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    貴乃花親方が戦う「真の敵」をモンゴル人横綱は理解できまい

    野々村直通(開星高校前野球部監督、教育評論家) 「我、いまだ木鶏たりえず」 大横綱、双葉山が69連勝で敗れたときの言葉である。木鶏(もっけい)とは木彫りの鶏である。普段は落ち着きなく動き回る鶏が何があっても微動だにしない様(さま)を木彫りに例えたものである。これは人として悟りを開いた境地を言う。 双葉山はこの敗戦を自らの未熟さとして、この言葉で自戒したのである。何と見事な振る舞いであろうか。強さだけではなく、この崇高な精神性が双葉山を神格化せしめるのである。 同じく昭和の大横綱、大鵬は戸田に敗れ、連勝記録が途絶えた。しかし、この敗戦は実は「世紀の大誤審」と呼ばれる一番だったのだが、大鵬は「横綱が物言いのつくような相撲を取ったことが恥ずかしい」と自らを責めたのである。土俵入りする横綱・大鵬幸喜=両国国技館 この大誤審がきっかけとなり、後にビデオ判定が導入される。日本中が大鵬に同情し、悲運の横綱として社会現象を巻き起こす。凡人であればこの国民的熱狂に便乗し、「私は勝っていた。誤審がなければ連勝記録はまだ続いていた。私は犠牲になった」と声高に叫び続けたことだろう。大鵬もまた、高潔な精神を備えていたのである。 相撲の取り口で理想とされるのは「後(ご)の先(せん)」と呼ばれる。相手より遅れて立って攻めさせる。しかし、その後の攻防で先に立つ。これが横綱相撲と呼ばれた。しっかり相手を受け止めてから自分のペースに持ち込む。決して立ち合いで逃げたり、先制攻撃をしたりはしない。それは弱者の戦法である。横綱相撲が取れなくなった横綱は引退する。ここに大相撲の横綱としての矜持(きょうじ)がある。 そもそも大相撲は神事である。天皇の前で取り組む「天覧相撲」は最高の名誉である。その最高位に位置する横綱は「四手(しで)」を垂らした「注連縄(しめなわ)」を腰に巻く。神の化身である。どんな身分の者であろうと横綱になれば帯刀が許された。取り組む前には水で口を漱(すす)ぎ、塩を撒(ま)く。土俵を神聖な場所として清めるためである。農耕民族の命である土地の中の邪悪な悪霊を追い出すために「四股(しこ)」を踏む。すべて神事に則って行われる儀式的格闘技である。  今、相撲はインターナショナルなものになりつつあるが、それはあくまでも「SUMO」であって大相撲とは似て非なるものである。SUMOはスポーツであるのに対し、大相撲は神事である。このことを強く認識し、本来の伝統を堅持しようと真剣に取り組んでいるのは、貴乃花親方の他にその存在を見いだすことはできない。その全身全霊を傾ける姿には感銘を受ける。 彼は言う。 「大相撲の紋章には桜があしらわれています。桜は日本人の心の象徴で『大和心』を意味しています。だから大和心の正直さ、謙虚さ、勇敢さでもって大相撲に命懸けで取り組まなければなりません」 相撲道をとことん極めようとする彼の生き方は、厳しい修行に打ち込む求道者にも似たものがある。他の民族には理解できない 昨今の大相撲を取り巻く事件や醜聞が日本中を席巻している。マスコミはおもしろおかしく報道し、相撲協会と貴乃花親方との対立、不和を煽っている。しかし、私見ではあるが、これは貴乃花親方と相撲協会との確執ではなく、対白鵬に向けられた「追放儀式」と思えてならない。 前段で述べてきた大相撲の神聖性や格式に於(お)いて、その欠片(かけら)も見られない白鵬の言動に業を煮やした貴乃花親方が仕掛けた大相撲維新であり、復古戦である。白鵬は日本の文化と伝統を内在する大相撲に於ける最高位たる横綱には不適格者である。遊牧民族のモンゴル人は「力こそ正義である」と信じて疑わない。厳しい大自然の中でそれと対峙(たいじ)し、闘い続ける力を持つ者が最も立派であり、尊敬される。最も評価されるのは「力」であり、年齢や階層には重きを置かない。 白鵬は、横綱の品格とは何かと問われ、「勝つことが品格だ」と答えている。負けた一番について「小さな子どもでも分かる判定ミスだ」と嘘ぶく。直近の例では、敗れた直後の土俵で、実は「待った」だったと手を挙げて抗議し、土俵に上がろうとしなかった。千秋楽の優勝インタビューでは観衆に萬歳(ばんざい)三唱を強要する。このような下劣な言動は何なのか。まるで「傍若無人の独裁横綱」である。大相撲は日本国籍を有しないと親方にはなれない。しかし、彼はモンゴル籍のままで自分だけは親方になれる特例を求めていたという。やりたい放題である。厳しい表情で年寄総会に臨む貴乃花親方 =2017年12月27日、東京・両国国技館 これは妄想だが、モンゴル出身力士の中で唯一、思い通りにならない貴乃花部屋の貴ノ岩が日馬富士に殴られたのも、実は白鵬が黒幕だったのではないか。照ノ富士は致命的なケガを膝に負っているにもかかわらず、正座を強要されたという。あの鳥取の夜、貴ノ岩が殴られたのは、説教の度を超えた白鵬の命令を素直に受け入れなかったからではないか、とさえ思えてくる。繰り返すが、これはあくまで筆者の妄想である。 大和民族は大自然と共生することを目的にそれを徳とし、この自然界のありとあらゆるものを神として崇(あが)め、拝み、その恵(めぐみ)に感謝し、貝塚を作り、その小さな生命(いのち)を頂いたことにも慰霊する。この気高き精神の輝きは、自然界を勝手に食い散らかしてきた他の民族には到底理解できないだろう。 貴乃花親方が真に戦う相手は、相撲協会ではなく、その地位や名誉でもなく、ただ相撲道を汚す許し難い横綱に対してのものなのである。

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    貴乃花親方を阻む不倶戴天の敵

    「不倶戴天」。貴乃花親方の心中を察したとき、ふとこの言葉が思い浮かんだ。「同じ天の下には生かしておけない」。相撲協会の理事候補選挙で落選した親方は何と闘っていたのだろう。相撲道を追求する理念はもっともだが、それを阻む「真の敵」が誰か、どうも見えにくい。この騒動の核心を読む。

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    「白鵬を切れ」貴乃花親方が許せなかった相撲協会の及び腰

    大橋純人撮影) そもそも貴乃花親方の理事降格処分によって問題が「一件落着」となり、立行司式守伊之助のスキャンダルがあったにもかかわらず、初場所は行われた。初場所は白鵬の相撲ぶりに注目が集まったが、私は、立ち合いの張り手やかち上げによる荒い相撲を控えている白鵬に対して、「さすが大横綱だ」といった評価が出てくるたびに、今回の問題の本質が隠されてしまうと懸念していた。しかし、白鵬は平幕相手に連日金星を献上したうえ、古傷の右足親指を痛め、早々と休場してしまった。 今回の問題については、貴乃花親方が意図したかどうかはさておき、親方の言動がメディアの注目を集めて事態を大きくし、広く社会的議論が生じているのは事実である。そのことによって問題の本質が見えかけてきた面もあるのに、興行を優先することによって、本質をうやむやにしてしまっては、相撲協会の改革などおぼつかない。一部の相撲ファンが感じ始めていても、関係者や識者は誰もそれを言わない。だからこそ、私がそれを指摘したい。 まず、昨年12月20日の横綱審議委員会(横審)後の北村正任委員長の説明で、貴乃花親方への非難が「委員会の総意」として示されたことは象徴的である。逆に親方の言動がやむを得ないものであったことを、改めて示したものであろう。横審の「通常の組織ではありえない言動」という見解こそ全く本質を外している。まず相撲協会は「通常の組織」ではないからだ。そしてその組織を抜本的に改革することが、貴乃花親方が意図してきたことである。改革を志す親方を非難することが改革を潰すことと同じであることに横審は気づいていないのだろうか。 相撲協会の「御用機関」である横審が改革を論じる立場にないことが、ほかならぬ北村委員長の説明ではっきりした。しかも、北村氏は付け足しのように白鵬の相撲に対して大相撲ファンから「美しくない」「見たくない」と言った批判が寄せられていると報告した。そのうえで協会に対して改善のために「何らかの工夫・努力をしてほしい」と述べたのである。 言うまでもなく、白鵬に物申す必要があった場合、その第一の役割は横審にある。それにより、相撲協会に対して改善の実行を迫る立場にあるはずである。その役割を放棄して協会に工夫・努力を委ねるようでは責任の放棄といわざるをえない。白鵬に対して八角理事長が及び腰であるのは、横審も知っているだろう。北村氏の苦言は、白鵬に対して厳しい処分ができない協会の意向を踏まえたうえで、軽すぎる処分に対する後ろめたさを埋め合わせようとしたのではないだろうか。 ただ、初場所の白鵬の相撲を見ると、横審の苦言が効果を上げたように見える。しかしながら、苦言を出すのがあまりに遅かったため、苦言に御用機関として協会幹部の意向を忖度(そんたく)する不適切な姿勢も現れている。そもそも、横審の控えめな苦言を出すまでの無策ぶりが、白鵬をあまりにも増長させてしまったのである。そのことに対する反省がなければ、今後の改革に期待が持てない。 また、白鵬の相撲が変わったのは、白鵬自身が自分の非を認識し立場が悪いことを感じているからである。それに対して、変化をほめたたえるだけではいけないだろう。白鵬がそのように認識しているのは、この間の騒動を通じて、世論が問題の本質と協会改革の必要性をうすうす感じるようになってきたからであろう。白鵬に「情報操作」された報告書 一方、日馬富士の暴行問題について12月20日に危機管理委員会の高野利雄委員長が公表した報告書は、いつ誰が何を言って何が起こったのかを、極めて具体的かつ明確に説明しているが、白鵬が「情報操作」したとみられる部分がいくつかある。このうち2カ所だけ指摘しよう。臨時理事会終了後に記者会見する日本相撲協会の八角理事長(中央)。左は鏡山危機管理部長、右は危機管理委員会の高野俊夫委員長=2017年12月、東京・両国国技館(斎藤浩一撮影) 一つは、10月25日の食事会(1次会)に、照ノ富士や貴ノ岩が出席することを白鵬は知らなかったというが、あり得ない話だ。食事会は巡業が行われていた島根県の高校で学んだ照ノ富士と貴ノ岩のために、地元関係者が一席設けたものである。主催者として横綱にも同席してもらいたいと考えるのは不自然ではない。特に照ノ富士の伊勢ケ浜部屋での兄弟子である日馬富士が同席するのは自然である。しかし、報告で日馬富士は「食事会の当日頃、白鵬において、…日馬富士を誘い…」とあるように、白鵬に誘われて同席することにしたのである。 もう一つは、2次会で日馬富士が貴ノ岩に暴力をふるった際、白鵬が止めに入ったタイミングが曖昧にされている。日馬富士がボトルを振り上げたが、手が滑って取り落とし、その後リモコンで殴りだした。これを「一連の動作」と表現することで、肝心の白鵬が止めに入ったタイミングがわからなくなっている。白鵬は「物は持たないようにしましょう」と声をかけたそうだが、それはいつ言ったのだろうか。その後日馬富士はリモコンで殴りだしたが、白鵬がようやく止めに入ったのはいつなのかはっきりしない。 これらの点について、危機管理委は白鵬から聞き取り「白鵬がそう言った」ということを報告しているだけなのである。高野委員長は後日、貴乃花親方から聞き取りをした際に元検事らしく厳しく「取り調べ」をしたようだが、白鵬にはこれらの発言を問い詰め、裏を取ることはしなかったのだろうか。 しかも、貴乃花親方から聴取した危機管理委の報告は、相撲協会側の見方で固まってしまっている。これでは、相撲協会から相撲記者クラブを通じてリークされる情報に基づき、貴乃花親方の責任を問う印象操作に加担している大手メディアと同じだ。報道からではまだ私が知りえないことがあるが、その限りにおいても危機管理委の「偏向」は明らかである。その偏向姿勢についても二つ指摘したい。 一つは、貴乃花親方の報告義務に関してだ。高野委員長の報告では「(親方は)10月26日に事件発生を知り、その後、県警に被害届を提出するに至る同月29日までの間、結局、何らの事情も把握できないまま事態を放置し、このことが本件をここまで長期化させ、深刻化させた大きな原因の一つとなった」という。これは裏を返せば、親方が事件を速やかに協会に報告していたならば、短期に解決できたと示唆していることになる。つまり、日馬富士の傷害事件は深刻化しなかったはずだと言っているに等しい。実際は、貴乃花親方の言動によってメディアによる騒ぎが大きくなり、協会は問題をうやむやのうちに収めることができなくなってしまった。日馬富士は白鵬の意向を受けた「下手人」 貴ノ岩の最初の「説明」を受けて、すぐに協会に一報すべきだったとする高野委員長の見解は、私には言いがかりのように聞こえる。鳥取県警に被害届を出した際、協会にも連絡をするよう親方が求めたことは妥当である。また貴乃花親方が、加害者側の伊勢ケ浜親方から協会に報告すべきと考えた、というのも事実だろう。この間の貴乃花親方の行動は、親方の協会不信を考えるならば当然というべきである。今回の問題を協会が興行上の配慮からうやむやにされる懸念を抱いたならば、貴乃花親方の言動は適切だったと理解できるからだ。 もう一つは、協会が鳥取県警からの連絡を受けて開いた11月11日の臨時理事会での対応だ。貴乃花親方が依頼したとおり、協会には県警から連絡があり、八角理事長以下の協会執行部に報告された。先の高野委員長の報告では、執行部が臨時理事会で「緊急に対応すべき案件とは認識していなかったため、報告はされ」なかったという。その際、理事会終了後に、鏡山危機管理部長が貴乃花親方と伊勢ケ浜親方に対して当事者同士で話し合うように要請したとある。内々で収めて解決したことにして、翌日に控えた九州場所を滞りなく興行させることを明らかに優先したのである。この重要な点について、危機管理委の報告は曖昧であり詰めが甘いと言わざるを得ない。 このように危機管理委の対応も不適切だが、そもそも日馬富士の暴行については、白鵬の言動に問題があった。当初、白鵬は貴ノ岩の言動を問題視し、「説教」を始めたところ、態度が悪い貴ノ岩を日馬富士が「制裁」を加えたのだ。白鵬ははじめ静観していたが、流血の事態になるに及んで、ようやく日馬富士を止めたようだ。まるで日馬富士は白鵬の意向を受けた「下手人」だ。どう見ても、一番悪いのは白鵬である。その白鵬が力士界を代表しておわびをし、「膿(うみ)を出し切る」と善人面で公言したのである。 要は白鵬が自分の非を感じていることは明らかである。九州場所の嘉風戦で、行司の裁きに不満を示して批判を浴びたことも併せて、自分の立場の危うさを感じたことは想像に難くない。それが千秋楽の優勝インタビューで、観客に万歳三唱を提案するという挙に出たに違いない。批判をかわすため「大相撲ファンは自分の味方だ」ということを演出したかったのだろう。2014年4月、靖国神社で奉納相撲が行われ、土俵入りした(左から)日馬富士、白鵬、鶴竜のモンゴル3横綱=東京都千代田区 ただ、白鵬が貴ノ岩を「教育」しようとしたのには、当然前提がある。モンゴル力士たちが自分の「支配」のもとで協調しているのに対して、貴ノ岩が従わないからに違いない。この考え方がそもそも間違っている。大相撲は相撲部屋を中心として運営されている。その上に一門があり連合げいこをすることもあるが、それ以外の徒党を組むことは悪い意味での「なれ合い」やひいては八百長を助長しかねないので、望ましくないのである。白鵬の二重三重の「しきたり破り」 稽古土俵での「かわいがり」は当たり前のことであり、これは出稽古に来たほかの部屋の力士に対しても同じだ。しかし、土俵外で他部屋の力士への「指導」は禁じ手であり、暴力以前の話である。確かに、上位力士が個人的に目をかけているほかの部屋の力士の面倒をみることはある。実際日馬富士は自分と境遇が似ている貴ノ岩に目をかけていたようだ。とはいえ、たとえ横綱でも、他の部屋の親方を差し置いてその所属力士を「教育」することは越権行為である。白鵬の場合、相撲協会における自分の立場を強化するために、モンゴル力士で徒党を組み、ほかの部屋の力士を「教育」しようとしたのである。 このように、白鵬は二重三重に相撲界の「しきたり破り」をしている。これは今回の事件に限ったことではなく、根が深い。相撲界の規律に厳しく、また現役時代から自らを律してきた貴乃花親方が白鵬の日ごろの言動を不快に思っていたことは、想像に難くない。しかし立場上、白鵬批判をするわけにはいかない。だからこそ、自らが仕切る部屋の力士に対する教育によって相撲界の規律を貫き、貴ノ岩はその指導を忠実に守ってきたのである。それに対して公然と反抗したのが、今回の白鵬であり、意に反して片棒を担がされたのが日馬富士である。 今回の問題には伏線があり、以前、白鵬が日本国籍を取得せずに親方になれるかどうか議論された際、私は次のように論じた。 白鵬は、勝ち負けに対する意識が非常に強いと私は感じる。記録という数字に対して、強いこだわりがあるのだと思う。それが数々の偉大な記録につながってきたのであろうが、勝負や数字に対するこだわりのために、立ち合いの駆け引きが目立ち、ときとしてダメ押しをしてしまう。常々素行の悪さを指摘されていた朝青龍が、事実上追放されたことは、白鵬の記録へのこだわりを生んだきっかけではないか。その傾向は、朝青龍の優勝回数に近づいたころから目立つようになった。記録で目にものを見せて、例外の存在を認める世論の盛り上がりを期待してきたのだと私は思う。毎日新聞『論点:大相撲の親方と日本国籍』(2015.03.20) そして白鵬の相撲ぶりや土俵態度については、すでに2011年ごろから問題を指摘されていた。また、2013年に朝青龍の優勝回数を超えたころから、徐々に張り手やかち上げが目立つようになった。2017年11月、大相撲九州場所12日目、御嶽海に張り手を見舞う白鵬=福岡国際センター(仲道裕司撮影) この白鵬の取り組みに関する評議員会の対応も問題がある。年明けの1月4日の評議員会では、貴乃花親方の2階級降格が決まったが、その際、池坊保子議長は貴乃花親方について「著しく礼を欠いていた」と厳しく批判した。その後池坊氏は、張り手はルール違反ではないと白鵬を擁護した。さらに「(モンゴル人は)狩猟民族だからね。勝ってもダメ押ししないと殺されちゃう。良い悪いは別にして、DNAかもしれない」と述べたと伝えられる。大相撲に対する見識のなさをさらけ出したと言ってよい。ダメ押しと「礼」、池坊議長の矛盾 ダメ押しがモンゴル文化に起因するというならば、日本の伝統文化の重要な一部である大相撲の精神として「それでよいのか」と問わねばならない。池坊氏のダメ押しについての見解は、貴乃花親方を批判した際、相撲は「礼に始まり礼に終わる」と言ったことと矛盾しているが、このことにご本人は気付いていないようだ。 池坊氏の言葉からも、協会の意向に合わせる姿勢がうかがえる。そもそもこのように大相撲に対して見識のない人間が、理事の承認や解任に責任を持つ評議員会の議長に就くのはなぜなのだろうか。相撲協会の改革のために、外部委員を入れて設置された評議員会の人選は、誰がいかなる基準で行っているのだろうか。2018年1月、日本相撲協会の臨時評議員会後、記者会見に応じる評議員会の池坊保子議長(加藤圭祐撮影) このように一連の問題で明らかになった日本相撲協会の本質は、多くの人が指摘するように、問題が生じた際に内々でうやむやに収めようとする「閉鎖性」だ。また、外部批判をかわし内部告発を押さえ込もうとする「興行優先」の姿勢だ。この姿勢が、親方や力士の不適切な言動に対して、自浄機能が働かず悪を助長してしまうのであろう。 こうした体質を象徴する例として、私は半世紀近く前の横綱玉の海の急逝を思い出す。死に至る経緯について私はさまざまな疑問を抱き、入院先の虎の門病院の大失態との意見もあったが、結局真相は報道されず「虫垂炎の手術は成功したが、肺血栓によって死亡した」との説明がいつの間にか定着してしまった。力士の虫垂炎の場合、術後の対応にことのほか気を付けなくてはならないことは、当時でも医者の間では知られていたはずだ。肺血栓は明らかに合併症であり、「虫垂炎の手術は成功した」とは言えないだろう。大病院と相撲協会との間に、何らかの裏取引があったのではないか、と私は勘繰っている。 そして今回新たに発覚した春日野部屋の暴力問題は、相撲協会の閉鎖性や自浄能力のなさといった問題の根深さだけでなく、協会と大手メディアや官僚機構に代表される日本社会、さらには世間一般との奇妙な関係をも垣間見させている。貴乃花親方の不可解に思える言動にも、それなりの深い理由があることを感じさせる。貴乃花親方が目指した「抜本的改革」とは ならば、貴乃花親方が目指す「抜本的改革」とは何だろうか。それは心技体を鍛え上げた力士が、堂々とぶつかり合って相撲の美を示すことができるよう、相撲部屋と一門の体制を強化し、いい意味での特権階級としての力士の意識をたたき込むことではないか。そして相撲部屋が機能しないときは、日本の伝統を守る特殊社会としての意識をもって協会が強い指導力を発揮することである。 北の湖前理事長は常に「土俵の充実」を掲げていた。八角理事長も今回の問題を受けて、初場所で同じ言葉を掲げ、稽古の重要性を強調した。確かにその通りだが、掛け声だけでは実現しない。大相撲の伝統においては、あくまで相撲部屋が基本なのである。その重要性を私は著書『大相撲の心技体』で以下のように論じた。 第1に、相撲部屋は、力士が鍛え抜かれた体と精神を持ち、すぐれた技芸を実現するための鍛錬の場である。第2に、相撲界特有の規範意識は、相撲部屋において親方の指導の下で身に付けるのが、最も効果的で意味がある。猛稽古を通じて勝ち取る特権階級の資格の意味及びそれに伴う社会的責任を力士に植え付けるのも、基本的に相撲部屋の役割であろう。第3に、相撲界と一般大衆との接点は、相撲部屋によって最も実質的に広げることができるはずである。『大相撲の心技体』(幻冬舎ルネッサンス) 心技体を鍛え上げた力士同士によるガチンコ勝負が、大相撲の基本であり魅力である。一方で大相撲には「儀礼文化」としての側面もあり、相撲ファンの期待、場所の状況や相手力士の調子、さらには相撲人生の流れによって、ときとして「なれあう」ことも大相撲に固有の一面である。古語の「なれやふ」とはひとつにする、互いに情が通じ合う、といった中立的な意味であり、共謀とも悪事とも無縁だったという。 鍛えぬいた力士同士のガチンコ勝負が基本としてあったうえで、「なれあい」の技芸は伝統芸能としての大相撲の興行を支える一面といえる。ガチンコ勝負となれあいとのバランスは、各力士が自らの責任において取るべきことである。このようないわば「心の勘定」を、「金の勘定」によって置き換えてしまうのが、世間でいう八百長である。 大相撲の世界は、世界のどのスポーツにも引けを取らない猛稽古によって支えられている特殊世界である。その中で強い精神と肉体を作り上げ、すぐれた技芸を身に付けた者が関取となる。関取は特権階級であり、さまざまな有形・無形の特典を享受するとともに、日本の伝統の重要な一部である大相撲を支え継承する社会的責任を持つ。 力士であっても社会的常識がなくてはいけないのは当然のことである。その一環として「暴力はいけない」というのは、本来力士に対して言わずもがなのことなのである。心技体を鍛え上げた力士は、社会に対して範を示すべき存在であり、「暴力はいけない」といった世間並みの説教によって力士をおとしめてはいけない。改革に反するモンゴル力士の「交流」 私は大相撲改革はまず自覚の問題だと思う。相撲協会としての姿勢、理事長や理事による親方の指導、親方による力士の指導、そのための意識改革と、相撲部屋と一門を中心とした協会の構造改革が必要である。相撲界という特殊世界に対する一般大衆による適切な認識は、意識改革に伴ってついてくるものであろう。 結局、このような改革に反するのが、一部モンゴル力士による部屋と一門を越えた「交流」だったのではないだろうか。その頂点にある白鵬に対して、協会はなすすべなく、美しくない相撲と不適切な言動を許してきた。今回の問題で明らかになったのは、白鵬の増長に象徴される国技の危機であり、その背景にある協会の長年にわたって解決されない問題であり、横審も危機管理委も協会の御用機関に留まっている。短期的な興行上の配慮によって、危機に対して気付かぬふりをしてはならないのである。 だが、私は外国出身力士が大相撲を豊かにしていると感じている。特に、モンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱が大相撲の伝統をつないでくれたことをありがたいことと思っている。伝統芸能を支え神事を体現する横綱ならば、ぜひとも日本の国籍を取って、引退後も協会に残って大相撲の継承・発展に貢献してほしいと願ってきた。 大相撲の伝統を守るにふさわしい力士といえる、日馬富士が引退に追い込まれ、貴ノ岩は被害者として大きなダメージを受けた。最近の美しくない相撲と不適切な言動によって、大相撲の伝統をおとしめ辱めてきた白鵬に対して、興行上の配慮から協会は及び腰である。ではどうしたらよいのだろうか。 貴乃花親方は立場上「白鵬を切れ」とは言えない。白鵬が大相撲に対する大変な功労者であることは否定できないからだ。白鵬は相撲協会における自らの立場を強化するために、モンゴル力士を糾合するまでもない。長年第一人者として大相撲を支えてきた白鵬の貢献は大きく、相撲協会に対する影響力が大きいことは、誰でもわかっているだろう。だからこそ、白鵬には大相撲への高い見識を求めたい。そのためには白鵬に対して強い指導力を発揮する者が必要である。それが誰であるか、私の目には明らかである。2012年1月、土俵祭りに出席した貴乃花親方(手前)と横綱白鵬=両国国技館(今井正人撮影) 日馬富士は、幕内最軽量でありながら、厳しい鍛錬によって小よく大を制すという、大相撲の醍醐(だいご)味を味わわせてくれた立派な横綱だった。その「全身全霊をかけて」という大相撲への取り組みは、大きな称賛に値する。暴力をふるってしまったので引退は仕方ないとはいえ、大相撲への多大な貢献にかんがみ、いつか復権してほしいと心より願っている。 戦後の大相撲は、あの大横綱双葉山の時津風理事長の時代、栃錦の春日野親方を若乃花の二子山親方が支え「第二の栃若時代」と言われた春日野理事長の時代、そして若貴フィーバーによって空前の大相撲ブームを巻き起こした出羽海理事長(のち境川理事長)の時代を経ながら、発展してきた。これらの時代を知るものとして、大相撲の現状と今後について強い懸念を持っている。 北の湖前理事長以降、開かれた日本相撲協会としての体裁を整える中で、協会とともに「国技」が軽くなってきた印象はぬぐえない。これからの大相撲と協会について、また協会と大手メディアや世間一般との関係について、あるべき姿をもう一度考え直す必要がある。そのための契機になるならば、今回の問題によるさまざまな犠牲も意味があったのかもしれない。

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    私が聞いた「モンゴル互助会」と相撲協会の黒い噂

    山岡俊介(ジャーナリスト) 貴乃花親方が日馬富士の暴行事件の報告を怠ったとして解任されてわずか1カ月ほどにも関わらず、今回、理事候補選に出馬したことに違和感を持たれる読者もいるかもしれない。 しかし、貴乃花親方は、横綱日馬富士(当時)による弟子の貴ノ岩に対する傷害事件の本質は、モンゴル人力士による「モンゴル互助会」からの八百長の依頼を断ったことに対する報復としての「集団リンチ」とみている。 ここに来て、昨年末の臨時理事会に提出したが無視された、貴乃花親方が貴ノ岩に聞き取りなどして自らの主張をまとめた通称「貴文書」が流出。暴行時、日馬富士はビール瓶どころかアイスピックを手に「殺してやろうか!」と言ったというし、同席していた白鵬の対応も、協会の報告書とは大きく異なっている。 私は貴乃花親方と事件後も交流のある関係者から、暴行の始まる前、「日馬富士は『八百長をOKすれば、お前を横綱にだってしてやる』といわれ、貴ノ岩は『そこまでして横綱になりたくありません』と答えた」とも聞いている。 貴ノ岩は本場所で白鵬に勝った(昨年初場所)が、白鵬はそのかなり前から貴ノ岩は地力があるとみて警戒し、関係者が貴ノ岩に何度も連絡して来ていて、貴乃花親方は、それを八百長への誘いとみて断らせていたそうだ。鳥取県警の再聴取を受けるため、鳥取に向け出発する元横綱日馬富士関=2017年12月、羽田空港 ところが、日本相撲協会にしてみれば、その事件の本質が表に出れば、日馬富士だけでなく、現場で傍観していた白鵬、鶴竜と横綱3人が一挙に辞任を余儀なくされ、そうなると興行そのものが成り立たなくなることから、高野利雄危機管理委員長(元名古屋高検検事長)と一緒になって逆に事件の隠蔽(いんぺい)に走り、協会への報告義務などを怠ったとの理由で自分を解任したとみているそうだ。 貴乃花親方にしてみれば、自分の属する組織に自浄作用がないから警察に頼ったまでであり、自分にはまったく非はないと考えている。 それどころか、相撲を愛する貴乃花親方は、そうした組織は一刻も早く改革しなければならない、それも内部からということで、そのためには発言力を付ける必要があるから時を置かず、理事候補選に出たわけであり、それに何の矛盾もない。八角理事長の恐怖政治に怯える親方たち もっとも、今回、貴乃花一門から貴乃花親方、それに阿武松親方(元関脇・益荒雄)の2人が出馬したことに対し、貴乃花親方のこの間の協会への徹底した非協力的な態度に一門内でも「分裂」した結果との見方もあるが、そんなことはない。 候補者を2人立てた理由は二つあり、一つは、たとえ貴乃花親方が当選しても、協会とつるむ評議員会(元文科副大臣の池坊保子議長)が認可しない可能性が十分あり得るとみていたからだ。本当にそうなっても、阿武松親方が当選すれば、彼を通じて貴乃花親方の意向を反映できるように「保険」を掛けたわけだ。 もう一つの理由は、貴乃花一門が2人立てなかったら、理事は定員10人のところ、10人しか立候補者はなく、無風選挙になるところだった。各一門、相変わらず「談合」で出馬を決めており、2010年2月、貴乃花親方が二所ノ関一門を離脱して立候補し、無風選挙の慣例を破った「貴ノ乱」以降、4期連続選挙になっているわけで、何としても再び無風選挙にしたくないという思いもあってのことではないか。 もっとも、貴乃花一門の確定票数は昨年末、無所属になった錣山親方(元関脇・寺尾)ら3人を入れても11票。当選には1人あたり9~10票必要であることを思えば、2人当選は非常に厳しいとの見方が専らだった。しかし、若手を中心に改革を目指す貴乃花親方を密かに支持する親方は一門外に相当数おり、理事候補選が実施されるまでは、勝算があると考えたからこそ2人立てたのだろう。 ただし、1人しか当選しない場合は阿武松親方の方が通らないと評議員会の未承認があり得る。結果的に貴乃花親方は2票にとどまり落選したが、一門内では当初、阿武松親方6票、貴乃花親方5票で調整していたのだろう。 最後に、貴乃花親方がどのような改革を目指しているかについてだが、八百長一掃のために現在の年6回の本場所回数を減らすほか、負傷の場合、翌場所も同じ地位にとどまることができる「公傷制度」の復活なども視野に入れていると聞く。 それから、こんな八角理事長体制に多くの親方が従うのは、「正論」を貫く貴乃花親方を徹底してイジメ抜く、恐怖政治に怯えてのことだろうが、その一方で、一部の幹部や取り巻きは「利権」に預かっているからでもある。2016年3月の横綱審議委員会に出席した八角理事長(右から3人目)、貴乃花理事(同2人目)ら=両国国技館(今野顕撮影) 貴乃花親方はその利権について、余剰金、親方の退職慰労金など総額200億円ともいわれている協会資金の流用疑惑といった不正の可能性があるとみており、それにメスを入れて行くつもりもあるようだ。

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    貴乃花親方の理念はどうすれば実現できるか

    春日良一(スポーツコンサルタント) 2月2日に行われた公益財団法人日本相撲協会の理事候補選挙は、注目を一身に集めた貴乃花親方が落選した。苦戦が予想されていたとはいえ、貴乃花親方の投じた一石が実らなければ、大相撲の未来はそれほど明るいものにはならないだろう。2018年1月、新十両昇進を決めた貴公俊の記者会見に臨む貴乃花親方=東京・両国国技館 元横綱日馬富士の暴行事件に始まる一連の流れを冷静に見れば、大相撲の抱えているガバナンス(組織統治)の欠陥に貴乃花親方が挑んでいたことだけは確かである。愛(まな)弟子が暴行を受けたとすれば、それを訴えるのは当然だが、そのような「事件」をうやむやにする体質が相撲協会にはあり、それを十分知り尽くしている貴乃花親方が法的処置を優先し、警察を通して相撲協会に報告が届く戦術を取ったのも、その証左であろう。 巡業部長が事件を報告しなければならないと同時に、愛弟子を守る親方としての倫理的行動が優先されるのは当然といえば当然である。なぜなら、相撲協会のルールは協会内部を統括する規定であり、暴行事件はそれよりも大きな社会、つまり和集合における問題であるからだ。 貴乃花親方が理事会に提出した報告書(貴乃花文書)の内容が明らかになり、そこには八角理事長や尾車、鏡山、春日野の各理事から「内々で済む話だろう」と被害届の取り下げを貴乃花親方に執拗(しつよう)に要請した事実が記載されている。これまでも相撲協会は社会的問題になりそうなトラブルが起これば、理事会がその都度、内々に「事なかれ」にしてきたことが推察できる。 それは私自身の経験からも、肌感覚で分かる問題である。かつて私は、日本体育協会という公益財団法人(当時は財団法人)の職員であった。1989年に日本体育協会から日本オリンピック委員会(JOC)が独立し、オリンピック運動推進と競技力向上を二本柱としてスタートするまでの十数年、協会に籍を置いた。ちなみに、JOCに日本体育協会(体協)から完全移籍したのは91年のことである。 体協は「みんなのスポーツ」運動を推進するが、この両団体ともスポーツ振興法(現スポーツ基本法)に定められたスポーツ界、唯二の特定公益増進法人であり、スポーツに関する寄付金の免税を享受できる希少団体であった。その二つの公益財団法人に身を尽くした経験から相撲協会の混迷がリアルに想像できるのである。 体協からJOCが独立するきっかけは、88年ソウル五輪の日本代表の低迷であった。金メダルが4つという厳しい結果にスポーツ界が声を上げ、「国民体育振興」を標榜する体協から独立して選手強化に集中するという建前だったが、実はJOCの本音はそうではなかった。 それは80年のモスクワ五輪不参加という、嘉納治五郎初代体協会長(講道館創始者)が築いた日本のオリンピック運動への不名誉に対する呵責(かしゃく)にあった。「オリンピックは参加することに意義がある」という理念を裏切った歴史的教訓を生かすために、当時の体協若手理事らが独立後のJOCの構想を練り、時を待っていたのである。それは日本のスポーツ史に残る「革命」とも言っていい出来事であった。スポーツ団体に派閥ができるワケ 80年当時のJOCは、体協の一組織という地位でありながら、国内唯一のオリンピック委員会として、日本代表の顔も持つアンビバレンツ(二律背反)な存在であった。体協は、当時会長だった河野謙三元参院議長が政治的パワーを駆使し、スポーツへの国庫補助金を増大させた実績を持つ組織だった。 1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するという名目で、時のカーター米大統領がモスクワ五輪ボイコットを自由主義圏に要請した。日米同盟を重視する大平正芳内閣は、伊東正義官房長官を体協理事会に派遣し、JOCがモスクワ五輪の不参加を表明するよう圧力をかけたのである。このとき、志あるJOC役員らは強硬に参加を主張したが、「君たちはもう日本のスポーツ界に金はいらん、というのか」という河野会長の恫喝(どうかつ)にひるみ、結果として不参加を決めた。この問題はマスコミにも大きく取り上げられたが、時のJOC体制派は世論に耳を傾けることよりも、大平政権の意向に従うべく調整を図る方向に動いたのである。 当時の若手理事の筆頭には、堤義明氏(コクド社長、アイスホッケー、スキー)や岡野俊一郎氏(サッカー)、古橋広之進氏(水泳)、笹原正三氏(レスリング)、松平康隆氏(バレー)、上田宗良氏(ホッケー)など、日本のスポーツ界を牽引した顔触れがそろっていた。むろん、彼らも五輪参加の志はあったが、体制派の前では本心を隠し、沈黙せざるを得なかった。1980年5月、JOC臨時総会後、モスクワ五輪の不参加を発表する柴田勝治委員長(中央)。右は岡野俊一郎氏=東京・渋谷の岸記念体育館 つまり、89年に誕生した新生JOCは「スポーツの自律」を守るという、五輪精神を体現する意味もあったのである。これは貴乃花親方が日馬富士暴行事件以来、相撲協会という旧態依然の組織と対峙して改革を訴えたのと重なる。 どういうわけか、スポーツ団体には必ず「派閥」が生まれる。それは、各スポーツで頂点を争った競技者たちが、そのスポーツとともに一生を遂げたいという心が遠因であるような気がしてならない。スポーツの世界では現役を引退すれば、それぞれ第二の人生を歩む。そして、ある程度の年齢になると、競技団体から役員就任の声が掛かり、自らが切磋琢磨(せっさたくま)したスポーツの振興に尽くそうとする。しかし多くの場合、役員は無報酬であり、いわば「手弁当」で団体運営を支える。濃淡はあれど、個々の思いで団体に関わり続けるのである。 競技団体は、選手強化や競技普及という目的を実現する「機能集団」であると同時に、ボランティア精神が支える「共同体社会」にもなる。そして、人の好き嫌い、相性の良し悪しでグループができ、いつしか組織のトップに立つという野心が芽生える。すると、そのグループは次第に結束を強め、「派閥」を形成していくのである。 スポーツ団体の役員改選は、2年に一度行われるのが通例である。むろん、どんな組織でも同じだが、その都度トップの座に誰が座るのか、役員同士の駆け引きが始まり、そこに派閥が絡んでいく。多くの場合、現体制を受け継ぐか、それに対抗する反体制派かで大きく分かれるが、仮に複数の派閥が絡んでいたとすれば、派閥同士の勢力バランスを意識しながら、役員改選が行われる。それはJOCも同じであり、過去には会長人事をめぐる「派閥抗争」が表面化したこともあった。結局好きか嫌いか 以上のことから鑑(かんが)みるに、今回の相撲協会理事選挙も同じように派閥抗争があったようである。体制派の筆頭である八角理事長に、反旗を翻した貴乃花親方という構図は分かりやすいが、水面下ではさまざまな駆け引きがあったことは想像に難くない。 むろん派閥同士の争いは、メディア操作も意識する。かつては怪文書が主流だったが、今の時代はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もある。どのようにメディアを利用するか、その戦術も頭にはあっただろう。春日野部屋の暴行事件隠蔽(いんぺい)も、なぜこのタイミングだったのか、誰もが思うところはあったのではないか。 こうした暴露合戦は、スポーツ団体では起こりやすい。JOCの場合、理事選出の際にはプロジェクトチームが組まれて、ある意味大っぴらに「根回し」が行われるが、大相撲にはこうしたプロセスがないので、メディアを利用した暴露合戦が散見される。テレビのワイドショーなどでは、理事が立候補演説などで自分の施策を述べれば、投票がしやすいという趣旨の発言をするコメンテーターもいたが、スポーツ界は「論理」よりも「好きか嫌いか」で左右される世界である。2018年1月、報道陣に囲まれる大砂嵐(右から2人目)=東京・両国国技館 「貴乃花親方の理念についていく!」ではなく、それが正しいかどうかでもなく、結局は親方が好きだから投票するのである。それがスポーツ界の派閥が形成される「第一原理」であるとも言える。大相撲全体のことを考えれば、必ずしもライバルの弱点を暴露することが良い方向に行くとは思わないが、この派閥争いに勝つための手段として、好きな親方のために悪手を選ばざるを得ない場合もあるのだろう。 混迷を深める大相撲であるが、もっと大きな問題はこれだけ不祥事があっても満員御礼が続いているという事実である。つまり、どんなに不祥事が発覚しようと、相撲は大多数の国民に受け入れられている。だから「事なかれ」でいいという結論になってしまう。とはいえ、健全なスポーツとして大相撲を普及させるという観点からみれば、今の状況が望ましいとは言えない。 この問題の核心は管理運営(アドミニストレーション)に対するプロフェッショナリズムの欠如にあると言える。大相撲の運営は、ある意味スポーツの理想形かもしれないが、引退した力士(年寄)が協会の仕事に就いて運営する形式である。確かに相撲のプロではあったかもしれないが、実際の運営能力についてはどうであろうか。  五輪関係組織の場合、役員と職員のバランスを保つことが肝心となる。例えば、体協職員は日本のスポーツ振興を担う唯一無二の組織であり、プロフェッショナルとしてその実務に使命をもって臨まなければならない。JOC職員はオリンピック運動普及を担う唯一無二のプロフェッショナルとして邁進(まいしん)しなければならない。それぞれの役員は、プロである職員の用意したシナリオを理解し、それを実行すべく会議で発言し、公の場で行動に移していく。使命を果たす気なければ「ただのサロン」 JOCであれば、オリンピック運動のための施策を役員が示し、それに職員がこれまでの知識、経験、情報を基に議論し、行動計画を策定して実行に移すプロセスが最も理想的な関係である。私の場合、最もうまく機能したのが、荻村伊智朗JOC国際委員長(国際卓球連盟会長)の時であり、彼との蜜月関係が長野冬季五輪招致の成功やアジアスポーツ界の分裂回避、そして東アジア会議創設などにつながった。 しかし、このような成功例は一方で、役職員がその使命を果たそうと思わなければ、それは「ただのサロンの集まり」と化す危険性もはらんでいる。言い換えれば、地位にさえ安住していれば、そこで起きたトラブルは、仲間同士でうまく解決することを優先してしまう。つまり、事が起こること自体を回避するのが目的となってしまう。今の大相撲はまさにこの悪循環ではないだろうか。 日本相撲協会は役員もかなりの高額報酬を得ていると聞く。報道によれば、理事で年収2100万円。お金も名誉も手に入れれば、そこに安住したくなるのが人情というものである。今後は、真摯(しんし)に「相撲道」を追求するという協会の目標に向かって、無報酬でも取り組む人材で理事会を構成し、事務局強化に資金を投じることを考えるべきではないだろうか。大相撲初場所を終え、横綱審議委員会に臨む八角理事長(右から2人目)ら日本相撲協会執行部=両国国技館(田村亮介撮影) また、相撲協会の定款には「目的」の一つに「国際親善活動」が明記されている。この活動にもっと精力的に取り組めば、世界への普及という新たな視野が開け、密室的な相撲協会の体質改善になるだろう。外国人力士が増えてきた今こそ、彼らを大相撲アンバサダーとして海外に派遣し、相撲の普及を図り、日本の精神を世界に広める活動に力を注ぐべきである。 言うまでもないが、JOCの場合、オリンピック競技大会が「世界平和構築」運動という理念の場に参加するのが目的である。そこに参加する各競技の選手役員は、自身の競技だけではない「次元を超えた体験」をし、その意志を目覚めさせる。 大相撲は日本の伝統的国技であり神事でもあるが、一方でスポーツとしての価値も追求すべきだろう。詳しくはまた別の機会をいただきたいが、かつて私は世界の格闘技を研究し、相撲ほど格闘技の粋を圧縮したものはないと思っている。「総合格闘技の頂点」として、大相撲のあり方も相撲協会再生のヒントになれば幸甚である。大相撲を救うのは、世界への視野と行動しかないのかもしれない。

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    「栃ノ心優勝」を喜ぶ前に必要な相撲界の大手術

    赤坂英一(スポーツライター) 大相撲初場所は西前頭3枚目の栃ノ心が初優勝を飾った。ジョージア出身の力士としてはもちろん初めてで、平幕優勝は1場所15日制が定着した1949年夏場所以降、2012年夏場所の西前頭7枚目・旭天鵬以来6年ぶり。栃ノ心が所属する春日野部屋では1972年初場所の初代・栃東以来、実に46年ぶりのことで、歴史的快挙と言ってもいい優勝だった。初場所優勝から一夜明け、笑顔の栃ノ心=2018年1月29日、東京・墨田区の春日野部屋(撮影・田村亮介) 青い目を潤ませながら「きょうは最高の日です。うれしいです」と語った栃ノ心の優勝インタビューを見て、胸が熱くなったテレビ桟敷のファンも多いだろう。2006年春の入門から12年目、手塩にかけて育て上げた春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が感涙にむせんでいたのも無理はない。が、愛弟子がこれほど感動的な優勝を飾ったいまだからこそ、一般社会に対してはっきり説明しておかなければならないことが、この親方にはあるはずだ。 初場所の最中、過去に春日野部屋で力士による暴行事件が発生していた事実が明らかになった。2014年、兄弟子(現在は引退)が弟弟子の矢作嵐さん(22歳)に殴る蹴るの暴行を加え、顎を骨折させるなど全治1年6カ月の重傷を負わせたものである。病院で治療を受けたいと言う矢作さんに対し、春日野親方は「冷やしておけば治る」などと言って部屋のかかりつけの整体治療院へ行くよう指示。その後、矢作さんが病院で診察を受けると、即座に手術を受けるようにとの診断が下り、現在も味覚障害などの後遺症が残っているという。 矢作さんは約1カ月後、兄弟子を傷害容疑、春日野親方を保護責任者遺棄容疑でそれぞれ刑事告訴。兄弟子は16年に懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定し、春日野親方は不起訴処分になった。春日野親方は相撲協会理事長・北の湖親方、危機管理部長・貴乃花親方、広報部長・出来山親方(いずれも当時)には報告したと話しているが、協会は一連の事実を一切公表していない。こうした対応に納得できなかった矢作さんは、17年3月22日付で、春日野親方と兄弟子に3000万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。 当然のことながら、同じ春日野部屋にいる栃ノ心もこの事件を知っていたはずだ。それ以前に、栃ノ心自身、春日野親方に手ひどい暴行を受けているのである。矢作さんの事件より3年前の2011年、親方は栃ノ心ら3人の弟子を拳に加え、ゴルフのアイアンで殴打。部屋に警視庁本所署の捜査が入り、グリップの折れたアイアンが発見された。親方は任意の事情聴取に、「外出の際に着物を着るよう何度も注意したが、言うことを聞かないので殴った」と証言。記者会見にも応じ、「正直、やり過ぎたと反省しています。弟子たちには、もうげんこつは入れないと言いました」と、殊勝にコメントしていたものだ。相撲協会に必要な大手術とは この事件は、栃ノ心らが被害届を出さなかったため、これで沙汰止みになった。被害者のひとり、栃矢鋪は本所署の事情聴取に対し、「自分たちが悪かったのだから被害届は出しません」と語ったと報じられたが、果たして真相はどうだったのか。それから僅か3年後に矢作さんが兄弟子に顎の骨が折れるほどの暴行を受けたことを考えると、春日野部屋では依然として恒常的に暴力が振るわれていた可能性もある。 相撲界では2007年、時津風部屋で斉藤俊(当時17歳、四股名:時太山)が時津風親方や兄弟子の暴行によって死亡。親方をはじめ加害者4人が傷害致死容疑で逮捕され、親方には懲役5年の実刑判決が下った。この事件のあと、北の湖親方は自ら文科省に出向いて謝罪し、「再発防止委員会」を設立。協会を挙げて暴力や体罰の根絶に取り組んでいたはず。時津風部屋では金属バットが凶器に使われていたことから、竹刀や木刀を持って指導に当たっていた親方たちには、そのような凶器になる物を稽古場に持ち込まないようにとのお達しも下った。 しかし、現実には4年後の11年、バットではなくアイアンで、春日野親方が栃ノ心らを殴っていたのだ。その3年後の14年、今度は矢作さんが兄弟子の拳骨で顎を骨折させられていた。原因も状況も異なるとはいえ、貴ノ岩が日馬富士にカラオケのリモコンで、頭が割れるほど殴られた事件も、そうした過激な暴力を容認している角界独特の雰囲気が生み出したような気がしてならない。会見に臨む春日野広報部長=2018年2月1日、両国国技館(撮影・山田俊介) 栃ノ心の優勝は確かに感動的だった。が、それでは、感動したファンが、自分の子供が相撲取りに憧れているからといって、春日野部屋に入れたいと思うだろうか。相撲協会は遅まきながら、文科省の指示を受け、全力士から暴力問題に関する聞き取りを行うというが、どこまで徹底した調査が行われるのか。これまで相次いだ不祥事の事後処理を見る限り、甚だ疑問と言わざるを得ない。 同じ公益財団法人の全柔連は2013年、セクハラ、パワハラ、金銭問題などで理事が総辞職した。相撲協会も同じくらいの〝大手術〟が必要なときに来ているように思う。あかさか・えいいち スポーツライター。1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    誰がなんと言おうと、私は「文春砲」が許せない

    。 テレビのワイドショーは、不況で制作費が不足しているのか、週刊誌報道を元ネタにして番組を作り、不倫スキャンダルを全国に広める役回りになり下がった。世間の人も、週刊誌を買えば400円程度の出費になるが、テレビは無料である。 「日陰者」が日の当たるところに出て、大手を振って公道を歩くような時代は尋常ではない。たとえは悪いが、極道がマスコミに出て自らの仁義を開陳するようなことがあれば、それはもはや極道ではない。 その点では、不倫疑惑を報じる週刊誌などはパパラッチと同じである。大義や正義があるわけではない。読者や視聴者の好奇心を刺激して金もうけをたくらんでいるだけの話である。しかも、パパラッチ以上に始末に負えないのは、検察官であるかのように正義を振りかざし、不倫の当事者を断罪しようとすることである。 取材した記者は、実名を公開し、顔を全国にさらすわけでもない。陰に隠れて書いている。だから「日陰者」なのであり、そう言われるのが嫌ならば、正々堂々とテレビの画面に顔を出し、名を名乗ればよいだけの話である。自分が他人を断罪できるほど、品行方正な道徳人とでも思っているのであろうか。 第四は、ネット社会の到来である。みんなが元気に前を向いて進んでいた高度経済成長時代には、インターネットは存在していなかった。今のツイッターと異なり、つぶやいても周りの数人にしか届かない。むろん、発信者が誰かもすぐ分かる。会見で芸能界引退を表明した小室哲哉氏=2018年1月19日、エイベックスビル しかし、今はネット全盛時代である。匿名でツイートする個人的意見や、偏向どころか嘘の情報が大手を振って世間に流れていく。そして、その真偽も確かめられないまま、世論形成に一定の影響力を持ってくる。フェイクニュースの大御所、トランプ米大統領が「フェイクニュース大賞」を発表するという皮肉な時代である。 今回の小室報道は、「文春砲」の成功に酔いしれた週刊文春が、大衆の反発を招き、逆噴射して自らに襲いかかったものである。小室氏の引退表明がなければ、そうはならなかったかもしれないが、週刊誌の居丈高な臆測記事でひとつの才能が消されていくことに、大衆は大きな怒りを感じたのである。金もうけ目当ての、この程度の不倫記事で優秀な人材が活躍の場を失われるような非生産的なことは、「もうやめたらどうか」という思いが、世の中の主流となってきているとすれば、それは健全な流れであろう。 第五に、日本は法治国家ではなく、相変わらず「空気」に支配される国だということである。日本国憲法31条は「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めてある。姦通(かんつう)罪があった時代ならいざ知らず、小室氏とその「愛人」は刑法を犯したわけでもない。それにもかかわらず、「法律の定める手続き」ではなく、週刊誌が作り出す空気や世論によって断罪されるとすれば、日本は法治国家の資格がない。 今回の騒動が、憲法が国民に保証する基本的人権の大切さをみんなに知らせたことの意義は大きい。

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    「文春砲」が許せない

    有名人の不倫スキャンダルを数々報じた『週刊文春』が逆風に立たされている。きっかけとなったのは、音楽プロデューサー、小室哲哉の不倫報道だった。「他人の不倫を暴いて誰が得するの?」「もう廃刊しろ」。スクープ連発で話題を集めた「文春砲」はなぜ批判の的へと一変したのか。その深層を読む。

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    『週刊文春』が完全に悪者扱いされるのは残念です

    あるのです。普段の姿からは考えられないといえば、タレントのベッキーはその顕著な例でした。川谷絵音とのスキャンダルについての会見を終え退室するよう事務所関係者に促されるベッキー=2016年1月6日、東京(撮影・山田俊介)  あるいは、悪行とまではいかなくとも、芸能人のけしからんと思える行為を報じることによって、その芸能人が糾弾されたりすれば、極端な話、記者はまるで自分が悪を懲らしめる仕置き人にでもなったかのような「ちょっとしたヒロイズム」に浸れることがあるのも事実です。 小室氏の場合は「奥さんが大変なときに何をやっているんだ」と非難の声が上がり、「『文春』はよくやった!」となるはずだったんでしょうが、そのもくろみは見事に外れました。砲弾が逆にはね返されたという見方もできますが、とどのつまり「小室氏の方が一枚上手だった」ということじゃないでしょうか。不倫報道を続ける意義 さて、「不倫報道を週刊誌が続ける意義」についてですが、ちょっと曖昧な言い方になりますが、意義の位置づけによって異なるのではないかと思います。  結論から言えば、不倫報道は週刊誌的には意義があると思います。しかし社会的にはほぼないと思います。「ほぼ」というのは、ときどき意義がある場合もあるからです。  しかし、それを言ったら芸能ニュースなんてほとんど意義のないものばかりです。芸能ニュースではありませんが、テレビのニュースでときどき流れる、「中国の奥地で、子どもが壁の穴に首を突っ込み、抜けなくなったため、レスキュー隊が出動し、壁を壊して救出」といったたぐいのニュースも意義があるとは思えないのですが…。 だからといって、不倫報道を止めてしまえというのは賛成できません。その先に「報道の自由」が奪われてしまう危険性も感じてしまうからです  週刊誌は雑誌です。いろいろなジャンルの記事が掲載されていて、芸能記事はその一部です。芸能記事はスキャンダルばかりではありませんが、前述のように「芸能人の裏の顔」を報じたいとなれば、必然的にスキャンダルが多くなります。もちろん芸能人のスキャンダルを一切扱わない週刊誌もありますが、不倫をはじめ芸能人のスキャンダルを報道するのは、週刊誌の持つ性質上不可欠なことなのだと思います。 また、週刊誌はいわゆる商業誌です。売れなければ意味がありません。売れるためには読者が興味を持つ記事を掲載しなければなりません。三省堂書店神保町本店の雑誌売り場=2013年2月8日、東京都千代田区(山田泰弘撮影) 「不倫報道を続けることで部数を伸ばそうとしている」と指摘した方がいましたが、芸能人の不倫を報じたくらいで販売部数が極端に増え、売り上げが伸びるなんてことは、今の時代では有り得ません。確かにベッキーのときは売れたようですが、本当にまれなケースだと思います。 今、週刊誌を購入して読む人は少ないです。昔に比べたら売れなくなっています。芸能人の熱愛や不倫を報じても、それほど部数に影響しないということは、どの週刊誌も写真誌もとうの昔に気づいています。 ですから、今はどの週刊誌もウェブに活路を見いだしているわけで、そこにテレビが関わってきました。週刊誌はウェブ配信用に動画を撮影するようになり、その動画をワイドショーが買って流すようになりました。不倫報道でペナルティーを与えなければいい 今、ワイドショーが芸能スキャンダルを独自にスクープすることはほとんどありません。週刊誌報道を紹介するのみです。たまに当事者を取材するときもありますが、それも週刊誌報道が元になっているわけですから、ワイドショーが週刊誌に依存する割合はかなり大きいといえます。週刊文春に不倫疑惑を書かれたことを受けて開いた会見で芸能界引退を表明した小室哲哉=2018年1月19日、東京都(撮影・佐藤雄彦)  しかも自前で取材、撮影するよりはるかに低いコストで手間もかからずに映像を入手することができ、視聴率も上がるとなったら、こんなありがたいことはありません。週刊誌にとっても、本体が売れなくなった分をそこでカバーできているわけです。 もし、テレビが週刊誌の記事を紹介しなければどうなるでしょうか。最近の若者は芸能ニュースにそれほど興味がないし、週刊誌も読みません。ネットで芸能ニュースをチェックする年配の人も少ないと思います。となると、週刊誌の不倫報道を知るには電車の中吊り広告か新聞広告になります。報道の拡散は格段に狭くなるだろうと思います。 また、ワイドショーで芸能人の不倫疑惑が扱われるとき、コメンテーターが「不倫は当事者の問題だから他人がとやかくいうことではない」とコメントするのをよく耳にします。でしたら、最初から扱わなければいいだろうということにならないでしょうか。  話はそれますが、「不倫や浮気は犯罪じゃないんだから、そんなにたたくことはないだろう」という人もいます。その通りです。ですから、ペナルティーを与えることをやめればいい。小室氏は「引退は自分に与えた罰」みたいなことを語っていましたが、不倫したからといって、番組を降板したり、CMを中止したりするのをやめればいいんです。 考えてみてください。仮にベッキーが冷凍食品のCMに出演していたとします。彼女が不倫したからといって、それまでその食品を食べていた人が買うのをやめると思いますか? キャラクターの不倫で本当に商品のイメージダウンなどあるのでしょうか。 「テレビが不倫報道をしなくなったら日本が変わる!」なんて言っていた人がいましたが、そんな大げさなことではないでしょう。そもそも芸能人の不倫なんて、そんなに大騒ぎするほどの話ではないと思います。当事者以外には関係のないことですから、周りは1週間もたてば飽きてしまうし、その時にはまた新しい話題が出ますから。世の中、そんなものです。 テレビで不倫報道を扱わなければ、週刊誌も注目されず、大きな騒動にもならないと思います。『文春』を批判する人たちも、雑誌を買わなきゃいいし、読まなきゃいいんです。そうなって本が売れなくなったら、自然と芸能人の不倫が記事になることもなくなるでしょうね。 しかし、下世話な話に興味がある大衆がいる以上、そうなるとは思いません。バッシングを受けたくらいで『文春』は砲撃をやめることはないと思いますし、それで腰が引けてしまうほどやわじゃないです。それが週刊誌の矜持(きょうじ)だと思うのですが。

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    芸能ゴシップ好き日本人にみる「文春逆炎上」の正体

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) インターネット、紙媒体問わず、芸能人や有名人のスキャンダル、ゴシップ記事が世の中をにぎわさない日はない。その背景には需要、つまりそれらのニュースを求める世間が存在している。日本人は、特にスキャンダルが好きな民族だといわれている。テレビ番組を見ても、いまだにワイドショーでは芸能ゴシップが話題の中心であり、これは他の先進諸国では見られない光景だ。記者会見を終え、引き揚げる音楽プロデューサーの小室哲哉=2018年1月19日、東京都港区 ではなぜ、日本人はスキャンダルが好きなのか。しばしば「芸能人へのねたみ」や「羨望(せんぼう)」がその背景にあると指摘されることがある。あるいは、誰しもが持つ「秘密を知りたい」といういわゆる「のぞき趣味」の心理も無関係ではない。全てに共通しているのは、日本人がいかに他人を意識して生きているか、ということだ。 他人を意識せざるを得ないのは、自分の人生への満足度が低いことと関連している。人は誰しも、自分の理想とする自分になれたり、自分が立てた目標を達成することを志向している。現実の自分と理想の自分が一致することを心理学では「自己実現」というが、それは人生において究極の目標であり、ゴールでもある。しかし、多くの人がそれを成し遂げられているかというと、そうではない。さらに言えば、現実と理想が乖離(かいり)すればするほど、人は苦しむ。 そんな中で、スキャンダルというある種の人の不幸にフォーカスする心理は、自分を慰める行為にほかならない。「あれだけ成功している人でもこんな失敗をするんだ」とか「あんな立派な人でも倫理観は低いんだ」と他者を低く見積もり、そして攻撃することで、相対的に自分の位置付けを高めて安心しているのである。 つまり、理想通りとはいえない現状の自分や、思い通りにいかない日常を肯定する一つの材料にしているのだ。逆にいえば、スキャンダルに見向きもしない人は、「自分の人生への満足度が高い人」である。数字で測れない側面を評価する日本 このような心理は決して不健康なことではない。心理学では自己肯定感や自尊感情を保つことが重要であるといわれているが、自分を守る行為は日々心身ともに健康に生きていくためには必要な営みだ。むしろ日本人は、世界的に見ても自己評価が圧倒的に低い傾向にあるので、心理的な課題といってもよい。2015年の国立青少年教育振興機構の調査によると「自分はダメな人間だと思うことがあるか?」という問いに対して実に7割から8割の高校生が「そう思う」と答えているほどだ。 本来は、絶対評価、つまり自分の中だけで自分を肯定的に評価できるのが理想である。他人がどうあれ、「自分はこれだけできた」、「自分のこの部分は誰にも負けない」と感じられればよいのだが、そもそも自己評価が相対評価にならざるを得ない理由は、日本の社会文化的背景に起因している面がある。 良くも悪くも、日本は実力主義にはなりきれないところがある。例えばそれは教育にもよく表れていて、過去の詰め込み型教育への反省から、知識や技術の高さだけではなく、数字では測れない人間の側面を評価しすぎる面があるのだ。 例えばそれは「学習態度」であったり、物事に対する「意欲」であったり、課題に向き合う「姿勢」であったりする。実はこれらは全てテストの点数のような客観指標ではなく、「○○君は○○さんよりも授業の態度がよい」といったように、他者との比較で評価されるものなのである。その結果、子供たちは異様に他者を意識するようになったとも指摘されている。 そして大人になり、社会人になり、自身のアイデンティティーが確立すればするほど、自分の価値を意識せざるを得ない場面が増えてくる。職業人として、家庭人としてなど、複雑でさまざまな役割を同時にこなす日々の中で、次第に明確な自分との比較対象を見いだしにくくなる。その中で、「問題を起こした芸能人・有名人」は、たとえ一時的にでも「自分より充実した人生を送れていない他人」として、格好のターゲットになるのだ。週刊誌が並ぶJR東日本の駅売店「キオスク」=2005年2月撮影 本質的には、自己肯定感は相対評価の中では高められにくい。幼少のころから育まれてきた他人との比較の中でかりそめの安心感を得る行為が、他の対象において見いだせない限り、スキャンダル報道への心理的な需要はなくならないのかもしれない。お相手とされる女性への苦言 日本ではスキャンダル報道の対象が炎上することはあっても、報道機関や組織に批判の目が向けられることは少なかった。しかし、今回の小室哲哉氏「不倫疑惑報道」に際して、1月17日に『週刊文春』の公式ツイッターアカウント「文春砲」から投稿されたエントリーに対しては、4000件以上のリプライがあり、その多くが「廃刊しろ」「心がない」「ほんとに不愉快」「調子に乗りすぎ」といった批判で占められた。さらにツイッター上では、「#文春不買運動」「#文春を許さない」「#文春廃刊」などのハッシュタグまで登場し、バッシングの波が起きている。 表面的にみれば、今回の小室氏の騒動が他の文春砲と違うのは・不倫疑惑の裏にある介護の大変さが明らかになったこと・小室氏の会見が発言内容も含めてふびんに見えたこと・対象となっている小室氏が「引退」という形で引責したことに起因して、同情や共感を買いやすい対象になったことである。文藝春秋の本館ビル(山崎冬紘撮影) 「小室氏は批判に値する対象だ」という認識は少なくなり、世間の攻撃先は文春に向けられた。攻撃はネット上での批判という形で具現化され、時にストレスのはけ口となったり、「かわいそうな小室さん」を擁護する正義感の表れとなったり、前述のように自分を慰めたり、不安を下げることにつながっている。 しかし一方で、「介護しているからといって不倫してよいわけではない」とか「芸能活動『引退』といってもこれまでと何が変わるかが分からない」とか「会見で同情を買おうとしている」などといった小室氏に対する批判の声も少なからずあり、これはそれまでの文春砲の対象に向けられる視線と遜色ない。 私自身は、これまで別メディアで小室氏自身の心理にも言及してきたが、加えてお相手とされる看護師の女性には苦言を呈したい。看護師や、われわれのような臨床心理士もそうだが、医療や相談、カウンセリングに関わる対人援助職の多くは、患者やクライアントが悩みや不安を抱えたり、心身が弱っているときに仕事を通して接することがほとんどである。 そのような関係性の中では、患者からの好意を持たれやすいことはプロフェッショナルならば誰もが認識しているはずだ。そこには一線を引いて対応しなければならないというのは基本中の基本であり、常に留意しておかなければいけないところでもある。 もちろん、プライベートな関係性につながる人と人との出会いにもなりうることは否定しない。しかし、もし仮に看護師自身が患者に好意を抱いてしまったならば、担当を外れることが定石であり、それができなかった彼女は「プロ失格」と言われても反論の余地はないであろう。小室哲哉が「大好き」な日本人 少し話はそれたが、今回なぜ小室氏に対する批判が少なく、結果的に文春に対する風当たりが強くなったのか、それは日本国民における小室氏の存在の大きさに起因していることに他ならない。 小室哲哉氏はいうまでもなく1990年代にJ-POPを牽引(けんいん)した音楽プロデューサーであり、空前のヒットを生んだTRF、安室奈美恵、華原朋美、鈴木あみ、篠原涼子、globe、H jungle with tらを手がけ、間違いなく時代を体現する存在であった。関連CDの総売り上げは1億7000万枚以上を記録し、1996年にはオリコンシングルチャートのトップ5を独占したこともあった。 つまり、それだけ日本人は小室氏が「大好き」なのである。年代の差はあれど、生み出した曲の知名度や手がけた有名アーティストの人数からしても存在は絶大であり、他の文春砲をくらった芸能人・有名人とは、支持者の多さからみても格が違うともいえる。また、一般的な心理的傾向として過去の思い出は実態以上に美化される傾向があり、今回の件を通じて改めてノスタルジーに浸った日本人も多いはずだ。1996年11月、小室哲哉がプロデュースしたglobe、安室奈美恵の小室ファミリーが集結し、ライブを行った 米国の心理学者であるレオン・フェスティンガーが提唱した「認知的不協和」という概念がある。これは、人が矛盾する認知(考え方)を同時に抱えた状態を指すが、そもそも人は誰しも言動の整合性を保とうとする心性があり、矛盾や葛藤を抱えた状態はストレスにつながる。要するに、自己が一貫性を維持できていない状態は非常に「気持ちが悪い」のだ。 前述のように、小室氏を「大好き」な日本人が「小室氏の不倫」という嫌悪し攻撃に値するネガティブな事柄に向き合ったらどうなるか。「大好きな人を批判し攻撃する」というのは基本的に矛盾した言動である。たとえそれが自分の地位を相対的に高めるものだったとしても、潜在的にモヤモヤするのが普通なのである。 今回の場合、そのような認知的不協和を解消する方法は二つある。まず一つは、矛盾する二つの考えや行動のどちらかを変えることだ。つまり「小室氏を嫌いになって批判する」か、「小室氏を好きなまま批判しないことにする」のどちらかになることだ。前者の場合は、「嫌いな人を批判する」となり矛盾はなくなり、後者の場合も「好きな人を批判しない」となりモヤモヤすることはない。だが、小室氏は、前者を選ぶには世間にとって偉大すぎる存在なのだろう。今回の「文春逆炎上」の正体 もう一つは、「大好き」と「批判したい」という二つの矛盾する認知を両立することであり、これが今回の「文春逆炎上」の正体である。すなわち、「小室氏に対して好意的な感情を持ったまま、批判する感情は表出したい」、その気持ちの行き着く先が文春砲だったのだ。そして、介護に疲れた同情すべき、「大好き」な小室氏の助け舟にもなりうる批判を、憎むべき文春に向ける、という個人の一貫性・整合性を保った心理的ストーリーが完成したのである。 過去に文春砲にさらされたロックバンド、ゲスの極み乙女。のボーカル、川谷絵音氏は、この機に際してツイッターで「病的なのは週刊誌でもメディアでもない。紛れも無い世間」と投稿している。これが小室氏の騒動に関連したものだとすれば、「音楽業界の偉大な先人である小室氏は批判したくない、でも文春を攻撃するのは過去の自分を正当化しているとも取られかねない」という葛藤した心理が働いた末、第3の攻撃対象を見いだしたのかもしれない。2017年5月、約5カ月ぶりに活動を再開して行った復活ライブを終え、マスクをして会場を後にするゲスの極み乙女。の川谷絵音(撮影・早坂洋祐) またタレントのヒロミ氏も、フジテレビの番組内で「文春が悪いとは思わない」としたうえで、「世の中がスポンサーに言うとかして、(スキャンダルを報じられた芸能人が)テレビに出づらくなくなる。世の中の人たちでしょ、そうやって葬り去ってるのは」と言及しており、小室氏も文春も批判したくない矛盾した心理をこの発言で解消しているようにも見受けられる。 一部には「不倫報道にはもう飽きた」という声があるものの、文春砲に対する批判は小室氏に特異的なものであり、継続的な影響は限定的であると考えるのが自然だ。次の不倫報道が出た際には、これまで通り批判しやすい炎上芸能人・有名人が現れてくることだろう。また仮に、多少矛先がそれたとしても、どこかの誰かに対する批判は永遠になくならない、ということは明らかなことである。そうして人は一定程度の健全な自己を保っていくものなのだ。 しかし一時的であるにせよ、プライベートの報道のあり方や倫理観に一石を投じた小室氏の会見やその存在は、一つの問題提起として意義のあるものであった。また、先の見えない高次脳機能障害の家族に対する介護の現実や大変さについて身をもって世の中に伝えたことは、同じく壮絶な介護を過去に経験したり、そのただ中にいる人たちの思いを世間に代弁することにもなりうるという意味で、介護者として生きていくことを決めた彼の新たな功績と位置付けられるべきではないだろうか。

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    小室哲哉不倫報道論争 逃げ場を残すのは報じる側の矜持

    』元編集長の元木昌彦氏『週刊現代』元編集長の元木昌彦さんはこう言う。「週刊誌は創刊以来、不倫を含む『スキャンダル』と『メディア批判』は大きな柱。けしからんという声は昔からあるが、そこは揺るがない。文春だって引退させたいと思っていたわけではないだろうし、多少の批判で撤退するほど週刊誌はやわじゃない。これだけ不倫報道が注目されるニュースならば、今後も情報が手に入れば不倫報道は続くだろう」 とはいえ、週刊誌のスキャンダル報道にも“一線”があるはずだ。介護で追い詰められた小室さんの精神状態は、行き場をなくし、引退に至った。人間臭いスキャンダルを追うからこそ、人間の気持ちを理解し、最後の逃げ場は残しておく──それも報じる側の矜持だ。 高橋みなみの次のコメントが多くの人の心情を代弁するのかもしれない。「小室さんの会見を見てたら涙が出てきた。誰がこの会見を見て言葉を聞いて、責められるのだろうか。何が正義なのかわからない」関連記事■ globe・KEIKO ゆず・北川悠仁と本気で結婚したがっていた■ 記憶を取り戻したKEIKO 小室哲哉の呼びかけにglobe歌う■ 小室哲哉「不倫引退」への同情をどう滲ませるべきなのか■ 秋元優里アナも? 真面目な人ほど「車内」にハマる傾向■ 高岡早紀 ハワイ留学した17才次男のとんでもない問題に直面

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    「ガチンコと品格」を求めたら、相撲になかったことがバレてしまう

    山田順(ジャーナリスト) 横綱日馬富士による暴行事件が発覚してから、iRONNAをはじめ、これまで何本か論評を書いてきた。大手メディアがおおっぴらに言えない「ガチンコ」vs「注射」の問題が背景にあるので、その歴史やメカニズムについて言及した。すると、どうしてもこれを肯定的に捉えることになり、「正義」という見地からしかものを見ないネット民から嵐のようなブーイングを浴びた。以下、その代表的なものを記す。「あなたは注射(八百長)を容認している。それを伝統文化であるとし、国技だとしている。そんな国技ならないほうがマシだ。相撲協会は公益財団法人を返上すべきだ。なぜ擁護するのか」「これでは相撲はプロレスと同じだ。それなら、協会はそれを認めるべきだ。なぜそのように書かないのか」「ガチンコだと力士の身体が持たないと言うなら、年間の場所数や巡業を減らすなり工夫すればいい。そのような建設的な提案をすべきではないか」「あなたは結果的に相撲協会を擁護している。注射という不正行為が行われているなら、それを告発するのがジャーナリストとしての正しい態度ではないか」 2017年5月、大相撲夏場所12日目の立合いで栃煌山(左)にかち上げをする白鵬=両国国技館(山田俊介撮影) これらのどれにも私は反論できない。最後の「ジャーナリストとしての正しい態度ではないか」には、「そうですね。申し訳ない」と言うほかない。たしかに、正義を追求しなければジャーナリストではない。春日野部屋の暴行傷害事件隠蔽(いんぺい)が発覚したいまとなれば、私の姿勢は間違っていたと言うしかない。 すでに2007年の時点で、時津風部屋は17歳の力士を暴行死させている。このとき日本相撲協会は、再発防止を固く約束した。そして、2011年には八百長が発覚して裁判にもなったが、司法からお目こぼしをしてもらい、事なきを得ている。こんな経緯があるのに、結局協会はなにも変わっていない。もはや、注射がどうのなどと言っていられない。 ただし、言い訳を言わせてもらえば、私はジャーナリストとして論評したのではなく、相撲を絶えずウォッチングしてきた一ファンとして論評した。「清濁併せのむ」という言葉があるが、水をすべて清くてしまえば、魚は死んでしまう。表向きはスポーツだが、裏では談合が行われ、金銭のやり取りもある。ガチンコと注射が同時に行われる「格闘技ショー」が相撲である。 だから、清いスポーツだけになった途端、これまでの相撲は相撲ではなくなり、歴史も伝統も国技もすべて吹っ飛んでしまう。「大横綱」大鵬の優勝32回も、「国民栄誉賞横綱」千代の富士の53連勝も、白鵬の最多優勝40回と63連勝も、全部吹っ飛んでしまう。すべて注射なしでは成りたたなかった記録だからだ。したがって、「それでいいのだろうか?」という気持ちがまだかすかにある。新興宗教に洗脳された殉教者 ガチンコで22回優勝した貴乃花親方が、ガチンコを貫いたからこそ「相撲道」を追求し、相撲はどこまでもフェアでなければいけないと考えるのは十分に理解できる。しかし、どんなに歴史をさかのぼっても、相撲に「道」など存在しない。あるとすれば、それぞれの力士のなかにそれぞれ別個に存在しているだけだ。そして、それらは多くの場合、単に相撲はこうあらねばならないと洗脳された結果だ。 貴乃花親方は、「偉大なる阿闍梨(あじゃり)」池口恵観法師に送ったメールに《“観るものを魅了する”大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わりの私の天命があると心得ており、毘沙門天(炎)を心にしたため己に克つをを実践しております》(原文ママ、『週刊朝日』2017年12月12日号)と書いているので、「張り手&カチ上げ横綱」としてもっと稼ごうとしている白鵬より、はるかに志が高い。しかし、相撲教習所に掲げられている「角道の精華」を信じているので、こうなるとまるで新興宗教に洗脳された殉教者だ。 「相撲道」=「角道」という以上、「相撲とはなにか?」を具体的に定義しなければならない。そうして初めて「道」として語れる。では、相撲とはなんだろうか。これに関しては、私に忘れられない思い出がある。以下、その思い出のもとになる『週刊文春』のコラム記事を引用する。“縄好調”千代の富士に英国賭博会社の大ボヤキ 千代の富士の意外な(?)絶好調に青ざめているのがダイノサイト社。おなじみ英国政府公認の賭博会社だ。 九州場所の優勝力士当てで、病み上がりの千代の富士に5倍のオッズをつけたら投票が殺到。10万円単位で勝負してくる客がいたりで、最終オッズは2.2に下がってしまう。「しかし、オッズ5倍のときに買った客は5倍の配当が支払われるため、千代が優勝したら胴元は大赤字です」(関係者) 旭富士は胴元のつけた2.8倍のままで、北勝海は3.5倍→3.8倍、霧島は4倍→3.4倍と大きな変動がなかったのを見ても、千代に大量投票が集まったのは明らかだ。「胴元、日本シリーズのMVP当てでも、デストラーデに40倍をつけて3千万円近い赤字を出した。『日本人は遊びを知らない、本気で大金を賭けてくる』とボヤいてます」(同) エコノミック・アニマルをナメたらいかんぜよ。『週刊文春』1990年11月29日号 とのことなのだが、この後、英ブックメーカーは本当に青ざめることになった。千代の富士が優勝してしまったからだ。これで多大な損失をかぶったうえ、さらに富山県在住の日本人会員に任意の2力士のマッチベットに大金を賭けられてこれも当てられ、なんと2500万円もの配当(リターン)を払わなければならなかったからだ。1989年7月、大相撲名古屋場所千秋楽の優勝決定戦、上手投げで北勝海を下す千代の富士。奥は審判をする北の湖親方 このとき、知り合いの日本在住の英国人記者が、私に聞いてきた。彼はブックメーカーが本命にした横綱旭富士を買って外していた。相撲は『フェアリープレー』だな 「なんで千代の富士にあんな大金を賭けられるのか教えてほしい。千代の富士は休み明けだ。競馬だったら、絶対にこない。だからブックメーカーもオッズを5倍にしたのに」。彼の質問はもっともだった。場所前、千代の富士は休場明けで稽古も足りていないとスポーツ紙は報道していた。それに比べて、夏場所と秋場所を連覇してきた旭富士は絶好調だと伝えられていた。私の答えは書くまでもない。「相撲はフェアプレーではないからね。力士たちは土俵の外で星(勝敗)の売り買いをしているんだ」「まさか」「知らなかったのか?」「ああ。となると、相撲はフェアプレーではなくて『フェアリープレー』だな」 さすがに英国人。ジョークがきつかった。フェアリーとは「fairy」で「妖精」のこと。フェアリーテールは「おとぎ話」だから、フェアリープレーはさしずめ「おとぎ遊び」になるだろう。相撲はフェアリープレー。この言葉はその後、ずっと私の頭の中に残った。 ところで、「相撲道」と言われて思うのは「横綱の品格」である。こちらもなんだかわからない。定義がない。 1992年、千代の富士が引退後の土俵で、横綱昇進間違いなしの成績を残した大関小錦は、横綱審議委員会(横審)で推挙もされなかった。それで、米紙ニューヨーク・タイムズは「小錦が横綱になれないのは人種差別のせい」という記事を載せた。要するに、外国人は品格が理解できないとして不当に差別されていると言うのだ。2010年2月、大相撲初場所中に起こした泥酔暴行問題の責任を取り、引退表明した横綱朝青龍=両国国技館(千村安雄撮影) 当時、作家の児島襄氏が『文藝春秋』に「『外人横綱』は要らない」という論文を寄稿していた。そこには、「国技である相撲は、守礼を基本とする日本の精神文化そのものであり、歴史や言語の違う外国人には理解できない」とあり、明らかに「横綱の品格」は日本人だけしか持ち合わせないものになっていた。 しかし、その後、曙、武蔵丸、朝青龍と、外国人横綱が次々誕生した。なんのことはない、外国人にも「品格」があることになってしまったのである。そのため、白鵬の「あれは待っただイチャモン」と「千秋楽みんなでバンザイ」が問題視されることになった。 このようにすべてはいい加減、そのときのムード、風潮、空気で決まる。この空気で物事が決まるというのは日本独特の文化だから、相撲はその意味で日本の伝統文化といえる。ただし、空気は存在するが、それを証明することはできない。 朝青龍は「品格」について悩んでいたという話がある。NHKの刈屋富士雄アナウンサーが相撲中継の折に、一つのエピソードとして語ったところによると、朝青龍は刈屋アナに品格とはなにかと何度も聞いてきたという。それで、刈屋アナは「人よりも自分に厳しいこと。人よりも努力をすること。そして、人に対して優しくあること」を挙げたという。朝青龍はこれを聞いてうなずいたそうだが、「それよりも勝つことのほうが大事なんじゃないか」と言ったという。道を究める必要などない どう見ても、これは朝青龍の認識のほうが正しい。このウルトラ現実主義ゆえに、朝青龍は巡業をサボって「草サッカー」をやって追放されてしまった。 日本ではどんなものにでも「道」をつけて、精神的なものに仕立てあげる。そして、入門してきた弟子たちに、精神を磨かせ、精進して道を究めさせるということになっている。「華道」「茶道」「書道」「剣道」「合気道」―みなしかりだ。 しかし、「華道」は花を活(い)けること、「茶道」はお茶をいれること、「書道」は筆で文字を書くことである。いずれも精神性などなくともできる。例えば、○○の花は茎を何センチに切って、角度は何十度に活けるなどとやれば、「華道の精神(心)」などなくても作品はでき、できた作品には心が宿っているように見えるだろう。 しかし、実際にはそうは言わない。「いまこの季節を感じさせるように、心込めて、このように、こうして剣山に1本ずつ差していきます」などと言うだけだ。これでは、入門して自分の目で確かめなければなにもできない。 そう考えると、日本の「道」は、本当はマニュアル化できてしまうのに、わざとそれをつくらずに、ない心をあるように見せかけているだけのように思える。まさに、ものすごいビジネスの知恵である。いまは、3Dプリンターでなんでもできる時代だ。かつて匠の技とされたものは、分解再生すれば、単なる複雑な工程にすぎない。どこに、道を究める必要があるだろうか。 相撲道も同じだ。マニュアル化、定義化したら、ないことがバレてしまうので、精神性にすり替えている。ルールブックを整備し、フェアプレーだけにしてしまうと、「道」も「品格」もなくなってしまうだろう。2010年7月、各部屋の力士が持ち帰る、解雇された元大関琴光喜の名前が入った大相撲名古屋場所の番付表=愛知県体育館 しかし、いまだに騒動が続く相撲界を見て思うのは、ここまで事態が泥沼化したというのに、なぜ誰もハッキリと真実を言い、私にクレームした「正義の使者」たちのような提言をしないのだろうか。相撲は虚構の上に成り立っているのだから、スポーツから外しましょうと。 いまだに相撲は新聞ではスポーツ欄に載り、テレビではスポーツニュースとして報道される。NHKは全国に生放送して、「一番一番」を垂れ流している。注射力士たちがトクをして、ガチンコ力士がソンをしているなどと、一度も言ったことがない。 それにつけても思うのは、角界を去っていった力士たちが、この状況をどう見ているのだろうかということだ。ばくちで負け続けて借金がかさみ、朝青龍に27連敗した元大関琴光喜はなにを思っているだろうか。2011年の八百長事件で、八百長を認めざるを得なくなった恵那司、春日錦、千代白鵬の3人は、どうしているだろうか。「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」とメールした清瀬海はどうしているだろうか。 テレビ局よ、できればこうした元力士たちを生出演させて、思い切り語らせてほしい。このままでは、この騒動に千秋楽は訪れないだろう。

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    「相撲の品位」とはなんぞや

    次ぐ不祥事である。神事を起源とする相撲は、わが国の国技として古くから愛される伝統文化のはずだが、なぜスキャンダルがこうも後を絶たないのか。

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    貴乃花親方が「狂信的なカルト信者」に思えてきた

    杉江義浩(ジャーナリスト) 相撲が日本の国技であり神事でもある、という考え方には異論をはさむ人も、もしかしたらいるかもしれません。別に法律でそう定められているわけではなく、日本相撲協会が定款でそう名乗っているだけだからです。 一方で相撲をレスリングやボクシングのような、フルコンタクト系格闘技の一つとして、単にスポーツであると位置づけるのはもっと無理があります。古事記に由来する相撲の歴史をひもとくまでもなく、相撲が神道に基づくものであり、世界に類を見ない日本独自の重要な伝統文化であることは、誰の目にもあきらかでしょう。 私は相撲を一つの美学だと考えています。美学であるからこそ横綱には品格が求められます。また良い一番だった、良くない取組だったという、勝敗とは別の要素で評価をされることもしばしばあります。ルールブックのみに基づくのではなく、礼儀・所作をより重視したマナーの観点がそこにはあります。「大相撲beyond2020場所」で三段構えを披露する白鵬関(左)と稀勢の里関=2017年10月、両国国技館(代表撮影) 最近では横綱白鵬が「張り差し」や、「肘(ひじ)打ち」とも見られる「カチアゲ」といった打撃系の技を多用し、横綱らしい取り口ではない、と非難されるケースが多く見られました。相撲の禁じ手には「肘打ち」は含まれませんから、白鵬がスポーツとしてルール違反をしたわけではありません。 しかし顔面や頭部への「肘打ち」は深刻なダメージをもたらすため、ほとんどの格闘技においては禁止されています。私もこの技を見て危険だと思うだけではなく、相撲として美しくないと感じました。 もちろん禁じ手でなければどんな攻め方をしてもルール上はよいわけです。ローキックさえも許されます。でもはたして観客は、掌底(しょうてい)による張り手やローキックの応酬による、キックボクシングみたいな取り口の相撲を見たいと思うでしょうか。 考えてみれば相撲をスポーツとして捉えると、ルール自体は意外と曖昧で、それ以前にあうんの呼吸やしきたりで成り立っている、というべきかも知れません。もっとも重要な試合開始の瞬間さえも、互いの力士があうんの呼吸で決めているわけです。 「ゴングが鳴らない唯一の格闘技」とイギリス人の生物学者、ライアル・ワトソンは述べていますが、立ち会いの瞬間は行事が決めるのではありません。両方の力士が互いに目を合わせ、腰を下げて気迫が十分に満ち満ちたと思った瞬間が試合開始です。 その際には両者が左右の手を完全に下まで降ろしていることが、正しい立ち会いとされていますが、実際には努力目標といったところでしょう。両手が地面につかずとも、両者合意で立ち会い成功に至るケースは、しばしば見かけることがあります。重要なのは「あうん」の呼吸 立ち会いまでの、仕切りと呼ばれる時間の制限についても、NHKが中継をするようになって決められましたが、かつては両方の力士の呼吸が合うまで、好きなだけ時間を使って仕切り直しをすることができました。なんとも日本的な、あうんの呼吸で重要なことを決める、独特のシステムではないでしょうか。 さらに暗黙のマナーとして、横綱や大関が格下の力士に対して小細工を弄(ろう)するような技、関節技などを用いるべきではない、というもの。取り組み前に、滑らないように胸や腹の汗は拭っておくこと、など基本的な約束事が道徳としてあると言われています。 かつて角界のプリンスと言われた貴乃花親方は、「力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事」に始まる10カ条の訓辞を掲げています。力士道と「道」の文字を使っていることから、親方が弟子の道徳教育に熱心であったことは、たしかにうかがい知れます。  昨年貴ノ岩が暴行を受けた事件で、親方が日本相撲協会の危機管理委員会に非協力的だったのも、その弟子を思う熱心さゆえに、組織との信頼関係が築けなかったのが原因だったのだと言う意見も、多く聞かされました。理事会に出席した貴乃花親方(左)=2017年12月、東京・両国国技館(桐原正道撮影) しかし実態はどうでしょうか。貴乃花親方の目指す相撲の姿、伝統美と厳密なガチンコ相撲を両立させようとする理想像は、致命的な矛盾をはらんでおり、無理があります。これこそが相撲協会に受け入れられない真の理由だと私は考えます。伝統美の継承と、厳密なガチンコの二兎を追うことは、そもそも混乱を招くだけではないかと、私は常々思ってきました。 厳密な意味でのガチンコというのは存在しない、と私は考えています。理由は簡単。そんなことをすれば、お相撲さんが死んでしまうからです。究極のガチンコとは、立ち会いの瞬間に互いに頭と頭でぶつかり合うことです。新弟子の朝稽古では必ず最初にやらされます。しかしたちまち脳震盪(のうしんとう)を起こすので、まもなく左右どちらかの肩にぶつかる、安全なスタイルに切り替えられるのです。 その時点でもうガチンコではありません。大相撲は6場所15日間、大きなケガをせずに力士たちに土俵に上がってもらい、美しい相撲を観客に披露するのが第一の使命です。もし単なる格闘技、スポーツとして厳密なガチンコを追求すれば、ケガで休場する力士が続出するでしょう。頭突きや打撃系の技で、血まみれになった土俵を、はたして美しいと感じられるでしょうか。 二律背反である伝統美とガチンコを、両立できると信じている貴乃花親方は、もはや科学的にはありえない「神風が吹く」といった思想の域に達していると感じます。狂信的なカルト宗教の信者なのでは、とさえ私には思えるくらいです。現実的に伝統文化の継承を目指す日本相撲協会と貴乃花親方とでは、描いている理想像が異なるのが当然だと言えるでしょう。横綱は神の「依り代」 公然と星のやりとりをする八百長はいけませんが、全力でぶつかりながらも自分がケガをしない、相手にケガをさせない、といったあうんの呼吸による調整は絶対必要です。そういった曖昧な部分も含めての、限りなくガチンコに近い全力試合をする、というのが、いかにも日本的な相撲道の本質だと思います。 ちなみに日本の国技であり、神事でもある大相撲ですが、その担い手は、今やご存じのようにモンゴル人をはじめとする外国人力士たちに頼らざるを得ない状況です。その前は高見山、小錦、武蔵丸といったハワイ系アメリカ人に頼っていました。  私が相撲に関するニュースで最もショックだったのは、2007年の名古屋場所における、新弟子検査の受検者がゼロであったという、小さな新聞の囲み記事でした。おりしも時津風部屋力士暴行致死事件も発覚し、もはや日本人の若者で、力士を目指すものはいないのではないか、と暗澹(あんたん)たる気持ちになったのを覚えています。 大相撲では番付が十両に上がって、ようやく年収1600万円の報酬があるというものの、年間6場所15日、その間の地方巡業など長期にわたる拘束日数を考えると、他のプロスポーツ選手に比べて、決して割のいい商売とは言えない側面があるのは否めない事実です。明治神宮で奉納土俵入りをする横綱白鵬(右)=2018年1月、東京都渋谷区(宮崎瑞穂撮影) 恵まれた肉体を持った小中学生男子が、将来はお相撲さんよりはプロ野球選手に、あるいはプロサッカー選手になりたいと希望するのも、無理はない気がします。伝統文化という重たい職責を背負わされて、前近代的とも思われる厳しい稽古に耐えるには、それ相応の魅力がなければなりません。 最高のフィジカル・エリートとしてのプライドを持てること同時に、幕下からそれなりの報酬が保証され、横綱になれば億単位の報酬が得られるという金銭的なインセンティブが必要でしょう。それを裏付けるには、観戦料を高くしなければなりませんが、私にはそれはやむを得ないことのように思えます。 相撲は他のスポーツのようにシューズメーカーからウェアメーカーまで国際的なスポンサーがつく業界とは違って、あくまでも日本に来てもらい、観戦料を払って伝統文化に触れてもらう、典型的なインバウンド業界です。そこに日本の伝統美を感じてもらい、その精神を楽しんでもらうことができるなら、力士の国籍に関係なく熱狂的なファンをつかむことができるはずです。 求められているのは、勝敗よりも美意識です。あくまでも日本の文化として相撲の美学を貫くことによってこそ、知日派の外国人にも訴求できるはずです。例えばフランスのサルコジ元大統領は相撲を嫌ったが、シラク元大統領は大の相撲ファンだったというのは有名な話です。単なる格闘技、スポーツであれば、そこまで人を引きつけることはできなかったでしょう。 そこに相撲道という哲学がある限り、相撲は世界中の人に愛され親しまれていく可能性を十分に秘めている、日本の誇るべき伝統文化だといえます。それだけに力士たち、とりわけ綱を身につけ神の「依り代」となる横綱には、日本の美学を代表する存在として、誰からも尊敬される精神の高みを担う、特別な覚悟を持って日々を送ってもらいたいものです。

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    「相撲は力ではなく流れ」白鵬が語った横綱論

    赤坂英一 (スポーツライター) 私が初めて白鵬にインタビューしたのは、横綱昇進から2年しかたっていない2009年6月のある日だった。当時、まだ24歳だった白鵬の印象を一言で表すとすれば、「好青年」に尽きる。いつも明るく、周囲に気を遣い、インタビューではこちらの質問の意図を即座に読み取って、明確かつ具体的なコメントをしてくれた。 その中でもとくに印象に残っているのは、白鵬自身の考える「横綱相撲」とはどういうものか、である。日本人の相撲ファンは往年の大鵬や貴乃花のように、相手の相撲をがっちり受け止め、堂々と寄り切る相撲を「横綱相撲」と認識しているが、白鵬は丁寧に言葉を選びながらこう言った。 「まあ、やっぱり、寄り切りで、一番安全な相撲ですね。こう、押していけばそうなる。相撲には流れがありますから、流れるときは流れて、こっちから出るときは出る。それで勝つのが昔ながらの横綱相撲じゃないかと、ぼくの中では思うわけですよ」 「ただ、それ(横綱相撲)、最近の(ファンの)人たちにはわからないんじゃないかな。奥が深い相撲はね。見ていても、全然面白くないでしょう。やっぱり、(観戦に)来てるお客さんたちは、激しく豪快な相撲を見たいわけですから」 その「激しく豪快な相撲」の好例として、白鵬は意外にも、当時のライバルだった朝青龍の相撲を挙げた。「いま、(ファンやマスコミの)みなさんが好きなのはああいう相撲だよね。これまでになかったスタイルの相撲だから」と言うのである。寄り倒しで横綱・朝青龍(左)を破り、全勝優勝を阻んだ大関・白鵬 =2006年7月23日、名古屋市(共同) 白鵬はいま、相撲が横綱らしくない、取り口が汚い、などと批判されている。が、白鵬は白鵬なりに、「昔ながらの横綱相撲」とは何かを理解していた。実際に、土俵でもそれをやって見せていた。にもかかわらず、客席が沸くのは常に天衣無縫に暴れ回る朝青龍のほうだったのだ。そんなジレンマに加えて、いつまでも〝優等生〟を演じることに我慢がならず、もっと好きなように相撲を取りたい、と思うようになったのではないか。白鵬の哲学「相撲は力ではなく流れ」 最近、よくタイミングをずらす、張り差しが多い、と批判されている立ち合いについても、白鵬は当時から自分なりの哲学を持っていた。そもそも「立ち合い自体が相撲にしかない独特のものだから」と、こう言うのだ。 「ああいう始め方をするのは相撲だけです。ボクシングならゴングが鳴るし、柔道は審判が〝始め!〟と言うし。陸上でも球技でも、選手は別の人に〝ヨーイドン!〟と言われて始めるでしょう」 「相撲は相手との間合いというか、お互いに呼吸を合わせて始まる。その立ち合いが成立したところで、行司が軍配を返してね。そういう意味で、相撲は力じゃない。相撲は流れなんですよ。流れがあって、その流れがちょっとでもズレたら負ける。いくら横綱でも」 相撲ならではの流れを読み、ときには流れに任せ、ときには流れを支配し、最後に勝つ。それが白鵬の考える「横綱相撲」だとすれば、現在のような立ち合いに変わったのも当然かもしれない。それが、貴乃花親方や日本人のファンの目にどう映ろうとも、だ。明治神宮で奉納土俵入りをする横綱、白鵬=2018年1月9日午後、東京都(宮崎瑞穂撮影) ちなみに、仕切りで手を着くルールが厳格に適用されるようになったのは割と最近で、2008年のことである。いまは手を着いてないと行司に仕切り直しを命じられるが、昔は手を着いた力士のほうが逆に、「奇襲に出た」などと言われた。これについて、白鵬の意見はこうである。 「仕切りって面白いよね。昭和の初めのころは、ちゃんと手を着いてたんだ。その後は、もう、手を着かない。(昭和時代の相撲の)映像を見ても、全然、着いてない。いまじゃルール違反ですけど、当時はそれでよかったんだよね」 「だから、どういう時代の横綱が一番強いかというのは、難しいでしょう。どの時代の人が強いかは、相撲も違うし、やってみた人にしかわからないんだから。昔の時代と、いまの時代と、実際にやってみたらどっちが強いかというのも、難しいですよ」 現在進行中の日馬富士暴行問題にまつわる言動はともかくとして、24歳の白鵬は極めてまっとうな「相撲論」を語っていた。ボクシングや柔道に様々なタイプの王者がいるように、大相撲にもいろいろな個性を持つ横綱がいてもいいはずである。貴乃花親方の説く相撲道は確かに正論だが、だから白鵬が間違っているとは、私には言えない。あかさか・えいいち スポーツライター。1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒。日刊現代・スポーツ編集部記者を経て2006年独立。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!日本全国8時です」にレギュラー出演中。『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園――記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)、『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)、『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

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    多額の取材謝礼を払っている? 週刊誌の嘘とホント

    織田重明 (ジャーナリスト) 週刊文春が絶好調だと言われる。 甘利経済再生担当大臣やタレントのベッキー、さらには“イクメン議員”だったはずの宮崎謙介衆議院議員と、次々と文春のターゲットにされ、撃沈していった。今年に入ってから、完売はすでに3回。これより前に文春が完売したのは3年も前というが、出版不況にあえぐ雑誌業界にあって3回立て続けの完売は驚異的なことである。辞任を発表し、悔しそうな表情を見せる甘利明・経済再生担当相(当時)=2016年1月28日、東京都(斎藤良雄撮影) 民放テレビ各局の情報番組では、「週刊文春によれば……」と文春の記事をそのまま流している。自社でウラも取らずに文春の記事を放送することについてメディアとしていかがなものかと批判するむきもあるが、どだい民放のマンパワーでは独自のウラ取りなんてとても無理である。 民放各局にも報道局という部署があって記者がいるが、これは正午前や夕方、さらに晩のニュース番組のための取材や原稿書きをするためにいるのであって、午前中や午後の情報番組のための人員ではない。文春が書いてくれ、ある程度、社会的に認知された記事であれば、一も二もなく飛びついてしまうのである。 文春側もしたたかなもので、最近ではテレビ各社に対して、「週刊文春によると」とのクレジットをしっかりつけるよう求めるだけでなく、画像や記事の使用料を取るようになったという。少なくない経費をかけて取材をしたわけだから、テレビ各局にタダ取りされてはかなわないということだろう。 ネットには「なぜ文春はスクープを連発するのか」という類いの記事が多く掲載されるようになった。週刊誌の記者による取材や制作過程に関心が高くなっていると思うと、たいへん喜ばしいことだが、一般に広がっているイメージのなかには誤りも多いので、この機会に指摘してみたい。①多額の取材謝礼を支払っている のっけからカネの話で恐縮だが、この誤解に対してはきちんと言っておきたい。文春がなぜ強いのかと書いたネット記事のなかにこう書いているものがあったからだ。 文春にかぎらず週刊誌はネタ元に対して多額の謝礼を支払っているとのイメージが世間では強いようだ。なかでも文春は他社よりも高額であると。だから、多くのネタが集まってくるのだという理屈だ。 私が知るかぎり、かつてある大手出版社の某週刊誌が大物芸能人と暴力団幹部が一緒に写った写真を入手するのに、百万円を超える謝礼を払ったことがある。担当編集者にオリジナルの写真を見せてもらいながらその額を教えてもらった時に、驚いた記憶がある。 ただし、これは今ではかなりレアなケースだと思う。第一、ネタをカネで買ってくれと言ってくるような人物は信用ならないことが多い。カネ欲しさに話をでっち上げるようなことだってするからだ。 かつてインタビューを受けてくれた相手から多額の報酬を請求されたことがあったが、きっぱり断ったことがある。そんな額、どうやっても経理の担当者が認めるわけがないし、そもそもインタビューが掲載されることであなたが主張したいことが一般読者にも伝わることになり、あなたにとってもプラスの影響が出るはずだ、そう説明した。相手も最後は納得してくれた(と思う)。繰り返しになるが、多額の取材謝礼を支払うなんてあり得ない。多くは我々記者が足で稼いだ成果だ。週刊誌はカネや圧力で記事を引っ込めるのか②週刊誌の記事は信用ならない 残念でならないが、一般にこう思われているのも事実だろう。たしかに週刊誌のなかには事実かどうかよりも、耳目をひく見出しで読者に読んでもらう、買ってもらうことが目的と化したようなひどい飛ばし記事も目立つ。ただ、文春には週刊誌業界では定評がある取材力の高い記者が多く、こうしたひどい記事を書かずとも記事になっていると思う。 一方で、文春も含む週刊誌は新聞やテレビに比べて、記事に書かれた側から訴えられることが多く、裁判所も取材する側に厳しく接することが多いために、敗訴することが少なくない。 だが、これは新聞やテレビが際どいネタを取材しなくなったことの裏返しでもあると思う。もちろん取材には万全を尽くすべきだが、格好のネタがあるのに取材をしようともしないというのでは話にもならない。 甘利氏の秘書らに金銭を渡していたと自ら名乗り出た告発者の場合、文春の記者に接触する以前に大手新聞社の社会部記者に同じ話をしていたことは我々の業界ではよく知られた話だ。この記者は告発者から話を聞いておきながら、それを上司に報告することもなく、そのまま放置していたという。同じ社の別の記者によると、どうもその記者は、告発者から話を聞いてピンと来ず、むしろ怪しいヤツと思ったからとも、どうせ社内でネタを潰されると思ったからとも説明しているそうだが、どちらにしても社会部記者としてかなり問題である。苦境の週刊誌業界でしのぎを削る「週刊文春」と「週刊新潮」 告発者の素性に疑問を持ったとしても、金銭授受の事実があったのであれば、それを調べてみるのが社会部記者たる者の最優先すべき仕事のはず。政治家がからむ案件で潰されるかも知れないと心配するのはそのあとだ。 その意味では、このネタに食らいつき、記事化までに半年もかけて取材を重ねた文春の記者は見事だというより他ない。週刊誌が信用ならない記事を書くのではなく、新聞やテレビが際どい記事をやりたがらないだけだ。③週刊誌はカネや圧力次第で記事を出したり引っ込めたりする これも多くの人から、「週刊誌ってそうなんでしょ?」と聞かれることだ。そのたびに「今どきそんなことする雑誌なんてありませんよ」とムキになって反論するが、なかなか信じてもらえない。 だが、こんなことをやってはおしまい。週刊誌だってメディアの端くれ、報じる意義がある、世間が求めている、だから報じるのであってカネや圧力で記事にする、しないを決めるなんてありえない。 新聞各紙は、毎年、元旦に特ダネを掲載するのが習わしになっている。今年も某大手紙が、中国でスパイと疑われ拘束されている日本人の動向についてスクープを打ってくるとの情報が事前に流れたが、実際には掲載されなかった。これをめぐってその新聞社の社内で政治部が社会部に圧力をかけたために掲載されなかったんだという、まことしやかな噂も聞こえてきたが、さすがにそんなことはないだろう。そんなことをすればメディアにとって自殺行為だからだ。 週刊誌だって同じ。そんな心構えでやっているつもりなのだが。

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    「芸能人VS記者」番組急増 ワイドショーの芸能ネタ変化も影響

    と詰め寄る場面も。こうした番組は年明けも続いた。1月8日『あるある議事堂SP』(テレビ朝日系)では、スキャンダルをすっぱ抜かれたタレントが、それをスクープした記者本人から撮影したときの裏側を明かされて驚いていた。 もちろん今までこのような番組がなかったわけではない。2000年前後も『壮絶バトル!花の芸能界』(日本テレビ系)や『芸能界激突デスマッチ ワイドショーの主役』(テレビ朝日系)といったワイドショー系の特番が何度も放送、いずれもタレントと記者との対決が話題を呼んでいた。 しかし、当時スクープを提供していたのは梨元勝氏(2010年死去)や井上公造氏、城下尊之氏、石川敏男氏といったワイドショーのレポーターがメイン。現在の芸能ワイドショー特番では、週刊誌やスポーツ紙の記者が多いのが特徴だ。 その背景としてはやはり、ここ最近の『週刊文春』を始めとする雑誌メディアの報道合戦が大きいだろう。スクープを連発する記者たちがどんな人間なのか、何を思っているのか、裏方を表舞台に出して聞き出そうという狙いからオファーが絶えないのだ。 また、プロフェッショナルと芸能人と戦わせるという形式はトークバトルとしては定石だ。例えば『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)も、もともとは2000年に放送された『絶対に訴えてやるぞ!!芸能人VS弁護士軍団・大爆笑!法律バトル』というスペシャル番組が原型となっている。またこれまでも「VS占い師軍団」、「VS美容家軍団」、「VS結婚カウンセラー軍団」など、さまざまな組み合わせがあったが、「VS芸能記者」もその延長線上にある。 そうしたトークバトルは、パッケージさえ作っておけばシリーズ化も可能。また予算の多くは出演者のギャランティーだけで済むのでコストパフォーマンスが良い。芸能レポーターの役割はなくなった? さて、先に述べたとおり、最近の芸能記者とタレントのトークバトルには芸能レポーターがあまり出演していない傾向があるが、それはワイドショーの芸能コーナーの均一化と無関係ではない。 かつてのワイドショーでは番組ごとに専属のレポーターを雇っていたが、制作費削減の今ではそれが難しくなっており、自然と、独自のネタを入手することもできない状態になっている。また個人情報保護法(2005年完全施行)によるプライバシー重視の風潮や、新たに叫ばれるようになったコンプライアンスという名のもと、過度な取材を自主規制するようになり、相対的にスポーツ紙や雑誌の情報を紹介する機会が増えている。  熾烈なスクープ合戦を繰り広げていた当時は、芸能プロダクションに対しても強気の姿勢を見せていたが、有力芸能プロダクションがドラマからバラエティーまでテレビメディアに大きな影響力を持っている今、ワイドショーでもそうしたプロダクションとも平和的につき合うようになり、軋轢を生むような報道はほとんどなくなった。 さらにこれまでは記者会見を通して発表されていた結婚などのニュースも、今や所属事務所からのFAX1枚で通達されるか、もしくはタレント本人のTwitterやブログなどで知らされるのみ。芸能レポーターの本来の役目はなくなり、現在、スタジオで、芸能情報をわかりやすく解説する“翻訳者”になってしまっているのだ。(iStock) そうした流れのなかで、バラエティーを制作する側が、芸能レポーターに出演してもらうより“生”の情報に日頃から接している週刊誌やスポーツ紙の記者に出てもらったほうが面白い番組ができる、と考えるのは自然だろう。もちろん、現役記者が出るからといって、芸能人のスキャンダルを徹底追及するような形には制作サイドもしないのだが、最前線の記者から明かされるスクープの裏側や芸能人の意外な一面、それにリアクションを見せる取材対象者という構図は、独自のスクープがなくてもバラエティーの“ショー”としては十二分に視聴者を惹きつけることができる。 ワイドショーで扱う芸能情報の“弱体化”が、結果的に新たなバラエティーを生み出すキッカケだとしたら皮肉なことだが、これだけ量産が続いているということは、テレビ局にとっては有力コンテンツのひとつであることは間違いない。「芸能人VS芸能記者」という図式の番組はこれからも増えていきそうだ。(芸能ライター・飯山みつる)関連記事■ オウム事件 1週間に40~50時間も各局から報道されていた■ 芸能リポーター東海林のり子 子供が不憫と言われ悔しがった■ 日曜朝10時のサンジャポ、ワイドナショーそれぞれの魅力とは?■ 「真麻に頼ってるようじゃ」とフジ新番組に局内から不安の声■ 小倉智昭「大物の名借り自分大きく見せる典型的小人物」との評

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    『スッキリ』阿部祐二「リポーターとは相手に拒絶される仕事」

    阿部祐二(テレビリポーター) 朝の情報番組『スッキリ!!』のリポーターとして活躍中の阿部祐二さん。どんな相手にもズバリと切り込む姿勢が臨場感のあるリポートにつながっているが、聞きにくいことを尋ねるストレスはないのだろうか。驚いたことに、「ストレスはほとんどない」と語る阿部さんの、ストレスとの向き合い方をうかがった。《取材・構成=林加愛、写真撮影=長谷川博一》 「事件です!」の決めゼリフとともにお茶の間に届けられる、迫力あるリポート。情報番組『スッキリ!!』のリポーターとして活躍する阿部祐二さんの取材は、エネルギッシュな臨場感に満ちている。日々全国を駆け巡るハードな仕事への姿勢も、どこまでも前向きでアクティブだ。「疲れたりストレスを感じたりすることはほとんどありません。周囲の仲間はよく、『次の休みが楽しみだ』と言うのですが、僕にはその気持ちがわからない(笑)。いつも仕事をしていたいし、動いていたいですね」 とはいえ、悲惨な事件や事故の関係者に話を聞くのは神経を使うはずだ。そうした場面でストレスを感じることはないのだろうか。「確かに、犯罪被害者など、苦しみの中にいる方々にとって、リポーターは『来てほしくない存在』です。怒りをぶつけられることも多々あります。しかし私たちは、その方々の言葉を伝えなくてはならない。ここで必要なのは、『本当の思い』に迫ることです。本当にそっとしておいてほしいのなら、それ以上は踏み込みません。でも、少しでも言いたい事がありそうならば問いかけます。表情やしぐさを見極めて、正しく気持ちをすくい取る。それができれば、必ず心を開いてくださいます」 確かに、対人関係のストレスは、相手の心が読めれば軽減できる。経験を積んだ今はどんな現場でも、相手の思いをほぼ正確に読み取れるという。「良いコメントを取れたときには、強い達成感があります。とくに、何人もの記者がすでに訪ねた取材先で、それまで誰も引き出せなかった言葉を引き出せたときは嬉しいですね。誰よりも真実に肉薄したコメントを取ろう、『阿部の取材は他とは違う』と言わせよう。そんな心意気で臨んでいます」最初は現場でうまく話せず落ち込んだ そんな阿部さんも、22年前にリポーターを始めた当時は、インタビューの「いろは」もわかっていなかった、と振り返る。「36歳で俳優からリポーターに転身したのですが、台本のない現場で何をしゃべっていいのか、当初はまるでわかりませんでした。初めての中継では、現場となった家の前で立ち往生。まったく言葉が思いつかず、その家の犬の名前を12回も呼んでしまう始末でした。当然、周囲には馬鹿にされました。『向いてないんじゃないの?』『俳優やってりゃいいのに』などなど、陰口もさんざん叩かれました」 しかし、そこで落ち込むかわりに、闘志を燃やしたのだ。「見返してやろう、と思いましたね。だから人の二倍も三倍も努力しました。自分に足りないのは情景描写の力だと思ったので、細かな描写にすぐれた小説を朗読。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を、何度も声に出して読みました。ほかにも新聞を5紙読んで知識をつけたり、インタビュー術の専門書を読んだりと、24時間すべてをスキル向上に注ぎ込みました」 課題を見つけ出し、努力して改善する。これが結局のところ、最も単純で有効なストレス解消法だ、と語る。「うまくできないこと、人に悪く言われること、納得できないことはいずれもストレスフル。ならばその原因を克服すればいい。昔も今も、そうして突き進んでいます。今年で58歳になりますが、今もまだまだ伸ばせるところは伸ばしたい。新聞記事の朗読や発声練習は日々欠かしません。最近は、時間を見つけて中国語と韓国語のレッスンもしています。英語でインタビューできるリポーターは僕のほかにもいるかもしれませんが、中国語と韓国語も、となるとどうでしょう。僕がいち早く身につければ、強い武器になるはずです」ストレスは「避ける」ではなく「超える」もの 走ることをやめず、ストレスは反骨心ひとつで「ねじ伏せる」。そんな阿部さんの目には、下の世代は「ヤワ」に映ることも多いという。「物事を無難に収めようとする人が多いですね。番組後の反省会を終えた若いスタッフがよく、『とくに問題ありませんでした』と報告してくるのですが、それこそ問題です。10人が10人、そこそこ賛同する番組なんてつまらない。批判的な意見もある中、何人かが熱烈に支持するような番組こそが面白いはずです。だから僕は『問題ナシで良しとするな!』と言うのですが、『阿部さんにはついていけません』なんて言われてしまう。彼らは衝突するのが嫌なのでしょう。でも、意見の食い違いや感情のぶつけ合いがあってこそ生まれるものもある。ストレスを避けてばかりいたら、その先には行けませんよ」 今は世の中全体が、ストレスを避け過ぎる傾向にある、と阿部さんは指摘する。「自分が傷つかないこと、人を傷つけないことばかり気にして、表立っては何も言わない。一見優しいように見えますが、憂うべき時代だと思います。そうしたコミュニケーションの中では、メンタルは弱くなります。褒められれば舞い上がり、叱られれば過剰に傷つく人がどんどん増えていくのです。つまりは皆、人の目ばかり気にしているのです。自分の評判に一喜一憂し、見た目を整えようとし、形から入ろうとする。やたらオシャレで小綺麗だけれど、中身が伴っていない人が増えている気がします」 阿部さんの価値観はその正反対だ。叱られることをいとわず、外見よりも中身を重視する。「僕は叱られると嬉しい、と感じます。問題点に気づかせてもらえないと、向上できませんから。若い人にも遠慮なく指摘してくれ、と頼んでいます。一方で外見には無頓着で、スタジオ入りの際のメイクもしません。見た目より、取材内容に注目してほしいからです。これはどんな仕事でも同じでしょう。大事なのは自分がどう見られるかより、どんな成果を提供するか、ということなのです」 こうして仕事の中身に注力することが、「どう見られるか」から生まれる不安やストレスを振り切る力となる、と阿部さん。「それには大前提として、仕事にやりがいを持ち、意義を感じていなくてはなりません。『この会社ならカッコよさそう』といったブランド志向だけで就職した人は、後々苦しい思いをするでしょう。それでも軌道修正は可能です。今いるところで必死にやりがいを探すか、見つからなければ転職してでも、自分のしたい仕事のできる場所に向かうことです。その場所でなら、ストレスを『避ける』のではなく、ストレスを『超える』モチベーションを持てるでしょう」 自身もそうしてキャリアを形成してきた。ここまでの道のりに、まったく悔いはないと語る。「僕は、仮に明日が来ないとしても後悔しないくらいの気持ちで仕事をして、日々全力を尽くしています。その毎日が、結果として明日へ前進する力の源になっています」あべ・ゆうじ テレビリポーター、俳優。1958年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中にモデル、俳優デビュー。芸能活動のかたわら、家庭教師派遣会社も経営。96年にテレビリポーターに転身。数々のニュース番組やワイドショーに出演。情報バラエティ『スッキリ?』(日本テレビ系)レギュラーリポーターとして活躍中。英語が堪能で、海外取材や海外の著名人のインタビュー時には、通訳を介さず英語で会話する。関連記事■ 難局とは「経験値を上げるためのチャンス」だ!■ 今の日本が「ストレス社会」になった理由とは?■ 話題の家電ベンチャー起業家の「ストレス源をかわす処世術」

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    「八角理事長、許すまじ」貴乃花のガチンコ相撲道

    山田順(ジャーナリスト) いったいなぜ、横綱日馬富士は、格下の平幕力士貴ノ岩を暴行したのだろうか。当初、単なるモンゴル人力士同士の飲み会での乱行と思われていた事件は、不可解な経緯をめぐってメディアが大騒ぎしたため、意外な様相を見せるようになった。ただ、これまでの報道を見ていると、あまりにもピント外れなことが多いので、ここで、きちんと整理しておきたい。 まず、今回の事件をきっかけに「モンゴル人力士は日本の相撲を理解していない。横綱の品格がない」などという批判がもっともピント外れである。また、「もともと日馬富士は酒癖が悪かった」などと、個人的な問題に矮小(わいしょう)化してしまうのも、事件の本質を捉えていない。さらに、殴ったのがビール瓶であるかどうかも実は本質的な問題ではない。 ただ、この事件の背景に、貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)と日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)との間の「確執」があったというのは的を射ている。なぜなら、もしそうでなければ、貴乃花親方は相撲協会への報告をすっ飛ばして鳥取県警に被害届を出したりしないはずだし、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の「わび」を受け入れていたはずだからだ。 今回の事件のキーポイントは、その後に判明し、事件の伏線となった9月25日の「錦糸町ナイト」での貴ノ岩の発言だ。 このとき、酒に酔っていた貴ノ岩はモンゴル出身の若い衆に説教をしていた。彼には説教癖があるのか、時々声を荒らげるので、同席していたモンゴル出身の元幕内力士や元十両力士(いずれも現在は引退)らが「ほかにお客さんもいる」と注意したが止めなかったという。そのうち、矛先は注意した元力士やそのとき来日して同席していたという白鵬の友人らに代わり、「オレは白鵬に勝った」「あなたたちの時代は終わった」「これからはオレたちの時代」などと言い放ったのだという。2016年の秋場所で対戦した横綱日馬富士(左)と貴ノ岩=両国国技館 この話を初めて耳にしたとき、私は、正直、貴ノ岩は、日本の相撲というものを何もわかっていないと思った。ここでいう相撲とは勝負のことではなく、一つの「日本的な組織体」としての相撲である。これを全く理解していないから、こんな言葉が飛び出すのである。スポーツではない相撲のシステム 「あなたたちの時代は終わった」「これからはオレたちの時代」などといえば、言われた側はカチンとくる。相撲界であろうとなかろうと、自分の力をひけらかすのは、日本では控えるべきこととされている。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるくらいだ。したがって、横綱・白鵬に1回勝ったぐらいでこんなことを言ったら、「いい加減にしろ」となるのは当然だ。 ところが、貴ノ岩は相撲をスポーツだと考えていたようだ。スポーツなら実力、勝敗がすべてである。勝者が絶対の世界だ。しかし、日本の相撲は実力勝負とはいえ、その秩序は実力だけで成り立っているのではない。相撲の一番、一番は「注射」と「ガチンコ」で成り立っていて、これが「談合」と「カネ」で微妙に采配されることにより、横綱以下の序列が決まるようになっている。2017年1月、大相撲初場所14日目で貴ノ岩(手前)に寄り切られて敗れ、険しい表情の白鵬=両国国技館 だから、相撲にはテニスやゴルフのような、明確な実力ランキングは存在しない。スポーツならチャンピオンは1人だが、相撲の横綱は何人もいる。実際、現在は異例とも思える4横綱の時代である。しかも、力士(プレーヤー)は部屋に所属し、同部屋対戦がないので、本場所はトーナメントでもリーグ戦でもない。 これが、相撲という組織体のシステムであり、日本のほとんどの組織は、みなこのような原理で動いている。したがって、単に横綱に「ガチンコ」で勝ったぐらいで、「オレたちの時代」は訪れない。  貴ノ岩はモンゴル人だから、そんなことは知らないでいいではないかという見方もできる。しかし、彼の先輩のモンゴル力士たちは、みなこのシステムを受け入れ、日本人力士以上に相撲という「美しき伝統文化」を継承してきたのである。 はっきり書くが、もしモンゴル人力士がすべて「ガチンコ」だったら、いまの相撲界はまったく違ったものになっていただろう。モンゴル人力士の草分けである旭鷲山、そしてモンゴル出身で初の横綱になった朝青龍などがいたから、いまの相撲界がある。さらに、貴ノ岩を殴った日馬富士、大横綱の白鵬などが、このシステムを理解・実践してきたから、伝統文化は守られたのだ。「全部ガチンコなら体がもたない」 「注射」による相撲を八百長と呼ぶメディアがあるが、それでは理解が浅すぎる。 「注射文化」は江戸時代からあったという。しかし、戦後、相撲が大衆娯楽としての地位を得たことで花開いた。最初の大々的な「注射相撲」は、1955年3月場所の栃錦・若乃花の両横綱による全勝対決とされる。 このとき、若乃花は2場所前に栃錦に星を貸していたので、それを返してもらって優勝する絵図を描いた。しかし、栃錦も自分も全勝優勝したいと譲らず、両部屋の話し合いになったのである。当時を知る中島克治氏(元幕内力士の大ノ海の息子で、自身も1967年から4年間、花籠部屋所属力士)の証言(『週刊現代』2011年2月26日号)によると、栃錦が転ぶことを了承し、取り組みの細部まで突っ込んだ打ち合わせがあったという。  時代は下って、衝撃の「八百長告白」を行って謎の死をとげた大鳴戸親方(元高鉄山)によると、「八百長の全盛期のきっかけを作ったのは柏戸さんで、確立したのは北の富士だといえるんじゃないでしょうか」(『週刊ポスト』1996年2月2日号)という。さらに、このシステムを盤石にしたのが、先ごろ相次いで亡くなった名横綱千代の富士(九重親方)と、北の湖(第9代、第12代相撲協会理事長)だった。 そしていま、こうした伝統を受け継いで、土俵を盛り上げているのが、一大勢力となったモンゴル人力士たちなのである。  ところが、貴乃花親方は誰もが証言するように、「注射」は「相撲道」ではない、まして伝統文化などではないと考えている。それは、自身が現役時代、かたくなに「ガチンコ」を貫いてきたからだろう。「ガチンコ一直線」で来ると、フェアプレーでない取り組みが許せなくなる。なぜなら、スポーツの最高の価値はフェアプレーにあるからだ。2001年の大相撲夏場所、武蔵丸との優勝決定戦で仕切り中の横綱貴乃花=両国国技館 かつて週刊誌で編集者をやっていたとき、私はある現役力士に「なぜ『注射』をするのか?」と聞いたことがある。そのときの答えをいまも鮮やかに覚えている。「全部『ガチンコ』でやったら体が持ちませんよ。だから、最初はガチンコでも、勝ち進んで幕内に上がると『注射』の魅力に勝てなくなるんです。ただ、『注射』といっても『ガチンコ』で強くないとできません。はなから勝てる相手に誰も『注射』など持ちかけてきませんからね」 相撲の勝負は、言い換えれば巨体が全力で激突することである。それを15日間続ければ、体力は消耗し、場合によっては故障してしまう。「注射」はそれを避けるための知恵でもある。「もし、15日間全部『ガチンコ』でやれば、半分の力士が故障します。そうなったら、場所が成り立ちませんよ」 実際、無気力相撲や八百長相撲がメディアで問題化し、協会が対策に乗り出した後の場所では、故障・休場力士が続出している。貴乃花親方が許せない「相手」 今回の事件の背景には、貴乃花親方の協会執行部、特に八角理事長に対する根強い不信感があるとされる。貴乃花親方と八角理事長は、昨年の理事長選で対決し、6対2で貴乃花親方が敗れている。貴乃花親方の「正論」、つまり「改革」(ガチンコ改革)についていける親方衆はほぼいないからだ。2007年に時津風部屋で新弟子が暴行で死亡する事件が起きたときも、貴乃花親方は相撲界の改革を訴え、協会の透明化を主張した。相撲をスポーツにしようとしたのだ。 そんな貴乃花親方だから、現役時代の八角親方の生き方が許せるはずがない。現役時代の八角親方、つまり横綱・北勝海は、同部屋(九重部屋)の大横綱・千代の富士に次ぐ2番手の横綱として、千代の富士からの星回しで8回、優勝している。しかし、これは典型的な「注射システム」による優勝だった。次は、北勝海が優勝した8回の成績を、千代の富士の成績と比較したものだ。 見ればわかるように、千代の富士が優勝を捨てるか、あるいは休場した場所でしか北勝海は優勝していない。これは、千代の富士が優勝を捨てた場所では、千代の富士は下位力士に星を売り、その見返りに下位力士は北勝海に負けるというパターンが繰り返されたからである。こうすると千代の富士の黒星は白星となって北勝海に集まり、北勝海が優勝できることになる。そして、次の場所でこの逆をやれば、今度は千代の富士が楽に優勝できるというわけだ。実際、北勝海は千代の富士の引退後、1回も優勝していない。 前述したように、国民栄誉賞を受賞した名横綱・千代の富士の時代は「注射システム」が全盛の時代だった。そのとき、「注射」を「中盆」(仲介人)として仕切った板井圭介氏(元小結板井)を、私が所属する日本外国特派員協会が呼んで、記者会見を開いたことがあった。 2000年1月のことで、このとき、板井氏は現役時代の「注射」を認め、「注射」にかかわった20人の力士の実名を公表した。慌てた相撲協会は板井氏に謝罪を求める書面を送付したが、最終的に「板井発言に信憑(しんぴょう)性はなく、八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」という玉虫決着で、この問題は終息した。 千代の富士や北勝海の「注射時代」を終わらせたのは、ほかならぬ貴乃花親方である。いまでも語り継がれるその出来事は、1991年の5月場所の初日で起こった。このとき、18歳9カ月の貴花田(当時)は、千代の富士を真っ向勝負で一気に寄り切ったのである。初挑戦での金星だっただけに、千代の富士のショックは相当なものだった。しかも、この18歳9カ月という金星は、若秩父の記録を破る最年少金星なのだから、角界も相撲ファンも世代交代の流れをハッキリと意識した。案の定、千代の富士はこの敗戦から2日後に引退を表明している。 貴花田はその後、相撲界の期待のヒーローとなり、翌年の初場所で最年少優勝を果たして横綱に昇進した。そして、引退するまで「ガチンコ」で11回優勝した。言うまでもないが、この優勝は北勝海の優勝とは中身が違うものだ。最近の「注射相撲」は本当につまらない 「注射」と「ガチンコ」。この二つは切っても切り離せないもので、これがある限り、相撲は観戦していて面白い。なぜなら、「注射」か「ガチンコ」かのどちらかになるまでに、さまざまな背景、人間関係、そのときの場所のムードなどが複雑に絡んでくるからだ。大相撲九州場所14日目、福岡国際センターを通って、東京へ出発する故北の湖理事長を乗せた霊きゅう車を見送った八角親方(右)と貴乃花親方=2015年11月(中川春佳撮影) 相撲を単にどちらの力士が強いかという見方で観戦してしまうと、日本の伝統文化に触れることはできない。 ところが、最近の「注射相撲」は本当につまらなくなった。かつてのように、綿密な事前打ち合わせなしで行われることが多いからだろう。 かつて私は、1年間の幕内の全取組の決まり手を調べ、それをランキングしたことがある。そうした結果、「寄り切り」「押し出し」「はたき込み」の三つの決まり手が上位を独占していることがわかった。現在、「注射」のほとんどは、この三つの決まり手のどれかで行われているとみていい。 なぜ、こうなるかといえば、力士がよほどの場合をのぞいて、複雑なシナリオを嫌うからだ。力士が一番嫌うのが、投げ飛ばされるなどして身体に砂がつくことだ。また、下手な倒れ方をしてケガをしてしまうこと。こんなことになったら、「注射」した意味がなくなってしまうからだ。となると、やはり「ガチンコ相撲」のほうが面白いとなるが、果たしてそれでいいのだろうか。 さて、モンゴル人力士たちが引き継いだ日本の伝統文化だが、師匠・貴乃花の教えで「ガチンコ」を貫く貴ノ岩のような力士の出現で、大きく揺らぐことになった。また、モンゴル人力士が増えすぎたため、同じモンゴル人力士のなかで「派閥」ができてしまったことも、伝統文化を脅かしている。 よく知られているように、傷害事件を起こして事実上協会から追放された朝青龍は、一大派閥を形成していた。反朝青龍の先鋒(せんぽう)は旭鷲山で、現役時代、風呂場で口論となった後、朝青龍は旭鷲山の車のサイドミラーを壊す騒動を起こしたのは有名だ。  現在の大横綱白鵬は、朝青龍の派閥を引き継いで、モンゴル人力士たちのまとめ役となっている。2006年5月場所で優勝したとき、白鵬は朝青龍から「注射」により300万円で星を買ったという(『週刊現代』2007年6月9日号)。以来、白鵬は朝青龍の派閥に組み込まれ、日馬富士も朝青龍の忠実な配下になったといわれている。 今回の事件でも、朝青龍は「本当の事聞きたくないか?お前ら」、「ビールびんありえない話し」などと、ツイッターに連日投稿している。  というわけで、今後、この事件がどういう展開になっていくのかは、私にはわからない。日馬富士が「傷害罪」で書類送検されるという話があるが、そうなれば、引退を余儀なくされ、モンゴルネットワークの一角が崩れるだろう。注射は土俵の上では効くが、カラオケ店のような「場外」では効かないのだ。 かといって、貴乃花以来の「ガチンコ一直線」の日本人横綱稀勢の里は満身創痍(そうい)である。「ガチンコ」と「注射」。これは、相撲を相撲たらしめている根本文化である。「ガチンコ」だけの相撲など成り立たないし、また、面白くもなんともない。 来年、2018年の初場所が本当に楽しみだ。

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    山尾志桜里、どういうつもりや!

    また、この人である。週刊誌に不倫疑惑を報じられた山尾志桜里衆院議員が、不倫相手とされるイケメン弁護士を政策顧問に起用したことが報じられ、再び炎上した。「むき出しの好奇心」への抵抗なのか、それともただの開き直りなのか。山尾さん、一体どういうおつもりなんですか?

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    哀しいラブストーリー、山尾志桜里の「自爆一直線」に同情する

    いのだろうか。彼女のこれまでの言動を批判するのは簡単だが、こうまで「自爆一直線」だと、かつて週刊誌でスキャンダル報道をやってきた私としては、逆に同情してしまう。なにかこう、「もの哀しさ」を感じてしまう。 そんなことまで言わなくていいのに、なぜ、そこまで言ってしまうのかと思い、彼女の中にある「満たされない想い」に行き当たって、本当に哀しくなってくる。 政治家や芸能人といった、いわゆる有名人の多くがメディアをあまり好まない。あるときは持ち上げられ、あるときはたたかれるのが、なぜか分かっていない。自分は少しも変わっていないのに、メディアの方がおかしいと考える。そうしてメディアを選別し、「味方」のメディアと「敵」のメディアに分けて付き合うようになった有名人に大物はいない。いや、本物はいない。 山尾氏は今回、自分の味方をしてくれると思った地方紙の神奈川新聞に、思いの丈をペラペラと全部しゃべってしまった。哀しいとしか言いようがない。壇上の山尾志桜里候補=2017年10月23日、愛知県長(安元雄太撮影) 政治家も芸能人も、一般大衆の支持によって成り立っている。だから、はっきり言い切ってしまえば、そもそもプライバシーなど持っていない。それなのに、プライバシーを主張するなら、政治家などになってはいけない。しかも、メディアの究極の役割とは世間に知られていない事実を暴くことだ。 このメカニズムを分かっていない有名人は、本当に不幸である。そういう人間に限って、「むき出しの好奇心」などという言葉を使う。好奇心というのは、人間誰もが持つ最も健全な感情だ。これをメディアが代表している。それを否定することは、自分自身を否定するのと同じことだ。 元宮崎県知事の東国原英夫氏は、ツイッターで「老婆心ながら週刊誌報道を舐めないほうがよい」と忠告し、俳優の坂上忍氏は倉持氏にも「この状況で請けるか?」と批判した。また、お笑い芸人のカンニング竹山氏はフジテレビ系『直撃LIVE グッディ!』で「何もないなら、政治家だから週刊誌なり何かを訴えなきゃいけない。けじめとそれをやらないと、1票入れた人も納得がいかない」と切って捨てた。どれもこれも、健全な感情を持った人間としての、当たり前の批判だ。何を守ろうとしているのか 今年は議員の不倫スキャンダルが炸裂(さくれつ)している。しかし、不倫は犯罪ではない。生き方、モラルが問われるだけだ。それなのに「一線を越えていない」(元SPEED・今井絵理子参院議員)という例に倣(なら)って、山尾氏は「ホテルについては私一人で宿泊をいたしました。倉持弁護士と男女の関係はありません」と関係を強く否定した。 そしてお決まりの「誤解を生じさせるような行動でさまざまな方々にご迷惑をおかけしましたことを深く反省し、おわび申し上げます」と付け加えた。 こういう言い方は何も語っていないに等しい。なぜ、素直に自分の気持ちを言わないのだろうか。もし本当に不倫関係にあり、それも恋愛関係にあるなら、それを吐露してしまった方が、はるかに結果はよかった。 世間は、利口で政策遂行にたけた政治家よりも、人間らしい政治家の方が好きだ。「人間らしい」ということは間違いも犯すことがあるということだ。 もし、彼女が一途な恋をしているとしたら、そしてそれを守るために、関係を否定したとしたら、それは本当に哀しいことだ。山尾氏は何かを履き違えている。「女性政治家であるがゆえにプライバシーに土足で踏み込まれる」などという言葉で、彼女はいったい何を守ろうとしているのか。 別に不倫相手を政策顧問に迎えたとしても、モラル以外の問題はない。もし、本当に愛し合っているのであれば、二人は「最強のタッグ」である。だから、彼女が言うように「改憲論議に真っ向から首相案をはねのける」ことも可能かもしれない。2017年10月10日、衆院選が公示され、有権者に支持を訴える山尾志桜里氏=愛知県尾張旭市 「愛の力」で改憲阻止。こんな「素晴らしいこと」はないではないか。 しかし、もし倉持氏をつなぎ止めるために政策顧問にしたとしたら、どうだろうか。こうなると、今日までのことは「哀しいラブストーリー」に変わってしまう。 いずれにしても、当事者である本人が自分の感情を殺して、インタビューで「お利口答弁」しかしない以上、真相は分からない。単に「好きなんです。大好きなんです。一緒に仕事をしたいんです」というようなことを、彼女は言えない性格だと思うしかない。 神奈川新聞の記事を読むと、不倫報道があってから2カ月間、奇跡の当選を果たすまで、彼女は悩み抜いてきたという。そして、《悩み抜いた末の結論は、公の政治家としての私は、政策や政治哲学、姿勢についてはできる限り率直に答えるが、一方で「私」の部分に一定のラインを引くことに変わりはないということだった。直後の記者会見などで私は「男女の関係はない」と答えたが、そうしたことを答える必要さえなかったと今は思う》と言うのだ。 公私に線を引いて、公の部分だけは答え、私の部分は答えないという政治家を、あなたは信頼できるだろうか。そもそも、人間の活動を公私ではっきりと分けることができるだろうか。 公私両面で、国家と国民のために尽くしてこそ、真の政治家ではないだろうか。

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    山尾志桜里「不倫疑惑」を世のオンナたちはなぜ許してしまうのか

    谷本真由美(コンサルタント兼著述家)  ガソリーヌ、いえ、パコリーヌ山尾さまが再び炎上しておりますね。 『週刊文春』でイケメン弁護士の倉持麟太郎氏とのダブル不倫疑惑をスッパ抜かれ、「男女の関係はない」と猛反発しておりましたが、さらなる文春砲で、起業家の夫氏との家庭内格差が原因で夫婦関係は破綻同然と報道されてしまいました。 倉持氏の妻はテレビ朝日系の情報番組「モーニングショー」で2人が密会したとされる日に夫の勧めで脳梗塞療養のため実家に帰っていたといっていますが、これが本当であればまさにゲス中のゲスです。 さて、そんな騒動があった山尾氏は、事務所の政策顧問に倉持氏を就任させています。 山尾氏も弁護士の倉持氏も、安全保障の専門家を自称しているわけですが、不倫疑惑をくぐり抜けてやっと選挙に勝ったというのに、なぜこのタイミングで火に油を注いでしまうのか? 安全保障というのは海千山千どころか、諜報(ちょうほう)活動にスパイ作戦と何でもありの世界です。相手にするのは近隣諸国だけではなく、武器商人から公安機関と、相当老練な政治家でも手を焼くわけで、放射性物質で暗殺を企てられる可能性だってあるわけです。不倫スッパ抜きどころじゃありませんよ。 そんな世界の専門家を自称する人間が、週刊誌ごときに密会の写真を撮られるばかりか、家族や周辺の人間もべらべら喋(しゃべ)ってしまっている。その上で、疑惑を再燃させるようなことをする。選挙後初の登院で議員バッジを受け取る山尾志桜里議員=2017年11月1日、国会 こんなオツムユルユルの人間が、中国やロシアやアメリカやイランや北朝鮮を相手にできるわけがありません。 ちょっと注意深い人であれば、誤解されるような行動は避けます。これはその辺の会社員だって同じで、会社で不倫じゃないかと疑われるような部下や同僚と二人っきりの出張や、密室での会合は避けますよね。 不倫じゃないとはしても、疑いがかかったら仕事がやりにくくなりますし、プロばかりの仕事場というのは倫理が緩い人間、注意しない人間というのには重要案件は任せませんし。 オツムの弱い人間は機密情報の入ったPCや携帯をなくしたり、顧客やディールの情報をエレベーターや喫茶店でポロッと話してしまったりしますからね。 そんなオツムユルユルの山尾氏、しかし疑惑報道後の選挙では当選しています。有権者は不倫を気にしなかった、ということですね。 他人の不倫は厳しく追及するけど、自分は適当に流す。さらに、保育所の増設は訴えるが、ご自身の子供は放置、家庭は実のところ崩壊という矛盾。 こんな他人に厳しく自分に甘い矛盾大魔王さまがなぜ当選したのか。特に女性の支持が高かったと聞きます。 その理由は、少なからぬ女性にとって、山尾氏はキラキラと輝く憧れの存在なのです。すべてを手にした山尾氏 多くの女性は時給780円のパートで、旦那は年収350万円の非正規。東京にすら出る機会もなく、高卒や専門卒で、月1回の回転ずしが贅沢。しまむらの服でイオンに行く日常。車は軽ワゴン。 特に地方都市はそんな感じですよね。 そんな人たちには、才色兼備で負け知らず、しかも年下の男と不倫してる(かもしれない)、夫も捨てかねない山尾氏は「本当なら私だってそういう生活ができたのに」というあこがれの対象なんですよ。 不倫だってしたいんです。 だって自分の旦那は高校の同級生で、イケメンでも東京の弁護士でもなくて、パートで疲れて帰ってきてるのに「飯を作れ」と命令するクソメンだから。 夫が稼ぎも地位もないから自分はパートに出なくちゃならないのに「えばってるんじゃねえよ!」と日々不満を溜めている。 でも、山尾氏のような学歴も資格も稼ぎもないから、離婚はできないんです。本当はお金があったら別れたい。不倫もしたい。きれいな服だって着たい。嫌味な義母からも逃げたい。 貧乏で、低学歴で、特技もなくて、ブサイクな自分は、生まれ変わったら山尾氏になりたいんです。 そんな憧れが集会場やら回って「待機児童をどうにかします!」と声をかけてくれる。 テレビのあの人が、憧れの人が、しまむらの服の自分の生活を考えてくれるんだ、あんなすごい人だって同じ母親なんだよね、と。 問題は不倫だけであって、民進党のホンネは「残ってほしい」という感じでしたし、山尾氏はなんだかんだいってキレイですよね。見た目が。元芸能人ですから。豊田真由子女史は落選しましたが、もしマユタンが「絶世の美女」だったら多分暴言も許されてたんですよ。でも、赤塚不二夫先生のキャラみたいな顔だから同情は得られなかった。 結局、女も男も見た目がキレイな人には甘いんです。 しかし私が疑問なのは、山尾氏はなぜ幹事長就任のタイミングで疑惑を呼ぶような密会をし、夫とは関係が破綻しているのにマスコミには完璧な家族を擬態し、さらにこれだけ叩かれているのに倉持氏を「政策アドバイザー」に指名してしまうのか、という彼女の面の厚さと空気の読めなさです。 そして、マスコミに対しても相当強気です。不倫疑惑の件は横に置いといて、私の政策を見ろとしつこく言っている。 なんでこんなに上から目線なのか。 それは山尾氏が負け知らずのエリートだからです。街頭演説で女性と握手する山尾志桜里氏 =2017年10月1日、愛知県豊明市 山尾氏は子どものころに「アニー」というミュージカルの主役になっています。あの多数の応募者の中から子役として選抜されるというのはすごいことで、そのまま芸能界に残ってもおかしくない実績です。 さらに、東大に進学し、司法試験に合格して、検察官。そして衆議院議員になって、野党第一党の幹事長にまで内定したのです。 容姿端麗で子供にも恵まれ、夫は東大を出ていて、会社はライブドアに買収された実績がある。 すべてを手にした山尾氏には、何かを失う恐怖はありません。 子供を置き去りにしようが、夫を捨てようが、若いツバメと何をしようが、子供のころから完璧な「勝ち組」だった自分を引きずり下ろすことなど不可能だと思い込んでいるからこそ、マスコミにも強気なのです。 しかし、こんなタイミングで不倫疑惑の相手を政策アドバイザーにするような山尾氏は決して「自由の象徴」ではなく、「虚栄心と傲慢(ごうまん)の塊」に過ぎない、ということに、時給780円のパートだって徐々に気がつきはじめていますよ。

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    山尾志桜里に「むき出しの好奇心」で迫る報道は控えるべきか

    喜ぶ山尾志桜里氏=2017年10月、愛知県長久手市(安元雄太撮影) 「むき出しの好奇心」は、著名人のスキャンダルを追う週刊誌やワイドショーの取材の原動力になっているし、その背景には、何百万、何千万という一般読者や視聴者が、こうしたメディアコンテンツをチェックしている。著名人のプライベートな部分を知りたいという情動は多くの日本人によって共有されているのだ。 スマートフォンで著名人のスキャンダル記事をつい見てしまうことはないだろうか。ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に書き込みをしてバッシングに参加しなくても、炎上を眺めながら、たたかれている著名人への優越感、たたく側に属していることで得られるつかの間の全能感、一体感などを味わっているのであれば、山尾氏が忌み嫌う「むき出しの好奇心」をあなたも内に秘めているということになる。 それを断罪するつもりはない。筆者はテレビ局でワイドショー番組の担当をしていたときに「むき出しの好奇心」に突き動かされるように、芸能ネタ、事件ネタを探していたこともあるからだ。そのような欲望に応えることができるネタがウケることも十分に理解できるが、取材される側にとっては、メディアに追いかけられることが心理的負担になるのも確かである。 では、山尾氏が強い不快感を抱いた「むき出しの好奇心」に下支えされた取材や報道は控えるべきなのだろうか。 この問題を考えるにあたり、まず広い意味での「報道」の判断基準について述べたい。番組、あるいは週刊誌などで取り上げるべきトピックかどうかの判断基準は二つあると、筆者は考えている。一つは「一般の人が関心をもつもの」(一般の人が好奇心を刺激されるもの)、もう一つは「公共性があるもの」である。この二つの要件をクリアしたものが広い意味での「報道」に値する。ワイドショーであっても、好奇心を刺激するだけで公共性がない著名人のプライバシーを取材し放送することは許されないという考え方だ。 この判断基準はニュース番組や新聞記事にも適用できる。こうしたおカタいメディアには、「公共性があるもの」という点がより重視されるものの、「一般の人が関心をもつもの」という要素を度外視することはできない。取材側にも問題アリ では今回の山尾氏のケースは、報道するに値しないのだろうか。この点、山尾氏は倉持弁護士と「男女の関係」があったかどうかを聞かれたことに関して、次のように述べている。 私へのその問いは、どのようにして社会の役に立つのだろうか。政治家としての私を評価する上で、一体何の判断基準になるというのか。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 政治家が不倫をしていたかどうかを、具体的に質問することにはニュース価値が全くないような言い方であるが、違和感がある。不倫をしているかどうかは、政治家を評価する上でひとつの判断材料になるはずである。 一般に有権者は、公表されている政治家が実現を目指す政策や政治姿勢だけで投票行動を決定するわけではない。家族観や社会観、それに人柄や生活信条なども含め人間性をトータルで判断しているのだ。山尾氏が不倫をしているかどうかということは、直接的ではないかもしれないが、彼女の家族観、ひいては政策に結びついていく可能性はないだろうか。 もしも万が一、山尾氏が不倫も含め自由な恋愛の形態を認めており、フランスのように結婚という制度にはあまり拘束されず、いわゆる事実婚が広く認められるような社会を望んでいるならば、それは有権者の投票行動に影響するに違いない。こう考えると、メディア側が夫以外と「男女の関係」があるのかどうか、それについてどう考えているのかという質問は、単なる興味本位ではなく、家族観や社会観につながっていく可能性があり、「公共性」がある質問であろう。山尾志桜里の不倫疑惑を報道する週刊文春=2017年9月14日 「むき出しの好奇心」については、もう一つ論点がある。山尾氏のケースでは、メディア側や一般の人の好奇心をあからさまに突き付けることで、彼女への大きなプレッシャーとなった場合にも取材は許されるのかということである。つまり、取材方法の問題だ。 山尾氏は、以下のようにメディアを批判している。 「男女の関係はあったのですか」「本当に関係はなかったのですか」。さらに「離婚はしたのですか」-。数多くの一般の人々が行き交う衆人環視の下、大きな声でしつこく繰り返し問われた。私はこれまで通り電車で通勤している。普通に考えてみてもらいたい。歩いていて、突然レコーダーを突き付けられ、そんな私的なことを問われる異常さを。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 筆者もテレビ局での取材経験から、このような「突撃取材」をする側の論理や感覚はわからないでもない。事務所を通して取材申請をしても断られるのに決まっているから、本人を待ち伏せして質問を浴びせる。質問に答えようと答えまいと、相手のリアクションを撮影していれば、取材のエビデンスは確保できる。しかし、取材される側から見れば、山尾氏が指摘するように「異常」であることは確かだ。むき出しの好奇心が取材相手の日常の平穏を乱すおそれがある。 取材倫理の問題は難しい。対象者の迷惑にならないことを最優先にしてしまうと、取材活動は萎縮してしまう。公共性があり報道の価値がある取材であっても、あきらめざるを得ないことが多くなる。取材者としては一歩前に出て相手にアプローチしたいところだ。 一方で、熱を帯びた取材がエスカレートすると、平穏な私生活に勝手に侵入する「プライバシー侵害」になることもあるだろう。答えないのも自由 今回のケースは、見極めは難しいものの、取材されたのは国会議員という公人であるため、取材内容の公共性、取材目的の公益性の方が優先されるのではないか。山尾氏に迷惑をかけているのは確かだが、取材方法については公人としての受忍限度の範囲内だと思う。 では、突き付けられた質問には「答えなくてはならないのか」。この点、山尾氏は次のように述べている。 直後の記者会見などで私は「男女の関係はない」と答えたが、そうしたことを答える必要さえなかったと今は思う。(「カナロコ by 神奈川新聞」11月7日) 山尾氏の意見は理解できる。筆者はメディアが「取材するのは自由」だが、一方で山尾氏が「答えないのも自由」だと考えている。 取材との関連では、公人のプライバシーは一定程度、制約されると考えられる。このため、男女の関係があったのかどうかをメディア側が聞く姿勢は間違ってはいない。 しかし、プライバシーの権利に関しては「自分に関する情報をコントロールする権利」という広い解釈も有力になりつつある。そのため取材される側の山尾氏に「国会議員といえども男女の関係についてまで話す必要はない」といわれれば、「そうですか。わかりました」と認めざるを得ないと思う。 このように、メディアが不倫について「むき出しの好奇心」をもって取材するのは自由だが、一方で山尾氏が答えないのもプライバシー保護の観点から自由なのではないか。お互いの自由の衝突をどのように調整するのかは、当事者が個別具体的に対応していくしかない。 最後に、この問題を俯瞰(ふかん)してみよう。筆者は、山尾氏の不倫騒動をあまり深追いするのは、社会全体にとってはあまりプラスにならないと考えている。山尾氏が力をいれている憲法改正問題という重大テーマが目前に控えているからだ。国会に到着した民進党(当時)の山尾志桜里氏=2017年9月7日、国会内(福島範和撮影)  山尾議員が取り組もうとしている政策には「国家権力を縛り国民の人権を保障するための立憲的改憲提案で、安倍改憲を阻止する」がある。この政策を実現するにあたり本当に倉持弁護士の知見が必要であるならば、週4回といわず、毎日でもミーティングをしてみてはどうだろうか。そして新たな提案を練り、風雲急を告げる憲法改正の論議に一石を投じていただきたい。 ただ、政治家には主義主張の一貫性も求められている。山尾氏は、宮崎謙介議員(のちに辞職)の不倫に対しては批判していたのだから、件(くだん)の弁護士との不倫騒動にほっかむりを決め込むのはどうなのか。しゃべればしゃべるほど臆測が膨らみ、相手や自分の家族にさらに迷惑をかけるという事情も理解できるが、「他人に厳しく自分に甘い」という声が上がるのはやむを得ないだろう。 そんな政治家の「立憲的改憲提案」に有権者は、果たしてどの程度耳を傾けるのだろうか。今後もこの問題に注目したい。

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    女性議員の少なさについて「女性にこそ応分の問題あり」の意見

     日本が先の大戦で敗北してからわずか8か月後の1946年、戦後第一回目となる第22回総選挙において、女性の選挙・被選挙権が認められたことにより女性代議士が39名誕生した(衆議院議員比率8.4%)。その後、実に約60年後の2005年総選挙まで、この女性議員39名という記録は更新されることはなかった。 この一事からみても、我が国の政界における女性の立ち位置というのが明瞭に分かる。況(いわん)や2005年以降も、女性議員比率はOECD最下位。むろんG7でも最下位。そればかりではなく、ただでさえ少ない女性議員はマスメディアに格好のネガティブ素材を提供するドル箱となった。「ハゲ!」の暴言で自民党を離党した豊田真由子、日報問題で防衛相を辞任した稲田朋美、不倫疑惑と「ブーメラン」で民進党を離党した山尾志桜里、国籍問題と指導力欠如で短命党首に終わった蓮舫、そして「改革保守」とは名ばかり、踏み絵を強いる二足のわらじで「希望の党」が不発に終わった小池百合子…。 数が少ないばかりではなく、与野党を問わずその質においても、日本の女性議員は体たらく・お粗末が漂う。なぜこうなったのか。支援者との会合で次期衆院選への出馬を表明し、引き揚げる山尾志桜里氏=2017年9月22日、愛知県(共同) 少なくないフェミニストは、「日本の男性優位社会」を原因にあげる。嘘だ。安倍内閣は「女性が輝く」と謳っておきながら、輝くに値しない女性議員に下駄を履かせて公認・入閣させた。確かに、自民党の旧弊が「目の粗いザル」で本来ダイヤの原石たる女性を拾えず、男性にとって都合の良いイエスレディー候補ばかりを推挙してきたことは否定できない。 これは広義の男性優位社会が故かもしれない。が、女性参政権付与から70年余。体たらくの原因を男性や社会に求めるには時間が経ちすぎた。「こうすることでしか出世できない」という甘え この間、極東の民主主義国家にはすべて女性元首が登場した。韓国(朴槿恵)、台湾(蔡英文)、フィリピン(アロヨ、アキノ)。いずれの国家も、民主主義の歴史は日本よりも短い。にも拘らず、女性議員の量と質においてはこれらの近隣諸国が日本を大きくリードしている。韓台比、いずれも共通するのは下からの市民革命によって民主化を成し遂げたことだ。盧泰愚の韓国、李登輝の台湾、コラソン・アキノの比。80年代以降、市民が実力で独裁と圧政を打倒した。日本にはこれがない。台北の総統府で行われた「双十節」の式典で演説する蔡英文総統=2017年10月(田中靖人撮影) とりわけ女性の政治的自立や自覚が足りない。男性側には、「選抜総選挙」と銘打つ女性アイドルを愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観が寡占的で、若手批評家が「アイドルの○○推し」を公言して憚らない時期があった。誰もこれを異常と言わない。女性を個として認識せず、愛玩の対象とする異様性は日本特有のものだが、女性側もそれに異を唱えない。少女たちは男の言われるがまま「恋愛をした」罰として坊主頭にして謝罪を繰り返す。このような行為は西欧圏ではナチと同等に扱われた。 ここまでくると男性優位の因果ではなく、独立不羈を志向しない女側にこそ応分の問題があるように思える。良い年をした女性が、不必要に「女性性」を強調し男性視聴者や読者に媚びたり、権威ある上級の男性によるイデオロギーを忠実にトレースする。屈辱だと思わないのだろうか。「こうすることでしか社会で出世できない」というのは敢えて甘えだと言いたい。実力と合格点数がすべての漫画家や作家や医者や弁護士の世界は、既に男性寡占の世界ではない。女性側による「非民主的順応」の卑屈な追従の象徴こそ、昨今の我が国における女性政治家問題の根本だろう。「封建的家父長制」の残滓は、男ではなく女の心中にこそあるのではないか。文/古谷経衡●ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』『「意識高い系」の研究』など。■ SAPIO人気連載・業田良家4コマ漫画「オール民主党」■ 森山真弓氏「真紀子さんも蓮舫さんも冷視されるいわれない」■ 日本の「飲み会はしご政治」は女性議員をコンパニオン代わり■ 元小沢ガールズの田中美絵子議員「本当は輿石ガールズ」と演説■ VOGUE登場の蓮舫氏を小沢ガールズが「売名行為」と批判

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    山尾氏と不倫疑惑の弁護士 蓮舫氏国籍問題担当だった

    民進党を離党することを表明する山尾志桜里元政調会長=2017年9月、国会内(福島範和撮影) 下唇をかみ、一瞬悔しげな表情を浮かべた彼女は、一方的に言い分を述べると足早にその場を去った。舌鋒鋭く自民党を追い詰め、「民進党のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた彼女に似つかわしくない、逃げ腰の謝罪会見だった。 9月11日、『週刊文春』で不倫疑惑を報じられた山尾志桜里議員(43才)が民進党を離党した。彼女は週に4日、相手のマンションやホテルで逢瀬を重ねていた。その男性が、弁護士の倉持麟太郎氏(34才)だった。 「倉持さんは若くてイケメンなだけじゃないんです。憲法改正論議や安全保障問題をわかりやすく解説できる論客として注目されていて、いくつかの情報番組でコメンテーターも務めていました。いわば民進党の若きブレーン。山尾さんは彼に政策に関するアドバイスを仰ぐようになり、次第に“親密な仲”に発展したようです」(民進党関係者) 実は山尾氏のほかにもう1人、倉持氏を頼りにする女性がいた。同じ民進党前代表の蓮舫議員(49才)だ。蓮舫氏が大きなピンチに陥った「二重国籍問題」で担当弁護士を務めていたのが倉持氏だった。 「蓮舫さんといえば、民主党時代からの“党の顔”。そこに急浮上してきたのが山尾さんでした。『保育園落ちた日本死ね!!!』の日記を国会で取り上げたことで一躍注目を浴び、政調会長に抜擢されました。2人は“党きっての美女”トップ2でもある。キャリアには差がありますが、昨今の政界は下克上が当たり前。ライバル同士が倉持さんを取り合う三角関係だったんです」(前出・民進党関係者) 蓮舫氏は不倫報道に大きなショックを受けていたという。蓮舫氏の間にあった溝 「政治家には誰だって1つや2つ、隠しておきたいことがあるもの。でも、自分の担当弁護士だった倉持さんと山尾さんが男女関係にあったとしたら、国籍問題のほかにも“秘密の情報“が山尾さんにダダ漏れしていた可能性もある。永田町は狸の化かし合いですから、同僚議員といえども、弱みを握られるのは致命的なんです。しかも、もともとは蓮舫さんの方が倉持さんと親しくしていたはずです。女のプライドとしても“山尾さんに持っていかれたのか”とショックも倍増でしょうね」(政治ジャーナリスト)記者会見で代表辞任を表明した民進党の蓮舫氏=2017年7月、国会内(春名中撮影) この問題の以前から、もともと山尾氏と蓮舫氏の間には溝があったという話もある。 「蓮舫さんの二重国籍問題のとき、山尾さんが陰で“あれはアウトよね”と言っていたのが蓮舫さんの耳に入ってしまったそうです。そもそも山尾さんは前原誠司さん(55才)のグループだから、蓮舫さんとウマが合うはずがない。倉持さんと親しかった蓮舫さんですから、ひょっとして山尾さんの“不倫”に気づいていたのかも…」(山尾氏の知人) かくして自分の地位を脅かす山尾氏は党を去っていった。不倫が報道された日、蓮舫氏はツイッターに次のように投稿した。《とても綺麗な月夜ですね》 ここ最近、不倫報道が相次いでいる。今井絵理子氏(33才)、斉藤由貴(51才)、上原多香子(34才)を含め7月末からの2か月間で山尾氏は4人目。 日本性科学会が2011~2012年に行った『中高年セクシュアリティ調査』によると、既婚女性の14%が「この1年の間に配偶者以外の異性との親密なつきあいがあった」と回答。2000年の調査の約3倍に急増した。『不倫女子のリアル』(小学館)の著者の沢木文(あや)さんが解説する。 「結婚後も専業主婦ではなくバリバリ働き、経済力がある女性が増えました。彼女らは“不倫がバレて夫に離婚を告げられても大丈夫”という余裕があるんです。また、映画や小説の題材になることが増えて、“不倫はやましいこと”というかつての意識が薄れているのではないでしょうか」関連記事■ 斉藤由貴、さっさと不倫認めていれば第2・3弾写真なかったか■ 妻の不倫率は12年で3倍に、バレる確率は「夫95%妻5%」■ 村西とおる氏が撮った「蓮舫様のお宝動画」を回顧■ 宮崎謙介元議員 加藤紘一氏の葬儀でも蒸し返されたゲス不倫■ 弁護士局部切断事件 妻の悪女ぶりに法廷の空気が冷え込んだ

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    山尾志桜里は不倫スキャンダルで政治家の価値を高めるかもしれない

    武大学ビジネス情報学部教授) 民進党の新代表に前原誠司元外相が選出された直後、山尾志桜里元政調会長のスキャンダルによって同党は出だしからイメージを大きく損ねてしまった。最近では、ワイドショーをはじめとするメディアの「印象」によって政治が大きく左右されてしまっている。安倍政権における森友・加計学園問題もそうだし、豊田真由子衆院議員の暴言も東京都議会選挙の行方にかなりの影響を与えただろう。民進党の両院議員総会に出席し、拍手する山尾志桜里元政調会長=9月5日、東京・永田町の民進党本部(斎藤良雄撮影) 報道によれば、前原氏は山尾氏を幹事長の要職に据えたかったらしいが、スキャンダルによってそれはかなわなかった。山尾氏は民進党から去ることで問題の沈静化を狙っている。 山尾氏のスキャンダルは男女問題が原因である。男女問題のスキャンダルについては、山尾氏が与党議員に対して倫理的な観点から厳しい批判を展開していた。そのため、今回の彼女のスキャンダルは「特大ブーメラン」などとして批判を浴びている。 また離党の理由もよくわからない、という批判もある。9月7日に行われた離党会見の文言も「倉持(麟太郎)弁護士と男女の関係はありません。しかし、誤解を生じさせるような行動で様々な方々にご迷惑をおかけしましたこと、深く反省しお詫び申し上げます。そのうえで、このたび、民進党を離れる決断をいたしました」となっている。 スキャンダルに根拠がなければただの嘘である。嘘をつかれた責任をとる必要はまったくない。ただ、安倍晋三首相に「(官僚などに)忖度(そんたく)させた罪」を問うてきた民進党だけに、その党のやり口を自身の問題にも適用したのだったら、それはそれで首尾一貫している。もっとも褒められたものではないが。パリス・ヒルトンでわかる「スキャンダルの経済学」「お騒がせセレブ」パリス・ヒルトン(2013年6月撮影) 離党の理由は、倫理的な問題よりもむしろ政治的な計算だろう。スキャンダルは必ずしも政治家や有名人にとって致命傷とはかぎらないからだ。問題はどのように制御するかに依存する。拙著『不謹慎な経済学』(講談社)の中で、ハーバード大学のジョージ・ボージャス教授の「パリス・ヒルトンの経済学」というものを紹介したことがある。パリス・ヒルトンといえば最近は、香水販売やアパレルなど実業家の側面が話題だが、少し前までは上流階級のお騒がせセレブだった。10年前、そんな彼女が交通規則違反で刑務所に収監されたことが話題になった。 ボージャス教授は「パリス・ヒルトンの経済学」の中で、この刑務所生活が彼女のセレブ価値にどんな影響を与えるかを経済学的に分析したのである。その結論は、予想に反して、「セレブとしての価値を高めるのに、今回の刑務所での服役は長期的に有効である」というものだった。その理由は「奔放なセレブ」「富豪の苦労知らずの娘」というイメージに、服役という人生の試練を受けたという「箔(はく)」を与えたことで、彼女の市場価値が高まったとみなしたのである。ボージャス教授の予言が正しかったのかはわからないが、パリス・ヒルトンはいまだに10代から30代の女性の生き方のモデルとして健在なのは確かだ。 さて、「山尾志桜里議員の経済学」はどうだろうか。ポイントのひとつは議員辞職ではなく、あくまでも民進党からの離党だということだ。冒頭でも書いたが、最近の政治はワイドショーを中心とするメディアの印象によってその方向性が大きく左右されている。特に一議員のスキャンダルが、党全体の問題として印象づけられる傾向が強い。先述した都議選のときの豊田議員の暴言や稲田朋美前防衛相の失言問題は、女性層を中心にして自民党への支持を失わせた典型例だ。 一議員の問題が党全体に波及する。経済学的には一種の外部効果だが、いまのワイドショーなど報道の在り方をみてみると、特定の政党を「悪魔」のように仕立て上げて批判することで、視聴率獲得などの歓心を得ようとしている。そのため政党に影響があればあるほど、一議員の問題の価値もまた高まるというフィードバック現象がみられる。この負の連鎖をとめるには、議員辞職が最善の選択になる。議員であるがゆえに、「不倫」というよくある出来事も報道の市場価値を持つからである。宮崎謙介元衆院議員のケースはこの対処法であった。政治家はなかなか食えない「生き物」8月21日、民進党代表選の出陣式で、山尾志桜里元政調会長(左)とあいさつを交わす前原誠司元外相(斎藤良雄撮影) 山尾氏は、議員辞職ではなく民進党の党籍を離れたので、いわば「次善の策」だ。一説には、10月に行われる衆院の三つの補欠選挙に絡んでいるともいわれている。いまの段階で議員辞職してしまうと、山尾氏の選挙区でも同日に補選を行うことになるため、候補者探しなどのコストを民進党が避けたという解釈だ。山尾氏個人は、議員であるかぎり当分の間、スキャンダルを引きずるというコストが発生する。他方で、民進党を離れたことで先の負のフィードバックから免れるという便益を得ることができる。この便益とコストの比較での民進党からの離脱だろう。 短期的には、民進党を離れたことにより党からの金銭的な支援なども受けられなくなり、その意味でのコストも発生している。他方で、長期的にみると必ずしも損ばかりとは言い切れない。議席を維持しているので、次の国政選挙のときに民進党に復帰し闘うことも可能である。その意味では、パリス・ヒルトンが一時期刑務所に入っていても「箔」がつきセレブ価値を長期的に高めたように、政治家というセレブとしての価値も長期的には高まる可能性がある。要するに、政治家はなかなか食えない生き物だということだ。 山尾氏の問題については、一部の識者たちのダブルスタンダードともいえる発言も目立っている。自民党議員に同種の問題があれば苛烈な批判をしていたのに、山尾氏には弁護的だ、というものだ。これは認知バイアス(政治的偏見)の問題だろう。 ただ、政治家の私的スキャンダルで、政党の評価を決めるような社会的風潮はやはり問題なのだ。政党の評価でいうなら、前原代表の経済政策観には深刻な問題がある。例えば、消費税を引き上げることで、社会のすべての人の幸福を実現し、分断社会にも歯止めがかかるという。 社会の分断が防げるのならそれは大いに賛成だ。だが、引き上げる消費税率だけがやたら具体的で、他方でその税金でどのくらい私たちの生活水準が向上するのか(1人当たりの所得)、また、ジニ係数などを用いて経済格差がどのくらいの数値で低下するのか、といった具体的な政策目標の値は明示されていない。ただ、単にやたらはっきりとした税率の数字と、「all for all」というスローガンが先行しているだけである。ひょっとしたら、1人当たりの生活水準の向上を断念しているのではないかとさえ思える。それこそ「反成長主義」「成長断念」というトンデモ経済思想ではないだろうか。 「山尾スキャンダル」よりも、やはり前原氏の経済政策の方が個人的にはよほどスキャンダルである。

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    松居一代が教えてくれた夫婦のカタチ

    この夫婦の泥沼劇はいつまで続くのか。女優、松居一代と俳優、船越英一郎夫妻の離婚騒動が連日のようにネタにされている。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とは言うけれど、ここまでこじれにこじれてしまったら、もう止まらない。それにしてもつくづく思うのは、「夫婦のカタチ」っていったい何なんでしょう?

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    「愛なき結婚は不幸」松居一代が教えてくれた現代ニッポンの幻想

    佐伯順子(同志社大大学院教授、女性文化史研究家) 「君子の交わりは、淡きこと水の若し」とは、『荘子』の言葉であり、相手に立ち入りすぎない冷静な人間関係は、「淡交」(たんこう)という茶の湯の精神にも生かされている。 この理想が最も大切なのは、実は夫婦の間柄ではなかろうか―。メディアをにぎわせる松居一代さんの夫婦関係をみると、そう痛感させられる。彼女が夫とのなれそめをトーク番組で熱く語っていたとき、視聴者の多くは、彼女の熱烈な愛が報われたと思ったのではなかろうか。結婚式で笑顔をみせる松居一代さん(右)と船越英一郎さん ただ、今の状況は、「可愛さ余って憎さ百倍」という言い回しそのものであり、そのギャップに視聴者は驚きながらも関心を抱いてしまい、情報番組のネタにもなってしまう。 だが、相手に執着がなければ、女性の側も、自ら情報発信してまで、トラブルをさらすはずがない。憎しみという形であれ、愛着が残っているからこそ、相手のことに触れたくなってしまうのである。 愛が心底さめてしまえば、相手のことなどどうでもよくなり、無関心に落ち着く。逆説的であるが、相手を大事に思えばこそ、長く一緒にいたいのであれば、愛しすぎるのも考えもの、ということになる。 そもそも、夫婦関係に「愛」という感情的な高まりを明確に必要条件として入れたのは、日本では明治の近代化以降である。それまでは、結婚は家の継続、出産による子孫の確保が第一目的であって、当事者の感情の高まりなど、その目的のためには邪魔でしかなかった。 身分を超えた恋を自由にされたら、社会的立場に応じた家の存続は保証できない。ドラマが描く戦国時代の政略結婚をみれば、結婚に愛など必要とされていなかったことがよくわかる。 だが、愛なき結婚は不幸であり、身分社会は封建的な抑圧である、誰もが平等であり、誰とでも恋愛して結婚できるのが、自由な近代社会である、と明治の知識人は信じた。そうした考え方が多くの人に広まり、現代人の多くは、結婚には愛が必要だと思い、今に至っている。 しかし、恋愛結婚だから離婚しないという保証がないことは、現代の離婚率からも明らかなのであり、むしろ古いと思われる見合い結婚のほうが、最初から結婚相手としてふさわしいかどうかという冷静な判断にもとづいて相手を決めるので、情熱恋愛はないとしても、関係が長続きするという考え方が、復活のきざしをみせている。旅行会社のパンフに婚活ツアーという文言が踊るのも、それゆえであろう。過度な愛着が危険を呼ぶ いや、そもそも結婚という行為自体が、人生に必要なのか、という考え方さえ台頭している。日本社会における生涯未婚率は上昇しており、結婚しない人生も珍しくはなくなった。歴史的にみれば、長男以外の男性は結婚しにくい時代もあったのであり、人間全員結婚するのが常識、という皆婚(かいこん)社会は、普遍的なものではない。 歴史に照らせば、未婚化もあながち特殊とはいえず、当事者が結婚の必要を感じなければ、この価値観の多様化した時代に、結婚を強制される筋あいもなくなる。キリスト教はさすがに、人間、神様が命じてくれないと、結婚しなくても生きていけると気づいてしまうと、あらかじめ予測していて、神の名のもとに夫婦愛しあい、子孫を残すことを奨励したのではないか。※写真はイメージ 逆に仏教の考え方によれば、釈迦は妻子を捨てて出家し悟りを開いたのであるから、家庭は執着のもとであり、結婚なんぞしないほうがいい、いっそのこと子供ができない男色がいいと、江戸時代にはおおっぴらに言われていたほどだ。 そのような歴史的背景のある日本社会で、未婚化が進んでいるのは必然とも思われるのだが、一方で、高齢化社会を迎え、何歳になっても恋愛、結婚に前向きな人が増えているというニュースもある。 著名な女優さんや文筆家の方が六十代で結婚されたという情報もメディアをにぎわせている。熟年期の結婚は、家の存続や子孫の確保という過去の結婚目的とは異なり、パートナーと一緒にいたいという感情の純粋な発露といえようか。 少女漫画でロマンチックな恋愛、結婚観を刷り込まれた世代としても、こうした現象は理解できるし、国際社会を見渡しても、現フランス大統領夫妻の例は、男性の経済力と女性の若さや性的魅力の交換という打算的結婚とは異質である。 ドラマから映画化もされた『昼顔』が描く夫婦像では、逆に夫には経済力だけを求め、感情的、性的満足を婚外恋愛に求めるパートナーシップも描かれているが、少女漫画世代としては、それも殺伐と映る。 経済成長が滞り、男性の安定収入に依存しきれない社会においては、むしろ夫婦間の精神的絆の価値が見直され、それは熟年結婚という形で具体化しているようにもみえる。相手への過度な愛着がかえって危険であることも、熟年だからこそ悟っているのではないか。 結婚、恋愛観がかくも多様化している時代、大事な相手と末永く一緒にいるためには、流れる水のようにさらりと付き合うことが幸せの秘訣かもしれない。

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    夫婦って何? 松居一代と船越英一郎の「泥沼離婚」が問うもの

    碓井真史(新潟青陵大学大学院教授) 夫婦は憎み合うものなのでしょう。夫婦は激しく対立し、いがみ合い、裁判沙汰(ざた)になり、時に殺し合いさえします。なぜなら、夫婦は最も近くにいる他人であり、そして本来は愛し合う運命共同体だからです。おしどり夫婦といわれた芸能人夫婦が破綻などすれば、世間はそれをドラマのように楽しみ、また教科書のように自分の教材とする人もいるでしょう。松居一代さん 恋愛はすばらしいものです。しかし、感情は心理学的に言えば一時的です。恋愛感情も一時的です。一緒にいるだけで幸福感を覚え、見つめられるだけで心臓がドキドキするような感覚がずっと続いたら、日常生活ができません。 親しい二人の人間関係には友情もあります。友情は好意的な感情だけですが、恋愛感情は、もとから愛と憎しみが入り交じった複雑な感情です。友情は、時間がたつほど深くなります。ところが、恋愛感情は時間がたつほど薄くなるものです。だから、結婚は感情だけでは続けられません。 結婚は、恋愛関係とは異なる契約関係です。法律の話を持ち出さなくても、結婚式には誓いを立てます。「病めるときも健やかなるときも、貧しきときも富めるときも、生涯愛し続けると誓いますか」と結婚式では決心を迫られます。どんなに大恋愛中の二人でも、今の気持ちだけでは結婚生活を続けられないので、互いに誓い合う契約関係が結婚なのです。 契約関係なのですが、事前に明確な契約書を交わすわけではありません。互いに、何となく相手に期待しているだけです。その期待通りに相手が動いてくれればよいのですが、そうとは限りません。恋愛中は、彼女のおしゃべりを楽しく聞けた男性も、結婚後になると妻のおしゃべりがうるさく感じて聞こうとしないこともあります。新婚当初は毎日手間暇かけて作っていた愛妻弁当も、次第に作らなくなることもあります。思っていたのとは異なる結婚生活が始まるのです。 仕事も家事も子育ても、二人で話し合って二人で協力し合うことが必要です。しかし問題は、会社のような上司と部下の関係ではないことです。学級会のように多数決で決めることもできません。平等な関係の対等な男女が二人いるだけなのです。王子様なんてどこにいる? 妻も夫も相手に期待しているものがあります。理想の妻として「昼は淑女のように。夜は娼婦(しょうふ)のように」といった言葉もありますが、実現は難しいでしょう。私の王子様だと思って結婚したのに、王子様とは程遠い男の生活ぶりに幻滅する妻もいるでしょう。 愛していて、期待していたからこそ、裏切られたときの失望はとてつもなく大きなものになります。勝手にイメージしていただけなのですが、相手に失望し、結婚生活に絶望することもあるでしょう。 現代人は、昔と比べて大量の情報を持つようになりました。自由に行動できることも増えました。同時に、人間関係能力は下がってきました。そんな現代の男女二人が共同生活をするのですから、トラブルも当然です。かつては妻の当然の義務とされていた事柄が、現代社会では義務だとは考えられません。夫は昔ながらに妻の義務だと感じていて、妻は義務ではないと感じていれば、衝突は激しくなるでしょう。本当は話し合いが必要なのですが、それには高い人間関係能力が必要になります。 話し合うためには、聞くことと話すことが必要になります。男性は、自分の思いを話す「自己開示」が少なく、女性のそれは多いといわれています。男性はひと言足りなくて失敗し、女性はひと言多くて失敗することがあるでしょう。男性は自分の不満を話さずに怒りをため込み、爆発することがあります。女性は、自己開示の量が過剰でタイミングが悪いこともあります。 疲れ果てて帰ってきた夫をつかまえ、猛烈な勢いで語る妻。夫は、妻の話が聞けなくなり、拒絶します。人は心を開いて話しているときに拒絶されると激しく傷つきます。気が強い人なら怒り出し、気の弱い人なら泣き出すでしょう。 また、女性は話し合うことで問題を解決しようとし、男性は話さないことで問題を解決しようとします。妻から問題の話題をふられると、夫は「オレがせっかく忘れようと思っているのに、なぜ蒸し返すのだ!」と腹が立ち、聞こうとしません。そうすると、妻は「せっかく解決しようと思っているのに、なぜ逃げるの!」と怒ったり悲しんだりします。本当は二人とも問題解決を願っているのに、互いに相手が問題解決を願っていないように感じるのです。男たちは苦しんでいないのか さまざまな面で異なる男女が一緒に暮らすのですから、すれ違いも当然です。このストレスを、人は他の人に話すことで解消してきました。男たちは会社帰りの赤ちょうちんなどで憂さを晴らし、女たちは井戸端会議でグチをこぼしてきました。ところが、今この二つとも少なくなってきています。 そこで、インターネットが登場します。「だんなデスノート」がその代表でしょう。「だんな、死ね」といった文章がたくさん並びます。ここに書き込むことでストレス発散になっている人もいるでしょう。また苦しいのは自分だけではないと、慰められている人もいるでしょう。ただし、井戸端会議とは異なり、匿名の世界だという問題があります。(画像はイメージです) 匿名の世界では言葉が乱暴になります。また少数の仲間に話すのではなく、不特定多数に話すことになります。仲間内のおしゃべりはストレス解消になりやすいのですが、このようなネットの世界で語ることは、時にますます怒りや攻撃心が高まるきっかけになることもあるので、要注意です。ただ男性としては、妻たちがこれほど怒り苦しんでいることは知るべきでしょう。 では、男たちは苦しんでいないのでしょうか。妻たちの中には、私がこれほど泣いたり怒ったりしているのに、夫は何とも思っていないと感じてさらに感情的になる人もいます。しかし、男の中には泣きも怒鳴りもしないけれども、心の中では傷ついている人もいるのです。ただ、その思いを表現していないだけの男もいるのです。 心理学的には、より良い夫婦を望むなら、次の事柄が大切だといわれています。まず、相手への感謝の言葉を言い続けること。相手の目標達成を具体的に応援すること。そして、実現不可能な夢を求めるのではなく、実現可能な目標を立てて一歩ずつ進むことです。最後に、これらのことを相手の態度に関わらず、自分の側が努力することです。 そのようにすべきだと説教するつもりはありません。ひどい相手もいます。離婚も現代では普通です。ただ、より良い夫婦であることを願うなら、これらのことが効果的です。夫婦関係が難しい現代だからこそ、私たちは学び、互いに努力することが必要なのでしょう。

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    「爆発妻」となった松居一代に残された選択肢は二つしかない

    岡野あつこ(夫婦問題研究家) 連日のようにワイドショーをにぎわせている女優の松居一代さんと俳優の船越英一郎さん夫婦の問題については、夫婦問題の相談を扱っている私のサロンでも話題の中心となっていました。ミュージカル公演のレッドカーペットに登場した船越英一郎と松居一代夫妻=2008年11月3日、東京都渋谷区(緑川真実撮影) 一連の騒動が起こる以前の松居さんと船越さん夫婦のイメージのように「献身的でしっかり者の妻&妻に支えられているのんびり穏やかな夫」という、絶妙なバランスを保っている夫婦関係は意外と多いもの。だからこそ、「あそこまで行くとやりすぎだと思う。でも、その気持ちはわからなくもない」という意見が聞こえてきたのも事実です。松居さんのとった行動を全面的には賛成することはできなくても、彼女の感情は理解できなくもない、という女性も少なくないようです。 SNSを活用するかどうかは別としても、当然、一方的な放言は必ずしもいいことではありません。それにもかかわらず、これまでずっとためこんでいた不満や怒りなどの感情をこらえきれずにぶちまけてしまう「爆発妻」がいます。 そんな「爆発妻」たちの根底には、共通する3つの言い分があります。(1)「私は正しい!」 悪いのは夫であって、私は正しい。好きでキレたわけではなく、夫が私をキレさせた。(2)「私は今までずっと家族のために頑張ってきた!」 家事や育児といった日常生活での細かい部分を全面的に担ってきたのは私。私が時間とお金を犠牲にして頑張ってきたからこそ、夫だって自分の仕事に集中できたはずなのに!(3)「私の存在のありがたみを理解してほしい!」 家庭がうまく回っているのは私の努力のおかげ。それなのに、感謝もされなければ、女性として扱ってくれる機会もめっきり減った。私がいなければ困るクセに! このような言い分の元、抑えきれない感情の高ぶりが「爆発妻」を誕生させると言っていいでしょう。 ちなみに、爆発妻ほどの激しさやエネルギーは持っていないものの、「それでも誰かに一言、夫のグチを言いたい。わかってもらいたい」という女性が投稿する『だんなデスノート』というサイトがあります。自分の夫への不平不満を匿名で投稿し、ストレス解消の一助にしているという女性も増えています。愚痴が過熱しすぎて… ただし、言葉の過激さにつられて自分の中の負の感情をコントロールすることができず、自分で自分の気持ちをヒートアップさせてしまった揚げ句、「もうこんな夫とは離婚するしかない!」と思い詰めるケースもあるのでSNSの活用法には注意が必要です。あくまでも「笑い」に変えることのできる範囲内の表現でグチを吐き出すのがポイントでしょう。夫で俳優の船越英一郎との離婚報道を否定した、女優の松居一代=2016年1月13日、東京都世田谷区 いずれにしても、爆発妻となって、自分の感情を含んだ夫への悪口雑言をぶちまけ、それが夫の知るところとなった場合、妻に与えられた選択肢は2つあります。「妻の言い分が通り、夫との関係が改善される」「夫婦関係に決定的なヒビが入り、修復不可能な領域に突入する」という天国か地獄のどちらかが待っています。 自分の中にくすぶっていた感情をぶちまけるのは必ずしも問題解決にはなりません。むしろ、次の大きな問題を生むこともあるのです。実際に、妻の暴言がきっかけで離婚に至ったケースをこれまでにいくつも見てきました。 かつては「誰のおかげで生活ができると思っているんだ?」「専業主婦のお前に何がわかるんだ?」といったモラルハラスメントに代表される男性の暴言が目立っていましたが、最近は女性側の暴言による夫婦間のトラブルも増えています。誰でも気軽に意見を発信することができるというのはSNSの良いところではあります。ところが、よかれと思って自由奔放に発言したことが、めぐりめぐって「離婚」という形で跳ね返ってくることもあるのです。 一般的には、離婚をする場合、お互いに話し合って離婚に合意する「協議離婚」という形をとることがほとんどです。話し合いが決裂したときは、家庭裁判所で話し合い「調停離婚」で結論を出し、それでも決まらない時は、「裁判離婚」となって争うことになります。 実際に、協議離婚の段階では「暴言があったかどうか」よりも「不倫の事実を知っていたかどうか」がもめる原因となるケースが多いようです夫の浮気が暴言の一因に 例えば、妻が暴言を吐くきっかけとなった理由の1つに夫の不倫があるとします。つまり、妻が夫の不倫を知っていて協議離婚になったケースでは、妻は「勝手に不倫をしておきながら、離婚をして自分だけが幸せになるなんて許せない!」と、離婚に対してなかなか納得することができません。夫の不倫を知らずに別の理由で協議離婚にいたったケースとは異なり、そこには「浮気夫」への恨みつらみが別の感情として新たに加わるため、「裁判までもつれたとしても、絶対に別れないから!」とこじれることが多い、と専門家からも聞いています。通夜に参列した松居一代=2012年11月1日、兵庫県西宮市(彦野公太朗撮影) 協議離婚と調停離婚が不調に終わると、次は裁判離婚になります。裁判離婚は係争が数年に及ぶことも珍しくないなど、長引くことが前提とされています。また、結婚生活の長さや夫婦がともに築いてきた財産の多さなどによっても争点が変わるため、落としどころが難しいとも言われています。 例えば、結婚後に築いた夫婦の共有財産については、「夫が仕事で成功をつかんだ背景に、妻のひたむきな努力があった」ということも考慮され、離婚の際には折半しなければなりません。今回の松居さんと船越さん夫婦の場合、莫大(ばくだい)な財産をどうするか、ということが大きな問題になります。さらに、そこに「感情面でどう折り合いをつけるか」というやっかいな問題もプラスされるのは明らかでしょう。 「裁判離婚は、お金と感情が絡めば絡むほど長引くもの」とは、業界でささやかれている暗黙のルールです。お互いの妥協点を見いだすためにも、事情を理解した弁護士をつけることが裁判の流れを変えるカギになるかもしれません。 離婚は、こじれた夫婦関係を解決する唯一の選択肢ではありません。しかし、離婚という道をかたくなに拒むことで得られる幸せが大きいか、というとそこにも疑問が残ります。 大切なのは、爆発妻のいたらなさを責めたり、妻を満足させられなかった夫に罰を与えたり、といったことではありません。「どういう生き方をしたら、これから自分自身が幸せに心穏やかに毎日を過ごしていくことができるのか」ということを、夫婦がお互いに思いやりを持って考えることです。そうすれば、その先に必ず希望の光は降り注いでいるはずです。

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    松居一代だけじゃない!「復讐予備軍」の妻たちはこんなにもいる

    亀山早苗(フリーライター) 11年前に「パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた夫婦が崩壊しかかって揺れている。俳優の船越英一郎とタレントの松居一代夫妻である。次々に妻が「爆弾」を投下し、芸能マスコミが食いついていく。もちろん、われわれも心のどこかで「他人の不幸は蜜の味」だと思っている節があるのは認めざるを得ない。冷静に考えれば、芸能人だからこそ、こうしていろいろなことがさらされてしまうのは気の毒だとしか言いようがないのだが。 ただ、妻が爆発してしまうのは、芸能人特有というわけではない。「妻が夫に復讐(ふくしゅう)したくなるとき」は誰にでもあり、それを行動に移すかどうかは、ほんのささいなきっかけである。2006年11月、「パートナー・オブ・ザ・イヤー」でいい夫婦に選ばれた俳優・船越英一郎(左)と松居一代夫妻 夫婦というのは不思議な関係だ。もとは他人であり、育った環境も考え方も違う二人が一緒になって、時として子供を産み育む。子供は二人の遺伝子を受け継ぐが、孫ができようがひ孫ができようが、夫婦だけはどこまでいっても他人のままなのだ。ただ、「夫婦」「家族」とくくられてしまうため、「他人ではない関係」と当人たちも思い込む。そこで生じるのが、「愛情に名を借りた支配」なのではないだろうか。 実際、夫を束縛し、その束縛から逃れようとする夫を支配し、最後には復讐に至った妻たちに取材をしたことがある。「なんとなく夫の様子がおかしい、浮気しているんじゃないかと疑った時期がありました。疑心暗鬼になって夫の携帯電話をこっそり見て…。決定的な浮気の証拠ではないけど、どうやら親しい女性はいるみたいで、SNSのメッセージのやりとりを見て、頭に来ちゃって。自分がないがしろにされている気がしたんです」 キョウコさん(40歳)は、ため息をつきながらそう言った。夫は外で好きなことをし、自分は3人の子を育てながらパートで働く身。自分ばかりが損をしているという日常的な不満がベースにある。夫を「抹殺」するわけにはいかない 彼女は夫と自分のスマートフォンを操作し、夫に来るメールやメッセージを自分も見られるようにした。もちろんGPSで夫の居場所も常に分かる。幸い、夫はスマホ操作が苦手だし、キョウコさんがスマホに詳しいことも知らない。「仕事かプライベートか知りませんが、繁華街に繰り出したり女性と食事したりしていることが分かって、ますます腹が立ちました。証拠を全部まとめて夫に突きつけたんです。でも夫は認めない。私はますます証拠探しに躍起になって、ある日、子供たちを母に見てもらって退社後の夫を尾行しました」 夫はとあるレストランで女性と待ち合わせし、軽く食事をするとタクシーで移動、女性を駅で降ろして一人で別のダイニングバーに入った。1時間ほどで女性と身を寄せ合うようにして出てきたところを捕まえた。「夫は私を見るとあっけにとられたような顔をして、『なんだよ』って。『あなたこそ何よ、何人の女とつきあっているわけ!?』と殴りかかると、女性はそそくさと逃げていく。待ちなさいよと叫んでつかみかかってしまいました。悔しくてたまらなかった」 夫は二人とも仕事の関係で会っていただけだと釈明したが、キョウコさんには信じられなかった。さらに夫のスマホを分析、ついに不倫相手を特定した。そして彼女が勤める会社に「お宅は家庭ある男と不倫密会を重ねる女を雇っているのか」と文書を送りつけたり、彼女の住んでいるマンションの周りに「不倫女」と書いた写真付きのビラを貼ったりした。「もちろん彼女のSNSに、みんなが見えるように『あなた、不倫なんてやめたほうがいいですよ、彼の奥さんと子供が泣いてますよ』と匿名でコメントもしました。単に私が嫌がらせするくらいじゃ気持ちがすまない。彼女の社会的抹殺を図りたかったんです」 悪いのは自分の夫だと彼女は分かっている。だが、夫を社会的に抹殺するわけにはいかない。生活がかかっているのだから。 キョウコさんは大恋愛で結婚したという。それなのに十数年の結婚生活で、夫は他に女性を作ってしまった。自分だけを見てくれているはずだったのに、そういう約束を交わしたのに…と歯がみする夜が何度あったことか、と彼女は唇をかんだ。 結局、夫は不倫を認めなかったが、どうやら女性とは別れた様子。ただそれ以来、妻への不信感は募っているようで、冷戦状態が続いている。「旦那死ね」は浮気だけじゃない 恋に落ちてこの人と離れたくないと強く思い、結婚に至ったはずなのに、夫婦となった瞬間、恋愛感情は薄れていく。愛情を育むことを忘れて、互いをわかりきっているつもりになり、パワーバランスが乱れていく。 30代主婦たちが中心になっている「旦那死ねサイト」には、夫に死んでほしいと願っている妻たちがさまざまな書き込みをしている。自分の手を下す気はないが、出先で夫に死んでほしいと願う妻たち。もちろん、心の底からそう思っているかどうかは別として、夫からのストレスが大きいのは確かなようだ。「旦那死ね」に対して激しく共感している妻たちが多いことに、世の夫たちは真剣に向き合った方がいいのではないだろうか。「浮気だけじゃないですよ、私たちが『夫がいなくなればいい』と思うのは」 子育て真っ最中のリナさん(37歳)は、怒ったような表情でそう言う。「仕事を言い訳にして子育てしない、家事をしない。私だって働いているのに自分がかまってもらえないと子供よりひどい駄々をこねる。こんな夫、いらないと思うことが多々あります」 子供が大切だから家庭の形は壊さないでおくが、リナさんはいつか復讐してやると息巻く。「知り合いの70代女性は、夫が体の自由が利かなくなったので、若いころの恨みつらみを今、夫にぶつけているのだそうです。浮気ざんまいで家を顧みず、あげくお金でも苦労させられたから、これからは自分が復讐する番よ、とうれしそうに話していました。それを聞いたとき、ああはなりたくないと思いながら、私もそうなると確実に感じましたね」 「復讐予備軍」の妻たちはたくさんいるのである。

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    不倫調査を探偵に依頼する女性、箱入り娘から慰謝料目的へ

    『調査報告書』と書かれたA4用紙28枚のレポートをめくると、“不貞の証”が克明に記録されている。愛人の自宅マンションの出入り、食事の様子、手をつないで歩く姿、そして路上でのキス…。膨大な数の写真が、妙齢男女のプライベートを映し出す。「クロですね。スケジュール、滞在先も含めて、ほぼ事前情報通りでした。明日、報告書を依頼人にお渡しした段階で、われわれの仕事は終了です」 7月初旬の昼下がり、東京都内の喫茶店で本誌・女性セブン記者に淡々と話すのは、ある探偵会社の社長だ。その1週間前、本誌は彼らの調査に密着していた。東京から京都へ、東西360kmを行き来する2日間の密着取材だった。今回の依頼人は都内在住の40代専業主婦・A子さん。「商社に勤める5才上の夫が京都で愛人と不倫している。証拠が欲しい」 そう話し、夫の定宿の情報も探偵会社に提示していた。予想を上回る蜜月ぶりに、この結果を妻が知ればさぞ落胆するだろうと思っていると、社長がこともなげにこう言い放った。「依頼人にとっては想定内の結果なので、特に悲しまないと思いますよ。おそらくこれで離婚裁判も有利に進められるでしょうから」 不倫探偵の日常が、日本の夫婦の変質をまざまざと表していた──。 昨年のゲス不倫から始まったブームは今年も続き、渡辺謙(57才)と大阪の元ホステス、仲間由紀恵(37才)の夫・田中哲司(51才)と美人スタイリスト、と著名人の不倫報道が相次いだ。 そして今、最も世間を騒がせているのが、松居一代(60才)である。夫・船越英一郎(57才)の不倫疑惑をYouTubeで暴露するという前代未聞の行動に、国民の好奇な目が向けられている。なかでも注目を集めたのは、彼女の執拗な“独自調査”だ。「業者に頼んで船越さんの別宅マンションの鍵を開け、浮気の証拠とされる“恐怖のノート”や船越さんのパスポートを手に入れた。夫の不倫相手だとする女性が住むハワイを訪れて証拠探しまで敢行した」(スポーツ紙記者) 松居の行動力には《探偵も真っ青》《さながら不倫探偵》と驚嘆する声がネットにあふれたが、一方で芸能界のご意見番こと和田アキ子(67才)は「浮気の証拠が欲しいなら探偵でもいいのにね」と松居の行動を非難した。 松居への賛否はさておき、夫に不倫疑惑があれば、どんな手を使ってでも調べたいと思うのは当然のことかもしれない。現に、最近は不倫調査の依頼が増えた、と前出の探偵会社の社長は声を潜める。「松居さんの影響かどうかはわかりませんが(苦笑い)、このひと月は増えましたね。依頼者のほとんどは女性で、30~50代の主婦が多い」 同社によれば、現在、年間100日は不倫調査をしているという。昔に比べて依頼者の質も大きく変わった。「私が探偵を始めた30年前は、お金持ちの箱入り娘からの依頼が多かった。“自分は何もできないので、主人の真実を調べてください”と。実際に夫の不倫が発覚しても、胸に秘めて耐え忍んでいました。ところが今は、“裁判を有利に進める証拠が欲しい”というケースばかり。慰謝料や親権、養育費を得るための証拠固めとしての依頼です。ドライな夫婦関係が増えた気がします」(社長) スマホの普及やLINEをはじめとするSNSの発達で、昔より不倫の証拠集めが容易になった。昨今は証拠集めまで“DIY”(自分自身でやる)という女性が目立つ。「依頼前に、ある程度の証拠を集めているかたが多い。プリクラやメールといった定番だけでなく、夫がパソコンでラブホテルを検索していた履歴や、カーナビの目的地履歴などを持ち寄る人もいるほど。昔より妻の情報収集能力が格段に上がりました」(社長) 冒頭の依頼人・A子さんは、まさにその世相を表す女性だった。結婚22年目の主婦で、大学1年生のひとり息子がいる。商社勤めの夫・B氏の不倫には3年前から薄々気づいており、これまで地道に証拠集めを続けてきた。 夫婦間の愛情はすでに皆無。子供がひとり立ちした時点で離婚の意思を固めており、“詰めの一手”として、ママ友から紹介された探偵会社に連絡したという。「電話やメールで連絡をいただいたら、必ず1~2時間ほど面談して調査内容や対象者について深く話を聞きます。不倫調査なら、『異性との接点の確認』にとどめるか、『不貞行為の確認』や『不倫相手の特定』にまで踏み込むかで調査手段や値段が変わります。不貞確認の場合は“お泊まり”の現場を押さえる必要があり、日数がかかって費用が跳ね上がります」(社長) 調査員は徒歩と車かバイクの2人1組が基本。料金は1時間2万8000円で、3日間の調査でおおよそ40万円程度。調査員が1人増えるごとに1時間あたり1万2000円追加となる。A子さんは社長との面談で「不貞行為の有無」と「不倫相手の特定」を希望していた。関連記事■ 妻の不倫調査 48分と70分の短時間不倫に夫は気づかなかった■ 探偵会社の不倫調査2日間に完全密着 証拠はすべて録画■ 探偵が見た浮気の修羅場「愛人は実姉」「揺れる車に妻乱入」■ 不倫のプロが指南 絶対に妻にバレない「不倫の掟」■ 松居一代は入れないはず 船越の部屋から消えた恐怖のノート

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    首相の靖国参拝を「問題化」したのは他ならぬ日本人だった!

    一色正春(元海上保安官) 今回は、いわゆる靖国問題の本質に迫ってみたいと思います。 普通の感覚を持った日本人であれば、この問題に関して中国や韓国が行ういわれのない批判に対して憤りを覚え、彼らに嫌悪感を抱くかと思いますが、世間一般で言われる「靖国問題」というものを創り出して世界に発信したのは、われわれと同じ日本人であるという事実は認めなければなりません。日本と一緒に戦った韓国は言うまでもなく、もともと中華人民共和国は日本の戦争責任なるものを問題視していませんでした。それは、中華人民共和国という国が、大東亜戦争が終わってから4年後の1949年にできた国であり日本と戦争していないからです。 確かに中国共産党は1921年7月にコミンテルン指導の下、上海で中国共産党第1次全国代表大会を開催して結党し、1927年8月1日に江西省南昌で「打倒蒋介石」の旗印のもと「国民革命軍」(後の中国人民解放軍)として武装蜂起しましたが、それから戦った相手は専ら蒋介石の国民党軍で、日本軍とは終戦までゲリラ戦程度しか戦っていません。元中華民国総統・元台湾総統の蒋介石 彼らにとって日本軍は敵というよりもむしろ味方で、実際に何度となく日本軍に党存続の危機を救われています。1931年に行われた蒋介石による第一次中共掃討作戦の折には満州事変、1936年には西安事件、1937年には盧溝橋事件、1941年の南進政策など国民党軍により中共軍が壊滅の危機に瀕したとき、いずれの事件も誰が仕掛けたのかということは諸説ありますが結果的に国民党軍の力が中共軍に向かわないよう日本軍が助けた形になっています。 それどころか中国共産党は汪兆銘政権や日本と手を結んで、時には情報を売り、日本軍に自身の最大の敵である蒋介石の国民党軍を叩かせていたのです。一方で自分たちは日本軍との大規模な戦闘を避け、農民から兵を募り地道に兵力拡大に努めました。その結果、当初は全く歯が立たなかった国民党軍の戦力を上回るようになり、国共内戦に勝利することができたのです。そんな彼らが日本軍に感謝こそすれ戦争責任うんぬんを言う資格はなく、そのつもりもなかったのは当然のことなのです。中国共産党と日本軍との詳しい関係は、遠藤誉著「毛沢東―日本軍と共謀した男」(新潮新書)をお読みください。 ですから同国の建国の父である毛沢東は1964年、日本社会党の佐々木更三委員長と会談した際、佐々木委員長が「日本軍国主義が中国を侵略し、多大な損害をもたらし、申し訳ない」と謝罪したのに対し「何も申し訳なく思うことはありません」「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました」と日本軍のおかげで共産党軍が国民党軍に勝利したことを認め「私は皇軍に感謝している」というようなことまで述べています。(東京大学近代中国史研究会訳「毛沢東思想万歳(下)」三一書房)中韓が靖国批判しなかった時代 毛沢東だけではなく、次の最高指導者の鄧小平も1977年に三岡健次郎元陸将と会談した折に下記のように述べています。 「日本が攻め込んで来たので蒋介石が後退した。われわれは八路軍として三ケ師団だけであったが、日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、日本軍の占領地域の後方に広がり、八年の間に百二十万に増え、さらに数百万の民兵までつくった。それ故、皆さんだけを責めるのは不公平と思う」(三岡健次郎記「自衛隊将軍部鄧小平と会す」昭五二・一二・一軍事研究)。 ちなみに毛沢東は生涯一度も日本に対して、いわゆる南京大虐殺を含む歴史問題を突き付けたことはなく、抗日戦争勝利記念日なるものを祝ったこともありません。それは、南京などで実際に日本軍と戦ったのが中共軍ではなく蒋介石の国民党軍であるという事実や、自身が日本軍に協力した過去に触れられたくなかったからだと思われます。また、中共軍が国民党軍に勝つため日本軍を利用したという真の歴史を知る人たちとって、歴史問題が日本を叩く道具になるという発想はなかったのでしょう。 故に戦後、1985年まで歴代内閣総理大臣が50回以上靖国神社に参拝しても、中国や韓国は何ら問題としていませんでした。いわゆる「A級戦犯」合祀が明らかになった後も3人の首相が延べ20回以上参拝していますが同様です。 問題の発端は1975年、三木武夫首相が靖国神社参拝後に「私人として参拝した」と述べたことです。この発言を政教分離の観点から問題視した日本のマスコミが、それ以降、靖国神社に参拝した政治家に対して、失言を引き出そうとして「公人としてですか、私人としてですか」などと、くだらない質問をするようになるとともに「公職者の公式参拝は政教分離の原則に反するのではないか」という声が高まり、日本国内で徐々に総理大臣の靖国神社参拝が問題化していきました。中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝に抗議する学生 =1985年9月、北京の天安門広場 その動きに危機感を抱いた中曽根首相が1985年に「公式参拝を行う」と大見えを切ったのですが、それに対して日本の大手新聞社が「中国が反発する」と社を挙げての批判キャンペーンを展開したため外交問題になったのです。 おまけに、社会党書記長の田辺誠が訪中し、中国政府首脳に対して「中曽根首相が軍事大国を目指す危険な動きを強めている」などとご注進したため、そうなると中国も日本を批判せざるを得なくなり、中国が日本に対して抗議した結果、中曽根首相は中国に配慮して以降の参拝を取りやめるようになったのです。 この結果に味を占めた中国が以降も、この問題を外交カードに使うようになり、それを見た韓国が中国の尻馬に乗って騒いでいるというのが「いわゆる靖国問題」の事実経過で、戦後長らく問題になっていなかったことを針小棒大に騒ぎ立て外交問題にしたのは自らの商売しか考えなかった日本のマスコミ、党利党略のために政権与党をおとしめようとした日本の野党および偽善的な自称知識人などの反日勢力なのです。日本のために戦って亡くなった方々を己の私利私欲のために利用した彼らは、いずれ歴史の裁きを受けることでしょう。エスカレートする靖国批判 このような事態になり、中韓からのクレームに恐れをなした人たちが「無宗教の施設を作るべきだ」「靖国神社から「いわゆるA級戦犯」の方々を分祀すべきだ」という意見を述べておられますが、いずれも実に浅はかな考えとしか言いようがありません。 亡くなった方の霊に感謝すること自体が宗教的なもので、もし無宗教と名乗る施設を創ったならば、新たに「無宗教」という名の宗教ができるだけの話です。分祀に関しては、そもそも神道においてそういう考えはないのですが、それ以前の問題で、中韓が「いわゆるA級戦犯」の方々を分祀すれば靖国神社に対してクレームをつけてこなくなると本気で思っているのであれば、考えが甘いとしか言いようがありません。彼らが靖国神社にクレームをつけてくる理由は何かということを考えれば、そのようなことがあり得ないということは簡単にわかります。 彼らの真の狙いはともかく参拝に反対する表向きの理由は「いわゆるA級戦犯が合祀されている」ということで、彼らが主張するところの侵略戦争を起こした人間が合祀されていることが問題だと言っているのですが、それでは彼らが侵略戦争と位置付ける満州事変や支那事変を含む先の大戦は「いわゆるA級戦犯」の方々だけで始めたのでしょうか。 真珠湾攻撃作戦を立案指揮した山本五十六元帥やその実行部隊の長であった南雲忠一大将は戦死、大東亜戦争開戦当時の参謀総長であった杉山元元帥や満洲事変当時の関東軍司令官だった本庄繁大将は自決して靖国神社に祀られていますが、今のところ何ら問題とされていません。現職首相として21年ぶりの終戦記念日参拝を 果たした小泉純一郎首相(当時)=靖国神社 実際にはありえない話ですが、仮に靖国神社が「いわゆるA級戦犯」の方々を分祀したとすれば、中韓は次に同じ理屈でこれらの満州事変から終戦まで責任ある立場にあった方々の分祀を求め、その次は「いわゆるBC級戦犯」の方々、その次は満州事変や支那事変にかかわったすべての兵士というふうに際限なく要求してくるでしょう。 事実、彼らは当初「いわゆるA級戦犯」と「首相参拝」だけを問題視していましたが、1999年にはチャイナ・デーリー紙が「A級だけでなくB級も問題視」していることを報じ、2005年春季例大祭に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」数十名が集団参拝したことに対して、中国の副報道局長が「強烈な不満」を表明するなど徐々に批判対象を広げてきました。 そうかと思えば小泉総理の時代は8月15日だけ避けてくれと言ってみたり、その後は「首相、官房長官、外務大臣」さえ参拝しなければよいとかいうようなことを言ってみたり、中国は日本の出方によってクレーム対象を広げたり狭めたりして外交カードに使っているのです。靖国批判する本当の狙い しかし外交カードというのは表向きのことで、1963年以降、毎年8月15日に開かれている日本政府主催の全国戦没者追悼式の戦没者の対象に「いわゆるA級戦犯」の方々が含まれているにもかかわらず、何一つクレームをつけていないことから、彼らの狙いが「いわゆるA級戦犯」ではなく靖国神社そのものであることがわかります。 彼らの真の狙いは靖国神社による日本人の精神武装の阻止=日本の弱体化なのです。ですから、分祀や他に追悼施設を作るなどという、足して二で割るような方法では問題が根本的に解決することはありません。彼らが日本敵視政策を本気で止めるか靖国神社がなくなるまで問題が解決することはあり得ないということを、われわれ日本人は肝に銘じなければなりません。 この問題に限らず中国で「いわゆる南京大虐殺」などの日本に対する歴史認識問題を本格的に始めたのは、当時、曲がりなりにも実際に日本軍と戦い、日本の真の姿を知っている世代の人間ではありません。大東亜戦争終結後、共産党に入党した汪兆銘政権宣伝部副部長の息子の江沢民が、天安門事件により国内に燻(いぶ)っていた不満から国民の目をそらす目的と自らの負の経歴を隠すために反日教育で嘘の歴史を教え始めたのです。 中韓に共通しているのは戦前の日本を直接知る世代よりも教育で事実と異なる日本を教え込まれた世代の方が、より反日的であるということで、厄介なのは事実を知っている人間はその誤りを指摘すれば考えを変える可能性はあるのですが、確信的に嘘を吐いていたり嘘をかたくなに信じていたりする人間にはその可能性が限りなく低いということです。靖国神社で参拝に臨む安倍晋三首相(中央)=2013年12月 さらに彼らの嘘が自らの正当性にかかわるということが問題で、それを嘘だと認めてしまえば自分たちの正当性を否定することにつながり、自らの地位が危うくなるため意地でも嘘を認めるわけにはいかないのです。われわれ日本人は彼らが自ら吐いた嘘により自縄自縛に陥っているということ理解し、これらの歴史認識問題で日本がいくら譲歩しても終わりがないということを認識しなければなりません。 最後に、当たり前のことを言っておきます。先の大戦において日本が主に戦ったのは米英蘭および支那(国民党)であり、彼らは表面上、日本の戦争責任うんぬんということはもう言いません。いまだにそのようなことを言っている中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の3カ国はいずれも戦後にできた国であり、朝鮮戦争を除き、日本は戦ったことはありません。 かつて朝鮮半島の人々は、さまざまな理由により日本国民となり、懸命に生き、ともに戦争を戦い敗れた同朋でした。その歴史的事実を無視した行いは自らの先人をおとしめるだけではなく、自らの国をおとしめることに他なりません。当時のことを知る人が少なくなってきた今こそ、歴史を直視して、未来を語るべきではないでしょうか。

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    加計学園「議論の本質」を読む

    森友と加計。二つの学園をめぐる一連の騒動が、どうにも分かりづらい。そんな声をあちこちで聞く。学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題も泥仕合の様相をみせており、議論の核心からどんどん遠ざかりつつある。結局、何が問題だったのか。iRONNAが総力特集でお届けする。

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    加計学園問題のキーマン、前川氏のどこが「正義の告発者」なのか

    須田慎一郎(ジャーナリスト) そもそも文部科学省の前事務次官、前川喜平氏は「正義の告発者」なのか、それとも「岩盤規制の守護者」なのだろうか。 ここ最近の多くのマスコミ論調には、こうした視点がまったく欠けているように思える。 言うところの「加計学園問題」の本質は、前述の問題提起を明らかにしない限り見えてこない、というのが筆者の基本的な認識だ。 議論を進めていく上で大前提となるのが、日本の大学において獣医学部が新設されたのは、昭和41(1966)年の北里大学(青森県十和田市)のケースが最後、という事実だ。 つまり半世紀以上の永きにわたって、わが国においては獣医学部を新設しなかったというのが実情なのだ。記者会見する文科省の前川喜平前事務次官=5月25日、東京・霞が関 それでは、なぜ獣医学部の新設は封印され続けてきたのか。それは改めて指摘するまでもないことだが、学部開設の許認可権を持つ文科省がそのことを方針として墨守(ぼくしゅ)してきたからに他ならない。その理由として挙げられてきたのが獣医師や獣医学部の「質の確保」だった。そして、全国の7割近い獣医師が加入する日本獣医師会も、こうした「基本方針」を全面的にバックアップしてきたと言っていいだろう。 もちろん、獣医師の数が十分に足りているならば、前述したような「規制」は公共の利益にかなっていると言えるだろう。しかし、そうでない場合はネガティブな意味での「岩盤規制」と化してしまうのだ。 それでは加計学園が運営する獣医学部の誘致に積極的だった愛媛県の場合はどうだったのだろうか。筆者が取材した限り、まったく足りていない、というのがその結論である。具体的には、県内の畜産業振興を目的に県職員として獣医師を募集しても、必要数に満たないのが実情なのだ。このため愛媛県では、定年退職者の再雇用で何とかしのいでいるという。「このままの状態が続いたならば、県の畜産行政に大きな支障が生じることになる」(県幹部)のは必至と言えるだろう。 加えて、実際に獣医学部の誘致に名乗りをあげた今治市はその背景に、ある地域事情を抱えていた。これも実際に現地で取材をして見えてきたことだ。獣医学部新設は岩盤規制? 意外に思われるかもしれないが、今治市は全国的に見ても経済的にかなり豊かな地方都市だと言っていい。それというのも、地場産業がここ近年好調に推移しているからに他ならない。今治市の経済を支えている主力産業は大きく二つ。一つは、全国的なブランド化に成功した「今治タオル」を中心とする繊維業。そしてもう一つは新造船竣工量が全国トップで、世界シェア第2位の座にある「今治造船」を中核とする造船業だ。 このことからも明らかなように経済的には活況を呈する今治市だが、それでも他の地方都市同様に人口減少化という悩みを抱えているのだという。もっとも今治市の出生率は1・8と、安倍内閣が掲げる目標数値(全国平均ベース)1・8についてはもう既にクリアしているのだが、人口増加に転じるレベル(2・04~2・05以上)への到達は、まだ遙かかなたの状況にある。そして今治市の出生率は、現状でもはや頭打ちの状態にあるのだという。 その理由について、今治市在住の企業経営者がこう説明する。 「その最大の理由は、高校を卒業した人が、大学に入学するために市外、県外へ転出してしまい、そのまま就職してしまうことにある。そうした状況を変えるためには、今治市に大学を誘致し、さらにはそのまま就職できる環境を整える必要がある」 そうした意味でも、獣医学部の開設は、今治市にとってはまさに「理想形」だったと言えよう。「加計学園」岡山理科大の獣医学部を新設予定地=5月17日、愛媛県今治市(共同通信社ヘリから) ただ、加計学園を伴った今治市の獣医学部誘致に関して言えば、平成19(2007)年以降の8年間で、実に15回もの申請が繰り返されてきたが、ことごとく申請がはねつけられている。 これは意外に知られていないことだが(というよりも意図的に無視されているきらいがあるが…)、実を言うと第一次安倍政権下でも、この申請は却下されているのである。 もし仮に朝日新聞など安倍首相に批判的なメディアが指摘するように、安倍首相と加計学園との間に特別な関係があり、それをタテに強引に事を進めようとしたならば、とうに今治市の獣医学部開設は認められていたはずだ。 一連の事態が進み始めるのは、第二次安倍政権下で、規制改革などの経済活性化策を進めることを目的とした「日本再興戦略2015」が閣議決定され、国家戦略特区に獣医学部を新設する方針が示されてからだ。 この事実だけをとらえても、それでもなお規制官庁の思惑だけで獣医学部開設を認めないというのは「岩盤規制」そのものと言えないだろうか。 ただ、いずれにしても前川氏が「正義の告発者」ではないことは明らかだ。 その前川氏が、獣医学部開設に絡んで今治市を訪れたという話は、少なくとも筆者は寡聞にして知らない。週に3回も「出会い系バー」に行く時間があったならば、ぜひとも今治市に足を運び、地域の実情に目を向けるべきだったのではないだろうか。残念ながら、筆者の取材では今治市に出会い系バーは見当たらなかったが…。

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    前川氏の「出会い系バー」ネタを首相官邸はどうやってつかんだのか

    有田芳生(参議院議員) 国会で仕事をしていると、世間の感覚とは遠い世界にいるなと思うことがある。「表と裏」が平然とまかり通るからだ。 2010年に初当選したとき、あるベテラン議員にこう言われたことを思い出す。「有田さん、国会議員って平気でウソをついていいんですよ」。あぜんとした。総理が解散時期について事実を言わないことはよく知られている。しかしいま問題となっている「加計(かけ)学園疑惑」については本筋の問題から離れても異常な状況が続いていることに注目するのは、どうも「ウソ」が横行していると思えるからだ。 文部科学省の前川喜平前事務次官が、「総理のご意向」「官邸トップの指示」などが記された内部文書を、実際にあったものと証言してからのことである。菅義偉(よしひで)官房長官は正式の記者会見で、この文書を「怪文書」だと表現した。信じるに足る文書ではないと公式に表明したのだ。しかしその一方で、口外を禁じるオフレコ発言では、前川氏が文書をリークしたと名指しで語っていた。ダブルスタンダードである。しかも発言はさらにエスカレートした。 また、前川氏が事務次官を退職したことに対して「職に恋々としていた」などと語った。そうでなかったことは前川氏の発言で覆させられることになる。さらに新宿・歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしていたことが、読売新聞に大きく掲載された。読売新聞は東京本社、大阪本社、西部本社で印刷する。記事はそれぞれの本社で判断し、当然だがレイアウトもそれぞれの整理部で判断する。ところが出会い系バーの記事は、まったく同じ大きさで同じタイトルで社会面の同じ場所に掲載されている。普通ではありえない扱いなのだ。ここに政治的意図を見るのは当然だろう。大勢の報道陣が詰め掛けた、文科省の前川喜平前事務次官(奥中央左)の記者会見=5月25日、東京・霞が関 しかも菅官房長官は、前川氏がこのバーに「50回も、100回も通っていた」とオフレコで語っている。いかにも怪しいバーに出入りしていたという印象を与えたかったことは明らかだ。昨年秋に前川氏は杉田和博官房副長官に呼び出され「こんなところに出入りしているのか」と注意を受けた。杉田氏が警察庁出身であることに注目したい。 官邸は、いかにして前川氏が歌舞伎町の雑居ビルにある出会い系バーに出入りしていることを確認したのだろうか。私の関心の中心はもちろん加計学園疑惑の真相だが、その周辺で続く情報戦のあり方についても批判的に監視しなければならない。なぜなら、情報によって個人の人格をゆがめ、社会的に抹殺することさえ可能だと思われるからだ。官邸はなぜ出会い系バー通いを知ったのか 官邸はいったいどのようにして前川氏が歌舞伎町の雑居ビルにある出会い系バーに通っていることを知ったのだろうか。その発端と経過はまったく明らかになっていない。ありうることは二つ。前川氏を知っていた記者など誰かが歌舞伎町を歩いていたところを目撃、尾行して出会い系バーに入っていくところを確認し、のちに官邸に報告した可能性だ。 もう一つは前川氏を快く思っていなかった官邸筋が、最初から意図して尾行をしていたのだろう。菅官房長官が「50回も、100回も通っていた」と発言したのは、人格をおとしめるための印象操作だ。しかし、この内容にはある時点から前川氏に尾行をつけたことが十分に伺える。まさに監視国家である。 出会い系バーが違法店でないことは明らかで、しかも前川氏がそこに出入りした目的が現在の貧困状況を知るためのものであったことは6月2日の『週刊文春』に明らかだ。加計学園疑惑をきっかけに浮き彫りになったのは、安倍政権のもとで、監視国家体制がどこまで進んでいるかを示したものである。1995年3月22日に実施されたオウム真理教への強制捜査=山梨県上九一色村(当時) ここまで書いてきて私の経験を思い出した。1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件を取材したときのことだ。それから10年後、事件当時に関わっていた警視庁幹部たちと一献を交わす機会があった。「いまだから言えることを教えてください」。そう言った私に、かつての公安幹部は「有田さんには税金がかかったねえ」と口にした。何のことだかわからなかった。その内容を聞いてびっくりした。1日にのべ50人の捜査員が私の行動確認をしていたというのだ。「どうしてですか」と問うと、「オウムから身辺を守るためですよ」と答えた。多忙な日々に、たまには酒場に行くこともあった。そのときも複数の捜査員が私の安全のために「見守っていた」という。 さらに驚いたのは、妻がスーパーで買い物していたことまで監視していたことだ。「有田さんが今晩自宅に戻るかどうか、食材の数を見て判断するためでした」。こうも言われた。「有田さんの事務所は汚かったねえ」。池袋本町のアパートの四畳半一間を当時借りていた。そこに少なくとも2回入っていたのだ。おそらく「安全確保のため」などと管理人に申し入れて内部を盗み見したのだろう。いまから22年も前の出来事だ。私は自らが行動確認の対象になっていたことにいっさい気付かなかった。 権力が目をつけた者は、その私生活まで監視する。元米国家安全保障局(NSA)職員のエドワード・スノーデンが告発したように、個人情報の収集は、オウム事件当時よりはるかに深刻な水準に達している。加計学園疑惑からひょっこり姿を見せたのは、この日本が行きついた恐るべき地平である。

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    加計学園と天下り「総理の意向」ありきのネタは無理がありすぎる

    高橋洋一(嘉悦大学教授) 文部科学省の前川喜平前事務次官が5月25日の記者会見で、加計(かけ)学園問題に関する「総理のご意向」などとする文書を「本物だ」と発言した。官僚のトップであった事務次官がなぜこのような“告発”を行ったのか。 筆者は同年代の官僚だったがまったく面識はない。ただ、本当に前文科次官だったの? と思うくらいに、会見の中身は、筆者から見ればボロボロだ。それについては、29日の「前川・前事務次官の記者会見は、官僚目線で見れば『大失敗』だった 致命的なミスがそこかしこに…」を見てほしい。 簡単にいえば、文科省は閣議決定に獣医学部の参入条件を書きながらそれを示せなかったという、許認可権を持つ役所としては情けないお粗末さであり、内閣府との議論に負けただけだ。それなのに、自らの責任を他省庁のせいと責任を転嫁する厚かましさで、文科省の事情を臆面もなく説明する前川氏の会見に対して、筆者が記者であればその場で同氏の間違った考え方を正していただろう。 実際に議論で完勝しただろう内閣府は、「総理の意向」なんて使うこともなかったはずだ。むしろ、例の文書、筆者は文科省の官僚が書いた可能性があると思っているが、むしろ、内閣府に完敗したのをカムフラージュするために、「総理の意向」なる言葉を文科省官僚が自省の文書に書いた可能性すらあると思っている。 そんなことも予感させる会見を行った前川氏はどのような人か。 はっきりしているのは、前川氏が3月に辞任したのは、文科省の天下りを斡旋(あっせん)していたからだ。これは、組織ぐるみで自らが違法である天下り斡旋を当然のように行っていた。他方、今回の加計学園問題では、新規参入阻止、つまり既得権を擁護し、新規参入者を不当差別しながら、新規参入を持ち出す内閣府を「文科省行政の横やり」という。まさに、役人の既得権擁護だけの役人人生だ。 一方、筆者の役人人生は、官邸で天下り斡旋禁止と特区による新規参入を推進しており、前川氏とはまったく真逆だ。天下り斡旋禁止については、第1次安倍政権時代に筆者が企画立案した国家公務員法改正によるものだ。 天下り問題を通して、今回の問題をみてみよう。筆者にはこうした役人時代の経験があるので、天下り斡旋違反については、ことのほか厳しいだろう。以前の論考でも、天下り問題を論じたことがある。天下りの背景にある補助金の私物化 天下りはそれほど悪くないという人もいる。おそらく、前川氏も同僚を助けて何が悪いのかと思っていただろう。しかし、斡旋されて天下った人はいいのかしれないが、その半面、実力がありながら、不条理にも就職できなかった人や昇進が遅れた人は必ずいるはずだ。そうした人の無念に思いがいかないのだろう。 はっきりいえば、まわりに優しいが、天下りの背景にある大学の交付金などの補助金を私物化していることに気がつかないのだろう。 今だから明かすが、40年くらい前に筆者も不愉快な経験をしたことがある。東大数学科を卒業して、文部省所管(当時)の統計数理研究所に勤めることが内定していた。ただし、その当時は内定といっても、きちんとした手続きがあるわけでない。数学科の大学院に行こうと思っていたら、統計数理研究所のある教授が、東大の筆者の恩師を通じて一人採用するからどうかといってくれた。大学院のように学費を払うのではなく給料をもらいながら、研究して、将来は博士号もとれるということで、お世話になることを決めた。個室、秘書もあてがってもらい、毎日論文を読み、時たま研究成果を発表するという恵まれた環境だった。正式採用は、大学卒業後ではなく、ちょっと見習い期間があった。 ところが、正式採用の直前、受け入れ教授から申しわけないが、採用はできないといわれた。筆者を推薦してくれた東大の恩師が事情を聴くと、文科省からの横やりがあり、別の人が採用になったということだった。その当時、筆者は社会の仕組みは難しいなと思ったくらいで、怒った記憶はない。そのおかげで、公務員試験を受けて大蔵省に入ったわけで、筆者に不満はなく、まさに人間万事塞翁が馬である。 今から思えば、筆者もたまたま東大の恩師の推薦という公募ではないし、筆者を採用するのが絶対的に正当ともいえない。ただし、給料なしとはいえ一定期間事実上の研究員生活をしていたので、文部省の横やりが不愉快であったのは事実だ。 ところで、筆者の天下り問題に関する論考で、筆者の独自の表を見てほしい。驚くほど多数の大学が、文科省に限らず天下りを受け入れている。 筆者は、受け入れ大学を気の毒に思っている。官庁ににらまれないようにするために、必要経費と割り切る大学関係者も多い。しかし、そうした大学の弱みにつけ込み、天下りを押し込む官庁は本当にひどい。「新設認可するから、天下りを受け入れろ」 この論考では、2012年4月から2016年3月までの国家公務員退職者を内閣官房が公表する「国家公務員の再就職状況」から集計している。そこには、今回の加計学園も1人、総務省から受け入れている。 論考の表にもあるが、国際医療福祉大は9人で、財務省、警察庁、文科省、厚労省から受け入れている。なぜ、加計学園とともに、国際医療福祉大を取り上げたのかといえば、今回の加計学園とともに、同時期の戦略特区によって、医学部新設が認められたからだ。場所は成田市にあり、多額の補助金を受けている点では、加計学園と同じである。また、加計学園の獣医学部新設が52年ぶりであれば、国際医療福祉大の医学部新設も38年ぶりだ。 役人の再就職について、役人側からみれば、国際医療福祉大は9人で「よくやっている」が、加計学園は1人だけで「認可をもらうなら、もっと採ってもいいだろ」と思うだろう。東京・霞が関の文部科学省 文科省の組織的な天下り斡旋を指示していた前川氏からみれば、加計学園へは過去には文科省からの再就職もあったが、最近はない。文科省が新設認可権を持っているのを知らないのか、総理の友人ということで調子に乗っている、と考えたか、考えなかったかは外部からはうかがい知れないが、そんな邪推もありえる。 そもそも、天下りと許認可には密接な関係がある。許認可を厳しく運用することによって天下りを引き出すというのは、役人の常套(じょうとう)手段である。 今回の場合にも、大学医学部、獣医学部新設に認可が必要であり、文科省は背後の医師会、獣医師会の反対を盾にして、長年新設を認めてこなかった。それが、特区によって風向きが変わり、医師会、獣医師会も柔軟姿勢に転じた。文科省としても、新設認可をしてもいいが、それなら天下りを受け入れろという誠に身勝手な論理で役人は考えるものだ。 加計学園の場合、獣医学部新設の要望は古く、小泉政権下で構造改革特区制度が作られたときからである。民主党政権時に機運が盛り上がり、第2次安倍政権になって、38年ぶりの医学部新設とともに、52年ぶりの獣医学部も実現したというのが経緯だ。もし、加計学園理事長が安倍首相の友人ということで「総理の意向」であれば、小泉、第1次安倍政権時に認可されていても不思議でない。天下りと許認可は切っても切れない関係 特区の議論をみれば、獣医学部の他にも数多くの課題があり、安倍首相が獣医学部の是非なんて言える場面はまずない。それにも関わらず、他の案件や経緯を無視して、加計学園問題のみを、根拠のない「総理の意向」を前提として論じる野党・マスコミのロジックには違和感がある。 獣医師会から1校なら容認するという事実が明らかになっているのにも関わらず、加計学園1校に絞ったのが不自然という議論が再三でてくるのもうんざりする。 むしろ、加計学園は最近文科省から天下りがなかったので、天下りを重要視する前川氏が、天下りなしで認可してしまったが、これは「総理の意向」があったからとデッチあげたというほうが、筆者にはよりスッキリとして納得的な説明である。実際のところは不明であるが、「総理の意向」ありきの話には無理がありすぎ、「総理の意向」は勝手に文科省側で作られた可能性があると思う。これが、筆者の邪推する天下り問題からみた加計学園問題の真相である。2月7日衆院予算委員会で、文部科学省の天下り斡旋問題をめぐる集中審議に参考人として出席した前川喜平前事務次官(右)と人事課OBの嶋貫和男氏(斎藤良雄撮影) いずれにしても、天下りと許認可は切っても切れない関係である。天下りは身内の役人という既得権に甘く、それ以外の人には雇用を奪われる。新規参入の許認可も、既に参入している既得権者に有利で、新規参入者を不当に差別する。こうした意味で、天下り斡旋を行うことは、新規参入阻止と整合的である。 はじめに書いたように、前川氏と筆者は、天下りと新規参入規制緩和の2点についてまったく真逆の役人人生を送っており、どうも筆者には前川氏の行動は理解を超えている。 ただ、文科省の天下り問題で、あれだけ前川氏をたたいていたはずが、この加計学園問題では、前川氏擁護になっているマスコミも、朝日、毎日、東京と一部にある。その点も、天下り問題と新規参入許認可問題をパラレル(平行)に考える筆者にとっては理解できないところだ。

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    民進党よ、加計学園問題を追及しても時間のムダである

    渡邉哲也(経済評論家) 国会で籠池問題に次いで、加計学園問題が話題になっている。この二つの問題の共通点は、その違法性が見いだせないことに加えて、重要な憲法違反であり、国民の権利を侵していることにある。 日本国憲法では第16条で「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と請願権を認めており、請願をしたからといって、差別待遇をしてはいけないと規定している。 これは国民の権利の問題であり、気に入らないからといってそれを批判することは間違いなのである。ただし、それが贈収賄など金銭を伴うものであれば別であるが、そうでないならば批判すること自体がおかしい。 5月20日、この問題を追及している民進党の玉木雄一郎幹事長代理は、フジテレビの番組の中で、この問題に違法性はないとの見解を示している。違法性がないのであれば、それをことさらに問題視するのは間違いなのである。加計学園疑惑調査チームの初会合で、発言する民進党の玉木雄一郎幹事長代理=2017年5月 国会での議論として成立するとすれば、加計学園の獣医学部設置が合理的な意味を持ち妥当であるかであり、国が許可するに値するかであって、それを政局の道具として使うのは明らかに問題がある。 ならば、新規の獣医学部の設置が合理的な意味を持つかということが重要になるのだと思う。全国的なペットブームと口蹄疫(こうていえき)や鳥インフルエンザの流行などにより、地域格差はあるが、全国的には大きく不足しているとされており、特に獣医学部が存在せず、農業畜産業の盛んな四国においては、地元での獣医の育成は悲願だったわけである。 実は、日本において1966年以降、50年以上獣医学部の新設が認められておらず、これが大きな既得権益化しているのである。言い換えれば、今回の加計学園の獣医学部設置は特区の制度を利用し、既得権益化した農獣医の世界に穴をあけるものであり、獣医師学校がない四国にそれを作ることで、地元の農業の発展にも役立てようとするものだ。そして、それは愛媛県の悲願なのである。ここに不合理な点は全くないといえる。 ご存じのように、人間の医療費と違い、動物の医療費は保険点数制度のような基準となる料金がなく自由診療であり、その料金を動物病院や獣医師が決めることができる。獣医師会が調査した初診料だけを見ても、千円から4千円以上まで大きくばらつきがある。自由主義国である以上、獣医師が自由に価格を決めることができることは当然であり、これ自身には問題がない。しかし、獣医師の数が国により縛られ限られているとなれば別である。常習的な獣医師不足があるならば正常な市場原理が働かないからだ。怪文書が本物でも法的問題はない 今回問題を追及している玉木幹事長代理は、父親が香川県獣医師会の副会長であり、平成24年に日本獣医師会の政治団体「日本獣医師連盟」から100万円の献金を受けていた事実が発覚している。 また、学部新設に猛反対している日本獣医師会の総会で「おかしな方向に向かいそうになった際はしっかり止める」などと、計画阻止を約束していたこともわかっている。贈収賄などが成立するかどうかは別であるが、獣医師会側の代弁者であることは間違いのないところであろう。 選挙で選ばれる議員に自らの思いや要望を託し、それを政治に反映してもらうことは代議制民主主義の基本であり、そのための代表者選びが選挙であるといえる。そして、選ばれた政治家がその実現に向けて努力するのは当然の話でしかない。そして、その権利調整を行うのが議会であり、議会で決まったことを実現するのが政府の役割なのである。 これをことさらにスキャンダラスチックに扱い、自らの主張を実現するために他人の権利を侵害することは許されるものではなく、それを政局の具にしようとするのは明らかな間違いであるといえる。前川喜平氏(左)の記者会見に集まった多くの報道陣=2017年5月 また、民進党などが一部のマスメディアの出した怪文書ともいえる真偽不明の文書を利用し政権批判を繰り返しているが、たとえ、その文書が本物であったとしても、それ自体には何の法的問題もないのである。 本当に国民のためを思うのであれば、獣医学部設置が必要であるか、そして、その規模などは適正であるかを議論すべきであり、それ以上でも以下でもない。 ちなみに今治市の特区認定引き上げは「民主党政権の間にも7回にわたって要望があり、それまで『対応不可』とされてきた措置を、平成21年度の要望以降は『実現に向けて検討』に格上げされている。そして、それを安倍政権がさらに前進させ、実現させた」(菅義偉官房長官)のであり、自民党ではなく民主党の鳩山政権が必要性を認めたものであるのだ。やはり、この問題に無駄に時間を使うのは間違いであるといえる。

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    西山事件を彷彿させる加計問題、官邸「アンコン」が真実をもみ消す?

    小笠原誠治(経済コラムニスト) 森友学園に対する不当な価格での国有地売却疑惑が今年2月上旬に発覚して以降、すでに100日以上の日時が経過し、今や加計学園疑惑に焦点が移ってきているが、いまだに真実の解明にまでは至っていない。 しかし、森友学園疑惑を含め多くの国民は官邸の言い分に納得できないでいるのではないか。なぜならば、多くの疑惑というか、疑問に対する官邸側の説明はどれも不十分で納得がいくものではないからである。特に資料はすでに処分してしまったとか、そのような文書は存在しないというような言い訳を信じる者はほとんどいないと言っていい。 その一方で、どれだけ疑問が浮かんでも決定的にクロだという証拠がない以上、これ以上の追及はできないとの見方もあり得る。しかし、決定的な証拠は本当に見つかっていないのか? 答えはノーである。いや、これほど多くの証拠が見つかっているような事件はまれであると言ってもいい。しかし、それでも総理が責任を取らずに済んでいるのは、官邸の「アンコン(アンダーコントロール)」が効いていて、そうした有力な証拠が無視されているからなのである。 ところで、「西山事件」をご存じだろうか?  西山事件は、1971年の沖縄返還協定との関係で、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩(ろうえい)した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となった事件で、「沖縄密約事件」や「外務省機密漏洩事件」とも呼ばれる。沖縄密約訴訟で敗訴が確定し、記者会見する元毎日新聞記者の西山太吉氏(手前)=2014年7月 第3次佐藤内閣の1971年、日米間で沖縄返還協定が締結されたが、その際、米国政府が地権者に支払う土地現状復旧費用の400万ドル(約12億円)を日本政府が米国政府に秘密裏に支払うという密約が存在することがばれてしまったのだ。 そうした密約が存在することを野党から追及された佐藤政権はどのような作戦に出たのか? 佐藤政権は検察とタッグを組み、そしてメディアも動員して、西山記者は女性事務官に酒を飲ませて泥酔させ、半ば強制的に肉体関係を持った上で、外務省の極秘電文のコピーを盗み出させたという主張を展開したのだ。 そうしたイメージが世間に広がるにつれ政府を追及する勢いがなくなってしまい、密約の存在はうやむやにされてしまったと言われている。だが、真実はどうであったかといえば、密約は実際に存在したことが40年近く経過した後、明らかになっている。 文科省の前川喜平前事務次官が次官時代に「出会い系バー」に出入りしていたということが事実だとして、どうしてそのようなことがニュースになり得るのか? 官邸はそのような些細な事実を暴露するだけの信じられない記事を読売新聞に書いてもらい、前川氏のイメージをダウンさせ、そのような男の言うことに信ぴょう性はないという作戦に出ているとしか思えない。 現に、官邸関係者はメディアに対して、「前川がパクられたらどうするつもりなんだ。犯罪者の証言を垂れ流したことになるぞ」などと脅かしていたとも噂されている。疑惑を深める官邸の印象操作 西山記者の場合は、外務省の女性事務官と不倫関係にあったのが事実であり、そのことについてはそれなりの社会的責任があったかもしれないが、前川氏の場合は、出会い系バーだ。だが、そこに出入りすること自体は違法でもなんでもないのだから、そのことを記事にすること自体、全くおかしいのだ。報道機関として矩(のり)を超えているとしか思えない。 森友学園疑惑と加計学園疑惑について検証すると、安倍総理夫妻が関与したことを証明する決定的な証拠はいくつもあると思われる。ただし、必ずしも関与イコール違法行為となるわけではない。違法であるかどうかは別の角度からの検討が必要だ。それぞれの疑惑を整理すると以下のようになる。<森友学園疑惑関係>・森友学園の名誉校長に就任していた安倍昭恵夫人が、総理夫人付きの職員を通じて財務省側に様々な照会や要望を出していたことが明らかになっていること(総理夫人付きが籠池氏に送ったファクスでそのことがほぼ証明される)。・籠池夫妻が昭恵夫人の名に言及して財務省に直談判した後、財務省は8億円余りを値引きした価格で国有地を売却したが、値引きの合理的な理由が存在しないこと(値引きの根拠となるゴミの存在が合理的に立証できていない)。・財務省は、国有地売却の関係資料が一部を除いてすでに廃棄したとしているが、それについての合理的説明がないこと。・財務省は、籠池氏側に対し国有財産審議会を開催する以前に国有地の売却までの手続きを説明する詳しい書類を渡していること。・昭恵夫人と親密な関係にあった籠池氏自身が、安倍総理から寄付がなされた他、ある時期から物事がスピーディーに進むようになったと証言していること。<加計学園疑惑関係>・安倍総理が深い関心を有していることを示す文書を含め、文科省の多数の内部文書が発見されていること。・それらの文書は実在のものだと前川氏が証言していること。・加計学園を優先的に扱うような手続きで物事が進められていること。 以上のような決定的とも思われる証拠が存在しているにもかかわらず、官邸側はそれに真正面から反論することをしないで、例えば前川氏は素行が悪く、そのような人の言うことは信ずるべきではないというような印象操作をしているので余計に疑惑が深まるのだ。 それに、前川氏の言うことに信憑性がないと言うのであれば、なおのこと証人喚問をすればいいのに、それを認めようとしないので国民としてはなおさら分からなくなる。 以上から、安倍総理あるいは昭恵夫人が森友学園や加計学園の問題に相当に関与したのは事実と思われるのだが、仮にそれが事実だとして、本来総理を辞任するほどの問題なのかと言えば、何とも言えない。「クロ」と判定するのが常識的感覚 まず、森友学園疑惑については、約8億円の値引きが合理的な根拠のないものであるとすれば、相当重い責任が伴うべきだと思うが、ただし、昭恵夫人の関与はある程度立証できても、総理自身の関与となるとこれを立証するのは、役人が口を割らない以上難しいとも思われる。 それに、仮に総理が直接財務省の幹部に口をきいた事実があったとして、そしてその幹部がそうであったと証言したとしても、総理自身がそれを否定するならば、言った言わないの話になってしまう。 一方、加計学園疑惑については、総理の関与を立証するのは、上に挙げた証拠でそれほど困難なことではないと思われるものの、それまで新設が認められていなかった獣医学部の新設を認めることに総理が熱心であったのが事実だとして、それが即、なぜ問題になるのかという疑問も生じる。 つまり、獣医学部の新設を認めること自体の適不適の問題があるにしても、それ自体が即、違法とは言えないからである。従って、総理に責任があるとすれば、それは加計学園のみを有利に扱ったという証拠が存在しなければならない。加計学園が獣医学部を新設する予定の建設現場=愛媛県今治市 そして、それに関しては、上の証拠だけでは十分でないかもしれない。もう少し積極的に加計学園だけを贔屓(ひいき)していたという証拠が必要かもしれないということだが、ただ全体として眺めれば、多くの国民は「クロ」だと判定することになるだろう。それが常識的感覚である。 そもそも森友学園疑惑のときから言われていたことだが、仮に総理が関与していたとして、総理がもしそれが事実なら辞職するなんてことを言わなければよかったという指摘がある。 私も、それはその通りだと思う。というのも、官庁であれ、民間企業であれ、偉い人の意向をある程度尊重するのは当然みたいなところがあるからだ。社長はそう考えているのだから、大臣はそう考えているのだから、だったら総理がどう考えているかを考慮というか、忖度しても不思議ではないといえる。 しかし、総理は自分や妻は全く関与していないと言い切ってしまった。加計学園についても同じだ。関与していないし、もし関与しているのが明らかになれば責任を取る、と。  だが、昭恵夫人が森友学園の小学校の名誉校長に就任していたのは事実だし、また夫人付きの職員を通じて森友学園の代わりに財務省に照会や要望を出していたのも事実なのだから、全く関与してないと言うのはどう考えても無理である。 加計学園疑惑に関しては、明らかにされた文科省の内部文書の存在についても、そんなものが存在するかもしれない、あるいは自分の意向を内閣府の事務方が文科省に伝えたということがあったかもしれない、という対応もあり得たと思う。獣医学部の新設に自分が熱心であったとして、それのどこが問題なのかという反論がとりあえず可能であったからだ。 しかし、早い段階で自分は一切関与していないと断言してしまったものだから、後の対応の選択肢が狭められてしまった。そして、そのことがさらなる虚偽の答弁を誘発してしまったのである。  官邸は文科省の内部文書の存在を全く否定した。文科省にしても、存在は確認できていないと言葉を濁す。 要するに、総理が格好をつけるから、つまりうそを言うからさらにうそを誘発するという構図になっているのである(仮に総理がうそをついていたとしての話)。そうなると、うそばかりの答弁になり、国民は全く納得がいかなくなってしまう。「偽装国家」の道を進む日本 例えば、財務省が「文書は廃棄済みであるから資料提出要請には応えることができない」と言っても、誰が信じるだろうか。文科省がそのような文書の存在は確認できなかったと言っても同じである。 国有地を売却して1年も経過していないのに、しかも10年分割で売っているような案件なのに関係資料のほとんどを廃棄するなんてあり得ない。それに、まだ会計検査院の検査も済んでいないのだから、会計検査院ですら納得はしないだろう。 そうなると、会計検査院の検査において、不合理な処分がなされた事案として指摘される恐れが出てくる。ただし、資料が不存在であるため、そうした不適切な処理がなされた原因の一つに昭恵夫人の関与があったということは明らかにはならず、その結果、安倍総理を守るという役割を果たすことは可能になる(仮にそうした事実があったとしての話)。 野党の議員が役所の入館記録を開示しろといっても、財務省や内閣府は「即日廃棄するので記録はない」などとバカバカしい答弁をしていたが、誰がそんな答弁に納得するだろうか? 処分する合理的な理由がないからだ。 もし、処分したとして資料の提出を拒否することがあるとしたら、それは資料を提出したくない、つまり資料の提出によって「不都合な事実」が明らかになるからに他ならない。 ということで、仮に安倍総理が身の潔白を証明するにしても、自分は全く関与していないなんて言い方をしていなければ、役所としての対応の範囲がもう少し広がった可能性があるのだ。 5月29日の参議院本会議で、加計学園の問題をめぐって安倍総理は次のように述べた。 「特区の指定、規制改革項目の追加、事業者の選定のいずれのプロセスも関係法令に基づき適切に実施しており、圧力は一切ない」 関係法令に基づき適切にと言ってはいるものの、多くの国民からすれば、個々の疑惑に一つひとつ明確に反論できない以上、納得はできない。圧力は一切ないと言っても、現実に前川氏が圧力を感じたからこそ敢えて記者会見までして自分の考えを世間に訴えているのだ。会見に臨む前文部科学事務次官の前川喜平氏(左)=2017年5月、東京都千代田区(福島範和撮影) 少なくとも前川氏の証人喚問抜きで多くの国民が納得することはあり得ない。 総理及び官邸がうそを言っているかどうかは別にして、多くの国民が、総理がうそを言っていると心の底で思い続ける以上、日本は「偽装国家」の道を進み続けることになり、今後も粉飾決算を続けていた東芝と同じ運命に陥る企業、役所が続出することが懸念される。

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    前川前文科次官 出会い系バー通いを官房副長官が注意してた

     権力の腐敗、不正を告発しようとする人物がいれば、まずはその言葉に耳を傾け、検証した上でそうした声を拾い上げていくのがメディアに求められる役割のはずだ。ところが、告発者を“抹殺”したい政権にとって、都合のいい情報が真っ先に報じられる──そんな状況が今、この国に生まれている。 安倍政権を揺るがしかねない加計学園問題。その解明のキーマンが政権の思惑に歩調を合わせたメディアの“標的”にされているのではないか。そんな懸念を抱かせる経緯だ。当事者である前川喜平・前文部科学事務次官は静かに口を開いた。「加計学園の獣医学部新設に至る政策決定過程には大きな問題がありますが、メディアがそれを報じてくれないと国民は何が起きているか知ることができず、政治へのコントロールが利かなくなる。メディアが権力に支配され、権力に都合のいい情報しか流さなくなってしまうと、状況は本当に危機的です」(前川氏) 文科省の事務方トップを務めた経歴を持ちながら、政権に異を唱える告発に踏み切り、注目を集める前川氏。 だが、告発に先立つ5月22日には読売新聞の朝刊社会面において、〈前川前次官 出会い系バー通い〉という見出しで、前川氏が次官在任中に新宿・歌舞伎町の出会い系バーに出入りしていたことが報じられた。8段ブチ抜きの“スクープ”だった。 菅義偉・官房長官は報道当日の会見で、「事実関係について政府としては承知していない」としながらも、「国家公務員というのは国民全体の奉仕者であって、公共の利益のために勤務し、かつ職務の遂行にあたっては全力でこれに専念しなければならないと思っている」と暗に前川氏を非難した。 教育行政のトップだった文科省の事務次官が〈売春の温床〉(読売)だという出会い系バーに通っていた真意についての前川氏本人の説明は後述するが、注目すべきは安倍官邸がその事実を、“かなり早い段階”で把握していたようであることだ。前川氏はこういう。「(次官)在職中だった去年の秋頃、杉田和博・官房副長官に『君、そんなところ(出会い系バー)に行っているのか。今後注意しろ』といわれたことがあった。どうして杉田さんが私の個人的行動を知っているのか疑問に思いました。やましいことはしていないが、『ご心配をおかけして申し訳ありません。もう行きません』といいました」 前川氏は買春も未成年との淫行もしていないと説明し、出会い系バーへ行った理由はあくまでも「彼女たちに食事をおごって身の上話を聞いた」と語っている。官邸はこの時点では、前川氏を不問としていたわけだ。それがなぜか、退任後の今になって大手紙に報じられ、官房長官から批判の的にされた。 前川氏が「国家に狙われる男」になった──それが理由ではないのか。関連記事■ AKB最終候補者が出会い喫茶に潜入 露骨な交渉の一部始終■ 現役グラドルが愛人クラブに潜入 巨額報酬に心揺らぐ■ ムロツヨシ 本名が明かせない理由と猫が飼えない理由■ 菊川怜 明かされる夫の過去に「知りたくなかった」と脱力感■ 和地つかさ Gカップ爆乳がマジでポロリする5秒前!

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    朴氏「最大のタブー」崔順実スキャンダルはなぜ表面化したのか

    奥薗秀樹(静岡県立大学大学院 国際関係学研究科准教授) 今回のスキャンダルの一報を聞いて、これはある意味韓国現代史の悲劇であると言えるのではないかと感じました。朴槿恵氏は母・陸英修(ユク・ヨンス)女史と父・朴正煕元大統領を相次いで暗殺で失うという非常に悲惨な経験を経て、心に深い闇を抱えるようになりました。それが今回の事態の一因になっているように思います。バランスを失った朴槿恵氏の心の隙間に崔順実氏の父親、崔太敏(チェ・テミン)氏が巧みに入り込んだのです。ある種の「マインドコントロール」にかかったような状態が現在まで続いているのではないかと思わせるものがあります。そんな人物が国民の直接選挙で大統領になってしまったのです。取り調べのため、ソウル中央地検に入る崔順実氏=1日(聯合=共同) 崔太敏氏と朴正煕氏が親密だったこともあり、娘の朴槿恵氏を取り巻く崔順実氏と元夫の鄭允会(チョン・ユンフェ)氏、さらに崔太敏氏をめぐる噂は昔からありました。私が韓国に留学した1980年代後半でも、特に朴槿恵氏と崔太敏氏の根拠なき与太話が酒場で飛び交うほどでした。権勢をほしいままにした朴正煕の娘であり、陸英修氏亡きあとはファーストレディの代役を務めるなど国民的人気もあった朴槿恵氏は、それだけでも特別視される存在だったのです。 崔順実氏に関しては、元夫である鄭氏が朴氏の元側近であり、2年前にも旅客船セウォル号沈没事故の当日に「朴氏と鄭氏が密会していた」という根拠のない噂が広がり波紋を呼びました。疑惑はなんとか収束して朴氏は困難を乗り切ったかに見えましたが、甘かったようです。「最大のタブー」は他にもあったのです。今回の事態は、大統領府が設立に関与した疑いのある2財団を崔順実氏が私物化したという資金流用疑惑がきっかけでマスコミから追い掛けられるようになり、機密資料が入った崔氏のタブレット端末の存在が発覚しました。 終わったはずの疑惑がぶり返した背景には、4月の総選挙で与党セヌリ党が惨敗を喫したにもかかわらず、親・朴槿恵体制が続いたことがあると思います。与党からは有力な次期大統領候補があがらず、潘基文国連事務総長に頼るほかないありさまです。朴政権がレームダック化していく中で、隠しきれるはずのスキャンダルが世に出てしまった側面があるように思います。与党が総選挙に勝っていたらこうした事態には至らなかったかも知れません。朴氏を自縄自縛した「国会先進化法」 今回のスキャンダルのきっかけとなった資金流用疑惑の構図は、歴代大統領がたどったパターンだと思います。崔氏は朴氏にとって唯一信じられる「身内」といっても過言ではない存在だったと思われるからです。歴代の大統領は、親族による大統領の権力を笠に着た不正・横暴が暴露される形で悲惨な末路をたどっています。朴氏は自伝で認めているようにある種の人間不信に陥っていて、大統領になってからも「不通」問題が指摘されてきました。妹の槿令氏や弟の志晩氏が崔太敏氏との関係を切るように80年代から言ってきたにもかかわらず、朴氏は耳を貸しませんでした。崔順実氏は孤独な朴氏にとって、母も父も殺されて周囲がみんな離れていく中でも心の支えになってくれた牧師の娘だったわけで、権力を利用してさまざまな不正を働いたという構造はこれまでと変わりません。 野党も当初は挙国一致内閣を求めたかと思ったら、真相究明が先だと言い出したり、対応が揺れています。与党内からも解党的出直しを迫る声が出てきていますが、与野党とも1年後に控える大統領選挙を念頭にどう対応していくべきか図りかねている状態です。中立的な人物を立てて与野党による挙国一致内閣を組織するのか、それとも大統領の弾劾に動くのか、世論の動向を見ながらタイミングを測っている感じだと思います。いずれにせよ、朴大統領は与野党の駆け引きの道具として使われた末に惨めな形で退任することが避けられないでしょう。 ただし「朴正煕の娘」という政治家・朴槿恵の強さが失われたわけではありません。彼女の政治的アイデンティティは政策でもイデオロギーでもなく「朴正煕の娘」であることなのです。朴氏には何があっても彼女から離れない「コンクリート支持層」がおり、彼らは朴正煕氏を心から信じてきた層でもあります。支持率もさすがに大きく落ち込みましたが、これほどの大スキャンダルにもかかわらず何とか踏み止まっているのはこうした支持層のおかげだと思います。韓国の大統領選は同じ与党でも現職を批判しなければ勝利できませんが、朴氏に対しては、3割はいるとされてきた支持層を敵に回すことから、そうした戦法が使えないと言われたほどです。2012年12月、ソウル・青瓦台で会談する韓国大統領選で当選した与党セヌリ党の朴槿恵氏(左)と李明博大統領(聯合=共同) 韓国の国民にとっては当然、衝撃の事態です。自分が選んだ国家元首が正体不明の新興宗教の牧師の娘に操られていたということが受け入れられないのです。韓国はいま、経済は苦境に立たされ、安全保障でも困難に直面しています。朴氏が野党時代に主導して作った「国会先進化法」は、与野党が対立する案件は6割の賛成がないと国会に上程できない規定となっており、大統領就任以降、政権が提出する主要法案が国会を通らない異常事態が続いています。雇用問題や所得格差など改善できていませんから、国民生活は火の車です。安保も北朝鮮の度重なる挑発の前に危機的状況です。未だ国論を二分する朴正煕の評価 そんな最中に起きた国を揺るがす大スキャンダルですから、国民に動かされる形で与野党が朴氏の弾劾に動く事態もあり得ると思います。ただ弾劾については、盧武鉉元大統領の時の失敗を教訓に、安易に動くことには与野党とも慎重にならざるを得ません。今は沈黙しているコンクリート支持層の反発に触発された世論の批判を受けて、しっぺ返しを食らう事態を恐れるわけです。ただし、盧氏の時と今回とは状況が大きく違います。盧氏は就任1年後、それも総選挙直前の弾劾請求でしたが、朴氏の場合は残り任期1年余りのうえ、総選挙も敗北する形で終わっているからです。記者会見で謝罪する韓国の朴槿恵大統領=10月25日、ソウルの青瓦台(聯合=共同)  もし与野党が合意して国会で弾劾が可決されれば、憲法裁判所の判断に委ねられますが、認められれば60日以内に後任の大統領選挙が行われます。ここで問題になるのは、与野党とも大統領選への準備が全く進んでいないということです。潘基文氏や、野党からは実質的な最高実力者である文在寅(ムン・ジェイン)氏の名前が挙がりますが、韓国政治が大転換点を迎えたいま、果たして彼らが国民の目に新しい道を提示できる人物と映るかどうか、疑問が残ります。既存の政治に対する不信感は頂点に達しています。 潘氏が支持を集めてきた理由は、国内で「世界大統領」とも呼ばれる国連事務総長という抜群の知名度に加え、外交官出身のクリーンなイメージによるものですが、任期末になって、与党の親・朴槿恵派に近づきながら大統領への色気を露骨に見せるようになってきたことから、今回のスキャンダルで大きな打撃を受けると思います。むしろこの二人を飛び越えて、次の次の大統領候補と目されていた人たちによる世代交代が一気に起こる可能性もあると思います。 現在の韓国の繁栄を作り出す上で、朴正煕が果たした役割が大きいことは疑いないものの、一方で、韓国社会が抱える様々な矛盾にも朴正煕の存在は大きな影を落としています。英雄か、単なる独裁者か、朴正煕をめぐる評価は未だに国論を二分するほどです。非業の最期を遂げた朴正煕の娘である朴槿恵までがこうした形で惨めな末路をたどることになったことは、韓国現代史の大きな悲劇だと思います。(聞き手、iRONNA編集部・松田穣)おくぞの・ひでき 静岡県立大学大学院国際関係学研究科准教授。福岡県出身。九州大学大学院比較社会文化研究科博士後期課程単位修得退学。NHK記者、朝日新聞記者、韓国東西大学校国際学部助教授などを経て、平成22年から現職。専門は現代韓国政治外交、朝鮮半島をめぐる国際関係。

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    カネを生まないスポーツを排除する広告業界の闇

    小林信也(作家、スポーツライター) 日韓共催となった2002年のW杯サッカー招致決定の日を覚えているだろうか? それは1996年の6月1日だった。  あのとき事前の報道では「日本有利」「日本開催は決定的」との空気が濃厚だった。1993年にJリーグが誕生し、空前のサッカー・ブームを巻き起こし、W杯サッカーへの注目と熱狂も俄然盛り上がる中で、「日本開催」は日本中の願いのようになっていた。前年に、立候補予定だったメキシコが辞退し、「日本に先を越されてはならない」とばかり名乗りを上げた韓国と日本との一騎討ちとなっていた。 ところが、決定直前になって、意外な情報が伝えられた。私もちょうどTBSラジオのニュースワイド番組に出演するため、TBSのスタジオにいた。もたらされた情報は、「どうやら日韓共催に決まりそうだ」という、思いがけない展開だった。「日韓共催」のアイデアは一部にあるにはあったが、ほとんどのメディアが真剣に取り上げていなかったし、日本人の大半が選択肢として認識していなかった。FIFAの理事会で決定されるのは、「日本か、韓国か」であって、まさか「共催」とは誰もが予想しなかった。日韓共催で行われた2002年のサッカーW杯開会式 当時のアヴェランジェ会長が一貫して日本開催を支持していた事実もあって、日本が有利に招致活動を展開していたのは間違いない。問題は、韓国による巻き返しだった。要約すれば、「日本対韓国」の図式では勝ち目がないと悟った韓国はしきりに政治的な動きとロビー活動を展開。アヴェランジェ会長との派閥争いが激化していたUEFA(欧州サッカー連盟)のヨハンソン会長(FIFA副会長当時)と欧州の理事たちを懐柔し、「日韓共催」の票を着実に積み重ねた。 決定前日になって自分の立場(日本開催支持)が危うくなったと察したアヴェランジェ会長が、理事会で自ら「日韓共催を提案し、満場一致で決まる」という、日本にとっては青天の霹靂ともいえる出来事が起こった。 それまでの日本の関係者たちは、ロビー活動などの裏の動きにはさほど熱心ではなく、「アヴェランジェ会長が日本を支持しているから大丈夫」と楽観していた。世界のスポーツ界はそんなのんびりした了解では動かないと日本が体験した大きな分岐点となった。スポーツがビジネス化したロス五輪 それ以前にも、1996年の五輪招致で圧倒的に優勢と言われた名古屋が敗れた相手がソウルだった。 その後も、大阪が2008年の五輪招致に敗れるなど、国際舞台における日本のスポーツ政治力の不足は深刻な課題と認識されるようになった。余談だが、大阪が北京に2008年開催地の座を奪われた後、「大阪に投票したのに残念だ」というメッセージが、得票数を上回る数で届いたと言われている。 誰かは嘘をついたわけだし、嘘をついてでもメッセージを送る必要があったと推測することもできる。 そのような苦い体験を重ねて、日本も裏側での活動に熱を入れ始めたのは想像に難くない。元々ロビー活動に長けている韓国と対照的に、日本はそのような活動が苦手で、経験を重ねたスペシャリストも少ない中で、今回の支払先となったような海外の専門家にその役目を金銭的報酬を持って依頼するのは、ごく自然な選択とも言えるだろう。 スポーツが、「平和の祭典」「国際親善」「青少年の健全な活動」という枠を超えて、「ビジネス」の側面を大きく持ち始めたのは1970年代ころからと言われ、象徴的には1984年のロサンゼルス五輪が「スポーツがビジネス化、プロ化に向かった大きなきっかけ」と語られる。 今回問題のテーブルに上がっている電通は、1982年に世界のスポーツ・ビジネス界の実力者であるホルスト・ダスラーと共同で、ISLという会社をスイスに設立する。ダスラーは短期間のうちに、IOC、FIFAだけでなく、IAAF(世界陸連)、UEFAの権利も得て、世界の主要スポーツ・ビジネスを手中に収めていく。電通の資金力、日本企業の経済力と世界マーケットへの進出意欲がそれを支えた。 スポーツはこうして、〈純粋な競技への愛情と情熱を持つ熱心な元選手たちによって運営される分野〉から、〈大金を生み出すビッグ・ビジネスの素材となり、スポンサー企業の広報宣伝を主な目的として、広告代理店がその中枢を担う分野〉に転換した。 ルールとマナーを尊重し、スポーツマンシップを最重要視するのはスポーツマンの当たり前の感覚だが、広告代理店にそれを求めるのは筋違いなのだろう。スポーツ界は広告代理店に軒先を貸したつもりで母屋を取られた格好だ。 私がスポーツの取材を始めてまもないころ、1970年代の後半か80年前後のことだったと思う。 「陸連には電通から出向している広告代理店の社員がいるんだ」と聞かされ、戸惑った記憶がある。(純粋に競技の普及振興や公正な競技運営を主とすべき競技団体の中枢にお金儲けの人が入って影響力を行使している) その現実が、感覚的に融合しなかったのだ。いまとなってはマネジメントやプロモーションの発想が競技団体にも重要なこと、組織を運営し発展させるには資金も必要だと理解できるが、素朴な感想として、競技団体と広告代理店は水と油というのか、間違っても広告代理店に組織運営の根幹まで任せてはいけないだろうという青春時代の感覚はあながち間違ってはいないのではないか。スポーツ界に繁殖する広告代理店 ひとつ強烈な記憶がある。 私がトライアスロンの普及や選手のサポートに携わっていた頃の話だ。1980年代の終わり。ちょうどトライアスロンが日本でブームになり始めていたころ。縁あって、選手とともに電通のスポーツ・ビジネスの中核を担う人物とお会いした。スポーツ・ビジネス界に圧倒的な影響力を持ち、“天皇”の異名さえ持つ人だと紹介された。彼は、スポーツライターと記した私の名刺を一瞥して言った。 「お前は、書き屋か」 書き屋という言葉に初めて接したので、最初は意味がわからなかった。私がまだ30歳を越えたばかりの若輩者だったことを差し引いても、初対面でそのような侮蔑的な呼ばれ方をしたのはそれが後にも先にも一度きりの経験だ。彼は、やがて開催予定の宮古島トライアスロンに関して、持論を展開した。 「スイムも長いんだから、海の途中にお汁粉か何か、温かいものを用意したら、選手は喜ぶだろう。そうしてやれよ! なあ、いいアイディアだろう」 選手とスタッフに胸をそらして同意を求めた。スタッフは「ははあ」と平伏したが、選手と私は呆然としていた。その場にいた選手で、スイムの途中でお汁粉を必要とする選手はひとりもいなかった。たとえ完走目的の参加者であっても、海上のエイド・ステーションにお汁粉を見つけて感激する選手がどれだけいるだろうか? 世界のスポーツ界を動かしていると言われる人物のスポーツ観、プロデュースの心根がその程度のものかと知って、深く失望したのを覚えている。 スポーツ界における広告代理店の繁殖ぶりは、広がる一方だ。電通や博報堂に限らず、スポーツ・マネジメントを専門にする代理店も数多く誕生している。私も数社と仕事で関わった経験がある。すべてを否定するわけではないが、その大半が、 「スポーツはどうあるべきか」ではなく、「大きなお金を動かすにはどうしたらよいか」が先にあり、スポーツの未来を語り合って熱く共感できる人は少ない。 彼らの多くは、「お金が生み出せてメディアも関わって人気になれば、結果的にそのスポーツは繁栄する」という論理を前提にしている。 一方で、だから当然、「お金が生めそうもない競技には見向きもしない」。広告代理店に相手にしてもらえない競技団体は自らアイディアを生み出す方向でなく、なんとか広告代理店やスポンサーに声をかけてもらえるよう、オリンピック種目になるための努力に懸命になったりする。本末転倒の現象がスポーツ界を覆っている。 早く、運営の主導権、未来像を持ってスポーツを活性化する中枢の座を、スポーツを本当に愛する専門家の手に委ねる必要がある。

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    100兆円に膨れ上がった巨大スポーツ資本主義「腐敗の構造」

    松野弘(千葉商科大学人間社会学部教授、早稲田大学スポーツビジネス研究所・スポーツCSR研究会会長)「111兆円市場」の巨大化したスポーツ資本主義 2013年8月にフランスで刊行され、まず欧州で評判となり、次いで日本でも2014年12月に邦訳版が刊行された、フランスの経済学者のトーマス・ピケティの『21世紀の資本』(山形浩生他訳、みすず書房)が世界で大評判のベストセラーとなったことは記憶に新しいことである。あのリーマン・ショック以降、崩壊したと思われた「バブル経済」が復活し、富裕層と貧困層の拡大を進化させ、「所得格差」が社会問題化したからこそ、資本主義のあり方を問題とするこの本が話題となったのである。 これをスポーツの世界に置き換えてみると、前近代社会(封建社会)では、狩猟・乗馬等のスポ-ツ(気晴らし)は貴族階級の娯楽であったのに対して、産業革命によって近代産業社会(資本主義社会)が登場したことが歴史的背景としてあげられる。その結果、労働者階級にも労働の対価や精神的・身体的な余暇としてのスポ-ツが普及してきたことが娯楽としてのスポ-ツをビジネスに変換させるという、スポ-ツビジネス市場を出現させたのである。ここに、労働者階級のためのスポ-ツとしての競馬・サッカ-などのギャンブルの対象となるような新しい資本主義的なスポ-ツが登場したのである。 翻って、現代のスポーツ界を見てみると、私たち一般大衆にとって、労働の後の娯楽としてあったスポーツのビジネス化はさらに加速化して、2017年に世界のスポーツ関連市場が111兆円という巨大な市場を形成すると予測されている(ニッセイアセットマネジメント資料、「ファンドマネージャーに聞く、スポーツ関連市場の魅力と投資戦略」)。このように、今や「スポーツ資本主義」(Sports Capitalism)というべき怪物を誕生させているのだ。ここでいう「スポーツ資本主義」とは、「スポーツ・ステイクホルダー(スポーツ市場の利害関係者-国際的なスポーツ組織・スポーツ用具メーカー・スポーツ支援企業群・スポーツファン等)がスポーツ市場に資本を投下して形成される社会経済システムのこと」である。 人間の飽くなき物質欲はスポーツビジネス市場を拡大・増殖させるだけでなく、あらゆる組織のトップリーダーやその部下が自己利益のためにさまざまな不正な行為をするのが昔からの常套手段だ。世界で大騒ぎをしている国際サッカー連盟(FIFA)の役員の不正賄賂問題、五輪の開催地決定をめぐる国際オリンピック連盟(IOC)の役員に対する賄賂問題、世界アンチ・ドーピング連盟(WADA)によるロシアの陸上競技選手によるロンドン五輪のメダル獲得者のドーピング問題等、スポーツをめぐる不正な問題は枚挙にいとまがない。これはスポーツにおける「競技者間の競争原理」がスポーツビジネス市場をめぐるスポーツ・ステイクホルダー間の利益の争奪戦という、「資本主義的な競争原理」に変質していることを意味している。スポーツが「DO Sports」(実践のためのスポーツ)から、「Spectacle Sports」(見て楽しむスポーツ)に変化し、数多くの観客が楽しむための装置としてのマスメディア(新聞・雑誌・テレビ・ラジオ)が出現したことがスポーツビジネス市場を拡大させる大きな要因の一つとなったといえるだろう。 ここに、スポーツ・ステイクホルダーを巻き込んだ「腐敗の温床」が生まれ、IOCや他の競技団体の国際組織における「金銭をめぐる腐敗の構造」が構築されていったのである。なぜスポーツビジネスは腐敗したのかなぜスポーツビジネスが腐敗したのか なぜ、こうした不正が横行するのか。それは、スポーツビジネスがスポーツ人口の拡大に伴い、ナイキ・アディダス・プーマ等の世界的な「スポーツ用具メーカー群」やスポーツイベント・スポーツビジネスをマネジメントする「スポーツ支援企業群」にさまざまな利権を与えているからだ。「濁った水には、魚は棲まない」の諺(ことわざ)にあるように、スポーツビジネスの利権を漁る人たちが巨大なスポーツ市場を独占しようと戦っているからだ。 一つのイデオロギーは民間企業や国民だけでは形成することができない。もう一つの大きな力、国家の支援が必要だ。かつて、ソ連・東ドイツ等の社会主義国家が輝かしい成績をあげられたのは、国家によるアスリートの支援という「ステートアマ」の存在があったからだ。こうしたスポーツビジネス最大の不正の根となっているのはオリッピックの開催候補地決定をめぐる熾烈な国家間(各国のオリンピック委員会)の戦いだ。 1970年代までの五輪には各種目とも「アマチュア規定」があり、プロ選手は五輪に参加できなかったが、1984年にアメリカで開催されたロサンゼルス五輪では、オリッピックは「商業化されたイベント」(冷泉彰彦、「五輪、拡大する商業主義に問題はないのか?」、ニューズウィーク電子版、2017年7月17日)となり、ロス五輪のテレビの放映権料が1960年のローマ五輪の120万ドルから、一気に約3億ドルに膨れ上がった。これは、近代五輪の提唱者であり、創設者であるピエール・ド・クーベルタン男爵の近代オリンピックの理念「アマチュアリズム」に反するものであった。ロス五輪以降もオリンピックの放映権料はうなぎのぼりとなり、2012年のロンドン五輪では約12億ドルまでになってしまった。この他に、開催国スポンサーシップ、国際スポンサーシップ、入場料金、グッズ料金等の収入がIOCの懐に入るわけだ。まさに、「カネの宝庫」である。この巨大な「マネー市場」に利害関係者が参入するのは当然のことだ。それゆえに、この市場に参加するための利権を獲得するために必死になるのだ。 そこに、賄賂などの腐敗の構造が出て来ることになる。こうしたオリンピックをめぐる利権争いが激化し、腐敗の温床となった背景には、IOCのトップリーダーたちが、欧州の富裕な貴族階級からスポーツビジネス目当ての実業家、政治家などに交代したこと、IOC職員はこうしたリーダーの忠実なる官僚であったこと、巨大な収入であるメディアとの関係強化(莫大な放映権料の収入化)、「オフィシャル・スポンサー」というスポンサー企業の参入があったこと、その結果、オリンピックが「アマチュア・スポーツの祭典」から、「スポーツビジネスショー化」したこと、などがあげられる。東京五輪招致不正疑惑の背景と要因東京五輪招致不正疑惑の背景と要因 最近のザ・ガーディアンの報道(2016年5月12日)によれば、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長でIOC委員だったラミン・ディアク氏と、その息子でIAAFのコンサルタントを務めていたパパマサッタ・ディアク氏は、フランスの検察当局より汚職の罪で告訴されて捜査中だという。さらに東京五輪の招致活動で、日本の招致委員会側が2013年7月と10月の2回に渡って、パパマッサタ氏と関係が深いスイスにあるマーケティングコンサルタント会社、AMS(アスリート・マネジメント・サービス)のシンガポールの 関連会社「ブラック・タイディングズ」の口座に総額200万ユーロ(約2億3000万円)を振り込んだということである。この口座の管理者は、AMSのコンサルタントをしていた、イアン・タン・トン・ハン氏であるとしている。 この背景には、五輪招致をめぐる開催候補都市間の壮烈な争いがスポーツ・ステイクホールダー間の利権に争いにつながっているということがある。ここで暗躍しているのがスポーツロビーストで、元IOC委員・職員、コンサルタント等の個人ロビイストや、PRエージェンシー、広告代理店、スポーツ用品メーカー等の組織ロビイストなどがいる。彼らは候補都市の招致委員会の依頼を受けてIOC委員から賛成票を獲得すべく、委員の家族構成、趣味趣向、経済状況等に至るまで詳細な個人情報を収集、賄賂攻勢をかけることで、五輪招致に導くための最大限の戦略的行動をとっている。 報道によれば、今回の2020東京五輪招致委員会は、これまでの招致運動の失敗の要因はスポーツロビイストの効果的な活用ができなかったからだとし、こうしたロビイストを戦略的に活用し、招致決定に影響力を与えようとしたと推測されている。ロビイストの活用に関して東京五輪招致委員会に戦略的な助言をし、ロビイストの紹介等で主導的な役割を果たしたのが世界有数の広告代理店「電通」であるといわれている。しかし、こうしたロビー活動の表舞台に電通が出ることはない。さまざまな関係者、関係企業が当該関係者に働きかけを行い、その成果に対する報酬の支払いを行うのが通例である。今回の場合も、元IOC委員のラミン・ディアク氏の息子のパパマサッタ氏と近い関係と言われる「ブラック・タイディングズ」のコンサルタントであるタン・トン・ハン氏が、不正送金をしたとされている銀行口座の管理人となっている。当時の日本の招致委員会の竹田恒和理事長は、正式なコンサルタント契約に基づき正当な報酬の支払いをしたと先日の衆議院予算委員会で答弁している。このことを証明していくためには、契約内容が記載されている契約書や支払い明細書等の書類の情報公開をする必要がある。なぜならば、招致委員会が使ってきた資金は国民の税金や寄附という公金だからだ。 五輪招致運動等の国際的なスポーツイベントをめぐって、買収・賄賂等の不正な金銭のやり取りがあること自体、クーベルタン男爵の「アマチュアリズム理念」に反するものであり、スポーツ交流を通じて、世界の平和を実現しようとした五輪開催の意図に背くものである。その根底には、スポーツビジネスが巨大化し、利権争いが加速化・増殖化しているという現実があることを忘れてはならない。スポーツ資本主義はどこへいくスポーツ資本主義はどこへいく 国家的事業としてのオリンピックや、プロスポーツビジネスとして発展しているサッカー、野球、ゴルフ、バスケットボール等はスポーツ市場に参入している企業群(「スポーツ用具企業群」「スポーツ支援事業群」「スポーツ施設・設備事業群」「スポーツ情報産業業群」)は、ヘルスケア産業の増大化に伴ってスポーツ市場が今後も拡大し、その利益奪取をめぐって熾烈な戦いが展開されることが予想される。そこに、巨大なスポーツビジネス市場を形成する「スポーツ資本主義」という、スポーツをビジネス資本とし、既存の社会・経済システムを超えた新しい資本主義が形成されつつある。スポーツ資本主義の本来の主役とはスポーツの担い手である選手であるが、現実はそうではない。選手は金儲けのための手段にすぎない。スポーツ資本主義を牛耳っているのは、スポーツ利権の奪取を目論んでいる政治家、実業家等である。巨大の利権があるからこそ、そこに腐敗の温床があるのだ。 今、世界の注目を集めているFIFA(国際サッカー連盟)の場合、腐敗の原因は、会長の任期が長期間に渡っていること-元会長のアベランジェ氏は24年、前会長ブラッター氏も17年という異常な任期の長さだ-、重要事項を決定する理事会が「密室」(非公開)で行われてきたこと(これは、会長の意思決定を理事に逆らわさせないための方法で、賄賂を分配して口を防ぐためと推測される)、会長・理事を監視するための「監査委員会」等といったの第三者委員会がないこと、であると言われている(NHK国際報道「FIFA 腐敗はなくせるか」、2015年7月)。加えてアベランジェ会長は事務局入りして会長に昇りつめた「事務局職員の星」ということも挙げられる。彼はテレビ放映権料・企業のスポンサーシップ・開催候補地からのさまざまな賄賂の差配等で卓越した成果をあげ、FIFAの利権システムを作り上げていった。 これがIOCとなると、FIFAが集金した不正な資金の何倍もの金額になるはずだ。IOCの不正も基本的にはFIFAの場合と同じだが、五輪は国家の威信を高揚させるための国家事業なので、五輪開催に伴う直接的な経費(会場・宿舎・輸送・食事等の整備等)よりも、鉄道・道路・インフラ整備等の莫大の間接経費が必要となってくる。こうした事業に参入するために、スポーツビジネス関係者のみならず、一般事業者も「利権」獲得を求めて、関係者に多額の賄賂や寄附を提供してきた。この背景には、スポーツによる国際平和への貢献という気高い理念という大義名分があり、そこに不正が入り込む余地があるといわれている。なぜならば、スポーツ関係者に「賄賂をもらって、セレブな生活を送る」という拝金主義が浸透しているからだ。 こうした不正を正さない限りスポーツビジネスは発展しないし、それを支える「スポーツ資本主義」は破綻することになるだろう。例えば、五輪が「アマチュア・スポーツの祭典」としての理念・活動を遵守し、スポンサー企業もフィランソロピー(社会貢献)企業としての「品性」を保っていれば、こうした不正や腐敗は起こらないはずだ。 「スポーツ資本主義」思想を「スポーツファンやスポーツ関係者のための健全なユートピア」にするのか、それとも、「一部権力者による拝金主義のための悪の帝国」にするのかは、私たちの社会倫理性の高い良識とスポーツ活動を公正・公平に推進していくための、「スポーツ・ガバナンス」(多様なスポーツ・ステイクホールダーによる組織の統治)の構築にかかっているといえるだろう。[主要参考文献一覧](1)) 一ノ宮 美成/グル-プK21(2014)、『2020 東京五輪の黒いカネ』(宝島社)。(2) 小川 勝(2012)、『オリンピックと商業主義』(集英社新書)。(3) ジェニングス,J.,(1998)、『オリンピックの汚れた貴族』(野川 春夫訳、サイエンティスト社)。(4) ジェニングス,A.,(2015)、『FIFA腐敗の全内幕』(木村 博江訳、文藝春秋)。(5) シムソン,V/ジェニングス,A.,(1991)、『黒い輪-権力・金・クスリ:オリンピックの内幕』(広瀬 隆監訳、光文社)(6) 通商産業省産業政策局(1990)、『スポーツビジョン21:スポーツ産業研究会報告書』(通商産業調査会)。(7) 日本政策投資銀行地域企画部(2015)、「2020年を契機とした国内スポーツ産業の発展可能性および企業によるスポーツ支援:スポーツを通じた国内経済・地域活性化」、Retrieved February 12, 2016, from http://www.dbj.jp/pdf/investigate/etc/pdf/book1505_01.pdf(8) 原田宗彦(1999)、「スポーツ産業の構造的変化」原田宗彦(編著)『スポーツ産業論入門(改訂第2版)』杏林書院:東京。(9) FIFA(各年版)、 『FIFA Financial Report』 Retrieved March 11, 2016, from http://www.fifa.com/about-fifa/official-documents/governance/index.html(10) BBCニュ-ス,2016年5月12日号。(11) BuzzFeed Japan 2016年5月13日号。(12) ミラ- J.(1980)、『オリンピックの内幕』(宮川 毅訳、サイマル出版会)。

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    東京五輪招致不正疑惑、政府・JOCはなぜ後ろ向きだったのか

    郷原信郎(弁護士、関西大学社会安全学部客員教授) 5月12日、フランス検察当局が、日本の銀行から2013年7月と10月に2020年東京オリンピック招致の名目で、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏の息子に関係するシンガポールの銀行口座に、「東京2020年五輪招致」という名目で約2億2300万円の送金があったことを把握したとの声明を発表した。 この疑惑は、前日に、英紙ガーディアンが特ダネとして報じていたもので、フランスの検察当局の声明を受け、AFP、CNNなどの海外主要メディアも続々と「重大な疑惑」として報じているようだ。 こうした事態を受け、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は、5月13日、自ら理事長を務めていた東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会(2014年1月に解散、以下、「招致委員会」)としての支払の事実を認めた上で、「正式な業務契約に基づく対価として支払った」などと説明した。衆院予算委で答弁するJOCの竹田恒和会長。右端は安倍首相=5月16日午前 しかし、竹田会長の説明内容は極めて不十分であり、フランスの検察当局が声明まで出して指摘している、東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、「東京五輪」)招致をめぐる疑惑に対して、納得できる説明とは到底言えない。竹田会長の発言に対する重大な疑問 サンスポのネットニュースに、以下のような竹田会長と記者との一問一答が掲載されている。――報道をどう受け止めたか。 「招致活動はフェアに行ってきたと確信している。支払いはコンサルタント料と確認でき、公認会計士の監査、指導を受けた上で送金されている」――送金口座について。 「(国際陸連前会長の)ディアク氏とどういう関係があるかは知らない」――どんな会社か。 「中東の情報分析に実績がある会社だと報告を受けた。細かく承知していないが、事務局が必要だと判断した」――フランスの検察当局から連絡はあったか。 「ない。国際オリンピック委員会(IOC)からは照会があったので、全て伝えている」――活動報告書に記載のある支出か。 「裏のお金なんてあるはずない。正当なお金。業務契約に基づいて払われ、招致活動に使った」 ――約2億円は高額では。 「事務局で判断した」 竹田会長の発言中、まず、招致活動がフェアに行われたと「確信している」と言っている点だが、フェアに行われたか否かは、今回の疑惑に関して、不明な点が明らかにされて初めて評価・判断できるものだ。竹田会長が、全ての支出先について具体的にその当否を判断して支出したというのであれば別だが、問題とされている送金先について「細かく承知していない。事務局が必要だと判断した」と言っているのである。現時点においては、招致活動がフェアであったか否かについて重大な疑問が生じ、その疑問が払拭されるだけの情報もないのであり、「確信する」と言えるだけの材料がそろっているとは思えない。 重要なことは、竹田会長が「裏金ではなく、正当な業務契約に基づいて支払われた」と述べている点、つまり、問題とされている会社への約2億2300万円の支払が、招致委員会という組織において承認された正式な契約に基づいて支払われたと認めていることだ。 もちろん、組織内での正規の出金手続きを経ないで支出された「裏金」であれば、それ自体が不正であり、目的も不正なものであった疑いが濃厚となる。しかし、「裏金」ではなく組織の正式な契約に基づいて支払われたものだったからと言って、支払いに問題がなかったとは言えない。「監査法人の監査・指導」は否定の根拠にならない フランス検察当局の声明によれば、送金した先がIAAF前会長の息子に関係する会社の銀行口座であるという事実があり、それが2020年五輪開催地を決定する時期にあまりに近いタイミングであることから、開催地決定に関して権限・影響力を持つIOC委員を買収する目的で行われた不正な支払いだった疑いがあるということだ。 問題は、招致委員会側に、そのような不正な支払いの意図があったのか否かであり、事務局側の判断で行ったことであれ、会長等の幹部が了承して行ったことであれ、JOC側にそのような意図があったのに、それが秘匿されていたのだとすれば、JOCが組織的に開催地決定をめぐる不正を行ったことになり、東京五輪招致をめぐって、極めて深刻かつ重大な事態となる。 そして、もし、招致委員会側には不正の意図はなく、支払った先が、偶然、そのような疑いを受ける存在だった、ということであれば、2億2300万円もの多額の金銭の支払いの目的と理由が何だったのかが問題となる。その点について、JOC側が十分な説明を行っていないことで、不正の疑いが強まることになる。 このように考えると、招致委員会による正規の支払であり、組織としての決定に基づく支払いだと認めたことのほうが、問題は、より重大かつ深刻とも言える。 前記問答での竹田会長の発言の中で気になるのは、「支払いはコンサルタント料と確認でき、公認会計士の監査、指導を受けた上で送金されている」と述べている点である。 「正規のコンサルタント料として支出したものであり、それについて、監査法人による監査、指導を受けた上で支出しているので、何の問題もない」「少なくとも、(会長の)自分は、監査法人の指導を受けた上で事務局が支出したということで、正当な支払と信じていた」ということが言いたいのであろうが、ここで「監査法人による監査」を持ち出すのは的外れであり、問題の「すり替え」を行おうとしているように思える。 招致委員会の支払が、不正な会計処理によって行われ、裏金として支出されていたのであれば、そのような不正の有無は監査法人による監査でチェックされるべきであって、監査法人の指摘がなかったのだから、不正はないと信じていた、ということも言えなくはない。 しかし、招致委員会の組織の意思決定に基づいて行われた支出なのであれば、監査法人が指摘できるとすれば、支払いの勘定科目が適切ではないことや、手続き上の瑕疵があった場合である。このような問題があれば、監査法人が監査で指摘すべきということになるが、竹田会長自身が、「正当な業務契約に基づいて支払われた」と言っているのであるから、少なくとも、契約や承認の形式面には問題はなかったという趣旨であろう。 むしろ、今回の疑惑に関して問題となるのは、①招致委員会側が実際には不正の意図をもっていたが、それを秘匿したまま機関決定したのではないか、②支払承認の機関決定の時点で、支払の目的・理由について内部での説明・検討が不十分だったのではないか、の2点であるが、少なくとも、①の問題は、委員会側の主観的な意図の問題であり、それを秘匿されていれば監査法人には知りようがない。また、②の問題も、書類上、形式が整っていれば、監査法人としては、委員会内部の検討・議論の当否に言及することはできないであろう。 結局のところ、今回の約2億2300万円の支払について、監査法人の監査・指導を受けていることは、疑惑を否定することの根拠にも、招致委員会幹部の責任を否定する根拠にもならない。 JOCの広報官も、「支払われた2億2300万円は、コンサルティング、招致運動のプランニング、プレゼンの指導、情報・メディア分析などの対価として支払われた」と説明しているようだが、2013年7月、10月という支払の時期との関係で、その業務の内容、対価の合理性などが具体的に説明されない限り、疑惑が晴れるものではない。「調査」を行おうとしない日本政府・JOC「調査」を行おうとしない日本政府・JOC 不可解なのは、フランスの検察当局の声明によって、東京五輪招致に関する重大な疑惑が生じているのに、日本の政府・JOCの側で、それに関して客観的事実を調査する姿勢が見えないことだ。 JOCの竹田会長は、まさに、招致委員会の理事長として今回の約2億2300万円の支払を承認した当事者だ。支払先に際してどの程度の認識があったかに関わらず、少なくとも重大な責任があることは否定できない。しかも、JOCのトップの竹田会長が、今回の問題について、「東京五輪招致活動がフェアに行われた」「正当な支払だった」などと現時点から断定的な言い方をしているのは、むしろ、フランスの検察当局の声明で表面化した疑惑を否定するどころか、一層疑惑を深めるものと言える。 そして、このような事態に対して、現時点で、JOC側にも、日本政府側にも、「調査」を行う動きが全く見られない。 菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「フランスの検察当局から発表があったので、関係省庁との連携を図りつつ、政府として事実関係の把握にさらに努めていくと同時に、改めて、東京都、JOCに対し事実関係をきちんと確認していきたい」と述べたということだが、要するに、「フランスの検察当局が把握している事実関係を、日本政府としても把握すること」とJOCに事実関係を確認することしか、現時点では考えていないということだ。鈴木大地スポーツ庁長官も、「これは招致活動のうえでのコンサル料であり、コンサルティングに対する対価だとの報告を聞いている」とコメントしたと報じられている。 招致委員会が組織として正規の手続きで支払った2億2300万円もの多額の資金が、五輪招致をめぐる不正に使われた重大な疑惑が生じているのであり、しかも、JOCのトップは、支払いを行った招致委員会のトップで、まさに当事者そのものである竹田会長であり、JOCに事実確認しても、真実が明らかになることは全く期待できない。利害関係のない、外部の第三者による調査が最も強く求められるケースであることは明らかである。JOCがそれを行わないのであれば、政府がJOCにそれを強く求めるか、自ら設置すべきであろう。 もちろん、フランスの検察当局の声明も、現時点では、「東京2020年五輪招致」という名目で、開催地を決定する時期にあまりに近いタイミングで、2億2300万円を超える金額が、五輪開催地を決める投票権を持つIOCメンバーの息子に近い人物の会社に送金されている事実を指摘しているだけだ。 しかし、少なくとも、フランスの検察当局の声明とその前後の各国メディアの報道によって、日本の五輪招致活動に対して重大な疑念が生じていることは否定できない事実であり、それについて、日本政府・JOCが「フェアな招致活動」だと主張するのであれば、少なくとも、その約2億2300万円の支払について、疑念を解消できるだけの説明が行われ、その是非を判断するための調査を行う必要がある。 その際、現時点での問題が、「裏金」の問題や、監査法人の監査の対象になるような会計処理の問題なのではなく、招致委員会の決定に基づく支払いの目的・理由と、その是非の問題であることに留意が必要であろう。 この点、急きょ「オリンピック・パラリンピック招致裏金調査チーム」という名称のチームを立ち上げた民進党も、問題を正しく理解しているとは思えない。 疑惑に関する調査に、日本政府も、JOCも後ろ向きの姿勢を示しているのは、「綺麗ごとだけで五輪招致を実現できるわけではない」という認識から、徹底した調査を行えば、ある程度の不正な資金提供等の事実が出て来ることも十分にあり得ると考えているのかもしれない。そうだとすれば、「今更、東京五輪開催を辞退することはできないので、開催に決定的な支障となるような事実が表面化しないようにするしかない」と考えていることになる。 しかし、そのような考え方は、これから4年余りに起きることを想定した場合に、適切な判断とは到底言えない。このまま東京五輪開催で本当にいいのかこのまま東京五輪開催で本当にいいのか 今年8月開催されるリオデジャネイロ五輪を、ブラジル国民はどのような思いで迎えようとしているのであろうか。ブラジル経済の急速な悪化、大統領周辺も含む大規模な汚職事件での政治の混乱、そして、五輪直前の大統領の職務停止、ジカ熱の蔓延、五輪関連工事の遅れ等々。これらの事態の中で、「五輪招致は行うべきではなかった」と考えている国民が増えているのではないだろうか。 しかし、このような事態の中でも、リオ五輪の開催をやめることができなかったのは、このような事態が相次いで発生したのが、既に開催辞退ができない時期に入ってからだったからだ。4月27日、リオデジャネイロ五輪開催まで100日の特集紙面を組んだブラジルの地元紙グロボ そのリオ五輪で、「次期開催地は東京」と何の限定もなくアナウンスされてしまえば、事実上、開催地変更はできなくなるであろう。そういう意味では、開催辞退を決断するとすれば、今後1~2か月が、最後の時点と言ってよいであろう。 新国立競技場の建設、エンブレム選定をめぐるトラブルに加え、大地震の連続という過去に例のない熊本大震災の発生、五輪開催予定地東京の首長舛添要一都知事の政治資金の私的費消等の問題など、4年後に東京五輪が開催されるとすれば、想像しただけで気が滅入るような出来事が続いている。 それに加えて、海外から、その東京五輪招致自体に対して疑惑の目を向けられるとすれば、このまま東京五輪の開催を維持することが、日本の国にとって、社会にとってプラスになることとは到底思えない。 五輪招致をめぐる疑惑について、徹底した調査を行ったうえ、問題があったことが明らかになっても、それでもなお、東京五輪を開催するというのが国民の意思であれば、招致を巡る問題を呑み込んだうえで国民全体が心を一つにして、開催に向けて取り組んでいくべきであろう。 今回の招致委員会をめぐる疑惑について、客観的かつ独立の調査機関を設けて徹底した調査を行い、速やかに招致活動をめぐる問題の真相を解明した上で、東京五輪の開催の是非についての最終的な判断を、国政選挙の争点にするなどして、国民の意思に基づいて行うべきではなかろうか。(ブログ「郷原信郎が斬る」より2016年5月16日分より転載)

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    五輪招致活動の顔はJOCや招致委だが頭脳と手足は電通

     英ガーディアン紙が報じたところによれば、東京五輪招致活動に際して、開催地決定の投票権を持つIOC(国際オリンピック委員会)委員に総額2億3000万円が流れていたという。同紙では広告代理店最大手「電通」が繰り返し登場する。しかし電通の知名度は、関わりの有無によって大きく分かれる。関係する人には「巨大な影響力を持つ会社」だが、直接関わりがなければ「何をやっているかよくわからない会社」に見える。 無機質な説明をすれば、「日本最大の広告代理店」だ。年間売上高は4.6兆円。業界2位の博報堂DYホールディングス(同1.1兆円)を引き離し、国内シェア25%を占める。 一般的にはテレビCMや新聞・雑誌広告の企画・制作や営業を行なうビジネスで知られ、テレビ局や新聞社、出版社などメディア界や、スポンサー企業にとっては欠かせない存在となっている。だが、「自社の宣伝」をしているわけではないので、視聴者や読者に電通の企業イメージは沸きにくい。 しかも社員4万7000人の巨大組織における最大の「花形部署」はいわゆる「広告」を扱う部署ではなく、「スポーツ局」といわれる。ジャーナリストの伊藤博敏氏が解説する。「約150人の局員はそれぞれ得意のスポーツ分野を持つ精鋭で、テレビ放映権を扱い、有名選手をサポートする。イベントやスター選手を招致してスポンサーを探し、グッズ販売も企画して収益化するなど、あらゆるスポーツをビジネスに変えてきた」 電通と国際スポーツイベントの関わりの嚆矢は、1977年の「サッカーの神様」ペレの引退試合だ。「サッカー未開の地だった日本に世界的ヒーローを招き、国立競技場は超満員となった」(同前) 史上初の民間運営方式で進められた1984年ロサンゼルス五輪では、日本でのエンブレムやマスコットキャラクターの使用許諾権などの独占契約を結んだ。以降、「電通に頼まなければ、五輪ビジネスは成功しない」という“常識”が、スポーツ界やテレビ局に浸透した。その後、2002年の日韓W杯でも招致や運営面で電通は力を発揮した。 世界的な景気減速の中でも国際スポーツビジネス市場は不況知らず。電通にとって東京五輪が過去最大の商機になることは間違いない。だからこそ招致への意気込みは強かった。 「リオデジャネイロに敗退した2009年以来、国際的な働きかけが拙いJOCや都庁の尻を叩いてロビー活動を推進してきたのが電通でした」(都庁関係者) 当然、都庁や招致委の「電通頼み」は強くなっていく。2016年五輪招致活動が佳境を迎えていた2009年3月には、東京都議会でこんなやり取りがあった。 招致活動のための基礎調査などが電通に特命随意契約で委託されたことが野党議員から「癒着」と批判されると、石原慎太郎・都知事(当時)は、「電通が持っている影響力は、他の広告会社では及ばない。選ばざるを得ない」と答えた。口調や状況こそ違うが、竹田恒和JOC会長の答弁と同じく“電通に丸投げするしかない”という率直な心情が分かる。 石原氏も認めた「電通の影響力」を端的に示す写真がある。それは、電通の社史(『電通100年史』)に掲載されたもので、撮影は2000年。当時の成田豊・社長と握手を交わす黒人紳士は、今回の疑惑の渦中にいるラミン・ディアク氏だ。ディアク氏はその1年前に国際陸連会長とIOC委員に就任していた。 この2000年から、電通は世界陸上をはじめとした国際陸連が主催する大会の国内テレビ放映権を獲得した。「電通の人脈力」を物語る写真といえる。『電通とFIFA』の著者・田崎健太氏はこう解説する。「電通は日本では最もIOCの理事や委員にパイプがある企業です。そのため人脈に不安があるJOCは電通に頼らざるを得ない現実がある。招致活動の顔はJOCや招致委であっても、頭脳と手足は電通なのです」関連記事■ 五輪の各種独占権を持つ電通 東京五輪特需で株価の上昇期待■ 五輪危機レスリング 米国や日本のスポンサーで存続可能性も■ 五輪招致失敗で最大のダメージ受けるのは安倍晋三首相との声■ 92年ぶり五輪復活のラグビー IOCへのロビー活動は一切なし■ 6000人参加 都庁五輪招致報告会は8000人にメールで参加誘う

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    東京五輪不正疑惑 「電通」の名を報じぬ各局の見解

     東京五輪招致活動に際して、開催地決定の投票権を持つIOC(国際オリンピック委員会)委員に総額2億3000万円も渡していたという贈収賄疑惑が大きな話題になっている。そのスクープを報じた英ガーディアン紙の記事には、その疑惑の鍵を握る存在として日本の広告代理店最大手「電通」の名が繰り返し登場する。同紙は、「疑惑と電通の関係」にさらに踏み込んでいる。世界反ドーピング機関の報告書を紹介するかたちでこう記していた。〈BT(ブラック・タイディングス)社(電通が送金をした相手であるシンガポールのコンサルタント会社)の口座は、アスリート・マネジメント・サービス社(以下、AMS社)のコンサルタントであるイアン・タン・トンハン氏によって管理されている。AMS社は(電通関連会社の)電通スポーツがスイスのルツェルンに作り、国際陸連から与えられた商業的権利の配分を行っている〉 それが事実ならば、国会に参考人として呼ばれた竹田恒和JOC会長が答えたように、電通から招致委への「(BT社は)実績がある」という説明が、お手盛り推薦だったという問題も浮上しかねない。 海外の疑惑拡大にも関わらず、国内メディアが電通の名を報じる例は少ない。 ガーディアン紙報道の2日後から新聞各社はこの問題を報じたが、「電通」と企業名を書いたのは14日の朝日朝刊が最初。記事の最後でわずかに触れたのみだった。テレビ各局は、本誌が放送の録画を確認する限り、16日の竹田氏の国会答弁を『報道ステーション』などが報じるまで、電通という言葉は確認できなかった。 逆に電通の存在を“消す”報道もあった。ガーディアン紙の記事の核心は、複雑な資金の流れを説明する相関図にあった。そこには「Dentsu」も登場するのだが、テレビ朝日やTBSのニュースで紹介された図は、ガーディアン紙を出典としているにもかかわらず、「電通抜き」のものだった。 この件について、テレビ朝日は「5月12日放送時点では、事実関係が確認できた図を放送した。現在は電通についても必要に応じて報道しています」(広報部)、TBSは「放送内容についてのお問い合わせは、お答えしておりません」(総務局広報部)とそれぞれ回答した。博報堂出身で『電通と原発報道』の著作がある作家・本間龍氏が指摘する。「及び腰の正体はメディアの自主規制。特にテレビに顕著ですが、代理店の機嫌を損ねたくないのです。テレビ局側は“代理店を怒らせたらCM枠販売に支障が出る”と懸念し、勝手に報道を自粛してしまう。各局とも広告収入が減る中で、遠慮が大きくなっている」 さらに、電通と各テレビ局は五輪をはじめスポーツ中継やイベント開催などで密接な協力関係にある。また、朝日、読売、毎日、日経の大手新聞4社も、東京五輪のオフィシャルスポンサーとして合計60億円のスポンサー料をJOCに支払うことが決定している。“東京五輪ビジネスの仲間”であることも尻込みする一因なのか。関連記事■ オウム事件 1週間に40~50時間も各局から報道されていた■ TVの言葉が「語り」から「喋り」に移った理由を解説した本■ 皇太子ご成婚で白黒TV1000万台売り受信契約者200万人突破■ 「TV局を減らせ」と説く元業界人がTV界の現状を描いた書■ 三菱銀行人質事件 犯人射殺までの42時間視聴率42.3%

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    竹田JOC会長の五輪招致活動をめぐる矛盾した発言

    大塚耕平(参院議員、民進党政務調査会長代理) 6月1日は今国会の会期末。来週の今頃は7月10日が衆参ダブル選挙になるか否かが決まっているでしょう。ついでに、舛添東京都知事の辞職も決まっているかもしれません。その場合は、都知事選も加えてトリプル選挙です。通算10回目 フランスのクーベルタン男爵(1863年生、1937年没)が提唱したオリンピック。ゼウスの神殿のあったオリンポスで古代競技会が開催されていたことに由来して命名されました。 第1回は1896年アテネ大会(以下、「大会」は省略)。1900年パリ、1904年セントルイスまでは同時開催の万博の余興的存在。1908年ロンドン、1912年ストックホルムの頃から体制が整い始めたそうです。冬季大会の第1回は1924年シャモニー(フランス)。 1988年ソウル以降、オリンピック終了後、パラリンピックも開催。1994年リレハンメル以降、4で割り切れる年の夏季大会、中間年の冬季大会の交互開催が定着しました。 開催都市は北半球が大半。南半球での夏季大会は1956年メルボルン、2000年シドニー、2016年リオデジャネイロの3回。冬季大会は開催実績がありません。 南半球は開催可能な経済力を有する国が少ないこと、降雪量が少なく、ウィンタースポーツの設備が十分でないことなどが影響しています。 アジア開催は、夏季が1964年東京、1988年ソウル、2008年北京、2020年東京の4回。冬季は1972年札幌、1998年長野、2018年平昌、2022年北京の4回。北京は夏季冬季両方を開催する初めての都市になります。 中南米開催(夏季)は、1968年メキシコシティー、2016年リオデジャネイロの2回。南アフリカが候補に挙がったことはありますが、アフリカでは未開催。 この間、歴史の波に翻弄されています。第1次大戦の影響で1916年ベルリンが中止。1936年ベルリンでは、ナチスが国威発揚に利用。聖火リレーが始まったのもこの時です。 第2次大戦の影響で2度流会した後、1948年ロンドンで再開。敗戦国のドイツと日本は招待されませんでした。 1952年ヘルシンキにソ連が初参加。東西冷戦の影響から、米ソのメダル争いが過熱。中国と台湾、東西ドイツ、韓国と北朝鮮等の対立も競技を過熱させました。 1968年メキシコは黒人差別反対運動の場となり、1972年ミュンヘンではアラブゲリラによるイスラエル選手に対するテロ事件が発生。 1976年モントリオールでは、ニュージーランドのラグビーチームが南アフリカに遠征したことに反発し、アフリカ諸国22ヶ国がボイコット。 1980年モスクワでは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して米国・西ドイツ・日本等の西側諸国がボイコット。1984年ロサンゼルスでは東欧諸国が報復ボイコット。 冷戦終結後の1996年アトランタでもオリンピック公園を標的としたテロが発生。2008年北京では貧富の格差を放置しての開催に反対するデモが頻発。 2014年ソチでは、ロシアの「ゲイ・プロパガンダ禁止法」に抗議して、米国・ドイツ・フランス等の欧米諸国首脳が開会式欠席。 大会規模の巨大化に伴い、開催国の財政負担も増大。1976年モントリオールでは大幅な赤字発生。以後、立候補都市が減少しました。 1984年ロサンゼルスの大会組織委員長ユベロス氏がオリンピックのショービジネス化を推進。スポンサーを「1業種1社」に絞り、スポンサー料を吊り上げ、黒字を達成。 国際オリンピック委員会(IOC)委員長にサマランチ氏が就任後、商業主義が加速。利権の温床となり、放映権の高騰、IOC委員へ賄賂提供等、問題が深刻化しました。 現在のIOCの収入構造は、47%が世界各国での放映権料、45%が「ワールドワイド・パートナーまたはTOP(The Olympic Programme)」と呼ばれるスポンサーからの協賛金です。 クーベルタン男爵の強い勧めによって、日本は1912年ストックホルムに初参加。1928年アムステルダムから女子選手も参加。1940年東京(夏季)、1940年札幌(冬季)招致に成功したものの、日中戦争激化の影響下、自ら開催権を返上。 戦後、1960年開催に立候補するも、わずか4票で落選。1964年東京(夏季)、1972年札幌(冬季)、1998年長野(冬季)招致に成功する一方、夏季は1988年名古屋、2008年大阪、2016年東京招致に失敗。2020年東京は、通算10回目の招致挑戦でした。コンサルタント料コンサルタント料 ところで、スクープ報道で知られる某月刊誌が2月に「東京五輪招致で電通買収疑惑」と報じました。 それから3ヶ月、5月11日に英紙「ガーディアン」も招致委員会(以下、招致委)が裏金(賄賂)を関係者に渡していたと報道。月刊誌も英紙も同じ英国人記者の記名記事です。 東京開催決定は2013年9月。その前後の7月と10月、招致委がシンガポールのブラックタイディングズ社(BT社)に約2億2300万円を送金。これが開催地決定の票買収の賄賂だったとの指摘です。 5月12日、フランス検察当局がこの事実を追認し、BT社は国際陸上競技連盟(IAAF)前会長ラミン・ディアク氏、パパマッサタ・ディアク氏親子に関係するとの声明を発表。 ディアク親子は五輪開催地選考に強い影響力を持ち、IOC委員を兼任していたラミン氏は「アフリカ票」のとりまとめ役。つまり、ラミン氏に働きかけるためにBT社に資金提供したという構図です。 フランス検察当局の声明を受け、BBC、CNN等の海外主要メディアが続々と疑惑を報道。シンガポール現地紙によると、BT社登録地は集合住宅内。BT社代表(イアン・タン・トン・ハン氏)の母親を名乗る女性が居住。BT社は2014年7月に廃業。資金洗浄(マネーロンダリング)目的のペーパーカンパニーだったと報じています。 英紙等によると、ハン氏は日本の電通と関係が深く、上記の資金授受に介在したのも大会組織委員会理事である電通元専務と報じられています。 5月13日、竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長(招致委理事長を兼任)が、本件に関して「資金はコンサルタント料」「賄賂等の不正はなかった」と釈明。 5月16日、国会に参考人招致された竹田氏は「正式な業務の対価」「票獲得に欠かせなかった」「BT社から売り込みがあった」「BT社は電通に紹介された」という趣旨の発言。要するに、事実関係を認めたということです。 一方、竹田氏は、BT社がディアク親子と関係が深いこと、ペーパーカンパニーであることは「知らなかった」と弁明。竹田氏の発言は信じ難いですが、招致委にBT社を紹介した電通はこの事実を知っていたと考えるのが普通です。 竹田氏は「支払いは公認会計士の監査・指導を受けた」「送金先について詳細は承知していない」「事務局が必要と判断した」「招致活動はフェアに行われたと確信する」と抗弁。 しかし、「詳細は承知していない」のならば、なぜ招致活動がフェアであったと「確信する」ことができるのか。論理矛盾した発言です。 2億2300万円のコンサルタント料でどのようなコンサルティングを受けたのか、説明と証拠提示が必要です。監査法人の関与は不正否定の根拠にはなりません。 さらに深刻な問題は、日本のマスコミがこの事件を詳細に報道しようとしないこと。その理由は「マスコミが電通に頭が上がらないから」と言われています。 今年1月、朝日・毎日・読売・日経の全国4紙はJOCと15億円の「オフィシャルパートナー契約」を締結。その仲介はもちろん電通。及び腰の背景が透けて見えます。 五輪エンブレム盗用問題、白紙撤回となった新国立競技場のザハ・ハディド氏案を巡っても電通が関与。開閉屋根式の競技場にこだわったのは、電通がコンサート会場への転用を計画していたからとの情報もあります。 菅官房長官は記者会見で「フランス検察当局の開示した事実を政府として把握に努める」と述べるのみ。本来であれば、第三者か政府による独自調査が必要ですが、ヤル気なし。 五輪規則では招致を巡る不正行為を禁止していますので、賄賂が事実であれば、開催辞退という展開も否定できません。 英国「デイリー・ミラー紙」は五輪招致で東京に敗れたトルコ(イスタンブール)オリンピック委員会のアクソイ副事務総長のコメントを報道。 曰く「不正が認定された場合、東京の開催権を剥奪すべき。敗退したイスタンブールとマドリードの代替開催は間に合わないので、ロンドンで開催すべき」と言及しています。 1970年開催が決まっていた米国デンバーでは、地元住民の反対運動から1972年10月の住民投票で開催返上が決定。1973年2月、インスブルックに開催地が変更されました。1940年東京も日中戦争激化の影響で開催返上。「幻の東京オリンピック」と言われました。ゼウス・ホルキオスゼウス・ホルキオス それにしても、なぜ五輪を開催したいのでしょうか。経済効果が目的とも言われますが、本当に経済効果はあるのでしょうか。 インフラ整備の遅れている新興国であれば理解できます。高速道路や新幹線を整備した1964年東京はその典型例。しかし、先進国での経済効果は期待薄。インフラ整備は進んでおり、新興国ほど投資は伸びず、経済規模も大きいのでプラス効果もわずか。 東京都の試算では、2020年東京の経済的な直接効果は1兆2200億円、波及効果は2兆9600億円。直接効果の対GDP(国内総生産<約500兆円>)比はわずか0.24%。ほとんどゼロと言っても過言ではありません。 逆に大会後の「オリンピック不況」が懸念されます。公共投資、それに付随した民間投資、民間消費が落ち込むためです。観光客増も大会中のわずかな期間。 2008年北京の場合、前年に14%を超えた経済成長率が開催年と翌年は9%台に鈍化。1988年ソウル以降の夏季6大会で、開催年より翌年が上昇したのは1例だけです。 一方、莫大な費用が重荷になります。1976年モントリオールは大幅な赤字を出し、2006年までの30年間、特別税を徴収して債務を償還しました。 大量失業と債務危機に直面していた中での1992年バルセロナでは、オリンピックは「飢えの競技会」だと酷評されました。 2004年アテネは施設建設費等を国債で賄ったことが、2010年のギリシャ危機、財政破綻につながりました。ユーロを導入したことで、簡単に借金できたことも一因です。 こうした懸念に対し、東京都の招致決定前の説明では「既存施設を改装して活用」「運営費はチケット収入やIOC予算等で賄い、税金は使わない」としていましたが、決定後の費用見積もりは急膨張。 意外にも、五輪開催の経済効果に関する専門家の定説は「招致決定都市より、最終候補都市(次点都市)の方が良い経済効果が得られる」ということです。 五輪開催の経済効果を研究テーマとしているビリングズ教授(ノースカロライナ大学)、ローズ教授(カリフォルニア大学)、マセソン教授(ホーリークロス大学)、ジンバリスト教授(スミス大学)等の分析によって、いくつかの特徴が明らかになっています。 共通するのは、最終選考まで残った都市は既に勝者との結論。最終選考に残るための先行公共投資等が奏効する一方、実際に開催するための費用負担を回避できるためです。 1950年から2006年までの五輪開催地となった国々を分析した結果、選考過程の対策として行った貿易や為替取引の自由化等の効果によって貿易量が30%増加したそうです。 五輪は非常に費用がかかるイベントであり、開催都市が費用を埋め合わせるだけの経済効果は得られないとの評価で一致。 将来の維持管理を要する施設建設費用が嵩み、開催が近づくと例外なく追加費用が発生。また、9.11後、警備費用が膨張。1984年ロサンゼルスのように黒字になる五輪開催は難しいとしています。 さらに、五輪招致に成功する都市とは、特別な利益を追求する不透明な利害関係者の結束の強い都市であるとの警鐘を鳴らしています。 招致を勝ち取るのは、建設会社、広告代理店、競技団体等、多くの利害関係者が招致決定に向けて努力する都市。今回の賄賂騒動を鑑みると、もっともな指摘です。 2020年東京が日本の財政に与える影響も注視が必要です。東京圏以外でも、観光客を当て込んだ諸事業が活発化し、各地でインフラ整備等が加速するでしょう。 1964年東京の際も、翌年の「昭和40年不況」対策で戦後初の国債発行に至りました。たしかにインフラ整備は進みましたが、日本の財政悪化の端緒だという指摘もあります。 オリンポスの主、ゼウスは宇宙や天候を支配する天空神。強力なケラウノス(雷霆<らいてい>)を武器とし、ゼウスがケラウノスを使うと世界を一撃で破壊します。 オリンポスで4年に1度開催される古代競技会はゼウスを讃える大祭。開催期間中、戦士は戦争を止め、競技会に参加するためにオリンポスに向かい、「不正を決して行わない」という宣誓「ゼウス・ホルキオス(誓いのゼウス)」を捧げ、競技に参加したそうです。 ゼウスは弱者の守護神、正義と慈悲の神、悪者を罰する神。不正を行った者には容赦のない荒ぶる神。経済効果試算や招致活動に不正がなかったことを祈ります。

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    五輪コンサルタントとIOC委員を繋いだ電通の「スポーツ錬金術」

    春日良一(スポーツコンサルタント) 国際オリンピック委員会(IOC)会長、トマス・バッハは本気でIOCと五輪の改革に乗り出している。1993年9月東京が2020年の五輪開催地に決定した同じIOC総会で第9代IOC会長に就任した。即座に「アジェンダ2020」(五輪改革提言20+20)を提唱し、「クリーン」で「サステナブル」(持続可能)なオリンピックを目指している。 来年決定する2024年五輪開催都市に向けての行動規範を含む、2016年版「倫理規範」が発表された。その規範はIOC委員の招致都市への訪問を禁止し、贈答品についても一切だめとする厳格さを前のバージョンから受け継いでいるが、「コンサルタント」という項目が新たに登場していることが特筆に値する。立候補都市が契約するコンサルタントについては、個人、法人を問わず、IOCにすべてリストアップして届け出なければならない。IOCのバッハ会長=2015年5月18日(共同) そんな中、2020年東京五輪招致委員会がシンガポールに本社を置くブラック・タイディング社に支払った「コンサルタント料」について、不正疑惑が取りざたされている。今回の疑惑について招致委員会理事長の立場にあった日本オリンピック委員会(JOC)竹田恒和会長は、5月18日の衆院文部科学委員会で、この契約について国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミン・ディアク氏と同社の関係を知った上で、コンサルタント契約を結んだと証言している。竹田氏の説明によれば、「五輪招致に成功するためにはコンサルタントとの契約は必須であり、この契約は妥当」なものであるという。 五輪招致に関わるコンサルタントについては、それなりの歴史があり、その歴史を知らなければ、今回の疑惑の深層も理解できないだろう。遡ればきりがないが、そもそも五輪開催を獲得するために都市がしのぎを削るようになるのは、五輪開催が利益をもたらすようになってからだ。私が関わった長野冬季五輪の招致活動から水面下にいたコンサルタント的存在が表舞台に出始めてきた。 後にソルトレークシティー五輪招致疑惑の問題が起こる1999年になって、長野五輪当時からスタジオ6なるエージェントが存在していたことが明らかになるが、このスタジオ6、1988年カルガリー冬季五輪の時には、当時日本選手団渉外として選手村入りしていた私に接触を求めてきたことで記憶にある。その頃は、確かIOC公認の出版メディアとして現れたが、当時は五輪招致に関わるやりとりは表向きのものではなかったのである。1票2000万円、アフリカの10票を狙ったのか 長野五輪が成功した時のライバル、最有力候補だったソルトレークシティーは、その敗退に痛くショックを受け、その敗因を長野のIOC委員接待攻勢と分析した。これが大きな誤謬であったことに気付くには、1999年まで待たねばならなかったが。メディアでは長野招致も同等の扱いを受けているが、長野招致成功の最大の要因は当時のJOC国際委員会の戦略指導にあった。時のIOC会長、サマランチ氏との高度な世界戦略での対話があったからこその成功であったが、そこは見落とされてきた。これについては後述する。 さて、ソルトレークシティー招致委員会はトム・ウェルチ氏率いるトップダウン型の機構だったので、IOC委員への過剰な接待攻勢と水面下で暗躍する人々を懐柔する作戦に打って出たら、その勢いは留まらなかった。そして、念願の2002年の開催権を獲得するが、余りにも露骨な買収工作が露呈し、世界の批判を浴びることになる。それによってIOC自身が抜本的な改革を余儀なくされた。その結果、これまで水面下で行われていた活動は公のものとならざるを得なくなり、次々にコンサルタントを名乗る個人や法人がオフィシャルな存在として出現した。これが、五輪招致が五輪コンサルタントの市場となるきっかけである。 五輪の世界は独特である。スポーツというツールを通すことによって、世界中の皇室や元首へのアクセスが可能になる。それも対等な立場で接触できるのである。この独自性が実は「スポーツで世界平和構築」のキーポイントになるのだが、これが個人を利する素材となることもあり得るのだ。 五輪コンサルタントは自らの活動の中で得たIOC委員、IOC事務局、国際競技連盟(IF)や各国のオリンピック委員会(NOC)との人脈を利用して、立候補都市に有利な情報を提供する。その上で招致戦略の専門的助言をしたりするもの、さらにプレゼンテーションに特化したコーディネートをするものなど各種乱立する状況になっているようだ。 「五輪コンサルタントとの契約なしに招致の成功はありえない」状況がIOC改革によって生まれてしまったという皮肉な現状となっている。2016年版IOC倫理規範は、そのコンサルタントにIOCの承認を必要として、その管理に乗り出すというわけである。 このようなコンサルタントがいる中で、今回のブラック・タイディング社に支払った「コンサルタント料」について私が直観したのは、1票2000万円、アフリカの票10という数字だった。招致活動に携わった現場感覚では、それが一番ピンとくるものだ。コンサルタント会社のディアク氏との関係、総額約2億3千万円。支払いが7月と10月。これらの情報からの直観である。 ディアク氏を頼るとすれば、逆に言えば、ディアク氏が売り込むとすれば、アフリカ出身のIOC委員の票である。アフリカにいるIOC委員は約10人である。7月に約半数の票を確約したことにより、1回目の支払いが行われ、10月には残りの票について、成功報酬として支払われた。 1票2000万円は相当額である。一人のIOC委員を懐柔する工作費として、その活動費も含めている。2億3千万円の一割がコンサルタントの対価であれば納得できる数字と思える。五輪招致不正疑惑をなくす唯一の方法東京港区の電通本社ビル このコンサルティング会社を紹介したのが電通と言われているが、そのことについては、何の不思議もない。もともとスポーツ情報をお金にする構造を思いついたのはアディダスの二代目ホルスト・ダスラー氏であり、そのダスラーとともにIOCのスポーツマーケティング代理店ISLを設立したのは電通の服部庸一氏であるからだ。ISL社はもう存在しないが、そのスポーツ国際情報戦略のネットワークは脈々と受け継がれている。IAAF会長との繋がりは確固たるものであったはずだ。 かような「五輪招致の成功にはコンサルタントの契約が必須」であるという現状について、日本のオリンピック運動の代表者が肯定したことが、元JOC職員として悲しい。なぜならもともと五輪招致の活動は、オリンピズムに基づくものだからだ。五輪は単なるスポーツの祭典ではない。単なる世界総合競技大会ではない。それは「スポーツによる世界平和構築」という使命を担っている。その開催都市を選ぶための活動もその思想に基づいて行われなければならない。 各立候補都市が競うべきは、いかにして自らの都市がオリンピズムを実現できるオリンピック競技大会を開催できるかである。その熱意と情熱の上に築かれた計画と実践に対してIOC委員が評価を下すのである。立候補を決めてから選ばれるまでその都市はオリンピズムとは何かを考え、五輪運動をその都市に啓蒙し実践する努力をするのである。それによって、オリンピックに賛同するステークホルダーを創出していくのである。 「確かにそれは理想であるが、現実はそうはいかないだろう。実際、IOC委員もすべてが善人というわけではないのでは?」という声もあるだろう。だからコンサルタントが必要なのだ!ということになりそうだが、そうはならない。 悲しい気持ちになったもう一つの理由がそれである。それはJOCのパワーの問題である。もともと五輪立候補都市に対して、招致活動を指導助言するのは、その開催都市のある国内オリンピック委員会であるからだ。その委員会がいわゆる五輪コンサルタントが有している程度の情報を蓄積していないではどうしようもない。長野冬季五輪時には、JOCが日本体育協会から独立した時で、新生JOCとして、その国際委員長に国際卓球連盟会長の荻村伊智朗氏を招き、彼のリーダーシップの下、当時のスポーツ界の国際通を少数精鋭で集めた。そしてそれぞれが収集した情報を分析して招致戦略を構築、長野招致委員会への助言に尽くした。 NOCとして日常から各国NOCとの交流を深め、援助の必要なNOCには協力し、IOCやアジアオリンピック評議会(OCA)、そしてIFなどの国際機関からの情報を収集し、オリンピック運動の具体的施策を提言するなどの活動をしていれば、そこに蓄積される情報は、コンサルタントの掌中にあるものを遥かに超えるものになるだろう。またそこで得られる国際的信頼は半永久的財産となる。当時の荻村国際委員会はそれを求めて行動してきた。その継承がなされていれば、コンサルタントに頼ることはない。あったとしても、戦略に基づいてコンサルタントを利用する程度で収まるはずだ。 バッハIOC会長の五輪改革は本気である。ドーピング問題にも招致不正疑惑にも目を瞑ることはないだろう。五輪憲章第59条の制裁には、オリンピック開催都市の開催権剥奪も入っている。 今回のような疑惑が起こることは、オリンピックの「持続可能性」に赤信号が灯ることだ。そのことを今のIOCは軽くは見ないはずである。 オリンピズムを尊重した五輪招致活動を指導する国内オリンピック委員会の日常的な仕事こそ、五輪招致不正疑惑をなくす唯一の方法であろう。そのことを強く感じるところである。

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    電通と五輪マネー「裏金疑惑」の真相を読む

    目下、東京五輪招致の不正疑惑で最も注目を集めているのが、広告代理店最大手「電通」が果たした役割である。ネット上ではさまざまな憶測が飛び交うが、どこまでが真実でウソなのか、関係者も含めフランス検察当局の動きを注視する。巨大な利権にまみれた五輪マネー。にわかに浮上した「裏金疑惑」の真相を読む。

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    アメリカの「陰謀」なのか 世界中を疑心暗鬼に陥れるパナマ文書

    仲野博文(ジャーナリスト) 今から1年以上前、ドイツのミュンヘンにある南ドイツ新聞に匿名の内部告発者が接触。この人物はパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の内部資料を暗号化したデータファイルで南ドイツ新聞に送り、「この法律事務所が行ってきた犯罪行為を世に知らしめてほしい」と、ファイルの公表を要求。そこから数か月の間に、追加資料がデータファイルで送られ、南ドイツ新聞が受け取ったファイルの合計は2.6テラバイトに達した。このファイルはのちにパナマ文書という名で世界を震撼させることになるが、「アメリカが主導した」という陰謀論も囁かれている。全体像がまだ見えない中で、パナマ文書公開の意図を考えてみる。パナマ市の法律事務所「モサック・フォンセカ」の建物の外で警備する警官=4月12日  日本時間の10日午前3時に一部情報が公開されたパナマ文書。6日にはのちにパナマ文書と呼ばれる2.6テラバイトのデータを南ドイツ新聞に送った匿名の情報提供者が、「革命はデジタル化される」と題した声明を発表し、南ドイツ新聞や国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)がウェブに声明を掲載した。情報提供者は「John Doe」という身元不明男性に使われる俗称を使い、収入格差を是正したいという思いが情報提供のきっかけになったことを明かしている。これまでの情報提供者が、結果的には逮捕・拘留されてきた事例を挙げ、免責を確約してくれた場合には各国政府に協力する姿勢も打ち出している。  この匿名の情報提供者は声明の中で、これまでに政府や諜報機関に一度も勤務したことはないと断言。特定の国の利益のために情報をリークしたのではないと主張している。また、映画「戦場のメリークリスマス」のロケ地としても知られ、近年はタックスヘイブンとしても知られるクック諸島(もともとはニュージーランドの属領)に対して何の対応もしてこなかったニュージーランドのジョン・キー首相が名指しで批判されている。キー首相と共に名指しで批判されたもう一人の人物は、先月26日に米財務省傘下の金融犯罪取締ネットワークの局長を辞任すると発表したジェニファー・カルベリー氏で、彼女はパナマ文書でも名前が頻繁に出てくるHSBC(香港上海銀行)に重役待遇で迎えられると一部で報じられている。金融犯罪の取り締まりを指揮していた人物が、パナマ文書でその存在が大きく取りざたされた金融機関に転職することへの問題提起も声明では見られた。なぜこの二人が名指しで批判されたのかは不明だ。 パナマ文書の内容の一部は4月3日に公表され、世界各国の現職のリーダーがオフショア取引を行っていた実態が明らかになり、アイスランドではグンロイグソン首相が辞任する騒動にまで発展した。また、ロシアのプーチン大統領が総額2000億円以上の隠し資産を保有し、10代の頃からの友人でチェロ奏者のセルゲイ・ラドゥーギン氏が所有する複数のオフショア法人を中心に送金が行われたとする記録も発表されている。パナマ文書のリークはアメリカが裏で糸を引いている?  プーチン氏の他にも、シリアのバジャール・アサド大統領の2人のいとこや、キャメロン英首相の父親(2010年に他界)、米軍侵攻後に樹立されたイラク暫定政権で首相を務めたアラウィ氏、ウクライナのポロシェンコ大統領の名前などが判明している。「クリーンな政治」をスローガンに、昨年アルゼンチン大統領に就任したマウリシオ・マクリ氏も、モサック・フォンセカ経由でバハマにオフショア企業を設立し、取締役に就任していたことが判明。その時期、マクリ氏はブエノスアイレス市長を務めていたが、個人の収支報告にバハマに関する記載を行っていなかった。おもちゃのお札を銀行の前でばらまいて抗議する人々=4月6日、ウィーン  4月3日の発表ではアメリカ人の名前がほとんど出てこなかったため、「パナマ文書のリークはアメリカが裏で糸を引いている」という陰謀論をめぐって、ネット上では現在も議論が続いている。陰謀論の存在が注目されたのは、4月5日にウィキリークスが公式ツイッターで「パナマ文書によるプーチンへの攻撃は、ロシアと旧ソ連諸国を標的にしているOCCRP(組織犯罪・腐敗報道プロジェクト)が考え出したもので、この団体はUSAID(米国際開発局)とジョージ・ソロスに資金援助を受けている」とツイートしたことで、アメリカ政府による何らかの関与が囁かれるようになったのだ。 ICIJとOCCRPはパートナー関係にあり、OCCRPのウェブサイトではスポンサーとしてUSAIDとソロス氏が運営するオープン・ソサエティ財団のバナーも確認できるが、これらの団体がICIJにも資金提供を行っているのかは不明だ。しかし、ICIJは1989年に設立された調査報道を行う非営利団体「CPI(センター・フォー・パブリック・インテグリティ)」のプロジェクトの1つであり、CPI本体にはソロス氏の財団から巨額の資金が提供されている。オープン・ソサエティ財団は1993年の設立時から2014年までの間に、約16億ドル(約1700億円)をロシアや東欧諸国における民主化の促進に使っている。USAIDやオープン・ソサエティ財団の存在もあり、「ロシアが標的にされている」という陰謀論が湧き上がり、ロシアの一部メディアもこの陰謀論を取り上げて、プーチンを擁護する姿勢を見せている。  モサック・フォンセカ経由で海外のオフショア法人を利用するアメリカ人やアメリカ企業が少ないのには理由がある。デラウェア州やネバダ州など、アメリカ国内にタックスヘイブンを提供する州があるため、わざわざ海外にオフショア法人を設立する必要がないのだ。デラウェア州は人口90万人ほどの小さな州だが、2014年の時点で州内に設立された法人の数は110万を超える。英ガーディアン紙は先月25日、デラウェア州ウィルミントンにあるコーポレーション・トラスト・センターについて報じており、それほど大きくない2階建ての建物に28万5000社以上が登記している実態が判明した。この建物にはアップルやアメリカン航空といった大企業も法人登記を行っており、米大統領選で民主・共和それぞれの党からの指名が確実なヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏も法人を設立していたことが明らかになっている。大統領選で格差拡大が争点の米国にとって大きな爆弾  デラウェア州では数日もあれば法人設立が可能で、役員や株主の権利は州法によって保護される。そのため、デラウェア州での法人格取得は現在も非常に人気があり、毎年10億ドル以上が州政府に流れ込む。法人設立で財源を確保しているため、デラウェア州では消費税が存在しない。しかし、税金を「取り損なった」他の州からは絶えず不満が噴出しているのも事実だ。ニューヨークタイムズ紙は2012年、デラウェア以外の州で過去10年の間に徴収できなかった税金が総額で1000億円近くに達していたと報じている。  パナマ文書で公開されていない情報がまだ多く存在するため、ネット上で議論されている陰謀論の存在について断言するのには無理がある。しかし、これまでにない規模でタックスヘイブンを巡る状況が世界で大きなニュースとなったことで、アメリカを含む各国が租税回避への対応に本腰を入れざるを得なくなったのも事実だろう。むしろ、パナマ文書によってアメリカも国内外のタックスヘイブンとどう向き合うのかを示さなければならない流れになったことを考えれば、パナマ文書は格差拡大が大統領選挙でも大きな争点となっているアメリカに大きな爆弾を落としたようにも思える。 世界中のタックスヘイブンが実際にどのくらいの規模なのか、はっきりとした数字は出ていない。秘匿性なども存在するため、細かいデータ収集や分析を行うのが非常に困難なためだ。カリフォルニア大学バークレー校のガブリエル・ザックマン准教授(経済学)は、昨年上梓した『国家の隠された資産』の中で、世界中のタックスヘイブンで扱われている資産の総額は約7兆6000億ドルに達すると指摘。この数字が正しければ、世界に存在する純資産の約8パーセントに達することになる。 フランスの経済学者トマ・ピケティは著書『21世紀の資本』で、格差社会を生み出す一因がタックスヘイブンにあるとして、金融市場の透明化を訴えている。ピケティの理論に対して現実的ではないと批判する声も存在するが、まるで歴史をプレイバックするかのような昨今の格差拡大への対応策として、「目に見えないカネ」の可視化とその運用はもっと議論されるべきではないだろうか。