぎの郷』の俳優たちは、時代を作り脚光を浴びた名優たちだ。「人生はこれからだ!」シルバー俳優たちからこんな声が聞こえてくる。 『やすらぎの郷』は離婚と結婚などの冠婚葬祭、家族との絆、遺産、恋愛、認知症、死への恐怖…など、「老い」をテーマにしている。燃え尽きるまで生きる、貴重な人生のお手本がこのドラマにある。 主題歌の『慕情』を歌う中島みゆきも良い。彼女の歌を聴くと体全体から躍動する力が湧いてくる。この主題歌が『やすらぎの郷』の側面を支え、勇気と希望を与える。 このドラマは昼の時間帯で終わる番組ではない。高視聴率はテレビの意識を変える。シルバー世代が酒を飲み始める午後5時、6時の時間帯への出世も考えられる。 『やすらぎの郷』のヒットの原因は、いろいろな側面から考えられる。その中でも大きいのは、戦前世代との世代交代だろう。50年から70年代にかけて少年期を過ごした世代は、ジャズを発見し、プレスリーのアメリカンポップスに目を丸くした。そしてビートルズの襲来、エレキに親しみ、GS(グループ・サウンズ)のザ・タイガースを生み、沢田研二に熱狂している。戦後世代は、欧米の音楽、映画、演劇を取り入れ、新しい文化と生活を構築してきた。 彼らはいま、「やすらぎの世代」の真っただ中に生きている。『やすらぎの郷』ヒットの背景には、戦後の復興を突っ走った彼らの年齢を超越するたくましさがある。

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    『やすらぎの郷』が炎上ドラマを狙ったワケ

    「元テレビ局の社員は入居する資格なし」。これは老人ホームを舞台にした昼帯ドラマ『やすらぎの郷』の設定である。過激なセリフや喫煙、賭け麻雀など、最近のドラマでは有り得ない挑発的なシーンが話題を呼ぶ。「今年最大の問題作」とも言われる脚本家、倉本聰ワールド全開の炎上ドラマはなぜヒットしたのか。

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    テレビ業界の内輪ウケ、『やすらぎの郷』に広がるウンザリ感

    鈴木祐司(次世代メディア研究所代表) 今年の春改編でテレビ朝日が昼に新設した帯ドラマ『やすらぎの郷』。「2017年、酸いも甘いもかみ分けたシニアたちが楽しむシルバータイムドラマ」のスタートだった。 脚本は82歳の倉本聰。そして主人公の石坂浩二(76)をはじめ、浅丘ルリ子(77)、加賀まりこ(73)、八千草薫(86)、有馬稲子(85)、五月みどり(77)など、かつてテレビや銀幕で大活躍した俳優が続々と登場する。  このドラマは放送開始後、高く評価する記事が目白押しとなった。  「『やすらぎの郷』から目が離せない!“ドタバタコメディ”を成立させた役者たちの人生の厚み」、「早くも話題騒然、視聴率も絶好調  今年最大の問題作『やすらぎの郷』を見逃してはいけない」、「倉本聰脚本『やすらぎの郷』は、ゴールデンを凌駕するシルバータイムドラマ!?」、「今、日本で最もヤバいコンテンツは昼ドラ『やすらぎの郷』だ」…。 中には5月末以降で、20本以上も『やすらぎの郷』を持ち上げる記事をヤフーニュースに寄稿したフリーライターもいた。 しかし、筆者の感覚では、大御所が書き、多くの大物俳優が出そろっているために、ドラマの実力以上に褒め過ぎている記事が大半と見える。視聴者の見方を冷静に分析すると、このドラマはそこまで褒められる代物ではない。  まず、視聴率の動向を、NHKの朝の帯ドラマ『ひよっこ』と比較しながら見てみよう。『やすらぎの郷』第1週の平均世帯視聴率は7・4%。前年は『ワイド!スクランブル第2部』が放送されていたが、これと比較すると2%ほど高い数字となっていた。極めて順調な滑り出しだったと言えよう。 一方、『ひよっこ』の第1週は19・4%。20%割れでのスタートを、多くのネットニュースが取り上げた。ところが第2週以降を比較してみると『やすらぎの郷』は6%台に下がり、15週目まででは5%台が6週にも及んだ。 第1週を100として指数で表現すると、第2週以降80台が中心となり、70台も何度も出ていた。当初から比べると4分の1の視聴者を失った格好だ。だが、『ひよっこ』は、第15週までの上下動は±6%の範囲にとどまる。極めて安定した推移を示し、しかも11週以降は第1週より高い。明らかに上昇傾向にある。激しい上下動で、かつ下落傾向にある『やすらぎの郷』とは対照的な軌跡を描いていた。さほど評価していない視聴者 さらに視聴者の構成でみると『やすらぎの郷』は極端に高齢層に偏っている。シルバータイムドラマと銘打って始めたのだから、ここは狙い通りと言えるかもしれない。12時台の世帯視聴率では、横並びでトップ争いを演じているが、59歳以下の個人視聴率ではビリ争いとなっている。40~50代の男女にもある程度見られている『ひよっこ』とは大きな違いとなっている。 ちなみに両ドラマの数字を比較すると『やすらぎの郷』は世帯視聴率では『ひよっこ』の3~4分の1。そして59歳以下個人視聴率だと、7分の1以下まで小さくなってしまう。 同じ2400人のテレビ視聴動向を追うデータニュース社「テレビウオッチャー」で見ると、詳細に視聴動向が明らかになる。例えば『ひよっこ』では、第3週までに1回でも視聴した人は186人に達した。うち100~110人が各話の視聴者数なので、約6割の定着率といえる。一方、『やすらぎの郷』は、3週までに1回でも視聴した人が74人。うち20人ほどしか各話を見ていないので、定着率は3割ほどしかない。 しかも第15週まででは2割に落ちてしまう。話題なので一度は見てみたが、1話ないしは数話見て辞めてしまった人がかなり多かったことを意味する。原因は明確だ。「話がちっとも先に進まない」(男性47歳)、「毎日同じ場面に感じられる」(女性74歳)などの声があるように、ドラマとして違和感を持った人が多かったからだ。『やすらぎの郷』の一場面(テレビ朝日提供) 評論家の中には「過激なテレビ批判」を評価する声も少なくなかったが、視聴者は「芸人たちが内輪だけに分かるネタで盛り上がっているのと同じ」とあるように、ドラマ内で展開されるテレビ批判は、普通の視聴者に響いていなかったようだ。23歳の男性は「つまらなかった」、61歳の男性は「豪華キャストで注目の作品」、53歳の女性は「離婚した二人が出るのね」の一言を残して、第1話しか見なかった。初回を見た33人のうち、6人が完全に脱落したのだ。 そして第1週のうちに、さらに3人が視聴しなくなった。離脱率や約3割である。第3週まででは15人、離脱率45%。15週まででは20人、6割以上の人が見なくなっている。以上のように、視聴者は『やすらぎの郷』をさほど高く評価していない。 それでもテレ朝としては、初めから織り込み済みの戦略だったのかもしれない。若年層や中堅層を捨て、高齢層の支持だけを集めることで世帯視聴率向上を、一定程度果たしたからである。視聴率も売り上げも容易に作れない昼の時間帯では、広告ビジネスとしてはあまり美味しいとはいえない。だとすれば、世帯視聴率の確保を着実に果たせば、全日(朝6時~夜12時)や三冠の視聴率競争において有利に展開できる。巡り巡ってスポンサーとの向き合いで有利に働くようになる。 テレ朝は老人チャンネルを目指す? テレ朝は2010~12年にかけて、視聴率を順調に伸ばし、三冠王にあと一歩まで迫ったことがある。この頃の幹部は「とにかく一度頂上に立つ」と、視聴率へのこだわりを滲ませていた。日テレが強い全日で、若年~中堅層を捨て高齢層で世帯視聴率を作る作戦に特化している可能性がある。 実際テレ朝は、GP帯(ゴールデン・プライム、午後7~11時)のドラマを刑事もの・ミステリーものに特化したり、シリーズ化したりして、安定した視聴率を得ている。中高年に強いドラマに特化して世帯視聴率を安定的に得ているのである。テレビ朝日本社=東京・六本木 こうしたドラマの再放送を3時間編成している午後帯も強い。例えば今年4~6月の午後2時台では、日テレ『情報ライブミヤネ屋』に次いで、同局のドラマ再放枠が2位につけている。その最大の要因は、「F3」(女性50歳以上)の個人視聴率で断トツの首位となっていることだ。昼の時間は接戦だが、『徹子の部屋』は民放の中で2位と好位置につけている。やはりF3でのトップが世帯視聴率を牽引している。 さらに朝8時台のワイドショー枠でも、『羽鳥慎一モーニングショー』で民放トップを走っている。この番組も、F3と「M3」(男性50歳以上)が首位だ。 この作戦は、日本の人口が50歳以上で45%を占める時代に合致したものと言える。5系列ある民放に“老人チャンネル”が出来ることは、多様性の担保という意味で悪くないかもしれない。  しかも広告営業対策や59歳以下の獲得については、サッカーやフィギュアスケートなどスポーツの国際大会、GP帯のバラエティ、深夜のドラマなどで手は打っているということかも知れない。さらに10~20歳代については、テレ朝はAmebaTVに積極的に取り込んでいる。 こうして考えると『やすらぎの郷』の編成は、テレ朝の編成戦略が旗幟(きし)鮮明になったターニングポイントだったのかもしれない。この戦略で、テレ朝がどこまで実績を伸ばすのか、注目したい。

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    『やすらぎの郷』は視聴率主義への苦言込めた本物のドラマ評

     倉本聰脚本で話題の新ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。登場するのは、昭和の芸能史を煌びやかに彩る女優たちだ。放送は、『徹子の部屋』を終えた平日12時半に始まる。若者向けのゴールデンタイムに対抗する枠として倉本が強くこだわった、「シルバータイム」なる高齢者のための新しい昼帯枠だ。 舞台は“テレビ界に貢献した人間だけ”が入居できる高齢者ホーム「やすらぎの郷」。昭和のテレビ黄金期に一時代を築いた脚本家の菊村栄(石坂浩二)を取り巻き、往年のスターたちがあれこれ騒動を巻き起こす。テレビ朝日ドラマ『やすらぎの郷』での一場面(テレビ朝日提供) 現場でも小さな“騒動”が起きていた。倉本や浅丘ルリ子(白川冴子役)は大の愛煙家。テレビ朝日の六本木スタジオは禁煙のため、今回は愛煙家の要望から、喫煙できる場所でホン(脚本)読みをすることになった。浅丘は撮影現場でも吸っていたが、彼女のしなやかな指の動きはハッとするほど艶っぽかった。 劇中では水谷マヤ(加賀まりこ)が優雅に紫煙をくゆらせ、栄は「俺にとって一番体に悪いのは禁煙ってあの文字だ!!」と叫ぶ。石坂いわく、これは倉本の口癖らしい。喫煙シーンが描かれなくなった昨今、及び腰の制作者や嫌煙社会へのアンチテーゼでもあるのだ。 制作発表記者会見では、女優たちの熱量が溢れた。 25年ぶりに倉本作品に出演する五月みどり(三井路子役)が、「とても怖くてできないと思ったけれど、でも、どうしてもやりたいという気持ちが強かった」と決意を語れば、ピアノの弾き語りシーンがある有馬稲子(及川しのぶ役)は、「ピアノが本当にだめで1日に2小節ぐらいずつ練習して、1曲弾けるようになった」と舞台裏の女優魂を垣間見せた。 60代の同級生らと放送を楽しんでいるという上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)は、同作を「視聴率第一主義に対する苦言も含め、テレビ業界への愛と感謝を込めて今の時代に送る本物のドラマ」と評する。 「役者にも向けられたその愛を受けて集まったのが、この贅沢な顔ぶれです。中高年にとっては青春の憧れ。70代、80代で輝き続ける彼女たちの姿に、『人は最後まで自分の人生の主人公なんだ』と思えるのがまたいい」 女優たちにとって、年を重ねてもなお輝きを放つ晩年の今こそ、人生のゴールデンタイムではないだろうか。関連記事■ 高畑淳子 1か月で7kgダイエットしその後1か月でリバウンド■ 2014年「濡れ場女王アワード」は石原さとみ 他の女優を圧倒■ 『やすらぎの郷』 石坂浩二がガチで深刻空気のガス抜きに■ 杏、ギャラクシー賞贈賞式で魅せる美しさ 多彩な演技が評価■ 視聴率低迷のフジTV 一時的だと強がっていた上層部も危機感

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    CMもドンピシャ『やすらぎの郷』にかけるテレ朝の決意

     放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、話題のドラマ『やすらぎの郷』について。* * * 『相棒』『科捜研の女』『警視庁捜査一課9係』『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』。そして『緊急取調室』と、シリーズドラマを多数、持ち、安定した視聴率をキープしているのがテレビ朝日のドラマ。 「名物プロデューサー」と呼ばれるスタッフや、「おもしろいものを作る」「センスがいい」と評判の演出者が社内に増えてもいて、年に2回、行われる記者との懇親会では、“ドラマ班”が集まるテーブルに、もっとも人だかりができているように思う。 4月初旬に行われた懇親会で、司会の清水俊輔アナがタイトルをコールした瞬間、会場から「お〜〜〜」と歓声があがったのが『やすらぎの郷』の”紹介タイム“のとき。オンエアは既に開始されていて、「初回視聴率8.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)」は、全出席者が知っていたが、「系列局では10%を超えた日もある」とのプロデューサーからの報告に、会場からは再び「お〜〜〜」という声があがった。テレビ朝日ドラマ『やすらぎの郷』での一場面(テレビ朝日提供) 「帯ドラマ劇場(シアター)」という新設枠は、あの『徹子の部屋』と直結され、『ワイド!スクランブル』内に位置している。 在京民放局の昼帯は、日本テレビ系の『ヒルナンデス!』がF1層(20〜34才の女性)、平均視聴率でトップを走るTBS系『ひるおび』がF2層(35〜49才の女性)、そして、50才以上の女性=F3層の数字をフジテレビ系『バイキング』と『ワイド!スクランブル』が「分け合っている」というのが現状だ。 とはいえ、50才代も80才代も一括りにすることに疑問を呈するマーケッターは多く、マーケティングコンサルタントの西川りゅうじん氏が数年前から提唱している新・3層〜6層までの分類に「納得がいく」という関係者は多い。F(女性)、M(男性)共に、新3層は、50〜64才。その後、4層は、65〜79才、5層は80〜95才、それ以上が6層…という分け方だ。 日本人女性の「二人に一人が50才以上」となった2015年以降、F3層マーケットに注目が集まるなか、やはり、「新F3層」と、それ以上の年代は「異なる」という実感が私にはある。 なぜなら、この層は、日本における女性トレンドを先頭で牽引してきた層であり、しかもそうした情報を自分の足で稼ぎ、独自のネットワークやコネクションを駆使し、「消費のリーダー」と言われ続けてきたから。 もちろん、その層に属する全員が同じライフスタイルというワケではないのだが、新F3層ほど情報を持たず、フットワークもそこまで軽くないのが「F4層」と言えるのではないか。 つまり、F3の数字を分け合っていると言われた『バイキング』と『ワイド!スクランブル』は、「新F3層に強いのが『バイキング』で、F4層から上の世代に強いのが『ワイド!スクランブル』」というのが正確な分類だろう。思えば、坂上忍や芸人をMCに、トークバトルを繰り広げて、「視聴率を4倍にした」(1%台→4%台)という『バイキング』は、4月以降、5%台、6%台が出る日も増えた。「やすらぎの郷」が営業的にも大成功な理由 一方、70才の橋本大二郎氏と、テレビ朝日の女性アナウンサーで最高齢の大下容子アナをMCに据えている『ワイド!スクランブル』。2014年4月から1部と2部の間に『徹子の部屋』を置き、さらに『やすらぎの郷』に繋げたことは、F4以上の数字を「獲りに行く」という同局の大きな決意が感じ取れる。 冒頭に挙げたドラマの人気シリーズで、早くからF3層、M3層の動向に着目していたテレビ朝日ならではの英断。そこまでターゲットを絞り切れたからこその“スポンサー”にも注目が集まっている。 多くの人がチャンネルを合わせた初回。スポンサーの筆頭として出てきたのは「サントリーウェルネス」だった。『セサミン』『ロコモア』始め、シルバー層に人気の健康食品や、年齢肌向け化粧品『エファージュ』などがおなじみだ。 『やすらぎの郷』記念すべき1本目のCMは、その『セサミン』で、出てきたのは「永遠の若大将、加山雄三さん」。石坂浩二や浅丘ルリ子、加賀まりこら『やすらぎの郷』のメインキャストに混じって出てきそうなベテランだ。第8回岩谷時子賞を受賞した歌手の加山雄三=6月12日、東京 CMに続いて出てきたのは賀来千香子と西岡徳馬。「セサミン」のユーザーには、もともとシルバー層の著名人が多いのだが、改めて、ドンピシャなセレクトに感心してしまった。 実は、件の石坂浩二がキャラクターをつとめる企業もスポンサーに付いている。「石坂浩二さんも御愛用」のコピーから始まるCMでおなじみの『ハズキルーペ』である。「ルーペ」というワードでもわかるように、これは「老眼鏡」ではなく「眼鏡タイプの拡大鏡」。そして女優の山本陽子をキャラクターに起用している『ウィッグ ユキ』のCMも『やすらぎの郷』枠内ではおなじみだ。 思えば、『やすらぎの郷』には、野際陽子や風吹ジュンら、ウィッグのCMに出演している女優が出ているが、山本をキャラクターに据えた『〜ユキ』は、見たところ、F4層以上をターゲットにしているような…。山本は、野際や風吹よりも“和装”のイメージが強いことでも、そのターゲットがわかろうというものだ。 『やすらぎの郷』脚本の倉本聰氏は、当初、『北の国から』で縁のあるフジテレビに企画をもっていったのだが、「けんもほろろ」な対応に落胆し、テレビ朝日に行きついたと聞いている。果たしてF3マーケットを知り尽くしたテレビ朝日は『やすらぎの郷』と倉本氏を大歓迎したに違いない。 CMタイムでも視聴者を前のめりにさせる『やすらぎの郷』。営業的にも大成功なのである。関連記事■ 倉本聰「元夫婦共演」は知らせず浅丘ルリ子に直々オファー■ 五月みどり、共演の浅丘&加賀にちゃんとしなさいと怒られる■ すっぴん加賀まりこ、すれ違った女性に「口紅くらい…」■ 『やすらぎの郷』は視聴率主義への苦言込めた本物のドラマ評■ 『やすらぎの郷』 石坂浩二がガチで深刻空気のガス抜きに

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    小林麻央さんのブログが変えた「日本人の死生観」

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 有名人や芸能人の人生は、私たちに大きな影響を与え、時に社会を変えていく。山口百恵のように、人気絶頂のアイドルが結婚を機にすっぱりと引退し、専業主婦として生きていくといった姿は、当時の日本女性に強いインパクトを与えただろう。そして「山口百恵」は伝説化されていく。1977年秋に極秘来日し、インタビューに応じたジョン・レノン(右)とオノ・ヨーコ=東京都内のホテル さらに「死」にまつわることは、より普遍性が高いために、多くの人々の生き方にさえ影響を与える。スポーツカーで事故死したジェームズ・ディーン、愛と平和を歌いながら暗殺されたジョン・レノン、民家の軒先で遺体が発見された尾崎豊。彼らは、その芸能活動と死にざまがあいまって、熱狂的なファンを生み神格化されていった。 人はみんな死ぬ。有名人も権力者も金持ちも関係ない。死から免れる人はいない。だから問題は、どう死ぬかだ。涙で包まれた穏やかな臨終の場面はドラマでよく登場するシーンだが、現実とは異なる「様式美」とさえ言えるよう最期が描かれたりする。事故死は、突然の死であり、ご遺族にとってはとても辛いことになる。だが、だからこそこの衝撃的な死に方も物語にはよく登場する。現実世界の芸能人も、事故死の方がその芸能人のイメージのままで死を迎えられるために、「永遠のスター」として私たちの記憶に残ることもある。 だが、病気はなかなか辛い。徐々に体が弱る。痩せ細るなど容姿が変わることもある。長く苦しむこともある。病人の周囲では良いことばかりが起こるわけではない。体と心の苦しみ、お金の問題、看病、人間関係の問題など、さまざまなトラブルが起こることもあるだろう。辛さだけが残る最期もある。だから、有名人の中には闘病生活をほとんど世間に知らせない人もいる。華やかな結婚式や、授賞式や、一家だんらんなど公私にわたる人生を公開してきた人も、死期が近づいている闘病生活は公開しない。夢を売ってきた芸能人として、それも当然のことだろう。 だからこそ、フリーアナウンサーの小林麻央さんの活動は注目された。彼女のネット発信は素晴らしものだった。「私は前向きです」「今、前向きである自分は褒めてあげようと思いました」「何の思惑もない優しさがこの世界にも、まだたくさんある」「がんばれっていう優しさもがんばらなくていいよという優しさも両方学んだ」「今は今しかない」「今日、久しぶりに目標ができました。娘の卒園式に着物で行くことです」「空を見たときの気持ちって日によってなんでこんなに違うのだろう」「苦しいのは私一人ではないんだ」「私はステージ4だって治したいです!!!」「奇跡はまだ先にあると信じています」。小林麻央さんのブログには、宝石のような言葉があふれた。死との向き合い方のお手本のようだ。人生の苦悩と希望を届けてくれた 酸素チューブを鼻に入れた写真。ウイッグ(カツラ)の写真。闘病中の姿も、美しく、ユーモラスに公開した。そして彼女は語る。6月20日、小林麻央さんが最後に自身のブログに掲載した写真(本人のブログから) 「私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。『まだ34歳の若さで、可哀想に』『小さな子供を残して、可哀想に』でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです」。闘病生活をつづったブログなのだが、麻央さんのプログは闘病記ではなかったのだ。 もちろん、公開されたことだけが事実ではないだろう。家族にしか言えない苦しみがあったことだろう。死も闘病も、きれいごとだけですまない。しかしそうだとしても、2016年9月1日に始まった麻央さんのブログは、人生の苦悩と希望を私たちに届けてくれた。それは日本人の心を動かし、世界にも報道された。彼女の言葉に、慰められ、励まされた人々はどれほどたくさんいたことだろう。そしてその活動が、小林麻央さん自身の癒しと勇気にもつながったことだろう。 どう死ぬかという問題は、どう生きるかという問題であり、死生観が関わる問題だ。そして死生観には、宗教が絡む。普段は無宗教という人でも、葬儀の時には宗教的なことをする。しかし、世界的に宗教の力は落ちている。日本でも、簡易な家族葬、無宗教の葬儀、そして「直葬」と呼ばれる宗教的葬儀なしに火葬場へ行く方式も増えている。仏教式の葬儀を行っても、以前ほど戒名などにこだわる人は減っているだろう。宗教への熱い信仰があれば、どう生きてどう死ぬかの指針になる。だが、非宗教化した現代社会で、人々は新しい死生観を求めている。 インターネットは、まるで新しい宗教だ。人は確かに生きて日々活動しているのだが、人生とは各自が振り返ってみたこれまでの記憶とも言える。同じような生き方をした人でも、良い記憶でまとめられた人生もあるし、悪い記憶でまとめられた人生もある。人生は、当人の記憶であると同時に、周囲の人々の記憶だ。多くの人々の記憶が、その人の人生を形作る。 神仏を信じていれば、神仏が私の人生を見守る。神仏は私に関する出来事を全て記憶し、私の人生に意味づけをする。心理学の研究によれば、信仰を持っている人の幸福感は高い。神仏的なもの抜きで人生の意味づけをすることは、簡単ではない。 インターネットは、新しい神にもなるのだろう。私の人生を、ネット上で記録できる。世界に発信できる。世界の人々は、ネットを通して私を見て、リツイートしたり、「いいね」したりする。その記録は半永久的に残る。ネット世界でも人は包まれる インターネットの黎明期(れいめいき)から、人生を語る人々はいた。一般の人の中にも、闘病生活を発信した人はいた。まだブログもなく個人ホームページも数少なかった頃、母であり教師であるある一人の女性は、死期が近づく中で、普及し始めた電子メールで配信を始めた。「私は、なぜ病気になったのかではなく、何のために病気になったのかと、考えるようになりました」と。その活動は、多くの友人、知人たちを力づけた。 このような活動は、今や多くの人々に広がっている。ある元校長は末期のガンであることをブログでカミングアウトし、それでも最期まで自然に親しみ、グルメを楽しみ、家族や病院スタッフに感謝する。家族がそれを見守り、友人や知人が応援し、見ず知らずの読者との温かな会話が始まる。同じ病で苦しむ読者とも交流が生まれる。それは、どれほど素晴らしく意味あることだったことだろう。 ネットを通して、記録を残し、思いを伝え、人々とつながる。それは、真剣に命と向き合っている人にとって、かけがえのない活動だ。死期が迫った終末期は、人生の中でもっともコミュニケーションを必要とする時期だ。しかし、しばしば死期が迫っているからこそ、孤独感に襲われることもある。だがネットは、豊かなコミュニケーションを提供する。神仏の腕に包まれるように、ネット世界で人は包まれることもあるだろう。 余命いくばくもない人にとって必要なことは、安易な慰めでもなく、客観的だが悲観的なだけの情報でもない。必要なのは「祈り心」だ。神仏に祈れる人もいる。同じ宗教の信者たちに祈ってもらえる人もいる。健康心理学の研究によれば、祈られている人は病気が治りやすくなる。そして祈り心は特定宗教によらなくてもできる。祈り心とは、客観的には厳しい状況であることを知りつつ、同時に希望を失わない心だ。 東日本大震災の時に、日本は祈りに包まれた。「Pray for Japan」、日本のために祈ろうと、世界が日本の支援に乗り出した。国連はコメントしている。「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」。 義援金や救助隊員を送ってくれたことはもちろんうれしい。だが金や人だけではなく、その心に熱い想いを感じた人も多かったことだろう。真実の祈りは行動が伴い、真実の行動は祈りが伴う。世界はマスコミ報道により日本の状況を知り、そしてインターネットによってさらに詳細な情報が伝わり、人々はつながっていった。つながりこそが、人間の本質だ。 このようなことは、個人でも起こる。今回は、小林麻央さんというたぐいまれな人格と文才を持った女性が、苦悩と希望を発信してくれたことで、大きな祈りと交流が生まれたといえるだろう。ネットは世界を変えた。ネットは私たちの死生観をも変えるのかもしれない。

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    小林麻央さんの乳がんを「誤診」した医師の責任は問えるか

    上昌広(医療ガバナンス研究所理事長) 小林麻央さんが乳がんで亡くなった。享年34歳だった。夫である市川海老蔵氏と二人三脚の闘病生活をブログで報告し、多くのがん患者を勇気づけた。心からご冥福を祈りたい。彼女は夫ともども、有名人だ。病名発表時点からマスコミが大きく報じた。メディア報道によれば、彼女の闘病生活は順調ではなかったようだ。イベントに登場し、笑顔を見せる小林麻耶さん(左)と妹で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻、麻央さん=2014年10月16日東京都墨田区 たとえば、『FLASH』2016年11月1日号には「ステージIVに追い込んだ2人の医師を直撃 小林麻央奇跡への第一歩!」という記事が掲載されている。 見出しからして穏やかではないが、この記事によれば、小林麻央さんが最初に乳がんの可能性を指摘されたのは、2014年2月に人間ドックを受診したときだ。 彼女はすぐに東京都港区の有名病院の専門医を受診した。このとき、乳がんとは診断されなかった。詳細はわからないが、幾つかの検査を追加し、乳がんとは言えないと診断されたようだ。結果論だが、主治医は「誤診」したことになる。 8カ月後、彼女は乳腺の腫瘤(しゅりゅう)を自覚し、この医師を再診したらしい。このときに、乳がんと診断された。精密検査の結果、リンパ腺への転移も認められ進行していた。この後の闘病生活は広くメディアが報じる通りだ。 小林麻央さんのがんは進行が速い。一般論ではあるが、このようなタイプは、仮に早期診断しても治癒は難しい。早期診断したころには、すでに遠隔臓器に転移していることが多いからだ。メディアの中には「誤診」した医師の責任を問う声があるが、それは医学的には妥当な判断かわからない。 ただ、遺族には「もし、最初の主治医が誤診しなければ、治っていたかも」という思いが残る。早期に診断し治療していれば、治癒は期待できなくても長期に生存できた可能性は十分にある。小林麻央さんはもっと子供の成長を見ることができたかもしれない。その意味で、最初の主治医には責任がある。ただ、この主治医を断罪しても問題解決にはならない。医者を過信するべからず 読者の皆さんには、言い訳に聞こえるかもしれないが、医師は誤診する。特に早期の乳がんの診断は難しい。早期がんを画像診断や生検で正常と判断してしまうことは珍しくない。重要なことは、最初の医師が見落としてしまった乳がんを拾い上げるシステムである。この点において、最近、南相馬市立総合病院の尾崎章彦医師らが興味深い研究を英国の医学誌『BMC Cancer』に報告した。 尾崎医師は乳がんを専門とする外科医だ。2010年に東大医学部を卒業し、千葉県旭市、福島県会津若松市で研修を終え、3年前から南相馬市立総合病院に勤務している。 南相馬で診療を続けるうちに、「病状が進み、手遅れになってから来る患者が多い」と感じるようになったそうだ。特に独居の人が目立ったという。 彼は南相馬市立総合病院で保存されている病歴を用いてこの仮説を検証した。その結果は衝撃的だった。 2005年から震災までに乳がんと診断された122人の患者と比較し、震災から2016年3月までに乳がんと診断された97人の患者では、腫瘤(しゅりゅう)など乳がんの所見を自覚してから病院を受診するまでに3カ月以上を要した人の割合が1・66倍も高かった。さらに、12カ月以上受診が遅れた患者の割合は4・49倍も増えていた。いずれも統計的に有意な水準である。尾崎医師の予想通り、進行がんに成って受診する患者の割合は増加していた。 では、どんな患者が危険なのだろう。これも尾崎医師の予想通りだった。12カ月以上治療開始が遅れた患者18人のうち、子供と同居していたのはわずかに4人だった。症状自覚から12カ月以内に治療を開始した79人では、42人が子供と同居していた。家族、特に子供との同居が病院受診に影響したことになる。 このような反応は心理学の世界では「正常性バイアス」と呼ばれる。不都合な事態に直面すると、人はそのことを過小評価しがちになるのは万人に共通する傾向だ。東日本大震災で津波警報が出ても避難しなかった人がいたり、沈没船から脱出せずに溺死する人が多いのは、この機序(きじょ)によると考えられている。正常性バイアスを防ぐには 皆さんも体の異変に気づいたときに、「まあ大丈夫だろう」と思い、放置した経験がおありだろう。「病院に行ってきたら」と家族に勧められ、渋々、病院を受診した人も少なくないはずだ。家族の存在が正常性バイアスを防いでいることになる。 乳がんの患者の場合では、夫より子供がこのような役割を担うことが多いことが知られている。 ところが、福島県では原発事故が起こり、若者たちが避難した。福島県内の65歳以上の独居老人、あるいは高齢者夫婦の人数は、2010年の29万7144人から2015年の31万6096人と6.3%増加している。家族構成の変化が住民の健康に影響した可能性が高い。 では、小林麻央さんはどうだったろうか。彼女の2人の子供は5歳と4歳である。自らの病気を相談できる年齢ではない。夫の海老蔵氏は多忙だ。そもそも乳がんに関して、夫は相談相手にならないことが多いことに加え、十分に時間が取れなかったのではなかろうか。 小林麻央さんが最初の医師に「がんでない」と言われてから、再受診するまでの8カ月をどのような気持ちで送っていたかは、私にはわからない。おそらくだんだん大きくなる腫瘤(しゅりゅう)に対し、不安を感じていただろう。その際、「専門医が問題ないと言ったのだから、安心してもいい」と自らを信じ込ませていたのではなかろうか。典型的な正常性バイアスだ。 もし、周囲に「一度、病院に行ってくれば」という人がいれば、彼女は再度、受診したのではなかろうか。 確かに、はやい段階で病院を再受診しても、転帰は変わらなかったかもしれない。ただ、本人や家族の納得は違った可能性が高い。 乳がんは40~50代の女性に多い疾患だ。多くの患者が子育て中であり、核家族だ。子供が幼少の場合、相談相手がいないという点で状況は南相馬市と同じだ。子育て世代の女性は社会的に孤立していると言っていいかもしれない。 この問題を解決するには、問題の存在を社会的に認識し、普段から健康問題を相談できるような新たなコミュニティーを作ることだ。乳がん患者の支援には社会的な視点が欠かせない。

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    「ステージ4でも治したい」小林麻央さんの闘病記に感じた妙な胸騒ぎ

    大場大(東京オンコロジークリニック代表) 進行乳がんのため闘病中であったフリーアナウンサーの小林麻央さんの訃報が流れ、多くの方がショックを受け、まだ悲しみに暮れているのではないでしょうか。 病気が公になって以降、麻央さんが日々つづってきたブログから届くひとつひとつの声や言葉が、多くの人たちの共感を呼びました。また、がんという病気と日々向き合っている、スポットライトを浴びることのない多くの患者さんたちにとっても、大きな勇気や希望となっていたはずです。 一方で、がんという病気の持つ厳粛なリアルを強く実感させられた人も少なくないはずです。治ることが難しいがんを背負いながらも、愛する夫、子供、家族のために、1日でも長く、自分らしく生きたいと希望する麻央さんの営為の数々がブログにありました。自分のために始めたブログでしたが、今、ある気持ちが加わっています。それは癌 ステージ4=死に向かって弱っていくというイメージがまだまだ強いならば希望ある違うイメージも強くしたいということです。そして、もちろん弱っている日はありますがそればかりではない 日常を書いていくことで え? まだ生きてたの? と数年後にも言われたいです笑2017年4月5日『ありがとうございます』 麻央さんのブログを通じて、がんと上手に付き合っていくことの大切さ、クオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)を維持すること、全人的な痛み(ペイン)が癒されることなどの重要性が、一般の方々にも理解することができたのではないかと思います。 この世に生を授かった以上、死は必然です。しかしながら、「死ぬこと」「病にかかること」「老いること」について、自身とは関係のないものとして蓋を閉め、思考を止めてしまっている方は少なくありません。麻央さんは、死を意識することで「生きる」ことの本当の素晴らしさを教えてくださいました。謹んで、心からご冥福をお祈り申し上げます。 麻央さんが最期まで潔く人生を全うされた直後ではありますが、かねてから気がかりであった問題を挙げたいと思います。2016年9月のブログに、次のような「後悔の念」ともとれる吐露があり、私は変な胸騒ぎを覚えました。私も後悔していること、あります。あのとき、もっと自分の身体を大切にすればよかったあのとき、もうひとつ病院に行けばよかった あのとき、信じなければよかった あのとき、、、あのとき、、、2016年9月4日『解放』 15年9月に亡くなった女優、川島なお美さんの時もそうであったように、「必ず治りたい」と願いながらも、重要な意思決定を惑わしたり、足を引っ張る「エセ医学」の影響が、ひょっとしたら麻央さんの周辺にも忍び寄ってきたのではないかと感じたからです。がんを治す「うまい秘訣」などない 例えば、月刊誌『文藝春秋』が長年担いできたことで、がん患者に対してて大きな影響力を持つようになった近藤誠医師の言説に従えば、麻央さんのエピソードはどのように解釈されるのでしょうか。以下、推察となります。 「骨や肺に転移したから、彼女の乳がんは『本物のがん』だということ。早くに発見されたとしても、すでに転移していたはず。だからしかるべき治療をしても結果は同じであった」 「命を縮める抗がん剤は受けるべきでなかった。彼女は副作用に殺されたに等しい。私のやり方に従えば、苦しまずにピンピンコロリだったはず」私はステージ4だって治したいです!!!遠慮している暇なんてありません!!だって、先生にも私は、奇跡を起こしたい患者なんだって思っていてもらいたいです。だから、堂々と叫びます!5年後も10年後も生きたいのだーっ あわよくば30年!いや、40年!50年は求めませんから。だってこの世界に 生きてる って本当に素晴らしいと、感じるから。そのためにできることはやる。2016年10月3日『心の声』 すでに転移してしまった乳がんを抱えながらも、麻央さんは1日でも長く生きたい、治りたい、奇跡を起こしたい、と願い、一生懸命病気と闘い続けました。しかし、先の近藤氏に言わせると、それらはすべて無駄だということになります。 他にも、「食事療法でがんが消える」「免疫力でがんを治す」「がん自然治癒力アップ」のような、わらにもすがりたい心理につけ込むエセ情報が氾濫しています。しかしながら、現実的にはそのような「うまい秘訣(ひけつ)」は存在しないのです。婚約発表の記者会見で市川海老蔵さん(左)と見詰め合う小林麻央さん=2010年1月、東京都内のホテル 麻央さんの話に戻りますと、きっかけは2014年2月、夫の歌舞伎俳優、市川海老蔵さんとデート気分で受けたはずの人間ドックでの出来事です。乳腺エコー検査で腫瘤(しゅりゅう)の指摘があり、精密検査が必要と判断された麻央さんは、紹介を受けた大きな病院で再検査を受けたそうです。「人間ドックの先生には、五分五分で癌と言われたのですが、生検はしなくても大丈夫でしょうか」と聞いてみると、「必要ないでしょう、授乳中のしこりですし、心配いらないですよ。半年後くらいに、念のため、また診てみましょう」と言われました。2016年9月11日『再検査』何気なく、胸元から手を入れて、左の乳房を触りました。どきっ。いきなり本当にパチンコ玉のようなしこりに触れたのです。なんだこれ。心臓が音をたてました。何度も何度も触り直します。やっぱり、ある。2016年9月13日『しこりの発見』なぜ標準治療に背を向けたのか そして、再検査から8カ月が経過した10月、麻央さんが気付いたしこりをきっかけとして、腋窩(脇)のリンパ節にも転移がある乳がんと診断されたのです。こんな時は、ただひとりの女性になって、主人の胸ででも泣きたいけれど、やっぱり思いっきり笑顔のママになって両手を広げた。飛び込んできた娘と、遅れてたどり着いた息子を抱きしめながら、この子たちのママは私ひとりなんだ、という喜びと怖さに、心がふるえた。絶対治す!と誓った。2016年9月18日『大事な家族』 さらに、担当医師から治癒を目指すための標準治療の説明も受けています。治療法のひとつのホルモン療法は五年間に及ぶので、妊娠出産を望むのならば、抗がん剤治療→手術→放射線治療の後、ホルモン療法の前に、タイミングを考えることができるかもしれないこと、を、私の場合は、説明された。(乳癌のタイプや状況によって、治療法や順番も違うと思います)2016年9月21日『出産や妊娠について』 麻央さんは、海老蔵さんとお二人だけで次のように前向きな気持ちも確認し合っています。夜景が綺麗なホテルだった。「絶対大丈夫!治そう!」そんな話をしたと思う。「悲しいね」主人がポツリと言った。夜の部の公演が終わるのを待って、一緒に家に帰ることにした。それまでの間、やはり、お腹はすいたので、ルームサービスで銀鱈定食を頼んだ。完食した。美味しかった。涙はでなかった。あの日のジェノバパスタとは全然違う!と思った。自分の中で少しずつ覚悟ができていた。2016年9月26日『ルームサービス』 愛する家族のためにも「絶対に治す」という強い決意がありながら、時系列として最初に乳がんと診断されたタイミングで、なぜしかるべき治療を受けることがかなわなかったのでしょうか。私が 治療に背を向けたとき母も叫びました。「死ぬ順番を守りなさい。お母さんが死んだとき、まおに口紅をぬってほしい!」と。私を産んでくれた 母の言葉です。父には「人間誰しも最後は天命を待つのみだけれど、それまでは不屈の希望であきらめないこと」と言われています。父らしい言葉です。2017年4月1日『“新年度スタート”姉、そして父と母』 なぜ、治るためにもっとも確度の高い標準治療に背を向けてしまったのでしょうか。そして、なぜ海老蔵さんはその意思決定を認めてしまったのでしょうか。治ることを目標に、なぜ導けなかったのか 最初に乳がんと診断された日から数えて約1年8カ月がたった16年6月9日に、海老蔵さんの記者会見によって、麻央さんの病気が公のものとなりました。その時にはすでに病気は進行し、かなり深刻な状況であった様子が伺えました。  「あのとき、もうひとつ病院に行けばよかった」「あのとき、信じなければよかった」。そのように麻央さんの口から漏れ出てしまう自責の念、後悔の念には今でも心が痛くなります。 がんという病気は不確かなことが多く、いくら最善が尽くされたとしても、必ずしも期待通りの結果が得られるわけではありません。絶対確実な治療やゼロリスクなどもありません。 そうだとしても、利益と不利益を勘案しながら、治ることを目標(ゴール)としてベストを尽くす方向に、なぜ麻央さんを導いてあげることができなかったのでしょうか。もし当時、出会った医師との間に信頼関係が築けなかったとしても、セカンドオピニオンなどでいくらでも方向修正が可能であったはずです。  「この子たちのママは私ひとりなんだ、という喜びと怖さに、心がふるえた。絶対治す!と誓った」。本当は治せたかもしれない麻央さんの乳がん。それを後戻りのきかない状況にしてしまった関係者。そのような状況になるまで見過ごしてしまった関係者。それらには強い憤りを感じざるをえません。 先日、インターネット上に横行する虚偽・誇大広告を禁ずる改正医療法が成立しました。しかし、そのような対処はあくまでも広告のあり方に対するものです。現状、日本では、倫理やモラルの観点から「エセ医学」そのものを裁くような法的規制はありません。 したがって、科学的根拠の乏しいモノを「医療」と称して商売をしている関係者は、欧米のように法のもとで裁かれたり、資格免許が剝奪されるようなことはほとんどありません。翻ると、わが国は先進諸国の中でも世界一「エセ医学」に寛容だということです。麻央さんのエピソードを決して無駄にしないよう、一人ひとりが自身の死生観を顧みながら、賢いがんリテラシーを身につけて欲しいと願います。

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    小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由

    中村幸嗣(元自衛隊医官、血液内科医) 小林麻央さんが亡くなりました。夫の市川海老蔵さんのブログでは、母がいなくなった家族の姿、そして揺れる心が描かれています。家族の死は残されたものにかなりのダメージを与えます。 生命の危機があるがん患者だった麻央さんのブログは、BBC(英国放送協会)の記事でも書かれているように今までの日本ではありえないものでした。小林麻央さん=2011年3月10日、東京都港区(撮影・財満朝則) 本人に辛いことは知らせないという文化の日本。そう、がんが患者本人にほとんど告知されていなかった昔の日本の医療において、家族でサポートして最後までだまし続ける「嘘も方便」の方法が取られていた時代があります。 欧米から「がん告知」の文化が輸入されましたが、それに伴う心理的影響を和らげてくれる宗教的フォロー(神父の病院常駐など)、カウンセラーの充実といった気持ちをサポートする制度の導入は正直日本では一部でしか行われませんでした。それだけが原因ではないですが、死生観について日本ではあまり深い議論もなされてきませんでした。 また、がんを告知する医師も相手の気持ちに寄り添う行為についてはトレーニング不足で、その結果、日本には自己責任の名の下、気持ちが落ち着かない告知後の患者たちがどんどん増えていたのです。 本来であれば緩和医療を含め、がん患者に対するサポートは、行政、医療、家族、友人が行っていくべきなのですが、非正規、共働き、核家族化、高齢化した日本では、ともに寄り添いながら話ができる時間も場所も限られています。それこそ最近できたがん患者の支援施設「マギーズ東京」以外ほとんどありません。 家族会なども本当にがんばっているのですが、いかんせんネットに飛び交ういい加減な情報、そして閉じこもりがちになる告知後の患者の傾向、病院においては共感しにくい教科書的対応など、結果患者は誰にも相談しにくい状況となり、今までのがん患者さんの気持ちを和らげる方法が正直足りていなかった可能性があります。 なぜ、麻央さんのブログがここまで共感を得たのか。そして医療的には今後どのようにしていくことが望ましいのか、医師としての自分の意見を述べさせていただきます。共感したのはがん患者だけではない 彼女ががんと告知された後の言葉で理想の母親像とのギャップについて話している部分があります。 全てやるのが母親だと強くこだわっていました。それが私の理想の母親像でした。 これは昔の日本の姿かもしれません。そういう思いがありながら病のために自分の体が動かない状況に麻央さんは最初隠れることを選びました。行動できない自分に対する負い目として。 緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。「がんの陰に隠れないで!」。私は気がつきました。元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印(らくいん)を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。 この時の悩む様は巷(ちまた)にあふれているがん闘病患者の共感を得ました。そう、麻央さんと同じように悩んでいる患者さんが多いということもありますが、がん患者だけでなくいろいろなことに悩みを抱えて誰にも話すこともできず一人で生きてきた普通の少し弱っている人間も共感したのです。 そしてがんという死の淵にある彼女がここまで笑顔でがんばっていることを応援するとともに、こうした境遇の人を応援することで自分もがんばろうという気持ち、人間としての共感が湧いてきたことが予想されます。 以下は海老蔵さんの言葉です。 「(ブログで)同じ病の人や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合っている妻の姿は、私からすると人でないというか、なんというか……すごい人だなと」 「総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは『愛』なんだと思います」 そう、今の日本における、足りない他者に対する「愛」を麻央さんのブログに感じたのです。この現象はおそらく「純粋」な彼女でなければ得られなかったでしょう。自分がどんなに辛くても他人を思いやる行動を見せようとする彼女。ブログに出てくる写真は笑顔がほとんどでした。その笑顔の奥に読者たちは無償の「愛」を感じることができたのです。妻の小林麻央さんの死去について会見で話す市川海老蔵さん=2017年6月、東京都渋谷区(撮影・早坂洋祐) そして麻央さんのテレビでの言葉です。 「もし私がこの病気を乗り越えて、いま私なりにある試練っていうものを乗り越えられたときに、病気をする前よりも、ちょっといいパートナーになれるんじゃないかな、っていう。なので、すごく思うのは、役者・市川海老蔵をパートナーとして支えられるチャンスを神様ください、っていつも思うんですね」 こんな少し弱音が混じりながらも他人のために生きたいという前に向かっている彼女の言葉は、今苦しんでいるさまざまな人たちを助け、そしてその人たちから贈られる感謝の言葉が彼女を励ましました。そう素晴らしい連動でした。 そして再びブログから。私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。 この前向きな言葉が共感を呼び、多くの人を巻き込んでいったのです。芸能人の方のブログ、みなさんへの影響力はとても強いものです。そう、一緒にがんばろうという気持ちを読むものに奮い立たせてくれます。そして今回読み手だけではなく書き手にも良い効果が出たことは間違いありません。 そして麻央さんのブログの特徴は、厳しい戦いであることをみんながわかっていたのに、それでも笑顔を絶やさず、そしてたまに弱音を見せてくれる人間としてのありのままの純粋さを見せてくれたことです。こんな純粋な人、今時そうはいないでしょう。だからこそ250万人の読者を得たのだと思います。 ただ、医療者として分析すると、今回の麻央さんのような最期を迎えることができるかといえば、厳しいでしょう。患者と家族、医療がうまくかみ合った成功例 今回の麻央さんのような在宅における周りのサポートは正直一般の家庭では難しいからです。麻央さんが若かったことで親が看病できたという部分もあると思いますし、核家族ではないという点でもそうです。 他の大部分の家族ではおそらくサポートしようとすると家族がつぶれてしまうことも予想されます。BuzzFeedのこの記事における「仕事をしましょう」という主治医のおせっかいな言葉はまさにそれを表しています。そして献身的看病のため体調を壊す姉の麻耶さんの存在もこの在宅が維持できた一つの理由でもあります。 また、緩和医療の主治医の「がんの陰に隠れないで」という、この言葉で麻央さんがブログを始めたと書かれています。がんの治療はそれこそ麻央さんが望む完治を目指すと言ったものではなかった可能性が高いですが、それでもモチベーションを保つため症状の緩和を主眼とした姑息(こそく)的手術、適応外の放射線治療など、がんの発表後1年生存できたのは病院の麻央さん個人に対応する医療レベルがかなり高かった可能性があります。  そして最後の入院の際、今にも亡くなりそうであった麻央さんは奇跡の復活を迎えます。その時に家に帰した病院の対応、思い切りも正直素晴らしいものです。実際家に帰した後すぐに命を落とすことで訴えられた病院も多数存在します。 この点でも患者、家族、医療がうまくかみ合い、同じゴールを目指していたと思います。ただこの東京での優れた医療が地方を含めて行えるかは、まだ無理と言っていいでしょう。小林麻耶さん(左)と麻央さん=2014年10月、東京都墨田区 人間が当たり前と思っていた「明日」。毎日ただ生きていた人間にとって、それが約束されていない彼女の記録は日常のありがたさ、命の輝き、尊さなどいろいろ思いを気付かせてくれたでしょう。その中でも家族を大切にする彼女の記事は癒やしになったと思います。   子宮がんサバイバーでもあるタレント、原千晶さんのブログからです。 「さらけ出す覚悟」 誰かのために。誰かのために生きる事 それが、自分でも信じられないくらいの力を生み出すことを、がんを経験して知りました。 麻央さんを含め、がんサバイバーのみなさんは、この言葉を伝えたいのだと思います。 教科書的な緩和医療は「傾聴・共感・受容」ということばで患者の痛みを和らげるとされています。ただ、それは医療者だけでなく家族の支え、社会の理解があって初めて成立するものです。そしてこの言葉はがん患者だけに当てはまるのではなく、苦しんでいる人間にとって全てに当てはまるものです。 他人となかなか気持ちを共有できない時代、他人のサポートがなかなか得にくい時代、そして無償の「愛」を与える麻央さんだからこそ得られたこの250万人の読者。今後、悩んでいる読者が減少し、こんなにたくさんのフォロワーを出さないこと、医療体制を含めた整備が麻央さんの望みなのだと思います。

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    「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇

    田中秀臣(上武大ビジネス情報学部教授) 元SMAPのメンバーのうち稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の3人がジャニーズ事務所から離れるという報道が解禁になった。スポーツ紙中心の一斉報道であり、相変わらずのジャニーズ事務所への「忖度」を表したものだ。例外は、アイドル評論家の中森明夫氏であり前日に自らのTwitterでこの情報を流し、ひとり「官製報道」に抵抗した。残念ながらごく一部を除いて、SMAPについての報道には、日本のマスコミにジャーナリズム精神はない。 3人の事務所の脱退に際して、ジャニー喜多川氏は、「SMAP(SPORTS MUSIC ASSEMBLE PEOPLE)の名前は5人を応援してくださってきたファンの方々のための名前として「(S)すばらしい(M)MEMORIES(A)ありがとう(P)POWER」と表現しました」とのコメントを報道各社に送っている。元「SMAP」の稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの3人との契約終了について、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が発表したコメント さらに各社の報道では、独立した3人がSMAPの元マネージャーである飯島三智氏とともに芸能活動を継続するとの観測も流れている。一方で、ネット上では、独立する3人が現在出演している番組の打ち切り情報も流れて、今後どうなるのかまだわからないことが多い。もちろん事務所に残る中居正広、木村拓哉のふたりのこれからも気になるところだ。 そしてSMAPが解散したのみならず、そのメンバーが同一の会社組織から離れてしまうということは、企業ベースでみたときのSMAPブランドの終わりということにもなる。もちろん我々の心の中のSMAPに終わりはない。だが、再結成も含めて、五人で集まる姿を見ることは、日本の芸能市場の閉鎖的なあり方からみれば、もう不可能である。残念だ。 SMAPは私たちの時代を象徴できたただひとつのアイドルグループだった。いや、アイドルグループという狭い縛りよりも広い意義をSMAPは担ってきた。評論家の中川右介は「それなりに長い平成という時代、ずっとトップの地位を保っていたのは、天皇とSMAPしかいない」(『SMAPと平成』朝日新書)、と述べている。それほど平成という時代とSMAPは一体化していた。中川は、SMAPの役割を日本の芸能史の劇的変化としてとらえ、天皇陛下と同様に「国民統合の象徴」にまでなったと断言している。「夜空ノムコウ」が映し出したもの 中川と同様に、SMAPはその代表曲「夜空ノムコウ」を歌うことで、平成という漠然とした不安の時代の中で、昭和という過去でもなく、平成という現在でもない、「雲のない星空」を指し示す存在だったと、社会学者の太田省一は指摘している(『SMAPと平成ニッポン』光文社新書)。 天皇陛下が退位の希望を述べられ、それをうけて「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立したばかりだ。3年以内の退位が条件づけられているが、いまのところ来年末をもって平成は終わると目されている。SMAPの活動もこの平成の世の始まりと終わりと本当に連動していて、時代の運命というものを実感させる。 平成という時代は、太田が指摘したように「漠然とした不安」の時代であった。グローバリズムの拡大、長期的不況の出現、阪神淡路大震災や東日本大震災、オウムサリン事件などのテロ、そして周辺国との安全保障上の緊張の高まりなど、新しい「不安」は常に私たちの生活に伴っていた。この不安の時代、いつSMAPは国民的アイドルになったのか、という問いを、評論家の矢野利裕は提起している(『ジャニーズと日本』講談社現代新書)。 阪神・淡路大震災が起きたとき、テレビ朝日系音楽番組の『ミュージックステーション』で「がんばりましょう」を歌唱し、国民の感情に寄り添ったときだろうか。あるいは21世紀の経済停滞の引き金を本格的にひいた1997年の金融危機の翌年に、「夜空ノムコウ」で不安の先にある希望を示してくれたときだろうか。または、長期化する不況の中で、自殺者が激増し、リストラや不正規雇用の激増など、人間が人間であることを企業社会から奪われつつあった2003年に、「No.1にならなくてもいい/もともと特別なOnly one」と、私たちの多様性と個々であることの素晴らしさを歌った「世界に一つだけの花」のときからだろうか。 その答えは難しい。まるで神話の始まりがいつなのか、客観的な分析を拒むのに似ている。私たちの心の中でいつの間にか共通の「物語」として織りなされていた。これをノーベル経済賞経済学者のトーマス・シェリングは「心の消費」の活動として分析している。テレビなどのメディアで目にする様々な偶像(アイドル)に、自分と切っても切り離せないものを感じることで、アイドルに生命を吹き込む。その心の消費がさまざまな人々のネットワークで強固に結びついたときに、アイドルはアイドルを超えて、国民の統合にさえなるのだろう。打算だけでは図れないSMAPが持つ日本的価値観 矢野によると、ジャニー喜多川はアメリカの視線で日本の芸能人を見るべきだと考えていたという。ジャニー喜多川は、アメリカの芸能人とは「芸術家」のことであり、その活動は社会的に尊敬されているという。SMAPは、このジャニー喜多川の願いを超えて、日本の文化の根幹にさえなった、と言ったらおおげさだろうか。 SMAPのCMや出演番組が、「ポスト団塊ジュニア」の消費モデルとなったことは、その世代に完全に属するライターの速水健朗らの分析によって明らかにされている(速水他『大人のSMAP論』宝島社新書)。SMAPのメンバー自体の多くは、正確にはこのポスト団塊ジュニアよりも若干上の世代だ。つまり「兄」としてポスト団塊ジュニアたちの生活モデルとなったのだろう。SMAPが日本の文化の根幹になるに際して、日本の人口でも団塊世代に次いで巨大な層であるポスト団塊ジュニアを魅了した点は大きいだろう。 他方で、SMAPはまた旧来の日本的価値観ともいえる「義理と人情」にも大きく規定されている(松谷創一郎『SMAPはなぜ解散したか』SB新書、にも同様の指摘がある)。これは今回の5人の去就が必ずしも経済的合理性、よりわかりやすくいえば打算だけではまったく測れないことにもある。 今回、事務所を出ていく3人は、観測報道が正しければ、彼らを成功に導いた功労者のひとり、飯島氏と行動をともにする、という。ただでさえ独立することは、日本の閉鎖的な芸能市場では困難に直面する。しかも誰がどうみても今回のSMAP解散劇は、またジャニーズ事務所の内紛であった。その意味では、芸能界での「忖度」が強く働き、出ていく3人の芸能活動を著しく制約してしまうかもしれない。1989年1月7日、新元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官=首相官邸 だが、あえて彼らがその選択をとったのは、「義理と人情」であったろう。また残るふたりの思いも、また同様だと、筆者は信じている。出ていく3人と同じく、残るふたりもまた彼らを育ててきたジャニーズ事務所への「義理と人情」ゆえに残ったのかもしれない。あたりまえだが、人は打算のみでは生きてはいない。そしてそのことを、SMAPは平成の世を通して、私たちに訴え続けてきたではないか。 平成の世もまもなく終わる。そして組織の中のSMAPもまもなく完全に終わる。だが、SMAPは平成を超えて、その先ノムコウを行くだろう。

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    中居正広がジャニーズに残留しても「SMAP再結成」は有り得ない

    中森明夫(アイドル評論家、作家) 元SMAPの香取慎吾、稲垣吾郎、草彅剛の3人が9月に独立することを私が報道に先駆けてツイッターで伝えたのは、一連の報道に大きな問題があると感じたからです。中森明夫氏が6月18日に伝えた「元SMAPメンバー3人の独立報道」のツイート 昨年8月の解散発表と同じく、この報道で業界全体で情報解禁時刻を設定するようなやり方は、誘拐事件での報道協定ならまだしも、世の中の決まりでもないのに非常にナンセンスです。実際、スポーツ各紙が横並びで1面を飾ったわけで、その時点で記事はできていたということになります。むしろ、私以外の人がツイートしない方が不自然であり、解散や独立情報を知っていた人は大勢いたはずなのに「忖度(そんたく)」していたわけです。そんな人たちの報道をファンが信用するとは思えません。 「安倍一強」の政界でも、文部科学省の前川喜平前次官のような掟(おきて)破りの人が出てくるのに、ジャニーズの問題になるとファンをないがしろにして、完全に統制されてしまう。芸能はエンターテインメントである以上、ファンがあっての世界だから、私自身がおかしいと思ったので伝えたわけです。解散のときにもフライングでツイートしましたが、SMAPファンからは「本当に大丈夫か」「デタラメ言うな」「アイドル評論家辞めろ」と反発があり、ツイッターが少し炎上しました。でも、解散発表が出て私が言っていることは事実だと分かってくれました。 SMAPは戦後、最も偉大なアイドルグループだと私は思っています。28年間トップを走り続けるグループなんて、芸能界を見渡しても歴史上ありません。そのグループが解散するというときに、彼らの記者会見もインタビューもなく、ファクス1枚のペラだけが送られ、芸能担当記者が黙ってそれを記事にするなんて信じられません。SMAP解散という事実より、真相が見えてこないことにファンはいらだちを隠せないというのが本音なのではないでしょうか。 そういう意味では今回も同じです。先週、『週刊新潮』にSMAP独立の記事が出たとき、ファンは本当なのかヤキモキしていたわけです。スポーツ各紙に情報が一斉解禁されても、ジャニーズからのファクスとジャニー喜多川社長のメッセージがあるだけで、結局本人たちのコメントはどこにもありません。私もスポーツ紙やワイドショーを確認しましたが、中居正広のジャニーズ残留についてスペースを割いているだけでした。「SMAPを存続させたい」「大物スポーツ選手に説得された」などとの報道もありましたが、現時点ではそれが真実かどうかも分からない。だからこそ、一連の記事は事務所サイドの承認を得て報じられたものだと、ファンも半信半疑なんだと思います。再結成はもうありえない ジャニー喜多川さんのメッセージにしても、ツイッターを検索してみると「『3人』と書かれていたけど名前すら書いていない」と失望しているファンもいて、実はファンの間でも賛否両論なんです。ジャニーさんは、SMAPや独立する3人への思いがあってメッセージを出したのかもしれませんが、ファンは繊細な気持ちでもっと深い部分まで見ているんだと私も改めて気付かされたし、ネット反響のすごさを思い知らされました。でも、テレビのコメンテーターは「感動した」と言うばかりで、同じことを言えといってもきっと言えないでしょうね。 私はジャニーさんを尊敬しているし、すごい人だと思っていますが、実を言うと顔も知らないし、声すら聞いたことない。メリー喜多川副社長や元チーフマネージャーの飯島三智さんもそうですが、名前しか知らないんです。SMAPの独立は芸能界を揺るがす騒動にもかかわらず、ジャニーさんやメリーさんに芸能記者が直撃取材した形跡はどこにもない。テレビ各局の立場で言えば、ジャニーズタレントを起用した番組がいっぱいあるもんだから、仮に事務所を敵に回せば番組自体が成り立たないことは容易に想像できます。でも、事務所関係者でさえ記者会見をしない状況には、ファンがどう思っているのか。私自身疑問に思っています。 当初は「独立派」だった中居がジャニーズ残留を決めたことは理解できます。他の3人と比べてレギュラーの数が明らかに多いし、何より彼は日本屈指のバラエティー司会者でもあるのです。ゴールデン番組でお笑い芸人や俳優を相手に仕切ることができるタレントは、ジャニーズ内でもほとんどいないでしょう。現在のレギュラー番組を降板してまで事務所から独立するということになれば、制作局や制作会社のスタッフ、タレント、スポンサーにまで重大な影響を及ぼすので、彼の心中で「忖度」したというのが真相なのかもしれません。ただ、残留を決めた以上、毎年この時期になれば、独立か否か憶測を呼ぶことになるでしょうから、これからも苦悩は続くでしょうね。 SMAP解散もそうですが、芸能界は変わりつつあります。今はインターネットの中でも世論が形成されていて、あわよくば「SMAPが再結成してくれるんじゃないか」という一縷(いちる)の望みがファンの間で広がっています。確かに、中居が残留したことで、SMAP再結成の観測記事もありましたが、私に言わせればそんなことは絶対に有り得ない。SMAPはもう完全にグループとして「消滅」したんです。2016年8月14日、SMAP解散を報じるスポーツ各紙(竹川禎一郎撮影) 完全に終わったという意味では、昨年1月にSMAPが解散騒動について、出演番組で謝罪した「公開処刑」がそのタイミングだったと思います。あの日本で最も偉大なアイドルがファンの前で無残な姿をさらし、それを事務所側がおぜん立てまでしてしまった。国民的アイドルグループとして、本当に情けない場面でした。あの姿を見て、ジャニーズ事務所の後輩グループはチャンスに思うどころか、むしろ絶望感を覚えたと思いますよ。それぐらい衝撃的な出来事だったと思っています。20年続いた番組が移籍で終了する「おかしな話」 さて、ジャニーズを離れる3人の今後の芸能活動ですが、常識的に考えて今まで通りにはいかないでしょう。既に香取が司会を務めるテレビ朝日系『SmaSTATION!!』の9月終了が報道されていますが、20年も続いた番組が事務所の移籍に伴って終了するというのは、本来おかしな話ですよね。(イラスト・不思議三十郎) 確かに、新人や駆け出しのタレントが独立を画策して、業界から干されるというのは芸能界では珍しくありません。でも、芸能プロの論理からすれば、タレントの売り出しに莫大(ばくだい)な投資をしているのに、売れ始めた瞬間に事務所を辞められてしまったら、とんでもない損失です。個人の都合で移籍すれば、1年間は芸能活動を控えるという「暗黙の協定」が業界内の常識であるというのはある意味当然なのかもしれません。でも、四半世紀以上芸能界のトップに君臨したSMAPのメンバーを同等に扱うのは少し違います。彼らは言うなればタレントではなく、「アーティスト」というべき存在なのです。米国であれば、所属タレントを管理するエージェントは出演や金額など交渉業務を代行するだけなので、事務所を辞めれば出演番組が打ち切りになるという理屈は、理解できないかもしれません。 3人の今後の芸能活動が、今まで通りに行かないことは芸能界の慣習から言えば当然ですが、それでも彼らが「新しい形」を模索してくれるんじゃないかとの期待もあります。仮にテレビ出演が難しくても、映画や舞台だってあるし、芸術家や小説家の道だってあります。彼らは誰もが認めるマルチな才能を持っているのですから、いかなる険しい道が待っていようとも、偉大なアイドルグループを支えたメンバーとして、これからも活躍してくれるはずだと思っています。(聞き手 iRONNA編集部、松田穣)なかもり・あきお 昭和35年、三重県生まれ。80年代からさまざまなメディアでサブカルチャーを論じる。「おたく」の名付け親として知られる。著書に『アイドルにっぽん』(新潮社)『東京トンガリキッズ』(角川文庫)など多数。近著に『アイドルになりたい!』(筑摩書房)。

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    香取、草彅、稲垣の独立を許したジャニーズの思惑を私は知っている

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家、実業家) ジャニー喜多川さんが今一番大事にしていることは2020年東京五輪・パラリンピックなんです。当然ですが、ジャニーさんが今の地位を築いてから最大のイベントですから、「世界のジャニー喜多川」を自負する本人としては、総合プロデューサーを狙っていて、そこで名を残したいんです。 ジャニーさんはタレントや事務所より、何よりも自分が大切。エンターテイナーとして五輪は、これ以上の舞台はないと思っていますからね。85歳と高齢ですが、少なくとも2020年を健康で迎えたいという意識が強くて、毎週病院に行っていますし、体調管理には相当のお金をかけています。 もちろん「亡くなるまで現役」を公言しているので、元気なうちは仕事を続けるでしょうけど、やっぱり東京五輪を集大成にしたいという思いがあるんです。「国歌斉唱」をジャニーズ事務所から出したいと言ってるぐらいですから。東京・赤坂にあるジャニーズ事務所 それだけに、大麻所持で逮捕された元KAT―TUNで現役時代から素行が悪かった田中聖は早々と放出したし、NEWSの手越祐也の醜聞なんかもさっさと片づけて、なかったことにしたいくらいでしょう。メンバーの悪行でジャニーズそのものの印象が悪くなることに非常に気を使っている。だから今は、そういうことがジャニーさんにとって最大の不安要素です。もちろん、昨年まではSMAP問題は大きな不安要素だったんですがね。 だから、今回発表したSMAPの事務所コメントの中にジャニーさんの思いが書かれていたのは異例ですが、SMAPへの愛はきちんとあるということをアピールしつつ、穏便に片づけたいという思いの表れでもあるでしょうね。 そして中居正広の事務所残留は、想定の範囲内です。レギュラー番組も多くて、CMもあれだけあれば、中居本人もバカじゃないのでそう簡単にいかないことぐらいわかるでしょう。まして、これだけの仕事を引き受けるのは新たな個人事務所としても荷が重いですからね。 今回の騒動で中居の裏切りだとか言われてますけど、あくまでビジネスですから、事務所を離れる香取慎吾ら3人はそういう風には思っていないはずです。むしろ3人はジャニーズ事務所を離れてようやくやりたい仕事ができるようになると喜んでいる。 そして多くの人が誤解しているのは、ジャニーさんがキムタクを特別視しているわけではないということ。逆にキムタクがジャニーさんに心酔しているだけなんです。実際、ジャニーさんが最も大事に思っているのは堂本光一と滝沢秀明ですよ。2人はやっぱり「王子様」のような容姿だし、舞台をこなせる能力が高いですから。ジャニーズプロデュースの舞台は、ジャニーさんの思いすべてが込められていますから。この2人は死んでも離さないでしょうね。 キムタクにあの2人のような能力はないんです。だから、キムタクはジャニーズに残るしかない。元シブがき隊の本木雅弘が辞めて丸刈りにしたり、ヌードになったりしてタレントとして生まれ変わることができましたが、それは妻の工藤静香は望んでいないし、そういった能力があるとも言えない。最近のキムタクは「オワコン」と言われていますからね。それはキムタク本人もわかっていることですよ。 キムタクはジャニーズの幹部候補だとかいう記事もよく見ますけど、そういった状況ではないですね。幹部になると言っても上にはまだ、近藤真彦や東山紀之がいるわけです。逆にSMAPの元メンバーの目線から言えば、うっとうしい存在なんだし、そういった話は現実味がないですね。 ジャニーさんの最高傑作は、先に言ったように光一と滝沢で、この2人は絶対に離さない。SMAPがジャニーズの歴史をつくったことは重視していますが、ああいう内紛のようなかたちで解散してしまえば、ジャニーさんとしてはキムタクも含めて出ていきたいという人は追いませんよ。キムタクより中居が大事 だから、仮にジャニーさんがキムタクと中居とどっちをとるかといえば、これもさっき言ったようにビジネスとして中居を取るに決まっているんです。今、キムタクがいなくなってもさほど困らないけど、中居がいなくなるとそりゃあ事務所もそれなりに影響がでますからね。(イラスト・不思議三十郎) ジャニーズは芸能界という世界では大企業以上の省庁みたいな存在になってしまった。例えて言うならSMAPクラスは事務次官ですかね。辞めてどこかへ行くときは「天下り」なんですよ。元SMAPメンバーはなんといってもブランド力がありますから、フリーになること自体がおいしい「天下り」みたいなものです。 だって、今までジャニーズだから制限されていた仕事を何でもしがらみなくできますからね。光GENJIと比べ物にならないのは言うまでもありません。稼ぎが半端じゃないですから。正直元SMAPメンバーは仕事を10年休んでもなんともない。なぜ、仕事を続けるかといえば、自分の地位を維持しておきたいという願望だけです。 そもそも中居の「裏切り」だとか騒いでますけど、本当は5人ともビジネスライクの付き合いでしかない。本当の友達じゃないですから。一部報道で「慎吾が中居に残留を勧めた」とかありますが、事務所を離れる3人からすればどうでもいいことなんですよ。 慎吾らは自由になりたいがために芸能界を辞めてもいいというぐらいの勢いで事務所に迫ったから、ジャニーさんもあきらめたんです。そういう状況に対して、ジャニーさんは、面倒くさがりなんで、「そうなのか」で終わりです。もめているときは「YOUたちなんとかならないの?」とか言ったでしょうけど、もうどうでもいいんです。 言葉ではジャニーさんはみんな自分の子供たちのように大事だと言いますが、結局ジャニーさんの夢を全部叶えたのは光一と滝沢なんですよ。観客の目の前で、本当の実力があって歌って踊れてということができるのはその2人で、それはSMAPも嵐もできないんですよ。この60年のジャニーズの歴史の中でこの2人はずば抜けている。ビジネスとして中居は大切ですけどね。心底大切に思っているかどうかは別ですね。 だからビジネスとして稼いでくれたSMAPは、その意味で大切に思っているけどジャニーさん個人の思いとしては光一と滝沢に勝る者はいないんです。 慎吾ら3人は芸能界から干されるとか心配する人もいますが、それはないですね。元マネジャーの飯島三智さんのところに行って、むしろ安いギャラでもいろんな仕事を引き受けることになりますから。  それこそ、テレビ関係者や他の芸能事務所が、事務所を出た慎吾ら元SMAPのメンバーを使いづらいとか思うのは、まさにジャニーズ事務所への「忖度」であって、本当は何の横やりも入れないですよ。ジャニーさん本人が言ってましたよ、「僕が出て行った人たちを使うなとか、そんなこと言ったことは一度もない」ってね。(聞き手・iRONNA編集部、津田大資)